第二十八節「新たなる仲間:後編」
「困りましたね……」
そんな悩ましい声がイファラナ環状街の南部。
物資保管用の赤煉瓦倉庫が立ち並ぶ埠頭のベンチで呟かれていた。
「手掛かりは無し……これは本格的に誰かの助けが必要だろうな」
灰褐色の一枚岩が無数に敷き詰められて出来た石畳の上。
夕暮れ時になろうという時間帯。
お手上げと表明したリュオとイフィーを前にイルトが僅か視線を俯ける。
「ピアリが消えて一日。本当に何処かへ消えちまったって言うのかよ……」
「確実とは言えないが、何らかの転移手段によって連れ去られたと見るのが妥当だな」
「それって!? 七教会か!?」
「いいや、七教会で我の周囲にいる人物にそんな芸当が出来るのは一部の者達だけだ。七聖女クラスの力があるか。または余程に特殊な技能や能力を持つ個人。超越者にしても頂点に立つ上澄み層くらいだろう」
「じゃあ、誰が一体ピアリを……」
灰金の髪の少女が目を細める。
「たぶんだが、我の予想が正しければ、この階層の主。守護者だ」
「それって偽の七聖女って事か?」
「ああ」
「まさか、これが試練とかなのか?」
「可能性は高い。もしかしたら、ピアリを見付けて、その何処かの迷宮を攻略するのがそうなのかもしれん」
「一体、どうすれば……」
若者達が深刻に事態を受け止める中。
リュオが眼鏡を外して、額を揉み解してから二人に向かい合う。
「では、我々の伝手でこの状況を打破出来そうな手札が無いか確認しましょう。このようなパーティーの分断は死活問題ですが、自分達だけでどうにかしようという事に拘り過ぎて対処方法や対処の限界時間を見誤るというのはよくありますから」
その言葉にイフィーが頷く。
「そうだな。此処はリュオ先生の言葉に同意しよう。で、リュオ先生は此処で切れるカードが何かあるか?」
「……個人的な友人知人はこの天蓋蒼星(メイズ)にもいるのですが、彼らが直接的に現状を打破する為の鍵になるかと言えば、無理でしょう。ただ、一つ可能性を模索したいと思う事が一つ」
「ほう? それは?」
「昨日、出会ったと言っていたベリアステルの方ですよ」
「そういう事か……」
「一体、どういう事なんだ!? 師匠!!」
喰い付くイルトにリュオが考え込んだ様子ながらも視線を向ける。
「北部三国と呼ばれる大陸北部の支配者達。その三つの国の一つ。ベリアステル聖神使国は大陸中央諸国においては……いえ、大陸のあらゆる国家において、その内実がまるで謎とされる軍事に極めて秀でた女系法術師国家とされています」
「法術師? それって、あれか? 魔導の昔の呼び方で、確か神様の力を主に使うんだよな?」
「ええ、それで合ってますよ。イルト君。問題は彼女達が他国から見れば、極めて強い力を持つ大魔術師の集団である、という事なのです」
「大魔術師って……確か大陸でも数千人しかいないんだろ?」
「いいえ、それは表向きの話ですよ。実際にその階梯にある術師はベリアステルにおいてなら成人以上という括りを付けて数億人です」
「な?!」
思わずイルトが驚く。
大魔術師なんて今時の大陸中央諸国では黴の生えたような称号にしか過ぎないが、それでも過去の歴史上数多くの偉業を成し遂げてきた者達というのが常識なのだ。
それと同等の階梯にある者が数億人なんて話。
初めて聞く話に違いなかった。
「彼女達は血統を統合し、あらゆる叡智を共有し、内部で互いに競い合い、家族を軍の戦闘単位の一つとして位置付け。神の力を使って物資を蓄え。通常の社会的な発達とはまるで違う道を歩んできた神の実験場の申し子達なのです。実際に戦えば、一国で北部どころか大陸全土を手中に出来る可能性がある唯一の存在と言ったら、どれだけヤバイのかは君にも分かるでしょう」
「マジかよ……」
イルトはそんな何処かの三文小説みたいな、という言葉を内心で飲み下した。
それもそうだろう。
極めて師の表情は真面目だったからだ。
「まぁ、そのせいで大陸中央で彼女達の評判は最悪ですけどね。外交的に他国の論理で一切動く事が無い上、現在は反七教会派に属し、女性の権利向上を鼻で嗤うような環境に置かれていても、それに対する批判なんて歯牙にも掛けない。国際的には傍若無人で通っていて、国外に出国するのは大使以外だと極めて強い力を持った極小数の術師のみ。分かりますか? この意味が」
