※この作品はR-18です。

聖娼館ハルトゥム   作:Anacletus

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第二十五節

第二十五節「星の下で」

 

 突然だが、イルト・イナーシタは大陸中央式のスラングで言うならば、エロいものが嫌いではない。

 

 鼻血が出ちゃったよ~とか。

 

 そういう初心な感じではないし、自宅だった場所で天蓋蒼星に行く前、シッカリと五冊くらい秘蔵のエロ本を焼却処分したりもした。

 

 こう言えば、彼が可愛い女の子とエロをこよなく愛する健全なる青少年だと理解出来るだろう。

 

 学校に通っていた時は両親が行方不明になってからというもの、かなり沈んでこそいたが……時間が経つ中でそれなりに明るさは取り戻したのだ。

 

 だから、男子クラスメート達とエロ本やグラビアを見て「おお~~!!」とか盛り上がったりもしたし、こっそり本屋でエロ雑誌に目を向けたりもしたし、通販でエロ本を買ったりもしていた。

 

 大陸中央は近代化(レボリュション)が始って以降。

 

 文化的にエロへ寛容となった事で逆に性犯罪の件数が下がったという事実もあり、風俗産業、性産業は一大ムーブメントとなっている。

 

 それに拍車を掛けたのはあらゆる意味での女性の社会進出だ。

 

 今まで購買層が男性に偏っていた性産業の男女非が五分までも押し上げられた為、女性もまた以前よりも活発に活動し、エロ文化の担い手になったのである。

 

 だが、それとは逆に今までよりも教育へ高い倫理や道徳が求められるようになった事から、従来の良妻賢母教育や貞節教育などは強化された。

 

 つまり、本来ならば反比例するような出来事が一緒くたに起こった事となる。

 

 それが問題とならないのは教育内容が潔癖な代物では無くなったからだ。

 

 元々、大陸での人権など拭けば飛ぶような綺麗事にしか過ぎず。

 

 現実に女の奴隷は十把一絡げに売られていたし、大陸中央ですら数百年前と言わず。

 

 数十年前まではそれら女奴隷達が普通に流通していた。

 

 貴族や商人などの富裕層から中間層までの男達は専ら家に愛人兼奴隷を置くという者もいたし、家族に気兼ねして娼館で囲ったり、資金がある者は別邸に住まわせたりもしていたのだ。

 

 それとは対照的に家族に女性が生まれたら教会を筆頭にした宗教系の厳格な教育施設に預けたり、貞節教育、良妻賢母教育専門の個人教師や教育組織、時には専属のメイドを雇うか、妻祖母に任せて自宅で箱入り娘よろしく養育するという徹底ぶりが普通でもあった。

 

 此処に一石を投じたのはハティア・ウェスティアリアだったのは歴史書を見るまでもなく福祉的には大陸なら誰もが知っている事実だ。

 

 近代化(レボリュション)における福祉政策の大半は彼女の理念を財政的に肉付けしたものであり、彼女が大陸中の戦乱を治める過程で布教した未来の女性の在り方という奴は大陸の地方諸国ですら今や先進的女性のスタンダードとなっている。

 

 この中で性産業に従事する女性や奴隷として存在する女性というものをまず聖女は肯定的に捉え、それを所有する相手やその産業を司る者達を教化する事が勧められた。

 

 つまり、奴隷が存在する事は仕方ないし、性的な所有物として彼女達を所有する事も認めるが、それを増やしたりする事は倫理的にイケナイ事でこれを無理やりに行おうとする者には罰を下す。

 

 ついでに教会の不興を買ってまでも続ける商売と教会が勧めて設けられる商売どっちがいいですか?という事だ。

 

 近代化が進むに釣れて大陸中央では世間的に奴隷の元売り商人達へ白い目が向けられ、無言の圧力が掛かるようになった。

 

 また、別の道を示した教会の“空気を読め”という遠回しな諸々の勧告を受け入れなかった者達は世間から村八分にされた。

 

