※この作品はR-18です。

聖娼館ハルトゥム   作:Anacletus

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第三十七節

第三十七節「時間と世界」

 

 小さなグラスに懐から出された酒瓶の中身が注がれる。

 

 琥珀色の液体を嗜みつつ。

 

 その指標……過去存在した魔王の一人と名乗った魔族の男は灰金の少女を見据えて、何処か皮肉げな笑みを浮かべた。

 

「さて、何から話そうか」

 

「逆に問うが、何を話せないのだ?」

 

「ははは、違いない。だが、基本は聖女共と一緒だ」

 

「知らぬ事があり、知り得る事がある、と」

 

 少女の背後では口も挟めず。

 

 リュオが一応は警戒を解かずに座っている。

 

 イルトはシャイの頭を膝枕しつつ。

 

 この突如出てきた魔族……少なくとも初めて見る、そう名乗った男を前に僅かな緊張感で背筋を湿らせていた。

 

「とりあえずはこの階層に付いて話そうか。聖女共は一言で言えば、階層の頚城のようなものだが、我々はもっと有機的な役割を果たす……そうさな……雄蜂と言える」

 

「聖女に仕えているのか?」

 

「それは勘弁して貰いたいが、言う程に拒否権は無いな。連中は魔王個人の精神面を具象化したような存在だが、我々はそれよりも小さな精神の一欠けらを司る程度の代物。だが、故に精神的な裏面……無意識的な領分ではあの女共よりも魔王により近いと言えるかもしれない」

 

「……聖女は表。魔王は裏という解釈でいいのだな?」

 

 イフィーの声に頷きが返る。

 

「魔王とは単純に“全てであるもの”だ。故に此処で大きな括りで“無い”ものは宇宙の内部にも無い。逆に言えば、此処に“在る”ものはこの宇宙内部に存在が確定しているというわけだ」

 

「講釈ありがとう。で、何故に出てきた? 本題を訊ねよう」

 

「言っただろう? 我々は無意識だと。だから、お前らを受け入れようとする聖女共がいれば、逆に拒絶しようとする魔王もいるという事だ」

 

「我々と敵対するのか?」

 

「それはまだ混沌の最中だ。無意識には精神における全ての要素が揃う。バランスが崩れて貴様等を放逐するかもしれんし、逆に聖女よりも親切に内部へ案内する事も在り得る。そして、此処に魔王の一欠けらが存在しているという事はつまり?」

 

 楽しそうに問い掛ける男に溜息が一つ。

 

「指標の作る為の作業中……我々を測りに来たか」

 

「その通りだ。今風に言うなら無駄話をしに来たといったところかな」

 

 リュオが今はまだ敵対状態ではないと断言されて、僅かに警戒の度合いを落とした。

 

 小さく溜息を吐いた師を見て、敵対してたらどうなってたんだろうとイルトは魔族の男の掴み所の無い笑みに複雑なものを覚える。

 

 それもそうだろう。

 

 敵でも味方でもないが、此処から先どうなるのかは分からない。

 

 自分達が品定めされているとしたら、それは正しく彼の恋敵と呼べる相手からの視線なのだ。

 

「聖女共は今、侵入者に掛かり切りだからな。此処からは案内人よろしく、この【指標者(グラフマン)】があの女の工房……深層まで導こう」

 

「いいだろう。此処で過去の亡霊と戦うのは御免蒙る。敵対するまでは頼らせてもらおうか」

 

「っ、っくくく!! いや、何とも我らの末は随分と勝気な姫を手篭めにしたようだな」

 

 クツクツとグラフマンが含み笑いをする。

 

「あいつの欠片とは思えない卑近さだな。いや、魔王ならば、本来はこのくらいの性格である方が多いのかもしれぬが」

 

 イフィーの言葉に肩が竦められる。

 

「ふ……魔王も色々だ。小さな地域の統括者や身分の低い者もあった……弱小ではあったが、塵芥よりは使えると上の者達によって送り出された者も多々。尊大な者も卑しい者も狂った者も壊れた者も……無論のように英傑なる者もあった」

 

「お前はどうなのだ? グラフマン、と仮に呼ばせてもらうが」

 

「我が名は今の世に残っているかも怪しい程度だ」

 

「それにしては人間臭い装備をしているのだな」

 

「酷界は大陸からの文化の輸入後、人型の魔族……【血統種(ブラッディー)】がほぼ人口の9割以上を占めるようになったからな。大陸があの災厄に見舞われて教会が唯一神より人類の加護と守護を請け負うようになってから、この数千年はあまり情報も入ってこなくなったが、それにしても人のように国を創って暮らしている。今も旧い時代の文化は残ったままだろう。この格好も生前ならば、然して酷界では珍しくないものだった。人型の者に限って言えばだが……」

