第十八節「それはきっと真白なる」
天蓋蒼星南部商業街【イーファン】より西の山脈に向けて200km。
約五日の道程。
馬車や積層魔力式の内燃機関を積んだ車両も借りず。
徒歩での移動は昼間は炎天下、夜間は極寒という荒野を往く旅だった。
襲い来る剣獣達の量や質は通常レベルのものばかり。
戦闘に参加する事となったピアリに経験値を積ませ、四人の連携を高めるには十分な時間だったと言える。
最初こそ桜色の皿が身体の横を掠めたり、頭部へぶち当たりそうになったりとヒヤヒヤしていたイルトも今では少女の物を投げるタイミングというのが計れてきて、背後からの脅威は感じなくなっている。
それどころか。
戦闘中まだまだ隙の多いイルトのサポートに回ったピアリが牽制もこなすようになった為、他の二人が安心して敵に集中出来るというメリットも大きかった。
戦いの後。
辺りに散らばった【密碑(キャラクト)】を拾い集める様子はもう堂に入っていて、今や桃色髪の記憶喪失少女も星潜者(アイム)の仲間入りを果たしていると言ってもいいだろう。
「ようやくだな」
彼らが辿り着いたのは西の山脈にも程近い木も疎らな森だった。
鬱蒼としていたイギルの森や下層域のずっと夜の地域とも違う。
晴れやかな木漏れ日が射し込んで来る麗らかな場所である。
それまで進んで来た荒野とも違い。
周辺には野花が咲いていて、長閑極まりない。
ピアリが目を輝かせ走り出し、心地良い芝生に腰を下ろして昼食の準備をし始める有様である。
「此処が迷宮……?」
もっとおどろおどろしい場所を想像していたイルトが周辺を見渡しながら呟いた。
「たぶん、間違いないでしょう。いきなり植生が変わっているのが明らかに不自然です。まだ危険があるとは思えませんが用心して下さい。イルト君」
「あ、ああ、分かった。師匠」
傍らのリュオから釘を刺されて少年が気を引き締める。
ピアリの敷いた耐水性の布の上に石ころの山がドザァッと腰の布袋の中からぶちまけられた。
「ふふ~さぁ、今日もピアリが頑張って探しちゃいます♪」
「ピアリ。この間みたいにあんまり大量に食料は出さな―――」
「今日はコレとコレとコレとコレです!!」
もう夢中になっている少女が三人の前で密碑の山から幾つか拾って全てをくっ付けた。
手の中でカチンと音がした瞬間。
輝きが文字の間に集まるとボフンと音がして質量が発生する。
細い手の中に溢れるようにして現れたのは……丸みを帯びた突起を持つ小粒な白い塊だった。
「何だコレ?」
近頃、昼食になるとランダムに密碑をくっ付けて新しいものを生み出すのが趣味になっているピアリはイルトの前で繁々手の中のものを見ていたが、匂いを嗅いだ後パクリと一粒口に含んだ。
「おいおい!? 何かヤバイもんだったらどうすんだよ!?」
ぺーしなさいと言わんばかりのイルトが慌てた。
しかし、桃色髪の少女がふにゃりと相好を崩す。
「甘いですぅ~?」
「甘い?」
「ほぅ。これは東部砂糖菓子の一種だな」
懐から取り出した麺麭と乾肉の塊をナイフで削りサンドイッチを作りながら、イフィーが全員の前に野菜を発生させる密碑を共に配りながら説明する。
「ああ、僕も何だか見た事ありますね。確か……コンペイトウ、だったかな?」
「師匠も知ってるのか。じゃ、じゃあ、ちょっとだけ」
ピアリの手から一つ白い粒を取って口に含んだイルトが微妙に顔を歪めた。
「オ、オレには甘過ぎる……」
「確か製法は砂糖やら蜜やらを使いまくっていたはず。激甘なのも道理であろう」
イフィーの説明にイルトは味わうのも止めて何とか白い悪魔を喉の奥へ消した。
「うぅ、麺麭まで甘くなりそうだぜ」
「じゃ、じゃあ!! コレ、ピアリのオヤツにしますね!!」
