※この作品はR-18です。

聖娼館ハルトゥム   作:Anacletus

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第三十四節

第三十四節「小悪戯」

 

 大陸中央諸国における生活の自動化というものが進む昨今。

 

 それは極めて多用なマニュアルの高度化とオート機能における意思決定機会の喪失という形で社会の中で問題化されている。

 

 単純に言えば、人は人の負担を減らす為に作られた行動決定原理であるマニュアルとそれを実行する形の機械や魔導に委託した行動の中で選択するという事を意識的に捨てている。

 

 そう言われているのである。

 

 これは社会の高度化が進む大陸中央ならば、その度合いが社会常識と社会規範に見合っていれば、社会的意思決定権(コンセンサス)が許容する事で容認の流れとなる。

 

 しかし、それが進み過ぎた、と言われるのは主に稠密な計画と工程と結果が必要とされる軍事における全般だ。

 

 事実として、大陸中央の軍事力というのは高度な政治的な意思決定ないし、巨大な大陸全土を包括する資産と軍事と宗教の塊である七教会に左右される。

 

 この中で進められたあらゆる軍事関連技術、事務処理、意思決定の妥当なマニュアル化は一定のクオリティーを発揮する代わりに大局的な観点に立った末端の意思決定にその所属集団にとっての不利を齎す。

 

 要は誤差を僅かに超える範囲で問題が検出される。

 

 戦争が起るのに昔なら一本の矢があれば十分だったのは今も変わらず。

 

 それが銃弾に置き換わっても本質は同じ。

 

 しかし、それを判断するマニュアルが極めて広範で妥当性と合理性を追求している為、結果的に人間の汲み取る事の出来る曖昧性……白でも黒でもない灰色(ファジー)さを持ち合わせない。

 

 これは人と人のコミュニケーション内における含意を受け取れず。

 

 また、暗黙の了解や人間の抱えるジレンマが導き出す妥協と打算という機微が反映され難いという状況を示している。

 

 様々な間違いや誤解やミスを極力減らしてくれる弊害(だいしょう)としてなら多くの人々が許容するだろうが、その大半の山積問題は七教会が解決する事で今まで事無きを得ていたと言っていいだろう。

 

 力は正義なり、である。

 

 大陸中央諸国の兵士はこのような環境の中、極限まで突き進む戦闘マニュアルの行使者であり、一種の戦闘機械である事を自認する程度には裏切らない。

 

 この特性が実は大陸中央諸国における教育全般がマニュアルを受け入れ易い体質へ子供達を教育しているからこそ、軍事の門を叩く者達が享受出来る代物である、という事を殆どの人間は知らないだろう。

 

 つまり、七教会の最大の軍事的成功とは他を圧倒する絶対的な武装や人員の質、政治的な地位、巨大な軍事力を裏付ける資産等ではなく。

 

 七教会そのものである彼らを構成する全ての人員を彼らが望むまま大陸中央で分厚い支持層として得ている事であり、その人的資源を何処までも注ぎ込める事にある。

 

 七聖女の意思を代弁する極大の作業機械として七教会の軍事力が行使され、それが大陸中央において絶対の支援を得ている限り、彼らは圧倒的に“負けない”のだ。

 

 戦術レベルでの勝敗。

 

 戦略レベルでの軍事行動の破綻。

 

 そのような失敗を本質的に無為と帰すのは失敗した彼らの後に続き、圧倒的成功を収める後輩。

 

 積み重ねられる経験と知識が裏付けした第二の矢。

 

 七教会が二度負ける事など無いというのが教会を取り巻く神話の一端なのである。

 

 このような事に関わる人々が殆どは一般市民であり、元貴族や元皇族、資産家や政治家、企業家、社会上部層の家の者である事が稀なのも七教会の人材に言える特長だろう。

 

 大陸中央諸国の人材の質を基礎教育レベルから引き上げ、揺り篭から墓場まで彼らを最良の状態で間接的に管理する。

 