 

「魔族の地か。詮索したら、面倒事になりそうだな」

 

「ああ、止めておけ。“お歴々”の話なんぞしたら、それこそ因果律を辿って無理矢理に顕現してきかねない」

 

「……まぁ、いい。お前もまたあいつの中の1人。ならば、我はそれを受け止めるだけの器を見せよう」

 

「そうしてくれ。我らの総意は我らの末、あの男の総意でもある」

 

「では、早速仕事をしてもらおうか。我らを此処から目的地まで案内して貰いたい」

 

 男がグラスを飲み干して、器を懐に仕舞い立ち上がる。

 

「いいだろう。では、付いてくるといい」

 

 リュオが初めてイフィーに魔術を使って耳打ちする。

 

『このまま付いていく場合の最優先事項はどうしますか?』

 

『変わりなく。今の我に倒せるかどうかも定かでは無いのだ。常に目を光らせているだけでいい。もしもの時は我が時間を稼ぐ』

 

『分かりました……では、隊列は入れ替えて、こちらが殿になりましょう』

 

『ああ、助かる』

 

 2人の聞こえぬヒソヒソ話を愉快そうに見つめる男は苦笑していた。

 

「内緒話は終わったか?」

 

「ああ、もしもの時の対処方法も決まった。往こうか」

 

「ふむ……では、一つ其処の小僧を使ってみるとしようか」

 

「え……お、オレ?」

 

 いきなり今まで蚊帳の外だったイルトがグラフマンに指差されて自分を指差す。

 

「此処から先の通路はあの女の悪戯が満載だ。面倒過ぎる。こちらとしてはそんなものを一々知恵と体力を磨り減らして往く事など不合理と考える。故に最短の道を造ってもらおうか小僧」

 

「道って、オ、オレが?!」

 

 思わず面食らったイルトの傍に寄るとバンバンと肩を叩いてグラフマンがニィッと何処か意地の悪そうな顔をした。

 

「元々、この遺跡はそういう造りだ。正攻法で数ヶ月此処で戦い続けるというのならば、別に構わないが……」

 

「は!? す、数ヶ月?!!」

 

「最短の攻略法は遺跡を壊して出口に直結する場所まで移動する、だ」

 

「な、なんつー遺跡だよ!? そ、それはいいけど、どうしてオレなんだ? 師匠やイフィーじゃなくて」

 

 グラフマンが後で何か言いたそうな顔をしている保護者2人を前にして肩を竦める。

 

「足手纏い」

 

「ふぐっ?!!」

 

 イルトの胸にグサリと言葉の刃が突き刺さる。

 

「戦力外通告」

 

「おッグ?!!」

 

 ダラダラと青少年の額に汗が浮かぶ。

 

「無駄飯喰らい。三流。紐」

 

「グフォ?!!」

 

 次々に繰り出されるジャブに打ちのめされて、もはやその顔は青褪めていた。

 

「此処は其処の姫に良いところを見せるべきじゃないか? 坊主」

 

「う、ぅぅ……仰る通りで……」

 

「生憎と出来ない事をしろとは言わない主義だ。精々知恵を絞ってやってみろ。それが貴様には出来るだろう。あの聖女の研究の生贄にされたのなら、この程度はどうという事も無いはずだ」

 

「今のオレの力でならって事か……」

 

「やり方は単純だ。あの柱を見付けて、そこまでお前の力でブチ抜け」

 

「……分かった。イフィー、師匠、それでいいか?」

 

「構わないが、助けはいるか?」

 

「いや、此処まで言われて助けられたら、男が廃りまくりだと思うんで、オレが出来なかったらお願いするって方向で……」

 

 少女に情けないとは思いつつもそう正直なところを話し、リュオにシャイが預けられる。

 

「イルト君。今まで僕が教えてきた事を思い出して下さい。それで大抵はどうにかなります」

 

「あ、ああ、そうするぜ。師匠に教わった知識がありゃ、これくらい」

 

 イルト・イナーシタは凡人だ。

 

 極めて大陸中央諸国で一般人の類である。

 

 彼がもしも他の同郷の者と違うとハッキリ言える事があるとすれば、それは不意に両親がどちらも死んでしまった極めて珍しいに違いない事実とリュオ・クルミナスの弟子である事。

 

 そして、今はこの魔王の娼婦と呼ばれる背後の少女に肩入れしているという点だけだろう。

 

 聖女から施された力とて、彼以上の素質がある者を使えば、すぐ恐ろしいだけの化け物が出来てしまうだろうし、自分を過大評価出来る程、自信も自惚れも青少年は持ち合わせていない。

