第二十二節「錬成」
いつまでも暮れない穏やかな潮騒が響く浜辺に煙が上がり始め。
一帯に巨大な魔術方陣が展開されたのは偽の聖女が去ってから数十分後の事だった。
砂鉄が浜の中央で鉄製の大鍋となって五つ合せて並べられている。
それを覆うように展開されているのは光り輝く方陣の内部に描かれているのは今も人類に力を貸す神々を奉る象形たる【意匠】。
炉の神として名高い【炉神(ヘスティアー)】のものだった。
並べられた鍋の中。
盛られた金属の粉がドロドロに融かされていく光景はバカンスが出来そうな浜辺にはまったく似つかわしくない。
しかし、それでも作業は続く。
魔術によって大鍋の内部は真空に保たれており、また巨大な熱量を保ったまま一時も冷やす事は無い。
その高熱の状態をすぐ傍で確認していたリュオが片腕を上げた。
海上に浮遊して魔術の制御をしていたイフィーがそっと掌を合せて集中すると。
五つの大鍋の下に鉄製の細い道が焼結し始め、途中から合流して、更にその先の海上に設えられた巨大な大釜へと繋がった。
「イルト。いいな?」
少女の声に道の合流地点で大きな甕を持ったイルトが頷く。
「では、これより重力を封鎖する。多少、フワフワするかもしれないが、全員備えてくれ」
「はい!! 分かりました!!」
真っ先に答えたのは全ての金属が流れ込む大釜の淵で小さな皮袋を持って立つピアリだった。
「ああ、いつでもどんとこい!! イフィー」
「では、さっそく」
リュオが手袋をそっと砂浜に付ける。
すると大鍋を傾けるように砂鉄が柱状になって焼結した。
グラリと融けた金属が道に流れ込み、同じ速度で合流地点に向かう。
そうして、それが中央で一本化された瞬間、リュオとイルトとピアリは体が僅かに浮き上がるのを感じて、甕が傾けられ、煌く金属粉が舞う事無く上から注がれる。
すると一気にその地点から火柱が吹き上がった
しかし、臆する事なく。
イルトは作業を続行する。
事前に耐熱用の合金を自身の体に塗布し、魔術で衣服を断熱していた為、問題はない。
一定量ずつ流し込まれ続ける金属粉は一つに合流し流れる溶けた金属を更に加熱し続け、温度を数千度近くまで上げていく
そのままの状態で約一分。
ようやく全ての大鍋が空となって道から融けた金属が消えた時。
全ての金属が余すところなく一つとなって大釜に溜められた。
ピアリが皮袋の口を縛る紐を解いて、中身をその中央へとぶちまける。
それは少量の水だ。
明らかに金属を冷ますに足りるとは思えない。
だが、それが鍋の中央に直撃した瞬間。
まるで冷凍でもされかのように急激な熱量の低下で金属が固まり、罅割れ、最後にはバキバキと激音を響かせながら固まった。
「ふぅ。これで第一段階は終了だな」
魔術方陣が消え失せて。
イフィーとリュオ、イルトが金属の冷え固まった釜の淵へとやってくる。
「なぁ、師匠。こんな大雑把で良かったのか?」
一応、錬金術師の端くれであるイルトは今自分達が作り出した罅割れ煤けた金属の成れの果てを見て首を傾げていた。
明らかに失敗のような気がしたのだ。
「ええ、良いんですよ。大雑把で。これに再加熱と冷却を繰り返して目的の合金を作るので」
「そうなのか? 普通の金属じゃ、それってかなりマズイんじゃ」
「あはは、そうですね。普通はそんな事しません。ですが、加熱と冷却の処理工程を無重力下でやって、ついでに空間制御で圧縮して、出てくる不純物をその度に削り取って、という事を繰り返すと最終的にかなり硬い合金になるんですよ。元々は【質量武装(イングネス・アームズ)】の製造工程を真似たもので、合金にする前の元の金属によっては本当の高位魔族にすら通じる武具の元材となるんです」
「【質量武装】ってアレだよな。鉱脈一つ分の金属を精錬圧縮して作るヤバイ武具とか防具とかの」
