※この作品はR-18です。

聖娼館ハルトゥム   作:Anacletus

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第十九節

第十九節「託されたもの」

 

 廃教会内部はひんやりとした空気に満ちていた。

 

 人が出入りした気配は無いものの、それで埃が積もっているという事も無い。

 

 石造りの長椅子と無骨な十字架。

 

 樹木が一切使われていない灰色の石造り。

 

 天蓋の崩れかけた場所から入ってくる光に照らされた其処は隠された聖域のような静謐さと神秘を誰もに感じさせた。

 

 大陸中央諸国では教会へ気軽に出入りしていたイルトもさすがに少し構えた様子で静々と足音を殺している。

 

「何か、少し寂しい感じがする……」

 

「寂しいってどういう事ですか? イルトさん」

 

 少年の後ろでキョロキョロと物珍しそうに内部を見ていたピアリが訊ねる。

 

「中央諸国の教会ってのはさ。少なからず温かい感じがするんだよ。なんつーのかな。此処にいてもいいんだって思えるような、そんな空気なんだ」

 

「よく分かりませんけど、此処よりも温かいんですか?」

 

「気温どうこうの話じゃねーんだけど……」

 

 この桃色髪の少女に何と理解させればいいのかとイルトが半笑いになる。

 

「この石造り……扉の小ささ。やはり、魔女狩り時代に立てられた隠し教会に通じるものがありますね」

 

 壁際で構造を眺めていたリュオが呟く。

 

「そうか。ならば、それにも意味があるのだろう。此処には無駄なものなど一つもないはずだからな」

 

 一人壇上へと上がっていたイフィーが何か仕掛けでも無いかと周囲をくまなく見て回りながら返した。

 

「……これが迷宮。だとすれば、どう攻略するかが鍵ですが、隠し通路らしきものは簡易の魔力波動検査にも掛かりませんでした。結界のような隠蔽を図っているか。もしくはそもそも通路のようなものは存在しないか。そのどちらかでしょう」

 

 イルトとピアリの前に戻って来た二人が互いの意見を交換しながら、ああでもない、こうでもない、と難しい顔で話し込む。

 

「イルトさん。この壁って何で出来てるんでしょうか?」

 

「ん、此処の壁か?」

 

「はい」

 

「何か気になるのか? ピアリ」

 

「その…壊れてるままにしておくのはちょっと嫌だなって思って」

 

「どういう事だ?」

 

「だって、イルトさんが知ってる教会は温かい場所なんですよね。なのに、壊れてたら来る人が困っちゃうかもしれません」

 

「あはは。そりゃそうかもしれねーけど、此処は迷宮なんだから壊れてた方がそれっぽいと思うぞ」

 

「そういうものなんでしょうか?」

 

 崩れた天蓋をピアリがジッと見上げる。

 

「……ふむ」

 

 二人のやり取りを見ていたイフィーがイソイソと自分の懐から少量の【密碑(キャラクト)】を取り出して選り分けた。

 

「どうしたんだ? イフィー」

 

「いや、ピアリの言う事は最もだと思っただけだ。このような迷宮の探索の際には物、事、場所というのが重要なのはお前にも分かると思うが、人間というのは思い込みが激しい生き物でな。実は無意識の内に見えないものを軽視する傾向にある」

 

「見えないもの?」

 

「例えば、何かしらの仕掛けが目の前にあるのに常識の範囲で事物を見ているせいで気付かない、とかな」

 

 イフィーの腕が弓なりに撓(しな)って三つの密碑を崩れた天蓋へ向けて投擲した。

 

 すると、壁の隙間を飛び越える直前。

 

 カチリと合わさった石ころが耀きを発し、質量を形成する。

 

 煙が発生した後、穴の開いていた場所には壁が修復されていた。

 

「………」

 

「………」

 

「……何も起こらな―――」

 

『さぁ、ミサの時間ですよ。皆さん』

 

「「「「?!!」」」」

 

 四人が同時に振り返るとゾロゾロと大勢が教会に入ってくるところだった。

 

「だ、誰だよ!? それに今まで気配なんて!?」

 

