第四十七節「終りへと続く道」
「平和を守る為って大義名分が在れば、正義は何をしてもいいって言うのが……嘗ての世界じゃ常識だったんだ。その平和ってのが今時の定義とは違うし、正義も公正明大な代物とは掛け離れてたのは言い添えておくけど」
虚空には現在、燐光の模る人型が固定化されていた。
超重力の澱の中。
停滞した世界で時間すらも流れの違う世界の中心で抗う人型に対して、その言葉が届いているかどうかなんて、地面も無い場所で椅子に座りテーブルでティータイムを寛ぐ聖女には関係ないのかもしれない。
白磁のカップ内からは重力に左右されているとも思えない琥珀色の液体が歪む事無く存在し、湯気を立てていた。
テーブル上の皿からクッキーを取って齧り、カップから一口。
「ぅ~ん。やっぱり、ツルぴかの入れてくれる僕専用なものじゃないと茶葉が良くても美味しくない……」
周辺の物質は空間的な繋がりは維持しつつも、空間の歪曲による分子崩壊で形を保てないのがお約束。
聖女驚異の謎理論。
超重力内の漆黒でお茶を嗜むマッドな彼女はざっと2万年程の主観時間経過と全身の物質的崩壊を味わい続けている少女の耀きを前にして『あ、時間だ』と軽く気付いた様子でパチンと指を弾く。
すると、お茶のセットがテーブル毎消え失せ。
元いた砂上の世界に復元された全裸の少女とフルーが降り立った。
そう、常人ならば極限の消耗を前にして精神が消失しているだろうはずの状態を何とか乗り切ったイフィミスラは着地姿勢を取ったのだ。
「――――――ッ」
息を整えるという事すらしない。
落下中に滝のような汗を流して消耗していたはずの彼女はしかし……フルーの前に立つ時にはその瞳にしっかりとした光を湛えて、消耗を感じさせない“強がり”を聖女に対して示して見せた。
よくよく見れば、肉体は怖ろしい時間経過による精神の薄弱化で僅かに震えているし、今にも崩れ落ちて眠ってしまいそうな表情を不敵な笑みで塗り潰すのは限界を超えて奇跡的な事だろう。
「本物の僕のロジックって正しくソレなんだよねぇ。そして、実際に平和で正義な聖女様だから始末に負えない。分かる?」
「ふ、ふふ……あの自分の恋愛事情で世界を好き勝手する連中が作った平和と正義が問題塗れなのは当たり前ではないか」
何とかそう返したイフィミスラの精神的な摩耗は僅かな肉体の変化から見る者が見れば分かったかもしれない。
「本物の僕って、聖女中一番そういうものを作るのが上手いのにそういうのが好きになれないんだよねぇ。だって、自分達が間違ってるの分かってるからさ。公正明大さとかと一番程遠い人格してると思われてるだろうけど、聖女の中で自分達のやってる事に一番詳しくて、一番問題だと感じてるのは僕本人なわけ」
「で?」
「いやぁ、だから、僕って発明しても大半は封印してるでしょ? その理由の一番大きなところは造ってみたけど、問題だ!! という、僕の良心に拠るわけですよ。お客さん」
「誰がお客さんだ……」
「だよねぇ。そんな事言われても、あのフルー・バレッサが良心的とか信じられないよねぇ……」
「人の話を聞かない聖女め……」
言われながらも、その口元はまるで止まらない。
「でも、それがこの世界の大半の神格や頂点存在連中が今も大人しくしてる理由なんだよぅ。シンアが連中の管理を人間としての自分では諦めて、この世界、宇宙から追放しちゃったから一番天辺の上層連中は消えたけど、その下はまだそれなりに残ってる。それこそ世界改変くらいの能力者はまだいるし……まぁ、その最たる人がウチのソィラちゃんなわけですが」
「破壊者(ワンダリカ)か……」