 こうして奴隷の供給源が干上がり、従わないアングラな奴隷商人達の大半は他国に流出するか、教会影響下の裏営業でとっ捕まって無期懲役刑。

 

 結果として奴隷は解放された。

 

 その後、性産業従事者。

 

 要は娼婦やその他愛人業な女性達にも一定の新常識とやらが浸透していく。

 

 此処で教会が昔ながらの貞節教育や良妻賢母の思想をそのまま押し付けなかった事が今日の女性の社会進出に伴う相反する事情を解消する根本的な要因となっている。

 

 ハティアは上層と下層。

 

 教育を受け潔癖こそが正義と信じていた女性層と対価を得る為の性産業労働、そもそも権利すら無かった女性層という母集団を統合する際。

 

 彼女達に寛容である事と程々である事を説いた。

 

 共通の目的と共通の認識。

 

 そして、何よりも共通の敵として男性社会などを槍玉に挙げるのではなく。

 

 社会的な合意形成(コンセンサス)への自己決定権獲得を掲げたのだ。

 

 今の状況はそう変えられるものではないし、変えるべきだとしても変えて困る人々を納得させる事が急務であり、いがみ合う事、否定し合う事、汚いとか綺麗とか二元論で語る事を戒め。

 

 どちらの常識も程々に譲り合うよう促した。

 

 例えば、男性との関係の持ち方が上と下で二つあるなら、中間を作れという。

 

 例えば、奴隷でも良家の子女でも、男にはまず個人として相手を見るよう教育する。

 

 このような中道的な回答の積み重ねの結果。

 

 昔ならば、娼婦や女奴隷に向けられていた意見は90度くらい変わった。

 

 汚らしいものとして彼女達を見ていた上流階級の女性達もまた彼女達の事情を斟酌し、理解を示すようになったし、奴隷、愛人、場末の娼婦という女性達もまた自分達とは天地の差があると理解する上の女性達の言う倫理に耳を傾けるようになった。

 

 このような下地を得て開花したエロ文化と倫理的な教育の強化はどちらも性に関する社会的な意見のバランスを取る両輪として機能し、相反するものではなくなったのである。

 

 性表現が過激なエロ雑誌の内容に有識者とやらが有害図書指定する事も無ければ、性犯罪の厳罰化は実害があるものに合理性を持って行われる事が約束される。

 

 表現規制は犯罪の抑止に極めて有害であるという認識の下。

 

 逆に大陸中央の標準的な男子生徒達には性道徳上、エロ本の程々な購入やらが勧められ、避妊道具の配布やら女性の生理現象や最新の性科学的な知見が伝授され、性行為諸々に関する極めて現実的な社会的責任と圧力、法律、罰則が具体例付きで教えられる。

 

 何事も程々にというスローガンの下。

 

 恋愛や婚姻すらも七教会の言う規定路線でやれば、程々の結果を得られるという厳然たる“事実”が此処でもクローズアップされ、大陸中央式の常識は育っていく。

 

 まぁ、何が言いたいかと言えば、簡単だろう。

 

 イルト・イナーシタはそんな大陸中央で生まれた普通の男子であるという事だ。

 

 だから、まぁまぁエロを嗜む。

 

(これは程々、これは程々)

 

 エロいと評判だった学校の保健室の女性教諭が言っていた事を思い出しつつ。

 

 痴漢にならない程度。

 

 覗き魔と謗られない程度。

 

 その視線は絶対領域から微妙に見える下着に釘付けであった。

 

 チラチラ。

 

 チラチラ。

 

(くッ、やはり、見えるよりも見えそうで見えない。でも、やっぱり見えるのが一番嬉しい!! 裸よりも下着姿の方が興奮する!! いや、全部見えた方が嬉しいけれども!! エロは一日にしてならず!! 万里のエロも一歩から!! 惜しむらくは……これが芋っぽい水玉かぼちゃパンツじゃなければなぁ……いや、それ方面の方が萌える奴に失礼かもしれんけど)