 合金の棒をすぐにでも武器へ変えられるよう身構えたイルトの手前にリュオの制止の手が伸びた。

 

「待ってください。イルト君。これは……」

 

 その間にも四人の事が見えていない様子の人々が四人を擦り抜ける。

 

「師匠?! これって……」

 

「幻影だな」

 

「誰もピアリ達の事。見えてないみたいです……」

 

 それがすぐに実在の人々ではないと看破したイフィーが入ってきた人々の姿に目を細める。

 

(毛皮と荒い麻を使った衣服……典型的な貧しい北部の衣装だが、草履の類ばかりで誰も靴を履いていない? 今の大陸水準でも教会がある地域で靴を履かない地域は限られているはず……となれば)

 

「ふむ。少なくとも【近代化】が始まる以前の北部の何処かですね」

 

 リュオが人々の身なりから時代を推測した。

 

「師匠はこの人達の事が分かるのか?」

 

「ええ、探索者なんてやってると考古学の類も堪能になるんですよ。時代時代の人々がどういう文化や思考形態を有していたのか。それさえ分かれば、迷宮の探索もグッと楽になりますから。そうですね。簡単に言うと異なる常識の溝を埋める事が最終的には迷宮を創造した人々を想像する事に繋がるんです。誰が作ったのか分からない迷宮と誰が作ったのか分かっている迷宮では探索の危険度や難易度は天地の差ですから」

 

「やっぱ、師匠ってすげーや……」

 

 目を丸くして師を尊敬の眼差しで見るイルトを横目にイフィーがこれから始まろうとしているミサを見逃すまいと粒さに観察する。

 

『では、本日を持って夫妻には新天地に赴いてもらう事になります』

 

『はい。司教様』

 

『喜んで。その任をお受けします』

 

『娘さんの事をくれぐれも大事にしてください。あの子の星がやがてはこの世に大きな選択を齎す事になる』

 

『選択、ですか?』

 

『あの子が特別だとは聞いておりましたが、本当にそこまでの……』

 

 ミサに参加した大人数人が司教と呼ばれる教会の法衣姿の者と一組の男女を中心に集まっていた。

 

 彼の言葉に困惑する夫婦に祝福の言葉が投げ掛けられる。

 

『よく育み愛しなさい』

 

『笑顔を忘れないように』

 

『多くを学ばせ祝福を』

 

『物事を正しく見る力を』

 

『夢を大きく持つようにと』

 

『未来は常に自らを選択し続ける』

 

『終点まで良い人生を』

 

『これが全ての者に等しい願い足らん事を』

 

「何だ……この連中……」

 

 妙に人間味の薄い周囲の人々からの祝福の言葉に二人が微笑みを浮かべる。

 

 イルトはそこに何か気味の悪いものを感じて一歩後ろに下がった。

 

「これは……」

 

 瞳を細めたリュオが村人達を観察する。

 

『お母様。お父様。どうしたの? ミサは終わった?』

 

 すると、不意に振り向いた男女が己の娘がひょっこりと顔を出したのに微笑んで何でもないと笑う。

 

『あれ? 誰かとミサをしてると言っていたのに。誰もいないのはどうして?』

 

 黒いおさげ髪の少女は司教と村人達には眼もくれずに小首を傾げた。

 

『いいのよ。今日はもうミサは終わってしまったのよ』

 

『そうだよ。これから僕達はまだ教会の威信が届かぬ場所に布教へ行くんだ。誰もあまり引き止めないようにって、遠慮してくれてね』

 

『そう。じゃあ、はやくいきましょう。新しい場所でともだちができるの楽しみにしてるんだから。私』

 

『ええ、そうね。クラル』

 

『ああ、そうだね。クラル』

 

『うん!!』

 

「な、なぁ、師匠。どうなってるんだ? どうして、この子、村人や司教に気付いて無いんだ? それにクラルって……」

 

「そうか。そういうカラクリか……」

 

 イフィーが呟く。

 

 気の強そうな少女が早く早くと両親を急かして、三人が廃教会から遠ざかっていく。

 

 一度だけ振り返った父親と母尾が頭を下げた後、消えると。

 

 村人も司教も一人ずつ虚空に解けて消えていった。

 