 この数十年で積み上げられたシステムが崩壊しない限り、七教会に敵対する国家や集団が見る事になるのは倒しても倒しても出てくる……自分より優秀な人材の群れという悪夢なのだ。

 

(これが“一般人”か……まったく、そこらの父権社会も真っ青の間接管理社会だな。その本質的な意味を彼らが無意識に享受しているのは良いのか悪いのか)

 

 ほぼ愚痴になった脳裏の思考を切り替えながら、イフィー・ファサルトスは虚空を高速で飛翔しながら、追って来る獣と化したイルト・イナーシタを見つめていた。

 

 戦闘発生から約2時間半。

 

 未だ体力が切れる様子も無い半分異種と化した見た目人間の青少年は彼女を捕まえようと御執心の様子で決して攻めを途切れさせる事は無かった。

 

 その戦いの最中で最も彼女が驚いたのは本当に普通の一般人でしかないはずのイルトが七聖女の干渉を受けたとはいえ。

 

 それでも並みの大魔術師を越える能力を発揮した事だ。

 

 とにかく、ある程度戦える一般人程度だった力が飛躍的な発展を見せた事で極めて難しい“手加減”を強いられたのである。

 

 その最たる理由を彼女が何となく察したのは七教会の大陸中央におけるあらゆる政治的な動向を把握し、学んでいたからだろう。

 

(……大陸中央諸国の人的資源の間接管理と教育的誘導処理。制度における優良人材の遺伝的な掛け合わせ。輩出される人材層の遺伝統合による潜在戦力化プラン。そう言えば、イルトはアンデリットの出だったな。マクロ規模の社会人口遺伝操作……シャーレの中の実験を社会で制度によって確立する手並み、か。これが将来的な歩兵役。何十世代先に人間が人間以上に昇華した際には感謝されるとしても、今の時点でもこの―――)

 

 イルトの指先から伸びた弾丸のような速さの細い糸状の金属が網目状に空を覆い尽くしていく。

 

 糸は見えない程に薄く軽いが強度はそれなり。

 

 その上、その全てが本人の持っている錬金術の力を備えており、手足のように周辺の物質を変換、分解、再構築を行う厄介過ぎる網となった。

 

(酸素濃度が上昇中。他にも麻痺毒系の物質を検知。合計十四種……リュオ先生の隙の無さを表しているようなレパートリーではないか。これだけの事をしながら魔力が尽きないのは腑に落ちない……何か錬金の秘奥でも使っているのか? 無限機関や半無限機関並みの出力だとすれば、時間経過で不利になるのは―――)

 

 急激にイルトの周囲1000m内が灼熱して熱エネルギーの渦に飲み込まれていく。

 

 それは急激な酸化現象だ。

 

 原子変換すら可能な錬金術師が無限の力を手に入れたならば、使える程度の能力。

 

 内部に存在する物質は全て酸素による劣化と熱量に曝されて、通常の生物ならば即死だろう。

 

 範囲圏外へと魔術方陣を纏いながら後退するイフィーの目に口を大きく開けたイルトの口内が見えた。

 

 その内部に何やら光点が灯ったかと思うと全身が光沢質な金属に覆われていく。

 

(マズイ?! アレは発射体勢か!? く、通常の魔術で防げる程度ではないな……解析開始……何だこのエネルギー量は!? 重物質の融合程度ではない?! 素粒子レベルの物体を複数検出?! まさか、この放射線パターンは……最小単位の素粒子を融合させて恒常的に反応を持続、エネルギーを取り出していたのか!? この出力に安定性……桁が六つか七つは違うが……恐らく【基幹異種(バルバロス)】並みの能力だぞ……)

 

 本人の今までの経験上。

 

 それだけの物理量を生み出すには極めて高度な魔術による物質の持続的な融合反応か。

 

 もしくは概念魔力を引き出して用いるくらしか方法は無い。

 

 だが、目の前で起っている彼女が手加減しようとしている相手は現在の大陸の知識水準においてもほぼ存在しない……少なくともフルー・バレッサやその高弟達くらいしか内実の詳しい事は分からないだろう未知のエネルギー発生方法を用いていた。

