※この作品はR-18です。

聖娼館ハルトゥム   作:Anacletus

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第三十節

第三十節「歴史の授業」

 

―――大陸北東部南東平野フォルケルウォクス・グランダレー高国。

 

 大陸における地理の講釈には必ずお決まりの地図の見方がある。

 

 それは基本的に前置きされた地方における位置関係においてはその中心となる国家においてどの方角に何があるのかを語るという事だ。

 

 例えば、大陸中央部ならば、必ずアルヴィッツを中心として地理を語るし、東部ならば、最大版図と最大国力を誇る乂羅(ガイラ)がそれに当たる。

 

 南部ならば、イグニシア・クルシス。

 

 北部ならば、北部三国。

 

 西部だけは何処も彼処も諸国家乱立で大勢としての列強的な存在がいなかった為、殆どの国が自国を中心に地図を見て地形を語る時に共通認識が他国の人間との間に成立しないという笑い話もあったする。

 

 しかし、北東部には幾つか例外が転がっていた。

 

 大陸でも険しく実り薄く深い森と寂れた荒野を有する其処は基本的に北部の文化的な流れを汲む貧しい国々で構成されているが、それと同時に南部に下れば下る程に平地と耕作や水田に適した地形が広がっていく極めて北部にとって重要な穀倉地帯だ。

 

 大陸中央との繋がりさえあれば、大国を後ろ盾として北部の国々との貿易で富む事も可能な地政学的好立地でもある。

 

 が、それはつまり同時に北部の国々の妬みを買うくらいには侵略され易い場所という事だ。

 

 七教会の近代化が始った折。

 

 北部と中央の気風を併せ持つ独特の政治風土。

 

 つまり、大陸中央式の新式軍隊や戦術戦略を持つ人材を多数抱えた邦領を有する大陸北東部の南方諸国家は主に二つの政治的意見を軸に派閥化していた。

 

 一つは北部とは決別して本質的に大陸中央に拠り、後ろ盾を最大限活用して複数の国を自治州化、大国として再出発しようという輩。

 

 もう一つは貧しい北東部の中でも一際厳しい国家が地域の大国を後ろ盾として南方地域を完全に併合し、版図を広げつつ大陸中央と対等な位置に付いて安定した基盤を有そうという輩。

 

 どちらも大陸北東部においては政治的意見として主流。

 

 特に中央からの文化圏と北部からの文化圏が激突する平野部諸国家はそのどちらかに二分されていた。

 

 グランダレー高国もその一つ。

 

 それも珍しい二つの意見がほぼ拮抗するという今にも内乱が始りそうな中心地となっていた。

 

 いよいよ北部と南部の自治州化が本格的に実現しようという時期。

 

 どちらへ乗るかで揉めるのは当たり前と言えば当たり前で。

 

 そんな時勢に国王が病で死去。

 

 若い女王が起ったとなれば、内戦は確実。

 

 数百年続いた小国が消えるには十分な量の火薬が燻る火種の上に落ちたのである。

 

 と、後の歴史家達が語るのも無理からぬ話だっただろう。

 

 もはや北部派、南部派の齟齬は修復不能の状態に陥っていたのだ。

 

 このような時期に未だ戦争介入を始めたばかりで実態の知れぬ教会の改変組織。

 

 七教会の事など、誰が仲介役以上に厚遇するだろうか。

 

 中央諸国の後ろ盾を得たい南部派は主戦論を張る北部派への備えはしていたが、今までの教会が大規模に国同士の諍いには介入してこなかった事も鑑みて中央とのパイプ役以外は求めておらず。

 

 北部派にしても南部派に属すると見なされる教会に口出しされる謂れは無く。

 

 どちらも七と数字が付くようになった教会の捉え方が好意的か否かに関わらず“お客さん”程度にしか思っていなかった。

 

 彼らが一つだけ間違いを犯したとすれば、それはどちらも旧来からの旧い常識に囚われていた事。

 

 目の前に現われた聖女と呼ばれる少女が軍事も政治も分からぬような聖職者らしい大言壮語に近い戯言を吐きつつ、どちらにも剣を治めるよう解いた時……鼻で笑った事だろう。

 

