第五十節「進むべき者」
神とは何か。
考えたところで答えは自分で出せるものではない。
そう、ソレは知っている。
永い永い時間を見続けてきた。
幽玄の始祖たる異種の時代から、鉄血に染まる原始の人の歴史まで。
過去に目を向ければ、幾多愚かな人間達。
だが、綺羅星にも似て、また明るき人の性。
夢の如く過ぎ去った何者をも余さず捉えた二つの眼。
嬉しい事があった。
哀しい事があった。
それは今になってみれば、全てが記憶……いや、思い出だったのだと。
ソレは知る。
楽器の吹き抜けるような蒼い音色。
夜の森に踏み込んだ小さな兄妹達の互いにきつく握り締めた手。
辿り着いた城の上で大笑いするやがて王となる男。
嘆きの川も憎悪の山も越えていく真に勇気ある者達。
夕暮れの風吹く山から遥か彼方までも見える紅き地平。
何もかもが夢のような全て。
ソレにとって今と同等に等しく見続けられる宝物。
――――――。
人は試されている。
いつだって、そうだった。
驕る高みに昇った者達の無理難題。
真っ直ぐに何も知らず。
闇に沈む者も立ち上がり戦う者もあった。
塗り潰す暗闇を黄金に変えて。
その切っ先を理不尽の大元に振り下ろす者すらあった。
何もかもが変わって、終わってしまうとしても。
それでも何もかもから置き去りにされると知りながら、それでも人の手に運命を取り戻そうとした者もあった。
『生きる者達に仇為す神よ!! 今、その調伏を奉る!!』
白き鎧に三眼の兜。
騎士がソレの片翼を落す。
『例え、アナタがどのような神であろうとも、人を害するならば、生けとし生けるものの盾たる七教会、我々は永劫だろうと戦うでしょう!!!』
鉄塊を振るう修道女が左半身の全てを砕けさせながらも、強引に時の障壁すら越えて、もう片翼を押し潰す。
『神だろうとも、帰ろうとする者を引き止めていいはずがない。魔刃……如何なる因果も絶て!! 人々に今、道を示す為に!!!』
時空を紡ぐ因果。
その連続性が一つの刃を前に万華鏡の如く見えていたソレの辿る未来を斬り閉ざしていく。
『クヲクヲクヲクヲオオオオオオオオオ!!!!』
真に旧き者を体現して。
白き者がその腕のヒレを刃のようにソレの瞳を両断する。
――――――。
融けていく。
過去、現在、未来、全てを見通す神。
世界が闇に融けていく。
断絶していく。
奈落に、耀きの終りに、ソレは思うのだ。
自分もまた驕る神だったかと。
人々の為に起ち。
人々の為に堕ち。
そして、災厄と化した嘗ての神々のように。
怒りはもはや霧散した。
悔いなど感じる事も無い。
己は果たして、ソレは果たして、子供達に何か為せただろうか。
知りようも無い。
全てを見ても、心までは読めず。
魂すらも消えていく。
その最中、ソレは最後の未来を見た。
都合の良い幻にも似た耀ける日々。
巣から堕ちた一羽の雛は子供達に拾われて―――。
*
「ん……あ?」
パチリと目が覚めれば、其処は蒼き円柱の前。
すぐ傍には焚き火。
もう夜かと身を起こそうとして彼は気付く。
瞳を閉じた少女が、ピアリが眠りこけた様子で船を漕ぎながら、自分の顔の上で揺ら揺らしている。
それに凭れるようにしてシャイもまた眠っていた。
イルト・イナーシタはどうやら……膝枕されていたのである。
「……起きたか。イルト」
「あ、あぁ、何がどうなってんのか教えてくれるか? イフィー」
「倒れたお前を見て、ピアリが泣きそうな顔になっていたから、起きるまで膝でも貸してやれと言っただけだ。まさか、一人で屍蝋の化け物を倒すとは……やるではないか」
焚き火の向こうからは苦笑する少女の顔。
それに青少年が恥ずかしげに視線を下に向ける。
「結局、助けに来たのに格好悪いところばっか見せてるなオレ……」
「お前の事をきっと世界一格好良いと思っている者の膝枕だ。身体が動くようになるまでは存分に味わっておけ」
「そう、いや……身体、動かねぇや」
「それはそうだ。あの刃の無い剣。少し調べたが、この宇宙の内部には存在しない代物のようだぞ」
「え?」
