第四十節「極量」
―――今日一番の極楽を貴方に。
打ち砕かれた看板を背に数十人の男女が其々に隊列を組み。
即席の連携で次々に押し寄せてくる化け物達との間に激しい攻防を繰り広げていた。
場所は現在も巨大な戦艦が半ば埋まった大通り。
少しずつ後退しながらの引き撃ち。
魔術の効きが極めて悪い黒い表皮の仮面を付けた化け物達。
それに対して電撃で麻痺させようだの、氷漬けで動きを止めようだの、爆風で後退させようだの、諸々を試していた星潜者達は……自分達の攻撃が次々にぶち当たりながらも僅か遅滞してから動き出す絶望的な光景を前に顔を引き攣らせていた。
まだ、魔力には余裕がある。
前衛達は時折の反撃で飛んでくる相手側の遠距離攻撃。
伸縮する四肢だとか。
自分の肉体の一部を切り離しては飛ばし、再生させる飛び道具だとか。
そういうものを何とか食い止めていたが、此処は浮島ど真ん中。
後退し続ければ、やがては逃げ場所を失う。
ソレでなくても、彼らの前方からは正体不明の霧が押し寄せて来ている。
また、時折……巨大な爆発音や衝撃や閃光がその内部から迸り、未だ戦っているものが化け物達の出現地帯にいるとも教えていた。
現在、七教会の支部や本体に連絡を入れようとしていた後衛の後。
街の住人達はしかしまったく繋がらない経路経由の通信に苛立ち。
また、現地の駐留部隊。
高格外套が2機に数人の隊員達を前に詰め寄っていた。
「何で連絡が付かないんだ!?」
「あんた達!! どうして高格外套を動かさないんだよ!?」
次々に上がる批難の声。
それもそうだろう。
こういう時の七教会頼みだ。
それが出来ないとなれば、大陸地方の人々にとって、七教会なんてのは御題目しか唱えない宗教組織程度の代物になってしまう。
しかし、隊員達にしても今此処で自分達の虎の子を出すわけにはいかなかった。
それもそうだろう。
彼らの最大戦力の使いどころは“防衛線が瓦解した後の霧に取り込まれた者達”との徹底抗戦であるからだ。
誰もが詰め寄る住人達を前にして必死に宥めているが、高格外套にもう人は搭乗しており、出撃準備は出来ている。
問題は一つ。
民間には“霧”が何なのかを話していない事だ。
大陸西部のとある国で起こった事件。
霧に含まれる世界外から齎された粒子。
それに汚染され、化け物化するなんて……このパニック寸前の状態で告げられるはずがない。
そもそも本来ならば高格外套を全面に押し出して民間人の後退を援護したいのは七教会の人員達とて同じ。
だが、霧に高格外套さえ取り込まれるとの結論はもう出ており。
長時間の稼動は出来ない。
魂さえない器物にすら侵食の手が伸びる可能性を示唆されていては、さすがに此処で最大戦力を失わせる事は彼ら隊員に出来なかった。
『ぐぁあああああああああ!!!?』
その絶叫に思わず人々の顔が前線に向く。
見れば、集団戦術で何とか化け物達の群を押し留めていた星潜者達の列の最前列に穴が開いていた。
ポタポタと血潮が垂れる。
巨大な獣。
2m弱の黒いソレが思わず半円状に下がった星潜者達を前に血肉のこびり付いた乱杭歯を開いて吼えた。
「な?! 此処に動物はいないはずだろ!!?」
「いや、サーカス用に獣を輸入してたって話をこの間、聞いたぞ!?」
「何ですって!!? じゃ、じゅあ、まさか!!?」
今まで詰め寄っていた民間人の誰もがその獣の背後の霧から複数の四足獣達が現れるのを目撃する。
また、人間よりも大きな猿のようなものから巨大な鼻を持つ像のようなもの。
小型の栗鼠のようなものまで。
化け物は多種多様。
更にその後からは鞭を持った黒い化け物が歩いてくる。
「今までオレ達を襲ってたのは?!!」
ようやく。
真実を直感的に理解した人々の血の気が引く。
