第二十四節「第三層」
最後の晩餐という程ではないにしても豪勢な食事が砂浜の上に並んでいた。
薄いパン生地で炒めた穀物と微塵切りの野菜、肉の層を包んで焼き上げた中央の伝統的な郷土料理。
また、油の多い魚に香辛料と麦の衣を付けて揚げ、更に香辛料と塩で味付けしたカラメルを荒く割り砕いたものを塗した代物。
水と塩と果汁を適量で合わせて、薄い炭酸を含ませた飲み物。
どれもこれも今までの旅で一度も食べた事の無い料理ばかりである。
ゴクリと唾を飲み込んだイルトは「ああ、今日オレ死ぬのかなぁ」と嫌な予感に眉を八の字にしながらも、横でもう料理を前に目がキラキラと耀きっ放しなピアリと同じように香ばしい香りで釘付けとなっていた。
ぐぅ~と桃色髪の少女のお腹からは準備万端の報が響く。
「御馳走ですよ!! イルトさん!!」
ジュルリと涎を垂らさんばかりな乙女は空腹の蟲が暴れ出す寸前のようで既にフォークとナイフがその手には握られていた。
そんな二人を前にして料理を終えたばかりのイフィーが料理道具を外套の内部。
明らかに入らないような鍋までも消して二人の前に戻ってくる。
「全員揃うまで待つのだぞ」
「わ、分かってるって。ピアリじゃあるまいし」
いつもならば「ピアリの事、馬鹿にしましたね!? しましたね?!」と喰い付いてくる少女も今は余計な五感情報はシャットアウトされているらしく。
横のイルトの言葉に反応する様子は無かった。
緩く風が吹く砂浜は今も昼間のまま。
しかし、此処にいるのも最後だろうと灰金の髪の少女は蒼い空と海の彼方に薄く瞳を細めて、この期を逃せば、次の機会は無いだろうと気を引き締めた。
七教会の高格外套に捕まえられそうになって三時間弱。
リュオにやってもらう事以外の準備が全て終わったイフィーはこの層で最後の食事を作って時間を待っていた。
大一番前の景気付け。
それなりに良さげな食材を密碑で出して、今まで外套の空間の奥に仕舞い込んでいた料理道具を使った品だ。
今までは天蓋蒼星流に慣れておきたいのと同時に予定の消化を最優先にしていた為、このような手の込んだものは作らなかったが、守護者との激突でかなり際どい命の遣り取りがあると決まっているのだ。
仲間達に精を付けて貰おうという心意気くらいはあってもいいだろう。
一計あるとはいえ、それでも未来は解らない。
そう思えばこそ、彼女はこの数年で磨いた腕を振るったのだ。
「イフィーって、こんな料理も出来たんだな」
「湯で麦ばかりの女だと思っていたか?」
イルトがその言葉に思わず首を横に振って否定する。
「い、いや、多いとは思ったけども……他にはサンドイッチとか、煮込みばっかりだったから新鮮でさ」
大陸中央諸国の生活事情からすれば、手の込んだ料理は日常的には食べようと思えば、食べられるものだったし、店に行って喰う、飲食店から買ってくるというのも一般的な事だ。
それでも、それが食料の溢れている地域だからこその特権である事はイルトも分かっていた。
だから、地方出身と言っていたイフィーが中央諸国の郷土料理や手の込んだモノを作るとは思っていなかったのだ。
「まぁ、そうだろうな。実を言うと、どの料理も作るのは三度目くらいだ」
「そうなのか?」
「ああ、我ながらゆっくりと料理をしていられるような時間はあまり無くてな。いつも最低限のもので済ませていたから……味は悪くないと思うが、何か気になる事があったら教えてくれ。もし次に振るまう機会があれば、その時は考慮する」
「そ、そんなの気にするなって!! ピアリもこの通りだし、オレも結構我慢してるし。この星に来て出会ってきた料理の中で一番美味そうに見えるぜ?」
「そうか……」
薄らと笑んだ少女の笑みに胸元が僅かに高鳴って、イルトが視線を再び料理へ戻した。
「イフィーさん。これ誰かに作ってあげた事あるんですか?」
(ちょぉ?! 人が聞かなかった事をそんなサクッと!?)