「そうです。その剣一つで山が割れ、川が削れる。という、アレです。まぁ、昔からかなり高位の魔術を体得した鍛冶がそれなりの数造って来たものですから、伝説ではあるがやろうと思えばやれます。今も大陸の一部の国では年に一本、国の技術維持と戦力増強の一環で造り続けているところもあるようですし。鍛冶が多い国ではそれらの技術を使って高レベルな武具や防具が今も製造されていますから、本当に稀少というわけでもないんですよ」
「へぇ~~知らなかった……」
「ただ近年は昔よりも鉱山が少なくなっていて原材料の値段も上がっています。資源的にも中規模の国家が一年使う量の金属を剣一本に収斂する、みたいな事は経済的によろしくない。そういう話から今現在作られている【質量武装】は大抵が少し大きめの樹木一本分くらいだそうです」
「それでも重過ぎる気が……」
「まぁ、重力系の魔術で重量軽減がされていますから、重くないですよ。今回のコレもちゃんと重さを軽減する魔術を使う予定ですし」
「そうなのか。それでイフィー。これからどうするんだ?」
イルトが鍋の中に降り立って手で固さを確かめていた灰金の少女に尋ねる。
「此処からは我一人でも何とかなる。この状態になっていれば、全て魔術で工程を行なえるからな。やる事も複雑ではあるが、然して大した作業では無い。十時間程で元材になるだろう。後はそれをどう使って聖女の一撃を凌ぐか、だが……それが問題なのだ。単純な盾や防具の類はほぼ何を創ろうと無駄だろう。もっと捻ったアイディアが必要だ」
「捻った、か。そもそも絶対防げないなら、防げない事を前提に考える方が建設的なんじゃないか?」
「ふむ……具体的には?」
「え? いや、威力を殺せないなら、相手の一撃を逸らすとか、斬られた後も生き延びる為に何かするとか」
イルトの言葉に半眼となった少女は溜息一つ。
「非常に具体的な案をありがとう。これが近代化後の若者か……」
「何か、オレの人格が社会批判に使われた?! って言うか?! 二回目じゃないか!!?」
少年が喚くものの。
それも聞いていない様子で少女は静かに煤けた合金を見つめた。
「斬られた後も生き延びる、か……ふむ、魔術でいっそ。いや、それでは……」
ブツブツ呟く少女だったが、ピアリが鍋の淵で眠たそうに目を擦った。
「ふぁ~~もう夜な気がしますぅ……あぅ、ピアリ眠いれふ……」
「そう言えば、時間感覚が狂いっぱなしですが、もう我々の時間帯で言えば、夜ですね。此処はずっと陽射しが高いので気付き難いですが」
師の言葉に疲労を覚えていたイルトも頷く。
「イフィー。今日はこの辺にして休まないか?」
「そうだな。焦って考えても仕方あるまい。では、宿を出して眠るとしよう」
鍋から上がってきた少女が懐から【密碑】を幾つか取り出して何も無い砂浜の一角に繋げて投げ放った。
すると、ボムンと煙と共に内部から宿らしき古びれた一軒屋が出てくる。
丸太造りの二階建て。
第一層の下層域で彼らが使ったものだ。
「では、夜食を取りたい者はいるか? 言ってくれれば出すが」
「いや、今日はもう寝たい」
「ピアリはもうネムネムな感じですぅ」
「そうですね。後は明日にしましょう」
「了解だ」
四人がゾロゾロと浜辺の鍋もそのままに宿屋の中に入る。
中には玄関等というものはなく。
暖炉付きのリビングが土間と一体化していた。
二階に続く階段は少し急だが、そう問題も無い。
「では、光を閉ざすぞ。灯りを少し入れるから、後は適当な部屋で眠ってくれ。人数分の部屋はあるから、問題ないな」
「ああ、おやすみ。イフィー」
「おやすみなさい。みなさん……あふ」
「僕もゆっくり休ませてもらいますよ」
