第三十二節「海賊授業」
―――大陸南西部沿岸ゼスティファ海床国。
大陸南西部沿岸と言えば、大抵の知識人が思い浮かべるのは極めて海の荒くれ者の多い海賊出没地帯……もしくは海運国家が軒を連ねる高い海洋航海技術の出現地、造船業の盛んな地域というのが一般的だろう。
南西部は南東部と同じく亜熱帯気候に属する場所が極めて多く。
周辺は荒野や平原よりも密林の割合が高い。
簡単な言い方で言いのならば、南西部の中で最も実り深き裕福な場所だ。
故に戦乱は多く。
極めて貧しい国家が多い中央へと伸びる荒野や山間部国家からの侵略はよくある話の一つであった。
そこらの貧しい後進国が一発逆転を掛けて沿岸諸国への拡大政策を取る事が歴史家の間では通説であり、実際そのようにして内陸まで深く細長い領土を持つ元内陸国が複数存在していたりする。
人の歴史が紡がれたこの五千年。
その地域において大陸に名を残す偉業があったとすれば、それは南部を仕切る大帝国。
イグニシア・クルシスの水分(みくまり)の女神伝説。
その信仰の発生地が諸国の何処かにあるらしい、という歴史的な事実くらいだろうか。
帝国が南方を平定しつつあった数十年前。
それでも南西部には独立自治を掲げる国家が多かった。
が、それらの国は大抵帝国の経済圏のお零れに預かっているからこそ栄えているという公然の秘密を前にして、ほぼ属国に近しく。
帝国の駐留する海軍部隊の寄港地や根拠地になっている場合も多々在ったのである。
ゼスティファ海床国はそんな時期にも遠浅の海に眠る海産資源と鉱物資源に恵まれ、帝国の版図になるまいと自国の船団で全てをこなす稀有な中小国の一つだった。
未だ大陸の物流に七教会の空飛ぶ船が使われる以前。
旧き良き船乗りの故郷として黒煉瓦と蒼い珊瑚から抽出した塗料で塗られた屋根に覆われていたのである。
そんな風光明媚と呼ばれるに相応しい港湾工廠都市セスは大陸でも5本の指に入る海運都市。
船ならば何でも作ってくれると評判の首都であった。
近隣の密林からは南国の果実。
周辺の開けた丘は家畜を飼うのに最適の牧畜現場。
海からは海産物と鉱物資源。
世界でも有数の軍艦を産むと評判な工廠の技術力。
帝国がもしも西部に手を伸ばすのなら、絶対に抑えておきたい要衝。
というのが前評判。
一攫千金を夢見る船乗り達の楽園でもあり、海賊達とて彼の国の酒場では無礼を働かず。
いや、寧ろ誰もがゼスティファと犬猿の仲にある国家が所有する船への公然たる海賊行為を許す資格を求め、王家は忠誠を誓われる程の権勢を誇っていたのである。
もし彼の国の短所を挙げるとすれば、それは一つ。
数百年前に抱いた海運業による莫大な富を持って全ての海を従えようとした大帝国建設という覇業に失敗して領土欲を失っていた事に尽きる、と大抵の周辺国の政治家達は語るだろう。
それも致し方在るまい。
歴史の何と奇天烈な事か。
そう納得するには彼らが天に二物は与えられても三物は与えられなかった事を知る必要がある。
ゼスティファが技術も資源も資金も人も戦力も保持しながら、それでも運だけは無かったと肩を竦められる理由。
それは一足先に南方の諸国家をほぼ押さえ、絶大な影響力と強大な陸軍を有し、南方各地を併合せずとも自勢力として固め切った存在。
イグニシア・クルシスが存在していた事に尽きる。
数百年前、1度の激突で両雄は並び立たず。
内陸の反帝国を企図する国家を戦乱に巻き込んでも勝とうとするも、目論見は外れ。
彼らは正しく海の上で怯えて暮らすか。
ひっそりやっていくか。
滅ぼされるかの三択を迫られた。
以来、すっかり覇道への牙を抜かれたと言われるゼスティファはあくまで平和的に海運業で程々な発展をしていこうという鳩派路線が主流となった。
百と数十年前。
近辺の国家に魔王が襲来。
その後に周辺国が被害の余波を受けて国家の興亡激しいという時勢にあってはその安定志向が顕著となったのも致し方ない話に違いなかった。
「でぇ、だ。嬢ちゃんは何処から来たんだって?」