 

 とりあえず下着に興奮する特殊性癖ではないので、イルトは程々に愉しんだ後、視線を元の位置に戻し―――。

 

 じ~~~っとイフィー・ファサルトスが半眼になった様子で年上の青少年を見ていた。

 

「何を見ていたのだ? イルト」

 

「へぇぁ!? な、ななな、何って!? な、何も見てないって!! や、やだなぁ~は、ははははは」

 

 ダラダラと背筋に冷や汗を掻きながら、「ああ、オレは何て事を……バレ、てるよな? コレ……」と健全なる青少年は多少引き攣った笑みを浮かべる。

 

『イルト君。そろそろ見えてきましたよ』

 

「え、え~本当かよ師匠!! お、オレも見るってー!!」

 

 即座、天の助けとばかりに座席から立ち上がった彼が甲板へ向けて走っていく。

 

「あ、オイ?! まったく……」

 

 一人残されたイフィーが溜息を吐いた。

 

 周囲に人気は無かった。

 

 幾つもの座席が並んだ客船の最中。

 

 何故か透明な天井の床を透かして二階部分が見えている。

 

 其処では足をプラプラとさせたピアリが数日前とは違ってミニスカート状態で小鹿のような美脚も露にクレープを齧っていた。

 

 天蓋蒼星第三層【緑園の空】に付いて早数日。

 

 極北のグレートダウナーも程近い浮島の一つに到達した彼らは転移後の出現場所が未だ発見されていない場所であると理解しつつ、其処で数日の野営を余儀なくされていた。

 

 理由は単純。

 

 周囲に人の気配がする浮島が無かったからだ。

 

 絶海の孤島ならぬ絶空の孤島である。

 

 聖女の試しで嘗ての仲間達の姿を切られる前に取るという賭けに勝った彼らだが、本気の聖女の圧力と剣技を受けたというだけで実際には酷く体力を消耗しており、精神も不安定だった。

 

 これでは進むのにも苦労すると。

 

 イフィーが魔力を抽出して全員での長距離飛行が可能になるまで休息を進言したのは極めて合理的な判断だろう。

 

 それから彼らは浮島の果実と密碑で食い繋ぎ。

 

 二日前にようやく到着地点の島を出立する事となっていた。

 

 それから約40時間以上飛びっ放し。

 

 ついでに高速で襲ってくる回遊中の剣獣(ソーディアス)と慣れない空中戦を数回。

 

 ようやく人のいる浮島に到着したのが四時間前。

 

 その航路の最果てに位置する場所から七教会が民間に委託している不定期航路を行き交う旅客船で大きな街へという流れになった。

 

 星潜者が第三層に街を造るのは難事だ。

 

 七教会の支援無しには空飛ぶ船とそれを守る戦力は維持するのは困難

 

 高度な技術や魔術と大規模な組織、それを賄う資本は通常の星潜者には縁の無いものだろう。

 

 故に深層踏破の最前線以外の層としては最も人の集う場所が少ない。

 

 だからこそ、航路での旅は最低1週間からという長期に渡り、往々にして路銀が掛かる。

 

 しかし、現在のイルト達が僥倖と言わねばならないのは……最果ての街というよりも村と言うべきだろう場所から出ていた不定期の旅客船と繋がっていたのがほんの数時間で付く場所であったという事だった。

 

―――第三層正規航路北端イファラナ環状街。

 

 浮島の中でも珍しい中央部分が無く円形の周辺部分のみが繋がる地形の上を開発して出来た街は払い下げられる前は七教会の北部前線基地として機能していた。

 

 第三層から最前線が移る際。

 

 後の民間利用を考えて据え置かれた施設は今も健在であり、現在は複数の大陸北部の国々が第三層でしか取れない稀少な密碑の狩猟場として運営していて、幅広く民間に開放されている。

