第二十節「第二層」
「イルトさ~ん」
燦々と降り注ぐ太陽の下。
少女達が一つ樹木の間を布で隔てた先の小さな水辺で生まれたままの姿で水浴びしている。
という、逞しい妄想、ではない現実を前にしてイルト・イナーシタは顔を赤くしつつも、何とか聞き返した。
「ど、どうしたんだ?」
「気持ち良いですよ~。イルトさんも一緒に水浴びしませんか~♪」
「ば、馬鹿!! そんな事出来るわけないだろ!!?」
その横で一人【密碑】で錬金術用の触媒を生産していたリュオは少年の方をチラリと見て、男の子ですね~と見ないフリをした。
四人が第二層【明星の檻】に抜けて二日目。
常に光が射し込み。
決して夜が来ない世界の片隅。
無人島を彼らはほぼ探険し終えていた。
半径六km四方の陸地。
内部には果実の成る樹木が生い茂っており、食料には困らない。
また、水が豊富に湧き出る泉も各地に点在していて、水を蜜碑で出す必要も無い。
生きていくだけなら、まったく問題ない場所は平穏そのものであり、蚊や動物の一匹もいない為、殆ど楽園と言って差し支えなかった。
此処でも剣獣(ソーディアス)は出たのだが、それは島の中央にある下が岩で覆われた少し高い台地の部分にしか居らず。
強さも然程ではない。
と言う事で彼らはとりあえず島を回るついでに戦闘経験を積む目的でしか戦ってはいない。
本日は前日から歩いてばかりだった女性陣の水浴びが行なわれており、それが終れば、男性陣も体を清める事になるだろう。
「はぁ……」
溜息を吐いたイルトは布一枚越しに展開されるパラダイスを想像しつつも、それを何とか振り払い。
一人黙々と使う武器の手入れをしていた。
錬金の技で一瞬にして形を変える武具。
それ自体が特殊な合金である金属の柄は質量が変わるわけではない。
だから、壊れたり欠けたりした場合、継ぎ足し継ぎ足し補充しなければならないのだ。
まぁ、一般的な鉱物と珪素。
それから微量の希少土類から出来ているので大抵の場所で材料は手に入る。
ピアリのはしゃいだ声が静まる頃には全てが万端となっていた。
「ふぁ~~気持ち良かったですね!! イフィーさん!!」
「そうだな。さっぱりした。次はお前達だぞ。イルト」
密碑で出したタオルを体に巻いただけの姿で少女が樹木の間の布を取っ払う。
「―――!?!」
思わずゴクリと唾を飲み込んだイルトであったが、それに気付かず。
二人の少女達は再び別の樹木の間に布を張って壁とすると。
その中で着替え始めた。
「イフィーさんのお肌綺麗です。それにシットリしてて……柔らかい♪」
「こ、こら。勝手に触るな。まったく……」
「………」
「イルト君。鼻血、鼻血」
「ハッ?! お、おう!!」
自らの師に言われて初めて気付いたイルトはサッと懐から鼻を噛む為の紙を取り出して片方の穴に詰めた。
そして、色気も無く。
男二人、水辺でバシャバシャと鴉の行水よろしくササッと体を洗って、ものの三分程で水から上がった。
タオルで全身を拭き、魔術で新品同様に汚れを取った服を身に付ければ、体が引き締まる心地となる。
女性陣もすぐに着替え終えたのか。
布が樹木の間から取られた時にはいつもの姿となっていた。
四人が集まると音頭を取ったのはイフィーだった。
「さて、これで島の全てを回ったわけだが、守護者が見付からないのはどうした事か。そう思わないか?」
「あ、ああ、確かに出るとこ間違えたのかな?」
イルトがイフィーの言葉にそう返すとリュオが僅かに考え込む。
「問題は此処から出られそうに無いというところにもありますね」
「え? そうなのか!? 師匠」
「ええ、先程から魔術で広範囲の探索を掛けているんですが、陸地が見付かりません」
「それってどれくらいの範囲を探してるんだ?」
「ザッと1000kmくらいですかね」
「―――つまり、本当に此処は孤立無援の孤島って事なのか?」
イルトの渋い顔にリュオが頷いた。