「フルー・バレッサ。時に宇宙の創生にすら手を掛けたと言われるあの狂人の事だ……恐らくは通常の時空間に優越して働く仕掛けだ。我に理解出来たのは辛うじて、この世界の最高位階梯に当たる存在の視点くらいにしか実態が写らない、という事だけだな」
「何かよく分からないヤバイ力って事か?」
「そうだ。そして、それを限定的とはいえ使いこなしたお前は超越者達の仲間入りだ」
「……喜んでいいのか分かんねぇなソレ」
思わず苦笑が零れて、イルトが揺らめく炎越しの少女に笑みを向ける。
「ピアリに付いてはすぐに検査したが、身体に異常は見受けられなかった。安心しろ」
「そうか。なら、いいけど……なぁ、ピアリの周囲に錬金で道が出来てた事は知ってるか?」
「ああ、それも知っている。調べた後、お前を見付ける頃には元に戻っていた」
「なぁ、一ついいか?」
「何だ?」
「ピアリは……人なのか?」
その問いに灰金の少女は僅かな沈黙を置く。
「その答えを知ってどうする?」
「別に今更、答えがどうだっていいんだ。ただ、全部知っておかないと次も助けられるかどうか……オレが不安なんだと、思う……」
「お前の五感が感じ取った情報を裏付けるだけとなるが、一応は教えておこう」
立ち上がった少女がすぐ頭の横までやってくると正座した。
「あの普通ではないピアリの周囲にあった桜色の道や剣は錬金の術に似ているが、恐らく観測結果から言って違う」
「やっぱりか」
「そうだ。アレは無機物を取り込んで自己増殖して常に質量を補填していた。一種の金属細胞……その性質は極めて……剣獣(ソーディアス)に近しいものだった」
「そう、か……」
ポツリとイルトが呟く。
「ピアリの身体は……活性状態ならば、少しだけ解析することが出来た」
「活性状態?」
「ふだんは何の変哲も無い人間の身体だが……活性状態のこの子の身体の内部で起っている反応は恐らく……密碑に近しい」
イフィーの瞳は真剣だ。
それを受け止めたイルトもまた次の言葉を静かに待つ。
「リュオ先生は言葉にしなかったが、我はお前に予断無く事実と状況証拠からの推論を述べよう」
「ああ……いいぜ」
「ピアリは人間の身体になる事が出来る存在。密碑と剣獣、この二つの性質を併せ持つ、極めてソレそのものに近い存在だ」
「―――そうか」
「そもそも剣獣がどうして密碑を落すか知っているか?」
「いや……」
「剣獣は破壊された瞬間に密碑そのものを生成するが、その原理は崩壊した質量そのものが概念域側からの干渉を受けて、その一部を再形成するからのようだ」
「それって……」
「他の物質はこの世界の空気や大地に混ざって循環する。剣獣はその中から自然と湧き出してくる。これがサイクルとして成立しているのが、天蓋蒼星だ。我も色々調べていたからな。リュオ先生と時々、議論を重ねていたが、最終的にはその答えに落ち着いた」
「ピアリはこの世界に生まれた存在、なのか?」
「そうだ。剣獣が崩壊時に概念域から受ける影響で密碑になる。だから、概念域から受ける影響によっては密碑の形はどのようなものにも成り得る」
「………」
「また、まだやった事は無いが、恐らく密碑から剣獣を再構成する事は可能だと思われる。それを記述する膨大で特別な密碑とその繋げ方が発見されたならば、だが」
「つまり、ピアリは……剣獣でありながら、己に宿る密碑の能力で人間の身体を手に入れていた?」
「ピアリが顕れた時、ピアリは下層域から巻き上げられたように思っていたが、恐らく違うのだろう。それが何時なのかは分からないが、構成されたのだ。何処かの時点で人間の身体が……」
「……そっか。じゃあ、ピアリは頼もしい仲間にクラスチェンジって事だな」
イルトが笑みを浮かべて肩を竦める。
「無理をする必要は無いぞ?」
「無理なんかしてねぇよ。オレだって、そうだ。オレだって……もう人間じゃねぇんだろ?」
「……ぁあ」
「でも、そんなでも自分が人間なつもりでいるんだぜ? どんなになってもオレはオレだ。人間らしいって思える自分が胸にある。ピアリだってそうだろ? ピアリはそもそも『ええ!? ピアリ人間さんじゃなかったんですか?!』とか驚くくらいだろ。自分がどういう存在かなんて真面目に考えてないって」