 

 街の北部と南部には港が整備され。

 

 東には居住区。

 

 西には商業区。

 

 また、刳り貫かれた浮島の中央の虚空には各区から30分置きに船が出ており、七教会の使っていた嘗ての船方の浮遊管制施設が置かれている。

 

 四方1km程もあるだろう島の中央にデンと七教会の巨大なな鋼船が浮かんでいる威容は初見の者にはインパクトがあるかもしれないが、北部の伝統的な飾りつけが船のあちこちに施されているのを見れば、観光名所化されているのは明白だ。

 

 白く耀く鳥型の薄い陶板を紐で無数結わえた魔除けの飾りがキャラキャラと風に吹かれながら船のあちこちで鳴っている。

 

 その音はイルト達の乗った船が高度を下げて北部の港へ近付けば、聞こえていた。

 

「すげー!? アレって!? 七教会の【宙域航行艦(スペティウム・アパラトゥス)】の中でも400m級の【騎師護衛艦(バロン・フリート)】だろ!!?」

 

「そう言えば、イルト君はそういう土木系重機とか乗り物とか好きでしたね」

 

 船の甲板でリュオが大きな鋼の船にキラキラと幼児みたいな目をした弟子へ苦笑する。

 

「そりゃ、男の子なら英雄大好きって普通だろ? オレ、子供の時の夢は魔王を倒す勇者か。七教会の騎師(ミリス)だったからさ」

 

「随分と平均的な男の子だったんですね。それがどうしてこう育ったのか」

 

「な!? 大体、師匠のせいだろ!!? だって、勧誘された時、『錬金術は何でも創れる魔術の一番凄いのなんですよ(ニッコリ)』とか今のオレなら嘘だからよく考えろって言いたくなる感じの誘い文句だったし!!」

 

「ははは、嘘は言ってませんよ。嘘は……ただ、何でも創るのに物凄くお金が掛かるだけですから♪」

 

 子弟がようやくまともな街で休めると安堵しながら軽口を叩き合っている横にピアリとイフィーもまたやってくる。

 

「聞こえていたが、随分と船に詳しいのだな」

 

「あ、イ、イフィー?」

 

 今、サラッと魔王を倒す勇者とか。

 

 七教会の超越者集団とか。

 

 そういうのになりたかったと白状してしまった少年が額に汗を浮かべる。

 

「どうかしたんですか? イルトさん」

 

 それに不思議そうな顔をするピアリが小首を傾げ。

 

 灰金の少女が苦笑した。

 

「気にするな。普通の事だ。我とて大きな船などは探検したくなる」

 

「そ、そっか」

 

「ああ、とりあえずは無事に街へ辿り着いた事を喜ぼう。宿を取ったらまずは休息と補給だ。後の事は明日になるまでいいだろう」

 

「そう、だな。うん……じゃあ、宿取って休んだら、皆で買出しに行こうぜ」

 

 何とか折り合いを付けながら少女と付き合い始めた弟子の様子に内心で喜ばしいと思いながらも、リュオは顔に出さず。

 

「ああ、それなら、三人で行って来て下さい。僕はちょっと休みがてら、七教会の情報収集を経路(チャンネル)経由でやってますから」

 

「そうか。では、着いたらさっそく買い物リストを書き出そう。まだ、一応は密碑も他の現物も大量にあるが、何か足りないものや欲しいものはあるか? イルト、ピアリ」

 

「はいはいはい!! お料理の食材が欲しいです!!」

 

 ピアリが手を上げて、さっそく料理人スキルを得るべく発言する。

 

「ふむ。では、適当に市場で見て回ろう」

 

「オレは……ぁ、まぁ……その……」

 

「?」

 

 微妙に口がモゴモゴとしたイルトにイフィーが首を傾げる。

 

「何だ? 何か言い難いモノか?」

 

「ち、違うって!! オレはちょっと一人で買ってくるよ」

 