「つまり、あの昨日出会ったベリアステルのおっさんは物凄い奴って事か?」
「訂正しておきますが、その方はお嬢さんだと思いますよ」
「は? いや、百歩譲ってもオカ―――」
リュオがイルトを制止する。
「それ以上はいけない。言ったでしょう。彼女達は【女系法術師国家】なのです」
「女系って、女ばっかりって事か?」
「いえ、基本的に女性しか生まれてこないという事です」
「は?! いや、その……どうやって子供作るんだよ?」
「まぁ、そこら辺は彼女達の独特の社会形態と技術に拠るので省きます。とりあえず、イフィーが気に入られたという事なので一度会って話してみる事にしましょう。何かピアリ君を助ける力になるかもしれない」
リュオがイフィーの方を向いて訊ねるまでもなく。
彼女もまたその言葉に頷いていた。
「話には七教会の高格外套を軽く捻ったという事も聞いた。事実であろう事は疑う必要も無いだろう。準備無しなら我より強いのは確実。頼ってみようか」
「居場所に付いては?」
「大まかには聞いている。情報収集後、このイファラナの下にあるという施設を訪ねよう。有名人のはずだ。そう居宅の正確な位置を突き止めるのに時間は掛かるまい」
彼らが程無く周辺の人々に畏れられている異邦人の住処を突き止め。
確かに存在する浮数十km下の浮島を向かうのはそれから二十分後。
ほぼ自由落下による移動に涙目となる少年が悲鳴を上げたのは極めて状人的に正しい反応に違いなかった。
*
―――我らは力の限りに懲罰する。
―――遍く威光に頭を垂れよ。
―――偉大なる祖国は不滅の化身。
―――儚き命を導きし、永劫不変の大国家。
―――狂える者も仰ぎ見る。
―――案山子に劣る敵さえも。
―――極の西から東まで。
―――讃えよ、称えよ、湛えよ。
―――歓喜の声にて凱歌を祝え。
多重に重ねられた歌が聞こえていた。
オーケストラにも似た重厚過ぎる管弦楽の伴奏を伴う勇ましい行進曲(マーチ)だ。
世俗に塗れた兵隊も規律とコレを叩き込まれては直立不動。
そうならないとしたら、正しく不適格者。
懲罰されて営倉入り確実だろう。
それはどんな国でも大抵同じ。
それこそが世の習いと言える。
しかし、現在その音色が響かせるのは教会にも似た礼拝堂を持つ凡そ半径200m程の真円上の浮島……その上での事であった。
これが渋く深いバリトンボイスならば、拍手喝采小銭だって投げられるのだろうが、事実は小説よりも奇也どころではなく。
演台が横に片付けられた舞台に立ちソプラボイスを響かせるのは十歳程までの子供達だった。
これが軍国主義万歳な国家なら感涙モノだと普通の大人なら感心するか感動するかだろう。
だが、残念な事に大陸中央式の教育をガッツリ受けているイルト・イナーシタは子供がそれこそこれから兵隊を死地に赴かせる為に使われる軍楽隊御用達の歌を立派に謳い上げる年下の様子にドン引き。
地方の愛国主義を教育に組み込む国家ならまあまあ在る話だと理解するリュオは胡乱な瞳。
そもそも地方の中でも他と比べて貧しい国家が多いと言われる北部の出で軍国主義や王侯貴族の超階層社会が生まれ付いてから当然だったイフィーは立派なものだと感心してはいたが、それが天蓋蒼星内での出来事というだけで神妙な表情となっていた。
スッと子供達の歌が止まり。
三人が三者三様に拍手だけはする。
演台の上で白と淡い紫色の法衣のような貫頭衣を纏った少年少女達は初めての拍手に何処か嬉しげな顔をして頭を下げ、静々と横壁に開いた小扉を潜って退出していった。
「まずは歓迎して頂き感謝を表する。ルーティスハーク・エオ・クラナリア女史」
年齢不詳の妙に優美な眉をした全身筋肉ムキムキマッチョな金髪ポニーテールのおっさん。
というか女性であるらしい彼女。
ルーティスハークを前にしてイフィーが頭を下げた。
「いや、あの子達の実力だ。本来なら歓迎用の歌を用意したいところなのだが、皆歌を始めたばかりで覚えているのがあれしかなくてね」