イルトが天然桃色髪少女の素直な疑問で噴出しそうになった。
彼とて、分かってはいたのだ。
イフィー・ファサルトスの気性や性格からして、自分で食べる為にこんな手の込んだ料理を覚えたわけではないのだろうな、と。
だから、これは……本当は食べさせたい人がいたから覚えたものなんだろう、なんて……考えないようにしていたのだ。
目の前の少女が魔王の娼婦と呼ばれ、その存在を何よりも大切に思っていると聞いてしまった以上、深く突っ込むような事は避けた。
だのに、そんな事はお構いなしのピアリはサックリと核心を突く。
「昔、湯で麦ばかり食べさせられた事があってな。いつか、手料理くらい喰わせてやりたいと思った相手がいて……習い始めた時既にもう傍にいなかったのだが、これくらいは作れるようにと練習していたのだ」
「そうなんですか。ピアリもリュオ先生やイルトさんにお料理作って食べさせてみたいです。今度教えてくれませんか?」
「ああ、いいぞ。我もそう数は覚えていないが、簡単なので良ければ」
「はい♪」
キャピキャピした女子トークに花が咲くついでに想い人の笑顔。
これがもしも何も知らない時の事であれば、素直に受け取れて笑顔になれたのかもしれないが、今のイルトにとってそれは少し難しい話かもしれなかった。
(ああ、オレ嫌(や)な奴になっちまってる……一番に食べたから、なんだって言うんだよ……何の自慢にもならないだろ?)
自分に言い聞かせてみても、嫉妬(それ)と喜びは如何ともし難く。
その自分が相手(まおう)よりも先に手料理を食べたからと言って、何も関係は変わらないのだと少年は内心で溜息を吐く。
『終わりましたよ~』
リュオが遠方からやってくる。
その師が歩いてくる光景にイルト・イナーシタは心の何処かで安堵していた。
先送りにしかならないと知りながらも、料理一つで動揺していてはこれから何も手に付かないと分かるからこそ、その内心に今は蓋が必要だった。
「リュオ先生。出来は?」
すぐに三人の前までやってきた辮髪の青年はご馳走に思わず目を瞬かせて。
「え、ええ、そっちはバッチリです。この料理、イフィーが?」
「ああ、久しぶりに作ってみたのだ。口に合えばいいが……中央の郷土料理と南部の揚げ物だ」
「ご馳走ですね。では、みんなで頂きましょう」
砂浜に敷いた白い敷布の上に料理を囲んでリュオが座る。
「では、英気も養えそうですし、食べて落ち着いたら行きましょう。一時間後くらいでいいですか?」
イフィーが頷いた。
「師匠。結局、何造ってたんだ? 殆どオレ達はノータッチだったけど」
「ああ、イルト君にも解り易いように言うと。ちょっとした浅知恵です」
「浅知恵?」
「ええ、聖女というのは二つ名が多いんですよ。それは当人の性格や人物像をよく言い当てていたりもする。だから、コレは分の悪い賭けではないと思いますよ」
「?」
「さ、冷めない内に頂きましょう。答え合わせは食べてからでも間に合いますから」
四人が其々の皿に料理を取り分けて、食事を始める。
全員がまず一口頬張って思った事は……言う必要もなく……しかし、雄弁にただ笑みとして表情に表れたのだった。
*
「で? 算段は付いたか?」
島の中央の台地。
天然の岩のフィールド上に偽聖女は立っていた。
ユアン・クオ。
この世の刃使う者の中で最強と言われる刀師。
大陸的には刃術、剣術の最高峰。
自ら興した流派は名付けて閃きの剣。
閃剣(せんけん)。
誰にも技を指導する事はないが、その刃の扱い方や理念、根本的な剣の摂理を説いた本は武芸術を嗜む者達にはこの数十年ベストセラーとなって久しい。
