第三十一節「恋と紅茶と酒飲みと」
―――第三層中層域赤道付近。
天蓋蒼星の第三層赤道は最も大きな島が浮遊する一大拠点の一つだ。
それ故、上から運び込まれる物資の大半が此処を経由して周辺に小分けとされ、その上で更に層全体へ毛細血管を伝う血液のように細分化して届けられる。
七教会が民間委託した業務は客船の運航と商船の運航。
それ以外の彼らの階層踏破部隊が使う物資は正しく軍艦と呼べる鋼の船が巡察がてら届ける事になっている。
謎の空中海賊(笑)のせいで笑い話にもならないくらいの損害が出ている民間事業者の大半が困り顔。
ついでに大不況に突入か?
と、商業を営む人々が物価の僅かな上昇|(七教会がかなり統制して結果)に怯える以外は未だその小さな大陸の如き場所は平穏を保っていた。
第三層最大の都市浮遊島ラズナ。
周辺に浮かぶ大小20からなる島々を足して第三層の中心と呼ばれる場所である。
イルトと愉快な仲間達一行は一路。
その付近に存在する小さな寂れた島で船を貸してもらったのだが、泣く泣くイファラナへと戻るべく。
日差しが高い時間帯に商船に化けての鈍行と相成っていた。
ピアリがいたなら、大きな街に目を輝かせていたかもしれないが、生憎と行方不明。
その上、第三層の主要ルートやそこから外れた場所にまで七教会の目が光り始めた事でとてもではないが、彼らがそのまま最深部まで直行出来る雰囲気では無くなっていた。
その原因は単純だ。
七聖女ご来訪。
要は第三層にハティア・ウェスティアリアが来たという事である。
どうやら他の聖女達と違って各層を高速で周り、教会全体の士気を上げつつ、天蓋蒼星内の星潜者へアピールもこなしているとか。
ハッキリ言えば、客寄せ動物的な宣伝目的。
彼らにとってはいい迷惑でしかない。
本来以上の警備が敷かれ、ルートの検問も厳しくなった。
荷を必ず確認する事が徹底され、他にも目視観測で確認出来る情報は全て個体名と共に勝手に個人登録されている云々。
天蓋蒼星内に入る時点で実は各国家が七教会側と結ぶ協定にはそういった事を必要なら行う旨が複数条項入っており、幾つかは開示されている。
発見される確率が跳ね上がった事で北部のイファラナまで後退する事を誰もが良くは思っていなかったが、此処で七教会の正規部隊に捕捉。
もしくは七聖女が出向くような事になれば、100%彼らの旅は終了してしまうので渋々引き返す以外に選択肢は無かったのである。
遠ざかる島々を背後のラウンジで硝子越しに見て。
「………」
その今や聖女来訪で湧きつつある場所に背を向ける自分の起ち位置を再確認させられて、イルトは胸に薄く残る寂寥を振り払うようにその光景から目を逸らした。
「黄昏ているな。イルト」
「イ、イフィー?! い、いや、今は昼時だぜ?」
何とかそう繕って笑みを浮かべたものの。
何処か優しげで済まなそうな顔に「ああ、オレのせいだ」と罪悪感を抱きつつ。
青少年は頬を掻く。
「これでも悪いとは思っているのだ……お前に此処まで付き合わせる事になるとは出会った時、思ってもいなかった」
「んな事言うなって。今更だろ? それにオレはオレの意思で付いて来たんだ」
「だが、そうだとしても自分が失ったものが恋しくないわけがない。いや、我に言われてはお前も困るか……済まない」
僅かに頭を下げそうになる灰金の少女の肩が掴まれ、止められる。
「謝る必要なんか無いさ。オレってほら、結構ああいう祭りみたいなのが好きな性質(たち)だったから……まぁ、機会があって安全だったら、その時はみんなで行こうぜ? ピアリも連れて、さ」
上を見上げた少女はその相手を思いやるが故の笑顔を見つめて、コクリと頷く。
「ふふ、お前は良い大人になるな。きっと……」
頷いた後。
すぐ横のソファーへと腰掛けて。
少女が優しげに微笑む。
(ぁ………)
思わず。
本当に思わず。
イルトは己の胸が高鳴るのを感じて、頬を掻いた。