「そうです。何かありそうなのは島の中央にある台地ですが、剣獣(ソーディアス)の強さは許容範囲内というか、かなり弱い。こうなると出る蜜碑に何か在ると見るべきです」
「ピアリ」
「はい。何ですか? イルトさん」
「昨日戦った時に集めた分を見せてくれるか?」
「どうぞ。これが昨日の分です」
密碑集め係りであるピアリがイソイソと腰から集めたものを取り出した。
「……これで何か特別なものが出せたりする、のかなぁ?」
イルトが普通のものっぽい蜜碑を掌にして考え込む。
「ふむ……イルト。少しソレを貸してくれ」
「ああ」
イフィーが手渡された文字を自らの掌でカチカチと合わせ始めた。
すると一陣の風が吹いて。
「呼んだか? 案外早かったな」
「?!!」
思わずイルトが背中からした声に前へ転がって、素早く武器を抜いて剣にし、振り返る。
すると、其処には何時の間にか。
黒髪の長髪も麗しい。
スラリと背の高い切れ長の瞳の美人。
いや、麗人が立っていた。
「ユ、ユアン・クオ、様?」
「第二層の守護者。ユアン・クオだ」
イフィーの掌で密碑が煙を上げて消える。
その途端、今まで四人の前にいた彼女が一瞬で見えなくなる。
「む……そういう事か。これは時間が掛かりそうだな」
「ど、どういう事なんだ!? イフィー!!」
「此処で取れる蜜碑は第二層の守護者を呼び出す為の代物なのだ。それも時間制限付き。ついでに言うと呼んでいるというよりは認識出来なくなると言った方がいいな。まともに話をしようとすれば、密碑が大量に必要なのだろう。この環境の整いようを見る限り、今度の迷宮はこの島。そして、守護者とコミュニケーションを取る為にはあの台地でぶっ通しで剣獣を倒さなければならない、と」
「そういう事でしたか。それにしてもよく気付きましたね。此処で出る密碑が守護者を出す鍵だと」
リュオの言葉にイフィーが苦笑した。
「生憎と七聖女の事なら、仲間内であまり話をしない本人達よりも詳しいぞ。聖女が何を知っていて、何を知らないのか。それくらいは理解していなければ、反七教会等とは言っていられないからな」
「それにしても、密碑集めかぁ……」
イルトが一瞬だけ見えていた相手を普通に話せるだけ見えるようにするにはどれだけ敵を倒さなければならないのだろうかとグッタリした。
「そう落胆するな。まずは聖女にあの台地の剣獣を増やす方法でも尋ねよう。まずは一度大量に密碑を確保しなければ、ロクに話も出来ないのだからな」
「……そうだな。ピアリも戦闘要員になったし。此処は練習すると思ってガンガン戦ってもらうか」
「はい!! ピアリは皿投げ遊撃部隊長ですから!!」
「では、皆さん。方針も決まった事ですし、まずはあの台地に向かいましょう。まともに話せるだけ稼ぐのは骨が折れそうですから」
リュオの声に全員が頷き。
そうして、彼らは島の中央へと向かう事となった。
*
夜無き無人島でイルト達が果て無き徒労系戦闘に入った頃。
第二層の内部ではとある|出会い(イベント)が発生していた。
「クヲッ?! クヲヲ?!!」
第二層の娯楽産業を牛耳り始めたクラウゼン公爵家の御当主キャラクター商売。
それを思わぬところで本人は見つけてしまっていた。
「はいは~い。マヲン様ストラップ豪華版パッケージはこちらで~す」
「こちらは北部の陶工が焼いたクヲン様マグカップの限定版ですよ~」
「こっちは皆様のマヲン様に対する想いの丈をぶつけて頂く絶叫大会で~す!!」
『カァァアアアアアワァアアアアアアアアアアイィイイイイイイイイィイイイイイイイイイイイ!!』
「おおっと二十三番!! これは他の参加者が美麗字句を並べるのに対して真っ向からド直球だぁあああ!!」
「こちらはマヲン様を題材にした二次創作を取り扱う部門で~す。誰でも使用料を払って頂ければ、マヲン様に関する何を売ってもいいですよ~~あ、ちなみに成人用のブースはあちらになりま~す。あ、そこ~横入りはダメですよ~マヲン様はそのような行いには泣いてしまうかもしれません。何せ心の優しい方ですから♪」