大陸中央は長剣が大昔から剣術の主軸であり、東部式の刀を使うユアンの解く刃の理は利用出来ないものもあるが、それでも切り裂く武器を扱う兵ならば、一度はその解かれた刃の技法に触れる機会があるだろう。
曰く。
刃とは間合いを征する“武器”ではなく。
技法の延伸を可能とする“道具”である。
我が身の技を磨いて、それを乗せる依り代。
故に心技体の冴えこそが、最たる刃となる。
心は体を繰り、技を無比に高める為に磨くべきモノ。
体は技を違えず、心を比類無く制して編み上げる為のモノ。
技は心を映し出し、体の練りに比例し刻まれるモノ。
全てを揃えたならば、我が身は刃となる。
道端の悪人から天を覆う邪神まで。
宙より落ちる星から地を蝕む災禍まで。
森羅万象を斬る女の語る理は従来の剣術というよりは“自己鍛造の仕方”に近い。
「先に言っておくが、安易で未熟な策ならば、斬って捨てる。心得ておけ」
東部風の黒い着流し姿。
黒い長髪。
持つ刀は問わず。
聖女中、最も“素”で強いと評判な彼女は魔術も超常の力も使わず。
ただ、己の五体のみで神々のような超越した存在を打倒する本当の意味での戦人だ。
奇跡など使わずとも、主神級の力を持つ魔族、異種、人外、亜人、それらを相手に負け無しという化け物である。
「無論だ」
そんな女を前にして。
沖天の明かりの下。
彼らは戦い。
いや、彼女の試しへと挑む。
(……安易かどうかは試してみれば、解る)
イフィーが他の三人の前に出て、偽聖女と向き合う。
「その前に一つ尋ねたい」
「何だ? 手短にな。また連中が来ても、今度は助けんぞ」
ユアンが灰金の少女に瞳を細める。
それだけで背後にいた全員が、リュオすらも背筋に汗を浮かべた。
睨まれただけだ。
しかし、それが何よりも彼らの身体を呪縛する。
よく蛇に睨まれた蛙と言うが、それでは生温いだろう感触。
それが死ですらない……“絶対に斬られる”という感情の顕れだと解れば、多くの者が戦慄するだろう。
生々しいのだ。
命の遣り取りをする連中すら、死というのは最大の忌避すべきモノだと思っている者もあるが……死すら温いと思える原始的な“裂かれる恐怖”は知的生命にとって致命的だ。
太古、生物はその爪で牙で争い、命を別ち合った。
それは病や老いのような生物の根源に根ざす事象への虞(おそれ)なのだ。
死とは極まれば、もはや救いであって……その過程の切欠にこそ、恐怖は宿る。
肉体を、魂を、意思を、命を、別けられるという恐惶(きょうこう)。
死など自分には無為だと嘯(うそぶ)く輩も裸足で逃げ出すだろう威圧。
それもまた彼女が説く刃術の一つだと知るからこそ、イフィー・ファサルトスは臆する事無く。
その姿をした想い人の欠片に堂々と張り合えた。
「ユアン・クオ。貴様は後悔しているか?」
「……何をだ」
「何かを知り、何かを知らず。その違いが現実とのお前と此処にいるお前の違いだとするならば、それこそを我は知りたい」
問われている事なんて最初から分かっていた。
いや、分かっているからこそ。
偽聖女は訊ねたのだと。
確信して。
少女は彼女の瞳を覗き込む。
「お前に言う必要があるとでも?」
「クラル・リテルは話してくれた」
「それは……あの女が七聖女中最も優しいからだ」
「優しい? 刺して突き落としておきながらか?」
「理由はあった。原因もあった。感情もあった。だが、あの女は我ら四聖女とも双子とも違う。誰よりも大人で、誰よりも歳を喰らった。だから、誰よりも救えない。故に優しい」
偽ユアンが腰に下げた鞘からスラリと刀を引き抜いた。
「構えろ。量ってやる。お前達の決意の重さを!!」
これ以上は問答無用。
そう理解したからこそ。
イフィーが仲間達の下まで退がった。
リュオとイルトが其々薬瓶と得物を手にする。