「良い大人って、悪い大人になりたい奴は普通いないだろ?」
イルトがテーブルを挟んで反対側のソファーに座る。
その端ではシャイがむにゃむにゃと口元を動かしながら眠っていた。
「だが、我は歳を取ってもきっと公的には悪い者のままだろう」
自嘲するような響きは無い。
ただ、その声には確かな確信が込められていて。
「……イフィーにとっての“悪い”って言うのが何なのかは想像が付くけどさ。それでも自分にとっての正義……いや、譲れない事、なんだろ?」
「ああ、その通りだ。我はこの世全ての悪と謗られても今のような事を止めようとは思わないだろう……」
テーブルの上のすっかり冷めた紅茶を一口。
その動作だけでも少女の気品と優雅さは貴族的だとイルトは毎度毎度食事をする度に思う事を再認識した。
「………今まで聞かなかったけどさ。イフィーって良いとこの出なのか?」
自分で思っていた以上にスルリと口から出た疑問。
それを投げ掛ける覚悟が自然と出来ていた驚き。
内心の臆病風とは裏腹に脳裏の醒めた部分が落ち着いている自分を感じて、イルトは自分も少女との出会いで変わったのだろうかと気付く。
「そうだな……此処まで付き合ってもらっているのだ。それくらいは放しておくべきだろう……我の出自に付いてだな?」
「あ、ああ……でも、別に話難い事なら言わなくてもいいんだぜ? 急かして訊くような話でもないしさ」
「いや、話しておこう。イルト、お前が此処まで関わってしまっている以上、何も知らないまま蚊帳の外に置かれるような事は避けたい。それに我も……久方ぶりに身の上話をしたくなった」
「イフィー……」
少女が苦笑する。
「そんな顔をするな。イルト……これは我の勝手なのだ。お前のような本当なら日の当たる場所を歩けるはずの者を巻き込む切欠を作った……そんな悪人のな」
それに何も言えず。
瞳を真っ直ぐに見つめる事しか出来ない男を前にして少女は謳うように語り始めた。
「我の産まれは大陸北東部にあるそう大きくない宮殿。大した王位継承権も無い王族の末……そういうものであった」
「王族? って、事はお姫様だったのか? イフィーは……」
「ああ、一応はな。そこらの貴族よりは良い暮らしをしていたが、家族と言えるのは母上だけだった」
「す、すげーな……」
複雑な家庭環境だったのだろうかと。
王侯貴族の物語にあるような確執やゴタゴタと思い浮かべたのだろう。
そんな仲間に少女は頷く。
「そうだ。すげー家庭環境だったのだ。父王は家族というには遠過ぎた。母は我が物心付いた時に病で亡くなった。王宮で我を支えたのは自身の学問に対する探求心と修業に見合った資質。それを教えてくれる教師役のご老人くらいであった」
「……どうして、その……魔王と関わる事になったんだ?」
「単純な話だ。大戦後に力を失ったと言われる魔王はそれでも生きており、大陸各地に出没していた。そして、我が祖国にもその報が届いた。しかし、我が国には力を失っていると言われていたものの……魔王等という超常の存在の頂点に位置する輩と真っ向から対立するだけの戦力も退ける当ても無かった。そもそも地方諸国の国力差は戦力差に直結しない。超越者や異種、亜人のような戦闘に優れた存在を囲っていたわけでもない我が国は……魔王が穏便に通過してくれるのを願う以外に無かったのだ」
「……穏便にって?」
恐る恐る訊ねるイルトの姿に予想は付いたのだろうと軽くイフィーが肩を竦める。
「生贄だ」
「―――ッ」
イルトのその何とも言えない顔に思わず苦笑を零して、サッパリとした顔で少女は続きを語る。
「我はこれでも見目麗しい童女であった。煮ようが焼こうが食おうが勝手にしてくれと国内に入った魔王の進路上に放って置かれたのだ。猛獣をエサで釣って特定の地域から出そうとするのと然して変わらん」
「そんなのって、誰も反対しなかったのかよ!?」
思わず声を荒げる姿にありがとうと微笑んで少女は首を横に振る。