「えっと、教会の方から、だよ?」
首都セスの端。
よく海賊達が使う埠頭の一角。
南方から西側航路で北部に向かう途中の品の良さそうな旅客船。
それも全身鎧(フルプレート)の騎士様が見えた獲物を襲ったのは大小30隻からなる大海賊団。
【驟雨のアストーハ】
南西海域なら知らぬ者はいない極めて良心的な船団の長の名はシュエート・アストーハ。
元々は滅んだ沿岸国で軍属をしていたと言われるもうすぐ六十になろうという頬に刃傷の髭面。
話し方は粗雑にしても、身形は何処かの貴族のように整っており。
その船員達もまた二日に一回は風呂に入るという“極めて良識的な匂い”をさせていた。
海賊の一番の問題はいつでも臭過ぎる事だと言ったのは誰だったか。
それを考えれば、酒場で酒と潮の匂いだけで済ます男達は顔と風体こそ凶悪だったが、十分に他の同業者から気取りやがってと言われるくらいにはきちんとしていた。
ベロンベロンに酔った輩は折らず。
ほろ酔い加減で酒の手を止め。
この今日最高の獲物だった教会の船から浚ってきた少女を前にしてニヤケ面もせず。
そっと船長との話し合いに耳を傾けている様子は思わず哲学者かと同業者が見たなら驚くだろう。
無論、そんな言葉が出てこないのは確定的で精々が「おめぇら、何か悪いもんでも喰ったのか?」という卑近な言葉に置き換えられるのは決まっていたが……。
「オレぁ、こういっちゃ何だか自分でも自覚があるくらいには博学だ」
細っこい金木犀の色をしたワンピース。
黒い髪の少女が小首を傾げ。
その愛らしい顔付きに疑問符を浮かべる様子は普通にしか見えない。
いや、とても船長が話をする相手に選ぶとは見えない、というのが正しいだろうか。
それを分かっているからこそ、船員達の誰もがその自分達の長の酒の一つも頼まずに少女を前にして真剣な表情を浮かべている様子に注目していた。
「お嬢ちゃん。大司教だろ?」
「どうして分かったの?」
少女が目を丸くしてアストーハの言葉に驚いていた。
だが、逆に驚いたのは船員達の方だ。
こんなまだ餓鬼としか言い様のない少女が、教会の中でも極めて重要な位置にいる位だと言うのだから、自分達はもしかしてかなり危ない相手を襲ってしまったのではという不安が彼らの顔にはアリアリと浮かんでいた。
それもそのはず。
何かと海では常識的な常識というやつは役に立たない事が多い。
魔の海の怪物。
異種との戦い。
歳を取らない呪い師。
胡散臭い数百年物の魔術師。
何でもござれだ。
少女もまた普通ではないのだと彼らは己の長の言葉から何となく察していた。
「坊主ってのはどうにも説教臭くていけねぇ。オレのとこの教会には頑固な奴が昔いてな。そいつからいつか坊主にならねぇかと誘われてた事がある」
「成らなかったの?」
「ああ、その前に国が滅んじまったからな。ったく、魔王の余波ってやつだよ。オレが生まれる前の話が未だに尾を引いてやがったのさ。ま、それで荒くれ共の中で船を持ってからお宝を求めてウロウロしてたら、いつの間にか大所帯だ」
「へぇ~~」
少女が頷くのに任せて。
アストーハが溜息を一つ。
「でぇ、だ。もう一度聞くが、嬢ちゃん……あんた一体、この地域に何しにきやがった? この地域に大司教はもういるだろ」
「うん……」
「……それとアンタの護衛騎士共が名残惜しそうにしながらも抵抗らしい抵抗もしねぇでボートで逃げ出しちまったのも腑に落ちねぇ。いや、確信的にオレはアレがアンタを見捨てたからの行動だとはとても思えねぇ」
「―――オジサン。頭良い?」
少女の言葉に船長と呼ばれて久しい彼は苦笑した。
「言ったろ。博学だって」
「……オジサン。この海域にどれくらい海賊がいるか知ってる?」
「ん? ぁあ、何隻だったか……たぶん、300隻はいねぇだろ」
「正確には284隻だって」
「そうなのか?」
「うん……」
「で、どうして海賊船の事なんぞを大司教の嬢ちゃんが気にする?」
少女が僅かに視線を俯けた。
「海賊の中には良い人もいるって、あの船にいた人達も言ってた……」