 

 だから、シンプルに自分が学んできた事を積み上げて、今の自分の能力(スペック)を意識しながら、目標までの工程を組み上げる。

 

「(遺跡の構造は石材。造りはしっかりしてる。空気の乾き具合から言って、土壌の水分は微々たるもんだ。だだっ広い構造が三層だから実際には一定区画内を歩き回らせて体力や気力を削る使用……ギミックは階層内部の入子式で昇降部分以外は分厚いと考えていい。魔術師対策で何らかの魔術で保護されている場所があったとしても大規模な代物の場合は階層を覆う程じゃないはずだから、目標地点までの最短の層を一直線に抉るよりは縦穴と横壁を一直線にぶち抜くだけで十分。もし、ギミックやら魔術や錬金術で階層の横の部材が特別にされてると仮定しても、その外側からの掘削なら防護層くらいは素通り出来る、はず)」

 

 イルトが考えるままに集中し、周囲の情報を五感で集める。

 

 匂い、石材の味、反響具合、温度、様々な尺度から考えられる限り、己の案を補強出来る材料を探し出すのだ。

 

「………(意外だが、そういう顔も出来るのだな)」

 

 後で床の石材の匂いを嗅いだり、表面を指で拭って舐めたり、指で叩いて確認するいつもとは違う仲間の顔にそんな感想をイフィーが抱く。

 

「よし。じゃあ、ちょっと下がっててくれ」

 

「ああ」

 

 全員が後に下がった事を確認したイルトが3m程の円をツナギの衣嚢(ポケット)から出したチョークで描き出し、陣内部に複数の意匠を描き込んでいく。

 

 それは錬金術の方陣。

 

 錬術陣と称される魔術方陣の一種だ。

 

 普通の魔術方陣と違うのは基本的な構築が物質の変換や状態を変化させる事に特化された代物である事と大陸中央諸国的な魔導的理論を用いる事だろうか。

 

 通常の錬術陣よりも極めて簡単であり、同時に工程の省略が行われる結果、複雑なものは生み出せない代わりに簡便に結果を求める事が出来るのだ。

 

 複雑な記号などは全て取り除かれ、その代わりに重用されるのは神々の力を使う【意匠】である。

 

 一部の神格達から齎される力を象形に付ける変化やニュアンスといった要素で低減したり、補強したりする事で工程を省く術は彼の師リュオ・クルミナス独自のスタイルだ。

 

 そう言う意味で言えば、イルトが行っているのは魔導的な簡潔さを持ち合わせながらも、魔術や工芸品を扱う者が弟子へ授けるような一子相伝の職人芸にも似る。

 

「これで、よし」

 

 二十秒程で軽く書き上げた陣内部に描き込まれているのは道を守る一柱。

 

 【道祖神(タムケノカミ)】の象形……合わせられた両手。

 

 その相手へのお願い。

 

 つまり、指示だ。

 

 陣の端に手を付けて、自身の魔力で起動。

 

 そのまま淡く緑光が周囲に舞い出すと。

 

 即座に陣内部の床が砂のように崩れ落ちていく。

 

 そして、十秒、二十秒、三十秒、一分後。

 

 ゴゴンと何処かで陣の効力が弾かれたような音がして今まで虚空で形を保っていた耀く方陣が消え失せる。

 

「坊主。出来たか?」

 

 グラフマンの声に振り返ったイルトが僅かに頭を掻く。

 

「たぶん、大丈夫だ。とりあえず、層の一番下までと、其処から横に一直線で穴を開けてみた。途中で陣が止まってたから、何処か防護されてる重要な場所にヒットしたんだと思う。そこまで行ってから、出口に続く場所かを確認出来れば、また上や下から掘って内部に侵入出来ないか試みる。オレの力でどうにもならなそうな防護なら、その時は師匠やイフィーに協力してもらうって事で」

 

 その答えに男が及第点くらいはやろうという顔でバシバシと肩を叩く。

 

「いや、その必要すら無い。この遺跡で周囲が守られてるのはあの石柱のある場所だけだ」

 

「そ、そうなのか。じゃあ、この遺跡がまた元に戻る前に行こうぜ。イフィー。師匠」

 

「………」

 

 振り返った弟子をリュオがマジマジと見た。

 

「な、何だよ? 何かダメだったか?」

 

「いえ、イルト君も成長したなと思ってしまって」

 

「お、オレだって成長くらいするさ!? というか!? 一応、育てられてる最中だよな!? オレ!!?」

 

「あはは、冗談ですよ。さ、君が言っていた通り、復元される前に道を通り抜けましょうか」

 

