第三章インタールード4「妙なるドクトリン」
―――七教会統合戦略評価会議第三部会。
「え~では、さっそく始めさせて頂きたいと思います」
小さな作業部会が開かれた七教会支部の会議室には数人の男女が集まっていた。
主に彼らは艦隊を預かる者達という事で地位は一致するかもしれない。
その他は観測部門の政務官と戦術、戦略評価を専門に行うフルー・バレッサの高弟達の一人が白衣姿で何やら資料の準備をしているのみだ。
「この第三部会においては現在、大陸に存在する艦隊戦の基本戦術、基本戦略に付いての経過報告と年度別の変質と経緯に付いて……まぁ、いいでしょう」
司会役が堅苦しくなったらしく。
ネクタイを緩めた。
「分かっているでしょう。我が七教会の艦を預かる者達。その長の長たる彼方達には正しく神に説法するようなものだ。そうです……この大陸に現われた新たな艦隊戦の形態に付いてです。人の叡智の中で最も高度で普遍化される事が決まっている技術を用いて製造された巨大な装置。星削る威力を得た動く城たるモノ。七教会が長らく技術秘匿してきた宙域航行艦(スペトゥム・アパラトゥス)。その波は早くも我々が思ってもいなかった戦力を生み出したのです」
彼らが見つめる中央の虚空に巨大な四十隻程の艦隊が浮かび上がる。
一際大きな三つのドッグ艦に旧い時代の兵科を思わせる其々の役割を持つ類別毎の艦影。
それは仮面絶神戦争において西部の亜人国家。
アルヴァス亜人国が七教会から流出した技術を元に作成された【崩燼機関】と呼ばれる無限機関を軸に南部の大帝国イグニシア・クルシスや衰滅寸前の魔術結社、魔王の娼婦達の助力を得て完成させた一つの芸術だ。
全体的な総合力では未だ七教会の船に及ばないとしても、艦隊として独自の戦術・戦略に基いて製造されたソレは一部彼らが保有する既存艦の能力を確実に上回る。
七教会の船でも未だ最新鋭艦にしか装備されていない転移爆撃砲を積んだ三次元戦闘に対応可能な船というだけでも脅威ではあった。
が、それよりも何よりも七教会の一部人員を驚かせたのはその運用思想だった。
自分達よりも圧倒的に強く物量によって全てを解決する相手に対しての連続戦闘、連続稼動を実現し、処理能力を超えない限りは内部の人員が磨耗し切るまで戦い続けられる艦。
これとよく似た武装を七教会は数十年前から使っている。
言わずと知れた彼らの象徴の一つ。
【高格外套(ソーマ・パクシルム・ベルーター)】
無窮連戦可能な補給要らずの対魔王汎用兵装。
アルヴァスの艦隊は正しくソレを普通の人員が使えるようにして肥大化させたような戦闘システムと同じような運用思想を前提としている。
外なる神という極めて侵食能力の高い敵との超重物量戦。
正しく星を砕くような攻撃が当たり前のマクロな艦隊戦。
それを七教会ではなく。
西部の亜人国家が遣って退けたというだけでも思わず目を剥くのは当然。
それが例え、多くの尽力があった末の事だとしても、一度作られてしまった艦隊のノウハウは絶対に流用される。
これは今まで七教会が有してきた空飛ぶ船という機密の固まりが単なる一戦力にまで陳腐化された挙句。
殆どの戦略的、戦術的、政治的、技術的優位性が薄れていく事を意味する。
まだ、その階梯に届く国家は殆ど無いとしても、それは時間の問題となったのだ。
これは大陸の空を善人面で占領していた彼らの権威の失墜をも意味する。