全員が頷くのを確認して少女がパチンと指を弾くと窓からの光が完全に遮断され、夜と変わらなくなった後、テーブルの上にあった燭台に油もないのに小さく光だけが灯る。
男性陣は一階、女性陣は二階にある部屋へと向かい。
そうして、そのまま全員が就寝する事となった。
潮騒は然して耳に残らず。
誰も目が醒める事無く。
数時間の休憩はしっかりと取られ。
また、新たな一日が始まる。
*
イルト一行が砂浜でバカンスとは程遠い一日を過ごしていた頃。
顔も見えない兜を被った男と美女二人、微妙にダルダルな煤けた獣人のオヤジが第二層の北部海域を一艘の大型船舶に乗って進んでいた。
とにかく海洋と砂浜と陽光が眩しいレジャー真っ盛りな階層である。
星潜者達(アイム)達の大半は遊んで次の階層に向かうまで養生するか。
まったり、休日を過ごしているわけだが、彼ら四人は一切そんな話をするでもなく。
殆ど調査がされ尽して何も無いと言われた海域を北へ北へ進んでいた。
波の音色はするものの。
魚の一匹も泳いでいない海は静謐で死というものを感じさせる程に穏やかだ。
「………」
「………」
「………ねぇ、どうしてこのオジサンが付いて来てるわけ?」
「そりゃぁ、ねぇでしょう。エリザお嬢さん。こっちは船を手配したんですから、まぁ……世の中、魚心在れば水心ってやつですよ」
獣人が作り笑いで何とか取り繕う。
とにかく七教会から逃げつつ、大金をせしめるという野望を未だに棄て切れないマルート・マルは基本的に交渉事が他の三人より恐ろしく上手かった。
強盗しようとしたくらいには金に困っていたわけだが、現在は寄生先もとい金の成る樹になりそうな三人組に救われて以来の付き合い。
というか、マルートが一方的に彼らに恩を返すという体で付いて来ていた。
「これでも一番上等な船を貸してもらったんですよ?」
「あたし達の金でね」
「まぁ、定価より二割は値切りましたし」
手もみで年下の自分に愛想笑いを浮かべるマルートをどうにも好きになれないエリザであったが、他の二人は使える人間なら使えばいいと然して気にしていない。
実際、裏社会の事情にそれなりの智識を持ち合わせていたマルートは役に立っていた。
七教会から逃げる為の抜け道だの裏技だの天蓋蒼星内での商品の値切り方だの情報の訊ね方だの。
だが、それらを知っていても、基本的にマルート自体が胡散臭い冴えないオヤジである事は変えられず。
また、金も殆ど持っていなかったので何も出来なかったわけだが、出会った三人の後ろ盾と資金力があれば、中々に活躍は可能だったのである。
その結果、マルートは金の匂いと常識外れの強さを持つ兜男マウロ・フレステントとお付きの二人に同行しつつ、何かと理由を付けては彼らが倒した剣獣の密碑を漁り、ホクホク顔で協力を申し出ているわけだ。
ただ、あまりにも露骨な集りだと嫌われかねないとマルートは与った密碑の大半を着服するような事はせず。
良いものを値切って買ってきて相手に提供しつつ、そのお零れを自分が受け取るという形で星潜者生活を謳歌している。
その為、彼ら三人のマルートへの評価は金にがめつい良いものを安く買ってくるオジサンというものとなった。
彼らの目的が天蓋蒼星の内部に進む事である以上、ある程度は協力者も必要だろうと今のところマルートがパーティーから外されるような事態とはなっていない。
「で、食料は数日分積んでるとはいえ。一体、何処に向かってるんです? マウロの旦那」
「この階層のグレートダウナー付近です」
「は?! え、ちょ、た、確かこの階層のあのデッケェ竜巻がある付近は……ッ?!」
「無論、荒れ狂う絶海の暴風圏だ」
今まで船上の椅子に腰掛けて魔術で開いた小窓で書籍を読んでいた赤髪の美女。
エーレインがサラリと言った。