「イルト。前のお前の魔力は極めて一般人並みだったが、今は違うのが分かるか?」

 

「え? あ、そういや、何百mも掘ったはずなのに疲れてねぇや……」

 

 イフィーの声に自分の手を見てイルトが汗すら浮かんでいない事に気付く。

 

「今ので魔力の使える容量のセーブされていた部分が一部解禁されたはずだ。次は今よりも大規模な術を使うよう心掛けろ。それだけで大分違うはずだ。無論、お前個人の魔力が空になるまで使える状態まで持っていくのが一番良いが、そこまで大規模な術式が必要になる事は早々無いだろうから、何でも自分の魔力で便利に使え。負荷は使うだけ上がっていくからな」

 

「ああ、分かった。それにしても……前のオレだったら、これ途中で倒れてたのかな。やっぱり……」

 

「そうだろうな。あの聖女に感謝は不要だが、出来る事もやれる事も多くなったのだ。それを意識してこれからも己を使え。フォローは我がする」

 

「女の子にそんな事言われてるオレって格好悪い気が……普通、それは男の台詞な気がする……」

 

 苦笑いを浮かべる青少年に肩が竦められる。

 

「いいではないか。大陸中央諸国出のお前が今更に男と女の役割で議論する必要もあるまい? 出来る者が行えばいいというのが、中央の一般的な性差に対する見解であろう?」

 

「ま、まぁ……」

 

 自分が基本的に探索を行う者達ならサポートが専門に近い錬金術師である事を鑑みても、やっぱり一応は格好つけたい御年頃なのだが、格好を付けて見せたい相手にそう言われては何も返す言葉も無かった。

 

「行きますよ。イフィー。イルト君」

 

 リュオの言葉に全員がイルトの空けた穴の縁に集い。

 

 次々順番に飛び降りる。

 

 最初を往くのはグラフマンだ。

 

 続いた全員が降り立ったのは砂山の上。

 

 其処から更に前方に3mの円が横壁を刳り貫いて延々と砂の道を生み出していた。

 

 シャイは未だお昼寝中。

 

 幼女を抱き抱えたリュオは自身の超常の力の導きでも弟子の造った道の先に目的地があると確信して、イルトに片手でグッと拳を握って自信を持てとアピールした。

 

 それに照れながらもグラフマンに続いて、移動する事3分弱。

 

 全ての壁を貫通した先。

 

 ようやく行き止まりとなった場所に出た一行はだだっ広い部屋内部に到達する。

 

 その中央には今まで通ってきた層でも見た蒼い柱が魔術方陣らしきものに囲まれ、其処から発生している半透明の結界によって保護されていた。

 

「案外あっさり来れましたが……この魔術方陣、結構硬そうですね」

 

 半透明な結界越しに地面の方陣を除き見て、リュオがフムフムと内容を解読する。

 

「我が解除しよう」

 

「その必要は無い」

 

 グラフマンが柱を覆う円柱結界に触れた瞬間、アッサリとそれが罅割れて壊れた。

 

「………本当に名も残らぬ程度なのか? その結界、一応は旧い時代なら王国の国庫に施されるだけの強度があったぞ」

 

 思わずイフィーが半眼で男を見つめる。

 

「魔王に何を況や。この程度は昔ならよく破っていた」

 

「一体、よく破れる程何処に張ってあったのだろうな」

 

「気にするな。我が名は時代の忘却の彼方……姫ならば、今後の人生で幾らでもこの程度の存在とは出会うだろう」

 

「その姫と言うのは止めろ。それと自分を卑下する程に謙虚な魔王など、大陸史上でも数える程しか我は覚えが無い……」

 

 グラフマンがやれやれと首を横に振った。

 

「詮索している暇は無いぞ。もう道も復元し出した。結界の再起動まで然して時間が無い。さっさと往こうか」

 

 言われて全員が気付く。

 

 確かに自分達が通ってきた背後の道にあった砂がそそり立って壁の形を取り戻し始めていた。

 

「まぁ、いい。道行き知る事もあるだろう」

 

「魔王……か。角が生えてるだけじゃないんだな……」

 

 思わずボソッと感想を洩らしたイルトにグラフマンが少しだけ目を見開き。

 

 クツクツと笑う。

 

「ああ、そうか……未来とはこのように愉快なものか……いや、まったく……あの男が来たがるわけだ」

 

 その大きな独り言にあの男?と聞き返そうとしたイルトだったが、リュオやイフィーに促されて、共に柱の在る方陣内部へと入る。

 

「では、あの女のいる場所の程近くまで行こう。同時に手を触れさせればいい」

 

 言われるがままにした全員が瞬時、その場から空間を跳躍して消えた。

 