「ええ、僕もあまり甘いものは遠慮したいので。ピアリさん一人でどうぞ」
「我も甘いものには限度がある。まぁ、一粒在れば十分だな」
イフィーが言った通り、一粒だけ自分の外套の衣嚢(ポケット)に入れるともう結構とばかりにサンドイッチを咀嚼し始める。
「ふふ~」
さっそく外套の下から皮袋を出すとピアリが白粒(コンペイトウ)を山盛り詰め込んだ。
数粒残したものは一緒に食事として取るつもりらしく。
サンドイッチをイタダキマスの掛け声と共に齧りながら、激甘砂糖菓子がパクリと口にされる。
「うぁ……」
その様子に甘いサンドイッチというものを想像して、イルトがげんなりした。
「それでリュオ先生。これからの話だが、どうやら森の奥に小さな廃教会があるらしい」
「廃教会? それが迷宮、ですか?」
「ああ」
頷いたイフィーが守護者にして偽の聖女クラル・リテルから此処数日で聞き出した情報を並べていく。
「脳裏で話し掛けろと言われてから色々と話し掛けていたのだが、迷宮はそれで間違いないらしい。何でも数百年前に弾圧された教会だとか」
「弾圧……魔女狩りの時期ですかね?」
「たぶんな」
「魔女狩り?」
聞きなれない言葉にイルトが首を傾げる。
「歴史上、教会が複数の国家から弾圧対象に指定された時期が此処数千年二十回以上ありました。そういう時期には教会信者が“魔女”……つまり、魔族と契約を交わした忌避されるべき対象として狩られた事があるんですよ」
「うぇ……マジかよ。師匠」
人が人を狩る。
そんな話にイルトの顔が僅か歪む。
「そもそも教会の人間が魔族と契約するなんて在り得ないだろ。言い掛かり甚だしいっつーか。それって弾圧の為に使われた方便じゃないのか?」
「大体はそうなんですけどね。実際、教会信者が魔族と契約したという事例は無いわけでもないんですよ」
「え……本当に?」
「はい。世の中が荒れに荒れた時期。教会の威信が届かない場所では止むに止まれず外道の秘儀や調伏した魔族を使役する教会関係者がいました。彼らは人々の為に魔族の力を使用して絶大な成果を上げましたが、国家や民族、宗教、あらゆる勢力が教会の魔すら操る技に思惑を巡らし、最終的には力を奪い取ったり、弾圧して狩り出そうとした。まぁ、さすがにその段になったら教会の【聖征者(クルセイダー)】が出向いて全てを灰燼にしましたが……」
「クルセイダーってアレだよな。教会の敵に対して派遣されるスゲー超越者みたいな」
「ええ、それです。嘗ての教会最高戦力。小規模な国家や民族なら根絶やしに出来た大陸でも稀な上位の超越者に迫る者達です。彼らは時に大魔術師や大国の威光すら捻じ曲げる理不尽でした。教会の敵を滅するという名目で喧嘩を売った国や民族、宗教の大半は邪教や邪悪な国家として殲滅。大国にしても弾圧後の逆襲で恐ろしい被害を受け、他国に責め滅ぼされたという逸話が多い。その度に教会の威信と権威は跳ね上がり、人々は教会に帰依していった。余程に荒れた時にしか出てこないので、興亡激しい戦乱時代は半ば伝説だったり、旧い伝承の類だとも言われていました。現在は旧教会派の【総主教】の下にいると言われていますが、実態は七教会も把握していないでしょうね」
イフィーが微妙に渋い顔をした。
「へぇ、じゃあ、イフィーにとっちゃ天敵みたいなもんなのか?」
それに気付かず話を振るイルトに灰金の少女が肩を竦める。
「直接やりあった事は無いし、その機会はたぶん無いであろうな」
「どういう事だ?」
「聞いていなかったのか? 旧教会派に現在は在籍していると見て間違いない相手だと。なら、現在の七教会とは折り合いが悪いのは必死だ。そもそも旧教会派は現在も微妙な立場にある。どちらかと言えば、反七教会派に属する組織と言える」