「戦線を立て直して下さい!! これより戦える方は七教会の指揮下へ!! 高格外套を軸に後方からの支援をッ!!」
もはや人々の戦意が底を打つ方が速いかと七教会職員達の決断は早かった。
何かを考えながら戦える程、普通の人々は器用ではないのだ。
絶望的な事実。
少なからず。
化け物に殺されたら化け物になる。
そういう情報によって士気が保てないのではお話にもならない。
何の説明もせず。
七教会の高格外套が前線に立つとの報だけをすぐに大々的に周辺の者達に伝えて、彼らが二機の全身鎧を前に駆け出す。
『ひ、怯むなぁああああ!! 押し返せぇえええええ!!!』
化け物達の歩みは悠々としていた。
氷の礫や暴風のような氷雪。
肉体を打ち据える雷撃の雨。
火炎の球に動きを封じる土の鎖。
それらを受け、仰け反り、僅かに後退しながらも、次々に後方から現われる増援を背に再攻撃までの時間でジリジリと距離を詰めていく。
最初の10や20という数がいつの間にか50や80。
増え続ける相手を前にそろそろ決定打に欠けると理解した前線の人員の顔面は蒼白を通り越して土気色だった。
今、もしも敵が一斉に襲い掛かってくれば、確実に突破される。
誰にも分かる結論が士気を下げるのも無理は無い。
魔導方陣、魔術方陣。
それらが一斉に防御用のものに切り替わっていく。
それを咎められる者はその場の誰にもいなかった。
だって、そうだろう。
化け物を1匹か2匹後退させるくらいの一撃を撃っている間に自分達が食い殺されてはどうにもならない。
だが、それこそが合図だ。
現在、敵群の中心にいる鞭を持った仮面は曰く。
【調教者(ディスキピリーナ)】
その鞭が振り上げられ、地面を打った。
途端。
今まで遅々とした歩みだった獣達が、化け物の群れが、一斉に動き出した。
その速さは星潜者達の対応速度を越えている。
音速にも近しい高速機動。
それも最短での突撃。
一瞬にして方陣が軋んで割れる音が連続した。
「うぁああああああぁあぁあああ!!?!」
「あ、足が!? 足がぁああぁ!!?」
「ヒッ?!! た、助けてくれぇええぇ!?」
「う、動けなッ!? あ、あぁ゛ぁ゛あぁぁぁ゛あ゛ああ゛―――」
方陣を割り砕いた拳に胸を砕かれながら吹き飛ばされた者。
方陣を貫いた爪に足を串刺しにされて行動不能な者。
辛うじて受け止めたはいいが、三方を敵に囲まれ孤立した者。
そして……方陣毎捕縛され、霧の領域に半分引き摺り込まれた挙句。
仲間達の前で顔面から屍蝋を噴出させ、仮面を形成し、黒い化け物へと変貌していく犠牲者。
この光景を前にして終に戦線を離脱しようとする者が後衛の陣から逃げ出そうとし。
「チェェエエエエエアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!」
霧と化け物の領域との境界を一気に駆け抜ける声が虚空に響き。
同時に戦線を一気に食い破ろうとしていた屍蝋の仮面達の半数がその1km弱もの長さを駆け抜けた高格外套の剣一つに切り裂かれ、霧に溶けて消えた。
「ようやくか!!? だ、第二陣!! 立て直せ!? 一斉攻撃!! 一斉攻撃だ!!」
現場で指揮官役を勤めていた壮年が最後列から声を上げる。
「ま、まだ仲間がッ!!?」
「死にたいのか!!? 嫌なら霧から出てる奴でもいいから早く狙え!! 中衛第二列ッ!! 前衛を救出せよッ!! 前衛は最後列を残して後退ッ!! 今だッ!! 敵さんが七教会に気を取られてる内に終わらせろッ!!」
一応、的確な指示が飛んだ事は奇跡か。
ギリギリで踏み止まった星潜者達が次々に仲間へと襲い掛かっている化け物達を各々の魔術で吹き飛ばしつつ、負傷者を抱えて後退していく。
だが、さすがに化け物に取り込まれた者までは救えず。