「我は王宮では厄介者の類。母も立場が微妙なお人だった。だから、失われてもまったく痛くない人材だったのだ。父王とて本来ならそのような事はなさりたくなかっただろうが、国の政だ。大多数の為に王家が犠牲を出したとなれば、国内を固めるにもこれ程の手は無い」
淡々と語る少女にイルトは思わず出掛けた「そんなの間違ってる」という言葉を辛うじて飲み込んだ。
師リュオ・クルミナスと“被害者面”の話をした時の事を思い出したからだ。
常識が違うで片付けたくは無くとも、確かに彼と彼女の間には溝がある。
「我は生贄に捧げられて森を彷徨った時、意気込んでいた」
「意気込むって?」
「魔王を一目見てやろうと思った。知的好奇心を満たして立派に死んですらみせようと肩肘を張っていた。子供の見栄のようなものだ……そうだな……これから死ぬとしても徒(ただ)では死なぬと。強がっていたのだろうか……」
懐かしそうな声。
それはまるで昨日の事を語るような瞳だった。
「そんな時だ。あの大馬鹿者と出会ったのは……」
それを誰と訊ねず。
イルトは全ての言葉を己の内に飲み込む。
「我はどうしてこんなところにいるのだ。早く何処かへ行けと思った。旅人がこんな場所にいては巻き込まれてしまうだろうと方向違いの正義感でな。そして、ズンズンと一人で進んでいって、崖から落ちた」
「は?! お、落ちたってケガしたのか!?」
「ははは、今思えば何と滑稽であったか。我は自分が捧げられた当人を置いて前に進む気ばかり起こしていたのだ……そして、そんな我をあいつは……助けてくれた」
「あいつ……それが……」
頷きが返る。
「我を庇って抱き締めながら、木々に貫かれて……あの時から我の冒険は始ったのだろうな……沢山の仲間と恋敵と友と出会った。あいつと会わねば知らぬ世界を知った。我を憐れな女と言う者もあるだろう。だが、あの他人の為にばかり笑う馬鹿者がいたから、母上が亡くなってからずっと止まっていた我の時間は……動き出したのだ」
少女は語る。
いつも笑っているやつだったのだと。
少女は語る。
いつだって自分を見てくれていたのだと。
少女は語る。
風のように何処かへフラフラいなくなる人物だったのだと。
少女は語る。
きっと、生まれて初めての恋で生涯変わらぬ最初で最後の気持ちなのだと。
――――――そうか。
ポツリ。
イルト・イナーシタは呟き。
「愛してたんだな」
その言葉に少女は首を横に振って。
「愛している。そんな上等な言葉で片付けばいいが……生憎と我が見ていないと知らず可愛い女を助けては惚れられているからな。浮気者を懲らしめにいく故郷女の気分と言うのが正しいのかもしれぬ」
温かな笑顔で。
しかし、つぅっと一筋。
「っ」
たぶんは少女自身すら思っていなかった雫が一粒、頬を伝って。
「ん? 済まぬ……ちょっと横を向いていてくれるか?」
「あ、ぁあ、わ、悪い……」
思わずマジマジと見つめてしまっていた自分に気付いてイルトが視線を逸らす。
その合間にも指が雫を拭った。
「ふふ、そうして謝られると思い出すな……いつもあいつもそうして何かに対して謝っていた……自分がどういう存在かを知るからこそ、ああも申し訳為さそうな顔だったのだろうな……」
「ご、ごめん……辛くなっちまったか?」
「立場が逆だろう。我こそ済まぬとお前に言わねばならないのに……イルト……」
「な、何だ?」
「今までの事、多くの事を謝りたい。そして、ありがとう……こんな我の我侭の為に付き合ってくれて……感謝する……」
深く頭を下げた少女の肩を慌てて掴んで上向かせ。
何を言っていいのかも分からず。
生粋の大陸中央諸国っ子にして真面目で健全な青少年イルト・イナーシタは。
「イイって事よ!! 世の中、持ちつ凭れつってやつだろ? それにもしオレが困った時は助けてくれるだろ? イフィーはさ」
そうニカリとした。
笑顔の相手に少女もまた笑顔で返す。