「え、そうなのか? 師匠」
イルトの疑問にリュオが頷く。
「イフィーの言う通りです。イルト君。七教会とは七聖女を頂点にする組織ですが、それは教会内部での旧教会派を七教会派が駆逐した結果であって、本来の教会の頂点は【総主教(パトリアルヒス)】と呼ばれる大司教達を束ねていた者なんですよ。彼らからすれば、教会という組織を乗っ取られたに等しいわけで、実際の活動なんかを見ても旧教会派は七教会とは明確に区別して扱うべき組織なんです」
「全然知らなかった……じゃあ、オレが時々通ってた教会のシスターさんとかは七教会派だったんだな……」
「そうですね。影響力を拡大する中で七教会は教会の看板そのものになった。逆に旧教会派は主流から外れて今では大陸中央諸国でも発言権は無きに等しい。一つだけ彼ら旧教会派に落ち度があったとすれば、それは七聖女の能力が想像以上だった事。つまり、本当の力を見抜けなかったという一点でしょう。七聖女の逸話や伝説の大半が事実というのは中央育ちの君になら言うまでもありませんよね?」
「ま、まぁ、さすがに見ただけで邪神を消し飛ばしたとか、遠くにある恒星を消滅させて新しく星座を作ったとか、みんなの為に戦って死んだ英雄を甦らせたとか。そこまで眉唾なのはシスターさんから聞いても信じられなかったけど。皆すげー人ばっかだよな」
「「………」」
善良極まるイルトの発言に実態をそれなりに知っている“大人”な二人は沈黙を保った。
「ごちそうさまでした」
ピアリが話の横で一人サンドイッチを食べ終えてお茶を飲み干す。
「話が長くなったな。こっちも食おうぜ。師匠」
「そうですね。腹が減っては何とやらと言いますし」
「だな。話は昼食の後にしよう」
三人もようやく昼食のサンドイッチを摂り始める。
彼らの昼食が終わったのはそれから小一時間程してからの事だった。
*
『クヲーン。クヲーン。クヲーン』
何事か。
微妙な合成されたようにも聞こえる音声が一帯に響く。
第二層【明星の檻】内部。
常に偽の太陽が燦々と降り注ぐ世界は青空も清々しい。
第一層【夜の帳】が荒野や険しい山岳、深い森という何処か薄暗いイメージなのに対して第二層はかなり明るい場所ばかりだ。
延々と天蓋蒼星を分断するように続く白い砂浜が14000km弱。
惑星内部だというのに存在する海洋は広く第二層の六割を占める。
これで街が立たない方がおかしい。
というか、リゾートかと見紛うような観光地として何処も彼処も商売する輩ばかりだ。
本星から持ち込んだ淡水海水に適合する海産物を大規模に養殖するようになった為、食事も海鮮に限れば豪勢なものが多い。
陸地側には巨大な湖が無数に点在し、湖畔には商売目当てにロフトだのバンガローだの建造ラッシュが続いていて、本星からやってきた建設会社だの無数の国営企業が探査計画の中枢を置いている。
各階層探査の最前線で得られた収穫物を大量に集積する倉庫や市場としても活用されている為、第二層における経済活動は今や第一層に肉薄するまでになっていた。
『クヲーン。クヲーン。クヲーン』
そんな気温も高い仄々した第二層中部、交通網の要衝都市【アズラルカイト】の大通り。
まだ建設ラッシュに沸く空き地の一角に妙な音の出所はある。
巨大な赤い天幕。
大きく掲げられた立て看板と大きなゲートには紅の下地に黒の十字架が描き込まれ、大陸標準言語で【クラウゼン曲芸歌劇団】と白い文字が躍っている。
そのお粗末にも手書き感溢れるディテールは微妙に歪んでいる。
更に縁取りされていない文字は読み難い事この上なかった。