「本物の僕が聖杯……ペルスヴァルの連中に目を付けられてても、手を出されないのはそこら辺の事情を分かってる人材というか神材がいるからなんだよぅ。僕が本気出して今まで封印してた作品を大放出、人類の存在階梯とか引き上げちゃったら、ヤバイのは言うまでも無いし、超高位存在を軽く殺せる兵器とか持った人類統一軍隊的なものを作ったら、あっちは対抗手段無いに等しいんだよぅ。何せ自力で負ける聖女が七人もこっちにはいるし、世界を改変するのも防がれるし、普通神殺しやそれに準じるレベルの存在を倒す為に必要なコストが小銃一つ分くらいの兵器で実現されちゃぁ、あっちとしてはそれこそどうにもならない。というわけで今も本物の僕は宇宙一危険な人材としてあの円卓連中と御付き合いしてるわけ」
「……それがこの状況とどう関わってくる?」
「分からない? 本物が此処に来てるって事は今のこの世界の大半は無防備って事なんだよぅ。人類にとって」
「―――聖杯委員会が何かを起こすと?」
「う~ん。ぶっちゃけ、逆。聖杯委員会は今まで本物の僕がいる事で今の小康状態を保ってたんだよぅ。今回の一件を機にして彼らが変質したり、外部からの影響を受けたりすると、恐らく大戦争間違い無し」
「戦争……」
「だから、僕はこうして世界の管理業務を放って色恋に勤しむ本物の代わりに君達へ試練なんて課してあげてる大変優しい人って事だねぇ♪」
「何が優しいだ……前後の文脈に関連性が見受けられないぞ」
イフィミスラが瞳を細める。
「だからさ、君達には僕らの代わりというか。バックアップレベルの階梯くらいにまで上がって欲しいわけ。本物の僕らが失われる……事は無いだろうけど。居ない間に世界が修復不能な地獄とかになる可能性もあるし」
「我らに貴様等のような世界の管理者気取りになれと?」
「本物の僕は激怒と意地の塊だから、絶対そういうのを投げ出さないけど。半面、自分が前後不覚になった場合の保険だけは本気でシステマティックに造らなかった。一番脆いのは七教会そのものって分かってて、部下を信じるって誤魔化しで自分を納得させる辺り、僕よりも人間ぽいよぅ♪」
「………本物を前後不覚にする未来を模索してる我らにそれを言うのか?」
「僕は本物よりも理性的で理論的で人間味溢れない感じの偽聖女なものですから♪」
巨大な壁。
いつの間にか砂漠を横断し、空すらも隔てるような超高層の断絶と化して積み上がる聖女の作品。
それを背に肩を竦める女は正しく自分を脅しているのだとイフィミスラは理解した。
「試練を課されたところで我が強くなれるとは思えないな。そんなに簡単なものならば、我らはそもそもお前らに気持ちの上なら百戦百勝している」
「その通り。でも、僕の作品をあの重力で固定化している間に300連発くらい喰らって精神保ってるのは素直に褒めて挙げてもいいかも。それに一度喰らったら、耐性出来るみたいだし、随分この十五分で強くなったんじゃない?」
言われてみれば、確かに自分が強くなった事をイフィミスラは自覚する。
いや、自分というよりは自分に刻まれた少年からの贈物。
契約の刻印。
少年と彼女の繋がりそのものであるソレが無限の進化と耐性を彼女に付与してくれるというのが正しいが、それにしても……かなりの高位者達の攻撃に対して適応出来るようになったとの自覚があった。
「我を強くしたからと言って、我がお前らに感謝する事は無い。そして、お前らの業務を態々肩代わりしてやる事もな」
「ふふ、まぁ、力持つ者の義務って言うのは得てして自分の意思に関係なく。その保有する力の大小に拠るってのが運命だよぅ。強制はしないけど、その内に君にもそういう事態が降りかかるはずさ。君がどう思っていようと、ね?」
「………話は分かった。で、まだ、やるか? やるなら付き合うぞ。永劫程に時間は掛けられぬのでな。我も切り札を使わせてもらう」
「おお!? 宣言するとは大胆不敵ぃ♪ ようやくこの星に来てから悪かった調子が戻ってきた感じ?」
「ああ、良い具合に温まった。今なら不意打ちで貴様らをどうにかするくらいは出来るだろう」