それは七教会の影響力の目に見える低下であり、他国からの侮りや反抗の狼煙としては十分な薪だろう。
「【崩燼機関(ソルヴァス・エンジン)】を既に亜人国は造らない旨を他国に伝達していますが、彼の国が機関を作らなくとも、無限機関なんて何処かの国が本気で造ろうとすれば作れる程度の代物でしかない。問題なのは七教会が先を越された事それそのものと言えるでしょう。理不尽な物量に対する艦隊戦による徹底抗戦、遅滞戦術、超長期の高速三次元戦闘行動。これらは七教会でも天使の暴走や酷界との戦乱を想定していた我々には馴染みのものです」
殆どの参加者がその帽子の鍔を下げた。
「ですが、それを実戦で経験してしまうとなれば、話は別だ。酷界との関係の悪化に備えて、艦隊整備が始っていたとはいえ、それでも【聖杯委員会(ペルスヴァル)】との約定により、我々七教会は戦力を制限されていた。その隙間を埋めて下さっていた聖女様方の多くが不在の今こそ、新造艦隊の整備は急務。だが、これを後追いで行っているという時点でもう我々にはアドバンテージを期待する余力は無いと見ていい」
虚空に浮かび上がるアルヴァスの決戦艦隊が動きながら様々なフォーメーションを組んでは三次元戦闘で目標となる敵マーカーを次々に破壊する様子がリプレイされる。
世界に投石、弓、弩、魔術、銃と様々に攻撃距離を伸ばした戦い方や兵器は出てきたが、転移爆撃砲による遠距離への威力直接投射はそれを上回る大転換を戦場に立つ者達へ要求する大問題として扱われているのだ。
艦隊のあらゆる方角から攻めてくる敵が次々に識別され、個体を分類、危険度と重要度別に判定されて即座、攻撃の対象となる。
攻撃終了までの時間が一秒要らないというのだから、転移爆撃砲が如何に優れた兵器である事かは誰にでも分かるだろう。
何処から攻めてくる戦力だろうと艦隊に迫れるのは秩序だった動きをする戦力などではなく。
単純で純粋な物量と数量という壁によって砲爆撃をものともしない突撃し続ける存在のみ。
その人類が持ち得る最新にして最高の暴力でもどうにもならないという相手が出てきて初めて艦隊は艦単独を兵卒のように扱い。
諸兵科連合のように分業し、独自の性能を発揮し始めるのだ。
「これは開発部門の方に用意して貰ったシミュレーションの一部ですが、彼らは自分達と同等の能力。もしくはそれ以上の敵に対しても絶対に時間が稼げる程度の練度と数多くの現代的、先進的な戦術プランを志向していると結論されました」
資料が幾らかペラペラと捲られる。
「まず最大の特徴は彼らが我々と同じく。転移を多用しながら高速回避運動、転移位置への飽和攻撃による面制圧、敵司令部機能への直接打撃等々の先進現代戦術に特化しているという事です。その上で彼らは転移爆撃砲という叡智が効かない強大な敵との戦闘を前提としており、艦隊を形成する船を多機能化するのではなく、専業化させた。これはたぶん物資面、技術面で恵まれていない国家が今後艦隊を整備する場合の基本指針となるでしょう」
「そう単純に続く国があるとは信じられないが……」
列席者達の一人が呟き。
他の者達も僅かに艦が込むような素振りとなる。
「我々のように何でも揃っている環境に無い国々がそれでも我々と同等の戦場へ上がる為にはある程度の妥協が必要なはずです。ですが、この妥協を潜り抜けて尚、彼らが示した実績は大きい。それを誰も真似ないという不合理こそ信じられないのでは?」
「ぬぅ……」
僅かに呻くような声が周囲をざわつかせる。