「エーレインのアネさん!? そりゃぁ、そうですが、そうじゃなくてッ!! この船でも中心域に近付くのは自殺行為ですぜ!?」
「知ってるわよ。でも、そっちに用があるのよ。アタシ達は」
エリザが肩を竦める。
「ぅ……とりあえず、聞きやすが、どんなご用件で?」
「次の階層に向かう道が一つ存在するらしい。七教会の突破部隊が諦めた海底遺跡だとか」
肩をゴキゴキ言わせながらエーレインが立ち上がり、伸びをした。
「海底遺跡?! まさか、潜るつもりで?!! あ、あの海域は大小無数の渦があって、飲み込まれたら、海底まで引きずり込まれて二度と浮かんで来れないとか何とか……帰りません?」
「船は帰りに魔術で返す。残りたかったら残ればいい。ちなみに暴風域を返る時は一人だが……」
そのエーレインの言葉にマルートが絶望的な顔となる。
今まで三人に付いてきたのはその頼もしさが半端ではなかったからだ。
所詮、獣人と言っても歳を食ったオッサンであるところのマルートには暴風域で一人返るというリスクを背負う度胸は露程も無かった。
「分かりやした。お、お供させて頂きやす……」
その弛んだ身体で船の淵から顔を出し、はぁ~~と大きく深い溜息が吐かれる。
(……うぅうぅ……頼もしい金蔓なのにリスクも高ぇのはどうにかなんねぇのかよ。ったく……この歳で海底旅行とは死ぬまで自慢出来るな。クソッッ!!?)
情けない顔で凹むマルートだったが、これから何mあるかも知れない海底に向かうというのにマウロもエーレインもエリザもまるで緊張した様子が無い。
恨めしい程にいつも通り。
涼しい顔でサラッととんでもない事をやる三人の横顔にマルートは汗をタラリと一筋流して、天を仰ぐ。
何処の神さんでもいいから、死なずにこいつらと手が切れますように、と。
*
―――大陸中央アイザート社会協賛主義国。
近頃、世界の中心と地方から言われる中央諸国において一つの機運が高まっている。
反七教会……この世の全てを敵に回して尚勝る七人の聖女の教会へ反旗を翻す思想、ではなく。
反中央諸国同盟。
簡単に言えば、中央諸国の集まりに対する政治的な“第二の意見”と呼ばれる人々の台頭だ。
この数十年で整備されてきた行政機構、政治機構の大半が七教会にどっぷりという中央の中にも反感を持っている連中はそれなりにいるし、分け前がある限りは黙っているだけ、という勢力も往々にして珍しくは無い。
そんな彼らの集いは今までもそれなりにあったが、健全な民主主義の土壌になると七教会派に属する大半の政治家は笑顔で沈黙するのみであった。
しかし、昨今の情勢である。
七教会の統治計画は限界が露呈し始め。
綻びが出てきたところに大陸地方の反中央諸国、反七教会の機運と組織化が進んだ。
経済的には七教会と七教会派が属する勢力の寡占化が進んで、大陸を牛耳るに値するだけの拡大が行われてはいたが、それとは反比例するかのように経済力を付けた国家の底には汚泥のように中央諸国と教会に対する今までの怨みつらみが鬱積していたのである。
反中央諸国同盟。
このような名前で呼ばれる人々の大半は七教会の恩恵を受けてもいるし、今の生活にも困っていないが、この平和に至るまでに払われてきた犠牲や諦観に沈められてきた感情を今も保持する……極めて“人間的”な者達だった。
これには異種も亜人も入るので、そういう意味でなら彼らは一緒くたに七教会の説く人類と人類外の存在の融和した姿と言えるかもしれない。
まぁ、それがそれを説く当事者組織に向けられた不の感情に拠る団結だとしても。
「これはこれはボルクタンの防衛大臣様」
そういう人々の集まりがこの1、2年程極めて活発に執り行われている事は一部の公安系組織には知られた話だ。
無論。
それを取り締まる理由など大陸中央諸国では存在しない。