「ぅ~ん。その謙虚な姿勢……僕らにも見習わせたいよぅ。でも、悪いけど、痛めつけられる趣味は無いから、最後の精神攻撃といこうかなぁ。これを受け切れたら、そろそろ来る君の御仲間にも新しい力を何処かの女神張りに授けてあげちゃうよぅ♪」
「ッ」
来るかと彼女が身構える。
「ちなみにこの攻撃を止めたかったら、僕に精神的なダメージを与えてね♪ まぁ、要は“口撃”で勝ったら、止めてあげるよぅ。ちなみに君のお仲間達が来るまで五分くらいかなぁ。じゃあ、スタート♪」
そうマッド聖女が言い終わった時だった。
『や、やめよ♡ わ、我の話をっ♡ ひ、くぅぅん』
「?!!」
空一面。
蒼き上空の全てが一辺50m程の正方形の映像をズラリと並べて世界の果てまでも同じ映像を映し出した。
『そ、そんな事してはぁ♡ ぁ、ぁ、ぁ~~~ッ♡』
「!!?」
それは……イフィミスラ・ファサルトスの人生の一部だ。
蕩けた顔の自分が優しげな少年を前にして抱かれるという場面。
「四分五十六秒、五秒、四秒、三秒―――」
愉しげにフルーがニヤニヤしていた。
あられもない自分と想い人との情事が赤裸々に大陸中央諸国製の18禁映像作品張りに大音量で垂れ流されるのはもはや彼女にしても顔を真っ青にするしかない。
ソレが本来的に攻撃となるのは“五分後”なのだろう。
「ッッッ、このマッド聖女め!!?」
特に青少年辺りには見られたくないのは言うまでも無く。
仲間内だろうと他人のプライバシーを垂れ流してやろうというのはゲスい考えに違いなく。
「~~~♪」
口笛などを吹いて視線を逸らす聖女に思わず魔術による爆破を速攻で叩き込むも、まるで効いている様子が無いのを見て、イフィミスラが拳を震わせた。
(くッ、あの女を心底に傷付ける悪口だと―――)
「ぁ、ちなみに無修正ハイクオリティー身体の隅々までバッチリ写ってるから、よろしくねぇ。声も大音量のクリアサウンド。しかも何と映像が全方位から見える3Dにもなっちゃうんだよコレがぁぁ!! 魔術と技術によるハイブリット映像投影術!! 御求めは七教会公報、成人映像作品部門の新規映像技術作成部局に御問い合わせしてねぇ? 御値段は虚空型が一つ2000万、地上投影型が1500万、個人用は何と驚きの100万だよぅ!? 今なら何と!! 聖女様が直接部局に送っておいた、お勧め作品『魔王と娼婦(この作品に出てくる方は全て18歳以上です)』の特典映像まで付いて来る!! いやぁ、五分後には全世界大公開作品になっちゃうなんて、シンアも君も顔と名前が売れちゃうねぇ♪」
さすがにその説明にイフィミスラの血の気が引いた。
フルー・バレッサはやると言ったらやる。
面白そうだと思ったらやる。
やらないという単語とは無縁な相手なのだ。
何かしらの術で作成された世界でとはいえ、自分の情事を世界規模で開陳されて喜ぶ女などいない。
それもどうやって作成したものか。
局部も表情も全部丸見えなアングルやカットばかりであった。
甘えた声も媚びた顔も愛しい相手の前でしか曝け出せない獣のような姿も全てが映し出されたソレは芸術作品並みな編集が施されている。
「こ、この瓶底眼鏡!!」
「瓶底、イイよね?」
「くッ!? この短足!! 白衣女!!」
「ぅ~ん。僕ってちっちゃい方が可愛いかも♪ それと白衣は僕のトレードマーク!! やっぱり、自分の格好って重要だよねぇ♪」
「ぐぅ!? この無能!!」
「僕って有能じゃない?」
「仲間割れ聖女!!」
「そっちの方が助かってるって言ってなかった?」
「この貧乳!!」
「貧乳はステータス!!」
「この浮気者!! あの剥げた男とよろしくやっているのだろう!!」
「うん。よろしくやってるよぅ。あ、毎日毎日僕のお世話をしてもらってる手前、これ以上剥げないようフサフサイケメンだった頃の姿を取り戻してあげようって画策中なんだよねぇ本物は。ちなみに健全主従ライフだから問題ないよぅ」