ピアリもまた桜色の皿を両手で摘んで臨戦態勢を取った。
「我が刃の技の冴え。先に教えておこう。貴様等が何を前にしているのかを」
ヒュンと軽く。
聖女の刃がまるで水気でも切るかのように一振りされて。
数秒の間が過ぎる。
何かされたのかと彼らが怪訝に思った刹那。
彼らのいた台地の真横がズズッと僅かな振動をさせて、切れていた。
それとほぼ同時。
次々に島中で樹木が落下する音が響き。
ユアンの背後の景色に違和感を覚えた誰もが錯覚かと間違い探しの結果を無意識に感じ取り。
きっかり十秒後。
ゴガッと世界が割れた。
大量の水が彼らの真横の台地の奥底へと流れ込んでいく。
音色が巨大な滝にも思えるような旋律を奏で。
奈落が深く深く広がっていく。
「島が割れてる?!! いや、階層の岩盤の一部を斬った?!!」
イルトがようやく顔を引き攣らせた。
「違うな。後ろを見てみろ」
偽ユアンの言葉にイルトとピアリが背後を思わず振り返って絶句する。
台地の上から見える島の砂浜の先。
海洋が奈落へ引き込まれるように割れていた。
果てまでも、何処までも、地平の彼方の先までも。
「ま、さか?!!」
イルトが戦慄する。
「斬ったのはこの階層そのものだ。本物ならば、惑星どころか。太陽すら斬るだろう」
『―――』
イフィー以外の全員が、さすがのリュオも額に汗を浮かべていた。
偽聖女の力の一端を垣間見ただけだ。
だが、それにしても規模が違い過ぎる。
「耐えられるか? 受けられるか? 理解して尚我が前に立つ者よ」
灰金の少女は皮肉げに苦笑する。
「今更そんな事で驚けるような身でもないのでな。やるならとっととやれ」
「承知した!!」
ユアンが踏み込みを見せた刹那。
彼らの背後へと抜けていた。
横一線。
確かに女は彼らをその刃で両断した。
まったく今、階層の岩盤を全て切り分けたとは思えない程に軽く。
試しが終わった。
そして……偽聖女の顔が僅かに俯けられる。
「卑怯とは言うまい」
イルト、リュオ、イフィー、ピアリ。
四人の姿は何処にも無かった。
いや、変わっていたと言うべきか。
一人は黄金色の髪をした愛らしい少女。
一人は銀髪を短く刈った流れの闘師風の女。
一人は瓶底眼鏡にリュックを背負った地味な少女。
一人は黒髪の男にも女にも見える中肉中背の中性的な顔立ちの少年。
それは昔々。
この大陸を旅した一組のパーティー。
もう文献すら殆ど残っていない聖女と一人の少年の姿。
瓶底眼鏡姿の少女が背後のユアンを振り返る。
「お前達が世の幸福と安寧と平和を求める必要など何処にあったのだ。親しい者や不幸にしたくない者達の中にどうしてあいつが入っていながら、そんな決断をしたのだ。我はそれが哀しい」
「賢しらに言うな。小娘」
ユアンが刃を落として拳を握る。
「ユアン・クオ。お前には親類や肉親や共に育った親しい者はいなかったと聞く。それでもあいつを刺さねばならなかったのか?」
「……人の心にて守りたいと願うもの全てと我が心にて守りたいと願うもの一人。選べるわけがない……選べるわけが……無かった……いつか報いは受けるだろう。あいつの全てを、己の全てを、奪い去った……この愚かな私が……そうなる事など……当たり前なのだから……」
確かに一太刀を受け切った彼らは血が滲み落ちる程に拳を白くした聖女の後姿に何も言えなかった。
「いいだろう。次に往くがいい。その何をしても進もうという強さ。しかと受け取った」
ユアンが振り向いて、イフィーを見つめる。
「【善人(ボーヌム・クリートゥラ)】……聖女中、最も善き女。そんなお前に一つだけ言っておきたい」
シュルシュルと柔らかな金属の糸が解け。
元の姿を取り戻した聖女に喧嘩を売る女達の筆頭は真っ直ぐに自分の敵へと告げる。