 その後、すぐに壁は元通りに復元され、結界も復活し……フッとまるで世界から色が落ちたように今まで存在していた壁も床も何もかもが消え去る。

 

 広大な大陸程もありそうな島は最初から無かったかのように失われ。

 

 最後に残った円柱もすぐに転移で何処かへと跳躍。

 

 後にはただ風が吹く何も無い虚空だけが残っていたのだった。

 

 *

 

―――都市浮遊島ラズナ中心街。

 

 第三層の中心と言うだけあって、その街の大通りは正しく大陸中央諸国の大都会を彷彿とさせるだけの賑わいを見せていた。

 

 幾つか違う事があるとすれば、それは建物の高さ制限が設けられ、道幅はかなり広く。

 

 ついでに大陸中央ならば、祭りの日くらいしか見られない露天の屋台や露天商が延々と公道の脇の路地裏から通りそのものの道端までビッシリな事だろう。

 

 いつもならば、さすがに路地裏は疎らなのだが、本日は七教会のパレードが予定されており、稼ぎ時だと商人や売り子達は雇われまくって絶賛高い時給を獲得中。

 

 ついでに報道機関やらも多数詰掛けており、大陸中央諸国では時差がかなりあるにも関わらず生放送されるのだとか。

 

 そんなわけで人混みが溢れ返る中央通は現在、銃を持った犯罪者から逃げ惑う人々だって此処まで必死じゃないだろうという程に押し合い圧し合い混乱と猥雑の渦に呑まれていた。

 

 道端のあちこちで女性が触るな触るな痛い痛いと喚いているし、それでも其処から逃げようとする輩は殆ど居らず、人口過密さは増すばかり。

 

 これから何が始るのかと聞かれれば、誰もがただ一つのものを見る為、ここにいると答えるだろう。

 

 つまり、七聖女ハティア・ウェスティアリアのご来訪である。

 

 今や時間が迫りつつある為、道端の屋台は次々に在庫切れから本日終了の札を掲げて、即店主と店員達の観覧席に早代わり。

 

 道端は人の汗と化粧と埃と食べ物の混沌とした匂いに埋め尽くされ。

 

 少しずつボルテージを上げつつある。

 

 大通りの数km先にある支部の発着場にはもう七教会の艦影が多数着陸しており。

 

 その一際大きい影の後方のハッチが地面へと向けて開かれ、大陸中央なら普通であろう積層魔力で動く車両が左右に十列ずつ展開されながら出てくれば、人々はゴクリと唾を飲み込んだ。

 

 無論のように魔術で遠方を視認している者が大多数。

 

 大きな幅を広げた左右の車列の中央を行くように十頭仕立ての特注馬車……それも山車のような乗る者をまったく守る事なく多数の者から見えるよう内部をオープンにした代物が出てくる。

 

 その中央に精悍にして美形な護衛達……師団の若い衆が固めている相手が見えれば、もはや人々の熱狂は無理からぬ事だろう。

 

 ようやく緩やかに動き出した白塗りに金の装飾を施された馬車の中心。

 

 僅か高い席に座るのは世界一の美少女と名高い聖女。

 

 ハティア・ウェスティアリアに違いなかった。

 

 男達の大半は「うおおおおおおおおお」と盛り上がり、女性客の半数も「きゃああああああ」と七教会のシンボルたる丘に立つ七本の剣の意匠がプリントされた旗を振る。

 

 更に残る女性客はハティアの護衛者達の美男美女ぶりに目がハートマークさながらだ。

 

 大陸中央において最も教会の広報部門が宣伝材料にする聖女お抱え師団の若者達は一種のカリスマであり、七教会に集う最優の人材中、最上位ランクの美貌を有する。

 

 別にそれを聖女が努めて集めているわけではないのだが、何故か自然とそういう人材ばかりが集まると言う職場は基本的に中央諸国の子供達の成りたい職業トップ10に入るくらいの人気を得ている。

 

 具体的には“ハティア様のいる職場”が毎年毎年ランクインするのだ。

 

 これは七教会の影響が濃い地方諸国においても同じ傾向があり、天蓋蒼星で星潜者(アイム)をしているような少し世間から足を踏み外したような連中でも大差無い。

 

 そもそも論として七聖女ハティア・ウェスティアリアの人気は大陸的には極めて高い。

 

 特に異性からの人気は絶大と言ってよく。

 

 教会信者でもなく、教会が好きでもなく、教会を憎んでいるレベルの荒くれすら、ハティア様は別腹を宣言する事はまったく問題視されないくらいなのだ。

 