『それが教会。いえ、七教会の我々への要求という事ですか?』

 

 高国の小宮殿。

 

 そう男の声が響いた。

 

『はい。ブレヒト摂政』

 

 玉座に座る若干二十三歳にして王位に付いた金髪に黒い瞳の女。

 

 リーザ・フォルケルウォクス・グランダレー女王。

 

 そして、傍らにある摂政は四十代にして大魔術師。

 

 また、稀有な戦略戦術眼を持つと噂の相談役。

 

 痩身にして眼鏡と灰の外套を付ける学者然とした男。

 

 ルスト・アル・ブレヒト。

 

 謁見の間に彼ら以外いない事が教会への反応を良くも悪くも反映していた。

 

 つまり、“どちらの意味”でも目の前の美しい乙女。

 

 ハティア・ウェスティアリアを重要視していなかったのだ。

 

 死なれては困るかもしれないが、致命的ではない。

 

 守るには値しないという事であった。

 

『それでそなたウェスティアリア大司教。貴殿は北部派である我々に小競り合いで焼け出された南部派の住民達を受け入れよと言うのだな?』

 

 女王の言葉に膝を折って高い階段の下。

 

 紅いカーペットに正座したまま。

 

 金色の乙女が頷く。

 

『はい。高国にはその余力があり、その土地がある。そして、教会はその場合の援助を惜しみません』

 

『援助、援助、か……そなたの言う援助とは食料支援だろうか? 我々が欲しているのは兵と魔術師だぞ?』

 

『戦は避けられないと?』

 

 そのハティアの言葉に女王が頷く。

 

『……今や北部派と南部派の対立は決定的。父王の側近達は南部派に与したが、北部各地の困窮する民は目に余るものがある。彼らを救うには南部派の独善的な経済圏構想を止めさせる以外無い……』

 

 女王の言う事には一理ある。

 

 何故ならば、南部派の大勢を占める中央式の政治思想は北部の1世紀は遅れたものとは違い。

 

 基本的には経済圏内自治州の内需で国費の全てを賄い自己完結する持続可能な大国を目指していたからだ。

 

 それは即ち、採算の取れない北部には富みを貿易以外では還流させないというのと同義であった。

 

 元々、北部の国々は産品、産業に乏しく。

 

 満足に食べられるだけの食料生産すら覚束ないのが常識。

 

 それが何とか南部との貿易と飢饉などの時の南部穀倉地帯にある国家からの援助で持っているというのが実情であった。

 

 だが、それを屈辱と捉える北部の拡大主義的な国家は多く。

 

 南部への侵攻が十年に3度程は常にあり、それに呼応して南部派全体で支援を切るなどの対抗措置が取られ、北部派の困窮が更に増すという悪循環が此処半世紀以上常態と化している。

 

『ですが、それならば、北部派もまた侵攻で全てが丸く治まるという幻想は捨てるべきではないでしょうか? 争いになれば、それは各国の口減らしを誘発します。それでは誰も救われません……北部は人の重さではなく、人の在らざる地と化す事で消えていくしかなくなってしまいます』

 

『ギリギリの線は収めどころは何処の北部派の国も見極めるであろう……私は父王より、民を守る事へ従事せよと幼い頃から教えられてきた……その教えは今も生きている。教会の尼には分からぬだろうが、北部派と南部派はどちらも適度に戦う事でしか自制するだけの理性を取り戻せん。また、このような極めて決裂が大きい時期にこそ戦が必要なのだ。この戦に重要なのは勝敗が泥沼である事。なればこそ、北部も主戦論は頓挫し、南部も自治州化による経済圏構想などというオタメゴカシで北部の切捨てを考えなくなる』

 

 僅かに摂政ブレヒトが溜息を吐く。

 

 それは女王の言っている在り様が確実にこの状況を落ち着かせる最善策だと理解する故だった。

 

 泥臭い戦争の内実など大抵は現状の変更を緩やかにするのが目的だったりする。

 

 要はどちらも妥協出切る状況を戦で作り出そうという事なのだ。

 

 圧倒的な敗北も勝利も無く。

 