「何だ?」
もう姿が透け始めた女を前に少女は告げる。
「それが悪だとしても、選んでよかったのではないか?」
「………」
「どれだけ己の心に正しかろうとも、己を裂いてまでする事が間違っていないはずがない」
もう姿が大気に溶けそうな女は自分には出来なかった選択をする少女を前にして、フッと笑った。
そして、懐から透けた手で何かを取り出してイフィーに握らせる。
「これは?」
「持っていけ。それで道に迷う事も無いだろう。去らばだ」
偽聖女が背中を向けて消えながら離れていく。
己の手にあるものを見てから声を掛けようとした少女が次に視線を上げた時にはもう誰の姿もその先には無かった。
別たれた天蓋の階層がゆっくりと閉じていく。
その奈落の最中へと向いた羅針盤が指し示す先。
クラル・リテルの場所でも見た円柱を見付けて。
彼女が元の姿に戻った仲間達にすぐ様指示を出す。
「このまま階層を突破する!!」
「あ、ああ。って、この断層に突入するのか?」
一連の偽聖女との遣り取りを複雑な心境で見ていたイルトがハッとした様子で訊ねる。
「ああ、リュオ先生の意見は?」
「問題ないかと」
「では、決まりだ」
「ピアリ達、また落ちるです?」
大陸中央の人間には新しい事実とか。
魔王の人となりが分かりそうな会話とか。
そういうのとはまるで無縁そうに何も分かっていなさそうな桃色髪少女が事実を指摘する。
それにウッとなったのは我に返ったイルトだった。
今度は落ちるだけではなく横からも潰されそうな時間制限付きである。
「走れ!!」
イフィーを先頭にしてイルトとピアリ、殿にリュオが付いて今正に閉じていく奈落へと身を躍らせた。
彼らの前に迫る円柱が光り輝いた時。
その姿は大地が閉じたとほぼ同時に虚空に溶けて消えていく。
こうして落ちる少年の悲鳴とちょっと楽しそうな少女の悲鳴がハーモニーを奏でたのだった。
*
―――第三層下層域ヘルメス・ルート。
第一層【夜の帳】が荒野、第二層【明星の檻】が海岸だとすれば、第三層【緑園の空】は空中と表現するのが良いだろう。
この層は今までの層とは異なり、主に三つの要素で構成されている。
一つ、何処までも底が見えない虚空。
二つ、その果ても無い空に浮かぶ浮島。
三つ、浮島を覆い尽す大木&巨大植物群。
太陽の昇り降りはあるし、朝昼夜もある。
ついでに水は浮島から流れ出ているし、自生する緑の三分の一は果実の樹木だ。
人が住まうには良さげな環境と言って差し支えないだろう。
浮島の外延部は夜になると肌寒いものの。
気候も本星と同じように四季があり、一年で16回の移り変わりが愉しめる。
此処で驚く事と言えば、普通の四季の一季節分で春夏秋冬がやってくる忙しなさくらいだろう。
剣獣(ソーディアス)は大半が浮島よりも虚空に出るタイプというのが珍しいくらいか。
そのせいで第三層は常識的な戦闘では密碑の確保が難しい場所として星潜者(アイム)達には少し人気が無い所となっている。
それでも都市と言える場所は300箇所以上存在するし、星潜者達のキャンプや独自の拠点化された浮島は第四層へと潜る為の物資集積所や中間拠点として機能している。
深部からの情報が速やかに集まるのが第三層であり、此処へ活動拠点を置く各国の軍は多い。
第二層程ではないにしても、活気のある浮島の行き交いには複数の七教会の定期船が使われており、数万kmにも及ぶ長大な航路網は数千隻の空飛ぶ船で繋がれていた。
その中でもヘルメス・ルートと呼ばれる神の名を冠した航路がある。
それは浮島の中でも大深度に存在する場所へと続くものだ。
空中を回遊する剣獣の群れの強さは第四層へと近付く程に強くなる為、まともな戦力を持たない者が七教会に随伴する以外の形で降下していくのは極めて難しい。