「―――うむっ!!」
二人が互いに笑い合っている時。
ふと、少女の身体が光り出す。
思わず手を肩から放して、大丈夫かと慌てるイルトを前にコクリと頷きが返った。
「どうやら感情が高ぶって、術が切れそうになっているようだ……少しだけ驚くかもしれぬが、お前に我の本当の姿を教えておこう……」
「本当のって?」
「昔、あいつと契約してから我の身体の容姿はその年齢で止まっていてな。いつもは歳相応の姿にしている」
「そ、そうなのか!?」
「ああ、我の姿はどちらかと言えば、シャイくらいなのだ」
「マ、マジかよ……」
「ん、術が切れるぞ」
少女の言葉が終わると同時にポムリと魔力の転化した煙が少女を包み込み。
それが晴れるとその中から出てきたのは今までイルトが相対して来た少女よりも五歳は幼いだろう童女と言っていい容姿の元々のイフィーの妹のようにも見える姿だった。
服がブカブカになった少女は己を見て、イルトにこういう事だと久方ぶりに取り戻す姿に肩を竦める。
「イ、イフィー? その身体の文様みたいなの何だ?」
「ん? ああ、これか」
イルトが自分の目に映るいつもとは違い幼い少女の姿をしたイフィーの身体に刻印された黒い化粧のような文様を思わず凝視する。
「これは魔王との契約の証。我とあいつが繋がった事を示す証明書のようなものだ。我の身体を守護し、育て、進化させ、あらゆる環境に適応させる。いつあいつとどのような遣り取りをしたのか。我が何を修め、何を得てきたのか。それを意匠のようにして綴ったモノと言えば、分かり易いか」
「そ、そうか……」
「?」
「何でもない。可愛いと思うぜ」
「そ、そうか? そう言われるとは思っていなかったから……その怖くなかったのならいい……」
ニコリと。
いつもよりもあどけない僅かに頬を染めた少女の笑みは本当に嬉しそうなものだった。
「そういや、もうお茶冷め切ってるよな? 入れてくるよ」
「いや、こういうのは女が―――」
「あはは、今イフィーは服ブカブカだろ? 此処は大陸中央式のやつを入れてくるから待っててくれ。ちょっと行って来る。あ、シャイを頼む」
「ああ、戻ってくる頃にはもう一度術を掛け直しておくから、元通りであろう。では、頼むぞ。イルト」
「……ああ」
笑顔で狭いラウンジの扉を開き、閉じ。
通路の突き当たりの角にある給湯室横の簡易台所の内部に入って。
その扉をパタンと閉めた時。
イルトの顔が俯けられる。
「イルト君」
「し、師匠?!」
台所の奥では紅茶を入れるリュオ・クルミナスがお茶菓子を棚から出しているところだった。
「此処のお菓子はどうやら三級品であまり質が良くないようですから、密碑で出した材料でお茶請けに小麦菓子(クッキー)を焼きました。100枚くらい缶に入れておくので後でラウンジに持って来て下さい」
「あ、あぁ、わ、分かったよ」
何気なく。
お茶をイルトの傍まで持ってきてから、辮髪眼鏡の麗人は扉を開けて外に出ると後手で閉める前にそっと呟く。
「……よく我慢しましたね。男でしたよ。三十分くらいは話して待っていますから」
「師匠、オレ―――」
「何も言わなくて結構。今回は彼女の方が常識の違いを忘れてしまっていたようですが、それは君が彼女にとってそれ程に近しくなったから……誇っていい事です」
「オレ……何も……言えなくて……ッ」
「イルト君。これは君の師匠ではなく。人生の年長者としての意見ですが……」
リュオが眼鏡の蔓を僅かに押さえた。
「自分で泣く男は三流です。女を泣かせる男は二流です。でも、女に泣いて貰える、泣かせてあげられる男は一流なんですよ。僕の恋人からの受け売りですが……」
「―――ッ」
「では」
師が扉を閉めて歩き去っていく。
その扉に背中を付けて、片手で額を視界を押さえた青少年は一人。
そう一人。
誰にも気付かれぬよう。
ただ、少しだけ三流に甘んじる事とした。
師の入れた大陸中央式の紅茶。