全体的に見ると“何処かの弱小国家の小遣い稼ぎ”臭が半端ではない。
しかし、奇妙な音声が流れる天幕には人集りと長い行列が出来ていた。
「第二部は夜八時からですわ」
「マヲン様ストラップはまだありますので押さないでくださ~い」
「クヲン様マグカップは数量限定で~す。今なら特典パックでお買い得ですよ~」
「は~い。押さないでくださいませ~。第二部のチケットはまだありますので押さないでくださいませ~」
「パンフレットは一冊【密碑】で1800ですので、今ならドリンク券と一緒がお勧めですよ~」
混雑するメイン会場手前のブースでは歳若い【星潜者(アイム)】達がイソイソと買い物に励んでいる。
彼らが手にしている品には一様に巨大な海月に頭を食われたような可愛らしい亜人のデフォルメキャラが描かれていて、提げられているグッズの入ったポーチやバッグにすら同じキャラが大量に使用されていた。
頭部から垂れる海月の足のような複数の触手器官。
もちを伸ばしたような尻尾。
魚の鰭のように垂れ下がった両腕の柔らかな皮膚の翼。
それこそクラウゼン曲芸歌劇団のマスコット【マヲンちゃん】だった。
「列はこちらですわよ~」
「お嬢様方。こちらは立ち入り禁止ですが、こちらでお茶など如何でしょうか?」
スタンプだクーポンだダフ屋行為禁止だと賑わう様子は姦しい。
だが、彼らが人混みに混じってまで曲芸(サーカス)を一目見ようと集うのはただ単に見世物が素晴らしいというだけではない。
大陸のあらゆる国家から天蓋蒼星に人々が集うという事はそれだけ千差万別の常識が集うという事に他ならない。
人間の国家が大半だが、中には亜人や異種の国家も当然存在する。
しかし、殆どの国の殆どの人々にとって、人間以外の知性ある存在というのは物珍しいのが当たり前だ。
大陸が幾ら【近代化(レボリュション)】の波で文明化されてきているとはいえ、それでも未だに旧い迷信や因習から人以外の存在を認めなかったり、超常の力や魔術に差別や偏見を持っている国も珍しくない。
彼らにとって曲芸歌劇団の団員達や売り子達は正に珍獣猛獣忌避するべき対象そのもの。
獣の外見を持つ獣人(ベスティア)を初めとして海洋類の顔を持つ売店の店員や水禍(スライム)っぽい身体の少女、人間にしか見えないが瞳が真っ黒の青年。
どれもこれも初めて見る存在ばかり。
それらを見つめる反応はまるで動物園に来たばかりの幼子のようだ。
そんなもの珍しさが人々をサーカスに惹き付けていた。
無論、それだけで商売が上手くいっているわけではない。
何より彼らが惹かれているのは団員や店員達の仕草や言葉遣い。
その教養の高さや滲み出る品性というものが明らかに貴族的だからだ。
丁寧に応対されているだけ、なのだが……多くの国において横暴や傲慢の代名詞である貴族がそんな商売をしているはずがないという先入観を打ち砕くような貴族感が曲芸歌劇団の構成員達には漂っている。
貴族の優雅さを垣間見せながら寛容に多くの客達に微笑む様子は多くの星潜者にとって“貴族に傅かれている気分”を味わうに十分なものだったのだ
「ひぃ。ふぅ。みぃ……」
そんな天幕の前部より後方の一室。
黒十字を刻印された紅のマントを羽織った少女達が二人。
テーブルの上で【密碑】と金貨を袋ごとに分け数えていた。
片方は赤髪。
片方は黒髪。
どちらも下にはありふれた革製の旅装束を着込んでいる。
「昨日までの分は全て帳簿と合致。御明算ですわね」
「ええ、お姉様。これで支店を通して本国に送金すれば、また当面の復興資金は大丈夫そうです」
赤髪の少女に黒髪の少女が微笑んだ。
「残った蜜碑は半分以上を現物に変えてから転移で送りましょう」