 互いが痛み分けならば、其々の内部で燻るタカ派を抑制し、同時に相手側からの妥協で核心的な部分では譲らなくて済む。

 

『ウェスティアリア大司教』

 

 今度は摂政が少女の前に出る。

 

『残念ながら教会の難民受け入れ要請は受諾出来ません。我が国は現在内乱状態ですが、現在兵数兵器において優勢な南部派に対する橋頭堡として維持出来る戦線はこの国だけでしょう。此処を固め切るには南部派の難民受け入れは出来ない。内部で反乱や暴動になれば、我々とて困るのです。北部派が南部派に拮抗するにはこの場所の死守と同時に北部の精鋭達による篭城が必須……そう考えれば、今あるものは全て備蓄に回さねばなりません』

 

『つまり、余力は無いと?』

 

『悪いですが、大陸中央諸国の大国を後ろ盾に持つ南部派の攻勢を受け止めるには兵も武器も食料もまったく足りていない……貴女の言う難民を分け隔てなく収容して欲しいという言葉は平時ならば喜んで、いや……むしろ我々の方から言い出すべき事でしょうが……この時勢、この段に至っては……止むを得ない犠牲と切り捨てるしかありません』

 

『南部派の怒りを買うとしてもですか?』

 

『ええ、我々は南部に勝てない。ですが、我々に大勝出来ずに犠牲を積み上げれば、また北部との融和を目指すハト派も息を吹き返す……南部からの支援を引き出し、北部の安定化と民の安定を願うなら、多少心象は悪くても難民の方々には戦乱さえなければ“出なくて良かった犠牲”として役立って頂く以外無いでしょう……真に遺憾ではありますが……』

 

 ブレヒトの言う事は最もな話ではあった。

 

 政治の世界の話だ。

 

 また、全てが破滅するのを防ごうとして今までの人々が編み上げてきた決裂の綻びを縫う叡智として、犠牲は語られている。

 

 が、それに納得出来る程、聖女ハティア・ウェスティアリアは政治家ではなく。

 

 また、単なる乙女でもなかった。

 

『そうですか……残念です』

 

 女王、折衝ともに本当に沈んだ様子となるハティアを前にして、ようやく分かってくれたかとこの教会から来た娘を殺さず、傀儡にもせず、ただ返せる事に安堵していた。

 

 彼らは誰に言われたわけでもなく。

 

 その手を血に汚す事を厭わない程度には北部的で、教会の尼を諌めて追い返す程度には温厚な南部的性質を持っていた。

 

 彼女、彼にとってハティア・ウェスティアリアとは正しく今この時に国内にいて欲しくない厄介なお客さん以上の存在では無かったのである。

 

『では、こちらをお受け取り下さい。女王陛下』

 

『何か?』

 

 ハティアが立ち上がり、歩いていくとブレヒトへ一通の白封筒を手渡す。

 

 それを受け取った男はまずその封蝋に目を留めた。

 

 丘に突き立つ七本の剣。

 

 彼もまた魔術師の端くれなれば、教会が新たな刻印を己の象徴とした事は聞き及んでいる。

 

 しかし、総主教(パトリアルヒス)の印である大いなる唯一神を表す○と翅の形をしていない事に僅か安堵してもいた。

 

 この頃、未だ七教会は教会が名を変えた程度と思われており、未だその権力は全て総主教にあると考えられていたからだ。

 

 これがもしも教会全体を代表する者からの書簡ならば、彼らはまたハティアを生死の天秤に掛ける必要すら出てくると考えていたに違いなかった。

 

 蝋が剥がされ、開封された手紙まずは女王へと手渡される。

 

 それから数秒は何事も無く過ぎた。

 

 その後の十秒で女王リーザの目は険しくなり。

 

 最後の二十秒で彼女の目は胡乱にも見えて乾いたものとなる。

 

『………ウェスティアリア大司教』

 

『はい。何でしょうか。女王陛下』

 

『貴女はこの書簡の内容を知っているのか?』

 

『いえ、それは我々七人の筆頭である彼女が認めたもので一度も読んでおりません』

 

『ならば、言って聞かせよう。ルスト読み上げてくれませんか?』

 

『陛下?』

 

『読めば、分かります』

 