 最新の篆刻写真や大陸中央式のブロマイドが大陸規模で並みの中小国の国家予算くらい毎年毎年売れており、その売り上げが正規非公式含めて、あまりにも巨額な為、俗称“ハティア税”なるものが実質的に導入されて、各国の外貨の流出に歯止めを掛けていたりする。

 

 このように人気な聖女が天蓋蒼星のそれなりに人が到達し難い層に来るというのだから、これに熱狂しない男はあまりいないだろう。

 

 そもそも見に来ている時点でハティアのファンであるのは殆ど確定的なのだ。

 

 その大陸中央諸国の中でも映える金糸のような髪。

 

 恋も知らぬような少女、華と蕾を思わせる美貌。

 

 肌から睫から優しげな表情まで何もかもが規格外。

 

 これで未婚なら、聖乙女、聖処女と呼ばれるだろうが、生憎と世界一の騎師とのロマンスで子持ちなので聖母と呼ばれるのだ。

 

 これで逆に前より人気が出ているというのだから世の女性の大半は恐れ入るだろう。

 

 真面目な話。

 

 聖女がより身近に感じられるからこそだろう、と。

 

 新聞の論説委員が紙面裏をビッシリ真面目に文字で埋め尽くすくらいには彼女の愛されっぷりは絶大だろう。

 

 手は届かないけど、想像出来る範囲で最高の女性という点では高嶺の花ではなく。

 

 永遠の太陽(ファン一同)と同意する者ばかり。

 

 大陸の半分を占める異性の大半が納得する事実である。

 

「ようやくハティア様が中央通りに入って参りました!!」

 

 報道各局の魔術で中継中な人々が周辺建物の屋上に陣取り、ハティアの上からのアングルを狙い済まして撮りまくる。

 

 最近出来た音声通信だけではなく映像も流す彼ら報道局の視聴率は現在、時差が10時間以上ある大陸の端から端までオール99%以上。

 

 大陸中央は元より、魔術師なども違法視聴可能ならば、大抵何処の国でも見られていた。

 

 契約中の殆どの家庭で流されているだけならば、まだしも……魔術師の経路(チャンネル)経由の情報網は大陸規模でランダムに繋がっているようなものであり、見たいと思えば誰でも見られるような状況なので視聴者数はエライ事になっているだろう。

 

「今回の天蓋蒼星へのご来訪に付いてですが―――」

 

 複数の建造物の屋上で其々に解説が始ろうとした矢先。

 

 馬車の通ろうとする中央道の十m程手前で不意に魔術方陣の耀きが浮かび上がる。

 

 途端、その魔術方陣に瞬きする暇も無い刹那。

 

 高格外套(ソーマ・パクシルム・ベルーター)が複数人、剣を突き立てていた。

 

「な?! 一体、何が起こったのでしょうか!!?」

 

 思わぬハプニングに周囲に喧騒が広がるよりも先にその剣が無理矢理に捻じ曲がった様子で砕け、止まった馬車の周囲に数人の法衣を着込んだ男女が瞬時に現れる。

 

 今まで隠れてハティアを護衛していた者達なのは誰の目にも一目瞭然。

 

 彼らが現れたと同時に馬車の最も上に位置するハティアを常人には認識、知覚不能の見えない方陣が三次元式の曼荼羅のように展開されるが、砕けた剣の下から飛び出した黒いズングリとした影が一瞬にしてそれを半分以上割り砕いた。

 

 凶器は爪。

 

 そして、馬車が軋むとほぼ同時に道端が陥没。

 

 否、島の岩盤が膨大な圧力に砕けたせいで地域一帯が沈下し、周囲で警戒に当たっていた教会関係者達が緊急退避とばかりに道の脇の観衆を手品のように圧縮空間内部に吸収凍結していく。

 

 その様子はまるで人がオーロラに巻き込まれて消し去られたようにも錯覚されるだろう。

 

 だが、それで準備は整った。

 

 こういう場合、ハティアが最も気にするのは周囲の民間人の事だ。

 

 最も近場にいた人々を強制的に退避させた事で大きな力を使っての行動も行いやすくなる。

 

 此処まで来るのに若干三秒。

 

 本当なら瞬時に動き出したかった聖女は自分の部下達の働きに感謝して、曼荼羅を半ばまで砕いた黒いずんぐりむっくりとした存在を冷静に見つめる。

 

「……北部、何処(いずこ)かの一柱(カムイ)と御見受け致します」

 

 仮にも七教会の高格外套の武装を捻じ曲げ砕くなんて、尋常な相手ではない。

 

 その相手はその図体を僅かに揺らせて、ホウホウと鳴いた。

 

 それは巨大な梟。

 

 それも10mはありそうな漆黒の鳥だった。

 

 頭部がグルリと青白く濁る瞳で周囲を360°回転しながら見つめ。

 