「いや、お心遣い痛み入る」
リュオが子供達が退出していった方をチラリと見てから、礼拝堂を見渡した。
それなりに大きく。
造りは教会と然程変わりない建造物は外こそ純白の壁だったが、内部は板の木目も美しい温かみのある造りで演台奥の壁際には聖硝子(イコン)のような硝子絵ではなく。
巨大な白銀色のパイプが一面に張り巡らされたオルガンが鎮座していた。
今まで一人手に魔術で鳴っていたソレは現在停止していたが、普通の楽器の演奏とは違う音色は何処までも神秘そのものを織り込んだような艶美な代物だったのは間違いなく。
演奏者ならば一度は聞いてみたいと思うに足りる一品だろう。
長椅子が並ぶ最中。
立ち上がったルーティスハークが教会から出ようと歩き出した。
それに付いていく三人は最初に来た時も見た教会横のかなり大きな孤児院前で子供達が先程の一張羅も脱いで元気に砂場や小山で駆け回り、遊具に興じる様子に目をやった。
先程まで一糸乱れず声を揃えていた相手とは思えないくらい、その姿は溌剌としている。
だが、よくよく見てみれば、子供達のやっている遊具が魔術具の類であり、安全には気を付けているとはいえ、何かしら軍事訓練用の代物だと言うのが分かるだろう。
剣術ごっこをしている男の子は模擬刀を構えるのが様になっているし。
女の子達のしているママゴトに使う小道具は魔力が込められているらしく。
上手く魔術師としての技術で制御しないと勝手に動いたりして大人しくはしていてくれないようだ。
他にも乗る類の遊具は普通に魔力を込めれば低空を飛んだり、普通の馬のように振舞ったり。
追いかけっこで姿が消える子や捕まえるには速過ぎる足の子もいる。
そういう相手を何やら邪眼の類か。
視線に込める魔術の類で止める様子すら観察すれば理解出来る事だろう。
「君達が来た理由は知っている。あのお嬢さんの事、でいいだろうか?」
「話が早くて助かる……そうだ。単刀直入に訊ねたい。あの者の居場所もしくはその手掛かりを知らないか?」
ルーティスハークが肩を竦める。
「知っているわけではないが、予測は出来る」
そして、子供達の方に近寄っていくと。
ヒラヒラと手を振って微笑む。
「子供を育てる時、彼らに最も持っていてもらいたいものを使えば、容易に分かるはずだ」
「持っていてもらいたいもの?」
思わず何を言われているのかが分からず。
イルトが後で呟く。
それに振り返った彼女が掌を握ってから開くと。
そこには小さな飴玉が一つ現われる。
「誰もが持っているものだ。しかし、誰もが上手く使えるわけではない」
そっと、黄金色の半透明なフィルムに包まれたソレがイルトの前に放られる。
思わずキャッチしようとした彼が微妙な表情となったのも束の間。
ズシンと思わぬ程の重さが手から伝わって、足が踏鞴を踏む。
「可愛い少年。君は今どうしてソレを受け取ったのだ?」
「は? いや、だって、放られたからつい反射的に……」
「だが、反射的にと言っても君は今、それが飴玉だと思ったからこそ受け取ろうとしたはずだ。これがもしも手に収まる爆弾の類なら受け取ろうとしたかな?」
「そんなわけないだろ。って、もしかして……」
「安心していい。それは正真正銘、我が国の飴玉だ。主に数十時間舐められる兵糧の一種だ」
「兵糧って、軍事用なのか……」
思わず受け取ったものを凝視してしまうイルトが此処に来てからそこはかとなく気付いていた事を裏付けられて、微妙な表情を作る。
「君の想像は正しい。此処は我が祖国の外で言うところの軍事訓練を幼少期から施す場所だ。孤児院としての機能はどちらかと言えば、常識的な範囲で外の人間にも分かり易い“家”という概念を表しているに過ぎない」
「あ、あんた、孤児院でそんな事してるのか!?」
「ああ、そうだ。此処の子供達は全て一定年齢に達する頃には大人一人を軽々と超える実力を備えるだろう。それこそ訓練していないような輩や超越者なら数人相手にしても圧倒的力量差で圧殺出来るような力を得る事になる」
「な、何でそんな事してんだよ?!」
イルトが思わず訊ねる。