「あははは……まったく、心配してみれば、いや……そうだな。お前の言う通りだ。自分が人間かどうか。それは自分が決める事だ。誰が何と言おうと自分が信じ、誰かがそう言ってくれる限り、そいつは人間だろう」
イルトがゆっくりと身を起こす。
「動けるな。師匠は?」
「先生は今第四層行きで必要な装備を密碑で出して収納している。こちらに気を使って少し遠くでな……良い師匠を持ったな」
イルトがピアリに己の見に付けていた外套を背後からそっと掛ける。
「ああ、何せ人間止めたら、悩む暇も与えず人間以上の力を早速磨きましょうって人だからな」
顔を見合わせて。
「ふ、ふくく、ふふふ……」
「は、はは、あははは……」
互いに苦笑交じりの笑みを浮かべ。
彼らはそろそろ地平から昇る偽の日差しの方角へと視線を向ける。
「行こうぜ。第四層。オレ達全員で」
「ああ、往こう。我らの旅の終着点はまだ先だ」
彼らは向かう次なる深みに。
霧一つ無い明け方の後光に照らされながら。
置き出した掛け替えのない仲間に抱き付かれた青少年が大人の笑みで……抱き付いた少女はちょっぴりだけ思う。
『イルトさん、こんなに格好良かったっけ?』……と。
*
霧の爆発。
無限に溢れ出すかと思われた梟の如き化け物の最後。
三人と一匹がその衝撃に耐え、目を次に開いた時。
其処はホテルの屋上だった。
周囲に人の喧騒が戻ったかと思われるや否や。
半身を崩壊させて、未だ着込んだ鎧の力で再生中の修道女が一分にも満たない自己判断による共闘を解除し、その得物を片手で三人に構える。
それを見た蒼き瞳の少女が片手の親指で市街地をクイクイと指差した。
すると、ホテルの周囲で悲鳴。
また、絶叫や泣き出す声。
都市全域にまで拡大していく混乱が下からも煙や炎という形で見て取れた。
「どう、なって?」
「分岐していた時空の収束。己が化け物になって人を襲う感覚、記憶、感情。別時空で幾らでも非業の死を遂げた人々。それが全て一つの実体として此処にいる人々の個々人に収束した。普通では居られないでしょう。狂気に陥る人々も相当数となれば、我々に構っている暇があると? ちなみに七教会の人間とて、その状態からは逃れられない。助けに行ったら如何ですか?」
「特務戦技官としては見過ごせませんが、次なる層に降りるならば追いましょう。ルヒ・サヤトネ……」
修道女アイネス・ラッシュバルドは再生中の腕もそのままに屋上から地表へと飛び降りて一般人の精神が耐え切れずに崩壊する前にと次々道端の絶叫する人々の首筋に手刀を叩き込んで気を失わせていく。
それを見送ったサヤトネはポリポリと頬を掻いた。
先程の共闘で因果が混線。
本来、自分と深く繋がらず、五感や記憶で認識出来ないはずの相手が敵となってしまった。
それも恐らくはずっとこのままだろう。
聖女達すらも欺き、騙し通せる因果律切断の力の弊害。
これから直接出会う事があれば、彼女は怪物修道女と戦わずに逃げられないのは間違いない。
不用意に使ったわけではないしても、しばらくはまた封印せねばと少女は内心で己を戒める。
「マウロ。行きましょう」
「ええ、我々には我々のやる事がある」
そうは言いながらも兜の中で都市部の混乱を見つめる瞳が揺らいでいる事を知っているからか。
サヤトネは僅かな時間を待つ事にした。
「……済みません。覚悟は出来ました。今度こそ行きましょう」
「クヲ?」
「そちらの事情はある程度、聞きました。ディアコノス」
フワリと今まで都市部の混乱を屋上の端に足を掛けて、プラプラさせながら眺めていたマヲンの横に紫髪のメイド幼女が現れる。
「受け取った情報は承知しました。そちらのリソースは出来る限り、シンアの方に振り分けて下さい。恐らく、こちらよりも難事になる可能性が大きい。いつでもその西部の国で全力を出せるよう準備を」
【了解しました】
「ただ、聖女対策にアレだけはこちらに用意しておくよう」
頷いた紫髪の幼女が再び虚空に消えて。