「はい。これでまた妹達にも何か買ってやれるでしょうか……」
東部式の算盤(ソロバン)を横に置いて、二人の少女はポンポンと膝の埃を払った。
薄暗い天幕内部を分けた部屋には小さな洋光(ランプ)が燈っている。
部屋の奥には堆く皮袋が積まれていて、本国行きと丁寧に張り紙が張ってあった。
「では、そろそろ」
赤髪の少女が懐から一枚の封筒を取り出して蜜蝋の封を剥がした。
中から出てきた一枚の紙を呼んだ少女がそれを傍らの相手に手渡す。
「……良かったです……マヲン様も無事のご様子で」
「そろそろ聖女の足止めも限界とすれば、これから益々我らの活躍が重要になってくる。サポートに回す人員を増やすべきかもしれませんわ」
「ですが、あまり目立つような行動を取るのは……」
「拠点を更に複数の地域に満遍なく増やしましょう。この天蓋蒼星(メイズ)内部ではさすがに我々の全てを監視出来るものではない。となれば、当面はイグニシア側のチーム捕捉と情報の伝達を密にするべき。クラウゼンに残っている第三世代で使える者を全て天蓋蒼星側へ移動させましょう」
「マヲン様の御裁可は?」
「次の定時便までに準備を終えて、手紙を送ると同時に行動を開始、事後承諾の形を取ります」
「こうなってくると人員の不足は深刻かもしれません……」
「仕方ありませんわ。少数精鋭で各自の手駒を独自に動かしている以上、手足となる子組織間の連携はどうしても鈍くならざるを得ないのですから」
「情報伝達さえ、もっと早く出来れば……」
「それが出来るなら誰も苦労は……七聖女、七教会、我々が相手にする者の事を考えれば、安易な魔導や魔術での通信は致命的ですもの」
二人が互いに少し溜息を吐いて、部屋の壁に掛かっている額縁を見る。
その中にはデフォルメキャラ化された彼女達クラウゼン公爵家当主の肖像画?が掛かっていた。
マヲン・クラウゼン・セト・ニェハエル。
【聖王同盟(サクラム・フェデレイションズ)】序列第八位の亜人少女。
そんな真白なる可愛い系生物を頂点に頂く都市国家アーズトリテの一団はその日、静かに行動を開始した。
(ああ、マヲン様のあのふにふにな頭部の触手(しょくしゅ)で早く褒められたい……)
(ああ、今は何処にいるのでしょうか。あのもちもちな御尻尾をお擦りしたい……)
密かにブレイク中の御当主キャラクター商売で第二層の娯楽業を革新しつつ、少女達の努力は続く。
*
―――浮遊大陸ハルトゥム中部オールケス・ベタラーデ中央政庁。
唐突だが、大陸における究極・極限・完全無欠の公務員の鑑とは……七教会本部勤めの事務員達の事だ。
彼らの大半は司教よりは位が低いものの。
それでも十分な宗教者としての地位に在り。
同時にパーフェクト超人とか、極絶ブラック企業も泣いて逃げ出す人材とか、仕事中毒だなんて呼ばないでくれオレ達最強聖女様親衛隊キラ☆とか、それが仕事なら貧乏神だって働かせてみせる(実話)とか、もう基本的にはそういう大陸中央諸国の常識を煮詰めて凝集して一粒に纏めてみました的なHENTAIだ。
世の中には正論では通らない現実とやらがあるはずなのだが、天才の上に努力と根性と血と汗と涙と聖女様への愛をを漆喰でゴテゴテ塗り固めたような彼らの前には現実の方が逃げ出す。
この国は貧乏だから戦争は仕方のないコトナンダヨ~。
あ、じゃあ、全うに暮らせるようにしてやるから、戦争止めて真面目に働いてね(威圧)とか。
この国では法律で決まってるから貴族と平民は結婚デキナイダヨ~。
分かりました分かりましたアナタの国の法律が間違っているなら、法律を変えればいいんですよ大丈夫七教会影響下の全国家の全女性がアナタの国の品物を死ぬまで不買してくれるのは間違いありません(ニッコリ)とか。
