第三十八節「湯煙温泉事情」
巨大な岩塊が無数に浮遊し、浮島というよりは単純に障害物としてあらゆる飛行物体の侵入を阻む第三層の深層。
恐らく。
七教会の戦艦クラスの力があって初めてまともに航行可能な区域の一角に魔王の娼婦と愉快な仲間達ご一行は辿り着いていた。
転移によって、あらゆる教会の検問をすり抜けて到達した其処は三層の上層とは違って、薄暗く全天を覆う霧が立ち込め、幽玄という言葉がしっくり来るような色彩の無さを湛えている。
吹く風こそ乾いていたが、曇り空の雲の最中を歩くような心地。
移動するにも20m先が見通せず。
不意に数十m単位の岩塊が真直に迫ったりするので魔術による索敵は必須だ。
現在、再び船を出す事は控え、イフィーの魔術による飛翔での団体行動。
固まって低速で目的地へと向けて移動している彼らは早くもこの区域の恐ろしさを味わう事になっていた。
「うお?!」
思わずイルトが左に回避したところを剣獣(ソーディアス)の群れ。
それも小型の短剣程の固体がダース単位で泳ぐ魚群のように通過し、背後にあった小型の岩塊を破壊してUターンしながら戻ってくる。
「これが深層……一応、聞いておきますが、あの剣獣の刃が滲ませてるのは霧で付いた水滴、というわけじゃないんでしょうね?」
リュオがかなりげっそりした様子で横のイフィーに尋ねる。
二人は背後の魔王にシャイを預けてイルト以外全員が魔術で姿を隠していた。
不可視可は元より、音、熱量、紫外線、匂い、魔力、大抵は遮断する高度な隠蔽魔術は剣獣達に彼らの位置を容易には知らせない。
「解析してみたが、糜爛(びらん)剤の類が検出された。当たったら、苦しんで死ぬ程度だ。まぁ、今のイルトにどれだけ利くのか定かではないが、もし当たったら、高確率で苦しんだ後、毒に対する耐性が上がるくらいだろう」
「ちょぉ!? 物凄く物騒な事が呟かれたんですけど!!?」
イルトが通信越しの冷静な声に思わず素っ頓狂な声を上げた。
「第四層からは即死系の毒物で濡れた剣獣も増える。今の内に苦しんでおくのも手かもしれぬぞ?」
「いや、絶対普通に遠慮願うって。マジで死ぬ程苦しいとか勘弁してくれ……」
冷や汗を流しつつ、一人囮となって周囲の剣獣を釣り出す役目を全うしつつある青少年が思わず頭を抱えた。
「むぅ。まぁ、それは止めておくか。腕輪の効果で耐性もある程度は上がっているであろうしな」
「え?」
「その腕輪はあらゆる点で能力を落す。普通の人間が付けていたら、本来なら人間には無害な薬品でも死にかねない。そういう事だ」
「わぁーお……まったく、嬉しくない暴露だぜ」
もはや諦めの境地に達した様子でイルトが自分の身は自分で守らなければ、どんな無茶ぶりな成長をさせられるか分かったものではないと両手にしていた金属棒をいつものように変形させる。
常ならば、刃物や工具を使うのが常だったのだが、自分の限界を引き上げるという名目の下、教育者二人からは今までの自分には出来なかった芸当を試してみろとの御達しが出ている。
という事で昔夢想した事のある理想的な戦い方。
大陸中央諸国で出回る娯楽小説的なヒーローの必殺技的なものを想像しつつ、金属棒を望む通りの形へと加工し、“装着”する。
左右の両腕から両足まで体の中心以外を覆う鎧のようなもの。
実際には七教会の高格外套に似通りつつも無駄に流線型を多用しつつ端が尖ったスタイリッシュな軽鎧(ハーフプレート)が白に黒の幾何学模様を無駄に奔らせつつ、姿を顕した。
稼動部分は液体金属状になっており、伸縮自在。
近距離戦で相手に触れ得る両手両足や関節部分が装甲で強化。
生身の箇所は回避と自分の手足、得物でどうにかするというスタイルである。
どうせ最初から当たれば、死ぬと過程して、肉体の中心線に沿った装甲は排除したソレは鎧というより、篭手のような身に付ける打撃武器と呼ぶのが妥当だろう。
「イルト君。その幾何学模様って回路とかですか?」