「クヲッ?!!」
もはや何でも言いたい放題である。
「あ~~テステス。こちらでマヲン様成り切り大会を始めたいと思いま~す。有志の皆様はお集まり下さ~い。これより成り切り度と可愛さの審査によって上位になった方には限定商品を差し上げま~す。また、お客様達も是非投票して下さ~い。一位になった方にはマヲン様豪華セットをプレゼント!! これは見逃せません!!」
巨大なブースが所狭しと立ち並ぶ一角。
癒しを求めているらしき星潜者(アイム)達の購買意欲は凄まじく。
また、それらの客達に食事と一時の憩いの場を提供する飲食店は大盛況。
更に奥の成人御用達ブースでは何やら『フォオオオオオオオオオ!!? これは一部界隈で高額取引されていた『マヲンちゃんの大人の事情第四巻!!?』だの『は?!! う、嘘、だろ?!! こ、これは|皇帝娘々日記(こうていにゃんにゃんにっき)マヲン編!!? あの有名作者があまりにもマヲンちゃんが好き過ぎて自分の作品で二次創作したという伝説の代物じゃないか!!? くッ、此処がオレの下半身と全財産の使いどころだと言うのか!!?』だの、怪しげな声とオーラが充満している。
「あ~凄いですね!! その変装!! 高位魔術師の方ですか? そこまで再現度が高いなんて!!? 尊敬しちゃいますよ!!」
「ク、クヲヲ?」
見知らぬ十代の少女に話しかけられて、自分を指差したマヲンにウンウンと頷きが返される。
その姿はまるでマヲンの簡易版着包み。
モチのような尻尾とパタパタする鰭っぽい翼が妙に凝っていた。
「さ、一緒に行きましょう!! 上位入賞目指してクオオオオ!!!」
微妙にニュアンスが違う声で自分の叫びを真似されながら、目を回すような勢いで彼女は成り切り大会の列に引っ張られていく。
その様子を彼女のお付きの紫幼メイドは問題無さそうだと助けもせずに待つ事とした。
「さて、始まりました~マヲン様成り切り大会!! 此処では皆様の成り切り度に比例して得点が付けられます。是非、高得点を目指して頑張って下さいね。ちなみに上位入賞を逃した方でも、参加賞として次回イベントの特別整理券が配布されます」
『うぉおおおおおおおおおおおおおおお!!! マ・ヲ・ン!!! マ・ヲ・ン!!!』
シュプレヒコールが上がる中。
次々にマヲンの物真似を披露する参加者達が珍妙な奇態を披露するのを彼女本人はもう呆然として眺めている事しか出来なかった。
そして、自分を引っ張ってきた少女が舞台に登壇する。
「クオオオオオオ!! クオオオオオオオ!! クオオオオオゥオオオオオ!!!」
パタパタと翼をはためかせながら、必死にアピールする少女はぶっちゃけ発情した鶏、みたいなものにしか見えない。
しかし、次々にブース横の審査員席に座るクラウゼン公爵家の者達。
獣型の亜人や翼が背中に生えている者が高得点を出していく。
「おおっと!!? まさか、まさか!!? 此処で前回チャンピオンの高得点に並ぶ猛者が出たぁあああ!!」
「ククヲ?!!?」
前回があった事自体が衝撃だし、発情した鶏っぽい少女の姿が高得点なのも、マヲンの脳裏に雷撃を奔らせるに十分な事実だろう。
「ふぅうう」
全力で遣り切った感を醸し出しつつ、演技?を終えた彼女にインタビュー用のマイクが向けられる。
「本日の凝った点を教えて下さい」
「やっぱり、鳴き声ですかね。私、こう見えても毎日十回はマヲン様の寝言集を聞いてるんですよ!!」
「やはり、生声が一番ですか?」
「はい。やっぱり、生が一番です!!」
「という事で、大陸中央からお越しのマヲン様大好きさんの演技でした~。ん? おっと、飛び入りの方がまだ残っているようですね。時間もまだありますし、どうぞ~~」
もう自分の後ろに誰もいないと気付いてビクッと体を固まらせたマヲンだったが、舞台袖の警備員に早く行くようにと言われて仕方なく恐る恐る舞台へ出た。