何故なら、表現の自由、集会の自由、誰もが持っている人権を盾にされては文句の言い様もないからだ。
そもそも集まりに参加している大半が地位や身分を持った大陸中央の者達。
その上、ガス抜きの一環になっている集会にケチを付けては更なる反感を買う可能性もある。
此処は大人しく黙して監視するのが吉と言うわけである。
「これはこれは大胸筋スポーツ連盟の会長様」
巨大な会場には所狭しと大陸地方から買い集めてきたと思われる工芸品や大企業、大ギルド、大商人達の出先ブースが軒並み人の輪を作っており、商売の話や政治の話、子供には退屈極まるだろうあらゆる類の好況な人々の笑い声が響いている。
「これはこれはフラッツベルグ大市場の市場長様」
長い横壁にはマル商社の文字。
それが巨大な紅の円の象形に囲まれて燦々と耀いていた。
そんな会場の中。
ペコペコと頭を下げて回っている相手の事を大半の参加者達はきっとマル商社……天蓋蒼星との商取引で莫大な儲けを出し、今も業績が怖ろしいペースで右肩上がりという化け物新興商会の社長だとは思うまい。
低い物腰。
少し縒れたスーツ。
ネクタイは曲がっていないが、妙に似合わない感じの中年獣人。
そろそろ老年に入りそうなと言われても仕方ない感じに草臥れた風体。
マルート・マル代表取締役。
彼の事を名前付きで紹介されない限り、大半の新入社員はただの中年の亜人。
それも使えなさそうな奴と見なすのが殆どだ。
ゴマをする姿勢と物腰の低さが明らかに上に立つ者ではない。
他の社との取引にあんな人物使ったら足元見られそう。
これが普通の感想だろう。
「これはこれはアルスベルグ神国の厚労次官様」
マルートは巧みに自分より遥かに威厳やら格式やら風格やらカリスマやら持っている上流階級、高位の役人、元王族、元貴族、元皇族、科学者、魔術師、高位役職に付く各組織の人々、諸々の間を縫うように進みながら、一人二分にも満たない挨拶回りと少しだけ相手の小耳に挟ませるに足る有益な情報と渡してから雲の如く流れていく。
大半の人々は顔を知らない限り、あの老年一歩手前の相手はマル商社の誰だろうと首を傾げるのだが、一部の顔を知っている人々は物腰が低過ぎる取締役の様子に「相変わらず無害そうだな」という感想を持ってそっと知らぬフリをするのが常だ。
彼らはマルートがどういう人物なのかを把握しているわけではないが、彼が何を企図して挨拶回りをしながら、重要人物達に価値ある情報を流しているのかは知っていた。
マル商社には黒い噂なんて一つも無いが、その商売の仕方だけは常に強かだ。
取引商社曰く。
相手に一度だけ10を握らせて、1を毎月積み重ねる仕事ぶり。
とにかく情報が早くて高値を付ける事も無く。
それが必要な相手に一報するというのがやり口だ。
少しずつ少しずつ小さな善意くらいの情報をやり取りして、相手に好印象を持たせる。
その上で商売は健全で相手に気を使って控えめな儲けを受け取って去っていく。
マル社の人間は皆物腰が低く。
その上、謙虚で金にガメツイ事が無い、というのが全ての取引した者にとって一致する意見だろう。
天蓋蒼星の間に有する独占航路と船が十隻。
これが稼ぎ出す資本の大半が情報の収集とこういった集会の為に費やされているという。
それにどんな意味があるのか。
分からないという輩ばかりだ。
一つ確かなのはマル商社の社員はこのたった1年で12000人程に増えており、彼らは数多くの人々に歓迎され、時折取引を持ち掛けられては控えめに取り分を貰って頭を下げて消えていくという事だけである。
その物腰を嘲る者達がいないわけではないが、マル商社はこの数ヶ月の間に経営規模を倍々で増やして拡大の一途。
あらゆる大陸国家に支店を出しているという。
それも新興企業らしからぬ他企業を押し退けてというスタイルではなく。