「え? あ、何か付いてるな? オレ的にはこうもう少し有機的な感じを演出したかったんだが、これどうなってんだろ?」
何やら自分の考えていたものと少し違うようで困惑した当人が視線を鎧に向けた途端。
後方の霧の中から一本まるで敵の隙を狙う撃つ狙撃手のように短剣が首筋に向けて正しく弾丸よりは幾分遅い程度の速度で迫る。
着弾まで一秒も無い。
だが、それに反応してか。
左半身が一瞬にして旋回したかと思うと肘が上がって、刃の切っ先を弾いた、と同時に刃先を砕いて密碑へと変化させる。
「おわ?!! じ、自動?! オレ、んな能力とか付与してないんですけど!!?」
「ふむ……見た目はアレだが、異種として既存知識から汲み上げた技術を能力が再現しているようだな。無意識下の反応を表出。回路技術に頼った打撃武器という類型(カテゴリ)になるか」
「今、何かサクッとオレの美意識が否定された気がする……」
イフィーの評価にちょっと自信のあった男の子にありがちな、“僕の考えた格好良い鎧”を全面否定されたイルトがガックリと肩を落とす。
「いいじゃないですか。自分でも思ってみなかった性能のものを造れるなんて、錬金術師冥利に尽きますよ。ええ、羨ましいとは思いませんが」
「そ、そりゃ、師匠は錬金術師として大成してるから、逆に自分の予想通りのものが造れなかったら、ショックだろうけど」
緊張感の無い会話に呆れた様子になったグラフマンは未だ眠っているシャイを片手にどうして自分が子守などという気持ちになりつつも、溜息を吐いて黙って背後の岩塊へと背を預け、星潜者達の様子を見やる。
「では、そのまま襲ってくる短剣を惹き付けつつ進んで下さい。僕らは後から拙そうならフォローしますから」
「了解……でも、オレこんなんで強くなれるのかな……いや、だって自動だろ?」
愚痴を零しながらもフヨフヨと先へと進むイルトは次々に襲ってくる短剣を両手両足、関節部に付いた突起諸々による近接格闘打撃で逸らし、捌き、打ち砕いていく。
「自動と言っても、それは全てお前の秘められた反射速度や反射神経、知覚を反映している。意識下では感じられていない情報を処理しているだけなのだ。十分に修練とはなっているだろう。鍛錬は1日にして成らず、だ。気長にやるのだな」
イフィーの最もな言葉を耳にしつつも、鎧に振り回されるような感覚で密碑製造機と化したイルトは鍛錬てもっと苦労して強くなるものなんじゃないのか、という固定観念に微妙な表情となる。
「ちなみに聞くけどさ。この鍛錬続けてイフィーくらいのクラスになるまでどれくらい掛かる?」
「今行ってる内容でなら十年くらい眠らずにやれば、追い付くか? いや、相手次第ではもっと早くなるだろうが、今のような小物を倒し続ける程度では何十年で足りるか怪しいかもしれぬ」
「そ、そんななのか。つーか……物凄い旧い時代の異種と人間を祖に持つ存在と同じくらいって言ってたけど、それですらイフィーの前じゃ赤子も同然て事なのか?」
「我は一応、現魔王との契約を持っている。その恩恵だけで言えば、不老のようなオマケ能力はともかく格は落ちるが不死性は高いのだ。無論、意識して使えば、大抵の不死者より強い。我が敵わない相手は正しく聖女クラスや聖女よりも危ない連中。後は根本的に対応力や素質、能力、経験の自力の桁が違う相手くらいであろう」
「……オレが物凄く弱いのは分かったぜ……」
「そう卑下するな。相性というのもある。それだけで言えば、暴走状態のお前なら無防備な我が攻撃を受けたら、1度死ぬ可能性くらいはあった」
「まったく褒められてる気がしないのは何でなんだろう……」
「褒めてはやらないが、誇っていい。今の我をどうこう出来るのはこの世界の上から数えた方が早い強さの連中ばかりだ」
灰金の少女の言葉にモヤモヤしたものを抱えつつ。
それでもゆっくりと進んでいくイルトは鎧の自動迎撃能力に頼りつつ、確実に増える短剣の群れを的確に落としていく。
「……一つ聞いていいか?」
「何だ?」