すると、会場からオオ~~っとどよめきが奔る。
「こ、これは!!? 怖ろしい再現度です!! 実際、生マヲン様を見ていた私達からしても、まったく違和感の無い造型!! これは高位魔術師の方でしょうか。ちょっと、訊ねてみましょう」
マイクがマヲンに舞台の下から向けられる。
「お名前をどうぞ」
「ク、クヲ~」
「?!!!」
衝撃に撃たれたような表情でインタビューした獣人の女が固まる。
「す、素晴らしい!! このちょっとだけ控えめでオズオズした感じ!! 一言も意味のある言葉が話せないのに高位の圧縮言語では普通に会話出来る感じ!! ほ、本物と見間違うレベルですよコレは……」
「ク、クヲ?」
「はい!! 貴女は今、正にマヲン様を体現していらっしゃいます。この大会に……まさか、前回チャンピオンを凌ぐ猛者が現れるとは……正しく今私達は奇蹟を目の当たりにしていマス!! では、此処でCMです!!」
何処からか魔術具で映像を撮られていたのか。
ブースの各地で虚空にクラウゼン公爵家の有する様々な商品が刺激的な文言と共に映し出され、それを会場のあちこちで売り子が売り歩き始めた。
「演技ありがとうございました~。では、裏手の方の控え室でお待ち下さ~い」
言われるがまま舞台から降りた彼女が一息吐いていると。
何やら近くのブースの一角がざわめき出した。
「クヲ?」
そちらの方に進んだ彼女が見たのは迷彩柄の衣服を着た兵隊らしき男達が出入り口付近で何やら揉め事を起している様子だった。
『こちらはアンデリット陸軍だ。同行願おうか』
一見して背中に小銃を携えた兵士が数人。
彼らは白い海洋系亜人、海豚のような頭部の少女を会場から連れ出そうとしていた。
『現在、七教会からの要請により、我が軍は不法に天蓋蒼星(メイズ)へ入領した者を探している。貴様が不法入領人外マヲンだな!!』
兵士達はたぶん白くて似ているから拘束しようとしたのだろうが、周囲からは彼らに対して敵視するような視線がガンガン突き刺さっている。
だが、相手は小銃を持った正規陸軍とみて間違いない。
となれば、面と向かって抗議の声を上げる事は周囲の誰にも出来なかった。
彼らはあくまで星潜者(アイム)という立場。
惑星内を統治している七教会という公共権力に真っ向から喧嘩は売れない。
しかし、連れ去られそうになった少女が涙を零しそうになった瞬間。
人混みの中から声が上がった。
「ちょっと待ったぁああああああああ!!!」
陸軍兵士達の前に出てきたのはマヲンを成り切り大会に連れ込んだ着包み少女だった。
「私はマヲンよ!!」
「はぁ? 何を言ってるんだ。この女……」
まだ十代の少女に三十代の男達は頭でもおかしいのかという顔をした。
だが、それを見た周囲の成り切り大会の参加者達が次々に声を上げて、隊員達の前に現れ始める。
「オレがマヲンだ!! クオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!」
「いや、アタシがマヲンさ!! クオックヲ!!!」
「何言ってやがるッ!!? べらんめぇ!!! オレっちがマヲン様だ!! グオオオオオオオオオオオオオオオオオオん!!!」
いや、オレだ。
いや、あたしだ。
我輩である。
わたしよ。
わっちでありんす。
諸々、様々な自称マヲン様が次々に陸軍の隊員の前に詰め掛けて、混乱が拡大。
ついにはイラ付いた兵達が小銃に手を掛ける。
しかし、それが撃たれるよりも先に兵達の眼前に彼女が進み出た。
「クヲッ!!」
「むッ!? これはかなり似ている!!?」
思わず兵の一人が海洋性亜人の少女を離した。
それを確認した後。
マヲンは自分に手を伸ばした男達を前に大きく口を開けて、パクンと閉じる。
「「「「「?!!」」」」」
その途端。
男達がまるで雷に打たれたように体を大きく一度だけ震わせ、何やら胡乱な瞳になるとトボトボと背を向けて会場から去っていく。