「あらゆる空間に攻撃をピンポイントで投射可能な転移爆撃砲という兵器。それを守護する外殻たる船。本体は転移する事で如何なる攻撃をも回避し、間合いを征するようになった。これは言わば、巨大な多人数で操縦する新式の【高格外套】なのですよ。彼らは小さなものではそれを実現出来なくとも、大きなものでならば、我々の技術力に追い付いてきている……それを過小評価するべきではありません。無論、過大評価しろと言っているわけでもありません。事実として可能性の高低をお考え頂きたい」
「………」
「未来兵器と言うべき転移爆撃砲を掻い潜り、船体への直接攻撃が可能な敵に対しての対応や敵戦力中核への打撃力に転移爆撃砲で事欠いた場合の対処能力。それで我々は上回られてしまった。これはもう事実なのです。如何に我々が高格外套を保有しているとはいえ、これから艦隊を整備する者達が高格外套役を超越者達へ回せば、後は純粋に兵器の質と運用人員の差が我々と彼らの直接的な違いとなるでしょう」
「彼らとの差は具体的にどれ程と見積もりを?」
白衣の男が肩を竦める。
「今までなら数十世代先に我々は立っていると言えたのが今では数世代。それも3、4世代以内に収まっているという感じでしょうか。先行分は当分揺らがないでしょうし、質、量共に我々が先んじている。だが、それは戦術や戦略で埋められる差でしかない。これまでの落差が絶対で、今は鉄壁止まりと言えば、的確な表現でしょうか」
「ふむ。だが、我々も進歩し続けるなら、それくらいは“鉄壁”ではなく“確実”の域に留めておけるのではないかね?」
老年の息に差し掛かった制服姿の男が発言すれば、それに同調する者は複数。
「確かにその理屈は未だ有効でしょう。利に叶っている……だが、高度な兵器体系を有した者同士の闘争は一定の水準からは千日手になるパターンが多い。だが、それを人が兵科というものを意識し初めたような時代から受け継がれている要素を取り入れる事で防いでいる。戦列歩兵代わりの盾の艦が艦隊攻撃でも止められない敵を受け止め、騎兵代わりの突撃艦が相手の中核を浸透強襲、迂回突撃で打撃。砲艦は其々の相対する敵戦力に対し、最適なタイミングで攻撃し、処理能力が飽和して撃てなくなる状況に陥るまで砲撃を止める事が無い。そして、それら全艦を補修し、最速で戦場へと戻す野戦病院の如きドッグ艦までいる。彼らは全ての能力を万能に持つ艦を造る技術は無くても、全ての能力を艦隊としてなら同等に持ち得るようには出来るのです」
「我々が一週回って原始的な戦術や戦略が通用するようになる艦隊戦で敗北する、と言っているのかしら?」
穏やかな女の声に白衣の男は頷く。
シミュレーション結果と題された文字列と数字が参加者全員の目の前に映し出される。
「亜人国の有する艦隊レベルの戦力が我々の3倍の艦数で戦いを挑んできた場合、シチュエーションを複数用意しましたが、勝敗が8割を上回る事はありませんでした」
そうしてようやく艦隊を預かる者達が重苦しい空気に包まれる。
「八割……八割か……無視出来ない数字だな」
「五回に一回負けると? この報告書を見る限り、キルレシオで1:29となっているが……」
「これはあくまで艦隊戦の結果のみを反映した場合です。これに超越者や神格、異種などの高格外套の代わりに艦の周辺に展開して戦う者達が混ざった場合―――」
白衣の男が次の資料を参加者の前に続けて数枚提示する。
「………勝率が七割五分を割る、か」