「イフィーは、さ。どうやって強くなったんだ?」
その青少年の問いが、魔王の力で強くなったという以外の部分を訪ねていると分かるからこそ、答えてよいのかどうか少女は悩む。
それを横目にリュオがポンと肩を叩いた。
「(いいのか?)」
弟子に伝えるべき事ではないものもまたそのような話題には多いと分かっているはずの師はしかし……告げない方が此処からは危険かもしれないからとその経路経由の声に頷きを返す。
「我が強くなった方法を聞いても、お前が強くなれる保証はないぞ? イルト」
「それでも……一応、参考までに……ダメか?」
「いや、聞きたいのならば、聞かせよう。単純だ」
「単純?」
「必死にやってきただけだ」
「必死……」
「文字通りの意味で我は少なくともこの数年で幾度も死に掛けた」
「―――」
「我は魔王の娼婦と呼ばれながらも、中身は生贄にされた子供程度。それで魔王の力を授かったからと、どれだけ強くなれると思う?」
「それは……圧倒的な力とか使えたら、かなり強くなれるんじゃないのか?」
「まぁ、一理ある。だが、使い方が拙ければ、どんな武器も意味を成さぬ。我もまた自分の器の程度を知った。我よりも素養が高い者など五万といた。そして、そういう連中が研鑽した力、能力、技術、対応力、経験、知識、資質、あらゆる磨かれた武器を前にして、我の力は大き過ぎる魔王から授かったものと後一つ。あいつへの気持ちだけだった……それなりに知識も戦う術も持ち合わせていたが、それで格下は倒せても格上はどうにもならない。だから、我は必死に戦った。戦って、戦って、生き残る事を最優先に己を磨き。そして、何とか喰らい付こうとした」
本来の姿を見てしまった。
あの四肢を失った姿を見てしまった。
だからこそ、イルトにはその光景がまるで見てきたかのように想像出来てしまった。
「腕を失おうと戦い続ける意思はあるか。目を潰されても逃げ出す算段はあるか。今から実家に帰って幸せな生活を送ったらどうだ。幾らでも我を揺さぶる言葉はあった。だがな、誰にでもあるように譲れない事が我にもあった。そして、我の思いに答えるだけの力を我の肉体は得ていた。必死にやれば、結果が付いて来た。それだけで十分、我は恵まれているだろう。だから、この必死さが無ければ、我はやはりどんな力を持っていたとしても、高が子供に過ぎないのだ……分かるか?」
「オレは付いてこない結果だって乗り越えなきゃならない分……イフィーよりも頑張らないとな……」
イルトの言葉に少女は微笑む。
「そうか。そうだな……お前は我とは違う。だが、お前が必死になるならば、結果を共に持たせるのは我とリュオ先生の仕事だ。だから、お前は前だけを向いて進め。後はいつだとて、我らがいる」
「……ありがとな。イフィー」
「礼など。我の方が言うべきであろう」
何となく口を挟み難い二人の空気にグラフマンが「若いな……」という子供を見やる大人の顔となり、同じような顔となっていたリュオと視線があって、互いに苦笑が零された。
「今、撃破数90を超えた。後200以上倒したら、一端止まって休憩としよう」
「ああ、分かった」
二人の遣り取りがそうして終わろうとした時だった。
リュオにシャイを押し付けて、グラフマンが後方から抜け上に出る。
それとほぼ同時にイフィーもまた何かに気付いた様子ですぐにイルトの隣へと出た。
「どうしたんだ?」
「……何か来る。上からだ」
「上?」
今まで出てきていた短剣の群れが何故か一斉に周囲から遠ざかるように霧の奥へと消えていくのを視認して、思わずナニが来るのかと上を見上げた青少年が数秒後に思わず目を疑った。
壁が、霧の先からまるで世界の果てまでも続いていそうな壁が落ちてくる。
それも猛烈な速度で。
「リュオ先生!!」
シャイを抱えたまま。
すぐ二人に合流した師は弟子の驚き様にも劣らず。
思わず、顔を引き攣らせた。
「(質量的には山が落ちてくるようなものかもしれませんね。さすがに聖女の縄張りと驚くべきなのかどうか)」