まぁ、そういう自分達の常識を押し通す為なら道理も法律も因習も宗教も全て力技で更なる現実を押し付けて突破する破壊マシーンと思って間違いない。
七教会に反旗を翻す魔王の大地。
ハルトゥムにおいてもそれは変わらず。
しかし、実はそれに匹敵するような人々がいる事を殆どの人間は知らない。
六年前より七教会の救済から零れ落ち、行き場を失った人々を数多く受け入れてきたハルトゥムは現在国家という体裁を取るに当たり。
居住者の中から優秀な者達を選抜して今までハルトゥムの管理者である紫影の従者ディアコノスに任せてきた各行政活動を全て移管。
国民レベルでの自治組織の結成と共に法整備や省庁の発足を持って、民主主義と王政、貴族制と議会制などを取り込んだ中央諸国と地方の様式をごちゃ混ぜにした体制を取るに至っていた。
議会制民主主義と選挙制度を備え。
軍事や経済には元王侯貴族や元商人を当て。
政治、経済、軍事、法律の認可などの最終決定権は魔王。
議会の解散権と立法権の半分は魔王の館に集う【聖王同盟(サクラム・フェデレイションズ)】へ。
制定された憲法は地味に七教会が束ねる中央諸国のものを半分くらいパクっているのだが、魔王の位置付けとその娼婦達の権力は極めて限定的なものとされている。
魔王の最終決定権は常時には議決結果の承認のみに用いられ。
【聖王同盟(サクラム・フェデレイションズ)】の解散権と立法権は内部議決時の総員の総意としてのみ発動可能な代物と限定。
ついでにハルトゥム内での法では特に魔王と彼女達は特定の法律における制限を受けない事が規定された。
まぁ、単純に言うと魔王の女性関係及び個人の持ち物であるハルトゥムと館周辺の所有権に議会は干渉せず、魔王個人に対しては如何なる法律も処罰の対象にしてはならない、という事だ。
自分達の住まう大地が誰のものなのか覚えておけ。
後、女性関係に関する如何なるクレームも受け入れない。
要はそういう事である。
元々反七教会を標榜する人々や七教会のせいで故郷を追われた人々などが寄り集まった共同体であった為、その辺は見逃された。
そうして道徳的に下半身的な意味でガバガバな分野と規制は多く後から緩めていく分野などが選り分けられ、数万項目の法律が5年の歳月を掛けて整備されたのである。
これが発布されるまで後もう少し。
大抵の内容は生活に直結するとして住人達に周知徹底が図られている。
刷り上ったばかりの六法全書が各家庭に配られているくらいだ。
ハルトゥムのアルヴァスからの離脱が言われて後。
国家としての船出を祝う行事が目白押しとなっている事から行政は猫の手も借りたい状態となっており、仮に国民から選抜された役人達は自前の元々の技能知識を動員しつつ、その業務の遂行に当たっていた。
と、言うのが昨日までの話。
本日、月見に参加しろと事実上の支配者である【聖王同盟】からの連絡があり、一休みとなった彼らはアルヴァスから輸入しておいた各種の用意を持って、自分達が建てた祭り会場の端に陣取り。
他の住民達と同じく飲み食いしながら極上の踊り子が飛び立つのを目撃していた。
『あぁぁぁ、行ってしまう!! せっかく、第四王妃にしようと思っていたというのに……』
近頃、七教会のせいで王位を追われ、暴徒から逃げ出してきた元王様が酔っ払いの戯言を言えば。
『あの乳はべーよ。マジッ、っべーよ!! そう思うだろぉ? なぁ? 同僚の酔っ払いさん達よぉ』
大陸中央の常識に馴染めずドロップアウトして大陸を回っていた大卒の元革命闘士が受け応える。
『あ、あれは……魔乳!! うぅ、お肌ピチピチ……魔族ズルイ!! ズルイよ本当!!』