「イルトさん一緒に行かないんですか?」

 

「後で合流はするけど、自分で色々と買ってからでいいか?」

 

 二人に訊ねた少年に頷きが変える。

 

「では、待ち合わせ場所と時間を決めよう。出来る限り、個人的な通信は避けたいのでな。合図も決めておこうか」

 

「悪りぃな。重いモノを買うのは後にしてくれ。そうしたら、一緒に持つからさ」

 

「ああ、分かった」

 

 休むよりも休んだ後の事に思いを馳せる若者達にまだ自分もそれなりに若いだろうリュオが大人の笑みを浮かべた。

 

(若いっていいですね。ホント……)

 

 彼が接舷しつつある船の先。

 

 港に視線をやる。

 

 北部の桟橋には七教会の物資輸送船が数隻。

 

 それから軍用の国家所有船が十数隻。

 

 港にはまだ半分程の空きがある事から、まだ相応の数の船が虚空に出ていると分かった。

 

(妖しいところは無し。しばらくはのんびり出来そうだ)

 

 イルト達が上陸した頃。

 

 港に併設されている倉庫街と密碑の取引所、俗に市場と呼ばれる場所には次々軍艦が接舷し、活気付き始める。

 

 人混みの中。

 

 四人の星潜者達はようやく宿探しと相なったのだった。

 

 *

 

 虹が落ちていく。

 

 鋼が燃え上がる。

 

 剣獣(ソーディアス)。

 

 もはや20m強の柱と言った方がいいだろう深層の基本構成(スタンダード・タイプ)。

 

 それが虚空に無限乱舞しながら、巨大な方陣を形成、同時に不可視の波長で編んだ光子の針を撒き散らし、無味無臭の有機物の融解毒を放散する。

 

 多重・重層・波状・攻撃。

 

 馬鹿馬鹿しいとソレを断じる事が出来るのは通常生物どころか。

 

 高位の魔族ですら踏み込んだら即死以上。

 

 確実にオーバーキルだからだ。

 

 一体一体が同じ攻撃を微妙に変化させつつ、多彩な攻撃を同時に仕掛けてくる。

 

 正しく人智を超えた手数が確実に相手の防御の処理能力、対処限界を飽和させる。

 

 光の針の波長が全てランダムで違うものである事を考えても、毒の分子構成が僅かずつ0.01秒毎に組成を変化させている事を考えても、方陣が攻撃、防御、支援、その他、多種多用な効果を千変万化させながら蠢いている事を考えても、常識的には突破不能。

 

 その階層を何人たりとも進む事など出来るわけが無かった。

 

 中級以上の神格すらも進むだけで確実なダメージを受け。

 

 万能無限に近しい主神級ですらも“削れてしまう”のを避けられない領域。

 

 だが、その中を白衣を着た少女は大陸中央でなら何処でも売っている安っぽい透明な袋入りの菓子パンを齧りつつ、ピクニック気分で歩いている。

 

 金属の天井と地表が何処までも続く地平。

 

 それ以外、敵しかいない階層。

 

―――第7層【極深の宴席】。

 

 その最中を瓶底眼鏡な研究者ルック少女は歩く。

 

 世界最高の頭脳にして世界最高の天災にして世界最高の金持ちにして世界最高の……極めてお菓子好きな七聖女は……欠伸をしていた。

 

 髪を束ねた頭をポリポリ掻きながらの鈍行。

 

 ちゃんとその肩には水筒の結わえられた紐が掛かっており、彼女の楽しもうという気分を象徴している。

 

「やれやれだよぅ。反撃に対して無限に倍々ゲームで反応が返ってくるとか。鬼畜仕様過ぎぃ」

 

 別に彼女フルー・バレッサは困っていない。

 

 だが、そう溜息が吐かれたのには訳がある。

 

 簡単に言えば、あまりにも過酷な環境で気を使わなくてもよい同行者が連れてこれなかったので退屈していたのだ。

 