さすがに退避しようかと考えた三人とは裏腹にグラフマンがやれやれと肩を竦めそうな程に呆れた様子で背負った盾を上空に構える。
と、同時にその足元に積層魔力らしき水晶にも似た紅蓮の結晶が焼結しながら生成され、次々に線を描いては繋がって、方陣を形成していく。
「(積層魔力で方陣? 今時の大陸中央なら珍しくない技法だが、数千年前の人物がそれを使う……名も残らぬとは謙遜が過ぎるな)」
相手は過去に存在した魔王。
魔術が幾ら進歩発展しているとはいえ。
それでも時代時代に改良が加えられてこそ、現在の大陸中央の魔導技術(ハイクラフト)のような魔術は高水準で発展している。
その中での“普通”の技法を数百年もしくは数千年前の人物が使うなら、それは確実に過去の時点では数十世代先の叡智と技術を用いたという事。
そう分かればこそ、灰金の少女の背筋に汗が流れる。
グラフマンがそろそろ衝突しそうになっている壁を前にして盾を掲げたまま、まるで彫刻のように姿勢を固めた。
次の刹那。
衝撃に霧が一瞬にして周辺地域から吹き飛び。
また、鼓膜を破らんばかり激音が響き渡る。
岩が砕けて押し戻され、音速を超えた衝撃波から激突地点に真空が発生、空気が激突の中心点へ急激に戻った事で周辺の岩塊が引き込まれる。
だが、状況は制御されているらしく。
真空への空気の流入は下方からのみ発生して、超大な質量を下から跳ね上げて傾け、グラフマンを中心にして右側へと墜ちていく。
方陣防御を張ったイフィーの周囲には三次元式の光の円環が四層程回っていたが、そのどれもが僅かに吸収し切れなかった振動で微細に震えていた。
リュオが大きく安堵の息を吐き。
イルトは今目の前で起こった出来事にもはや半笑いとなって、思わず目を瞬かせる。
三人の上方で盾を掲げ、肩を軽く回したグラフマンがパンパンと埃を払って、自分の真下で働いた積層魔力を使った魔術方陣が明滅して消えたの確認して彼らの下へと降りた。
「我が知る限り、山岳が落ちてきて、軽く跳ね除けるなど、魔王だとしてもそれなりの階梯にある存在で無ければ、不可能な芸当だ」
「それなり、か。こんなのは単なる曲芸に過ぎん。光の速さを超え、次元を裂く程に加速し、自在に迫る【質量武装(イングネス・アームズ)】を相手にするのと比べれば、児戯に等しい。この程度の試練で貴様等に消耗されては次の難関は持たないのでな」
「……難関か。目指す場所の前に、という事か?」
少女の声に男は角を片手で払いつつ頷く。
「仮にもあの女の本拠地。侵入者は千度殺されて生き返らせられる程度の事は覚悟して当然だ」
イルトがその言葉に己が強くなるとか以前にまるで無力である事を心の底から自覚する。
「具体的には?」
「言う程、易く思うな……」
「さすがに今のを見てそう思う理由も無いと思うが……」
「―――大食いだ」
「は?」
どうやら世の中は不思議に満ちているらしい。
誰の頭にも疑問符が浮かぶ。
頭上から山みたいな岩塊が落ちてくるかと思えば、今度は死ぬ思いをして何かを食さねばならないらしかった。
*
風呂は男の嗜み。
いや、貴族の嗜みというのが大陸社会での常識だ。
湯船というものが高価であった時代。
湯浴みという概念は凡そ庶民に広まるまで長らく皇帝貴族豪商などの特権階級のものであった。
大陸中央でならば、公衆衛生的な観点から普及が取り沙汰され、数十年前から延々と民間には七教会製の安い湯船が供給されたので文化的な常識とはなっている。
が、水の貴重な国や湯船の製造技術が低い国などは今も湯浴みとは贅沢な嗜好品に近い慣習として手が届かない事もしばしばだ。
もしくは必要無いという論を保持する者が大多数を占める。
ちなみに何故に男の嗜みと囁かれているかと言えば、男尊女卑が罷り通る国家が地方諸国では純粋に9割以上の為、家の主、家督を継いだ長兄にのみ湯船を使う権利があるという貴族社会の慣習が今も旧い仕来りとして割りと残っているからだ。
