第三十三節「聖女の修行」
巨大な大陸とも見紛う浮島。
北部のイファラナへと戻る為の航路に本来そんなものが存在しているわけもないのは誰が考えても分かる出来事だろう。
巨木の密林に押し潰されるようにして地表を見せない其処に船が不時着したのは二時間前。
数百単位の剣獣(ソーディアス)を結界で防ぎつつ、内部へと侵入してくる小物を中衛、前衛の二人で防ぎつつ、大きなのを一発。
という、近頃ようやく様になってきたイルトと愉快な仲間達の戦術は問題なく機能し、ほぼ全ての敵を密碑に変えていた。
しかし、続けて奇襲してきた単独の剣獣が機関部を直撃。
特攻する事で船は高度を維持出来ずに島へと拠らざるを得ず。
シャイに密碑を集めさせつつ。
周囲を軽く探索していたイフィーとイルトは思いがけず見付けた島の内部の施設を前に十m程の距離を保って遠巻きにしている。
辺りは鬱蒼とはしていないものの。
高低差が大きい地形。
ついでに苔生しており、蟲こそいなかったが、何処か太古の森を思わせて冷厳な気配を漂わせていた。
「イフィー。これって……」
「ああ……」
イルトが思わず呟き。
それに灰金の少女は答える。
彼らの前に顕れた施設。
それは堤(つつみ)だった。
まるで小動物が造るような枝の切れ端を集めて川を塞き止めたような水の貯水池が段々畑のように斜面に広がっており、一つ一つ違う水面の色を周囲に反射させていた。
黒、蒼、橙、黄色、赤、白、緑。
多種多様な彩りの饗宴。
何処からか吹く風に揺れる漣が小さく枝の打ち鳴らされるカコカコという音を反響させては波紋を作っていた。
「何かいるのかな?」
未だ日は高いが巨木の陰は涼やかに二人を包み込む。
「可能性はあるだろう。だが、それよりも気になる事がある。後で警戒しておいてくれないか?」
「あ、ああ、分かった。どうしたんだ?」
「あの水の色……気になる」
歩き出したイフィーが堤の一つへと近付き。
その黒い色をした水にそっと手を触れる。
「解析開始……これは……」
薄く水を触れた指先から魔力の耀きが水面に方陣を作り、僅かに安定させる。
「何か分かったのか? イフィー」
「ああ……此処が火薬庫だと言うのは分かった」
「は? はぁ?!!」
思わず驚いたイルトが狼狽する。
「事実だ。イルト……此処では魔力と可燃物、熱量や火花を無闇に発生させる魔術その他の攻撃や錬金術、衝撃を与えるような事は控えた方がいい」
「ど、どういう事だよ?!」
「この水は魔力の一種だ。それも励起済みで液化されている。もし、転化すれば……この一帯が吹き飛ぶぞ」
「な?!」
イルトが思わず一歩後に下がった。
魔力にも色々あるが、基本的に励起済み魔力は物理現象を起こす為のエネルギーとして十分な威力を発揮出来る代物だ。
その中でも励起済み魔力を積層魔力結晶に変える技術は大陸中央諸国の基幹技術の一つ。
だが、その開発史にはもう一つ技術的な普及と普遍化を断念させた形態がある。
それが液化だ。
積層魔力よりも魔力を凝集出来る液化魔力は殆ど液体爆薬と変わらないレベルの危険物。
それが滾々と湧き出している、なんて場所があるとすれば、それはそれだけで大量の爆薬に囲まれているに等しい。
「さ、さっさと帰ろうぜ!!」
「ああ、そうしたいが、どうやらお客さんだ」
「まさか?!」
イルトの傍まで戻ってきた灰金の少女が段々畑となった水の出所。
丘の上を見上げる。
すると、其処には小さな蒼い剣獣が一体。
水面に触れるか触れないか。
その程度の高さを浮遊しながら、二人へゆっくりと近付いて来ていた。
「ど、どうすんだよ!? イフィー!?」
「狼狽する必要もあるまい。徒手空拳で砕くのみだ」
「で、でも、衝撃加えてもダメなんだろ!?」
「やり方次第だ」
自分の手を握って開いてを数回繰り返した灰金の少女はそのまま剣獣に向けて歩き出す。
「イフィー?!」