「ははは、良心的な海賊か……まぁ、それの度合いにもよるが居るだろうさ」
「でも、海賊は悪い事もする、よね?」
「まぁ、商船を襲って敵国の船から略奪。奴隷強奪。ついでにお楽しみ。あるいは男を海の藻屑。良くある話だ。オレのとこは商船や旅客船の女は皆祖国に帰してるが、男は奴隷として身代金代わりにその国へ売り飛ばしてる」
「……海賊って宝物が好き、なんだよね?」
「ああ、そうだな。大抵は好きだろう。かくいうオレもそういう一人だ」
「だから、宝物が無くなったら……皆海賊止めようって思わない?」
「思う奴はいるかもな。だが、生業にしてる奴もいる。商船だの旅客船。もしかしたら軍艦。狙う船がいる限り、海賊家業は無くならねぇだろうよ」
「じゃあ、海賊がみんな割りに合わなくなったら止めようと思う?」
「そりゃぁ、合わなくなる、ってんなら、そうだろうが……教会が海賊退治か? 言っちゃ、何だが……海賊の中には魔族だの魔術師だの異種や亜人も多い。ヤバイのだと海神を味方に付けた奴とかもいる。とても教会にどうこう出来る相手じゃ―――」
そうアストーハが言おうとした刹那。
ダガンッと酒場の戸を蹴破るようにして慌てた様子の船員が駆け込んでくる。
「お頭ぁあああああ!!? た、大変だぁああああああ!!?」
それに目を向けて、チラリと少女を見た船長は何事かと息を切らせてやってきた部下に一杯水を飲ませて落ち着かせる。
「どうした? 今にも津波で流されそうだってぇ顔して」
「そ、それがぁ!? それがよぉ!? 今、バガン・ドゥの海賊船がみ、港に!?」
「バガンッ?! 空だって飛ぶ【神船】じゃねぇか!? 百年に一度寄港するかしないかの海賊船が今此処に来たってのか!?」
「そ、それだけじゃねぇ!? ふ、船の連中が皆教会の鎧共に捕縛されてやがるんだ!?」
『何だってぇ!?』
ざわつく男達を治めるようにしてアストーハが全員にそちらへ情報を収集しに行けと命令して、酒場の中から男達が即座に捌けていく。
残るのは数名の腕っ節と魔術の強い猛者のみ。
その誰もが未だ席を立たない少女を前にして静かに……だが、一瞬の挙動も見逃さぬよう臨戦態勢を取っていた。
アストーハが未だ信じられないという様子で元の椅子にどっかりと腰掛け。
海賊には不似合いな焦がし樽の甘ったるい酒に新鮮な果汁と氷をぶち込んだカクテルを飲み干す。
「っはぁぁ……世の中、何が有るか分かんねぇな。そうか……神船を落す、か。教会は海には興味ねぇと思ってたが、商売でもすんのか?」
男の驚きながらもまだ話を理性的に訊ねる度胸に少女は……選んだのが、この人で良かったというような感情を抱く。
「これからね。新しい事を始めるの」
「新しい事?」
訊ねる海賊に少女は、大司教たる彼女は頷く。
「海で悪い事をする人達を一斉に取り締まるのはその始まり。それから海賊にならなくても食べていけるようにするのが教会の目標」
「海賊の方が良いってな連中はこれからもいるんじゃねぇか?」
フルフルと首は横に振られる。
「これから……海賊は“成れるものじゃなくなる”から……」
「成れなくなるじゃなくて。成れるものじゃなくなるってのはまたオカシな言い方だな」
「教会……七教会はこれから大陸全ての沿岸国に対して大陸規模の大海洋航行同盟条約の批准を行ってもらう事になってる。これに批准しない沿岸国には“海賊の存在を認める”……だから、もう海賊はいなくなるの……」
少女の言っている事を半ば理解していない船員達すらも、その言葉の確信に至る理屈が朧げにだが分かって、ゾッとするような背筋の寒気に襲われた。
それに目を細めたアストーハが頬を掻く。
「つまり……何か? 海賊は海賊と呼ばれなくなる、のか?」
「……犯罪者って呼ばれ方になると思う」
「そりゃぁ……ぁあ、でも、そうだな……そうか……オレ達は誇り高い海賊でも無けりゃ、船に乗って戦う軍人でもない……犯罪を犯してる民間人……あははは、そうか……なんつーか……あっけねぇなぁ……そりゃぁ、成れなくなるだろうよ。格好良いもんでもなけりゃ、なれるもんでもねぇ……海賊が認められない世界……クッソ、反論する気も起きねぇよ」