 すると、廃教会には再び静寂が戻ってくる。

 

「一体、今の何だったんだ?」

 

「……試練だ。今はまだ意味も分からないだろうがな」

 

 イフィーが静かに言って、小さな壇上に落ちている【蜜碑】を拾い上げた。

 

「これがお使いの本命だな。違うか? クラル・リテル」

 

 少女の声にふわりと老女が何処からとも無く廃教会の入り口に現われる。

 

「おめでとう。心からお祝いするわ。さぁ、返って最後の仕上げと行きましょう」

 

 パチンと指が弾かれた途端。

 

 パーティーの全員が足元に浮かんだ転移方陣によって送還されていく。

 

 一人残った老女がしばし廃教会を見てから、そっと瞳を閉じ、同じように転移方陣の光の中に消えた。

 

 第一層下部。

 

 表層部へ往く前にいた北部の小さな村の近く。

 

 丁度、少年と少女が話し込んだ丘に全員が転移で戻っていた。

 

 ポカポカとした陽気に照らされた世界は長閑だ。

 

 しかし、何が何やら分からない様子の少年は訝しんでいた。

 

「な、なぁ、イフィー」

 

「何だ?」

 

「あれで迷宮を攻略したのか?」

 

「ああ、だから、あの偽リテル本人が来たのだろう」

 

「そっか。何だか、思ってたのとは全然違ってて、面食らっちまった」

 

「へ? メイキュウタンサク、もう終わりなんですか? イルトさん」

 

「あ、ああ、何だかよく分からない内にそんな事になってるみたいだな……」

 

「……簡単でしたね!!?」

 

 何か自信を付けた様子のピアリにイルトが深い溜息を吐く。

 

「イフィー。さっきの【密碑】ですが、それが迷宮に隠されていた?」

 

「そう見て間違いないだろう。何となくだが、この迷宮を聖女達が未だ攻略出来ていない理由も分かって来た。さて、では一休みしてから、偽リテルのところに向かうとしよう」

 

「……まだ僕には見えていませんが、この迷宮の特殊な構造は呑みこめて来ました。つまりは追体験型に近いものなんでしょうか?」

 

「ああ、今回は単に旅の始まりとその理由を見たに過ぎぬのだろう。此処からだ。全ては……」

 

 リュオが頷いた。

 

「用意してもらったものを受け取りに来たわ」

 

 丘に村の方角からやってきたのは守護者。

 

 偽のクラル・リテルだった。

 

 静かに近付いて来た彼女から差し出された手に頼まれていたものをイフィーが外套の中から取り出す。

 

 空間制御で異相に消されていた大きな皮袋が老女の手に渡される。

 

「確かに。じゃあ、夜まで適当な家で待っていて。夜になったら、呼びに行くわ」

 

「……一体、それは何に使うのだ?」

 

「あら? この材料を見ても分からない?」

 

「……まぁ、いい。では、言われた通り、休ませて貰おうか」

 

 イフィーが振り返るとリュオもイルトもピアリも何が何やら分からないという顔でいた。

 

「夜になったら、偽リテル殿がご馳走を用意してくれるそうだ」

 

「え?」

 

「え♪」

 

「………」

 

 三者三様の様子にイフィーが苦笑して、もう先に教会の方へと行ってしまった守護者を追うようにして村へと降りていく。

 

 その夜、少女が言った通り。

 

 四人の冒険者達は守護者が作った料理をご馳走される事となった。

 

 *

 

 何も無い長閑な農村の夜。

 

 一つの家に宿泊した誰もが眠りに付いた頃。

 

 イフィーだけが村の外れの丘にいた。

 

 その後ろから老婆。

 

 彼女曰く。

 

 偽リテルが歩いてくる。

 

「明日。いえ、今日の明け方には発つの?」

 

「ああ、我には時間があまり残されていないからな」

 

「……一つ聞いていいかしら?」

 

「天下の聖女様が何を訊きたい?」

 

「その言い方は好きじゃないわね。私達は影。けれど、本人と然程変わりは無い」

 

「その然程変わりが無いだけで人一人殺そうと言うのだ。こういう返答にもなるだろう」

 