相手に利益を与え、好意を持たれながら、競争とは無縁で最低限以上の見返りを求めないという善人ぶりなのだ。
これが低価格で行われる見えざるコンサル業の類だと気付いた者は幸いだろう。
マル商社からの情報が無ければ、経営が成り立たなくなる。
という程ではないにしても……確実に利益が失われる取引先ばかりなのだ。
彼らは様々な組織や個人からの信頼と依存を……金以上のものをゆっくりと人々から受け取っているわけである。
「ふぅ……あーだる」
会場の一室。
ソファーだけは最高級品にした少し壁際も煤けている控え室でマルート・マルは本日のノルマを終えて、スーツを脱ぐと。
半そで短パン姿でテーブルの上にある高級そうなツマミ……実際、グラムでかなりのお値段な代物をボリボリと齧りつつ、酒精を飛ばしたワインやら琥珀色の液体やらをやって一息吐いていた。
「ったく。人の良いフリは疲れるっつーの………」
モシャモシャと高級仕出し店の最高級牛肉弁当を突きつつ。
手帳に書かれた相手の名前にペンでチェックを入れ終えれば、しばしの休憩時間。
美味いものとアルコール抜きとはいえ。
上等な酒も入って上機嫌なマルはやはり上等な毛布を被って、羽毛の枕を下にして幸せそうな寝顔でグッスリと意識を落とした。
「ぁ、ふぁ……んぅ……」
人生、これ犯罪者みたいな彼が何故こんな商社の社長なんかしているのかと言えば、答えは簡単だ。
やれば良い暮らしが出来ると言われて、その通りだったから続けているに過ぎない。
元々、元手は無かったが口八丁手八丁で商売はしてみたいという気持ちはあったのだ。
誰かと交渉したりするのもそれなりに上手い自覚がある彼にとって、それは昔見た夢であったかもしれない。
後、彼にとって何よりも良かったのは……自分が思っている以上に欲深いと言うには控えめな性格であったという事か。
寝る、喰う、自堕落。
これが彼にとっては幸せな一時。
しかし、どれだけ金を掛けても限度というものがある。
貧乏性というか。
金の使い方というのが良い寝床と良い食事くらいしか思い浮かばないのがマルート・マルにとっての限界であり、散々ヤバイ裏社会を見てきた彼が女や博打に嵌る理由なんて露程も無かった。
自分の胃袋に入らないものを幾ら買って仕方ないし、寝具は一つあれば十分。
後は近頃、中央で逸っている映像作品を鑑賞しながら日がな一日愉しんでいれば、人生あっと言う間だろう。
それにしたって、人並みに人恋しくなったりもするので……とりあえず、社員や昔馴染みを飲み会に誘ってみるが、彼が自前で気兼ねなく呼べる連中の数は高が知れており、大抵何を揃えても最高級品なのは食材くらいで、後の道具は何処にでもある市販品が関の山。
つまり、彼にとって人生で不自由なく過ごせるだけの金はもう十分過ぎる程に溜まっていた。
あまりにも巨大な金を持っていても、ヤバイ連中に目を付けられて困る。
そう世界の真実と身の程を知っているマルは社のアピールついでに地方の亜人や獣人を収容する難民キャンプや孤児院に稼ぎの大半を寄付したり、自分で孤児院経営、就業支援なども行った。
彼を神様か何かと勘違いした人々は多いが、彼にとっては自分の身を守る保険である。
己を知っていれば、身を持ち崩す理由も無い。
慈善活動なんて代物ではなかったにしても……彼はそれなりに苦労してきた獣人として……自分と同じような連中が大量にいる世の中に嫌気が差していたというのもあった。
もし、若い頃にこうであったなら。
もし、自分に機会があったなら。
夢に思い起こされるのは初恋が実らぬ恋だった事か。
はたまた自分を殺そうとした貴族や官憲が獣人殺しを愉しんでいた事か。
「……いけねぇな……クソ、目覚め悪過ぎだろ……」