「いいから、見ていろ。此処から先……こういう搦め手の個体も増えてくる」
互いの距離が縮まっていく。
その様子を固唾を呑んで見守る青少年はもしもの時の為だと合金塗布用の錬金術を発動する寸前で待機させた。
最初に動いたのは少女だ。
間合いが5mを切った途端。
地面を軽やかに蹴って前へと跳んだ。
剣獣がその体表に赤い導線のような刻印を浮かび上がらせ、水面へと己の躯を沈めようとした直後。
ポキンと軽い音を立てて、真っ二つに折られた。
擦れ違い様に少女が両手で刃を挟み込み、手折ったのだ。
同時にポフンと剣獣の肉体が煙を上げて消え去り、密碑が落ちて道端に転がる。
「危なかったな……今のタイプはたぶん、相手に近付いて自動で起爆するものだ。こういう地形で群れに混じって見逃すと静かに戦っても一緒に爆破される可能性が高い」
「し、心臓に悪い……マジで帰ろうぜ? イフィー」
「ああ、そうしよう。まずは船を直してからだ。此処を探索していいのかどうかも含めて検討する。これが単なる守護者による時間稼ぎという事も考えられる。通過してピアリを迎えに行く事も考えなければな」
足元の密碑を拾い。
イルトの元まで戻って、段々畑から降りようと少女が足を踏み出そうとして―――。
「え~~詰らないよぅ。せっかく、ショートカット用の遺跡作ってみたのにねぇ」
「―――ッ」
その言葉に瞬時、反応した少女が自分よりも大きいイルトの腰にタックルするようにして抱き付き。
そのまま魔力の導線を奔らせた足で前に跳躍。
背後に戦闘用の多重方陣を複数張って、距離を稼ごうとし―――。
「ぁ~~これは嫌われてるよぅ。いや、気持ちは分からなくもないけど、他の守護者との扱いの差にショックを隠せなくなっちゃうなぁ」
「「―――」」
何をされたのか。
その場から逃げ出した二人の前には絶壁が立ちはだかっていた。
ビタリと激突寸前で止まったイフィーが振り返り、段々畑の水面に両足を付けてチャプチャプと水遊びしているようにも見えるツナギに眼鏡に白衣姿の研究職ルックな聖女。
否、第三層の守護者を見やる。
「フルー・バレッサ……」
行きは存在しなかった岩の壁が今は背後を閉ざしている。
だが、それも迂回すればどうにかなるかとサッと少女が途切れている遥か遠方を見やった。
「そんな絶望感マシマシな声出さなくても。僕ってそんなに危ないやつと思われるの?」
肩を竦めた偽マッド聖女がアムッと何やら白砂糖を溶かした液体でコーティングされた菓子パンを齧る。
「己の所業を振り返ってから言うのだな。そういう事は……」
「本当の僕が相手ならそもそも出会う以前。知覚された時点で負けてるけどね♪」
「ぁあ、だろうな……七聖女の中で未だに攻略法が見付からないのはお前だけだ」
「ちょ、は、話してないで降ろしてくれよ!?」
イルトが思わず喚く。
自分よりも小さい少女にまるで丸太を持ち上げるように持たれているというのは明らかに恥ずかしいで済む話ではなかった。
「本来なら、お前を真っ先に逃がさなければならないのだが……あちらが戦いに来たのではなさそうだから降ろすというのは教えておく……我の後に隠れていろ」
「い、いや、ヤバイ奴が相手なのは分かるけど、オレも一応は戦闘態勢取っ―――」
イルトの声が溜息で遮られた。
「悪いが今の我でも厳しいのにお前が位置取り的に横にいては何も出来ない。いや、いたとしても何も出来ない可能性の方が大きい。今だけは出来る限り、我の指示に従ってくれ」
「わ、分かった……それにしても、フルー・バレッサって、あの七聖女の、だよな?」
情けなくは思うものの。
それでもイフィーが常とは違う極めて冷たい声音を出すものだから、何も言わず後に下がってイルトが訊ねる。
「ああ、そうだ。中央諸国でならば、世界一の発明家。世界一の資産家。世界一の技術者。世界一の科学者。世界一の刀鍛冶。そう言われている女だ」
