※この作品はR-18です。

聖娼館ハルトゥム   作:Anacletus

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第四十一節★

第四十一節「彼と彼女の奇妙な共闘」★

 

 当てもなく彼女は回廊を歩いていた。

 

 通路から見える外は全てが真空のような宇宙かもしれないし、あるいは単に次元が違うのかもしれない……そんな得たいの知れない漆黒と星々に彩られている。

 

 重力はあるはずなのだが、歩いている道は曲りくねっているにも思え。

 

 心の重心は安定せず。

 

 しかし、歪んでいるにしては真っ直ぐな道行きの先には光があった。

 

 辿る螺旋の因果律。

 

 自分が見ているだけの、頭が認識しているのみの、それは単なる幻想に留まらない世界の縮図だ。

 

 彼女よりも大きな俯瞰で見られる者になら、彼女の通る通路など因果の渦巻く螺旋の糸一つにも満たない。

 

 歩く歩く歩く。

 

 十年歩いたか。

 

 百年歩いたか。

 

 曖昧になるだけの意識で刃を携え歩みを進める。

 

 ソレがこのような概念域にも近しい因果律を編む魔術師達の唯一の自己保存方だ。

 

 目的を持ち。

 

 推考する意思を持つ。

 

 それ以外を思わざるならば、それが一億年の果てだろうとも辿り着く。

 

 常人には理解し難いだろう難解な術式を編む工程もそのようなものだろう。

 

 明確に見える人の意識では到底足りないような編成速度を要求される術はそうやって見かけ上よりも多大な時間を使って発動するのだ。

 

 魔導が全盛となるご時勢。

 

 このような精神への拷問にも等しい旧き遣り方は見られなくなりつつある。

 

 しかし、彼女は違う。

 

 そうだ。

 

 彼女はその旧きものに属する世界の住人だ。

 

 だから、無茶や無謀を行えば、最終的に遣り方はこういうものとなる。

 

 天蓋蒼星(メイズ)。

 

 そこまでの道行きを単なる魔術や秘密の経路で向かおうとすれば、七聖女のいる事で警戒レベルの上がった場所は容易く彼女を捕捉するだろう。

 

 だからこそ、必要とされるのは彼女の唯一の能力だ。

 

 発動媒体たる刃を携え。

 

 物質である己を置換して因果律の波に乗せ。

 

 関係者の傍まで送る。

 

 概念魔力が物理事象に転化する現実があるならば、物理事象を概念に転化する魔術があってもいいだろう。

 

 そういう無茶振りを己の能力に要求すれば、出来てしまうというのが彼女の性か。

 

 ようやく見えた明かりを通り抜けた時。

 

 時差1秒以内の旅に精神力の全てを使い果たしたルヒ・サヤトネは。白百合の紋を外套に背負う彼女はその蒼い瞳で荒野にドッと片膝を付いた。

 

 はぁはぁと息を整える事、十秒。

 

 ようやく落ち着いた置換されたばかりの肉体に不備が無いかと確めて。

 

 辺りを見回せば、辺りは暗く。

 

 誰もいない。

 

 天蓋蒼星の中でも第一層表層と認識した彼女はその覚束ない足取りで今度は第二層へと向かう。

 

 5分で気分は回復し、10分で早歩き出来るようになり、20分後には全力疾走も可能となれば、30分後にはもう魔術で高速飛翔する程度出来るのも当たり前だろう。

 

 精根尽き果てたとて回復に1日要らず。

 

 転移は七教会の惑星全域に張り巡らされた監視網に引っ掛かるとしても、通常移動を限りなく速く行うならば、問題は無い。

 

 聖女ご来訪。

 

 この一大イベントに沸いた一層二層がどうなっているのかは現地からの情報で確認済みであり、各国の星潜者達が通常の3倍増でやって来ている。

 

 これに紛れれば、さすがの七教会もお手上げ。

 

 という算段であったわけだが、何事も上手く行かないのは世の常か。

 