大陸に七教会製の湯船がほぼ原価に近しい爆安な値段で供給されるようになってからはそういった差別的な習俗は薄れてきているが、未だ階級性社会、貴族制度、男尊女卑、諸々の古めかしい制度や常識が残る地方の国々ではそれが当たり前だったりする。
そんな中、大陸に颯爽と現れたのが公衆浴場という概念である。
公衆衛生の観点から大多数の人間が共に入る湯船というものを推奨したのは七教会だ。
本来は大陸東部での文化的な一部地域の風習を参考にした云々。
これが地方諸国でも大当たりして、衛生的な管理が為される場合に限りという条件付きで営業される公営の大浴場は各地に幾らもある。
規模はそれこそ大きくないが、乱立と言っていい程度には多数の湯浴みの場所が提供されたのだ。
こうして世界は人々は湯船の恩恵を享受しつつあるのだが、それは天蓋蒼星でも例外ではない。
水には事欠かない地域が多く。
密碑による水の供給や湯船の製造も可能という事で都市機能を有する地域には必ずと言っていい程に公衆浴場が多数存在する。
逆に個人で所有される湯船は少数だ。
理由は星潜者が定住する事例は爆発的に増えているものの、今も旅人気質で密碑集めに奔走して動き回る彼らにアジトと呼べる場所を持つ理由が薄いからだ。
大規模な密碑回収作業を行うギルドのような組織だった動きをする者達は多いが、大抵荒くれである彼らにわざわざ嗜好品たる湯船を買うという常識は無く。
そんな金があるなら、公衆浴場に行くか、酒とツマミを買って馬鹿騒ぎいうのが普通なのである。
そういう理由から第三層にも公衆浴場は他の層程ではないにしても点在する。
元々、層内部の人口が少なく。
また、住める場所の狭さから人口が良質な土地に密集し易い環境も相俟って、風呂屋は儲かる職業の一つとして認知されていた。
第三層の密碑の質は高い。
高額所得者などを対象にして、サーヴィスを充実させ、一攫千金を狙う者は後を絶たない。
具体的には超豪勢な湯船を作ったり、ロケーションを重視して露天風呂を作ったり、飲食を強化して豪華な食事や酒肴を提供したり、無論のようにお水のオネーチャンときゃっきゃウフフするのも有りだ。
という事で、そんな凌ぎを削る銭湯大合戦の様相を呈した激戦区に何故かマウロと愉快な仲間達も参戦する事になっていた。
―――第三層中層域フラッツェ・グリード。
「いらはいいらはい!! 現在、絶賛本星から取り寄せた源泉使用長だよぉ~~完全予約制完全予約制!! こりゃぁ、お徳ってもんだ!!」
「え~~皆さん!! ついに大陸中央で流行中の螺旋流水マッサージを可能にするバスタブの登場だ!! 一緒に優しい魔力で全身の凝りも解れる優れもの!! さて、驚きのお値段は!!」
「密碑二万ポッキリ!! 二万ポッキリだ!! 優しい健全おねーちゃんに癒されつつ、一緒に葡萄酒を飲もうじゃないか!! おっと、健全路線だから、お触りは勘弁してくれよ? でも、1人切りの寂しい湯浴みとはこれでもうおさらばさ!!」
第三層深層へと至るヘルメス・ルートの終着点より僅かばかり離れた場所にある浮き島は全長で3km程ある島だ。
平地が主で樹林地帯は一部のみ。
更に何やら地層が火山帯の山岳部と酷似しているとの事で密碑でお湯を生成して適当に掘った穴にぶち込むと硫黄その他の成分が染み出し、様々な温泉となるという……まったく明らかに不自然過ぎる場所である。
夢のある言い方で良ければ、簡単だ。
正しく温泉パラダイス。
第四層へ向かう前に旅の疲れを癒して下さいねと言わんばかりの話である。
七教会が解放している半民半官の港は第四層への物資を積んだ教会の軍艦と民間の商船で溢れているが、その約1割が現在のブームに乗っかった温泉関連の設備や資源なのだと言う。
活気のある街並みは民間の解放部分では木造や煉瓦造りの古風なものが業者間の景観作りという名目で意図的に並んでいるが、七教会の統括する区域では殆ど大陸中央製の最新建材製の建築物ばかりで灰色が目立つ。