少し煮出してハーブの香りを付けるソレの芳香だけが、室内に響くものを癒す唯一のものに違いなかった。
*
みくまりの~め~が~みぃが~~ゆ~きすぎて~も~ど~りきたる~。
小さな歌が響く船倉。
本日は洋光(ランプ)の明かりが照らす船底で新たな仲間を向かえたマウロと愉快な仲間達は船の隔壁破損のペナルティーを払い終えて目減りした密碑もそこそこに新たな宿を得て寛いでいた。
いや、リラックスしているのは主に対人コミュニケーション技能の高い交渉事多難なエリザ一人だったが、誰もが狭い船底の荷物に押し込められていた日々とはオサラバで清々しているのは間違いない。
あの究極生物との出会いの後、目的の街に付いたマウロ一行は船を買った。
本来、巨額になる個人所有の空飛ぶ船を一括密碑払いで得たのである。
本当なら鉄だの鋼だの大陸中央諸国製の新素材を使ったものを購入しようとしていたのだが、船の修理代金がまぁまぁ掛かったのでランクが一回り下がる中古な木製の小型帆船。
だが、逆に味のあるソレが妙に気に入ったらしく。
新入りであるクルジェンカ等はウキウキした様子で船の簡易的な補修改装を買って出て、黒いのっぺりした人型使い魔を数十人動員した挙句。
三日程で壊れた艤装を修繕。
何とか出航出来るまでに内装も整え終わっていた。
劇的ビフォーでアフターな変わり様は正に魔術だと目を丸くしたのはマウロもエーレインもエリザもマルートも同じだった。
むさ苦しいおっさんの船員が賭け事で遊んでいそうな船室は花柄模様の壁紙に質素ながらも机とテーブルと椅子が揃えられ、女の子の部屋のようだ。
張られたカレンダーには手作りした張本人たるクルジェの二次元二頭身化したキャラが予定表の下に描かれている。
荷物を積んでおく為の船底にある船倉は水と食料を入れる保管庫と全員の集まるラウンジに分けて改装され、マルートが今まで買い付けた大量の物資、良質な嗜好品(主に酒と肴)がズラリと棚に固定されたラックに入っていた。
カクテルやロックを造る為の酒器やら道具やら料理器具やらが揃えられたカウンター内部は本格的で飴色の酒が後に並ぶ光景は一部の人間には堪らないだろう。
主にバーテンダー兼マスター兼料理人という肩書きを得たマルートの縄張りとなった。
高級クラブのようなソファーとテーブルが設えられた店内と言った方がしっくりくるラウンジは主に狭い船室より広い寝床を欲したエーレインの私物。
言うまでもなく天蓋蒼星内に入ってくる皇帝グッズによって占領されていて、本人は久方ぶりの我が家に帰ってきたような気分だと感涙しつつ、皇帝ブランケット(主に皇帝が使っていると噂の高級品)で幸せそうに一夜を明かしていた。
航海士の術を実は持っていて、天気図も読め、割りと有能な資格を数十単位で取得済みの才女エリザリド・エンタンレ・ディオノースは主にラウンジ前方に置かれた魔術式の操縦系を預かる操舵士。
一応、形だけは船主という扱いになったマウロが船長を兼任。
設備を弄るのが愉しいらしいクルジェが機関士に収まり。
全員がこうして仕事?を得たわけである。
一人、単に私欲を満たしているだけの人物がいると思われるかもしれないが、船の周囲の危険を排除するのはまず実力がマウロの次に高いエーレインである。
用心棒と言えなくも無い。
このような旅に出て早二日。
快適と言っていいだろう航海は早くも危険に直面していた。
『―――其処の商船!! 止まりなさい!! 七教会の臨検です!!』
どうしようかと緩慢に速度を落としつつ。
船外の光景をラウンジの虚空に開いた魔術の大窓で見ていた全員が渋い顔をする。
一応、商船として登録しているが、内部には積荷なんて彼らの食べるものだけ。
個人所有の船ではあるが、七教会の臨検はこの天蓋蒼星内では正当な権利であって、拒否出来ないのだ。
「あたし達はマズイわね。超長距離転移で入ってきてるし、各国が作ってるリストに無いから照合されたら一発でバレるわ……」