それを見ていた他の成り切り大会の参加者達が思わず目を見張って、周囲からは拍手と喝采が上がり始めた。
「な、何をしたのか分からないけど。恰好良かったわよ!! マヲン様!!」
「ああ、兵士達を追い返すなんて!! やるじゃねぇか!! マヲンちゃん!!」
他の参加者達が抱き付くやら、キスしようとするやら、押し合い圧し合いもみくちゃにするものだから、彼女は人混みに埋れてしまう。
少しだけ満更でもない表情になった彼女だったが、すぐ地面に浮かんだ転移方陣で会場横に救い出された。
「クヲ?」
見れば、紫髪の幼メイドが彼女の横に立っている。
「次の階層へ向かう時間です」
「クヲ~」
ようやく一息付けるとホッとした様子となった彼女が立ち上がったメイドの頭上に顎を付けて凭れ掛かった。
そうして二人はブラブラと次の階層に向かおうとしたのだが、ピタリとその足が止まる。
彼女達は向かおうとした先から歩いてくる相手を僅か凝視した。
「クゥ~~」
七教会の制服を纏い。
一切、毛の類が無い誰かというよりは何か。
まだ二十代程だろう軍人然とした姿。
イルーデ・アリオイア・ナハシュ。
まるで尼のような静謐さを湛えた女は黒い縁無し帽を被っている。
それには蒼と紅。
二つの色を宿した蛇の紋章が小さくあしらわれていた。
クラウゼン公爵家は血統を重んじる信仰の下に成立した経緯から、大陸全土の稀少な血統に対してかなりの智識を持つ博学な者が多い。
その当主ともなれば、相手を見ただけで何処の血筋に連なる者なのか当てる程だ。
そういう前提に立って、マヲンは物事を見ているが、その女の稀少さに目を丸くしたのはしょうがない話だっただろう。
【メトシェラ】と【ナハシュ】
大陸に存在する幾つかの特異な血統の中でも血族単位でもう百人残っていないと言われる一族は正しく大陸数十億の民の中から出会うとしたら、奇蹟のようなものだ。
その上、相手が自分達を捕まえる気満々だとしたら、喜劇ですらあるかもしれない。
「クラウゼン公爵家当主様でいらっしゃいますか?」
「クヲ~」
そうだよーと軽く返答した彼女が何の用ですか、なんて事も聞かずにジッとその女を見る。
体毛が全て抜け落ちた顔はまるで人形のようだ。
しかし、何処か純粋な美しさも備えるイルーデはにこやかに告げる。
「捕まって下さい。貴女を【聖王同盟(サクラム・フェデレイションズ)】の関係者として拘束するようクラル・リテル様から仰せ付かっております」
「クゥヲ」
ブンブンと首を横に振って拒否した彼女が紫幼メイドと共に物凄い勢いで後ろに下がり、そのまま人類には不可能そうな速度で逃げ出した。
無論、徒歩である。
「困りましたね。ですが、もう認識済み。此処で戦うのも都市に被害が及びそうですし、もう少し泳がせて仲間が集まるところを一網打尽にしたいと思うのですが、どうでしょう? リテル様」
彼女の声は独り言。
しかし、それに答えは返ったらしく。
イルーデはにこやかに頷いた。
「では、そのように」
彼女がそう呟いた時。
その背後から慌てた様子で厳つい顔の軍人。
左頬から眉間へと続く刃傷を持つ男が走ってきた。
野戦用の迷彩服に身を包んだアンデリット陸軍の最高指揮官。
ゴードン・ゴーガン大佐その人だ。
「監査官殿!! 此処に居られましたか!! 今、部下達より連絡が入りました。この先で開かれているクラウゼン公爵家のパーティー会場に本人らしき姿を確認したと!! 現在、通信妨害されている事といい。本人が現地の協力者と接触した可能性があります。クラウゼンの関係者に任意同行を求めるべきかと!! それから現在、分隊が第一層下層域より第二層に抜ける道を探していますが、転移方陣らしきものを山岳部で発見し、これが第二層に続く事が確認されました!!」
