第五十一節「第四層」
「なぁ、おっさんも付いてくるのか?」
「中々に面白い相手を見付けたのは僥倖だった。しばらくは同伴しよう。無論、それが鬱陶しいと言うのなら、君達を見えないところから見ている事になるが……」
「それ、思いっ切りストーカー……」
蒼き柱の前。
虚空に月が掛かった砂の大地の上でイルトと愉快な仲間達は過去の魔王の一体。
己をそう名乗るグラフマンが階層を変わっても付いてくるという話をしてくるものだから、どういう意図があるのかと測り兼ねていた。
リュオは次の階層に向かう為に錬金による万全の態勢を築くべく。
十分後の出立前ギリギリまで薬剤の調合やらを地面にシートを敷きつつ行っている為、主に話を聞くのはイルトとイフィーだ。
ようやく合流したピアリは新顔であるシャイと何やらコミュニケーションを取っており、主にコンペイトウによる餌付けと話題で盛り上がっている。
『イルトさんやイフィーさんはあんまり食べてくれなくて……でも、シャイちゃんが一杯食べてくれるので、感動しました!! 沢山ありますから!! 一緒に食べましょう!!』
『シャーイ♪』
こんな仄々とした背景を後ろにしてグラフマンの真意を知るべくイルトは諸々を訪ねていたのが暖簾に腕押し。
その古き亜人の旅行者のようにも見える男は肩を竦めて、はぐらかすばかり。
青少年が話術以前に格と経験の差によってやり込められているのを見ながら、イフィーは何処か懐かしさのようなものを相手に感じていた。
「……その話術。いや、会話の仕方……お前は確かにあいつの一部なのだな……」
「イフィー?」
横の灰金の少女にイルトが視線を向ける。
「さて、どうだろうな。似ていると言うのならそうだろう。だが、そのものではない以上、こちらより似ている者はそれなりにいるだろう」
「……まぁ、いい。好きにするのだな。どうせ、我々にはお前をどうしようもない。付いてくる理由が我々の行く手を阻むものでないのなら、無理に置いていく事もない」
「イフィーはそれでいいのか?」
「ああ、ある程度は戦力に数えさせてもらうが、いてもいなくても変わらぬだろう。次層からは本格的に即死する可能性が高くなる。ピアリとシャイを守るのにそいつの力が有用な時もあるだろう。我々とリュオ先生が一杯一杯の時は精々期待させてもらおう」
「心得た」
グラフマンが頷き、手を差し出す。
それを躊躇いを振り切るようにしてイルトが取った。
そう筋肉が付いているようには見えない男の身体はしかし握手してみて初めて分かる程には鍛え抜かれている。
イルトの五感においても実際のところ強さしか測れず、曖昧な情報しか探れないというナチュラルな自身の能力の隠蔽を行っているグラフマンであるが、その筋繊維一本にまで行き届いた意志と魔力の漲りが相手の強さを確固として教えていた。
「じゃ、そろそろ行くか。師匠~」
「ええ、今終わりました。行きましょうか。第四層に出発です」
シュルシュルと一人手にリュオが開いた袋の中に精錬用の器具毎シートが入っていく。
明らかに体積的な無理があるものの、空間を弄る程度の事は錬金術師にも出来る。
本職ではなくても、便利道具使いはピカイチというのが大抵の錬金術師が星潜者達から持たれるイメージなのは正にリュオのような練達者が本来大魔術師クラスでなければ作れないようなアイテムを普段使いしているからだろう。
「では、征くぞ。我が先頭、次にイルト、ピアリとシャイ、グラフマンに先生の順だ。第四層の話は僅かながら聞こえてきているのが……想像を絶する苦労に見舞われるらしい。心せよ」
「想像を絶するって?」
「具体的には分からん。情報を集めた限りだと、限りなく失楽園とか。限りなく堕落の苑とか。限りなく安穏と過ごせる地獄とか。そういう話しか分からなかった」
「失楽園、堕落、安穏、地獄……何か精神的にヤバそうだな」
イルトが胡乱な視線で蒼き円柱を前にして目を細める。
「最短ルートはこちらで割り出します。イフィーとイルト君はとにかくパーティーの尖峰として頑張ってくれれば……後はこっちの仕事です」
チラリとイフィーが後ろのグラフマンに視線を送る。
「何もかもを知っているわけではない。ただの一部だからな。だが、第四層に付いて助言しておこう……決して諦め立ち止まるな」
「立ち止まったら、どうなるんだ?」
イルトの問いに肩が竦められた。
「あの聖女の考えた暇潰しに付き合わせられるぞ。休憩、休息は最短にしろ。でなければ、貴様らは百年後の未来を見る事になる」
「百年て、オレら生きてないだろ?」