『分かりました……では』

 

 それからルストが読み上げ始めたのは挨拶から始まり、今回の難民受け入れの件に関して高国が全面的に協力しない旨を表明した事に対する七教会からの評価と彼らを取り巻く状況下における“全タカ派将校及び王侯貴族”の“人道に対する罪”を糾弾する内容。

 

 そして、それに対する七教会の紛争介入決定を通知するものだった。

 

『―――これを持って貴国への紛争介入の宣告とし、戦争継続を望む全統治者層の完全凍結措置を開始。全ての当事国において臨時政府の発足と議会選択選挙の終結まで七教会の公共管理プログラム下での一時的統治を行うものである。七聖女筆頭フルー・バレッサ』

 

 ハティアは顔色こそ変えなかったが、自分の友人のあまりにもあんまりなざっくばらん過ぎる国家に対しての死刑宣告に内心でもうちょっと言い方があるだろうと溜息を吐いた。

 

『ウェスティアリア大司教。私は冗談を聞かされているのだろうか?』

 

 女王の真剣な瞳にフルフルと聖女は首を横に振る。

 

『此処には最後に来ました。これは渡された手紙を全て当時国のタカ派の方々に届けたという事でもあります』

 

 摂政が呆れたを通り越して、まるで誇大妄想狂を見るような目付きで手紙を封筒に戻す。

 

『大司教……貴女は教会が何を我々に宣告したのかお分かりか?』

 

『残念に思います。これからこの地域一帯は全ての政治的な連続性を失う事になりますから……ですが、それが多くの人にとって最善になるよう努力させて頂きます』

 

 この女も誇大妄想狂の仲間かとブレヒトが瞳を細める。

 

『それが出来るとお考えで?』

 

『いえ、出来るかどうかを考える時間は全て人々を救う為に当てるべきでしょう。そして、封筒が開かれた後は私がその任を請け負う事が決定されています』

 

 もはや女王すらもこの尼は何を言っているのだろうかと首を傾げそうになっていた。

 

『大司教殿。貴女は私には聡明と見えたが、果たしてそれは偽りの仮面なのだろうか?』

 

 その女王の言葉にハティアはそっと彼らに僅かに頭を下げた。

 

『突然の事になったのは申し訳なく思います。ですが、地域の安定化後には解凍は必ず行われますので、その後、良く考えて下さい。人の運命が平等ではないにしても誰もがそれに納得出来るわけではないのだという事を……これからは今よりも大勢の人に選択肢が与えられていい世界を私達は目指します』

 

『……一体、貴方は何を言っている……』

 

『貴方達の人生を奪ってしまう事……深くお詫びします。もし許せないとお思いなら、その時は……お相手しましょう。私は逃げも隠れもしません』

 

 彼らの前でもう一度頭を下げたハティアが背を向けて扉へと向けて歩き出す。

 

 それを女王も摂政も止めなかった。

 

 彼女が去った後。

 

 二人が互いに顔を見合わせてから一体彼女は何だったのだろうと話し合う事数分。

 

 そろそろ情報を集めようと二人が共に連れ立って王座横の小扉から出ようとして、其処が開かない事に気付く。

 

 彼らが魔術で周囲の情報を得ようとするもまるで反応は無し。

 

 まるでその謁見の間以外の世界が消えてしまったかのようにも摂政たる彼には思えたが、それで諦めるような彼らではない。

 

 魔術のよる攻撃で封鎖されたのだろう外に向けて少しでも干渉出来ないかと試してみる。

 

 だが、内装は何故か傷一つ付かなかった。

 

『これは一体……ブレヒト?』

 

『……陛下。今、思い出したのですが……』

 

『?』

 

『ウェスティアリアという名前はたぶん……この大陸でも稀有な【稀呪(ヴィクス・マギア)】の血族のものだと思われます。十数年近く前に消えた小邦と共に失われたと思っていましたが、どうやら生き残りがいたようで……』

 

『その名、我々よりも東の小邦群にあったという法術師一族か?』

 

『ええ、神々の力を使う術者の中でも最高クラスの資質を持つ一族です。これは中々手こずりそうな結界が張ってありますよ』

 