「この数値は高格外套を運用するのが【騎師(ミリス)】以外である場合です。これが七教会の最上位戦力である彼らならば、九割七分まで数値が持ち直します。彼らが数人混じっているだけでも一割以上の変動……逆に言えば、彼らの階梯にある敵がいて、我が方に通常戦力しかない場合は六割以下にも為り得る」
沈黙が降る中。
四十代程の声が異論を唱える。
「だが、現実的に艦隊整備となれば、出来る国家は限られる。そして、その国家が何度も艦隊戦なんて出来るはずもない。どんなに戦力を用意しようが数回が限度だろう? その数回に全て【騎師】を投入するというのは現実的な回答では?」
「残念ですが、その場合、相手の大半は確実に聖女様クラスの人材を宛がってきます。そして、今現在、七教会にいるのはミュルト様のみ……その“数カ国”の現在の国力とこちらが把握する戦力を足して、同時多発的に大陸中央諸国との間に先端が開かれ、艦隊戦が発生した場合のシミュレーション結果は既に出しております。優勢、劣勢、拮抗、シチュエーションは現実に即して複数案用意しましたが……芳しくありません。優勢で九割三分、劣勢で四割二分、拮抗で五割五分となりました」
「原因の洗い出しは?」
具体的なところは既に詰められた情報が出揃っているらしく。
すぐに新しい情報が全員の前に提示される。
「これは……意思決定速度に問題があるのか?」
白衣の男がその声に頷いた。
「はい。体質的なものです。我々七教会は万能である事を自負し、そう在れとしてきました。であるが故、選択肢が多い。それは艦隊戦でも同じです。だからこそ、意思決定の時間で彼らに劣る可能性が最も高い不安要素となりました。それは戦術的にも戦略的にも致命だ。巧遅が尊ばれていいのは絶対的な差があればこそ。悠長にしていては置いていかれる。既存の戦術や戦略が取り易く。それが正しいかどうかは置いておくとしても、即座戦略戦術的な意図を持って行動を開始する統率力と素早さは侮り難い脅威だ。我々七教会が施すような高度な教育は出来ずとも、其々の専門知識を極限まで叩き込まれた相手が束になって掛かってくれば、我々は決して無傷で倒せないでしょう」
全員が脳裏に思い浮かべた言葉を最も年嵩な制帽を深々と被るパイプを加えた初老の男が口にする。
「“戦争になる”か」
『………』
誰も冗談を口にする者もなく。
その場で思った事だろう。
彼らにとって、それこそが致命である事は。
七教会が時間を掛けて戦乱を大陸から駆逐して今の時代がある。
その中で当の本人達の中身は大陸中央諸国からの人員が五割近くを占める。
更にエリート色の強い部署や官職ならば、大抵はアルヴィッツを初めとした周辺国の人間だ。
彼らは国家と七教会が築き上げた精粋たる人格と資質と後天的教育を得た生粋の子羊と言える。
だからこそ、優秀であり、何者にも負けぬだけの力を得た。
だが、それこそが彼らの弱点である事を一応は誰もが自覚する。
現実に大陸地方の諸国がどれだけの“酷さ”を抱えているのか肌身に感じて知っている中央の人間は少なく。
逆に知っていればこそ、“戦争になる”事への深刻さを増す。
艦隊の人員の殆どがそうであろう事は疑いようも無い事実だ。
何故、ソレほどまでに彼らが憂慮しているのか?
自分達よりも余程に弱く、知性が劣り、道徳心に満ちておらず、非合理や不合理な行動をしてしまう輩相手の“戦争になる”という局面に苦い顔をせねばならないのか?