 

 それもたぶんは無意識的にだ。

 

「カ……キュ―――ィ」

 

 口内で収縮した耀きが全てのエネルギーを自己の狭い空間に押し込める事へと注ぎ込まれ。

 

 その威力の九割以上を消費して安全に体内から出ようと静止した。

 

 たぶん半径で何キロ単位化も分からない程度が発射の余波で灼熱地獄と巨大な爆風に見舞われ、直撃地点の爆発から立ち昇る爆圧だけで効果圏内の生物を“昇華”するだろう一撃。

 

 残渣に過ぎない衝撃で膨大な粉塵が超高速で巻き上がり、火山雷のように猛烈な電荷を発生させるだろうソレが放た―――。

 

「おっと!! それは“待て”だ」

 

―――れずに高速で至近まで転移した細い人差し指と中指に触れられて、黒く染まり、そのままフッと消失した。

 

 だが、同時に口がバクリと閉じられ、鮮血が僅か虚空に散る。

 

「ッ―――我に概念魔術を使わせるとはやるようになったではないか。今のは我の全力防御の基礎魔術だぞ? だが、今ので分かった。異種は異種でも物理法則に従ってしかその万能の変換能力は使えないようだな。概念魔力在りで魔術行使可能なら、お前は自分の身体をわざわざ変換せずに“エネルギーを完全に封じ込める”概念魔術でも編んでいればいい。そして、我が接触したならば、法則変換で我を任意の状態にする程度、容易かったはず……何処までも魔術師ではなく錬金術師という事か……まったく、大そうなものだ」

 

 閉じられた口からゴクリと喉を通って細い彼女の一部が嚥下された。

 

 自分の一部を食い千切られたのも構わず。

 

 そっとイルトの頭部が胸に抱かれる。

 

 未だ金属質なままの肉体は極めて重い。

 

 体内では未だに膨大なエネルギーが発生しており、ソレを最初に持っていた浮遊する魔術に注いで揚力を任意に発生させているようだったが、それにしても自重で“内側へ圧壊”しそうな程だ。

 

 軽くする概念魔術でも無い限り、どうなるかは自明。

 

 星が終わって重力の井戸になるように。

 

 正しく存在毎……並み以上の爆弾(ブラックホール)になる寸前の身体は既に動けなくなっていた。

 

「感覚で出来る事は多いのだろう。だが、理性があった時間に得た知識で補正しなければ、そうは上手くもいかない。今の自分の状態を推測し、それを突破する為の物理法則的な知識というやつが足りないのであろう? フルー・バレッサ並みの知識を知る術さえあれば、お前は波動錬金学で言うところの【万能錬金(オムニウム・アルケミア)】の域に届くかもしれぬな……未だあの女にしか手が出せぬ“賢者の釜”の先……宇すら生み出すかもしれぬ【|諸万の論理(フル・セオリー)】に……」

 

 動こうにも動けぬ相手の接触したまま。

 

 虚空で彼女がその瞳を見つめる。

 

「我の指を二本もくれてやったのだ。今日はこれで我慢しておけ。これは我にちょっと本気を出させたご褒美だ」

 

 未だ痛みに耐えても尚麗しい唇が額に軽く親愛の情を示す。

 

『―――イフィー?』

 

 罅割れた金属で無理やり発声したような音がそう紡ぎ。

 

 少女は指を失った方の手を高く掲げて手刀にすると大きく振り下ろして、己が使う概念魔術の一端を発揮して獣の頭をチョップした。

 

 途端、今までのカッチカチな肉体が嘘のようにその色が人間味を取り戻した。

 

 まるで潰れた蛙が出すような、今度こそ普通の声が周囲に響き。

 

 虚空を落下していく。

 

 その肉体が丁度彼女の真下にやってきていた船の甲板に出ていたリュオの放った縄によって絡め取られ、勢いを殺されつつグシャッと嫌な感じに床へと落ちた。

 