『脱出は?』

 

『外から誰かが救出してくれるのを待つのも一つの手ではありますが……』

 

 ブレヒトが続けて攻撃魔術を発動しようとした時。

 

 謁見の間の閉じた大扉の先から音楽が流れ始める。

 

 それはまるでパレードでもしているような賑やかなもので、何事かと彼らは用心しながら傍まで近付く。

 

 ブレヒトがどうなっても対処出来るよう。

 

 リーザの手を取って自分が先導するよう扉をそっと開いた。

 

 途端、ガダンッと扉そのものが全開となる。

 

 バッと差し込んだ眩い耀きに咄嗟方陣を張った彼と彼女が数秒後に慣れてきた瞳で顔を上げた時。

 

 其処には―――。

 

「え?」

 

―――儀仗隊が左右に整列して得物を掲げ、軍楽隊らしき者達がその背後で楽器を吹き鳴らし、その周囲には見覚えの無い街並みと大通りが複数存在し、無数の人々がごった返していた。

 

 祖国の衣服にしては妙に小奇麗で洗練された衣装を見に纏う人々が多数。

 

 その中から恰幅の良い老人が一人進み出て、ブレヒトに庇われたリーザの前まで往くと。

 

 そっと一礼してから懐から取り出した紙を彼らに恭しく差し出した。

 

 それを受け取った彼らは共にそれに視線を落し、誰からの手紙であるのかを知る。

 

 だが、読み込む前に老人が彼らを前にして歓喜の涙を流し始め。

 

 女王が思わずどうしたのかと尋ねた。

 

 それに彼は涙を拭って、こう言った。

 

「お久しゅうございます。姉上」

 

「な、に?」

 

 確かに彼女は弟がいた。

 

 南部派の父王の家臣達に連れられていった肉親が。

 

 しかし、それがこんな老人なわけあろうはずもない。

 

 だが、その言葉を偽った様子もない男の嬉し涙を前にしてブレヒトがハッと何かに気付き、背後を見上げる。

 

 其処には……既に王城など無く。

 

 謁見の間というよりは博物館のような石製の建物が一つ。

 

 その今彼らが出てきた玄関横のプレートにはこう書かれていた。

 

―――救国の女王と摂政此処に眠る―――彼らの目覚める日を願って―――。

 

「姉上、もう随分と時間が経ったのですよ。ああ、貴女はあの時のままだ……私が幼心に見た時のまま……憧れの人のまま……祖国をお救い下さった時のまま……おおおっ」

 

 思わず感極まって倒れそうになる老人だったが、彼の背後から数人の子供達が駆け寄って、その背中を支える。

 

 その光景にワッと周辺の観衆は沸き上がり、涙を浮かべる者や互いに喜びで抱き合う姿もあった。

 

「これは一体……貴方、もしかしてゲーフィア、なの?」

 

 弟の名前を口にした彼女に老人は頷き。

 

 涙を拭きながら、この未だ全ての状況を飲み込めぬ異邦人の如き祖国の象徴たる二人にこう語った。

 

―――あれからもう数十年……フォルケルウォクス・グランダレー共和国にようこそ、と。

 

 それは教会の作ったプロバガンダによる時勢誘導の“傑作”。

 

 とある一人の女王と摂政が争いの種になると自らの存在を封じ、七教会に所領を寄進して難民を受け入れ、七教会統治下において国家を再編するよう願ったという逸話を持つ国。

 

 周辺国が自治州として統合され、南部派でも北部派でもない国家として誕生し、大陸中央諸国の国々にも近しいほぼ3分の2の水準にまでも経済を発展させた……彼らが救うべき世界の成れの果てだった。

 

(やられた!!? あの司教!? あの女はッッ?!!?)