「……思えば、七教会も随分と酷な事を地方に強いてきた」
それは単純に彼らが圧倒的に劣っているものを戦う相手と比べなければならないからだ。
「司令……それは……」
女の声が言い澱み。
初老の男がパイプを燻らせ。
大きく溜息を吐く。
「嘗て、ワシはマディクト先生に言われたよ。惨劇の隣人と平和の隣人。その差こそが我々と彼らの差であり、我々が絶対でない限り、其処にある溝を挟んで対峙した時、“負ける覚悟”で我々は決して彼らに勝てないと」
反論の言葉は誰かの口には上り掛けたが、結局出てくる事は無かった。
「何も艦隊の話だけではない。我々は勝っている。今も確実にそうだろう。だが、それは絶対でなければならない。何故ならば―――」
その言葉を引き継いだのは白衣の男だった。
「絶対者と強者の間には隔絶した扱いの違いが発生するからだ、ですか?」
大きく頷きが返される。
「……七教会はこの大陸に救い、平和、平等、多くのものを齎してきた。だが、それは強者から与えられるモノであってはならない。絶対者が定めた運命でなければならない」
初老の男が苦く口元を歪め。
何処か遠くを見つめながら何かを思い出すように目を細める。
「我々は幾多の優劣において絶対の域にあったからこそ、大陸を未だ【近代化(レボリュション)】という波に巻き込めている。我々は王や皇帝、極大の力持つ超越者、そのような者とは違う“一般人”で“平民”で“国民”で“納税者”で“普通”だ……しかし、彼らよりも個人的に劣っている事はあるが、組織的には上回るだけの優秀さを兼ね備えている。だが、だからこそ、大陸地方の人々。いや、大陸の大半の国家に住まう大半の国民よりも圧倒的に“負けた回数”が少ない」
女の声が僅かに溜息を吐く。
「反骨精神くらいはあるつもりなのですが、ね……」
「潜ってきた修羅場の数は負けませんよ」
そう応える男の声に初老の男は頷く。
「そうだろう。我々は経験豊富だ。だが、そうだな……君達は何の力も無い幼子が刃物を持った男に立ち向かうという事があるとすれば、どう思う?」
初老の男の言葉に言われている事を半ば理解した誰もが沈黙した。
「我々は大人だ。そして、刃物を向けられれば、法律、武力、様々な自衛手段を誇示し、思い付き、実際に行動へ移すだろう。それは確実とは言えないまでも刃物を持った相手を怯ませるかもしれないし、実際に撃退するかもしれない。だが、大陸中央以外の諸国の場合はそうも行かない。そして、その刃物を持った男がもしも我々ならば、其処にある我々の葛藤は……刺されるまで己を不動と化し、重症を負う要因となるかもしれない」
『………』
「刃物を持った男を前に幾度幼子は死ぬだろう。そして、幾度男から逃げ抵抗し殺すだろう。死なないのならば負ける度にその子は何を学習するだろう。子供を殴り付ける親と殴られる子供の関係はやがて幼子に強く強く拳を握らせるはずだ。負ける覚悟があるならば、殺される覚悟があるならば、その子は親を殺すに躊躇するか? 酷い話と思うだろうが、本質的に我々は恵まれていて、優良で、大人で、何よりも押し付けるばかりで、殺してやると面と向かって言われる事に慣れていない」
『………』
「君達ならばどうする? 背後には守ってくれる大人もいない。今日の食事もない。手足は襤褸屑のようで。目も霞み。耳も遠い。だが、その握り締めた拳が相手に通用するならば、己から全てを奪っていく誰かを倒せるなら、戦いを挑むしか生き残る術が無いなら、君達ならばどうする?」
『………』
「今まで積み上げてきたモノの差が最後にものを言うのが戦場だろう。しかし、積み上げてきたものが一瞬で無為に帰すのもまた戦場だ。可愛そうにと憐憫の情を見せ、躊躇した時、君達の喉笛を噛み切り、心臓を貫き、腹を貫くのは必死に戦う幼子なのだ……たぶんは、な……」
静まり返った会議室には未だシミュレーションの映像が複数映し出されている。
「本来、このような事を言わせない為の七教会であった……だが、七聖女様方がご不在の今、老体として我が同胞に言わねばならない……」