エリザがどうしたものかと思うのも束の間。
エーレインが剣を僅かに鞘から抜き出して暗に臨検用の小型艇を沈めるかと目線で聞いたが、勿論のように首は横に振られた。
「はぁ、ついてねーですが、しょうがありやせん。お二人さんは隠れてて下さい。あっしが何とかしやしょう」
マルートが何やらゴソゴソとカウンター内部でバーテンの格好に着替えながら、そう全員に告げる。
「出来るの?」
エリザの声に大丈夫ですよと返事が終わると。
ザッと立ち上がったマルートは正しく場末の酒場でバーテンをしていそうなオヤジに早変わりしていた。
その顔には頬にリアルな傷痕が刻まれている。
何もしないよりはマシくらいだろうか。
「新入りは操舵士のフリしとけ。マウロの旦那は船長なんですから、どっかりラウンジのソファーに座って寡黙な船長でいてくだせぇ。今、安酒をロックで出しやすから」
すぐに支度を整えたマルートの支持に従って全員が所定の位置に付いて数十秒。
臨検している七教職員が白と黒を基調とする軽殻装(コート)に腰へ拳銃を下げて入ってくる。
「七教会の臨検です。停船が遅かったようですが、どうかなされましたか?」
「へい!! ただいま、ちょっとお待ち下さい」
マルートがカウンターから出て男女四人の前に出て行く。
「こちらの船長はどちらに?」
「ああ、船長ならそっちのソファーで飲んでますよ」
臨検員達の視線が僅かに鋭くなる。
全身白鎧の騎士姿。
しかも妖しげな兜型の仮面まで付けた相手が酒を前にしてソファーに座っているのだ。
「では、ちょっとお話を」
四人が進んでいこうとするのをマルートが慌てて止める。
「いやいやいや!!? ちょっと待ってくだせぇ旦那方!? ウチの船長は酒癖が悪りぃんです!? しかも、剣の達人なもんで呑んでる時に近付いて口論になったりしたら、確実にお縄な事になっちまいますから!! 此処は放っておいてやって下さい!!? オイ!! 操舵士!! テメェ航海日誌付けてんだろうな!! こっちの旦那方にお渡ししろ!!」
「へ!? ぼ、ぼぼ、僕!? ぼ、僕はこ、航海日誌とか付けな―――あ、いや、その……はい。どうぞ」
振られたクルジェが操舵輪に引っ掛けてあるエリザの航海日誌をビクビクしながら手渡した。
「……まったく書かれていないようなのですが、これはどういう事でしょうか? この第三層での航行は基本的に大陸中央式の航海法が適応されているんですよ?」
「オイ?!! 操舵士!? テメェ!? あれほど仕事しろっつっただろ!? 出てからもう三日だぞ!!?」
「へ!? ひゃ、ひゃい!? で、でも、僕、機関の調整で忙しかったし!?」
クルジェが大根役者も真っ青で真実を語る。
「三日どころか真っ白なのですが……」
臨検員達の視線が細まる。
「あ、ウチの操舵士がすいやせん。この船、買い付けて艤装済ませて出てきたのつい数日前なんですよ。なけなしの金で船長が買った襤褸船で……ああいう騎士様の格好が好きな変わりもんでしてね? 格好付ける金はあるんですが、船員雇う金が無くなっちまって……それで今、あの馬鹿操舵士に機関士と航海士もさせてんですよ。いやぁ、本当にすいやせん!! 今度からはちゃんと付けさせるようにしやすんで、どうかお咎めは無しにして頂けませんか?」
「「「「………」」」」
超絶ブラックな商船ですと白状したマルートがイソイソとカウンター内に戻り、ザッと四人分のグラスにアルコールを飛ばした酒と果実の皮で風味付けしたカクテルを運んでいく。
「そういうものは受け取れません。職務中ですので」
「いやいや、これは此処では茶みたいなもんですよ。酒精も抜いてありますし、水を出されて呑まない客はそういないでしょう?」
マルートの勧めを辞した後。
キロリと男達がマルートに視線を向ける。
「いえ、職務中ですので。それよりも商船であるようですが、何を積んでいるのか拝見させて貰っても?」