一通り罵倒してみたものの。
そもそもイフィミスラは育ちが良く。
人を罵倒する事に慣れていない貧弱なボキャブラリーでは聖女の鉄壁の精神に傷一つ付ける事は叶わない。
という事を彼女がようやく悟った頃には残り2分を切っていた。
ゼェゼェと万年単位の精神凍結で何とか自分を守り切った時より消耗しつつ、イフィミスラはどうにか目の前のマッド聖女に一太刀入れる術は無いかと考える。
そうして、発想の転換が必要だろうと大きく息を吸って吐いた。
「………我は」
「?」
「我は幸せだ」
「??」
「初めて、女としての悦びを味わった時の相手が……生涯の想い人であったのだから」
「!?」
「あいつはとても優しくしてくれた。初めての時は凄く心配しながら、何度も何度も痛くないようにと気を使ってくれた」
「~~~ッ」
「優しく口付けしてくれて、ねだる我を激しくも優しく……抱き締めながら自分のものにしてくれた……」
「ッ―――」
「旅の途中も寒くないようにと夜天の下なら外套に入れて、真直で触れ合いながらした……あいつと向き合って、唇を重ねて、一番奥で一つになって、大切な場所に大切なものを受け入れて……我は幸せだった」
もはや聖女の顔は崩壊寸前だった。
歪むのを必死に堪えているような顔はしかし少女の独白を前に脆くなっていく。
「好きだと言う我に優しく微笑んでくれた。口付けする度に優しく舌を絡めて、受け入れてくれた。我を寝台に押し倒して、優しく触れてくれた。眠る時はいつも一緒だった。いつも微笑みながら朝を迎えた……我は幸せだ。あいつのおかげできっとこれから一生自分を不幸と思う事はないだろう」
プシュンとあれほどに世界を覆っていた映像が途絶える。
残り15秒。
しかし、聖女は僅かに瞳を伏せて、笑みのように見える口元の歪みを形作るも……大きく息を吐いた。
「完敗だよぅ……試練は突破したって事で……僕は傷心したので消えます。じゃあ、後は勝手にそこらの武器でも拾って御仲間を探してねぇ。あ、あの子の行き先はそこら辺の道を辿っていけばいいから」
言うだけ言うとマッド聖女が今までのねちっこさが嘘のように空の彼方へ向けて消えていく。
そうして、それからすぐに壁が砂のように崩壊した。
その上に転移の燐光が耀くかと思うと。
次々、上空から落ちてきた仲間達が砂山の連山上から転げて彼女の方に向かってくる。
「イフィー!? だ、大丈―――!?」
イルトが駆け寄ろうとしてから、思わず目を見開き。
そのまま頬を紅くしたかと思うとバッと両手で顔を隠し、そのままゴロンゴロンと砂の坂を猛スピードを転がってズシャアアアアアアアアアッと彼女の傍まで来て止まる。
「どうしたのだ?」
首を傾げた少女が普通に浮いて寄ってくるリュオから外套を羽織らされて、初めて自分が全裸だった事に思い至った。
「ぅ!? そうだった……」
「どうやら、その様子では聖女とは会ったようですね」
リュオの傍では一緒にやってきたシャイが今も顔を覆ったまま『み、見ちまったぜ!? く、脳内保管余裕だけど、それは紳士として(ブツブツ)』とか言っているイルトをツンツンと突いている。
その横では呆れた様子で元魔王様が聖女が消えていった上空の方角を見やってから、イフィミスラをよく勝てたなという顔で見つめた。
「悪い。色々と着替えている暇が無かったのだ」
「それで聖女とは?」
「一応、試練は突破した。捨て台詞を吐いて消えていったのだが、そこらに試練突破記念な武器を放置しているらしい」
「武器?」
リュオが首を傾げた間にもグラフマンがすぐ傍の砂地から3本の柄らしきものを拾い上げて二人に見せる。
「コレだろう」
それは剣身すらも付いていない単なる柄だけの何かだった。
「……武器か。どうせ、ろくでもないのだろうな……取り合えずは貰っておこう」