 

 全てを推測で正しく理解した伝説の摂政は彼ら自身が第三勢力である“教会派”として勝手に使われ、その名実を歴史の一部として強制的に受け入れさせられたのだと知って、天を仰いだ。

 

 女王の時代は当に過ぎ。

 

 今や民主主義、議会制が息衝き、北部の国々にも戦乱が起らぬ程度には物資協力、技術協力するようになった国家の一つで、その日一人の魔術師は数十年後の敗北に苦笑すら洩らせなくなる。

 

 これが絶望境に生まれ変わった祖国なら、憎み怨み、世を呪って言葉も吐けよう。

 

 しかし。

 

『お婆様!! 私、ずっとお婆様に憧れてたんです』

 

『あ、ズルイ?! わ、私もお婆様みたいになりたかったの!!』

 

『ばーば!! ばーば♪』

 

 ワラワラと現われる弟の幼い孫達に囲まれて。

 

 何と言っていいか分からず。

 

 しかし、邪険にも出来ず。

 

 ぎこちない笑みでどうしようどうしようと戸惑う女王を見て、その少しだけ笑みを浮かべて必死に子供達へ自分をお婆様と呼ぶなと諭している娘のような彼女を見て、彼は己が負けた事を受け入れる以外無いのだと悟った。

 

(“人の運命が平等ではないにしても誰もがそれに納得出来るわけではない”、か……正しく今の我々だな……陛下が民草に混じり、笑いながら家族に囲まれて平穏に過ごす……いつか見た夢物語を与えておいて、捨てても構わないぞと試される。これが神の試練なら、何と残酷な事か……己の生きる意味全てを奪われ、成果だけ渡されて……だが、それでも幸せではないとは言えないのだ……我々は人間なのだから……陛下は未だ若く十分に“やり直せてしまう”……それを覇道に墜とす事など出来るはずも無い……)

 

『伝説の女王と摂政と七聖女ハティア・ウェスティアリア様に栄光あれ!!』

 

 声は高く高く建国記念日の空に響き渡っていった。

 

 それが如何に卑怯で残酷な行為の結果だろうと……確かに彼らの希望にして民である人々の顔を曇らせる事など……己が求め続けた幸せを手に微笑む人々を困らせる事など……その選択肢を選ぶ“人らしい自分”を全うする事など……旧き時代の女王たる彼女とその家臣たる彼に出来るはずもなかったのである。

 

―――――――――。

 

「……しゃーい」

 

 カシャリと極々小さな音と共に瞳孔の映像投影が切り替わる。

 

 七教会の歴史の一部を学んだのも束の間。

 

 少女は誰もいない待合室で第三層名物。

 

 紙袋入りの黒飴を取り出して舐める。

 

 小指の先程しかない照り耀くソレは屋台なら大抵売っている代物だ。

 

 人々に好まれている理由は単純にその黒々とした色が舌に残って二日は“落ちない”からだ。

 

 ゲン担ぎの一種であるが、カラコロと口の中に広がる甘味は芳醇な果実を思わせて適度な酸味も持ち合わせる良品と言える。

 

「あたえられるへいわ。きょぜつのはいじょ。ひがいによるじこせいとうかにんしきのかくりつ。じりつこうどうけっかにきいんしないこうふくからくるきひかんのはくだつ」

 

 人間には見えないが、人間型な生物たる少女はテコテコと歩き出す。

 

 その足が爪先立ちになり、寂れた待合室の先。

 

 未だ何者かと交渉している保護者を部屋の外から硝子越しに覗き込む。

 

「……シャーい」

 

 どうやら纏まったらしく。

 

 詰まれる密碑の皮袋と引き換えに何者かと握手する青年が踵を返して待合室へと戻ってくる。

 

 廃病院のように埃っぽい長椅子が薄汚れた壁の下に置かれた一室でようやく戻ってきたイルトが今も寸分違わず元の位置に座っているシャイの傍まで来ると。

 

「そろそろ行くぜ。飴、美味しかったか?」

 

 そう訊ね。

 

「シャーい!!」

 

 少女はヒョイと椅子から降りるとその手を握って、他の三人と共にその第三層の訳有りの連中に船を貸すブローカーの居城から外に出た。

 

 一歩進めば、其処は縦長の浮島の岸壁側面にある連絡通路のような軋む鉄製の階段。

 

 遠目には正しく絶景と言える浮島の諸島が見え。

 

 明かりもまた僅かに確認出来る。

 

「このまま街に戻るぞ。明日の明け方に出発だ」

 

 イフィーの言葉に他の二人は真面目な顔で頷き。

 