「そうですか。分かりました。ただ、もう本人は会場にいないでしょう。先程、確認に行った兵達が何やら精神干渉でも受けたかのようにフラフラしていました。となれば、既に逃げ出している可能性が高い。此処から気配も感じられませんし、都市外縁部から逃走ルートを割り出して追う方が懸命でしょう」
「では、クラウゼン公爵家への捜索は?」
「今の時点で何か重要な証拠が出てくるとは思えませんし、必要在りません。分隊にはそのまま相手を確認するまで新ルートの探索を行ってもらって下さい。こちらにもう用はありません」
「了解しました!!」
ゴードンが敬礼し、イルーデに付き従って歩き始める。
彼らが郊外で怪しい人外を発見したとの兵の報を聞いて駆け付けた時にはその地点を張っていた兵はフニャフニャと力の抜けた様子で地面に寝そべっており。
マヲンが逃げ出した事は確定的だと部隊はそれを追うべく行動を開始した。
馬車に乗りながら、イルーデはゴードンと共に都市から遠ざかる最中。
小さく、ポツリと呟いた。
あれはちょっと愛玩動物(ペット)に欲しいかもしれませんね、と。
白い究極生物に悪寒が奔ったのはきっとその時に違いなかった。
*
―――大陸南部イグニシア・クルシス最南端旧クレム王国領。
イグニシア・クルシスはこの数百年で急拡大した比較的新興の国家であるが、その元となった地域は極めて旧い時代から存在していた。
故に源流(ルーツ)を辿っていけば、それこそ数千年単位で遡る事が出来るという。
大陸の最南端地域である沿岸国旧クレム王国は岩礁地帯とリアス式海岸が波打ち際に広がる海運国の一つだ。
イグニシア・クルシスが決定的な力を手に入れたのは南部地域の中でも特に海運能力が高い其処を押さえてからだと言われ、歴史的には皇帝の血筋にも王家が組み入れられた事から、海運商業都市としては現在の帝都が造成されるまで国内最大の稼ぎ頭であったという。
現在、その港湾にはズラリと鋼のコンテナ商船が並び。
大陸の各地域への定期航路は大陸中央の航空船を主軸とした物流に押されつつも未だ現役。
南部の肥沃な穀倉地帯から西部や北部には穀物を、東部には工業製品を輸出入していた。
大陸中央の広域貿易協定を批准する各国は反七教会派御用達と囁いているが、それは一部事実であるものの、大抵は何の問題も無い立派な商取引に使われている。
未だ旧き善き港町と王城が残り、近代的な港湾施設や漁港はその周囲に広がる形で拓けている旧クレム王国領の端。
妙に寂れた帆船が停泊している船着場で黒尽くめな少年が一人。
大勢に囲まれて持て成されていた。
彼の座る粗末な床几の横には昔ながらの漁村の女達の衣装。
擦り切れた布切れをパッチワークした衣装に身を包む老女達が複数。
其々、果物やら干物を焼いたものやら食事という食事を皿に持っては少年の周囲で手に持って勧めている。
「N様が来るなんて何年ぶりかねぇ」
「Nの坊やも偉くなったもんだ」
「Nちゃん。ほら、食べていいのよ。コレ、美味しいの」
黒尽くめの少年。
七教会外郭団体。
【叙事詩機関(エピコス)】の総館長。
旧き盟約によって大陸に封ぜられた魔族たる彼。
Nとしか呼ばれぬ存在は溜息一つ。
自分よりも“旧い”女達の持て成しを無碍にも出来ず。
黙々と死んだ魚みたいな目で作業を継続していた。
五千年前。
教会勃興時よりも以前から大陸には魔族が一定数住み着いていた。
中には人間との混血で血を薄れさせて、自分がそれと知らずに生きている血族もいるくらいだ。
教会の世になってからは魔族との混血で外見バレする連中は大半隠れてしまったが、逆に力が強過ぎて未だに人類から発見もされず、半ば現地住民として生きているという連中も実はいる。
要は魔族の中でも変わり者で人間愛に溢れていて人間社会の文化に溶け込んだ存在というのが自分の血を分けた血族にすら隠れて存在している。
血を薄れさせて寿命も人間並みな者達とは違い。
彼らは10万周期レベルから100万周期レベルまで。
人類が発生するよりも前から存在する輩が大半だ。