それが地上のある場所での話ならば、幾分か戦力が整っていなくても強引に進めるだろうが、生憎と空中戦となる緑園の空では落ちたら確実に死ぬ。
理由は先程も述べた通り。
深度が深くなればなる程に剣獣が強くなるからだ。
落下中、回遊する剣獣に貫かれてお陀仏なわけである。
今も昔も人類は機械や魔術、超常の力、飛行能力を持つ種族の助け無しには飛べない。
星潜者の大半が人間である以上、第三層は正しく種族的に苦手なフィールドなのだ。
そういう常識下にあるヘルメス・ルートの中間地点。
“界臆(かいおく)の水胎(みなはら)”は300000m程の深度を下った場所にある半径4kmの三日月型の浮島だ。
大深度にある先進国や七教会の拠点とは違い。
星潜者個人所有の珍しい場所である。
港のある街には主に東部系の星潜者達が集っており、ギルドだった動きで働いているが、彼らは雇われているのではなく。
とある個人を頂点とした組織の人間だった。
東部の大国、乂羅(がいら)。
その中でも将来の軍政に関するエリートを養成する教育組織。
学徒憲兵隊。
七教会の近代化(レボリュション)とはまた違った国家の工業化、先進化政策を推し進める大国の内部で産声を上げ、この六年で多くの若手官僚、若手将校を輩出し、一種の新派閥として機能し始めた彼らは教育終了後の人員を自分達でも組織に組み入れるようになっていた。
“界臆(かいおく)の水胎(みなはら)”もまたそのような彼らの人員が動員されており、数は100人を超えている。
超エリート職と言って申し分ない働き先が祖国にありながらも、教育機関の出先として働く事を選択した彼らは組織の中でも有能だが統率するには骨が折れる。
そんな、少しやんちゃな人材ばかりだ。
エリートの中の荒くれ者。
あるいは変人。
そう言えるだろう。
それを統率するのは学徒憲兵隊の実質的な指導者役をこなす才女。
国家を二分する家の分家筋に今も席を置く存在だ。
天御門青嵐(あまみかど・せいらん)。
過去、祖国内で起こった魔王と彼らの国の象徴とのいざこざの中で頭角を現し。
今や本家すらも脅かす程、勢力を拡大している学徒憲兵隊の立役者。
外見は良識が服を着ているような知的な眼鏡美人で秘書が似合うだろう請け合いな容姿をしているのだが、そんな外見的なレッテルとはまるで別に彼女は高位の戦者でもある。
要は強い。
極めて強い。
書類仕事に忙殺されていながら、片手間で自分の親衛隊に当たるような人材には稽古を付けるくらいだ。
並みの中級神格と真正面から遣り合って競り勝つ程にまで力を付けた今の彼女は祖国の中でも一角の戦力であり、単体個人で超越者と言われる者達と同等と見なされている。
七教会が天蓋蒼星(メイズ)を開放してからというもの。
一週間に一度以上は超々距離転移で拠点までやってきては直接指示を出し、祖国の軍を支援する傍ら独自の戦力で探索隊を組織し、動いているという。
そんな巨木と果樹と茂みに覆われた島の中央。
外界の虚空が覗ける丘の上に今日彼女は客人を迎えていた。
「マヲ?」
紫髪の幼いメイド姿の少女に頭を乗せた白い水生系亜人。
言わずと知れたマヲッと鳴く生物。
クヲンである。
テコテコと何処からか予定時刻通りに現われたこの相手を前に自分の護衛役達が困惑するのも構わず。
青嵐はニコヤカに応対し、街へと続く道の先で握手した。
「こうして会うのは初めてですね。私は天御門青嵐。お会い出来て光栄です。クラウゼン公爵家当主」
「マヲ~~」
それほどでもと少し照れた様子となったクヲンに付いてくるよう促して。
青嵐が護衛達を先に帰らせつつ、己でこの珍客を案内する。
本日は晴天。