これにルーティスハークは三人を先導して浮島の端へと歩き始める。
「我が祖国ベリアステルは軍事国家。いや、軍営国家の側面を備える他国家とは明らかに異なる社会形態の集団として悪名高い。大陸中央諸国の大半からは“女性の人権蹂躙最前線”だとか“ならず者国家”とか“因習の虜”とか“悪逆非道の大国”等と呼ばれていたりする」
「?!」
「ワタシが“りくるーたー”という話は聞いていただろうか? 通常の場合、最初から戦力となるものを集めるのが、今の言葉の本来的な意味では正しいだろう。だが、ワタシの任務は単なる軍人崩れや力のある実力者を国の傭兵にしようとしているだけに留まらない」
「……子供の頃から祖国の軍人になる為に育ててるって言うのか?」
イルトが僅かに目を細める。
「そうだ。しかし、君が思っている事とこちらの事情は幾つか食い違うだろう」
「どういう事だ?」
ルーティスハークが鉄柵で覆われている浮島の端。
虚空がすぐに見える場所で立ち止まる。
「詳しくは省こう。だが、大まかに言えば、ワタシの祖国において家とは軍の一単位として機能し、家族とは兵員と同義だ。そして、ベリアステルの“りくるーたー”の仕事は大抵の場合、一年に一人も勧誘出来れば、上々と言われる程度には難儀なものとして知られている。その最たる理由は純粋に我が祖国の求める能力や資質、人格を持つ階梯の人材は稀少で普通の国なら絶対に手放さないような者、と中々にして得難い人々であるという事情がある」
「……つまり、そういう人材を此処で育ててるってのか?」
「大陸中央諸国出の君が睨む理由には足りるだろう。だが、此処の子達も大抵はそうならずに巣立ち。青年乙女となる頃には此処を出て行く」
「一体、あんたは何を言いたいんだ?」
イルトの言葉も当然だろう。
いきなり始ったルーティスハークの語り。
それが何故に自分へ向けられているのか。
測りかねるのも無理は無い。
「君は此処の子供達が自分の立場を何も知らない憐れな犠牲者だと思うかな?」
「それは、だって……知らせてるって言うのか?」
「ああ、無論。此処に来た時点で幼くとも説明する。半年に一回以上は契約の更新と内容をしっかりと分かりやすく明示し、年齢が上がり知性が理解出来る程度向上すれば、それに合わせてより詳しく今の自分の状況がどのようなものかを伝える事にしている」
「何の為に?」
「ワタシはこの道でもうかなり長いが、それを訊ねられたのは君で399回目だ」
ルーティスハークがスッと浮島の終わり。
深遠を覗き込む縁に立つ柵の果てを指差す。
そちらを三人が見れば、一部だけ封鎖の途切れている場所があった。
「これが大陸で経営していた孤児院ならば、周辺の所有する土地の境にああいった柵とそれが途切れた場所を設けていた」
「?」
「嘗てワタシが育てた子の中には一人もあの先へと向かう者は無かった。この天蓋蒼星でもそうだ。それがワタシにとっての誇りであり、あの子達にとってのワタシへの評価という事だよ」
「一体、どういう? 何が言いたいんだよ?」
察した様子になる二人がまだ精神年齢的に若いと言えるイルトを後ろから何も言わずに見つめた。
「ワタシは今まで育ててきた子供達に対して契約の破棄方法を伝えている。それは死ぬか。もしくは一度でも許可無しに領域の外に出るかという事だ」
「なッ?!」
思わずイルトが目を剥いた。
「可愛い少年。大陸中央諸国の外は君が思っているよりも残酷だ。多くの場合、子供など十把一絡げでいつか大人になる動物、人間として扱わない事も多々ある生き物でしかない。無論、己の血統には人として扱う事もあるが、他人の子は物扱いなんて国も珍しい方ではない。それが見知らぬ浮浪児や捨て子ならば、尚更だ。大抵は薄汚い街の塵として扱われている。七教会のおかげでそういう場所は減りつつあるが、未だ彼らの5割程は奴隷として商人に売り買いされている。まぁ、そっちの方が幸せかもしれないというのが実情だろう」
「そんな?!! 売り買いって!? 幸せなわけあるかよ!!?」
「君は戦争孤児とか。捨て子とか。そういう呼び名の彼らがどういう生き物として最初売り買いされるのか知っているか?」