 そろそろ昼時だと片腕の時計を見たフルーが指を弾くとブルーシートが一枚床に敷かれた。

 

 秒針は光速の32分の1くらいで高速回転している。

 

 時間の変動に巻き込まれていたのだ。

 

 腰を落ち着けたシートの下では今も地表から無限に湧き上がる剣獣が分子レベルで出てくる先から崩壊させられている。

 

 現在、彼女を中心とした四方300kmはたった一人の侵入者を前にして、その天井から床までの全てを埋め尽くす勢いで剣獣を増やしながら激烈な反応を示している。

 

 まぁ、それでも彼女の半径40m以内に入った刹那。

 

 本体は密碑すらも塵以下まで分子崩壊しているし、攻撃は20m以内には届いていないのが現場ではあるのだが……それにしても理不尽な光景に違いなかった。

 

 正しく結界でも張っているのではないかと思うような光景。

 

 それにしても、今も全ての攻撃を防いでいる“何か”はまるで見えない。

 

 その半球状の領域外からは今も超物量攻勢が続いている。

 

 天地を覆う剣の獣達に感情というものが無いのだとしても、理解不能なソレを見れば、大抵の知的生命が思うだろう。

 

 ああ、あの女はきっと地獄の最下層の住人なのだと。

 

 彼女が第七層に入ってから十五分。

 

 たぶん、通常の居住惑星の質量換算で2%くらいの物質がたった一人の聖女を排除する為、無為な攻撃となって塵と化していた。

 

「え~今日の僕のお昼は~~♪ 何と!! あの予約で半年先まで全量お取引終了しました!! で、有名なルートヴィッヒ菓子工房の自信作!! 東部式六段重菓子折りセットです!! わ~パチパチドインドンパフパフ~」

 

 一人言全開でブルーシートの上に手を置いたフルーが腕を引き上げると。

 

 手の下からズドンと音がして。

 

 ズッシリと重たい重箱がニュルッと掌に書かれた幾何学模様の上に展開される虚空から落ちてくる。

 

「ふぁぁ~~~良い匂いだよぅ~~さすが麻薬も劇薬も媚薬も上回る甘味ドラッグと言われるだけあるよねぇ♪」

 

 早速円筒形の水筒の紐を外して、蓋を回してカップにし、内部からよく冷えた水出しの紅茶(アップル・ブランデー入り)を波々と注いだフルーがスプーンを片手に重箱の一段目をカパッと開いた。

 

「ふぁあああああああああああ!!!? ティラミスだよぅ!? ま、眩しッ!? 感動と涙と黄金色のパリッとしたカラメル部分とふんわりココアとクリームの二重奏部分が僕の頭を刺激するぅ!! 幸福限界値マックス突破してるよぅ~~♪♪♪」

 

 頭の悪そうな単語を並べながらカタカタと麻薬患者並みに手を震わせつつ、そのココアとカラメルのマーブル模様ティラミス(重箱一つ分)にスプーンが入れられる。

 

「あ、ぁぁあぁああぁぁあぁあ!!? ゆ、指先が感触に幸せを感じてるぅ!? この柔らかさ!! このカラメルのパリパリ破壊音!! 生まれてきて良かったと思える最良の時間の始まりだぁああああ!!?」

 

 掬い取ったフルリと今にも崩れそうなカラメルとココアとクリームと激濃い目エスプレッソに浸されたしっとりケーキ生地という四種の力が一つになって、フルーの口内へと運ばれる。

 

「―――ッ!?」

 

 カッとマッド聖女の背後に後光が射した、ような気がしたが気のせいではないだろう。

 

 劇画チックな表情が百面相した後。

 

 恍惚に忘我の境地に達した彼女の手は勝手に紅茶を呷り、勝手にスプーンでティラミスを抉り取る作業を行っていく。

 