 空を見上げながら、イフィーが呟く。

 

「そうね。無神経だった事は認めましょう。でも、答えてもらいたいのは本当よ」

 

「……分かった。一体、何が訊きたい?」

 

「貴女は他者の幸せを壊しても、自分の幸せを追求出来る?」

 

「その他者が誰かに拠る」

 

「そう……それでいいのよ。この先には沢山という程ではないけれど、必ず問う者が現れる。その時、その答えを大事になさい。私が訊きたかった事はそれだけ。次の階層には教会の奥にある柱で向かいなさい」

 

「クラル・リテル」

 

「何かしら?」

 

「こちらからも一つ訊きたい」

 

「ええ、答えましょう。今も好きよ」

 

「まだ、訊いてもいないのに答えるのか……」

 

 呆れた様子になったイフィーに老女がふふふと微笑む。

 

「そういうものでしょ。訊かれるなんて恥ずかしいもの。だから、言わなくてもいいわ」

 

「歳の割りにはお茶目なのだな」

 

「いいえ、この歳になって、一人老いる事を選択したからこそ、思うのよ。本当の私も然程私と違いはない。けれど、知らない事もあれば、許せないという思いも残ってる」

 

「そうか。ならば、お互い様だ。我はきっと本当のお前が何もかもを知って、あいつを狙わなくなったとしても、許せないだろう」

 

「ええ、分かってる」

 

「我はあいつの出来ない事をしてやらなければならないからな」

 

「……眩しいわね。恋する乙女は」

 

「止めてくれ。これから殺し合う人間に言われると決意が鈍る」

 

「ふふ、そうしましょう。これで試練の一つ目はお終い。二つ目の主は彼女よ」

 

 イフィーが偽リテルの指差した方向を向くと月明りの下。

 

 長い黒髪の女が大太刀を携え、彼女を見つめていた。

 

「ユアン・クオ、か」

 

「これで第一層の守護者に貴女は勝ったわ。始まりは想いの強さをこそ試すもの。でも、次は簡単にいかないわよ。相手は聖女中最弱にして最強の善人だから」

 

 スゥッと偽リテルの姿が透けて、イフィーの背後で消えていく。

 

「では、今度は決着の時に会おう」

 

「ええ、負けてはダメよ。私達の希望……」

 

 そうして、最後に微笑んだ老女は消え。

 

 それを見届けに来たらしい月下美人と讃えられる女もまた姿を消した。

 

 一室に帰って一眠りした彼女が朝食を取って仲間達と共に次の階層へ向かったのは日が昇り始めた頃。

 

 第二層【明星の檻】は彼らを暖かく迎え。

 

 そして、困らせた。

 

 密林が続く無人島。

 

 それこそが二層目の辿り着いた場所だった。

 

 *

 

―――???

 

『……ン』

 

「?」

 

『…ア……』

 

「??」

 

「起きなさいってば!! アンタってホント、気が抜けるところだと熟睡するわよね」

 

「……ソィラ、か?」

 

 銀の短髪がガリガリと掛かれた。

 

 剛拳の闘師。

 

 もしくは大酒呑みの用心棒。

 

 または仲間内で一番金使いが荒いとしてガメツイと評判なる女。

 

 ソィラ・ミクラ。

 

 動物の革に蟲翅を張り合わせて作られた南部の伝統的な旅装束に襤褸な褐色の外套を纏った彼女が陽気に照らされた木陰の下。

 

 大陸東部近辺ではそれなりに有名な女。

 

 ユアン・クオ。

 

 正しく起きたばかりの寝惚け眼な彼女の頭をポンポン軽く叩いていた。

 

「ハティア達は?」

 

「先に塔へ行ったわよ」

 

「塔?」

 

「寝惚けてるの? はぁ、まったく……可愛そうだから寝かせておいてあげましょうって、アンタの親友が言ってたわよ?」

 

「……此処は?」

 

 ユアンが周囲を見回して小首を傾げる。

 

 辺りは長閑な丘と木々が薄く茂る森が広がるばかり。

 

 少し遠くには平地に村らしきものが見える。

 

 何処にでもありそうな小さい街道から外れた北東部の田園風景。

 