普通の街娘で難民で娼婦になるか奴隷になるかだった書類仕事の才に長ける二十代女がピッチピチ過ぎる高位魔族の肌を羨めば。
『魔族の方ってお化粧は特別な日か。閨に入る時。他はケアとかしてないらしいですねぇ。毎日するのは顔を洗ったりするくらいだとか。身体はいつも魔術や生態活動的に纏っている魔力を使って清潔にしてるとか……魔族化する秘法とか教えてもらいたいわ……うん』
普通のおばさんみたいな事を言う見た目が海月(クラゲ)みたいな異種がしみじみ頷いたりする。
彼らに言えるのは統一感が欠片も無い事か。
他にも壊滅した魔術結社の生き残り。
七教会に体制を引っくり返されて逃げ延びてきた領主や商人。
魔族と人間のハーフで人類に駆出される寸前だった一族。
七教会からの保護政策による招きを拒否した異種。
このような誰もが微妙に後ろ暗かったり、人生これ苦行みたいな過去を持つ。
言わば、脛に傷持つ輩ばかりだ。
彼らが魔王の大地に招き入れられた時はほぼ誰もが絶望の淵に立っていた。
『ああ、自分はこれから人類の敵になるんだ』とか。
『もう人の社会には戻れないのね』とか。
『七教会に復讐してやるー(バリバリ)』とか。
『これで魔王が研究出来るよ。やったね!!』とか。
そう思っていたはずなのだが……待っていたのは穏やかな生活。
年齢に沿った丁寧な生活プランの提示と働き口の斡旋。
隣人との摩擦に対する丁寧なケアと相互理解の為の勉強会諸々。
そして、彼らが始めて目にする“魔王の娼婦”達との出会いだった。
定期的に顔を出す彼女達を最初は誰もそうだとは知らなかった。
時折、街に現れては色々と街全体の問題を聞いては解決したり、解決方法を提示したりする魔王に近しい人々……見目麗しい魔族の類だと思っていたわけであるが……国家化への道程の中で色々と情報を知るに当たり、驚きを持って多くの行政従事者達が彼女達へ接するようになった。
特に彼らと繋がりが深いのはほぼ領主みたいな役割を担い。
あらゆる案件を的確に処理しつつ、軍や警察機構の整備に当たっていた天御門紅亜だろうか。
殆どの行政従事者を選抜したのは他ならぬ彼女だ。
元々、東部で小さいとはいえ天御門の分家筋を預かり、学徒達を統率していた彼女にとって、そのハルトゥムの統治経営というのは自分の今までやっていた事の延長線上の行為に等しいものだったのだ。
生来からのカリスマ。
実務者としての確かな実績。
人の上に立つ事を宿命付けられていた過去の経験。
ハルトゥム内の問題解決に大きな資本や物資が必要な場合はエト率いるイグニシア・クルシスからの援助を受け取っていたとはいえ。
それでも都市計画までも住民や他の仲間達と共に遣り遂げた手腕は絶賛されて然るべきだろう。
大陸の中央にある政庁付近は特に力を入れて整備された入居者の人気も高い地区だ。
行政のお知らせなどは大陸の何処にいても魔術で伝えられるし、物資的な面でも転移が多用されるので行き渡るのに時間が掛かるという事が無い。
しかし、沢山の人々が集まっているというのは中々にして魅力の一つと言える。
幾ら物資的な面での援助があるとはいえ。
それでも娯楽というのは必要だし、人が集まっていないと造られない公共施設も多い。
孤独が好き。
一族単位でひっそり暮らしたい。
人が苦手。
このような人、亜人、異種、人外、エルフ、その他様々な存在も住まうハルトゥムであるからして、必ずしも中央で住みたいという者ばかりではないにしても、他者の多さと施設の多さはやはり魅力だ。
紅亜が東部式の外観には拘らなかった為、様式は北部、南部、東部、西部と限りなく混沌としているが、それもまた味というものだろう。
大陸中央式の4階建て。