「ローザッ!!? ローザァアアア!!?」
「カリムッ!!? 分からないのっ!? カリムッ!!」
もはや屍蝋の面に取り込まれた仲間の成れの果てに涙を零しながらも呼び掛ける者が数人いた。
しかし、答えは変化した腕が振るう得物の一撃や投擲。
「取り込まれた奴は諦めろッ!! 全隊一時後退!! 敷設方の術式に切り替えて時間を稼げ!! 対空迎撃用意!! 方陣防御は後回しだ!! 遠距離攻撃と空からの攻撃を見逃すなっ!! サーカスには鳥だって居たんだぞ!!?」
軍略や戦術を齧った事のある星潜者がいた事は幸いだっただろう。
指揮官役の男が言った事は20秒後には現実となった。
高格外套による戦線霍乱の隙を縫うようにして次々に鳥型の小さな化け物が後退中の前衛や中衛に襲い掛かる。
しかし、事前に言われ、ある程度の気構えが出来ていた隊列の一斉迎撃によって打ち落とされて、被害が出る事は無かった。
彼らが後へ下がる合間にも高格外套による乱戦が敵群中央で勃発。
次々に群がる敵が強固な全方位型の方陣防御と内部から繰り出される斬撃の延長によるオールレンジの積層魔力の斬撃によって受け止められていた。
千切れ飛ぶ手足。
首と仮面が肉体とお別れを言う暇も無く切り離され。
霧へと何もかもが返っていく。
だが、多勢に無勢。
やはり、高格外套を持ってしても霧に捲かれるのを防ぐには後退するしかなく。
押し込まれながらの消耗戦となった。
後退した即席部隊はその光景に即時前衛を再編。
建て直しながら移動を停止。
高格外套が時間を稼いでいる内だと後衛の専業の術師達が共同で大魔術を編み上げ始める。
個人個人の魔術では押し返すのが精一杯だが、高格外套程の力があれば、敵を霧に還す事が出来ると分かれば、力を束ねるのは当然の選択。
多人数の魔力形質もバラバラな彼らが、それでも一つの魔術を即席の部隊で組めるのは魔導技術があってこそだった。
あらゆる汎用化された技能と知識。
それらが広範囲に拡散して形成された共通知識層の拡大。
現代の魔術師の三割以上が魔導と何らかの関わりを持っている。
衰退する者達は確かに圧倒的多数だが、大陸中央式の魔導に頼る術者がいないわけではない。
新世代の術者などは同業者に罵倒されながらも、こっそり魔導を学んだりしている事もあるのだ。
魔術結社や旧世代魔術師やその大家達の衰滅の最中。
それでも一般化されつつある魔術。
いや、魔導という波は大陸全土に波及している。
後衛の頭上に展開される20m程の巨大な陣には次々に新しい歯車が組み合わされるように方陣が重ね付け足されていく。
魔力の供給と転化。
最も単純な熱量と光への変換。
そして、それを溜め込み。
一点に集中させて激発させる為の制御。
分担される作業は精緻でこそ無いが、共通した魔導の叡智によって破綻する事なく連結されていく。
やがて、回っていた円環が静止した。
「高格外套の方ッ!! 下がってください!! 薙ぎ払いますッ!!」
それに応えて自分を中心に高圧力の爆風を発生させた全身鎧が勢いのままに大通りを前に剣を向けたまま後退。
続いて、巨大方陣の色が赤く染め上がっていく。
「発射まで5秒!! 4、3、2、1ッ!!!」
カウントダウンの間にも高速で迫りつつある敵の前衛に向けて。
それが放たれた。
陣の中心に現われた光の球。
それが紅蓮に染まって、光の筋で迫ってくる霧の境界の端から端までを薙ぎ払う。
途端。
次々に出てこようとしていた化け物達の大半が蒸発した。
そして、後に下がった高格外套を狙って追撃を掛けていた化け物達が全て燃え上がる。
熱量の膨大な拡散が陣から20m先から全てのものを発火させ、焼き尽くしていく。
それは街を消し炭にするという事であったが、死んでは元も子もない。