『大丈夫ですか……と聞くまでもありませんね。すみません。イルト君がまたご迷惑を掛けたようで』

 

 弟子の不始末に師匠が近場で繋いだ経路経由にかなり平身低頭な声音で少女へ謝る。

 

「いいのだ。我とて久方ぶりに全力を出す準備が出来た。いや、本音としてはもう少しやって魔力を使わずに“本気”を出してみたくもあったが、さすがにあの聖女の言いなりになるのも癪だったのでな」

 

『……詳しいところは聞いていましたが、今回の守護者は厄介そうですね」

 

「そうで、ではない。事実そうなのだ」

 

『はい。ちなみにあの浮島どうやら元に戻ったようで……ショートカットというのは嘘ではないようですよ。復元時にチラリとですが、一瞬あの蒼い柱が地中内部の構造物らしきものの中に見えました』

 

「そうか。では、船で戻って小さくして持ち運ぼうか。非正規ルートで網を張られていたら、面倒事だ。時間を無駄にするのも惜しい」

 

『分かりました』

 

 イフィーが船に難なく降り立つと。

 

 甲板ではグッタリと気を失っているイルトの傍にしゃがみ込んで、シャイが頬を突いていた。

 

 ツンツン。

 

 ツンツン。

 

 その旅に何か悪夢にでも魘されたかのような顔で青少年の顔が歪み呻きが零される。

 

「しゃ~イ♪」

 

 それを面白そうに眺めて、何やら愉しそうにする人造生物は……懐に手を入れると何処から持ってきたものか。

 

 大陸中央諸国ならば有り触れた黒い太ペンを取り出して、キュッキュッとお絵かきの時間と洒落込み始める。

 

「弟子の不始末です。直すの手伝いますよ。さすがに……」

 

 リュオが少女の隣にやってきて、そのもう出血が止まっている手を見やる。

 

「いや、いい。意識があるなら……ッ」

 

 集中した様子でイフィーが傷口を見た瞬間。

 

 肉が盛り上がり、傷口から筋肉が這い出し、見る見る内に元の形を象って肌が再生していく。

 

 そのフニャッとした二本の指内部で何か肉がミチミチという音を立てたかと思うとすぐに骨が通ったらしく。

 

 少女は大きく息を吐いた。

 

「この通りだ」

 

「さすがと言うのは女性の手前、褒め言葉にしたくありませんね……」

 

 リュオが頬を掻いて立つ瀬が無いらしく僅かに視線を俯けた。

 

「いや、我とてこの方法はあまり好かない。本来なら魔術による復元の方がいいのだ。だが、指二つで魔力のストックを使うのもな。ちなみに物理現象である以上、血肉が減る。とりあえず昼飯にしてくれ……さすがに二時間あの攻撃を掻い潜るのは骨が折れた……」

 

「分かりました。もう用意は出来てますから、食堂に行きましょう。イルト君は……まぁ、いいでしょう。今は船も結界を張ってますし、気付けば腹を空かせてやってくるでしょう」

 

「ははは、違いない」

 

「後は……イルト君の事、任せていいですか?」

 

 リュオが声を掛けると角有り幼女がペンを掴んで掲げて笑顔となった。

 

「シャーイ!! イリューと!! カーク!!」

 

「だそうです」

 

 リュオが肩を竦める。

 

 そろそろ日差しが最も暑くなろうという頃合。

 

 甲板で日干しにされる事が決定した弟子に背中を向けた青年に続いて少女が扉の中へと入っていく。

 

「それでイルト君の身体の様子は?」

 

「それは問題ない。先程確認したが今は安定している。腐っても七聖女の偽物。半端な発明で肉体が崩壊するという事はあるまい。そもそもあれだけの肉体開発だ。金属棒も溶け込んでいるようだったし、寿命や能力が勝手に再設定された程度だろう」

 