半ば、基地のように地方諸国から出てきた星潜者達は見ているのだが、実際には大陸中央で言う物資集積所の類であり、管理者である教会支部の関係者は一部で下請けの民間組織が運営している。
このチグハグな光景の端。
港の最奥に止まっている見た目はただの商船の前には現在、40人以上の列が並んでいた。
皆、新しく開店した酒場兼風呂屋という新しい形態の店舗に早くも喰い付いていたのだ。
星潜者の噂は早い。
現在、逗留三日目にして夕の分、夜の部、深夜の部、早朝の部という4種類のチケットは売り切れ御免の人気商品となっている。
対応しているのは逗留初日から商人達から機材を買い付け、設置して移動酒場+αの業務形態をざっくり生み出した張本人。
マルート・マルその人だ。
弛んだ身体で金の計算だけは速い彼が第四層へ向かう前の一稼ぎとばかりに立ち上げた商売は後一週間程は続ける算段となっている。
地味な設備作業を新入りに投げ。
ウェイトレスは魔力で造った簡易の使い魔とそれを統括するエリザに任せ。
チケットを三日で千枚以上捌いた彼の顔はホクホクしていた。
停泊中の商船の甲板にはズラリと湯船が並び。
何も仕切りが無いように見えるが、実際にはエリザが張った魔術がフィルターとなって光のみを屈折させる部屋を形成しており、湯船とその周囲からは誰も見えない甲板独り占めな絶景を味わえる人気スポットと化していた。
食料や雑貨の買い付けは綿密に計算されたのでほぼロスは無し。
ついでに旅用の消耗品やらクルジェンカが望んだ高額資材も買ったのだが、それでも儲けのプールされた密碑は減るどころか日に日に金庫内で倍々ゲームよろしく増えていた。
ようやくチケットが完売した後。
商船前の露天で完売の札を下げたマルートが残った客にまだ機会はありますからと客に愛想笑いで戻っていく。
そうして甲板から酒場内部へと戻れば、何やらエリザがこの数日着込んでいる侍従用のメイド服。
要は地味ながらもフリルも多い雑用のドレス姿で水を呷っていた。
その横ではエーレインが用心棒役も板に付いて来た様子で剣を布で磨いている。
船長のマウロは七教会の情報を魔術で傍受しているらしく。
周囲に耀く方陣を展開させて静かに何かに聞き入っていた。
「今日も完売しやしたよ。これで七日後までには目標としていた調達資金に届きやす。後、大口の予約ってんで商人連中に幾らか割引させやした。分割払いで搬入してもらった資材なんかは全て言われた通りの方法で空間制御系の皮袋に。七日目に全ての物資を揃えても合算で行くと中古の船が三つくらい買えるだけの蜜碑が残りやすね」
「はいはい。ご苦労ご苦労」
エリザが手をヒラヒラさせた後。
受け取った帳簿をパラパラと捲って即座暗記。
第四層以降に持ち越す物資の集積がほぼ完了した事に安堵しつつ、今後の七教会の目を逃れつつの進行を脳裏に思い描いた。
「あ、こっちは終わったよ~」
クルジェンカが通路の奥から少し煤けた様子で戻ってくる。
「そっちの状況はどうよ? クルジェ」
エリザの問いにポケットから取り出した紙が差し出される。
「はい。現在の進捗から言って、これなら第四層でもこの船で行けると思う」
「そう。船の改修も大丈夫みたいだし、これなら全体の工程も遅れないわね……第四層からはかなり持ってける移動手段が限られるから、移動用拠点があるのは助かるわ」
「へへ~~」
褒められた事に鼻高々という顔をしたクルジェがニコニコする。
「そう言えば、姉さん。第四層の事は聞いてやせんが、此処からどうやって行くんです?」
「第四層に下る方法って今までみたいな遺跡や通路を潜り抜ける方式じゃないのよ」
「そうなの?」
首を傾げたクルジェにエリザが頷く。