霧すらも焼き払う炎の壁が形成され、安堵した星潜者達が大きく息を吐いた。
もうこれで大丈夫―――そんな甘い考えが彼らの脳裏から消し飛ぶのは10秒後。
炎の壁。
薙ぎ払った地点の奥から炎に焼かれながらも多数の人型が陽炎のようにその紅蓮の中に揺らいで姿を見せる。
「あれでもダメなのか!?」
絶望するにはまだ早いが、奈落の底に落とされたような諦観は拭い難く。
此処からどれだけ敵の攻撃を凌ぎ続ければいいのかと星潜者達の喉は干上がる。
終り無き戦いの前奏は終了。
次なる攻撃に備えた即席部隊と高格外套。
その本番は全てこれからに違いなかった。
*
世界が瞬いている。
強烈な光を幾度と無く連続して放てば、そうも見えるか。
眩過ぎる閃光の乱舞。
その中心地点。
激突によって齎される真空に極大の圧力と圧力。
物質と物質がぶつかるという極々シンプルな現象のせいで熱波と衝撃が生まれている。
物質の崩壊。
それが起きているのだ。
飛び交う質量の転化した物理量(エネルギー)総量はもはや計測不能。
一つ分かっている事はその巨大なぶつかり合いの中心地は未だ衝撃のみによって真空地帯となっているという事か。
超々高速の激突に次ぐ激突。
これはもはや高位魔族もかくやと言った攻撃の応酬。
通常の物質ならば、既に砕けているか。
塵になっていなければオカシイだろう衝撃を前に平然と物理法則を無視する彼ら。
片や巨大な醜い肉の塊の手足を振るう修道女。
片や白き全身鎧の騎士。
周囲では塵のあまりにも速い流動で無限にも等しい雷撃が奔っていた。
激戦地の周囲にはもう黒い化け物はいない。
それどころか。
外なる世界より召喚された化け物達やその門も無い。
全てが彼と彼女。
二人の攻撃の余波で塵以下にまで消し飛んだのだ。
戦闘開始より90232合。
短時間で打ち合った彼らの全身はもはや赤熱にどちらも赤くなっている。
しかし、本来の頑健さと超常の力による強化。
更に高位魔術による法則干渉と物理限界の超越がまだ形を其々に留めさせていた。
「ひはッ!!!?」
まるでお愉しみの最中だと言わんばかりに愉悦に解け崩れ、唾液を零し、刹那に蒸発させながら。
修道女の血走った瞳がギョロリと動き。
少なくとも秒速12000km以上の速度で迫る雷撃より速い刃の切っ先を寸前で掠めるようにして回避する。
また、迫る巨椀。
当たれば、一撃で肉体が熱量と衝撃に転換されるだろう拳をその数百倍は小さいだろう篭手と手袋に鎧われた手が受け止め。
岩山を衝撃だけで溶け崩れさせるだろう絶大な打撃が捻り回転させられながらその大半の威力を肉体の背後へと逸らされた。
グルンと重力すらも感じさせない動きで回転した怪物修道女が目まぐるしく変わっていく視界の中。
兜の中に押し込まれた視線から放たれる殺気ですらない死を齎す気配に首を横に振る。
視線による【瞬刹魔術(フラッシュ・クラフト)】だ。
僅か彼女の頬がその肉と背後の頭蓋の一部を消し飛ばされた。
恐らくは指定した近接空間そのものを“何も無い”という事象と置き換える概念魔術の類。
が、その普通なら即死の一撃を受けても尚余裕。
いや、むしろ嬉しそうな顔となった修道女の舌が妖しくペロリと唇を湿らせた。
「「―――」」
もはや互いに無言。
しかし、誰よりも彼らが過ごした時間は濃密だ。
もしかしたら、一人の人間が人生で打ち合う数よりも多く。
拳と刃を交え。
互いの弱点という弱点を突破しようと刹那の攻防を無限のように繰り返し。
主観にすれば、年単位の連続戦闘にも等しいかもしれない“今”を戦い続けているのだから。
それは超越者達の戦闘。
神格やそれに等しい者達のみに許された闘争。
だが、それにもやはり終りはやってくる。