 再び、ハティアの貌に視線を戻す。

 

 それだけだったが、その一動作が終了した後。

 

 ハティアと鳥の周囲のみがまるで時間の経過が早まったかのような様子で他のあらゆる物質が静止したように留まる。

 

【―――神域の術者と相間見えるのは久方ぶりの事である】

 

 その声が響くと同時に馬車の周囲が黒く塗り潰され、梟とハティアのみがその漆黒の空間に取り残される。

 

【聞き及ぶ限りの練達。見事なり……しかし、契約に則り―――我、戦端を切らん】

 

「契約……如何なる者との約定たるかお教え願えませんか? 御柱の方」

 

【汝は全能に在らず。万能無限にしても、罹るる病は如何ともし難く】

 

「私が、病……それはどのような意味か尋ねてもよろしいですか?」

 

【自ら確めずして、汝は罪を知らず。自ら行かずして、汝は非を省みず】

 

「分かりました。今はどのような事かは訊ねません。ですが、必ず己の体で見て往きましょう」

 

 梟が見開いていた目をそっと閉じる。

 

 ホウホウと声がした刹那。

 

 ハティアは己の周囲の時間が変動した事を悟る。

 

 それはその漆黒の梟。

 

 神格の能力なのだろう。

 

 闇は唯の闇ではない。

 

 たぶんは踏み込んだ刹那に人体なんて刹那も必要なく原子以下にまで解体される“極小の時差”の檻が無限に連なる空間。

 

 時間が無茶苦茶に変動しているとすれば、物体の連続性なんて一瞬にして崩壊する。

 

 生まれた時にまで時間が遡る空間と一瞬にして塵になる空間が交互に分子一つ分以下の間隔で交互に並んでいたら、其処に踏み入れた物体が辿る末路なんて考えたくも無いのは道理。

 

 闇を統べる王は幾らもいるが、それは旧い旧い神格が持つ原初の夜。

 

 時間すら曖昧だった概念論が支配する世界でこそ生まれたはずの能力に違いなかった。

 

「今、御還しします」

 

 もし梟の能力が拡大すれば、周囲は阿鼻叫喚の地獄絵図。

 

 少なからず騎師クラスが数人は必要な事案。

 

 現在、ハティアを守る騎師は少数でそれも周辺の偵察や各種の段取りに奔走中なのだ。

 

 それがこの時間を操るような神格を前にして速攻で駆けつけて来たにしても、黒い空間の内部は全てが終わった後だろう。

 

 足が踏み出される。

 

 無論のように変動した時間に飲み込まれグズグズの肉塊にまで時間の網が物質を分解する―――はずだったが、その足は変わらず。

 

 制服ではなく儀礼用の白と金の法衣姿は聊かも変わらず。

 

 梟に一歩一歩近付いていく。

 

【……世は翳り、灰に沈み、なれども……我が目は見守ろう。汝の選択が如何に酷するものかを……それが―――】

 

 ハティアの手が五歩目にしてようやく梟の表面に辿り着いた。

 

【我が威にして、子らの願いたれば】

 

 触れた先から梟が黄金の燐光を散らして消えていく。

 

 そして、ハティアは未だ自分の周囲では何事も無くパレードが進行している事を認識した。

 

 時間の神。

 

 たぶんはその類だったのだろう神格が何か細工をしていたのだろう。

 

「………」

 

 僅かに表情が翳りそうになった彼女は不意に自分を見つめる視線に気付いて、そちらを見た。

 

 其処は大通りに幾つかある観覧席。

 

 たぶんは数万人分程ある席の極一部での出来事だった。

 

(確かあそこは……)

 

 彼女の魔導に支えられた知覚能力によって得られた情報は二つ。

 

 自分を僅かに目を細めて見つめる南部の大帝国。

 

 イグニシア・クルシスの女帝が呆れた様子になった事と。

 

 その周囲にいる……事前情報にあった皇帝の招待を受けた孤児達がいる席の一角で数人のまだ十歳になるかならないかくらいだろう子供達が数人、突如として血を吐いて倒れた事。

 

 それに気付いた周囲の子供達が涙を零しそうになりながら駆け寄って、魔術らしきものを使っては介抱していた。

 

 彼女が行動を起こす前にすぐやってきた皇帝の部下達が血を吐いた子供達を魔術で回復させていく。

 

 それに涙目で心配そうな顔をしていた子供達の一部が、すぐにハティアのいる馬車をキッと強く睨んだ。

 

 その唇から零れ出る声を彼女はたぶん生涯忘れないだろう。

 

 声は密やかに。

 