「どういう生き物?! あんた、そんな風に言っていいのかよ?!」
孤児院を経営しているという相手の言葉とは思えず。
イルトが思わず語気を強める。
「残念な事だが、大抵はまず売り買いに耐えられるかどうか篩(ふる)いに掛けられる。そこで利用価値無しの烙印を押された子供は売り買いさえされない。それは同時に彼らにとってほぼ確実に死刑宣告に等しい。何故ならば、彼らの寿命は短く。また、臓器も使い物にならず。子供を儲ける事も出来ず。病や怪我で死んでいくだけだからだ」
「―――ッ」
「それ以外の子供達は確実に幸せだ。何故なら生き延びられる芽がある。労働して食事すら手に入るかもしれない。赤子を産ませられる道具として大事に扱われるかもしれない。奴隷として教育を受け、専門の職すら与えられるかもしれない。無論、大事に扱われる事もあれば、粗雑に扱われる事もあるが……居を持たず、衣を纏わず、まともなモノを食わず、ただ路傍の石や塵として街の片隅で朽ち、片付けられるよりはマシなのだ」
イルトの喉が干上がっていた。
鳴りもせず。
渇いていくのは果たして肉体か心か。
「無論、奴隷の方が悲惨である事もあるが、それは場合によりけりだろう。大陸的に奴隷が消えつつある昨今。七教会は大規模な孤児院に彼らを収容し始めたが、あらゆる国家が彼らに賛同しているわけではない。その影響力が及ばず。孤児に厳しい国なら、親のいない子供とは人的資源ですらなく。貴重な食料の盗人で糞を垂れる肉の塊程度の意味合いしかない」
「アンタ、自分の言っている事が分かってるのか?」
「事実以上の事を言っているつもりはない。全て見てきた事だ。七教会は彼らを全員救える程の力を持っているが、国家という括りや様々な柵、自分達の政治や道徳的な立場から救えていない。それをまず批難するのが大陸中央諸国の人間による最初の仕事だとワタシは思っている」
イルトは呻くような声で僅かに靴底を地面に摺らせる。
それは前に出たいような、後ろに引きたいような、微妙な心理の均衡上にある行為に他ならなかった。
「ワタシがあの子達に持って欲しいと願うのは想像力だ。何かを思い浮かべる力。それが生死の哀しみや苦しみ、喜びや嬉しさとなり、人は豊かに生きていける。想像力無き者に未来は無い。明日の事を考え、今日備えようと思い起こさせる力。それこそが彼らに有って、今の君達に欠けているものと言える」
振り返ったルーティスハークが僅かに視線を鋭くして、順繰りに彼らを見やる。
「己の経験に寄り過ぎ、未知の危険に対して間違った類型(カテゴリ)を当て嵌める者」
「?!」
その言葉にリュオが思わず固まる。
「自らの強さを基準に他者へ在らぬ期待と間違った評価を下す者」
「………」
イフィーが言い返せずに僅か俯き加減になる。
「そして、未来を思い描かない……道徳心と己の常識に凝り固まった未知を畏れぬ愚者」
「!!?」
その男のような彼女が僅かに息を吐く。
「君達には共に会った子が今、道端で死んでいるという未来が想像出来ていない。もしかしたら、路傍の石ころのように冷えて固くなっているかもしれないという可能性が思い描けていない。それよりも悲惨かもしれない。それよりも怖ろしい目にあっているかもしれない。それは然るべき事実となるのに然して偶然を必要としない世界の営みの一部だ。人間は元来、そういった不幸が自分には降り掛からないと。そう目の前で怖ろしい事があっても、過度に慌てないよう出来ているものだが、それにしても君達はこの未知の恐怖が絶えない星に潜る星潜者(アイム)だろう? 聊かお粗末に過ぎやしないだろうか?」
誰もが沈黙せざるを得なかった。
「あの男の意思と力を受け継ぐそこな乙女よ」
ルーティスハークが近寄り、イフィーの前で顔を見つめる。
「この階層があの男の一部ならば、君はまず真っ先に彼女がいなくなった理由をあの女達の行動原理から推し量れるはずだ。ワタシは出会った事も無いが、その気配はいつだとて感じている。そして、それがどのような性質なのかは想像が付く。君達を前に姿を現さず。また、仲間を拉致するとしたら、その女は彼女達の中の誰だと思う?」