彼によって強化された“ただの鉄剣”が彼女の腕を掻い潜り、切っ先を頭部の頭蓋へと到達させた。
彼女に遺された刹那の全てを使っても、刃を避けるのは不可能。
しかし、クチャリと妖しい音を立てそうなくらいに軽く。
額の刃の切っ先の先。
瞳が開く。
切っ先の先。
分子の一欠けら。
原子の一つ。
それが瞳の奥から溢れ出した光によって欠ける。
光が次々に刃を毀れさせていく。
だが、そうだとしても刃の勢いは止まらず。
次々に欠けていく質量の切っ先がプツリと柔らかにも見える瞳の中心を割り、崩壊しながらも内部へと潜りこんでいく。
網膜まで到達した時点で剣の柄までも崩壊は進み。
その先の脳へと到達する寸前に単なるエネルギーとして爆裂した。
物質を強制的にエネルギー置換しようとした魔眼の崩壊が剣の崩壊と重なった刹那の刹那。
彼らはどちらも弾き飛ばされ。
その真空と雷撃と衝撃と熱量の乱舞する二人だけの世界から遠ざかって霧の最中へと落ちて行く。
片や額と頭部の半分を失いながら。
片や握っていた聞き手を焼き零しながら。
だが、それで勝負は決まったと修道女の笑みは勝利の確信に綻んでいた。
霧は全てを浸食する。
こちらとの戦いに消耗した男にもはや抗うだけの力は無い。
例え、今すぐにではなくとも……やがては屍蝋に顔を塗り固められるだろうと。
(消耗が激しい。このまま霧を抜けられるか?)
落下は続く。
虚空での大空中戦だったのだ。
余波で沿岸部は全て消し飛んだ。
それでも霧は未だ霧散し切る事なく。
周辺全体に漂っており、その領域が何処まで続いているのか。
マウロに見通す事は出来なかった。
彼の仲間達は戦いが始る寸前に船を出向させて何とか難を逃れていたのを見ていたが、それにしてもあの戦闘空域には留まっていないはずだ。
何処までも落ちて行く空の最中。
霧の奥から何かがキャラキャラと音を立てる。
それが剣獣のものだと気付いたのも束の間。
殆ど身体を動かせない彼に向かって剣の群れが空を切り裂いて襲い掛かる。
(何だ? 色がいつもと―――まさか、これも屍蝋のッ?!)
霧の中、変質したらしき青白くも何処かヘドロにも似た色の刃が頬を掠めた。
何とか虚空で身体を捻って回避したはいいものの。
先程の全力戦闘で体力と気力は使い果たした。
精神力はまだ残っているが、魔力は空。
超常の力を発動させるだけの集中力は持続するだろうが、それにしても肉体が動かなければ、回避しようの無い一撃が何処かで必ず当たるだろう。
急所は外せるかもしれないが、屍蝋の剣がどのような効果を持っている事か。
最悪、化け物にされる可能性を考えれば、自決する用意すら視野に入る。
墜ちていく。
墜ちていく。
剣の獣は増え続け。
身体を捻る度に掠めては方向転換しながら舞い戻る。
やがて、彼の周囲には同速で落ちる剣の檻。
巨大な球状の牢獄が幾重にも折り重なって数百mもの規模となっていた。
今すぐに襲ってこないのは剣の獣達が待っているからだ。
その男を確実に討ち取るだけの数が揃うのを。
それはマウロにも分かっていたが、数を減らそうにもその隙を狙われては一溜まりもない。
最後まで諦めはすまいと思うものの。
それでも状況は良くないのも事実。
彼が決断を迫られつつある最中。
終にkm単位にまで膨れ上がった剣獣達が一斉にその刃を中心点。
身動きの取れない騎士に向けた。
そして、滑らかに刃先が空を裂き。
自決用の術を彼が頭部で弾けさせようとした時。
第三層に周辺地域に巨大な光芒の余波が波及した。
蒼き光の柱。
中心地点で天地を貫くソレの内部で目を見開いた彼が見たのは剣獣達が霧にすら還らず。
ただ消滅していく姿。
光が収束すると同時に無限のように広がっていた霧の雲海が跡形も無く消え去っていた。