「しゃーい♪」

 

 少女だけが握った手をプラプラと振って嬉しそうに呟いたのだった。

 

 *

 

―――第三層極北グレートダウナー大竜巻圏。

 

 七教会が第三層においてほぼ手付かずにしている地域はそれなりに多い。

 

 その一つが各階層を貫く巨大な渦。

 

 グレートダウナーの周囲だ。

 

 第一次調査隊が調べたところによると。

 

 地面の無い第三層は岩盤の有無の関係から通常よりも風速も威力も400%増し。

 

 近付いただけで巻き上げられ、周囲に巻き起こる小竜巻の餌食になれば100%助からないとか。

 

 付近には浮島もほぼ無く。

 

 小規模な砕かれた岩塊のみが無数に浮遊し、無数の渦巻く風の姿が遠目からも見えるだろう。

 

 通常よりも周辺の天気は崩れ易く。

 

 嵐になったら、ほぼ船は岩塊の餌食。

 

 個人なら魔導方陣、魔術方陣、共に全力で一昼夜張り続けてどうにかなるレベルとされる。

 

 そんな超危険地帯に誰が行くわけもなく。

 

 周囲数百kmが無人だいうのも納得な話だ。

 

 そんな七教会の正規部隊すら寄り付かない空域の一角。

 

 アイネス・ラッシュバルトはいつものシスタールックで大空中戦と洒落込んでいた。

 

 その手に持った鉄の巨塊。

 

 拳銃に属するか実に妖しい火器にライフル弾よりも尚太い銃弾を魔術で浮かせて装填しつつの連射。

 

 目標は彼女の後方に聳える只管に巨大な黒い何かだ。

 

 その周囲からは魔族にも見える人型の化け物。

 

 全身を鋼のような光沢の鱗に覆われ。

 

 翼から魔力を転換した運動エネルギーを出力して飛ぶトカゲのような何かが無数に屯している。

 

 一発撃つ毎にその内の数匹が砕け散り。

 

 同時に翼の一部を散弾のように飛ばしてくる化け物達の応射が乱打され。

 

 空は小竜巻の近くで荒れ模様。

 

 基本的な動魔術以外は空を高速で飛翔するなんて芸当が出来ない怪物シスターは己の得物を振り回した時の反動と激発時の衝撃で曲芸のように相手の攻撃を回避しているが、普通に人間技だとは思えない。

 

(それにしてもどうしてこんな事になったのでしょうか? ただ、妖しい場所を巡っていただけだと言うのに……)

 

 彼女がこの状態に陥ったのは三十分前。

 

 第二層から三層へと下降後。

 

 パタリと途絶えた目標の足取りを調べる為に最も妖しい場所から探していこうと意気込んでいた時だった。

 

 七教会支部から借りた数人用の船。

 

 それで極北をグルリと一周するのに約一週間。

 

 結局、妖しいものが見付からなかったのでそのまま南下しながらの捜索に切り替えようとしていた矢先。

 

 一時、周囲に小規模ながらも竜巻の群れが発生。

 

 彼女は飛んでくる岩塊を銃撃で打ち落としながら揺れる船の上で一晩を明かした。

 

 が、その夜明け頃。

 

 直下に巨大な構造物を発見。

 

 これは実に妖しいではないか。

 

 そう乗り込もうとしたところで船がその黒い塊から発射された攻撃らしきもので爆発。

 

 その内部から出てきた化け物と戦う羽目になったのである。

 

 まぁ、こんなところにこっそり何か造っているのだから悪い奴らに違いないというのは誰にでも分かる常識というやつだろう。

 

 アイネスはそろそろ乗り込んでみようと得物を背後に向けて発射。

 

 推進力を得て、高速で黒いソレに突っ込んでいく。

 

 無論、それに対して化け物達が迎撃に出るが遅い。

 

 次々に銃弾の背後への射出による加速が加算され。

 

 音速近い急降下に重力が更にプラス。

 

 最終的に化け物達の数匹を靴の爪先で砕き散らしつつ至近で減速した彼女は得物を振り被って、その黒い数kmはありそうな構造物の装甲板を粉砕した。

 