 しかし、決して子供らしからぬ……いや、確かに人間らしい憎悪と正義に満ちて呟かれた。

 

―――絶対、許さない。

 

―――御母さんと御父さんを返して。

 

―――お前のせいだ。

 

―――母さんも弟も助けてくれなかった癖に。

 

―――みんな、みんな、あんたのせいで。

 

―――嫌い、嫌い、大っ嫌い。

 

 自分達の罪を知るからこそ、子供達は決して大声を上げず。

 

 自らの仲間を想うからこそ、正しい人々に聞こえぬよう囁く。

 

 正当なる理由が幾らあっても、人を殺してはいけません……なんて、正論を吐こうものなら、子供達は人生を掛けて、きっと……その言葉が虚しい戯言である事を証明するだろう。

 

 してしまうだろう。

 

 それが分かるからこそ。

 

 自分達が消し去ろうとしてきた薄暗さを其処に認めるからこそ。

 

 彼女は思う。

 

 ああ、また自分は救えなかったんだと。

 

 子供達に罪を犯させ。

 

 それを一生背負わせ。

 

 薄暗い道の先に導いてしまったのだと。

 

『余は切欠を与えたに過ぎぬ。全てはこの子らの決断だ』

 

 今は儀礼用だろう紅のドレスを着た皇帝の呟きに彼女は思わず声を上げて睨み付けそうになった己を自制して、静かに相手を見つめる。

 

 子供達に誤解させてしまう事が無いように。

 

 だが、ハッキリと自分が見ている事を教えるように。

 

『誓って、ただ此処に招待したのみなのだ。分かるか? 聖女……いや、余の恋敵よ』

 

「―――」

 

『余は罪を咎めはせぬ。断罪する事はあっても。余は皇帝だからな……そなたと余の違いは其処だ』

 

 呟きは独り言の域を出ない。

 

 結局、ハティア自身が聞こうとしているから聞こえてしまうに過ぎない。

 

『そなたはこの子らをどうやって救う? 罪を犯すなと諭すか? それともそれは悪い事だと説法でもするか? あるいはごめんなさいと謝り、抱き締めてやるか? いいや、そのどれもダメなのは理解しているだろう? 本当にこの子らが望むのはそなたの死だ……そして、その薄暗さはそなたが、七教会が最も嫌う“世界の常識”だ』

 

 今、この場で彼女が本気で魔導を発動させたなら、その皇帝を一生口も聞けぬようにしてやれる事だろう。

 

 だが、そんな怒りすら自分に許せるはずもない彼女を前にして全て分かっているからこそ、瞳孔の無い菫色の片目を耀かせてエト・エイラル・エイム・イグニシア・クルシスは続ける。

 

『余は大人として分別を教えてやれる程、己が正しいとは思えぬよ。諭し、導くのが大人等とはこの子らを前に口が裂けても言えぬよ。正当なる復讐なぞ大陸中央に無いとしても、正当なる憎悪は今も確かに成立するのだ。少なくとも中央諸国以外の世界ではな』

 

「………ッ」

 

『そなたの生きて来た人生に比べれば、余などの歳は赤子も同然であろう……だが、その赤子とて分かる事を一つ……そなたに教えておこう』

 

 皇帝の瞳と彼女の瞳がパレードの最中、結ばれる。

 

『世の万人がそなたの行いを許そうと。世の唯一人がそなたを憎む限り、そなたの望む世界などやっては来ぬよ……そして、余が、我々が存在し、許さぬ限り、やはり、そなたは……決して正しい事も無いだろう……そなたとて分かり切った事実を今一度、いや……何度だろうと余らは突き付けよう』

 

 どうやら血を吐いた子供達が回復した。

 

 死の淵から生還して尚力強い瞳達が彼女を射抜き。

 

『救えたはずの者に手を差し伸べなかった……あの誰よりも御人よしな男を“救わなかった”……そんな者の語る常識など余は、この子らは……死んでも受け入れぬだろう』

 

 血で唇を濡らした子供達の声がする。

 

 しかし、それに反応する事はついぞ……大陸中央諸国の聖女にして、これ以上の罪を決して誰にも背負わせてはならないと己に戒めた彼女には出来なかった。

 

 それもまた罪かもしれず。

 

 しかし、己の語る常識ならばこそ、子供でも罰せねばならぬと知るハティアの唇は……ただの一言も動く事は無かった。

 

「………………………」

 

 二週間。

 

 それがパレード後に体調を崩したと公表された聖女が“己に許せた”時間だったのは長かったのか短かったのか。

 

 それは彼女の下にイグニシア・クルシス皇帝が招待した子供達の素性を調べ、直接提出した名も無き文官の胸中にのみ存在する記録となったのである。

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