「それは……後で本人が起きたら、教えてあげましょう。それにしても……あの力、錬金術師を基礎としていると言われても素直には受け入れ難いものがありますね。本来必要な触媒も無しに物質をエネルギーだけで変換というのはまぁ、無限機関並みの出力があれば、波動錬金学的には可能でしょうが……その無限機関並みの出力の維持方法とか……僕は教えた事も無いし、ああいう方法があるとも知りませんでした」

 

 どうやら遠方で観察していたのだろう。

 

 イフィーが解析して分かる程度の結果ならば、錬金術師が本職であるリュオに分からないわけも無かったに違いない。

 

「たぶんだが、本人の知識を異種としての機能が汲み上げて試行錯誤するのだろう。異種の祖先は意思と力が=に近い精神的な生物の側面を持っていた。物質は正しく精神に従う奴隷のようなもの。錬金術師が魔術師と違うのは元々が魔力のような純粋な力を持った異種と錬金術のような物質を従わせる力を持った異種の二種類だったからだとの話もある」

 

「つまり、イルト君は魔力型の異種ではなく。物質変換方の異種を祖に持つ。いえ、僕達がそうだと?」

 

「ああ、そういう事になるか。異種に色々と詳しい仲間がいてな。いや、殆どソレそのものなのだが……とにかく、その者の話から言って、今のイルトの肉体は姿外見こそ人間だが、意志や精神を宿らせる脳と脳髄付近はもう人間というには異質だろう。肉体も少し解析してみたが、通常の人体には必要なさそうな部位やら機能やらが満載されていたぞ」

 

「それも後で教えてあげましょう。まぁ、人間止めても人間らしいなら、人間に見えるというか。普通に気付かないのが人間の良いところです。命を張って、死ぬのではなく。中身がちょっと変わった程度なら問題ありません」

 

「……イルトはイルトでアレだが、リュオ先生も結構なものだと我は思うぞ?」

 

 思わずイフィーが横の青年を見上げる。

 

「御冗談を。僕の仲間には行きは人間。ダンジョンに潜って帰ってきたら、蛙とか石柱とかお面とか異種とか亜人とか……とにかく諸々人間止めたまま帰ってきて。そのまま潜ってる連中もいましたから、それに比べれば人間に見えるというだけマシ。彼らも羨ましがると思いますよ?」

 

「は、はは……そうか。我が思っているよりも迷宮の探索者という奴は逞しいのだな」

 

 思わず顔が引き攣った灰金の少女は自分が蛙になったところを想像して、額に汗を浮かべた。

 

「ええ、世間一般が思ってるよりは収入も高が知れてて、命の危険と隣り合わせ。成功者は一握り。僕みたいなドロップアウト組が8割以上って言う狭き門ですから。それでなんですが、イルト君の身体の機能に付いて少し詳しく教えて頂けませんか? あれだけの能力がある以上、制御させるにも相応の力が必要。となれば、諸々鍛え直したり教えたりする事が多くなると思うので」

 

「分かった。それは食事を終えてからにしよう。まぁ、基本構造的に排泄不要の胃や人間より遥かに能力の高い細胞由来の身体能力と生体機能。後は神経の高度な発達による知覚の高次元化と反射速度、反射能力の向上とか。そういうのだ。大抵は高位魔族準拠で考えて問題なかろう。一つだけ特異な事があるとすれば、たぶん始祖クラスの異種が持っていた脳機能。先程も言った意思による物質の支配が肉体に良くも悪くも影響するのは必至、という事くらいだろう」

 

「……色々と考えないといけないですね」

 

「ああ、我にあれだけの事をしたのだ。後でいびり倒す方法も一緒に考えよう……」

 

 二人が互いに視線だけで会話して肩を竦めて狭い通路を食堂の方へと消えていった。

 

 一方。

 

 甲板に残された青少年はキュコキュコと順調にシャイからのプレゼントを顔に増やしている最中。

 

 愉しげな落書きタイムを満喫する幼女は鼻歌でも歌い出しそうな喜びようで何やら呟いている。

 