その言葉にこそばゆいと言いたげに白衣姿の少女が苦笑する。
「物凄く他にも言いたそうな紹介ありがとう♪」
「……何をしに来たと問いたいところだが、今はこう言おうか。ピアリ。我らの仲間は何処だ?」
「今は僕の研究施設にいるよぅ。大丈夫、心配しなくても牢屋に繋いでるだけだから」
「な?! ピアリを浚ったのはお前かッ!?」
イルトが思わず叫ぶ。
「うん。ちょっとやりたい事があってねぇ♪ 危害は加えてないし、君達が来るまで何かされる事も無いから安心していいよぅ♪」
「それの何処に安心すればいいのやら……それで我に何を言いに来た?」
イフィーの瞳は今までになく冷たい。
それが分かってイルトは背後にいるというのに背筋を僅かに震えるのを感じた。
十秒程、無言で麺麭を齧っていたゴクリとそのやたら甘そうなものを喉の奥へと嚥下して。
パッパッと手に付いた屑を払う。
「君達に天蓋蒼星のレクチャーを一つと思って」
「レクチャーだと?」
「うん。だって、此処まで降ってきてるのにまだ分かってないみたいだったから」
「何をだと訊ねてもいいか?」
「勿論!! 僕って極めて説明好きだからねぇ♪ 本来」
「………」
ニコリと笑った極めて超越者達に畏れられる少女が液化魔力の水面を裸足でペタペタと歩いて上へと向かう。
僅かに振り返ってからまた昇っていく様子に付いていくしかないかと灰金の少女は大きな溜息を吐いた。
「リュオ先生に今起った事を伝え―――」
「一緒に行くぜ」
「イルト……さっきも言ったが―――」
「いや、此処でイフィーが戻ってくるかどうかの方がオレには重要だと思える。オレが足手纏いなのは分かってる。だから、もし何かあった時は自己責任でいい。構わずにやってくれ。オレだって此処まで来たんだ。それくらいの覚悟はあるさ」
躊躇無く言ってのける青少年の瞳が退かないと決意した様子なのを見て取って、何も言わずに白衣姿の背中を追って灰金の少女は歩き出す。
二人が追いつくのに任せて。
のんびりと散策するような足取りで歩みを進める偽聖女は液化魔力の上を危うげなく昇っていく。
「ねぇ。此処が何に該当するか。分かる?」
その問いに少女は難しい顔をした。
「該当……いいや、我の知識を今結び付けて考えられる範囲では想像が付かない」
「う~ん。難しく考える事は無いんだよぅ。単純にシンアにとって危ない場所って何に該当すると思う?」
「あいつにとって……」
考え込む少女の後で初めて。
そう、初めて恋敵と言ってもいいのかどうか。
少女が天蓋蒼星へと潜る切欠となったのだろう人物の名前を聞いたイルトは何とも言えない感情が胸に靄のように広がるのを感じた。
「大きな国。または力のある個人」
「そうそう。そういう連想ゲーム的な感じで想像すればいいから。ちなみに今のは惜しいよぅ。正解は世界って言えばいいかな」
「世界? 大陸という意味ではないな?」
「うん。あくまで世界。シンア・ザ・クリティカルアンラッカーが見てきた聞いてきた感じてきた世界。この段々畑はシンアの世界を現してるんだよぅ」
「……時間軸に沿った区切りのある場面のようなものか」
「おぉ~~物分りが良くて助かるねぇ。まぁ、言語化するとそれがほぼ正解かなぁ」
「我は泣けばいいのか。あいつの為に怒ればいいのか分からぬ……」
彩りの豊かな水を湛えた堤の数々。
それは美しく。
だが、中身は極めて危険なものに満ちている。
それが世界の縮図だと言われて、素直に喜べないのは当たり前の事だろう。
「はは……まぁ、そうだよねぇ。そう思うのも無理は無い。けど、この“世界”は美しいでしょ? だから、そう気にしなくてもいいんじゃない?」
「………」
「言う程、シンアは世界に絶望してないと思うよぅ。それが現実とどれだけの乖離がある常識なのかは置いておくとしても、ね」
「それをお前が言うのか?」