 小麦畑が申し訳程度に森の近くまで広がっている。

 

 後ろは山岳。

 

 雲は高く。

 

 風は麗らかだ。

 

「中央に行こうってこの間、決めたばっかりでしょ!! リーダーのアンタがそんなんでどうするのよ」

 

 やれやれと肩が竦められた。

 

「……ええと、そうだ……私は……私は確か……」

 

「あの村で三週間分の食料を引き換えに仕事引き受けたでしょ。近くにある塔に近頃は怪物が住み着いてて、近くを通る行路が通れなくて困ってるって」

 

「あ、ああ……そうだったな」

 

「三人だけでも大丈夫でしょうけど、後ろから弟子の成長くらい見守ってやりなさいよ」

 

「弟子……シンア……」

 

「寝惚け過ぎ。ほら、とっとと立って!! 走るわよ!!」

 

「分かった!!」

 

 走り出す相手を追い掛けて、ユアンも走り出す。

 

 こんなにも長閑な村に怪物の出る塔。

 

 そう思い出せば、彼女の親友が言っていた事が脳裏に思い出された。

 

 二人が行く細い森の中をゆく道は僅かに人の往来が途絶えて、草が左右から張り出している。

 

 それから数分。

 

 苦も無く林道を走り抜けた彼女達が見たのは三階建ての塔から魔術の耀きが立ち昇る瞬間。

 

 どちらが先かなどどうでもいいと。

 

 先行して塔の窓がある直下で頭を下げ、肩を差し出したソィラを蹴り付け、ユアンは舞い上がっていた。

 

 三階の窓から見えたのは少年が長剣を必死に盾として背後の二人を何かから守っている場面。

 

 そのよく確認もしなかった敵に向けて彼女は烈火の如き怒りのまま長刀を引き抜き様に振る。

 

「閃剣が奥義の一つ」

 

 しかし、それが途中で止まった。

 

 何故ならば、弟子が己の刃で技を紡いでいたからだ。

 

 斬と真一文字に振られた剣が薄っすらと背後の親友によって付与された魔力に耀く。

 

 ソレが振り抜かれた後。

 

 長剣がその手からすっぽ抜け、敵であったのだろう何かを切り裂いて……僅かな間を置いて威力を炸裂させた。

 

 三階の敵がいた場所が剣を振った方向から猛烈な見えない爪で抉られたように切り裂かれ、崩落を引き起こした。

 

 虚空に軽い魔術で不可視の足場を生み出し、それを見ていた彼女は弟子が腕を痛めたのを知って「未熟者め」と僅かに笑みを浮かべてから内部へと向かう。

 

 窓から入れば、既に少年へ駆け寄った金髪の少女。

 

 ハティアが手を腕に翳していた。

 

 詠唱などせずとも肉体を癒す事は魔術師なら可能だが、それにしてもたった数秒もせずに腕の鬱血が引いて元へと戻っていく光景は奇跡的だろう。

 

「あ、ユアン」

 

 少年が窓から入ってきた己の師に少しだけ半笑いになった。

 

 自分の技で怪我をした事を知られたというだけで十分に情けないと分かっていたからだ。

 

「ハティア。フルー。大丈夫か?」

 

「あ、ユアン。今、治療しちゃいますから、ちょっとだけ待ってて下さい」

 

「ああ」

 

「ん~~ユアンと違って威力絞れてなかったんじゃない?」

 

 少年の後ろで瓶底眼鏡に旅装束の少女。

 

 フルー・バレッサが指摘する。

 

「まだ修行が足りないみたい、かな……ごめん」

 

「あ、ああ、別に攻めてるわけじゃないよぅ!? か、解析するのが僕の仕事だから、ちょっと意見しただけだから?!」

 

 少し沈み込みそうになった少年に慌てて言い訳する放浪鍛冶は言い繕う。

 

『お~~い。アタシの背中も見てよ~~今、ユアンに蹴られて凄い痛いんだけど~~』

 

「あ、は~~い」

 

 下からの声にようやく治療を終えたハティアが忙しく階段を下りていった。

 

「それで敵は何だったんだ? フルー」

 