「イリューと。いれきゅ、いれぎゅらー!! しんいそしゅかいごかんせいせいぶつ!! りょくぎん!! たいぼしがいったい!! こうかんしゃ!! ほしかえるもの……」

 

 キュコキュコとペンで顔に書かれるのは五つの瞳。

 

 そして、未だ大陸の何処からも発掘された事の無い【基幹異種(バルバロス)】達が跋扈していた頃に使われていた旧い旧い滅び去った種族達が用いる太古の言語。

 

 神代の名も無き象形文字が顕すのは今は存在しない讃えられるべき偉大なる何か。

 

 その人間には発音出来ない名が落書きされた瞳と瞼の上に書かれた途端。

 

 ただの何処にでもあるインクが震えて、瞬きした。

 

「♪」

 

 それに嬉しそうな笑みを浮かべた彼女がまた顔に今度は魔導方陣らしき円環を書き足し終わると瞳の全てがゆっくりと顔面内部へと沈み込んでいく。

 

 残った円環に付け足す形で髭や皺を自然と書き足していく人造生物が一息付いたのはそれから数分後。

 

 見事な意味不明さ加減で悲惨な事になったちょっと顔付きが野生的な青少年は起こされる事もなく、満足した幼女に放っておかれたのだった。

 

 *

 

「!!」

 

 女が一人。

 

 ドレス姿で剣を振るっていた。

 

 まるで何処かの王族かという華美な装束はしかし殆ど破廉恥と呼べる程に簡素な造りだ。

 

 大胆に見せる背中。

 

 鎖骨も肩も脇も見える胸元も露な前部。

 

 まるで砂時計のように括れた衣装は臍を境にして布面積が減っていき。

 

 煌びやかな純白というよりは金糸とシルクの滑らかな真珠色の下着までも見せている。

 

 首と両手両足には金の螺旋に編まれた紐が巻かれ、其々が衣装を内側へと引き寄せるようにして止めている。

 

 問題が一つあるとすれば、あまりにも簡単に解けてしまいそうな事か。

 

 これがもしも夜の装いであったなら、娼婦と見紛うのも吝かではないが、生憎と揺らめくような漆黒を貴重として、紅と蒼の文様が衣装の端々を染める異端。

 

 センスを疑うというよりは人間にそれが織れるのかという奇抜さが垣間見える。

 

 篭手のようにも見える布なのか金属なのか変わらぬ質感の長い手袋。

 

 それが握る剣はまともな代物にも思えない。

 

 流線型を弄り回したように刃の側面に顕れる文様は複雑に絡み合い。

 

 しかし、何処までも清ました獣の鼻面のように切っ先は鋭く。

 

 世界に満ちる耀きを反射してはその直線を持たぬ風のようなフォルムを焼結した紅蓮の刃を薄らと炎のように揺らめかせていた。

 

 まるで奥行きを持ったように蠢く衣装の黒と相まった全て彩りは時空の彼方へと引き込まれているようにも見えて、見る者の正気を奪うだろう。

 

 彼女が何者なのかという事を今更に尋ねる者は誰も無く。

 

 しかし、敵はそれが何者なのかを教えて刃の横に斬り裂かれて散っていく。

 

 その光景を見た者がいたなら、一言を呟くだろう。

 

 相手が悪かった、と。

 

 流動する肉の塊が虹色の光弾を口内に発現させながら数十匹。

 

 浮島の周囲の虚空で翼を展開しながら、浮遊していた。

 

 転移爆撃砲。

 

 大陸最新の兵器を模す一撃は防御不可という性質を持つ化け物達の攻撃と相俟って、当たれば如何なる存在をも許容せず消し去る。

 

 だが、その光の速さで現出する消失の嵐が発射されたのと同時。

 

 数千度の熱量にすら耐える化け物の肉体が剣に裂かれて散っていく。

 

 僅かに欠片も残らずだ。

 