「だって、僕はシンアの一部だし!! こう!! 本物だったら言えない事もズバッと切って捨てる感じに言っちゃうマシーンになろうかと」
「我はお前の本物をこの目で直接見た事は無いが……聞き及ぶ人格と然して変わりないように見えるぞ……」
「それはシンアが僕の事をちゃんと理解してるって事だよぅ。本物は否定もしないし、頷いてもくれるはずさ。誰かに指摘されたら怒っちゃうかもだけど……」
「怒る?」
「僕達七人の聖女が背負うべき業ってやつだよぅ。まぁ、気にしなくても」
「……何が言いたい?」
「ねぇ。イフィ……今はイフィーだっけ?」
「ああ、そうだ」
「君はどうしてシンアを助けようとするの?」
「答えて欲しいのか?」
「全然!! 訊かなくても知ってるし!! ちょっと、君の気持ちを確認しただけだよぅ。そっか~でも、君みたいな子が良いだなんて、シンアも随分と趣味が変わったよぅ」
「誰にでも良い顔をするあいつしか思い浮かばないのだが。女の趣味なぞあるのか?」
「あははは、うん!! そうだよねぇ。まぁ、昔は色々とあったんだよぅ。色々と」
「気になる話だな」
「ふふ、そう言ってくれてシンアだって嬉しいはずさ。でも、一番大切で大好きだった人は……趣味って言
っていいんじゃないかな」
「一番、か。あいつに問い詰めたら、あの困った笑みで誤魔化されそうだな」
「そりゃね。でも、その恋は叶わなかった……追い詰められる度に誰かの顔が脳裏に浮かぶなら、それはきっと彼女で……でも、何一つ解決なんかしなかった。この天蓋蒼星はシンアの未練の精粋。してあげられなかった事の結果。だから、誰にだって優しい。けど、本当に優しくしたかった人から向けられた刃は……いや、大事にしたかった人達から与えられた傷は……無限大なんだ」
「―――そうか。それが……」
少女は知っている。
それはいつだとて、あの少年を苛んでいたものだと。
「この世界に巣食う敵はね? 君達に向けられたものじゃない。シンアに向けられていたものなんだよぅ」
少女は思う。
どうして今まで気付かなかったのかと。
もしも、その心が顕れたなら、誰を傷付ける必要もなく。
きっと、自分を傷付ける事を選ぶはずで。
その相手が見知らぬ誰かだなんて、あの大の付く馬鹿者は考え付きもしないだろう。
最初から剣獣なんてものを生むはずもないのは明白だったのだ。
「では、剣獣が齎す【蜜碑(キャラクト)】とは何だ? 傷を消してくれたお礼という事、なのか?」
「う~ん。それとはちょっと違うかなぁ。戦った後に残るものって何だか分かる?」
「戦った後……経験、記憶。いや、守った誰かとの……」
「そうだよぅ。じゃあ、その気持ちは何の役にも立たないと思う?」
「気持ち……」
灰金の少女が先程倒した剣獣の密碑を外套の衣嚢(ポケット)から取り出して見つめる。
「それはきっと自分を育ててくれるんじゃないかな? もしかしたら、何かと戦う時、勇気付けられるかもしれない。苦しい時、哀しい時、辛い時、思い出したら元気が出るかもしれない」
「……それが密碑(キャラクト)……」
「無限の刃が魂を切り刻んでも、その傷を乗り越えた時にこそ、人は気付くんだよぅ」
いつも眼鏡を欠かさない少女はそれを外す。
「自分が辿ってきた道は決して無駄じゃなかったって」
少女がそっと密碑をその手に握り締めた。
「此処は記憶の園。君達が手にしているのは他の誰でもない世界で一番戦って、世界で一番傷付いて、誰よりも誰かを守ってきた。その誰かさんが何億回、何兆回と思い出した……大切な気持ちなのさ……それは等しく夢見られた理想郷の欠片達……」
偽聖女が微笑み。
最後の堤の上に立つ。
その水面に浮かぶのは彼女達の時代。
あの懐かしき始まり。
まだ、単なる五人の旅人が己の目的の為に歩んでいた頃の風景。
「春を燃(く)べて、夏を燃(く)べて、秋を燃(く)べて、冬を燃(く)べて―――」