司令と呼ばれた初老の男がパイプを灰皿に置いた。
「躊躇せず。蹂躙せよ。その時、我らの敵は決して愛するべき隣人でも、教導するべき後輩でも、いつか手を手を取る仲間でもなく……我らから全てを奪おうとする凶暴で悪辣に過ぎる脅威なのだ」
『ッッ』
「我ら只人(ただびと)なれば、須らく聖人に非ず」
その言葉を前にして会議に集う者達はゆっくりと足音を聞いた。
それは戦乱に向かう者達が確かに聞くだろう音色。
どんな時代のどんな国のどんな軍人だろうと逃れられない。
破滅と死の旋律。
覚悟を背負った時。
多くの国家の軍師が、将軍が、国王が、皇帝が、貴族が、隊長が、いつか感じた代物。
「……司令。この場で最も歳の低い者として一つ反論を申し上げたい」
己で言う程には未だ若者。
まだ三十後半という男が挙手する。
「ははは、“学生さん”か。では、君の意見を訊ねよう」
「司令の年代の方々の見えているものを尊重する事は聊かも苦ではないのですが、もはや我々の世代的に見て、その意見は時代遅れでありましょう」
「ほう? その心は?」
襟を正して立ち上がる彼の瞳は清んでいた。
「司令の仰っていた事は事実でしょう。ですが、その事実は少なくとも三十年は前に吐かれるべき言葉だったと思います」
「今の君達の世代ならまた別の回答があると?」
「確かに大陸中央諸国は理想論を体現してきた事は疑いようもない。しかし、今の我々よりも下の世代はそこまで達観してられる程、お利口でもないのですよ」
「達観、達観か……ふむ」
僅かに考え込む声。
「きっと、私よりも上の世代の方々は現実として数多くの今言われたような話に通じる実体験をしてきたのでしょう。ですが、現在の中央諸国はそれすらも時代遅れと断じる層がおります」
「時代遅れ?」
「我々は優秀だ。優良で善良で道徳心に満ちており、そこに驕りがあるという事実を認める事すら出来る程度には……綺麗事を体現し、真実社会の中で確信している」
「何を?」
「人は誰かが言う程悪くもなれないし、また間違っている事を正せもしない。そして、それでも進まねばならないという事を、です」
「………」
「このような話を狂人の思考と呼ぶ学者や著者がいるのをご存知ですか?」
「狂人の思考?」
「今の若者達の誰に聞いたとて、今司令が言った事に理解は示せても賛同はしないでしょう。また、その“綺麗事を言えないのだ”という意見に対して絶対に反論が返るでしょう」
「どのような?」
「大陸中央諸国は聖女様方の庭のようなものです。そして、我々は人間として数多くの人々がより良く在れという願いから生まれた社会を苗床にして育った。善良である事。悪徳を諌める事。合理的である事。数多くの意見に耳を傾け。その中で最良を求めていく思考」
「………」
「我々は司令の年代の方々程、七教会を妄信しておりません。また、七教会が最善の組織だとは思っていても、賛同出来ない事もあると感じております」
「それの何処が狂人の思考だと?」
「確かに司令の言われたように七教会が行ってきた善行の在り方は世に歪みを孕ませた。ですが、そこで司令の年代の方々は時代が止まっていらっしゃる。我々は七教会すら間違う事があると考えます。我々は七教会が求めた時代の寵児でありながら、七教会を全肯定出来ません」
「ほう?」
「七教会が求めた善良な人々を体現していながら、我々はその善良さに一抹の疑わしさを感じる。今の社会が生み出したはずの我々がその社会に疑問を持っている。我々は圧倒的に地方諸国の常識に疎く。また、数多くの非合理、不合理、人道的ではない行動に眉を潜めますが……それと同時に“大人達”がその地方諸国の人々と一つの輪のように、あるいは表裏あるカードの如く、被って見えるのです。善く在ろう。良く在ろう。司令の年代の方はそう己に唱え続ける僧侶のようにも見えて、漠然と己とは違う人種だという感覚を覚える」
「君が何を言いたいのか分かってきた……そうか。いつの間にか我々も……」