街の近くという事もあり、野良剣獣も出ておらず。
此処が普通の場所ならば、観光日和と言えるだろう。
途中、街の重要な食料である手入れされた果樹園を行き過ぎ。
二人は片手に果実を一つずつ。
ゆっくりと街並みへと分け入っていく。
青嵐はベージュの大陸中央式女性用スーツにタイトな膝丈程まであるスカート、それには似つかわしくない黒い軍靴姿だ。
片やノースリーブでラフな格好の亜人少女は足には編み上げるような薄い生地で作られた足袋のようなものを履いている。
幼メイドはいつもならば通訳するところを黙っており、まだ一言も発していない。
「この層を抜けてきたなら分かっていると思いますが、此処はたぶん……彼にとっての天国と地獄というのを顕しているのではないかと思います」
クヲンに語り掛ける青嵐がひょいと未だ虚空の全てが網羅されているわけではない航路図と第三層の全体図を魔術の小窓を開いて表示し、そのまま指で横の相手の前へスライドさせた。
「マヲ? マヲヲヲ……」
初めてソレを見たクヲンがフムっと視線で地図を眺め回す。
其処に描き込まれていたのは精緻に縮小された地表の映像を繋げたものらしかった。
目で追えば、それに追随してどのような場所がどのような姿であるのかが途切れなくスクロールされる。
地図の端には日付が書かれており、何日前に情報を収集したかまで事細かに表示される仕組みだ。
小窓の中からは匂い立つような緑の鬱蒼とした島々と陽光の降り注ぐ上層から僅かに薄暗い下層までの明度の違いまで浮き彫りにしていた。
層を下降していけば、変わりゆく気配や景色の差は極めて印象的だ。
希望と緑に溢れ。
何処までも行けるような空の蒼さが清々しい上層とは打って変わって、下層はまるで色が抜け落ちた書き割りを背景にしているようなのっぺりとした景色が、代わり映えしない色褪せた現実が、延々と暗さを増しながら続いている。
それに比例するかのようにとある高度の一点から跳ね上がる剣獣の強さ。
物量と能力の多用さと悪辣な戦術の幅は星潜者にとっては一つの壁だろう。
集団戦術で人間のように分業しつつ、其々の能力に比例した役割を果たし、相手の処理能力を飽和させつつ、何度でも何度でもしつこく襲撃してくるのだ。
探索する者達の気を抜いた瞬間を虎視眈々と狙い。
狙撃紛いの攻撃方法から気配を消しての夜襲まで。
生き残りたければ、強靭であるか狂人であるか。
そう嘯かれるのもしょうがないような情報がズラリと並んでいる。
「魔王が魔王になるまでにどれだけの艱難辛苦を超えてきたのか。そういう事なのではないかと」
「マゥヲ……マヲウヲ」
クヲンがホワホワと此処に来るまでの事を脳裏に思い浮かべる。
第三層に来てからというもの。
気が抜けまくりだと言わんばかりに剣獣がザックリ千単位で彼女の回りには屯していたのだ。
一歩進む毎に何処からか現われる敵を前にぺチーンと裏拳、尻尾アタックで大体吹っ飛ばしたので気にしていなかったが、彼女でなければ、大抵死んでいただろう。
愛らしい外見に見えても世界で一番稀少な血統を持つ亜人少女は能力的に太古の昔に存在していた究極生物達の流れを汲む。
やろうと思えば、指先一つで山を消し飛ばしたり出来るし、普通なら触れただけで殆どの存在が即死する毒や魔力にどっぷり浸かっても良い湯だなくらいの感想で抜ける事が可能だ。
剣獣の刃先で表皮に傷一つ付かないのだから、極めて特例と言える。
これが普通の星潜者なら、高度な装備を用意しなければならず。
気を張り詰め続けての一層踏破で神経が擦り切れる事請け合いだ。
「とりあえず、ご注文の品は既に搬入させてあります」
煉瓦造りの街中へと入り込めば、青嵐の姿に人足をしている男達が次々に最敬礼しては自分達の仕事へと戻っていく。