目を開いた彼がソファー横のテーブルに時計を見れば。
既に集会はお開き直前。
そろそろ閉会式に出席する時間だった。
彼に善人と社長をやらせている相手から報告をせっつかれる事も今のところない。
さっさと着替えようと起き出した彼は数分でまた草臥れたスーツ姿に戻ると。
控え室からソロソロと抜け出した。
強盗稼業の頃から足音を立てずに歩くのが癖になってしまっているのだ。
会場内は既にお開きの空気が漂っており、人々もそろそろ帰ろうかという雰囲気。
マルートが壁際にある壇上へ昇ろうとした時だった。
不意に虹色の光弾が会場の虚空を貫き。
梁の一部を抉り取って屋根の一部を消滅させた。
「な?! まさか!!?」
天蓋蒼星において彼もまた見た事のあった攻撃。
それが今この会場の一部を破壊したのだと気付いて。
大声で避難を呼び掛ける。
それに呼応して、人々が出入り口の方へと殺到した。
それを何とか推し留めながら、マル社の社員達がパニック状態の誰もを誘導していく。
逸早く逃げようと彼がとりあえず自慢である逃げ足の速さを誰にも見られないままに披露しようとした時だった。
不意に梁が落ちた辺りで声がした。
そちらを見るな、と。
思ったものの。
その声の幼さに耐え切れず。
振り向いた彼が見たのは……7、8歳くらいだろう男の子が梁に潰された両親に泣き縋る場面。
(ああ、クソ。まったく、運が悪いとはこのことだ!!)
己の馬鹿さ加減に辟易しながらも、彼の足は避難通路とは反対側へと向かっていった。
化け物の攻撃の二射目がいつ来るのか分かったものではないのだ。
それを知りながら斜線上と思われる場所に足を踏み入れる等。
自殺行為以外の何物でもない。
だが、彼の脳裏に幼き日の光景が蘇る。
ああ、母親はどうでもいいような理由で地方の人間達に見捨てられて死んだのだ。
事故だった。
誰にも助けられず。
己の息子の無力を罵るような母親だったが、それでも……最後にはもう一度降って来るかもしれない落石から息子を……いや、本当は嫌いで突き飛ばしただけなのだとしても……確かに助けてくれたのだ。
「クソがよぉおおおおおおおおおおおおッッッ!!!」
天蓋蒼星でだって、此処まで速く走れていなかったかもしれない。
だが、崩落が見えた時。
確かに彼は若い頃よりもきっと“早かった”。
間延びする世界の中でマルート・マルは弛んだ身体の何処かにあった線がプチリと切れる音を聞き。
男の子を突き飛ばして、轟音と衝撃の中で意識を途絶えさせた。
夢は金持ちになって、不自由ない暮らしがしたい。
そう言い切って憚らなかった若者の頃。
確かに憧れた……ありがとうと言われている誰か。
そんな何者かに為れたかどうかも己では分からず。
彼の獣人として唯一自慢出来た足の速さは……最後の仕事をして……泣き声だけが世界には響いた。
(ったく。最後まで付いてねー人生だったな。ははは……)
『しゃ、社長が巻き込まれたぞおおおおおおおお?!!』
『男の子を確保しろ!!? すぐに逃げないとまた!?』
『今、レスキューが向かってるらしい!! 誰か!! 誰か!! 社長の安否を確認しに行け!!』
このようなやり取りが混乱した現場で叫ばれたその数日後。
とある新聞社の記事の一面にはこう書かれる事になる。
―――マル社代表取締役、両足断裂の末に回復……老いたヒーローは助けた子を引き取り、父親となる。
蒼い星が光る夜。
マルート・マルはどうしてか犯罪者から社長、善人、神様。
そして、誰かの英雄……と順調に人生キャリアアップを果たし、病床の上で肩を竦める事になる。
まったく、本人は呆れて苦笑するしかないとしても………父母の葬式を出してくれて「ありがとう」と泣く子と世間体には勝てぬというのが……何とも微罪での刑期の方が長い彼らしかった。