「……まさか!?」
思わず顔を上げたイフィーが愕然としたような表情となる。
「あの女の志向。常に何を好んで食べているか。そして、それが産み出せるだろう密碑はこの階層ならば何処にあるのか。調べれば分かるだろう。恐らくは最深部の遺跡だ……」
そう己の所見を述べたルーティスハークが元来た道を戻り、孤児院の前までやってくる。
そして、パチンと指を弾くと。
フヨフヨと孤児院の裏手の方から魔術で浮かばされた子が一人。
彼女の前まで運ばれ、落される。
それを受け取って三人を振り返った彼女がその自分の腕の中の頭を撫でり撫でり、己の要求を提示した。
「ワタシが君達に求める協力の代償は一つだけ。君達の旅にこの子を連れて行く事だ」
「な?!」
思わずイルトが異議を唱えようとするも、リュオに制止される。
「近頃、この界隈で見付けた子だ。極めて高い魔力と魔術の資質。また、強力な加護と武器を備える」
「シャーい?」
腕の中で小首を傾げたのは未だ年端もいかない幼き少女だった。
フッとルーティスハークが頭に息を吹き掛けると今まで何ら変哲の無い子に見えていた少女の容姿が次々に違うものへと塗り変えられていく。
「?」
そのイルトの背の半分より少し上くらいだろう彼女の前頭部(おでこ)に灰色の巌の如くそそり立つ弐本の角が迫り出し、その根元から細い同色の線が顔へ延びると途中で枝分かれして化粧のように顔を、そして首筋から身体へと伝っていく。
また、肌は人間と同じでありながらも、黒い眼球と三つに分かれて互いを食み合うような形をした紫色の虹彩、猫のように割れた眸の中心部は紅蓮に染まっている。
髪は漆黒で己の背丈より長く。
しかし、フヨフヨと地面に落ちないよう浮かび。
細い手足の先の爪は白く尖り、口元からは僅かに乳歯にしても鋭い犬歯が覗く。
その相貌は愛らしく無垢に満ちて笑みを湛え。
幼いなりにも高貴を思わせて二重の上に睫は長く。
何処か猫を思わせて卵型の顔には線は細いが圧倒的な生物としての凄みのようなものがあった。
鼻梁は整っており、小奇麗なのだが……やはり何処か小動物のようにも見えて、鼻を三人に向けてヒクヒクとさせている。
「魔族……いや、原住生物ではないとしたら、被造物か?」
イフィーにルーティスハークが頷いた。
「何処かの結社が造ったのだろうとワタシは推測している」
白と黒のゆったりとした法衣を着せられた少女がじ~~っと三人を観察する。
その首筋には銀鎖にメダルが付いたペンダントが下がっていた。
「この子だけなら此処で育てられたが、どうやら旧き神格と別ち難く結び付いているようでね。結社が何かしらの儀式術や召喚術の贄、もしくはそれ専用の術者として製造したと考えられる。一度迎え入れてから気付いたが、このままでは遠からず不幸な事になるだろう。故に君達へ預けたい。どうだろうか?」
「シャーい?」
また少女が泣き声?のような言葉でルーティスハークに訊ねる。
「言語は幼いが、直感と想像力に優れ、夜目が利き、五感は鋭く、好奇心は旺盛だ。また、簡単な指示なら言われた事を良く守る。普通に食事は出来るが排泄はしない。主食は魔力で日に常人が生じさせる5分の1くらいあれば満足する」
「名前は?」
「まだ無い。本来ならすぐに付けるが、この子の資質を考えた場合、そう簡単に付けられずいた」
イフィーがどうしたものかと思ったものの。
既に前払いが終わり、代償を提示される段になってからの交渉は無理だと諦める事にする。
「……分かった。意思決定権は我にある。その子を引き取ろう。他に注意するべき事はあるか?」
「?!?」
イルトがさすがに軽過ぎやしないかとイフィーを止めようとしたが、師に留められて思わず後を振り向いた。
「この子に憑く神格は極めて禍々しい類だ。力を使わせたいなら、注意深く時と場所を選ぶように忠告しておこう」
「了解した。で、その子はそれで納得して付いてくるのか?」
ルーティスハークが腕から降ろした角付き少女の額に屈み込んで己の額を付ける。
それが終わった後。
彼女が指を弾くと。
シュルシュルと少女を覆っていた服が解けたかと思うとその裸体に再び糸のように巻き付き。