手を額に当てて。
アストーハが肩を竦める。
「嬢ちゃん……その大言壮語の先に荒くれはどうなる?」
「みんな、普通の船に“就職”させられると思う。そうでなきゃ、きっと陸でお仕事を“斡旋”される……たぶん……」
「かぁ~~~ぶっちゃけ言うが、それ考えた奴、悪魔だろう? 海賊は海賊だから、海を渡っていけんだよ。海賊だから、国から認められ、海賊だから、宝が欲しい。宝が欲しくて海賊になるやつもいるが、それは海賊になると宝が欲しいが同義ってやつだったからなんだ。けれど、嬢ちゃんの言う“世界”にはきっと海賊ってのは響きが犯罪者のそれと変わらねぇんだろうなぁ……」
「………」
アストーハが参ったとばかりに両手を挙げるジェスチャーをした。
「降参だよ。つまり、アレだろう? “海賊がいる”なんて国家がこれから先は生きていけなくなるんだろう? そうだよなぁ……“犯罪者集団”が屯ってる国にまともな貿易交渉する奴がいるわけねぇ。そして、それはつまり海賊がいてもいい国が消えていくってこった」
「うん……」
思わず、だろう。
少女に向けて腰の剣やナイフを抜こうとした男達が自分達の船長のギロリとした瞳にシオシオと萎んだ様子となる。
「一言いいか?」
「……どうぞ」
気拙そうに少女が視線を下げる。
「食えるようにしてくれよ?」
「―――」
少女が思わず顔を上げた。
其処には肩を竦めた男が大きな溜息を吐いている。
「海賊家業に刃物は要らぬ。船とこの手が在ればいい。ってのが、南西部の海域に屯してる“犯罪者”の伝統ってやつだ。まぁ、悪事を働いてきたのは事実だ。何を言っても、今までやってきた事がチャラにはならんだろう。そのツケをオレ達は自分達の命で払ってきたが、もうその方法じゃダメだと言われるわけだ……七教会、だったか? 近頃、幅を利かせてる陸での話は耳に入ってきてる。名前を窺おう。大司教殿……いや、教会の聖人よ」
アストーハが立ち上がり、軽く礼をして少女を見つめる。
「ミュルト。ミュルト・ジオバトス」
「我が名はアストーハ。アストーハ・シルメイエ・ニェハエル……旧き時代の血を引く元王家の出と言えば、聞こえはいいが……まぁ、ただの海賊の頭領だ」
「……アストーハ」
「何でございましょうか? 聖女ミュルト殿」
慇懃無礼に応じてみるも、男はまるで海賊のまま。
「どうして、ミュルトが此処にいるのか。あなたは分かってる?」
「ええ、何となくですが、想像は付きますよ」
「………海賊が全て消えた海にそれでも居場所が欲しい人がいる。だから―――」
「お断りします」
「………」
「と、言おうかと思っていましたが、しょうがない。オレ達にはまだ失えないものがある」
「失えない、もの?」
思わず顔を上げた少女は、ミュルト・ジオバトスは見る。
本当に海賊らしいニヤリとした男の笑みを。
「宝は失ってもまた集めればいい。それがどんなものであれ。命は惜しむよりも使うのがいい。どれだけの時間が残っているのかは知らないが。けれど、誇りの為に死ぬ名誉よりも……」
男がザッと胸に拳を埋めるようにして直立不動となる。
「海に向かって船を出せる明日がオレ達は欲しいッ!!」
船長の背後で男達が自分達の頭領の決断を前にして同じ姿勢を取る。
「我々が歴史に裏切り者と記されるのか。それとも海賊を滅ぼした女の手下と呼ばれるのか。それは分からない。だが……一角の海の男として、全てを見届ける覚悟だけは持ち合わせているつもりだ」
「……いいの?」
「海賊にだって色々いる。オレ達がこうであるように海賊よりも犯罪者と呼んだ方がいい連中が多いのもまた事実だ。正義の味方には成れないが、海の上で生きる限り、波を読むのもまた船乗りの資質。だが、それに見合わぬ舵取りを見咎めたならば、我々は燦然と反旗を翻すだろう事をお忘れなく」
「―――うん。ありがとう」
ミュルトが差し出された手を取って立ち上がる。