「シンアと共に在る者……感謝しましょう。次に会う事が在れば、話す機会にも恵まれるでしょう。では」
「クヲ~~」
ヒラヒラ手を振るマヲンの後で転移魔術が即時地面に展開。
それと同時に魔刃(ベネフィシア・グラディオ)が引き抜かれ、そこに突き立てられ、マウロとサヤトネが何処かへと消えた。
残った究極生物はチラリと屋上下の階層に目を向ける。
七聖女ハティア・ウェスティアリア。
魔導を産みし者とはいえ。
時の神。
そして、因果断絶の秘儀による知覚封鎖を前にしては未だ何一つ気付く事は無いだろう。
最後の瞬間。
あの梟が行った攻撃は彼らにではなく。
ホテルに本来泊まっているはずの存在に向けて放たれた。
異常を感知出来なければ、人は何を変えようという事も無い。
その日になるまで恐らく聖女は別の時間軸を延々と過ごし、この時間軸に統合されるまで無力。
思わぬところで時間が稼げた事は聖王同盟(サクラム・フェデレイションズ)にとって幸いな事かと。
白いもちのような尻尾をプラプラさせながら、彼女は、マヲンはそろそろ行こうと脳裏で確認したガナイと愉快な仲間達+戦艦の人々の下へ転移を試みる。
第3層最大の各地は今や阿鼻叫喚。
しかし、それでも健常に生きているならば、やがて混乱も収束するだろう。
人々はその時こそ知る事になる。
命を掛けて、己の全てを掛けて戦った七教会の戦士達の事を。
幾千年、あるいは幾万年の闘争にもはや上位超越者となった彼らの払った自己犠牲を。
その夜、聖女不在のままに各地の混乱は治められた。
そうして、七教会による情報統制が敷かれる事となるが、その内実が纏めて上層部に報告されるのはまだ先の話であった。
*
チリン、チリン、チリン。
鈴の音色が重なる第四層はまるで幻想を具現化したような場所だ。
東部の玩具。
風車が無数に吊り下げられたロープが森の中に道を作っている。
今までのように巨木があるわけでもなく。
春夏秋冬が短かったり、真夏の海辺が満喫出来る場所などでもない。
鈴鳴る世界。
何処までも続く宵。
森の中には誰が燈したかも定かでは無いランタンがポツリポツリ。
まるで祭り会場へと向かう道すがら。
星潜者達は一つの方向へと歩き続けている。
やがて、彼らの前は開け。
森の中に人が集まる会場が見えてくる。
そう、会場だ。
何の?という問いはこの第四層に来て数日もすれば疑問にも思わなくなる。
持ち込める装備に限りがある以上、そこから先では何が起こっても準備不足の奴が悪いで済む。
会場には多数の椅子。
そして、会場をグルリと取り囲むように屋台が軒を連ねていた。
祭りにありがちな代物ではない。
全てが武具、防具、大陸中央諸国の人々からすれば、今や持ち運ぶのにも免許がいる原始的な代物ばかりだ。
銃は辛うじて売っているが、銃よりも人気なのは刃物だ。
会場の大画面には巨大な鉄扉が映し出されている。
50mはあるだろう会場のすぐ近くにあるソレ。
表面の中央、未だ中々開かない中央付近には何の変哲もない剣が刻印されている。
第四層全域において七つある同様の扉の周囲には同じように会場が併設され、七教会が管理する最中、第五層へと抜ける試練へと人々が挑戦する順番を待っている、というのが常識だ。
一定以上の武器や防具は使用出来ず。
会場には見つけさえすれば、誰でも入れる。
だが、扉が開くことは稀だ。
戻ってきた者の話に拠れば、扉の先にはまた別の試練が存在するという。
深く深く第四層の奥へと潜る為には其処を潜るしかなく。
先にはまた別の世界が広がる。
これらの先に行くことが出来た者は多いが深層へと向かえば向かう程にその数は少なくなり、最終的には超えられなかった者が諦めて稀に開く扉から逆に帰ってくる事になる。
さて……その扉を開ける試練とは何か?
『よっしゃ!!? 939、393、943、334、211、扉は開かれたり!!! テメェら行くぞ!!』
―――おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!