今はとにかく衣服をと。
パチンと指を弾いたイフィミスラの身体に衣服が虚空から現れて装着される。
「次の階層への円柱は……」
その視線が辺りを見回せば、ズンッと地震のような振動が周囲に奔り、遠方で土埃上がる。
「もしかして、ピアリか!? イルト!!」
「!?」
その声に思わず立ち上がった青少年が砂の舞い上がる遠方を見つめて、走り出す。
「先に行く!! イフィーはシャイを!! 師匠!!」
「分かりました。試練突破後です。今は休んで下さい。こちらは我々が」
「あ、ああ、分かった。気を付けるのだぞ。我も回復したらシャイとそちらに行く」
二人の地面を高速で滑るように飛び震源地に向かう背中を見つめながら、少女は先程の自分の聖女への勝ち方に付いて……少しだけ考え込む。
(もしかしたら、我らはそういう面から聖女に勝つべきなのかもしれん……何も正々堂々殺し合いをするだけが全てではないと肝に銘じねばな……)
遥か格上の相手を倒そうと言うのだ。
全うな戦い方をする必要も無い。
確かに何かを得た。
そんな気持ちを噛み締めながら、取り合えず自分の情事が大っぴらになるのを防いだ彼女はホッと胸を撫で下ろすのだった。
そんな様子を世界の果てから見下ろした聖女は全力惚気話による致命傷のダメージから回復しつつ、少しだけ嫌がらせに“別宇宙での出来事”を記録した黒い多面体からイフィミスラ・ファサルトスちゃんの日常改め【イフィー・ファサルトスの青春日記(仮)】の映像情報を編集して、七教会の公報に何処から出た命令かも探れない新番組推進を後押しする聖女署名済み企画書を作成してから添付し、教会本部のシステムに送る。
18禁無し映像検閲済み健全路線青春メロドラマ。
一人のちょっと高貴な少女と浮気性の少年とそのハーレム、熱心で勤勉な爽やかナチュラルエロス青少年という取り合わせの周辺事情。
涙在り、感動在り、エロ在り、謎の敵とのバトル在りで綴った超長編大作……総映像時間人の一生分くらいの事実(ソレ)は偽物である彼女から本物である彼女への嫌がらせであり、壮絶に精神的ダメージを食らわせてくれた少女への意趣返しであり、これから大陸中央諸国―――否、大陸全土で放映され、長年に渡って愛される事になる超大ヒット連続放映ドラマとして今後一世紀もの時代を席巻する作品となるのだが、それはまだ先の話。
終り無い砂の世界に佇む白衣の少女は本物なら決してしなかっただろう大人気ないくらいに本気な試練の内容を少女へ一切知らせる事なく。
その“新規宇宙の創造による全人類の生存環境スライド”……別宇宙への移民計画の根幹となる存在情報の他宇宙への上書き中枢、転写ユニットである多面体を握り潰す。
真に宇宙の叡智を超えるモノ。
技術にて超越者を超越する愚者。
唯一、世界を奇跡に無しに変え得る狂人はポツリと呟く。
「まぁ、君の勝利を願ってるよぅ。僕ってほら、天邪鬼だから♪」
甘味を過剰摂取してはいなかった昔々。
まだ、四人の女の中で一人役立たずだった頃そうであったように……。
心底に悪戯っぽい優しげな笑みで。
偽聖女は小さな背中で世界を救うよりも大変だろう……一人の男を幸せにしようと奮闘する少女に応援(エール)を送るのだった。
*
霧の出る街。
墜ちていく人々。
全てを呑み込む雲海。
正に地獄であった。
それを画にしてみれば、酷い絵だろう。
だって、正義は破れ、人は破れ、決して勝利せず、化け物に貪り食われ、断末魔を挙げて、同じものとなっていくのだ。
これを地獄と言わずに何と言うのか。
「怖いよ。おにーちゃん」
化け物達に聞えぬよう呟く妹。
背の高さを利用して年齢を偽り入場したまだ歳若い兄妹は生きる術を蒼き天蓋の星に求め。
なけなしの金で商売を始めたばかり。
層を下がる毎に蜜碑の稀少度が上がって儲けが大きくなるという言葉に釣られ、第3層までも下った彼らに待っていたのは確かに大きな利益を齎す取引と……その取引から2日で世界が霧に呑まれ、返れなくなるという現実だった。