 虚空を浮島の残骸を蹴り付けながら跳ぶ女がその服と同じ色の踵が低いヒールで踏み砕き、加速し、まるで攻撃される領域が分かっているかのように虹色の死が発現した領域スレスレを複雑な機動で通過していく。

 

 それを追う化け物達の攻撃はしかし決して捉え切れない速度ではないはずの女にはまったく当たらず。

 

 己で外しているのではないかという際どさでドレスの端にすら掠らない。

 

 少女の踝までありそうな衣装の裾は大きく。

 

 小鳥の尾のように広がっているというのに、だ。

 

 十匹纏めて撫で斬りにされたかと思えば、次の瞬間には女の姿は其処に無い。

 

 縦横無尽を地で行く加速はしかし優雅な程に他者の目に見えて美しく。

 

 ハッとさせられるような可憐さが観察する者の心を掴むだろう。

 

 結局、化け物達が最後まで女の身体を捕らえる事はなく。

 

 数分もせずに【外神獣(アウタン)】は全滅する事となった。

 

 最後に宙返りしたかと思うと。

 

 トッと小さな浮島の端に着地した彼女が剣を見つめて、空間制御で虚空に武器を消す。

 

「ふむ……やはり、余の力を受け止めるには聊か心許ないか。まぁ、仕方あるまい……」

 

 ツカツカと歩いて浮島の一角に設置された転移方陣へと歩みを進めた彼女の姿がフッと風のように溶けて一段階程縮む。

 

 今までは二十代程と思われていた小麦色の肌に長い髪を金の輪で結わえた女傑が衣装も小道具もそのままに若くなったのである。

 

 背も縮んだ少女は女性にしては背が高いとしても、先程の女性(にょしょう)程ではない。

 

 瞳孔の無い菫色の片眼が自分の姿を確認してから、転移方陣内部へと入る。

 

 すると、次の刹那にはその姿が約1万kmは離れた第三層の中心都市の一室にあった。

 

「「「「「お帰りなさいませ」」」」」

 

 頭を下げたのは今にも透けそうな白布で身体を覆った女達。

 

 彼女エト・エイラル・エイム・イグニシアクルシスの趣味である入浴を手伝う乙女。

 

 湯女の血統の者達だった。

 

 あの真空の海での狂乱。

 

 大祝宴で聖女ハティア・ウェスティアリアを足止めしていたのも今は昔。

 

 聖女に遅れるようにして早々に天蓋蒼星内分へと潜った彼女はお供も殆ど連れず。

 

 自分の寝所の護衛をしてくれる女達のみを後に第三層までやってきていたのである。

 

 いつものちょっと変わった趣味の外套も質素極まるワンピースも無し。

 

 今の彼女が身に付けるのは合理性と能力一辺倒の呪われた装備である。

 

 どこら辺が?という問いには単純な答えが返る。

 

 概念武装。

 

 概念魔術を「これでもか!! これでもか!!! これでもかぁああ!!!!」と祖国の大魔術師達に数年掛かりで織り込ませた一品だ。

 

 彼女がいつも愛用していた品が普段使いする為の日用品だとすれば、現在着込んでいるのは完全武装の最新式な鎧と言ったところだろうか。

 

 もし宮殿に昔仕えていた旧いタイプの侍従達なら卒倒してしまいそうな肌見せ+破廉恥+極めて人間が着ているとは思えない禍々しさを漂わせる衣装である。

 

 魔族が着込んでいると言ってもまったく問題ないだろうソレはしかし、実際には帝国の魔術師達が研鑽した叡智の精粋だ。

 

 昔は異種の極めて貴重な素材なんかを使って造るのが一般的だったのだが、技術の進展とは面白いもので歴代皇帝の宝が眠る宝物庫に眠る伝説級の武具などによく能力や性能が似る。

 

 それならばとエトはそういった武具を開放して、それを研究材料にしてそれよりも良いものを造れと命令したわけだが、その研究者達の研鑽は先鋭化された結果として万能に近しい力、あらゆる能力、性能が超高水準で両立される代物となった。

 