「あ~~動物霊が何か酷界からの魔力の噴出す場所で変質したみたいなやつだったっぽい」

 

「じゃあ、今からそれを潰しに行くか?」

 

「あ、それは大丈夫だよぅ。ちゃんと爆破しておいたから」

 

 胸を張る仲間に溜息一つ。

 

 もう大丈夫そうに立ち上がる弟子の頭を彼女は撫でる。

 

「ちゃんとした姿勢で撃たないから、そうなる。後で少し修練だ」

 

「う、うん」

 

 五人で村に戻った頃には夕暮れ時。

 

 歓迎された五人は村長の家で持て成された。

 

 まともな食事に有り付く事は旅人にとって腕に覚えあるか。

 

 または十分な路銀が無ければ難しい。

 

 一応、餓えてはいなかったが、それでも少し近頃質素な糧食を齧る程度だった全員がまともに食事をしたのだ。

 

 雑魚寝とはいえ。

 

 一室でまともな数枚の敷布と毛布の上に横となれば、装備を外したくなるのも道理だろう。

 

 裏の井戸水を沸かして身体を清め。

 

 旅の疲れと垢を落としての就寝。

 

 それは全員で初めてまともな一夜を過ごしたという事に他ならない。

 

 敷布と毛布の上で思い思い過ごす、という程には他人行儀ではない。

 

 誰もが白い下着に姿だった。

 

 少年は下穿きこそ穿いていたが、それなりに見目麗しい彼女達の中で少し恥ずかしそうに居心地が悪い様子で上から毛布に包まっていた。

 

 元々そんなのを気にしない男勝りなソィラは胸部には東部の細く白いサラシをだらしなく巻いて、紐のショーツを着けただけ。

 

 そもそも胸が無いフルーは別に隠さなくてもいいのにと仲間達の様子に下穿きだけ着けて、上には軽く大きな手拭を羽織っただけで胸元も露に何やら寝そべり、何かを書いている。

 

 ユアンはソィラと同じくサラシを胸に巻いてキッチリとしていたが、上に白の襦袢を羽織ったのみで。

 

 下半身には東部の流儀らしく何も着けていない。

 

 唯一ベージュ色の愛らしい花柄の寝巻きを着たハティアは仲間達の姿に最初こそ注意したものの。

 

 最後には諦めた様子で少年に「あんまり見ちゃダメですからね?」と恥ずかしそうに忠告してから、傍で小さな魔力の小窓を出して、その内部で術の方陣を編んでいた。

 

「ねぇ、シンアって逞しくなってるの?」

 

 最初に切り出したのはフルーだった。

 

 好奇心旺盛。

 

 世に知らぬものあらば、自分の手で耳で目で確めなければ気が済まない。

 

 そんな鍛冶の血は今も疑問を解決する為なら、道理も合理も押し退ける。

 

「私が鍛えている。問題あるわけないだろう」

 

 それにユアンは夜長の風が当たる窓際で頬杖を付いていたが、聞き捨てならぬと当然のように返し。

 

「でも、筋肉とか付いてるようには見えないわよね~」

 

 今まで虎の子の乾物を肴に小さな酒器で上物を晩酌していたソィラが少年を胡乱な瞳で見つめる。

 

「シンアは逞しくなってます!! か、身体はそうでもないけですけど、今日なんか大活躍でした!!」

 

 いつも怪我を治して身体の状態を把握しているハティアが反論したが。

 

「ん~~中身はいいけど、身体の状態を見るのも必要だと思うよぅ♪」

 

 茶化すのが大好きなフルーがススッと毛布を被って今も少し恥ずかしそうな少年の傍に寄る。

 

「ちょっと、み~せ~て? シンア♪」

 

「あ、ぅ、ぅん……」

 

「ダメです!? 何考えてるんですか!? フルーは!!?」

 

 その要望に応えようとした少年を守るべく。

 

 ササッと母親が我が子を抱くかのように毛布の上からハティアがシンアの頭を引き寄せて胸に抱いた。

 

「おおぅ!? まるで鷲から子を守る母鹿のようよぉ~~アタシは身体を確めるに一票!! 肴足りないし」

 