結果として魔族としてはかなり上位に位置するNすらもちゃん付けだったりする。
最近は西部での一件で魔族血統の隠れ里や若者が大半亜人の国を目指して旅立って、自分の血族が地域で極めて減少してしまい。
子孫達の動向を影ながら見て愉しみに暮らしている者達も寂しいらしい。
いや、魔族の癖に高々100年周期で瓦解したりする国家の動向なんて気にする必要ないだろうとN(かれ)は思うわけだが、もう現地の生き字引なお婆ちゃんと化している彼女達は人間と然して変わらない。
男性にとって頗(すこぶ)る良くない愚痴に困らない不満を抱えた魔女の類なのだ。
一日も一緒にいたら、その他愛無い無限のお喋りに精神が圧し折れる事請け合いである。
何でこんな場所に彼がいるかと言えば。
答えは単純だ。
人類崩壊級の危機がバンバン訪れ始めたのでそろそろ大陸にいる魔族の長老に該当する連中の重たい腰を上げて、対応するかどうかを協議したかったのだ。
一応、老婆の姿はしていても、彼らも高位の魔族には違いない。
彼と同じように頭文字で呼ばれる者達の総意として、彼らが気に掛けるに値する存在に意思確認しに来たのは礼節的にも正しいだろう。
高位の術者や神々ですらも、彼女達の事を知っているのは極一握り。
人間なら大陸に数人もいないのだ。
それくらい秘された存在でありながら、一人で大陸を破滅させられるくらいの力はあるのだから、今後の動向を無視するわけにもいかない。
「で? 答えだけ先に聞かせてもらいたいわけだが」
老婆達がようやく食事を勧めるの止めて皿を何処かへと消し去り、片手を海の方へ向けた。
「何のつもりだ?」
老婆達がニコリと笑みを浮かべる。
「良い街でしょう?」
「景色、人、物、事、此処には全てがある」
「死ぬなら、こういう所で死にたいわ。ふふ」
「時代は動いても我らは動く必要もなく。見つめていればいいの……それだけでこんなにも面白い。それが今までの魔王なんて呼ばれてるあの子達が見付けたものだったんじゃないかしら?」
少年が呆れた様子となる。
魔族は昔から欲望に忠実ではあったが、その精神性が社会的な面で極まるとこうなるのかと彼は初めて理解した気がした。
その傲慢さが向かう先にあるのは移り変わり往く世界を見届ける傍観者という立ち位置。
きっと、自分が滅ぶことになっても、彼らがこの街から退く事は無いのだろう。
己の欲望……人の歴史の何と面白き事かと特等席で眺め続ける欲求に忠実な老女達の姿もまた魔族としては一面の在り様なのかもしれず。
「なら、勝手に死ね。はぁ……」
「あ、Eちゃんによろしくね」
「あの子は昔から私達似だからねぇ」
「教会働きご苦労さん。人類が次の時代に入ったらまたおいでよ」
老女達の勝手な言い分に疲れながら、彼はとりあえずその場に背を向けた。
(あの頚城の主が消えて酷界との連絡も取れなくなった……此処からは魔王軍とこちらの話になるわけか……酷界からの干渉が消えた今なら好き勝手出来ると考える連中もいるかと思えば……)
自分達の仕事の邪魔になりそうなら排除しようかと思っていたとはおくびにも出さず。
いや、そんなのは最初から相手も分かっていただろうと思い直して。
彼はイグニシア・クルシスから消えた大陸最大の魔族無き後の世界を見上げる。
空は紅にもう染まり掛けていた。
正に人類の斜陽が近付いている。
此処から先は夜。
そこで彼も彼らも魔族だけではない……全ての存在が試される事になるはずだ。
魔王、聖女、人、異種、亜人、人外、魔族、エルフ、堕天使、神格、外なる神々。
何もかもが混沌と溶け合う中で次なる時代が幕を上げる。
蒼き天蓋の星で示された導きのままに。
「………」
屋台の犇(ひしめ)く市場の先へ。
街並みと人混みに埋もれながら黒い影は消えていく。
世の大半を知れる彼すらも、もうこの巨大に過ぎる流れを全ては把握し切れていない。
次なる時代の足音は確かに少年の胸底に響いてきていた。
破滅と闘争の気配と共に………。