 まるで七教会の研究者達とは違う旧き時代のアプローチが何故か生み出すものを似かよらせ、形はまったく違っても彼らが生み出す武の象徴。

 

 高格外套のような性質を持つものへと高められた。

 

 結局のところ魔術だろうが技術だろうが、最後に行き着く極地は一緒という事なのか。

 

 カタログスペックでならフルー・バレッサが大戦時に造った“兵器”とも比較対象にして勝る程度の力と

して現在はエトの普段着となっている。

 

「お手紙が届いておいでですよ」

 

 湯女達の一人から手紙を受け取って、彼女がソファーに腰を下ろして中身を取り出す。

 

 紙面には現在の天蓋蒼星の状況と彼ら【聖王同盟(サクラム・フェデレイションズ)】の構成員の動向が事細かに書き込まれていた。

 

(第三層はまだ抜けておらぬか。仕方あるまい……此処はまた余の出番か)

 

 寛いでいるエトが外を見やる。

 

 部屋の右側。

 

 テラスの先では雲が流れていた。

 

 そして、浮島の風景も動いている。

 

 高速で空を移動しているのだ。

 

 立ち上がって外の手摺のある場所まで行けば、彼女の眼下には人で賑わう巨大な都市浮遊島ラズナの中心街が見えた。

 

 どうやらハティア・ウェスティアリアの来訪とパレードが数日後に控えている為か。

 

 妙に喧騒はいつもよりも大きかった。

 

「七教会に連絡を取れ。聖女のパレードとやらに余も出席すると。後、第一層の各大使館の連中に武官の出席と指揮下の軍幹部クラスを全員呼べと号令を掛けよ」

 

 後で何も言わず湯女達が頭を下げる。

 

「前回に引き続き大使や政務官、首脳級の方々もお呼び致しますか?」

 

「いや、同じ手を食う程、あちらも無能ではあるまい。次は教会の高級幹部連中を総動員して持て成してくれるであろう。時間稼ぎをするならば、余に面白い考えがある」

 

「面白い考え、でございますか?」

 

「うむ。余とて人の子。聖女とて人間。人間は人間らしく愉しむのが良いであろう? 如何に全能に等しいと謳われる神域の魔導聖女とて、人の罵声は堪えるはず」

 

「罵声、でございますか?」

 

 大陸全土を見渡しても、現在七教会の聖女に正面切って批難しようという輩は少数だろう。

 

 そんな事で聖女の足が止まるとも思えなかった湯女達の顔には疑問符が浮いている。

 

「そんな顔をするな。ちょっと、荒んだ者達を心の底から癒してもらおうという教会への心遣いである」

 

 悪い笑みを浮かべる主に湯女達が目をパチクリとさせた。

 

「如何様に?」

 

「大陸中央諸国で我が国の援助を受ける国家全てに余の名で孤児達を招待すると伝えよ。今から作る条件に当て嵌まる順に聖女へ近しい席を用意するのじゃ。費用は全て余の財布から出して構わぬ」

 

「ただちに取り掛かります」

 

「……人の善意が人の影を生むのなら、人の悪意は人の光となりうるか? あの女がどのような答えを出すにしろ。それにはきっと時間が掛かるであろう……それこそ全知全能になれないあの聖女の最も弱き部分……」

 

 人の光を見せるように耀き。

 

 都市の息吹を下に「ああ、あれは誰か。あれこそは怪人奇人なんのその!! 言わずと知れた姫陛下」と下々に戯曲で唄われる彼女は背後から出されたグラスを取って、天に透かし見た。

 

 僅かに気泡が泡立つ琥珀色の液体。

 

 その一つ一つが映し出す笑みは確かに確信を持って、未だ見ぬ数日後の光景を覗いていた。

 

 それはたぶんきっと旧き時代に取り残された者達だけが持つ自信。

 

「さぁ、お前の救えなかった者を前にどう言い訳する? ハティア・ウェスティアリア」

 

 俗に言う王の器が見る世の真実に違いなかった。

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