ギィイイイッと軋んだ音と共に剣の紋章が中央から分かれ、先へと進む隙間が開き始める。
それと同時にドッとその内側から帰還する星潜者や各国軍、七教会の者達が吐き出されて人の津波となった。
会場に居た潜る気満々な連中はそれが終わったと同時に次々に走り出して内側へと進んでいく。
その手からは何やら薄い石版らしきものが在り、開いたと同時に捨てられた。
内容を見れば、その全てに数字の羅列が複数書き込まれたグリッドがある。
ついでに門の上には剣獣達が人を襲う義務を果たしもせず。
何故か番号を形作って固まっていた。
『籤に当たらないと開かないって難儀だよなぁ……此処一ヶ月出てないと思ったら、次の二日で3時間置きに開くし、完全に時の運とか……』
会場手前で呟くのは商隊の男達。
戻ってきた星潜者達から密碑を買い漁り、地表へと持っていく手間賃を取って稼ぎとする者達だった。
彼らの休憩所兼密碑と外貨の交換所横には池があり、その最中には先程の扉に入っていく人々が捨てていた石版が無数に生えている。
また一人、次の開門を待つ者達の一団が池に来ると石版を掴み取って会場へと向かっていく。
すると、池内部には地下から再び石版が形成された。
『ホント、開くまで退屈だよなぁ』
交換所に詰める数人の男達はドッと押し寄せた連中から買い上げた密碑を袋に詰ながら、この仕事に試される忍耐強さがあるなら、別の仕事した方がいいだろうなという愚痴を互いに垂れる。
そんな彼らが不意に片手で虚空に指を弾く。
途端、何かが虚空で火花を散らして、チュゥンという音と共に地面が弾けた。
次々に指が弾かれ、次々に地面が弾け、やがて遠方で激音がしたかと思うと。
交換所の一人が彼らに合流する。
「何だったんだ? 今の」
「ああ、何か屍蝋みたいな色の銃持った仮面の化け物一匹いて、人間じゃねぇみたいだったから叩き切って来た」
「オイオイ。もし異種とかだったら問題になるだろ?」
「大丈夫。ぜってぇ、アレ単なる化け物だったって、霧になって消えちまったし、蜜碑も落さなかったし」
「まぁ、いいけどよ。それにしても第3層からの連絡が途絶えて、もう一週間……七教会の艦艇連中は戻れないって言ってたが、どうなんだろうな。此処……というかオレ達。帰ってきた連中も何で3層に行けないんだって喚いているし」
「いいじゃねぇか。此処は時間がゆっくり流れる場所だ。のんびりしたらいいさ。オレなんか2週間働いてる感覚でいたら、6ヶ月経ってたし。ははは」
「あ~だよなぁ。此処、何か時間感覚狂うよなぁ……実際、仕事する時以外は七教会の映像作品見る事くらいしかやる事無ぇし。飯は上手いけど、料理人でもいないとレパートリー少な過ぎて食い飽きるし……ふぅ、仕事だるいぜ」
何やら誰も彼もが疲れたような、やる気無さげな顔で作業を延々とこなし、また次の客を待つ。
カードが飽きたら、牌を使うゲーム。
それも飽きたら、吟遊詩人のいる酒場へと繰り出す。
チリンチリンと鈴が鳴る。
此処は第四層。
【惰場の甘域】
未だ一握りしか五層に抜けられぬ難所。
そして―――今は番人の不在な天蓋蒼星の折り返し地点であった。
*
―――???