「司令。最後の一線において我々はもはや本質的に滅びすら計算の内に入れます。失いたくないと思いながらも、それが現実だと受け入れられる。我々の世代は“綺麗事の為に死ねる”程度には善良で、その綺麗事を唱える七教会に疑問を持ち、社会を設計した人々が思っているよりも人間として“歪んでいる”と思われます」
「我々が求めた社会や人々が、その先にいるのか……もう……そんな時代に……」
司令と呼ばれた男が帽子を僅かに下げる。
「自分には息子がいるのですが、いつも言っていますよ。正しい事を自分で見つけなきゃと」
「それを見付けた時、その確信が破滅をも肯定すると言うのかね……若き司令よ」
「思うに今の若者達は誰もが誰かの正しさではなく。己の正しさを求めています。その結果として己が破滅するのなら、それでもいいという……そう肯定出来る者はもう社会の一定層と化しているでしょう。革命闘士などはその手の層が良くない方向に流れている為に拡大したと自分は思っています」
「……若い。いや、危うい。そう諌めるべき大人が前言(きれいごと)を撤回したんだったな……」
その笑みは苦く。
しかし、何処か寂寥も感じさせて。
「司令。このような狂った世代に生きる若輩からの提言はこうです」
若き司令と呼ばれた男は敬礼する。
「我らは我らのまま。我らの望む善良さのまま。自らの正しさに恥じる事無く。一欠けらの背信すら戒め。躊躇なく敵(かれら)に情けを掛け、彼らの誇り高い敵対行動(じえいこうどう)に敬意を表し、いつものように同胞(なかま)を温かく迎え入れるよう会談の場を準備し、彼らの意見が変わるまで無限回だろうとも話し合える支度を整えましょう。我々は七教会……七人の聖女様方をお支えする名も無き歯車。全知全能の神すら屠り、頑迷なる時代を瓦礫と化す、良識の徒であります!!」
善意の先鋭化。
それも全うに疑い。
全うに考え。
その上で己の道と断じられるならば、其処に命を掛ける。
それが“常人”と化した世界。
これは昔ならば、単純な例えとなっただろう。
一皮向けば、地方諸国の流儀に習い敵を皆殺しにも出来るだろう同年代達とはまったく一線を画した若者に……初老の男は己がそろそろ時代に取り残される遺物の類になりつつあると自覚した。
「妙なる者。君はまるで聖女様方のような事を言う……いや、それこそが我らの求め続けた世界の在り様なのかもしれんな……」
自問自答するよう呟いて。
過去なら聖人と讃えられただろう“一般常識”を語る後輩を前に。
初老の男は深く息を吐いた。
「……いいだろう。では、決を取ろうか。我々の基本指針に関する彼の意見をこれから重要な位置付けに置くかどうか。我が意に賛同する者は挙手を。彼の意に賛同する者は沈黙を持って応えよ」
一秒、二秒と時が経ち。
十秒後。
七教会の一部署において極めて重要な指針が決定された瞬間。
初老の男は帽子を脱いで学生さんと呼んだ男にそれを渡す。
「司令。此処からは君がリードしたまえ。私は少し煙を吹かしてくる……」
「帰りをお待ちしております」
「ああ、しばらくしたら戻るよ」
一つの時代が終わり。
一つの時代が始った日。
七教会における聖女と超人達を除けば、常人達の持つ最大火力。
惑星すらも滅ぼすだろう艦隊を統括する長達は……一つの決定を下した。
それは確かに七教会が求めてきた善良さを体現しながら、今までその中身の当人達が決して全うに行おうとは思わなかった綺麗事に違いなかった。
常識の押し付け。
それも七教会内ですら常識とは言えない夢想家の如き談話。
もはや先鋭化した非常識と一部の者から批判される事になる基本指針は厳かな旧き教会の説法にも似て……この状況下でも七教会はこう言ってのけるのかと驚愕と畏怖を持って迎えられた。
曰く。
―――彼らの寝床を我らの傍に拵えよ。
―――言って聴かせるのに我らは剣を取らず。
―――時に頬を打つも、まずは幾億の詩を折り重ねよう。
後に彼らの愚昧で崇高で高慢で歪んだ決定はこう言われる事となる。
如何に超大な敵戦力を前にしても傲岸不遜、一指不動の融和を説く。
これぞ世を束ねる組織の決して揺らがぬ大戦略。
妙なるドクトリン、と。