肌着から長いソックス、靴から手袋、旅装束までも編み上げていく。
白と黒を基調とし、銀糸と金糸が二本の角を片方ずつ意匠として肩にあしらわれた法衣型の外套に短く活動的なスカートと制服のようなブレザーが合わせられ。
首元のペンダントがチャラリと鳴る。
「本来なら出て行く時に授ける物だ……お前の前途が善き道である事を願っている。我が家族……名も無き子よ……」
その慈しみと何処か困ったような笑みに今まで反対しようと思っていたイルトの口内に言葉は飲み込まれた。
コクコクと己を今まで養っていた彼女に少女は頷く。
そして、一度だけその額に口付けするとテクテクとイフィーの方へと歩き出し、その手を握って、後にいる養い親を振り返った。
「シャーい!!」
手を振って笑みが浮かべられる。
それを僅か複雑な面持ちで見ていたイルトだったが、師が己を放したのを期に少女の横まで歩いていく。
「えっと……初めまして、でいいか?」
「しゃい?」
見上げてくる眸は少女が如実にただの人間ではない事を伝えてくる。
しかし、それにも怯まず。
いや、大陸中央式の常識の中で育ったからこそ、それが人間以外だろうと平等に接し、コミュニケーションを取る事に違和感も忌避感も無いイルトは手を差し出す。
「オレはイルト。イルト・イナーシタだ」
「い、いーりゅーと?」
「ああ、イルトだ」
「イリューと!!」
「ああ……」
それから少女はイリューと、イリューととその手を取って嬉しそうに揺らし始めた。
「では、これで失礼する」
「また、出会う事もあるだろう。その時は是非、君達の話を聞かせてくれ……この煉獄を昇る者よ」
ルーティスハークが背を向けて去っていく。
その背にバイバイと手を振って。
少女は三人を其々に見上げた。
「我はイフィー。イフィー・ファサルトスだ」
「イフぃ?」
次に名乗ったはリュオだった。
「初めまして小さな道連れさん。僕はリュオ。リュオ・クルミナスと言います。どうぞよろしく」
「リューお?」
「ええ、それで結構ですよ」
ニコニコとしたリュオの様子はまるで塾を開いていた時、入ってきたばかりの子に相対する時のようだと弟子は教師としての己の師の力量を感じた。
「イリューと!! イフぃ!! リューお!!」
覚えたと言わんばかりに指差しながら名前を呼ぶ少女がウンウン頷く。
「……とりあえず名前を付けてやらないとならないな」
「ええ、確かに……先程の話からしてちゃんとしたものを付けるべきでしょう」
二人がどうしようかと軽く話し合う横でイルトがしゃがみ込んで少女の頭を撫でる。
「お前はどういうのがいいんだ?」
「シャーい?」
「その声、鳴き声ってわけじゃないんだよな……シャイってのはさすがに安直過ぎるか……」
「!!」
何やら少女の顔色がパッと明るくなる。
「イリューと!!」
イルトを少女が指差し。
次に自分を指差す。
「シャイ!!」
「え、いや、今のはさすがに安直だから、もっとこう別の……例えば、マリアとかハティアとか……大陸中央式で人気の名前を……」
思わず汗を浮かべて、新しい名前を言ってみるものの。
少女がブンブンと頭を横に振って、再び同じようにイルトと自分を指差した。
「イリューと!! シャイ!!」
「「………」」
「?!」
その様子に後からの視線を感じて振り向いた少年はジトッとした目を四つ見付ける。
「イルト君。存在に名前を付けるという行為はとても重要な事だって、僕教えましたよね?」
「え、ええ?! オ、オレはただ普通に話してただけだぜ!? 師匠!!?」
「イルト。人ではないにしても一個人の名前を付けたのだ。責任を取って面倒を見てもらうぞ。はぁ……どうしてこう注意力が無いのだ。お前は……」
「ちょ?! オ、オレが悪いのかよ?!」
「しゃーい?」
小首を傾げる少女。
“シャイ”と呼ばれる事になる少女は自分に名前を付けてくれた良い人“イリューと”にそっと養い親が教えてくれたように感謝の印を頬に授けた。
チュッと啄むように………。
「な?!」
思わず紅くなった少年と愉快な仲間達+1のおてんば娘探索はまだ始ったばかりだった。