「な?! 仲間の身体の発育具合をお酒のお供にしようなんて神が許しても私が許しません!!」

 

「……シンア。どれくらい筋力が付いたか私にだけ見せろ。これは師として正当なる権利だ」

 

「な、そ、そういうのは今じゃなくてもいいじゃないですか!? ユアンいきなりどうしちゃったんですか!?」

 

「え? ユアンはアタシからさっき“とっておき”を分けたばかりだから、上機嫌よ♪」

 

「あ!? な、ななな」

 

 ワナワナするハティアの目の前であまり顔色は変わらないユアンがコロンと空の小さな酒器を落とした。

 

 それが四隅に置かれた獣油の明かりで陰影を刻む。

 

「何呑ませちゃってるんですか!? ソィラ!!? ユアンはお酒が弱いんですよ!?」

 

「え? そうだったの? アタシには『酒に呑まれた事は無い(キリ)』って言ってたけど」

 

「違いますよ!? お酒に呑まれまくって昨日の記憶が抜けてるだけですソレは!!?」

 

「ま、いいじゃない。多数決よ。多数決♪」

 

「そうだよぅ♪ これが世に言うミンシュシュギってやつだよぅ」

 

 にじり寄る二人の悪魔の背後からは微妙に座った視線の酔っ払い。

 

 これにハティアは身を挺して後ろに少年を隠した。

 

「か、数の暴力はミンシュシュギとか言うのじゃありません。横暴反対!!」

 

「え~~じゃあ、代わりにハティアのでもいいよぅ?」

 

「な!?」

 

「ん~~そうねぇ~~母親が子を守って儚く散る。正しく吟遊詩人の好みそうな題材だわ。肴にしても美味そう……前からそのサラッサラでフワッフワな髪とか、スベスベな肌とかどうなってるのか直接身体に聞いてみたかったのよねぇ……」

 

 二人の悪魔が目標を変更し、今度はハティアとの間をジリジリと詰めていく。

 

「私は……っく……シンアがいい……師として……師として……っく……」

 

「ユ、ユアンまで!?」

 

 金髪の少女がこうなったらと魔術を発動させるより早く。

 

 ガバッと二人の悪魔が襲い掛かった。

 

「あ、止め!? な、何すッ?! あ、あはははは、く、擽(くすぐ)るのはは、はんそ―――」

 

「スベスベだよぅ!? お腹もその下も作り立てのプディングみたい!? これはな、何か創作意欲が湧いてくる感触!!?」

 

「うっわッ?! サラッサラ?! ツルッツル!? 良い匂い……これは……進むわね!! ちょっと舐めちゃおうかしら?」

 

 二人の悪魔が擽るやら頬擦りするやら舐めるやら。

 

 とりあえず。

 

 寝巻きの下の柔肌が蹂躙されていく。

 

「だ、ダメです!? な、あはははは、ちょ、止めてくだ、あはははは、うぅ!? ダメですったらぁ!?」

 

 腕力ではソィラに勝てず。

 

 的確な人体の擽りポイントを抑えたフルーの前に身を捩る以上の行為は封殺された。

 

「シンア。見せてみろ」

 

「ぅ、ぅん……」

 

 少年が少し恥ずかしそうにしながらも抗えず。

 

 その酔っ払いに肌を晒そうとしたものの。

 

「だぁああめぇえでぇえすぅううううう!!!?」

 

 三人の身体がドパンと魔力の波に押し流されて毛布の上に転がった。

 

 散々に弄繰り回されたハティアが髪を解れさせながらも少年を横からギュっと抱きしめると同じ毛布の中に入って何やらブツブツと呪を唱え始める。

 

 それから数秒後。

 

 部屋の中央に展開された方陣が発動すると四隅の明かりが消えて。

 

 後は陣の発動で区切られた空間だけが残った。

 

 どうやら音声その他諸々を隔絶する戦闘用の代物。

 

 これでは手出し出来ないと肩を竦めて悪魔達が自分の欲望を満たすのを止める事とする。

 

 ユアンは陣の発動時の衝撃で意識を失ったらしく。

 

 スヤスヤともう寝ていた。

 