 それともこの時間が無いという時に限って、と愚痴るべきか。

 

 自分しか対処出来ない光景を前にして、彼女は無視も決め込めず。

 

 第一層の南部へと移動する途中。

 

 化け物に襲われつつある星潜者の一団を前にして割って入っていた。

 

 荒野のど真ん中。

 

 恐らくは密碑を集団の力で集めていたのだろう数十人からなる男女は1匹の流動する肉の塊と相対しており、凡そ半数が両手両足からギリギリ血を流す程度の傷で疲労困憊していた。

 

 それもそうだろう。

 

 七教会が通常戦力ではとても勝てない相手なのだ。

 

 第一層で密碑集めしてるような初心者達にどうこう出来るはずもない。

 

 相手は数千度の高温にも耐え。

 

 あらゆる魔術で活動を停止せず。

 

 耐久力だけ見れば、恐らく高位魔族並みで口から吐かれる虹の光弾は高格外套どころか。

 

 現在この宇宙内部に存在する大半の物体を削り取るのだ。

 

 流動する肉の塊。

 

 外神獣(アウタン)。

 

 そう命名されたソレは今のところファルティオーナにおいてはその発生源であるエルフの傍に近付かないという事以外では逃れられない災厄だ。

 

 だから、彼女が本気で攻撃するに値するのは勿論。

 

 実力を幾分か出すのも躊躇えない。

 

 どのような特殊な力を持とうと。

 

 ルヒ・サヤトネは常人並みの肉体を魔術や能力で補強しているに過ぎず。

 

 高格外套の装甲材すら易々と貫く相手の攻撃が当たれば、容赦なく肉体を削るに足る。

 

 刃の扱いに多少の自信はあっても、それはあくまで能力込みでのもの。

 

 彼女の実力は本物ではあるが、超人すらも超越する聖女や真に才能と環境に恵まれ、努力を惜しまなかった相手には及ばない。

 

 故に速攻。

 

 それが彼女にとっての選択肢として最も可能性の高いものだった。

 

 だが、その一瞬の降下は誰に見える事も無いだろう。

 

 瞬時に全ては終わるはずだった。

 

【可愛い。可愛い。可愛い。可愛い】

 

 地表へと刃を振り下ろした刹那。

 

 その周辺一帯が内部にいる彼女以外の全てが……溶解する

 

「―――ッ」

 

 罠。

 

 そう、それは化け物を囮とした単純にして恐ろしく合理的な“生きた人間”を使った代物。

 

 誰も自分達が罠だとは認識していなかっただろう。

 

 それどころか自分達は助かるかもしれないと相手が未だに自分達を殺せていない事に安堵していただろう。

 

 しかし、全てはまやかし。

 

 これは七教会の高格外套や高位の戦闘能力を持つ存在達の良心や善意、正義を問答無用で利用する致死性の一撃。

 

 外神獣が予め地面直下に広げていた己の口を拡大しつつ、一帯の真上に途切れる事なく虹色の光芒を吐き出そうとした。

 

 当たれば、即死。

 

 攻撃直後の硬直が解ける前のトラップは通常ならば高格外套だって防げるものではないし、聖女とて喰らえば唯では済まないだろう。

 

 そう、喰らったならば、だ。

 

 人が出せる速度では効果範囲圏外まで間に合わない。

 

 だが、逆に考えれば、そう……出してしまう前ならば、何ら驚異には成り得ない。

 

 一撃が刹那以下の時間で化け物を下し切るだけの“衝撃”へと変化した。

 

 単純な動魔術と彼女の能力の合わせ技だ。

 

 化け物が薄く広がった周辺一帯が刀の加速による見かけ上の質量の増加……つまり、恐ろしい純粋物理打撃を受けて、地殻が受け止めきれない衝撃の前に融解、蒸発したのだ。

 

 彼女の心身と刀は因果律を操る能力の結果。

 

 外界からの殆どの干渉を受けない。

 