「では、さっそく我々に名前を付けて頂こうか。雇い主様よ。貴方が率いる者が海賊と名乗っていては都合が悪いんだろ?」
ミュルトが僅かに瞳を閉じてから、彼らを見つめる。
「七聖女の一人。ミュルト・ジオバトスが此処に記す……アストーハ・シルメイエ・ニェハエル。そして、その一党にこれより七教会第一海洋支部第一海洋戦隊【レヴィアタン】の称号を与えるものとする」
「レヴィアタン……海の魔性……教会の称号には不釣合いでは?」
「……これ、ミュルトの名前だから」
「?」
「北と東の海でみんながミュルトをそう呼ぶから……」
「―――ああ、ここらの海賊でも聞いた事はある。そうか……海賊を滅ぼすモノ……北の屈強なバイキング達が消えた理由は……」
海に君臨した北部最強の船団を、2000隻にも及ぶ巨大な陣営の戦力をたった一週間で消したと噂の怪物の名も確か……そう思い出した彼は困ったように笑うしかなかった。
だが、それもまた世に祝い事として捉えられていたのは確かだ。
彼らが拿捕した船から奴隷として連れ去った人々が今は祖国に戻り暮らしていると、彼が開放した人々から流れてくる情報にはそうあった。
「うん……」
「いいだろう。海賊も船の看板を架け替える時期ってぇこった。またの名を人々が歓喜を持って呼ぶならば、我らの未来は貴方に掛けてみよう。希望の灯女神よ」
「よろしく、ね?」
『お頭ぁああああああ!!!? 空がぁああ!!?』
外の見張りの絶叫にミュルトが歩き出し。
それに付き従った海賊もまた酒場に金貨を一枚置いて出る。
その日、全ての海賊が見たのは未だ大陸でも類の無い光景。
七教会の強大さを示すに足るだろう新しき常識。
海水を小雨のように降らせながら、海側より浮上して街の低空へと侵入してくる空飛ぶ巨艦の群れだった。
「は、はははは……これが七教会。これが……海賊を滅ぼすモノの正体か!!?」
帆船ならどんなに大きくても200mが限界。
軍艦などならば、極大にしても300m。
だが、彼らが見たのはそれを遥かに超える。
それもどうして浮かんでいるのかすらまるで分からない500m級の鋼の船団。
いや、艦隊。
巨大な竜骨を真上に見上げれば。
横に砲門が付いている様子もなく。
馬鹿デカイ主砲が、長い長いどれだけの口径があるかも分からない砲塔が遠方からもやってくる船の上に複数見えて、誰もが口をあんぐりと開ける事しか出来なかった。
常識が違う。
技術力が違う。
能力における世代格差が開き過ぎている。
「アレは七教会が就航させた……ええと、“はんようむげんきかんしきちゅうくうこうこうかん”【騎師護衛艦(バロン・フリート)】の一番艦【ティアマータ】。これから沢山造られる船の雛形だってフルーが言ってた。アレ、あげる」
その日、世界で始めて七教会に寝返った海賊の名は世に轟き。
十年せず世界から海賊が駆逐される事になるが、その最先鋒となった男達の名は燦然と歴史に残る事となった。
大陸中の海洋史書曰く。
海賊を滅ぼし、救った男。
もしくは海洋の浪漫を奪った悪魔の使徒。
または世界一早く宙に向かった海賊の頭領。
宇宙開発史に名を連ねた最初の男は死ぬよりも先に無限の真空へと旅立ち。
確かに宇の最中に骸骨の旗をはためかせたと教科書には載ったのだ。
海賊が滅んで以降、ひっそりと七教会の有する大海洋の艦隊が20倍に増えた事は歴史書の中にも語られない七教会海洋史、公然の秘密である。
――――――。
今日の学習を終了した人造生物たる彼女はカシャリとまた映像を途切れさせてひょこりと船の甲板で身を起こすと空に異変を感じて首を傾げた。
「しゃーい?」
―――世界が泥水を啜る人で大勢だった頃。
―――黄金を食べ物に代える人がいました。
―――それを持つ人々は怒り。
―――どうして、そんな馬鹿げた事をするのだと言いました。
―――世は戦乱。
―――巷は修羅の獄。
―――黄金無しには誰も生きられない。
―――黄金は全てに勝り、全ての人を惹き付ける幻想。
―――なのに、何故?