今や都市部は無人にも見えて静かだ。
漂う白き霧の中。
数m先すらも見通せない。
その事態に陥って三日。
化け物に追い立てられ、ロクな戦力も援軍も無い民間人に出来るのはとにかく走って逃げ回る事だけであった。
日に日に自分達と一緒に逃げていた者は体力の無い人々から減っていき。
トイレに行って戻らない人。
食料を求めに外へ出て消えた人。
ついにはただおかしくなって化け物を救助隊と誤認して近付き喰われたやつまでも出た。
だが、逃げ場が島の端となれば、もはやどうにもならないというのは分かり切っている事だろう。
このまま化け物に食い殺されて同じ化け物になるくらいならと島の端から飛び降りた人々は退路も無く雲海の中で人のものとは思えない断末魔の絶叫を響かせながら消えていった。
どうなったのか考えたくも無いというのが彼らの現状だろう。
残り12人。
島の端。
船着場。
追い詰められた彼らはゆっくりと霧の中からよってくる屍蝋の仮面達を前にガタガタと震える身体を何とか立たせる事で精一杯。
もはやこれまでと自刃する覚悟のある者は此処で死んだら化け物になって襲われるから飛べと言われて突き落とされる始末。
混乱の極みの中。
信用も信頼もありはせず。
誰が味方かも定かでは無い。
こんな地獄にまだ十代前半の兄妹は放り込まれたのである。
「……ッ」
妹の身体を抱き締める事しか出来ず。
庇う為に腕すら広げられず。
ただ、ギュっと背中を頭を抱いて背中を敵に曝すしか出来ない。
周囲では狂ったように笑い出す者が一人、また一人と空を飛んだ。
一瞬でも恐怖から逃れられるなら、と。
そうして……いつの間にか二人だけになった彼らはもう一歩後に下がれば死ねるというところで、ズィッと横合いから覗き込んだ屍蝋の仮面の下から覗く眼光に覗き込まれた。
紅の耀きを前にして狂気に呑まれ。
靴が虚空へと下がろうと―――。
『マママ、マヲンちゃん♪ マヲンちゃん♪ マママ、マヲンちゃん♪ マヲンちゃんは大暴走♪ マヲンフッドは大疾走♪ マヲンちゃんと一緒にあ~そび~ま~しょ~~~~いえ~~~!!!!』
突如として響く謎の楽曲に硬直した。
刹那、霧が、遥か眼科に広がる雲海が、切り開かれた。
そして、あらゆる白を切り裂いて、下からせり上がってきた構造物。
船の穂先が兄妹の横の化け物を貫いて。
「クヲヲ~~」
『ノリコメークヲだそうです』
トウッと穂先の上に立っていた何者かがシュタッと着地すると同時に化け物達が次々船上から飛び上がって落下してくる鎧を前にして棒立ち。
攻撃に移るより先に剣先に貫かれ、霧となって霧散していく。
「クヲ?」
『だいじょうぶかクヲと仰っています』
「え?」
妹が目を見開く。
其処には白いもちを伸ばしたような尻尾に腕にヒレ持つ頭をクラゲに喰われたような水生系亜人が片手を挙げて元気か~と御気楽な笑顔でニコニコしていた。
「ククヲクヲ、クヲヲック!!」
『敵包囲南西40m。数200』
「クゥウウウウヲオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!」
クヲ語を話す究極生物が片手のヒレに魔力を込めるとシャキーンと適当に硬質化させて、横にズバッと振り抜いた。
途端、ドガァアアアアアアアアアアアアアッッッッと周辺の構造物が纏めて横に吹き飛ぶ。
遠方を近付いてきていた群影がその一瞬にして発生した衝撃に砕け散って、霧が爆発的な噴流となり、周囲へと溢れ出す。
『こちらW中隊。新規生存者2名を確保!! クソ、七教会はどうしてこう非売品の癖にイイもん持ってやがるんだ!! この装備、これで数十年前の型落ち高格外套より性能下ってんだろ!!』