 しかし、彼女の刃は激突した周辺一帯を昇華する程の打撃を持って化け物を“焼滅”させていた。

 

 化け物が地域一帯に薄く広がっていた事も要因としては大きいだろう。

 

 これが分厚い地層並みの厚さだったならどうなったかは分からないが生憎と化け物とて物理法則にはある程度支配される存在。

 

 自己を引き伸ばせば、体積は減るのだ。

 

 突如として発生した煌々と耀くマグマ溜りの顕現が空を紅く染め上げていく。

 

(済まない事をしました……罠が発動しなければ、半数以上は助かったはず……)

 

 溶岩と化した大地の上で僅かに芽を細め。

 

 見知らぬ星潜者達に黙祷を捧げた後。

 

 その足で彼女は跳んだ次なる都市へ。

 

 時速で数百kmという高速。

 

 だが、今度は化け物を少しでも見逃さぬように。

 

 それくらいしか。

 

 彼女が今のような現状に手出し出来る事は無かったのである。

 

 *

 

 天蓋蒼星の中にも鬼門とされる場所はある。

 

 禁断の地とか。

 

 禁足地とか。

 

 そう呼ばれる場所だ。

 

 その一つに違いない場所に星潜者達は挑んでいるに違いなかった。

 

 巨大な店。

 

 食い切れない飯。

 

 何か謎を解くヒントでも無いかと店舗内を探索する彼らが不意にその中で迷子になったのは何も彼らが備えていなかったわけでも無ければ、油断していたわけでも無い。

 

 ただ、その迷宮を作ったのが規格外の相手だっただけだ。

 

 他の誰かいないか。

 

 そう思ったイフィー・ファサルトス。

 

 今やすっかり星潜者が板に付いて来た彼女もまた仲間達の姿が見えなくなった店舗内で周囲を探っていた。

 

 そこで見付けたのが本棚だ。

 

 よく飲食店などで暇潰しにと雑誌や本を置く中央諸国の店舗は多い。

 

 安価な書籍の手に入る環境は地方にも伝播して来ているのでそう珍しい事では無くなってきている。

 

 巨大な本。

 

 そう、その中に何かしらの謎を解く鍵があるかもしれないと思ったのはさすが元博学。

 

 百科辞典を読破する文学少女と言ったところか。

 

「………」

 

 ペラリペラリ。

 

 一頁一頁を魔術で廻る地道な作業。

 

 しかし、傍の床の上で広げられた雑誌は大き過ぎて上空からしか読めない。

 

 浮きながら動魔術で頁を繰るのは彼女にしてみれば、重労働とは言えないような瑣末な行動であったが、その顔は頁をめくる毎に少しずつ赤くなっていた。

 

―――彼氏の性器を舐めて上げる時の一押し技術。

 

―――喘ぎ方のコツを娼婦百人に訊ねる。

 

―――いつまでも新鮮でいる為にも過激な下着や性具の購入を推奨。

 

―――エチケットを守って正しい後背位。

 

「むむ。むぅ………」

 

 大陸中央諸国で出回る中でも女性誌と呼ばれるライト層向けの大人向け書籍。

 

 それも恋人や夫婦間での性に関するアレコレを取り上げたハウツー本である。

 

 此処で世間の常識などではなく。

 

 医者やその手の専門人材からの取材をしているところが実に中央諸国らしい内容ではあったが、地方なら過激どころか発禁処分ものの内容ばかりだ。

 

 地方は根本的に中央諸国よりもそういった性に関する問題がシビアで女性の権利なんて吹けば飛ぶ場所が大半なのでこのようなあまりにも堂々とした情報は逆に今以上に風紀が乱れかねないと焚書されたり、売買が禁止になったりする可能性が高い。

 

 故にこのような雑誌が売られている普通の書店に地方諸国の女性が行って、うっかり立ち読みしようものならば、卒倒するか。

 

 あるいは熱心に読み耽ってしまう姿が見られるとの事実もある。

 

 その例に漏れず。

 