―――彼らに死する運命(さだめ)の者とパンを分け合う者は言いました。
―――その黄金が如何に眩かろうと今消えていく命以上の価値も無いと。
―――この言葉に大勢の人々が怒りました。
―――黄金が無ければ、人は良く生きられぬ。
―――黄金が無ければ、人は何を目指して進めばいい。
―――黄金が無ければ、この世は正しく地の獄ではないかと。
―――けれども、彼らは知りません。
―――血の国(ごく)に沈んだ彼らの尊き願いが世の人を苦しめるのなら。
―――そのパンを分け合う者はきっと世の黄金の全てを平らげても平気な決意をしていたのです。
―――権力という名の黄金に振り回された国で助けた赤子が死んだ日から。
―――金という名の黄金で沈んだ国で抱き締めた友人が無残な姿となった日から。
―――英雄という名の黄金が虐殺した小さき国で息絶える幼子を見た日から。
―――黄金よ。
―――黄金よ。
―――汝、我が前に顕れ出ずるならば、覚悟せよ。
―――我は神も魔も国も世も全て平らげ、人を遍く照らして見ゆる七本の剣。
―――銅も銀も黄金すらも貫く鈍き鋼の裁定者。
―――人が望む最も善き力を壊し。
―――今日の糧と明日を約する最後の頚城。
―――七教会、也。
―――そう彼らの前に立つ者達は語り。
―――黄金を持つ者達は全てが色褪せていく空に起つ旗を前にして倒れ伏していったのです。
―――これは………世の大勢を救うと決めた七人の聖女の物語。
雲間に見えた“風の流れ”で構成される大陸標準言語。
普通ならば、絶対に気付かれないだろう物語を目で追って。
シャイと名付けられて一週間程経った彼女は視線を元に戻し、何も気付かないまま航路先へと目を奪われている保護者達の背中に何を驚いているのだろうとまた小首を傾げた。
「補給しようと思っていた島に着くかと思ったら、まだ発見されていない迷宮? この階層の守護者に誘われていると思うのは僕の気のせいなんでしょうか?」
「我とて驚いている。この大きさ……少なくとも発見されていないのは不自然だ。リュオ先生の言いたい事は分かる。だが、予断は禁物と一応は戒めるべきであろう」
「デカ過ぎるだろ……島、なのかよ? なんつーか……大陸みたいな感じにも……」
三者三様。
リュオ、イフィー、イルトが船舶の甲板で近付きつつある巨大な島を前にして息を呑んでいた。
「観測術式に感有り!! 目標数300!! 来るぞ!? 先生!! イルト!!」
「お、おう!? あ、シャイは中に入ってろよ!? 危ないからな!!」
「シャーい!!」
「いい返事だ。オレの教育の賜物だな」
「イルト君……教えてないでしょ? あれは彼女の元々の資質ですよ」
「う……さすが鋭いぜ。師匠……」
「馬鹿言ってないで準備せよ!! 敵は高速接近中!! 敵個体識別!! 半数は10m型だ!! 汎用結界準備良し!! イルト!! 抜けてくる小型は任せたぞ!!」
「ああ、任せろ!!」
誰もが臨戦態勢を取る帆船の先で構えた。
一人船内への扉を潜ったシャイは少しだけ隙間を空け、後から自分の保護者達の戦闘を観戦し始める。
これでも彼女は勉強熱心なのだ。
そう造られているとはいえ、それでも好奇心と学習意欲だけは段違い。
今日の補習も含めて、呟きは零される。
「たいりくきぼのじんてきしげんをきょうせいてきはいちてんかん。きょうかきょういくによるこうれんどこうししつりゅうどうじんざいそうのこうちく。しょくぎょうせんたくのじゆうかくだいとしょくぎょうししつのきょうせい。かいぞくをさんぷるとしたきかいそんしつのさいだいほてんほうかくりつ」
『行くぜッッ!!!』
戦いが始る最中。
「しゃーい♪」
キョロキョロする瞳は青少年の背中を嬉しそうに追い掛けていた。