 残された二人が自分の毛布を被ってユアンの隣で川の字になる。

 

「何か上手くいったわね」

 

「そうだねぇ~結構、ハティアってそういう欲求強そうだとは思ってたけど、こんなに上手くいくなんて……本当に気に入ってるみたい。シンアの事……」

 

「此処は大人なアタシ達が世話を焼いてやるのが流儀ってもんよ」

 

「でも、自分の事……ハティアって気付いてなさそうだよねぇ」

 

「ま、今日はこれくらいにしましょ。ちゃんと肴も摘んだしね」

 

「う~ん。あの感触……少しウットリしちゃうよぅ」

 

「そりゃぁ、アタシ達の中で一番お嬢様で一番可憐で一番可愛いハティア・ウェスティアリアだから、仕方ないわね」

 

「男の子なら、尚更だよねぇ……今日で進展しちゃうかなぁ?」

 

「そりゃあ、無理ってもんでしょ。でも、きっと……どっちも恥ずかしいけど、身体を寄せ合って幸せそうに寝るんじゃない?」

 

「みんなで応援してあげないとね♪」

 

「師匠は複雑で微妙に不満かもしれないけどね」

 

「ソィラは?」

 

「ア、アタシ?!」

 

 矛先が変わって、思わず拳が傷だらけな彼女はそっぽを向いた。

 

「別に何も、無いわよ……うん」

 

「ふ~ん」

 

「そ、そういうアンタこそどうなわけ? フルー」

 

「え? ボク? ボクはほら、可愛くないし、そもそもそういう感じじゃないから……シンアに剣や色々なものを打ってあげたり、造ってあげられたりすれば、それでいいかなぁ……」

 

「……アンタが一番この中で業が深そうだと思うけどね。アタシは……」

 

「その物凄く納得出来ない結論はどういう論理から導き出されてるのか興味あるよぅ」

 

「だって、ちょっと今日アンタ怒ってたでしょ?」

 

「?!」

 

「お? 自覚はあるんだ」

 

「な、何の事かなぁ?」

 

「自分の剣がアイツを守ってやれなかった時、凄い自分に腹が立ったんじゃない?」

 

「ソィラ嫌い……いっつも、そんな風に分かったような事ばっかり言って」

 

 少し膨れて反対側を向いた眠る時も眼鏡を外さない少女に苦笑して。

 

 たぶん、精神的にはパーティーで最も成熟しているであろう彼女は目を細めた。

 

「ふふ、今日はこれくらいにしましょうか。アタシも疲れたし」

 

「……オヤスミ」

 

「いつか、アンタが造ってやりなさいよ。アイツをどんな時も守ってやれるだけの何かを……そうしたら、きっとアンタだって素直になれるから……」

 

 もう答えは返らない。

 

 五人の旅行者はそうして深けていく夜に目を閉じる。

 

 明日がより善き日である事を願いながら。

 

 仲間達が今日よりもずっと、昨日よりもきっと、傍に感じられる……幸せな日々を思い描いて。

 

――――――ん。

 

「?」

 

 何かを夢見ていたような感慨。

 

 されど、それよりも肌寒いと己の手を擦り合わせようとして全身がスースーするのに気付いた聖女ユアン・クオは明け方の日差しの中でおもむろに自分の身体を見て。

 

 前日の記憶の欠片を必死に繋ぎ合せて回答を導き出し。

 

 壮絶に今からその震えだけで身体の水分が沸騰してしまうのではないだろうかという程に身体を怖気立たせ。

 

 自分が一夜の縁とした少年の身体が既に無い事に安堵のような、積年の澱にも思える不思議な広漠を感じ。

 

 中庭にやってくる足音に……聞き知った己の弟子の足音に……絶望的な、極めて精神的によろしくない錯乱に陥って、超高速で隣人の肩を揺さぶった。

 

「………ッ」

 

 こんなにも己を恥じたのはいつ以来か。

 

 そう彼女達の旅(はじまり)を思い出しながらの数分は正しく永遠に違いなく。

 

 聖女達の不健全な宴はそうして終わっていくのだった。

 

 後悔や羞恥の中に……氷っていた嘗ての己を溶かしながら………。

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