 灰金の少女もまた卒倒する方ではなかったらしい。

 

 それもそうだろう。

 

 魔王と呼ばれた少年と肌を重ね。

 

 優しく抱かれた記憶は今も一つ残らず頭の中。

 

 一秒とて思い出せない事など無い。

 

 指がどのように触れ、手がどのように揉み、腕がどのように抱いてくれたか。

 

 思い出せば、どんな時も胸は高鳴って熱く。

 

 体は火照って、股間とて濡れてしまう。

 

 少年が消えて後。

 

 この数年、自分で慰めた事だって、ちょっとはあったのだ。

 

 寂しい時。

 

 苦しい事があった時。

 

 思い出の中で少年に優しくあやされるように溺れた記憶。

 

 あれからそういった知識は増えれば増える程にその優しさが分かって胸が痛かったのは今も変わらない。

 

 名前を呼ぶ時の甘くも穏やかな声。

 

 唇をなぞる指。

 

 舌を絡ませた口付け。

 

「ん……」

 

 背筋を僅かに駆け上る小さな快楽。

 

 鮮明な秘め事があった時の記憶だけで少女のすじは高揚し。

 

 僅か下着を潤ませていた。

 

(これは……)

 

 高まる欲望。

 

 いつもならちゃんと押さえられるはずの気持ちが箍を外されたように溢れ始めて。

 

 少女は自分がこの空間内部の特性のようなものに囚われているのだと頭の片隅で思う。

 

 しかし、それでも止まらない高ぶりのまま。

 

 股間を擦り合わせる。

 

 旅装は軽くサラサラとした布を裏地に使っているが、それが自分の秘部を擦り合わせる度に少年の指のようにも感じられて、切なげに眉が歪む。

 

 浮遊していたのも力が抜けると近くにあった観葉植物の根元。

 

 大樹の如き苔の生えたポットの中へと着地するしかなく。

 

 そのままクチクチと股間と太腿を擦り合わせた少女の顔は必死に耐えようとするも、すぐに更なる誘惑に駆られて、そのほっそりとした指が震えながらも、己のズボンの奥へと忍ばせられた。

 

(ぁあ、ダメ、ダメ……だ……なのに……こんな……ティア……てぃぁ……我のおまんこ……こんな……ん…っ……んぅ……もうグチュグチュでぇ……だめなのにぃ……ゆび、初めて教えてもらった時みたいに……くぅん……っ)

 

 その姿はいつの間にか。

 

 数年前から変わらない元の年頃のものへと戻っていた。

 

 初めて自分で慰めるようにと教えられた時。

 

 少女は気持ち良くて、温かくて、こんなに嬉しい事があるなんて知らなかった。

 

 そして、恋をして……少年のものになってから、それは相手がその人だからだと分かった。

 

 また細くなった指先がゆっくりと泥濘んだすじを外側からなぞる。

 

 しかし、それでは足りなくて、少年はどう触っていただろうかと思い出せば、すぐに今や剥き出しとなって魔術で保護していなければ、下着に擦れて高ぶってしまう淫核(クリトリス)へと伸びる。

 

 魔王と交配(まぐわい)を覚えてしまった身体に起きる変化の一つ。

 

 それが少女を淫らにさせる。

 

 小さな真珠のような桜色のそれを少しだけ赤み掛かった白い指がクリュッと優しく触れて捏ねた。

 

「ぁくぅん♡ やぁ、こんな……われのおまんこぉ……ん、ん、んぅ♡」

 

 プクリとすじから蜜が溢れると緩々と肌に溶け合うようにして伝っていく。

 

 それが下着へ染み入り、ヌチュヌチュと指や手先が擦れるだけでも音を立てる。

 

 罠だと分かっていても抗えないのは彼女を取り巻く影響力たる何かが、彼女の自らを制御する力を上回っているからだ。

 

(くぅ……こんな……見られてしまうぅ……われのこんなところ見られたら、んっ♡ ぁっ♡ くぅん?!)