何処まで清んだ明け方の静寂。
残光すらも消えた薄ら暈けた世界の中心で。
久方ぶりの声が彼に尋ねる。
「随分と消耗しているようですが、彼女達はどうしていますか?」
「―――ッ」
魔術方陣で浮かんだ聞き手の無い男は振り向き。
背後を見せて、遠方からやってくる剣獣の群れを見据えた背中に百合の紋を見た。
緩やかに彼女の刃が抜き出される。
昔々、とある国の将校クラスに支給された少し作りが良いだけの東部式の刀。
彼女が持ち続けた末に開花した力。
その発動媒体。
魔刃(ベネフィシア・グラディオ)。
その力は―――。
「……因果断絶」
その呟きに高速で突っ込んできていた剣の群れが密碑すら零さず消え失せる。
「サヤトネ……」
「はい。五年ぶりですね。マウロ」
振り返った蒼き瞳の乙女。
いや、その戦者を前にして彼は呆然とする以外に無かった。
擦り切れた旅装と刃一つ。
あの頃、彼が始めて目を覚ました頃から変わらない姿の女はそう感情の篭らぬ視線でそう返した。
「この“軸”にまで到達するのに数日。どうやら貴方達は分断されてしまったようで」
「こちらの、事情を……知っているのですか?」
蒼き瞳の彼女は頷く。
「ええ、“彼女達”からの接触と連絡がありましたから……まぁ、いつまでこの因果が保てるのかは分かりませんが、忘れられ気味にでもやる事はやりましょう。貴方は貴方の為に。私は私の為に。あの旅していた時と同じように……変わった立場も此処では今関係ありません……」
彼女の背後。
数キロ先から再び剣の群れが押し寄せてくる。
その数は正しく空を埋め尽くす程。
だが、しかし、それでも……もはやマウロは負ける理由を何一つ……本当に何一つこの戦場に見出せなくなっていた。
その焼き潰されたはずの利き腕が存在し、彼の剣がその腰にはもう下がっている。
「感謝します。助けてくれてありがとう」
「その言葉は此処を切り抜けてからでいいでしょう。次の“軸”に跳ぶまで二時間弱。敵は無限に湧いてくるでしょうが、そちらに任せ切りになるかと思うので」
「言っている事は今一理解出来ませんが、時間稼ぎならば、必ず遣り遂げてみせましょう」
「双來の英雄。その名はこちらにもこの数年聞こえていました。期待させてもらいましょうか」
「ええ!!」
女と男が背中合わせに刃を片手に世界の全てを見詰める。
全方位。
上下左右前後無く。
世界の全てを埋め尽くすだろう勢いで剣獣達が湧き出していた。
雲霞の如く押し寄せる脅威。
なのに彼らの口元は涼しげですらあり。
とても、これから絶望的な消耗戦に挑もうという姿には見えなかった。
*
「一体、何が起こってるんだ!!?」
「わ、分かりません!! 重力変動を第三層全域で確認!!」
「各地の部隊との通信途絶!!」
「支部全域に緊急コードD143の開封が指示された後、全域との連絡途絶えました!!」
「ええい!? 開封許可!! 内容はッ!!」
第三最大の都市上空。
浮かんだ七教会の戦艦の一つ。
その艦橋は全域との通信途絶による緊急事態対応に追われていた。
「こ、これは―――?!!」
「何だ!!? 報告は正確にしろッ!!」
「は、はい!! 読み上げますッ!! 緊急コードD143!! 開封内容/時空変動による大断絶期想定による超長期現状維持プランですッ!!」
「なぁッ?!! まさか、この状況はッ!!?」
「恐らくは時空干渉による領域遮断だと思われます!! 時間軸がズレた場合の最大耐久想定は凡そ12000年……わ、我々は……我々はッ」
どよめき。
困惑。
そして、絶望。
「まさか、教科書でも中々無い事態と半ば教導隊連中すら訓練に疑問を呈していたアレか」
「現地指揮権はハティア様のものとなりますが、通信途絶中という事は恐らく……」