『隊長!! ぼやかないぼやかない。緊急時とはいえ、星潜者レベルでも使える装備が支部に五万とあったのは僥倖だったじゃないですか。こうして、オレらみたいな星潜者が兵隊の真似事出来るようになって、生存者救出部隊に成れるって言うんだから、感謝しないと』
『隊長!! こっちにまた追加で二名です!!』
『こっちは三名!! まだ無事です!!』
『よーし!! お前ら!! 化け物どもがこっちに気を取られてる間にとっととケツまくれ!! 後はマヲンちゃんがやってくれるとよ!!』
『さすが我らがアイドル!! マヲンちゃん!!』
『マヲン・アイは大光線♪』
『いや、怪光線じゃなかったっけ?』
『子供達の受け売りだからなぁ』
『遊んでないでさっさとしろ!! 連中の攻撃が当たったら即死だぞ!!』
『『へ~い』』
「あ、あなた達は!?」
兄が全身鎧の男達とそれを束ねるらしき白い亜人少女に訊ねる。
『オレらはマヲン救出隊!! 今、周辺で一番大きな島に威力偵察に来たついでに生存者を確保して回ってる。頭領はこの方だ。マヲンちゃんどうぞ』
「クヲ!!」
『隊長のマヲンだクヲと仰っています』
虚空から響く声に困惑しながらも、涙が溢れた二人が思わず泣き出す。
それをよしよしと撫でたマヲンが男達に二人を任せて霧の中へと進んでいく。
「あれって……マヲンちゃん?」
第二層における人気キャラクター。
クラウゼン公爵家の出先機関が大々的に売り出している二匹の内の一人。
それを知っていた妹の方が僅かに目を見開いて呟く。
『我らがアイドルだ。ああ見えて物凄く強い。なんつーか強い。いや、実際強い。うん……隊長って言われてるが、実際あの人が隊長だ』
隊長と部下達に言われてる男もまた認めているらしく。
マヲンが単独で島の中心部に向かう姿を見ても何ら止める様子も無かった。
『第二部隊ガナイ隊長からの報告です!! 30名を発見!! すぐに連れて戻るだそうです』
『了解した。とにかく周辺で救える命は全部救うぞ!!』
テキパキと軽症の手当てをその場でして、そのまま帆船に乗込んだ二人が見たのは自分達と同じ様に煤けた姿で手当てを受けている人々。
帆船の船上にはどうやら霧も入ってこないらしく。
安心した様子の誰もを見て、彼らも安堵してしまったせいか。
ペタンと入ってすぐに座り込んでいた。
「マ、マヲンちゃんは大丈夫ですか!?」
妹がそう聞けば、手当てをする数人の女達がニコニコと頷く。
二人が話を聞けば、その手当て中の人々もまた途中で救われたのだという。
だから、なのか。
船上には歌が響いていた。
マヲンちゃんの主題歌だ。
ノリノリな曲は笑いを誘ってしまうのだが、それが流れている事に誰もイライラしたりする者は無いようで、口ずさむ者も複数いた。
『クゥウウウウウウウウウウウウウウウヲオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!』
遠方からもハッキリと聞える大音声。
その次の瞬間には島の中央部でドッッッボオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!と霧の大爆発としか言えない現象が発生し、その勢いで全ての霧が周囲から一時的に周辺に押しやられ晴れるまで十数秒を要した。
「……晴れ間だ」
誰かがポツリと言った。
そして、それが真実だと世界の青さが誰もに教えた。
久方ぶりの日差し。
それはくすんでおらず。
何処までも空は澄んでいた。
そうして、マヲンコールが上がるまで数十秒。
船上には勇敢なる救出部隊とその隊長を讃える歌が響き渡る。
第3層最大の都市部を望む小浮島の一つで化け物が潰えた時。
ようやく偵察部隊の任務は佳境を迎えていた。
目指すは聖女来訪中という事で恐らくは戦力も集まっていたはずの場所。
決戦の場は確かにもうすぐ近くに迫っていたのである。