「マヲ~~♪」
街の中心。
鐘楼のある教会風の建物の裏手に回った彼女達はシャッターの下りた倉庫の横扉から入って薄暗い内部に自然降り注ぐ色彩の薄い陽光が浮かび上がらせるモノを前にした。
「積層魔力式の内燃機関に七教会謹製の【真空交換炉(フェイズ・スペース・リアクター)】を搭載。基本は高格外套の能力と同等であると考えて下さい。大陸中央の裏社会経由で出回っていた無限機関の中では骨董品です。七聖女達の治世が磐石になる前に流出したものだそうで、中核部品以外は全て新作だそうです」
白い鋼が流線型のフォルムを描き。
東部で言う竜の鼻面のように尖った鋭角的な先端と背後に胴体部から伸びた翅の如き翼。
優美な曲線を描く搭乗部分は二人乗りらしく。
後部には落ちないようにと背中を覆うように車体がカバー状となっている。
最もその乗り物に似ているのは大陸中央でバイクと呼ばれているものだろうか。
しかし、車輪も無く。
両手で握るハンドル以外には主要な機関部らしきものも車体の外からは見えず。
一繋がりの車体は背後に何か噴出孔らしきものも見えない。
どうやって推進するのか?
というのは魔力を使う文明には今更ではあったが、無限機関積んでますと言われたにしては何とも異様ではあるが、威厳らしきものは感じられない。
ハッキリと言えば、大陸中央のちょっと金持ったバイク乗りが使ってそうな安物感がある。
魔術で見てくれだけは格好良くしましたという感じなのだ。
ヒョイッとソレの後部座席に自分の通訳を乗せ。
自分はハンドルを握れる前部へと跨ったクヲンがまるでごっこ遊びでもするかのように車体の側面に足を掛けた。
「マヲ~~~マヲ~~~!!」
ブゥーンブゥーンと子供が口でエグゾーストを真似るかのように笑いながら、究極生物はご機嫌。
それを見た青嵐は苦笑しつつも、壁の横手にあるレバーを引き降ろして、シャッターを開放する。
「そろそろ予定なら本命が来る頃です。周辺の七教会支部と彼らのシフト情報。それから、緊急時のマニュアルと防衛体制を取った時の増援待機任務人員の名簿。全てお渡ししておきます」
クヲンの片手に青嵐が小さな金の輪を置く。
「マヲ!!」
ありがとうと手を上げて答え。
ソレを腕に嵌めた彼女が己の魔力を体表に奔らせる。
すると、内燃機関がスタートしたか。
車体の装甲表面に幾何学模様の魔力転化光が奔った。
「陽動と霍乱は任せ切りになりますが、支援が欲しい時はいつでも連絡して下さい。こちらはこれから第四層の拠点作りに着手します」
「マヲヲ~~♪」
頷いたクヲンが車体を浮かせて、左右のハンドルを僅かに回すとゆっくりと進み始めた。
「聖女達に悟られぬよう。こちらも努力を惜しみませんから」
ペコリと幼メイドが頭を下げると。
フルスロットルにされた車体は急加速。
「マゥヲゥヲ~~~!!」
一瞬にして重力を無視し、まるで空気を引き裂くような雷鳴にも似た音を響かせながら一直線に進み。
『マァアアアアアアヲオオオオオオオオオッッ!!!』
途中から90度直角に車体を上向けると上層へと向かってカッ飛んでいった。
「御武運を……」
【聖王同盟(サクラム・フェデレイションズ)】の外部スタッフ。
主に東部でのサポート要員達を統括する筆頭。
天御門青嵐。
彼女の戦いは深く静かに教会も知らぬ闇の奥で進む。
次は“本隊”となる灰金の少女達の受け入れ準備とルートの再確認だと本国での書類仕事を抜けてきた多忙な彼女の8徹目に掛かった意識は未だ強くしっかりと己の進むべき道へと肉体を動かしていく。
その数日後。
イフィー・ファサルトスと愉快な仲間達は第四層に到着する事となる。
彼らの探索の本番は刻一刻と迫っていた。