「分かった……どちらか決めろというのだな?」
「は、はい……」
「現状維持可能ならば、そのまま都市防衛体制……それが不可能ならば、空間創生結界と分子凍結による地域の長期冬眠……」
「艦長ッ!! 南西部に大多数の反応有りッ!! 剣獣ですッ!! ですが、これはッ―――魔力波観測の結果、レーダーによる最終計測不能!! 凡そ930億から8499億までを解析機関が予測?!! こんな馬鹿なッ?!!」
思わず艦橋に舌打ちが響く。
「長期冬眠を決定する!! 尚、この決定の責任は全て私に帰属するものとする!! 済まないが付き合ってもらうぞ。転移爆撃砲による14層飽和制圧領域の形成を開始しろ!! 空間創生結界の起動を急がせるんだッ!!? 住民の収容が間に合わない場合でも即時発動とするッ!! 予想タイムリミットまで何としても剣獣を市街地まで通すなッ!!」
「了解しました。第四十七部隊!! 南西域に展開をッ!!」
「第十四部隊応答無し!! 十八、十九、十七とのリンク確立!!」
「機関部の全力運転開始されました!!」
「結界への動力充填まで残り93293秒!! 魔力生成量が足りていません!! 各地にある積層魔力の保管庫へ人員を送って転移跳躍で直接運び込ませます!!」
「南西部に存在していた計4部隊が超長距離広範囲爆撃を開始しました!!」
「【超克(ネガティオ・セイプスム)】の全能力、全出力解禁!!」
巨大な光球が都市部全域から見渡せる南西部の中域に多数出現する。
しかし、その隙間を抜けて屍蝋の色彩がゆっくりと確実に溢れ出していく。
「超物量の力押しかッ!? クソッ!? 部隊の展開はッ!!」
「現在、高格外套の全機稼動確認!! 北東部域は未だ沈黙ッ!! ハティア様の随伴師団とも連絡取れませんッ!! 第十四ブロック、第二十八ブロックに残存する艦船は12隻。我が艦以外は全て小型艇ですッ!! 北東部にある戦艦がせめて後3艦この地域に残っていれば……」
「泣き言を言うな!! やるしかあるまい!! 高格外套の数は!?」
「143機ですッ!!」
「100機を南西部!! 残りを浮島の外延に当分で配置しろ!! 転移経路の確保と維持を我が艦で行うッ!! 残った生身の部隊には避難誘導と後方砲撃陣地形成を指示!!」
「小型艇から連絡!! 我、北東域にて不可解な現象を確認!!」
「読み上げろ!!」
「確認された事象は以下の通り!! あらゆる物理事象を遮断する透明な障壁を確認。しかし、その先では未だ民間人が異常事態に気付かずに歩いている、と」
「何……時間軸のズレのせいか?」
「そちらの障壁の先では未だ異常事態は発生していない様子である、と」
「そういう事か。くくく……絶望的とは言うまい……」
「か、艦長?」
「この事は他言無用!! いいか!!」
「りょ、了解しました……」
艦長席で壮年の少し横に太った男が一人。
ふぅと溜息を吐く。
「(実際には切り離されている地域があるはずなのに異常事態に気付かない。つまり、“あちら側”では異常が無いのだ……ならば、此処にいる我らは……)」
南西域から湧き出す無限の刃。
その切っ先を映し出すスクリーンを前に彼は静かに拳を握った。
この事実に逸早く彼が気付いたのはそういう読み物が好きだったからだろう。
(恐らく我々は本来の“軸”から外された……あちら側でオレはまだ珈琲を飲んでいる、と……)
小さく小さく溜息を吐いて。
彼は胸元のロケットを開いて娘の篆刻写真を見つめる。
(どうやらこっちのお父さんは帰れそうにないが、最後まで戦おう。“お前のいる世界のお父さん”がきっとお前を守るだろう……)
絶望的な消耗戦が始る。
終り無き昼夜無き時すらも曖昧な攻防が。
その先でホウホウと梟がまた鳴いていた。