二人の前に広がる段々畑が緩やかに仄灯かりを宿して周囲が暗くなっていく。
「朝を燃(く)べて、昼を燃(く)べて、夜を燃(く)べて、刻を燃(く)べて―――」
眼鏡を白衣に仕舞った少女は天を仰いで手を伸ばす。
「君を燃(く)べて、貴方を燃(く)べて、己を燃(く)べて、全てを燃(く)べて―――」
彼女が握り締めた時。
それは顕れる。
剣獣。
いや、それは剣にしても柄だけの何ら変哲の無い握りだけのガラクタにも見えた。
しかし、イフィーは突如として顕れたソレに思わず拳を握る。
「それは―――」
「此処には誰かさんが今まで受けてきた全てがある。だから、こういうものだって在るんだよぅ。これは僕の奇跡で時間制限付きで複製した代物だけど。本物は―――」
一振りの後。
あまりにも華麗な一線が巨大な浮島を割った。
まるで劇の書き割りが動いていくかのように。
偽聖女の背後の風景が沈んで消えていく。
「“物理的な威力すら伴わない”……完全無欠の神器だって言われてる」
今まで何とか内容を飲み込みながら灰金の少女の背後でいつでも逃げられるよう待機していた青少年は思う。
(ああ、クソ……オレ、場違いなんだな……)
心底に自分は部外者なのだろうと。
何を言っているのか。
何をしているのか。
何を互いに語り合っているのか。
その心中すら彼には未だ理解出来ない。
だが、確かに思うのは少女の背があまりにも小さくて。
その背後に庇われる己が情けないという事。
「情報にあった審判の剣か。何故、そんなものを此処で持ち出す?」
その問いに白衣の聖女は肩を竦め。
ソレを彼らに突き付けた。
「温情だよぅ。今のままじゃ、どうにもならない君達へのプレゼントってやつ。僕も守護者らしい事しなきゃとは思ってたんだ♪ いや、だって、本物の僕が最終層に到達するまでもう一年無いだろうし」
「?!」
その言葉に少女の顔色が変わる。
「フルー・バレッサが既に最終層付近まで到達しているのか!?」
「うん。それどころか。今、最終層一歩手前であの破壊魔を守護者家業ほっぽり出したメルフが足止めしてる有様だし」
「―――どうやら事態は切迫してるようだな」
「世の中、儘成らなくて僕も困るよぅ。だから、君達には此処で強くなって下に向かうか。もしくは此処の記憶は諦めて、他を探すのお勧めしに来たってわけ」
「……今のを聞いて『さすが、七聖女』と感心している暇も惜しくなった」
「あはは。それでこそ魔王の娼婦♪ じゃあ、ちょっとは此処で強くなってもらおうかな。今、君が必死に押さえ込んでる力を此処で段階的に解放してみて? この頚城がある限り、暴発して体毎消滅したりはしないはずだから」
「……そういう事か。偽物とはいえ、神器を持ち出した理由は」
「うん」
ニッコリ微笑むマッド聖女がこれから何をしようとしているのかを理解したイフィーが大きく息を吐いた。
急展開に過ぎたが、諸々時間が無いと知らされては無茶も無理もしなければならないだろうとこれからの工程を見直して。
「イフィー。これから何を始める気なんだ?」
背後からの心配そうな声に大丈夫だと言おうとした彼女の横を何か耀くものが通過して。
トスリとイルトの胸に突き刺さった。
「ぁ……?」
「イルト!?」
思わず動こうとした少女が背後から強制的に動きを止められて指一つ動かせなくなる。
「はーい。そっちは構わないでねぇ♪ 僕は仮にもあのフルー・バレッサなんだよぅ? 強くしてあげるのにちょっと生死を掛けさせるなんて当然!! そもそも覚悟は出来てたんでしょ? そこのおにーさん」
胸に突き刺さっていたのは細い鉛筆のような円柱状の金属棒だった。
「イルトは関係ないだろう!! 我だけを強くすればいいではないか!?」
ドッとそのまま仰向けに倒れ伏した肉体がビクビクと痙攣し始める。