 と、同時に突き抜けて内部へと突入する。

 

 ギャリギャリと特別製の靴底が盛大に火花を散らして勢いを殺し。

 

 自分の背後から追って来る敵に対して三連射された銃弾が入り口から飛び出し、数十匹を貫いた。

 

「さて、此処は?」

 

 キョロキョロして彼女に分かったのは其処が極めて機械的な場所であるという事か。

 

 七教会程のシステマティックさは感じられなかったものの。

 

 それでもシリンダーやポンプのような機器が見受けられ。

 

 其処が水や油を扱う機械。

 

 循環系の一部であるのは想像が付いた。

 

「ふむ。まずはこの不届きな化け物達を造っている場所を探しましょうか」

 

 近くに見えた鋼の分厚そうな扉を片足の捻り込むような蹴りで吹き飛ばし。

 

 通路内部へと出た彼女は人間がいない事を確認してから、通路の行き止まりまで歩き。

 

 拳銃に魔力を込めて壁に叩き付ける。

 

 途端、通路の壁が歪み。

 

 まるで水のように波紋を全体に投げ掛けた。

 

 その中で静かに目を閉じた彼女は響き渡る音を手掛かりに内部構造を大体把握。

 

 ついでに目ぼしい機関や施設がありそうな場所に当たりを付けた。

 

「左から約340。右からは230。此処は……最短で行かせて頂きましょうか」

 

 ガチャリと拳銃が構えられ。

 

 その装填された銃弾に魔力が集積されていく。

 

 刻印して与えられる【意匠】は鳥を模したもの。

 

【神美翼(スパルナ)】

 

 神の中でも有数の速さを誇るソレからの力を借りた魔術が弾丸内部の火薬の分子一つ一つにまで十分な力を与えた。

 

「まずは戦力を保管庫から」

 

 斜め下に向けられた銃口の先。

 

 飛び出た銃弾が急激に色褪せて一瞬だけ停滞。

 

 その後、視認不能の速度で散弾のように飛び散った。

 

 神の力を得た弾丸は押し出される際に火薬から得た加速力を即座に運動エネルギーから熱エネルギーへと転換。

 

 一瞬の後に超絶の火力を発揮して罅割れ分裂した弾頭の破片のみでその進行方向上の物体を数m単位で熔かしながら直進して、最後には構造物を突き抜けた。

 

 思っていたよりも脆かった構造が禍してか。

 

 アイネスのいた場所を中心として通路が歪んで崩落。

 

 その最中を化け物達が押し潰されながら落下していき、阿鼻叫喚の地獄絵図と化さしめる。

 

 それを尻目にヒョイヒョイと溶けた弾丸の進行方向の隔壁の合間を跳躍しながら、化け物シスターが一際大きな空洞に出る。

 

 微振動と崩落の音に喧しい其処は壁一面に化け物の入った透明なポットがビッシリと埋められていた。

 

 次々に排出され始めようとする敵を視認した次の瞬間には再び拳銃が火を噴き。

 

 周囲は銃撃を見舞われた場所から壁が爆砕。

 

 何やら燃料にも引火したらしく。

 

 満遍なく全方向に彼女が撃ち終えた頃には次々連鎖的な爆発で空洞内は松明代わりの焼け死ぬ化け物達で埋まっていく。

 

 激震が周囲に奔り、彼女が普通の人間がいたと思われる区画へ急ごうと走り出した時、気付く。

 

 巨大な鋼と鋼が擦り合わせられるような音と共にフッと無重力感が身体を包んだのだ。

 

「周辺区画毎パージされましたか? しょうがありません。連絡が取れたら、通報して次に進みましょうか……」

 

 謎の悪事を働きそうな化け物達の巣をほぼ3分の1程半壊させた彼女は早々に諦めて落下中の構造物からどうやって脱出しようかと考え始めた。

 

 次の日、彼女の通報によって駆け付けた七教会の支部が見付けたのは確かに巨大なものが浮かんでいたであろう空域のポッカリと開いた穴と化け物達の屍骸が燃えたらしき炭化物が僅かばかり。

 

 ただちにに捜索隊が編成されるも、終にソレが再び発見される事は無かったのだった。

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