 奇跡だって発現しちゃいそうな感動は微妙にフルーの魔力を周囲に放散させて耀くように光へと転化させていた。

 

 一段4000kcalという極めて女性の体重に優しくないお重の一つが空になったのは数分後。

 

 恍惚でもう軟体動物になったかと思うようにフニャけた笑顔で呆けた聖女がブルーシートの上で瞳を閉じる。

 

「………みんなにも食べさせてあげたいなぁ、コレ」

 

 彼女が次に瞳を開ければ、既に剣獣は周囲に一体も見えなくなっていた。

 

 理由は単純だ。

 

 剣獣(ソーディアス)が階層に生成された瞬間に原子レベルで崩壊しているからだ。

 

 発生から刹那にも及ばぬ時間で消えていく敵が残した蜜碑だけがザアザアと滝のように世界には降り積もり始めて。

 

 フルーは残りは後でとお重を再び掌に発生させた薄暗い空間に仕舞い込む。

 

 ブルーシートは指を弾けば消えて。

 

 水筒もまた虚空へ溶けるように見えなくなる。

 

「どんなに倍々ゲームで反応が返ってくるとしても生成が同速度じゃねぇ」

 

 懐から緑色の折り畳み傘を取り出して密碑の雨を受けながら、歩き出した聖女は鼻歌交じりに進み続けた。

 

 その姿にはまるでちょっと雨の中、誰かを迎えに来たような気安さがある。

 

 天地虚空の全て。

 

 見えざる聖女が生み出した暴虐の嵐は静かに静かに階層を密碑の落ちる音で満たしていく。

 

 キャラキャラと山が出来て、川が出来て、大地すら出来た。

 

 億、兆、京を超えて尚増え続ける残骸。

 

 彼女の往く手を阻む密碑など存在しない。

 

 道は海を別けた聖人よろしく開かれている。

 

 その歩みは本当に何気ない足取りなのにこれから死ににいく聖者を思わせて。

 

 見る者がいたなら背筋が震えただろう。

 

 どんなにふざけていても、彼女もまた聖女。

 

 世界の頂点に立つ女の一人なのだと。

 

 五年前の親友との一戦で負傷。

 

 魔王との一戦で敗北。

 

 しばらく抜け殻となっていたのも今は昔。

 

 未だ奇跡が不安定過ぎて使えなくとも。

 

 奇跡よりも奇跡的な事象を我が身の頭脳が生み出す数式、機械、システム、あらゆる叡智によって解決する真なる科学狂(マッドサイエンティスト)。

 

 宇宙を創造する女とはフルー・バレッサ彼女の事だ。

 

 如何に魔王が世界と同等の存在だろうと。

 

 如何に魔王がその智の限りを尽くそうと。

 

 如何に魔王が理不尽な力を持っていても。

 

 その全てを覆し得るという一点において、聖女中最も可能性のある存在。

 

 其処には如何なる超越存在達も納得だろう。

 

 星より大きな巨躯持つ者も。

 

 天より長けき剣振るう者も。

 

 神より強き拳振るう者も。

 

 星の核すら掴む力在る者も。

 

 誰も彼女に敵わなかった。

 

 真に星を滅ぼせる存在も。

 

 真に銀河を砂塵に還す存在も。

 

 真に宇宙を消却する存在も。

 

 彼女を前に慄いた。

 

 ああ、そうだ。

 

 七聖女ユアン・クオ。

 

 彼女が世界で最も武勇在る女なら。

 

 七聖女フルー・バレッサ。

 

 彼女は世界で最も力在る者達から畏れられる存在だ。

 

 原子を操り、法則を組み替え、概念を滅却し、如何なる相手にも1度会えば、絶対に負け無し。

 

 時間を越えて逃げようが、異次元の彼方に隠れようが、彼女の前には無為だ。

 

 万物を再現し、万物を制御し、万物を我が物とする。

 