「そんなの何の意味も無いんだよねぇ。君は途中までをスムーズに進む為、仲間を連れてきたのかもしれないけどさ。実は天蓋蒼星って最小攻略単位五人からの迷宮(ダンジョン)なんだよぅ。だから、君達にはそれ相応の対処をさせてもらうから」
「ッ、イルトに何をした!?」
「これこそは僕(の本物)が生み出した四十八の必……最終兵器の一つ!! その突き刺した人間の遺伝構造を解析して最短ルートで一番能力が伸びて強くなれる“超常の力”を開発する発明。その名も【血述廻稿機関(ジノ・レベルト)】!! 本来は魔王複製実験時の記録から魔王の力の複製を遺伝レベルの生体改造で生み出せないかって考えてたものらしいんだけど、本物は途中で開発止めちゃったんだよぅ」
「な?! そんな危険なものを打ち込んだのか!? イルト!? オイ!? イルト!! 気を確かに持て!!?」
放している間にも胸に突き刺さった金属棒の周囲に0と1の光の円環が回り始め、幾何学模様の回路が打ち込まれた犠牲者の魔力を吸い上げて駆動し始める。
「あ、心配しないで♪ 僕も鬼じゃないから、死んだら記憶在りで祖国に戻しておくよぅ♪ ちなみに本物が開発止めた理由は至って単純で―――」
ヌッと倒れていたイルトの肉体が突如として肉体の力ではない。
何らかの不可視の力で起き上がったかと思うと痙攣している身体もそのままに片手が拳を握って、金属棒の全てをドンと胸に押し込んだ。
「遺伝特性の解析結果を元に能力開発を勝手にやると脳機能が関わる力とかだとシナプスの再編強化とか増殖とか再構築時に暴走するみたいなんだよねぇ。本能って言うの? 人間が本来持ってる暴力的な側面とか、欲望みたいなのが、ね?」
止まったままのイフィーが虚空に浮かばされ、聖女の方へと引き寄せられる。
そして、それをまるで硝子球のような瞳を血走らせた青少年が凝視した。
「な?! つまり、イルトは!?」
「ん~~頭脳は獣!! 心も獣!! その名は原始人類×異種が普通だった頃の亜人始祖種!! って感じ? まぁ、今の人類も純粋な人ってわけじゃないし。そもそも亜人と人間の違いなんて、亜人の方が異種の血が外見的に強く出てるってだけで、実際に全人類規模で見たら何の能力も無い人間もカテゴリ的には原始人類と異種の混血結果として人間寄りに血が濃くなった亜人な―――」
ドゴッと今までフルーがいた堤が衝撃に崩れた。
地面に拳を打ち込んだイルトの腕がシュウシュウと熱量を高めながら膨張し、各所から血飛沫を噴出させ、一端止まるとまるで縄で縛り上げたかのように元の大きさへギチギチという音をさせて変形していく。
肉体全体も同じく膨張と同時に出血、収縮して引き締められた後、元へと戻った。
が、その瞳は未だ普通の意思を通わせているようには見えず。
ゆっくりと唇の端が吊り上がり、アルカイックスマイルが浮かべられる。
それを見れば、イルト・イナーシタが正気でないのは一目瞭然だった。
ドッと地面を蹴り飛ばして跳躍。
魔術を使っているわけでもないのに20m近く離れ、10mは浮遊していたイフィーの喉元に指先が触れようとして―――見えない壁によって弾かれる。
何も無い彼女達の背後の虚空へと彼だったモノが高速で落ちていった。
「イルト!?」
「大丈夫大丈夫。仮にも魔術師の資質があるなら、浮遊くらいは簡単に出来―――」
ジャゴンッとイルトの手元から伸びた薄い金属の刃のようなものが切り離された島の断面に突き刺さり、その落下を食い止めると同時に柔軟にまるで液体のように波打ちながらバネ並みに撓って、当人を真上へ打ち上げた。
「ん~~? 魔術師って言うよりコレって」
「イルトは錬金術師だぞ!?」
イフィーが叫んだのとほぼ同時。
金属の刃が突き刺さっていた島の断面に異変が起きる。
急激に熱でドロリと溶けたかと思うと即座に煌く金属質の物体となって、また液体のように波打ち。
イルトの跳ね上げられた身体に向かって打ち出されたのだ。