「ええ、第四層にはこの第三層の最深層域に存在する空間の捻れに突入して到達するんだけど、一番安定してる空間跳躍用の捻れが七教会の管理下。だから、最深層域に行ったら、それ以外のポイントを探し出す必要があるわ……一応、空間制御型の魔術師か。ある程度空間に干渉する魔術具が在れば、無理矢理第四層への道を抉じ開けられるから、いいんだけど……普通の星潜者は単独で七教会の力を使わずにってのは殆ど無いわね」
「姉さん達にはそういう算段があると」
マルートに頷きが返る。
「そこらは心配しなくていいわ。それ用の品は持ってきたから。それにしても第三層の深層域ってのにここらの星潜者の練度まだ少し低いわね……」
その声にエーレインが反応した。
「七教会の公式ルートの案内に拠れば、第五層から到達する人数が極端に下がり、踏破難度が跳ね上がるとの話だ。第五層からは高位魔術師が2人以上同行しないパーティーは全滅の可能性が高く、軍隊でもかなり厳しいらしいな。第四層も殆どは五層に向かう前の時点で大半の星潜者が脱落する。これを考えれば、此処はまだ気楽な連中ばかりと言っていい」
「へぇ~あんたも一応情報収集してたんだ……意外」
「意外とは何だ!? 陛下の為ならば、情報集めの百や二百!! 苦になるはずもない!!」
「はいはい」
二人のいつもの遣り取りにも成れて来たマルートとクルジェンカが互いに顔を見合わせて肩を竦めた。
「……今、七教会の現地部隊の情報網に連絡がありました。どうやらまた化け物が出たらしいです」
今までソファーで通信傍受に専念していたマウロが立ち上がる。
「また? この間からやけに七教会の動きが慌しいのは分かってたけど、それにしても頻度が高いわね……この目で見たわけじゃないにしても、アレが次々に現れるなんて……どっかに巣でもあるのかしら? こっちは動きやすくなっていいけど、人死にはあんまり出て欲しくないし……」
エリザが眉根を寄せる。
「比較的、此処に近い地域に約93体。現地の治安維持部隊と共にハティア・ウェスティアリアの随伴師団から戦力が割かれるようです」
「そりゃ大事だわ……で、ウチの大将は何で立ち上がってるのかしら?」
「今まで例の化け物はあまり集団では動いていなかった。なのに此処に来て、近場へと大軍がやってくる……これ見よがしだとは思いませんか?」
マウロの言葉にエーレインがフムと顎に指を当てる。
「陽動か?」
「その可能性が高いと判断しました。船の護りはエーレイン。そちらに任せます」
「分かった」
「私はこの桟橋区域の警戒を。近場に出た場合はこちらで処分し、もし七教会に捕捉されそうなら一端ヘルメス・ルート付近の小島に退避して下さい」
「ちゃんと合流出来るのか心配なんだけど……」
エリザの最もな問いにマウロが笑みを浮かべる。
「どうなるにしろ。この船が落とされるよりはマシでしょう。一応、空間転移系の符は全てマーカー付きで持っていますし、問題は無いかと」
「分かったわ。じゃあ、あんた達は此処で待機。外に出るのはエーレインとマウロ。それからあたしよ」
「お気を付けて」
「あ、そう言えば、さっき身体強化用の秘薬作ったから持っていってよ」
マルートがくわばらくわばらと酒場の中に入って頷き。
クルジェが何やらゴソゴソと懐を漁ったかと思うと小瓶を三つ取り出してマウロ達に配る。
「ありがと。効果は?」
「えっと、身体強度の増加と筋肉量の増大。後、皮膚細胞の表層に極小規模防護方陣を1度展開出来るくらいかな」
「……それって結構大魔術師クラスの技法に似てない?」
「あ、それを薬で再現してみました」
サクッとクルジェが困難な事を言う様子にエリザが自分達も大概だが、こっちもそれなりだと半笑いになった。
「ありがたく」
「船を動かす準備だけはしておけ」
「行って来るわ」
マウロとエーレインが外へと向かう階段へと歩き出し、それにエリザも続いた。
その背を見つめながら、残された二人はまったく頼りになる背中だと少しばかりの感慨に囚われて、己の役目を果たすべく自らの持ち場へと戻っていく。
そうして、第三層の騒動は開演する。
燃え上がる戦いを前にして湯煙の静けさは緩やかに熱を帯び始めていた。