白塗りな木造の政庁が置かれた場所の裏手。
メイン会場となった場所には現在、人もそれ以外もとにかくギッシリと詰め込まれている。
住民達と政庁の立案した屋台が軒を連ね。
家でひっそり月見している人々も夜中に一度は訪れていいくらいの場所として開放されていた。
そんな通りの一角から黒い制服姿の男。
いや、男装の麗人が一人。
右の頭部に狐面を付けて役人達の下へやってくる。
『紅亜様!!』
『おお、紅亜殿ではないか』
次々に立ち上がった数人が少女の下へと詰掛け。
苦笑した彼女が辺りを見回して大丈夫なようだと僅かに笑みを浮かべる。
「何か問題は?」
「いいえ、警備すら緩みそうな顔を取り繕うのにやっとな状況ですから」
五十代の亜人。
黒い獣人の責任者がそう進み出る。
「そうか。それなら良かった……」
「今日は館の方だったのでは?」
「ああ、十分に愉しんだから、少し抜けてきました。今は各地の集落を少し回っている最中で……もう少し回ったら戻ります」
「そうですか。お仕事ご苦労様です」
大の男達が一斉に頭を下げる。
この五年、彼女がどれだけの折衝を行い。
調整者として住民達の融和の為に奔走していたのか。
それを知らない者はいない。
浮遊大陸、魔王の館の守護者とは彼女の事だ。
だからこそ、年齢が如何に下だろうとその姿を見てきた年嵩の者達が紅亜を侮る事は露程も無い。
「何か持っていかれますか?」
女性達がまだ空けていない瓶や食料の在庫に目をやったが、それを緩々と首を横に振って固辞した彼女はそのまま全員を労ってから、僅か学帽を傾け挨拶し、その場から立ち去っていく。
『………』
年頃の少女らしい小さな背中にあらゆる責任が掛かっていると知る実務者達の大半が即座敬礼した。
役人と言っても、ハルトゥムの軍事力の大半は精鋭少数の常備軍と予備役たる成人男子だ。
女性も軍事に秀でる場合や書類仕事に精通するならば、軍の門を叩く事が認められているが、戦場の主役である歩兵役は専ら男性の勤め。
整備が終わりつつある軍の中でも女性は砲兵や補給部隊。
後方か後衛に回されている。
予備役は徴兵制ではなく。
一ヶ月に数日の訓練を課されるパートの傭兵みたいな志願制。
それなりに物資の配給などで待遇が良くなるので殆どの成人男性が参加している。
争う事しか能が無いという七教会から爪弾きにされる戦闘狂もニッコリな環境である。
基本的に厳しい環境や裏社会、紛争地域、最貧国のスラム等々からやってくる事が多い人間や亜人系の住人は大抵が予備役になるか軍に入る。
志願者の中には低位の神そのものやそれに匹敵する超越者、超常の力や魔術を修めたヤバイ人材も大量に混ざっていたのだが、今では完璧に統率されている。
彼らの大半は軍の創設時に携わっていた【聖王同盟】の面々を『魔王の娼婦(笑)』等とめちゃくちゃ侮っていた。
が、軍の指導教官役を時々勤める少女達の一部はコレを実力で黙らせた経緯から今では彼女達を見れば、誰もが最敬礼する。
軍の特に相手の実力を知っている人々は【聖王同盟】に敬意を払うのが常識となった。
紅亜もそれなりの使い手であり、まぁまぁ強い。
強さ的には時々やってきて訓練時、男達を絶望させた“|白く可愛い悪魔(マヲン)”とか“|菫色の仮面(エト)”とかには及ばないが、それでも将としての器なら殆ど1番だったので男達からの信奉は厚いのだ。
『さぁて、呑み直すか』
『酒樽はまだ二つ残ってますよ』
彼らは上司を見送った後。
再び月下の下。
楽士が響かせる音色に酔いしれながら、祭りへと戻っていく。
宴は続く。
何処までも。
次なる苦難への活力を蓄えるかの如く。
魔王の治める大地の夜はそうしてゆっくりと過ぎ去っていった。