その腕へと体積を減らし、凝集されながら大量の液体金属が巻き付く。
今度は一度邪魔したフルーへとその暴力は向けられ。
指先が鋭い螺旋(ドリル)状の爪と手甲に覆われた。
メタリックな外見はまるで機械の腕にも見える。
指先には薄緑色の耀きが宿り。
フルーの心臓の直上でまた見えない壁に阻まれながらも今度は弾き飛ばされる事なく。
その構造を回転させ始めた。
「おぉ、凄いよぅ♪ 魔術師相手に試した事はあったけど、大魔術師クラスの暴徒になっちゃったから止めたんだよねぇ。そっかー……錬金術師に試すと物質さえあれば、元素変換能力持った全身【質量武装(イングネス・アームズ)】化機能付き暴徒になると……う~ん、この本物すら知らない情報……ちょっと特した気分♪」
「言ってる場合か!?」
イフィーが思わず喚いたのも仕方あるまい。
常識的に自分の実力以上の事をやらされているのだ。
第二層でユアン・クオ相手にまともな対策が無かった為、一発逆転の芽として作った合金製の変装道具も今はイルトの懐に収まっている。
元々が軽量化された形状記憶合金状の【質量武装】のようなもの。
少なくともその力は防御力や攻撃力面で高格外套並み。
だが、生身で使うにはそれなりに肉体の負荷が大きく。
事前の魔術的な身体の防護が必須で使い難い為、当分はお蔵入りの予定だったのだ。
先程の出血といい。
膨大な膂力や瞬発力といい。
肉体の異種的な変化を無理やり、ソレで整形して人型を保ったと考えるのが自然。
そんな無茶をしては肉体がすぐにボロボロになると彼女には思えた。
「心配しないで♪ さすがに脳内情報保全と肉体保全は能力開発とセットの機能だから。細胞増殖分のテロメア補充と癌化の副作用は克服済み。細胞変質による生体機能の変化もある程度は人間準拠になるよう調整。肉体の外見的変貌も開発終了までに前の個体の情報と+-0.0002%以下になるよう造ってあるから。あ、それでも生死は掛かってるから心配しなくてもいいよぅ♪ 全部終わった後、自分がやった事に絶望して自殺したくなるって感じの生死だけど」
「このマッド聖女め!? 直す方法は!!」
「とりあえず、実力の1000分の1も出せてない今の君が抑えてあげればいいんじゃない? まぁ、出力調整ミスるとその子が死んじゃうから、そういう意味でも修行になるし♪」
「クッ、何処が守護者は本物と違うだ!!」
思わず毒付くイフィーをポイッとフルーが虚空に放る。
「あ、一応言っておくけど、性衝動とか暴力衝動とか殺戮衝動とかは人間依存だけど、食欲とかの原始生物的な衝動は異種主体だから。“どっちの意味でも”食べられないようにねぇ~」
「……絶対に後で倒す!!」
「そこのナイーブそうなおにーさんがハッと我に返るまで三時間くらいだから。その合間に力の制御をある程度修得しておいて。じゃ、深遠の遺跡で待ってるよぅ♪ 上手く行けば数週間後に会いましょ~(キラ☆)」
偽聖女が胡散臭いウィンク一つ。
虚空へ溶けるように消えて。
残ったのは少女と青少年のみとなる。
しかし、聖女が消えたのを見た途端。
股間を怒らせてダラダラと涎を垂らしながら笑う獣が……猛然と背中に纏った液化金属を翅のように羽ばたかせて加速した。
その口が大きく開かれる。
瞳には理性の欠片も無かった。
「……悪いな。イルト……だが、お前が付いて来たのだ。自分の言った事くらいは守れ。我もお前を守ろう。三時間程度、お前を守り切って踊るなぞ造作も無い!! 喜べ!! 我もお前もまだ先があるぞ!!」
指先が再び首を掴もうと迫る。
地表に激突する事は不可避で。
二人の影が巨大な魔力の転化による爆発の最中に消える。
一帯を吹き飛ばした刹那もまた彼らの戦いは続いていた。
三時間を迎えるより先に島の方が持たないかもしれない。
そんな少女の思いは……このあらゆる意味で極めて戦い難い相手との戦闘工程の組み立てで埋没していったのだった。