「へい。構いませんが、倉庫には食料と水くらいしかありやせんよ?」
「では、そちらを」
「分かりやした」
マルートが先導して船倉を調べた男女が数分で元のラウンジへと戻ってくる。
「確かに食料と水だけでしてたが、売り物になるようなものが無いのはどういう事でしょうか?」
「いやねぇ? 本当なら品を積みたかったんですが、どうにも先立つものが全部改装に消えちまって……そんで船長が今まで集めたコイツらで移動酒場として商売しようかと思ってるんですよ」
カウンター内部に入ったマルートが腕を広げて笑みを浮かべ。
背後の明かりに照らされた酒瓶達を誇示する。
そして、次々に彼らの前のカウンターに瓶を並べ始めた。
「こいつは東方、真撰の十三年ものの古酒。こっちはリーズベンのカテドラルシリーズの三十年もの。こっちは南方の果実酒で二年ものですが、今人気のカクテルの材料になりやす。他にもこっちは西部の砂漠でしか取れない古サボテンの乾物、そっちのは北部の十二年物の貝柱を塩と香辛料で漬け込んでから乾燥させた一品。こっちの葡萄酒は中央のベームプライ酒造製の八十九年ものですよ!! いやぁ、買い付けるのに苦労しやした。この黒いのはみんな魔術で封がしてありやすが、酒造が潰れる時に買い付けた酒を中身を隠して売る為のもんなんです。その代わり、当たりが数本混じってやして、千年樽から中身が抜かれた後にそれで醸造した極上の焦がし酒ですよ。苦く甘く芳醇な樽の薫りが匂ってきそうでしょう? こいつを魔術で加工してから定番カクテルなんぞを造った日にゃぁ、どんな酒嫌いの女も一発昇天間違い無し!! ああ、いいですねぇ~この酒で作ったカクテルを飲ませるに足る女と一発やれたら、確実にこっちも昇天間違い無し。まぁ、薄給じゃ無理でしょうが、旦那方くらいの高給取りなら月で一本くらいは買えやすよ? 大陸中央なら6万くらいからでしょうが、こっちの定価だと18万くらいですから」
怒涛の喋りで相手に何も言わせず。
一気に目をキラキラさせながら語り終えたマルートを前にドン引きな女性陣とちょっと惹かれた男性陣に意見は分かれるようだったが、どちらにしてもこれは買わされる前に退散するのが吉だろうと考えてか。
半笑いの臨検員達は「まぁ、頑張れ」と言い置いてスゴスゴ帰っていった。
小型艇が船から離れるのを確認して。
数分で姿が見えなくなった後。
ようやくエーレインとエリザが船尾の方からやってくる。
「アンタ、凄いわね……今の出鱈目?」
エリザの言葉に肩が竦められる。
「いやいや、全部本当ですよ。姉さん。見る奴が見れば、此処のは一財産くらいありやすから、もし下層に行って何か金が必要になっても、物々交換の種くらにはなりやすよ」
マルートがケロリとして答えた。
どんだけ酒好きなのだろうかと半ば呆れながらもその知識と頭の機転は買って。
エリザがカウンターに腰掛ける。
それを機にマウロもようやく肩の凝りが解れたと慣れない寡黙な男役から解放されて仲間達の方へと近寄り、クルジェも無茶ぶりされたが何とか凌ぎ切った安堵に胸を撫で下ろしつつ椅子に腰を下ろす。
エーレインは何やら皇帝グッズが荒らされていないかだけを確認してから全員の下へと戻ってきた。
「じゃあ、さっきの教会連中に出したコレ勿体無いんで呑んじまって下さい。酒精は抜いてありやすから」
「頂きましょうか」
マウロが頷き。
「ぼ、僕にも呑める?」
「こいつは嬢ちゃん坊ちゃん用の甘い代物だからな」
クルジェが訊ねて、返った答えに笑顔となり。
「ま、危険は去ったし、これくらいはいいでしょ。あ、夕飯作って」
エリザがカウンターでもうチビチビとやり始め。
「そう言えば、陛下の名前が付いた酒は無いのか?」
エーレインがこんな時でもマイペースを崩さず。
こうしてマウロと愉快な仲間達に訪れた初めての危機は去り、酒盛りが緩やかに始ったのだった。