チクタク、チクタク。
世界の彼方。
星を見下ろす塔の上。
黒き筋肉の異形がポージングする。
蠢く胸板。
膨れ上がる肩。
パツンパツンに張った肌は艶かしく。
だが、しかし、それを見て躍動感というものを感じる事は無いだろう。
「んんぅ♪ やっぱり、第四層は停滞気味ねぇ……」
その筋肉の化身の背後。
時計のような音が鳴る度に何かが音を立てて崩れ落ちていく。
それはこの酷界と呼ばれる魔族の世界の国の命運が尽きる音かもしれないし、一角の大魔族が命脈を立たれた時に感じる絶望でもあるかもしれない。
黒き塔の最上階。
御茶菓子の置かれたテーブルと椅子。
その上にようやく座った化身は対面で虚空に写る天蓋蒼星の様子を見る少女。
黒い跳ね乱れた長髪を束ねた女給姿の子獅子にニコリとする。
「時々、来てくれてアリガト。んふ♪ まぁ、記憶も無いし、喋れもしないでしょうけれど、今日もまた見ていくといいわよぅ♪ 本日のメインデッシュは中々見応えがあるかも」
映像が一つの世界を映し出す。
そこには未だ無限の剣獣を前にして洋々に進む聖女の姿。
映像が一つの世界を映し出す。
そこには未だ異常にも気付かずに沈み込んだ様子の聖女の姿。
映像が一つの世界を映し出す。
そこには破壊の嵐と停滞の静寂をぶつける聖女と偽聖女の姿。
映像が一つの世界を映し出す。
そこには蒼き星の中心で鼓動する眩く耀く何かの姿。
映像が一つの世界を映し出す。
そこには未だ西部でお腹を大きくした少女の……彼女自身が編み物をする姿。
「時間軸なんて関係なく見てみましょうか。ふふ、優秀なあなたもその子も教えがいがあっていいわ~~観察者、観測者としては同じくらいの階梯なんだもの。仲良くしましょう? あーはん♪」
映像が新たな世界を映し出す。
「四層は面倒だから、飛ばしちゃいましょうか?」
その声に瞳だけが何とか動き、その筋肉の化身を見た。
「んふ♪ 抗っちゃってかーわいい♪ でも、昔からこんなのはよくある事よん。大丈夫大丈夫、それで時間軸が歪んだりはしないから。此処が幾ら全てに干渉出来る場所だとしても、ね」
キュルキュルと映像が早送りされる。
少年と少女達の物語が高速で過ぎ去っていく。
第四層、それはどのような場所だったのか。
どのような冒険があったのか。
彼らにとって、どんな意味を持っていたのか。
見なければならないはずのソレが終りへと向けて加速し……ようやく止まったのは終わるまでそう時間が残されていない時期。
チクタク、チクタク。
時計の音色が響く。
チクタク、チクタク。
世界の全てが映し出される。
チクタク、チクタク。
蒼き星の先で。
チクタク、チクタク。
長耳の神像が笑みを形作り。
チクタク、チクタク。
少女は見てしまう。
全てを幻視して。
その悪意も悪徳も悪行も、悪たる事すら定義出来ぬ世界を。
其処では全ての背徳が許されてしまう。
何もかもが許されてしまう。
娘が祖母と祖父と父と母と兄と弟と姉と妹の子を孕み産み落とし。
婚姻した者が戦い合う男達二人を相手に不義理を働き。
情熱的に怠惰に堕落しながら貪り合うように愛し合う。
ジリジリと日照りで干乾びていくかのような焦燥。
それは少女の胸と子宮を焼き尽して。
何度も何度も渇望が、彼女と彼女のお腹にいる子を喘がせた。
早く少年に会いたい。
早く少年と共に。
早く、早く、早く、そう急かされるように高鳴る鼓動と抑え切れない欲情と甘美な記憶が、混濁する意識の中で夢見るように想い人との交わりを希求する。
「あらあら♪ 今日はこの辺にしましょうか。じゃあ、次の機会にねぇ……その時はまた見せて貰うわ。あなたとあの子の幸せそうなこ・う・び♪」
チクタク、チクタク。
時計が12時を指し示せば、少女の前で映像が途切れていく。
まるで世界までも停止するかのように止まっていく。
何もかもが停滞する第四層。
何もかもが怠惰へと堕ちる園。
チクタク、チクタク。
『イクス。こっちに来て……ね?』
『璃紗?』
『えへへ……イクス、イクス……ん♪』
『どうかしたの?』
『寂しくなっちゃったから、一緒にいて……ダメ?』
『いいけど……大丈夫』
『うん!! 傍にいてくれたら、大丈夫だわ』
『なら、いいんだけど』
『イクス……イクス……』
『今日の璃紗は何だか甘えん坊じゃない?』
『そうなの……だから、今日は一杯イクスに甘えるの!!』
『これからの事を考えたら、好きなだけ甘えてとしか言えない、かな』
『これからは三人で一緒なの……この子もきっとシルメイアやあの子と同じだから』
『シルメイアと?』
『だから、これからも一杯一杯、一緒に可愛がってね? 璃紗だけのご主人様……』
『……うん』
『じゃあ、しよう?』
『璃紗……いいの?』
『可愛がってくれたら、イクスの事も一杯気持ち良くするから、だから……』
『うん……ありがとう。璃紗』
『大好き。イクス……』
チクタク、チクタク。
化身が嗤う世界の頂上で今日もまた物語は紡がれ、今日もまた観測は続いていた。
誰に気付かれる事なく。
誰に咎められる事なく。
それは密やかに世界の全てを余すこと無く見つめる視線であった