 

 今は探索中。

 

 それなのにこんな事をしていたと発見されてしまったら、羞恥心のあまりに死んでしまうかもしれない。

 

 敵が悪い。

 

 そう思ってみたところでやっている事は変わらないのだ。

 

 大樹に背中を預けて、早く終わらせなければと幼い指が淫核(クリトリス)を優しく押し潰す。

 

「っくぅ?! ん、んぅっ♡ てぃぁぁ……っ♡」

 

 唇から零れる唾液混じりの呟き。

 

 熱い吐息が吐かれる度に溢れ出してくるのは想い人への言葉ばかり。

 

 もう蕩けた顔を我慢する事すら出来ず。

 

 少年の言葉を思い出す度に指先はあの交わった時をなぞるように蠢いた。

 

 その痴態は世の男が見れば、勃たせない事も難しい程に淫らだろう。

 

 元々は高貴なる出。

 

 それという性の常識なんて知らなかった。

 

 そんな元姫様の幼くも甘く切なく歪み切った顔がもう我慢出来ずに蕩けたままに自らを慰める。

 

 ダボダボになった旅装の隙間からは肌蹴た胸元や臍が見え隠れし。

 

 余ったもう片方の手が胸元は腰から臀部へと回る。

 

 少年がどう触ってくれたか。

 

 どう撫でてくれたか。

 

 全て覚えている。

 

 なぞれば、蘇るのは女の子みたいな手なのに力強い熱さ。

 

 抱き締められながら、口付けを交わして。

 

 何も分からなくなったまま。

 

 必死に親鳥に餌をねだる雛みたいに少年の舌を求めた。

 

 優しく、優しく、でも、熱く、繋ぎ止めようとする手が嬉しくて。

 

 何度も名前を呼びながら、渇く喉を相手の唾液で潤して。

 

 これが世の男女の交わりなのだと知れば、溺れてしまうのも無理は無いと思えた。

 

 今もまたそんなにも慰めて高ぶるのは少年の事ばかり考えているからだ。

 

 何をしているだろうか。

 

 自分を覚えているだろうか。

 

 夢みたいにまた会えるだろうか。

 

 答えの無い自分だけが開けるだろう未来の前で少女は足踏みする自分を不甲斐なく思った。

 

 しかし、現実はまだ少しこのままで。

 

 慰めるままに少年との温かい日々を胸に呼び覚まして。

 

 今は恥ずかしさを感じながらも淫らに耽る。

 

 いつか、あの日よりも強く。

 

 あの日よりも確かに少年を傍に感じる為に。

 

(っ、っ、ん~~~っ♡ てぃぁ……すき……すきなのじゃ……てぃぁ……われのまおうさま……っ)

 

 指は膣(なか)まで入れず。

 

 少年の為の場所を守ったまま。

 

 茫洋と瞳を揺るがせて、瞳の端から一滴。

 

 背筋を昇っていく熱さに背筋を仰け反らせて、真っ白になっていく脳裏に確かの愛しい人の陰影を刻んで。

 

 イフィミスラは果てながらも、呟いていた。

 

 助けるからと。

 

 それは聖なる誓い。

 

 いや、乙女でも無ければ、初心でもない彼女にとっては……きっと、それよりも大事な……果たすべき願いに違いなかった。

 

 *

 

 世界が悲鳴を上げている。

 

 終り無き戦いの中で裂け始めている。

 

 褐色の肌持つ男が一人。

 

 何処か似合わぬ大陸中央諸国風のスーツを着込んで。

 

 第3層の島の一つを駆け抜けていた。

 

「キリが多くなってきた。コレ、よくない……」

 

 追っては恐らく数十体。

 

 視覚に捉えられぬ死鬼。

 

 彼が元々いた世界。

 

 いや、大樹の下ではそう呟かれていた。

 

 今や祖国の人々は部族という括りを脱し、南部の帝国との契約の下。

 

 新しい国家の設立へと動いている。

 

 武帝。

 