 神を見下し、偉大なる者を嘲笑し、人の愚かさの象徴たる智によって全能や万能を嘯く者達から神秘の皮を剥ぎ取って、それで外套でも創るが如き所業。

 

 だから、今も注視されている。

 

 【聖杯委員会(ペルスヴァル)】

 

 遥か古より人を見続けた頂点存在。

 

 円卓を囲む者達は決して彼女から視線を逸らさない。

 

 何かある度に虚空へ話し掛けてくるお茶目な“天災”を絶対暴走させない為に。

 

 魔王が世を滅ぼし、世を創る力を持つ持ち主なら、彼女もまた同じ。

 

 いや、それよりも性質は悪いかもしれない。

 

 何せ―――。

 

「ん?」

 

 密碑の雪崩れが止んだ。

 

 フルーが道の先にいる存在に目を瞬かせる。

 

「あ、ハティ―――」

 

 その眼鏡を掛けた頭部が半分程……“何も無かったという事実に置き換わる”。

 

 魔導聖女。

 

 ハティア・ウェスティアリア。

 

 本来、自分の仲間であるはずの少女から齎された現実の改変から来る確定した現在。

 

 頭部が抉られていたという結果を受け入れながら。

 

 それでも彼女は苦笑していた。

 

「まぁ、そうだよねぇ。本物はまだ上の上だし。此処にいるって事は……此処の守護者って奴かな?」

 

 金色の髪の少女。

 

 世界一の美少女。

 

 七教会の聖母。

 

 一児の母にして未だ可憐。

 

 神域の魔導聖女ハティア・ウェスティアリアの姿を取った偽者が頷く。

 

「フルー。悪いですが、此処から先は立ち入り禁止です」

 

 頭部が半分無いのに何事もなく話し掛けてくる相手に動揺する事もなく。

 

 美しき少女が白いフリル付きのワンピースタイプのドレス姿で通せんぼする。

 

「偽者というよりは本人の人格の別バージョンみたいな感じなのかな? 今までの階層では守護者出てこなかったのに」

 

 自分の残った頭をポンポンと叩いたフルーがボムッと冗談のように頭部を内側から膨らませて元に戻す。

 

「……気にしないんですね。やっぱり貴女は……」

 

 ハティアの僅か哀しそうな顔に対し、苦笑が返された。

 

「僕の最も優れたところはこういうところだと思うよぅ。どうにかなる。どうにかする。どうにかできる。どうにかなってる。それが僕にとって悪いのかどうか分からないけどさぁ」

 

 最初から相手になどしていない。

 

 そう言われても、偽ハティアは首を横に振った。

 

「分かってるはずです……人は一人では―――」

 

「生きていけるんだよぅ」

 

「………」

 

「生きていけちゃうから、困ってるんだよぅ。僕は……こんなにも不完全なのにねぇ」

 

「シンアが、哀しみます」

 

「それは真実かもしれない。確かに親友一人殺して、今も心と奇跡はボロボロ……でもさぁ」

 

 初めて。

 

 本当に初めて。

 

 魔王との戦いの中ですら怒りでは歪まなかった顔に険が宿る。

 

「今の僕の胸に踏み込んでいいのはシンアだけだ……例え、君が本物だとしても……今の僕をどうこうしようなんて思わない方がいいよぅ?」

 

「怒ってるんですか?」

 

「何に?」

 

「それを訊いても貴女は……」

 

「ごめんねぇ。君が本物と変わらないくらいハティア・ウェスティアリアなんだとしても、今の僕には笑ってあげられる余裕なんてないんだよぅ。だから―――」

 

 ゆっくりとフルー・バレッサの手が虚空に何かを掴む。

 

 掴んだ瞬間にソレが生成される。

 

 カチャンと小さな拳銃の撃鉄が起こされる。

 

「しばらく、死んでてくれない?」

 

 笑顔で。

 

 優しい笑顔で。

 

 フルー・バレッサは怒りの引き金を引いた。

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