 南東部において無数の部族が暮らす密林地帯。

 

 その宇宙樹の実り多き場所が見えざる人の心を喰らいし化け物の被害から復興し始めて数年。

 

 元居た密林に帰り、昔ながらの暮らしを行う者は一部に留まり。

 

 今やイグニシア・クルシスとの国境沿いに出来た街で暮らす者は多い。

 

 そんな最中、彼らにも転機が訪れた。

 

 各国への七教会から贈られた宇宙へと向かう船。

 

 無限の富みが湧き出す天に蓋する蒼き星。

 

 その迷宮へと分け入る許可。

 

 未だ各部族、豪族達の統合が図れているとは言い難い。

 

 その為、まずは調査官が送られる事になった。

 

 得られる富の質や分配の方法は現在模索中。

 

 武帝という世界が新たな時代を向かえるに辺り、エルフ達との共存共栄が掲げられ、そちらに合流しようとする者もある。

 

 故に時間が全てを解決するまで幾許かの猶予として、船を遊ばせておくわけにもいかないと数人の戦士達が天蓋蒼星へと送り込まれた。

 

 本来、公的な政府を持たなかった武帝の民がイグニシア・クルシスに習い。

 

 職に就く者達へと与えた名前の登録許可。

 

 戦士の欄に耀く名簿1列目の猛者こそが彼だ。

 

 ガナイ。

 

 ガナイ・ギュルト。

 

 武帝の民には珍しく大陸標準言語を話し、数年前の民族大移動にも等しい混乱の最中、化け物達を倒して回った伝説の戦士。

 

 豪族達や部族の長達からも信頼厚き彼が単独調査で3層までも入り込めたのは地元の者達からすれば、当然の事だっただろう。

 

 あの頃から戦闘技能は向上し続け。

 

 今や見えざるものを穿つ狩人と名高き彼はしかし……本来、この世界に存在するはずの無い敵を発見し、交戦へと入っていた。

 

 見えざる化け物。

 

 人の心を喰らい。

 

 人形と化す下級天使の成れの果て。

 

 世界の終りの先。

 

 外なる神の住まう場所より顕現したおぞましきもの。

 

 それが霧と共に第3層に押し寄せてきた時。

 

 その浮島にいた他の星潜者達と何とか第二層まで逃がして殿を務めた彼は取り残されていた。

 

 追ってくる敵に向けて一瞬振り向き狙いを付けて先祖伝来の弓術で矢を放つ。

 

 それが見えざる子鬼の眉間を貫いて沈黙させ、再び走り出す。

 

 このような追いかけっこを続ける事、数時間。

 

 ようやく減ってきた気配にうんざりしつつも、霧が島全体を覆うまで然程の時間も無いだろうと彼は自決用の毒の小瓶の入った胸ポケツトを意識せざるを得なくなっていた。

 

 霧に飲まれれば、化け物になる。

 

 これを知った時には浮島の半数の人物が屍蝋の仮面を付けた何かになっており、それを已む無く殺したのは苦い記憶だ。

 

 大樹がざわめくように揺れ始めたのを感じて、彼が空を仰げば。

 

 いつの間にか木々も樹皮が屍蝋色へと変化していた。

 

 マズイ。

 

 そう思って跳んだ刹那。

 

 通常なら在り得ない撓りを見せた樹木が次々とその巨大な幹を地面に向けて。

 

 否、彼に向けて打ち付け始めた。

 

 避ける避ける避ける。

 

 避けながら逃げ。

 

 見えざる化け物を打ち。

 

 走っては逃げ道をその14.0の視力で探す。

 

 舞い上がる土砂。

 

 淀んでいく気配。

 

 己の死へのカウントダウンを冷静にしながら、彼はようやく樹木も無い島の中央。

 

 隆起した山肌の頂点へと至っていた。

 

 背後を振り返れば、土埃と共に追ってくるモノが多数。

 

 これまでか。

 

 そう彼が毒の小瓶を手に呷ろうとした時。

 

「クゥウゥウウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ♪」

 

 ドゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッと。

 

 浮島の中央に遥か頭上から何かが急速に魔力を纏って落下。

 

 いや、急加速してブチ当たった。

 

 彼の目が丸くなる。

 

 白い亜人だ。

 

 東部で年始に食されるモチを伸ばしたような尻尾と両手に鳥とは言い難い翼というより海洋生物のようなヒレを持ち。

 

 クラゲに頭を食われたような形状の頭部とその端から揺れるクラゲの足のような触手にも見える何か。

 

 そんな存在が膨大な魔力を全て衝撃に転化して地面を抉り。

 

 ビギリとその島の中央から四方に亀裂を入れたと思った刹那。

 

 割り砕いた。

 

「!!?」

 

 ゴガガガガガガガッと連続する罅割れに左側へと退避した彼の前で断絶した奈落が口を開け。

 

 次々に化け物達が、樹木達が燃え上がっては蠢き、落下しては遠ざかっていく。

 

 この特大の異常事態を前に逃げる場所も失った彼はまだ諦めずに燃え上がりながら這って迫る化け物達を次々に矢で仕留めていく。

 

 しかし、霧は着実に範囲を広げており、限界が訪れたと彼に教えた。

 

 そのまま小瓶を呷ろうとすると。

 

 彼の横からニュイッと伸びた手がソレを奪い取り。

 

 ゴッキュと飲み干して「フゥ~」という息が吐かれる。

 

「ダメ?! シヌぞ!?」

 

「クヲ?」

 

 即効性でザックリ死ぬまで数瞬という強毒をまるで一汗掻いた後のドリンクのように飲み干した究極生物がケロッとした顔で小首を傾げた。

 

「―――アナタ様、ナニですか?」

 

「クヲ!!」

 

「キュウシュツ、ぶたい?」

 

「クヲクヲ~~♪」

 

 ナチュラルにそのクヲ語で会話しながら、彼はいきなり現われた天真爛漫亜人を前にして、この相手はとてもではないが、普通じゃないと関心するに至っていた。

 

 この霧が出ているというのにノースリーブの薄手にキュロットなワンピース姿。

 

 もはや観光地に遠出しに来たお嬢様といった風情。

 

 その上、“彼女”が現われてからというもの。

 

 霧がまるで早回しのように急速な後退を見せていた。

 

「イッショ、戦うか?」

 

「クヲ~~!!」

 

 いいね!!的な拳を突き上げるポーズが返された。

 

 そして、彼に何やらブツブツとクヲ語を呟けば、そのガナイの身体が浮き始める。

 

「アリガトウ!!」

 

「クヲックヲ!!」

 

 イイッて事よと姉貴風を吹かせた彼女が残る島の樹木を薙ぎ倒そうと突撃するのを見て。

 

 彼もまた腰の帯剣を抜き放っては突き進む。

 

 奇妙な共闘を見せつつ。

 

 その第3層における反抗の火蓋が切って落とされた時。

 

 周辺の層でも混乱が広がりつつあった。

 

「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」

 

「クヲオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」

 

 白と黒。

 

 亜人と人。

 

 究極生物と戦士。

 

 異なる二人が互いに叫びながら環境破壊に勤しむ光景は奇異ではあったが、連帯を見せた確かな連携によって次々に魔なる樹を伐採し切っていった。

 

(サゾ、こうめいなアジン戦士、チガイない)

 

(クヲ、クヲヲヲヲ……)

 

 互いにナニを思ったか。

 

 焼ける樹木の乱打する巨体の合間を縫いながら、ニッと男と女は唇の端を曲げた。

 

 近頃、妹のフリをしていた為に何だかニヒリスト属性も得た少女の仲間を増やして、敵の中核を倒しちゃいましょう計画はそうして順調に推移していく。

 

 彼らが戦った数十分後。

 

 もう、四つに分割された浮島にあるのは単なる地面だけとなっていた。

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