それ以上は何も言わないグラフマンから視線を外したイフィーが誰の階層……守護者たる聖女が何者なのかを察した。
「では、今度こそ行こう!!」
全員で一斉に円柱に手が付かれた。
途端、その姿が掻き消える。
そして、次の一瞬の後。
彼らは到達する其処には巨大な門があった。
薄暗い夕闇の中。
茜雲から差す日差しに照り映える青銅の扉。
その中心には一筋の切れ込みと共に七つの剣が付き立つ意匠。
周囲は密林のようだったが、グラフマン以外の誰もが眩暈に見舞われて、膝を突く。
「ぐ?! これは―――」
イフィーが吐き気を抑えるように口元を覆い。
ピアリはグッタリとしながらシャイを抱いて俯き。
イルトは膝を付いたものの、何とかいつもの金属棒を杖にして立ち上がる。
だが、リュオのみが倒れ伏したまま。
地面で気を失っていた。
「師匠!!?」
「グラフマン!!? これは、どうい―――!?」
何とか後ろを振り向いたイフィーがしかし……其処に先程までいたはずの相手を見つけられず。
否、あの逞しかったはずの男の代わりに矍鑠とした同じ装束を身に着けた老人がいるのを見て絶句する。
「ふ、此処まで二か月……よくやったと褒めておこうか」
「此処、まで?」
背筋に汗が伝うのを感じながら、イフィーが思わず呟く。
「さぁ、思い出せ。自分達がどんな道を辿って来たか。この階層が如何なる試練であったのか。あの怠惰司る者の“限り無き小休止”をお前達は突破した。此処が最後の難関だ……」
「二か月、我の……我々の……ッ」
少女の瞳に記憶が過ぎ去っていく。
それは確かに彼らが辿って来た軌跡そのものだった。
*
―――10週間前【|惰場(だじょう)の|甘域(かんいき)】赤道付近。
第四層は主に森林地帯が広がる広大な空間だ。
しかし、同時にその全て同じ植生で何処まで広がる空間が迷路よりも余程に危険な……時間間隔を狂わせる魔の領域と七教会の機密報告書には記載されている。
変化が無いという事はそれだけで人間にとって致命的な事実である事は近年の人間の五感に関する研究が進むに連れて明らかになった事だ。
大小なりとも生活の中に変化が無ければ、人は容易く退屈してしまう生き物である。
また、延々と同じ風景が広がれば、幾ら移動していても、今がいつかなんてすぐに分からなくなる。
この第四層において唯一星潜者にとって幸いだった事が日の出と日の入りがある事と言われているのは無理からぬ話だ。
扉が開いた先にも同じような世界が広がり、同じようなイベントが用意される。
否、少しずつ変化はしているのだが……恐らくは本質的に何ら意味の無い変化が続く。
しかも、持ち込めるアイテム、武装の制限から来る極めて変化に乏しい状況が緩やかに続くので、どんな激情を持つ人物とて、此処で長期間過ごして確固とした意志を保持し続けるのは不可能とすら言われている。
七教会にとって、第四層とは本当の意味で人間離れした人員しか突破出来ない鬼門。
正しく超越者の強固なパーソナリティー無しには攻略不能の地とされた。
そうして……そんな事実を一つも知らぬ星潜者達の8割以上は此処を突破出来ず。
残りの2割にしても此処を通る時の変調から来る戦力の低下で第五層でギブアップ、リタイアする者が後を絶たない。
国家規模の密碑確保部隊の大半にしても、第四層内に長く留まるのは危険とされ、殆どは短期間の滞在を予定しながら、“確実に予定を大幅に超過して帰って来る”というのがお決まりだ。
そんな世界の赤道付近。
密林とは言えない疎らな樹木の茂る森の中に全員が出ていた。
「此処が第四層? イフィー、ピアリ、シャイ、大丈夫か?」
「しゃーい!!」
「はい。イルトさん」
元気に返事する人造生物がピアリに手を引かれながら答え、ピアリもまた保母さんのような微笑みを浮かべながら頷く。
「此処が第四層か。リュオ先生」
「ええ、少し待って下さい。確認します」
パッと懐から取り出した白い球体が上に投擲される。
それが浮かび上がって上空へと到達し、パーティーの中心の虚空に映像が映し出された。
「ふむ。周囲360°地平線まで何処にも人影や人工物らしきものは無し、ですか。これは早めに空を移動した方がいいですね。魔力量は?」
訊ねられたイフィーが頷く。
「十分に確保してある。全員を飛ばすなら連続一か月でも余裕だろう」
「分かりました。では、こちらで行先の方角を確定し、全員で空から向かう。で、よろしいですか?」
「オレに異存は無いぜ。ピアリとシャイはどうだ?」
「しゃーい!!」
「ピアリも構いません」
「なら、決まりだな。じゃあ、おっさんもそれでいいか?」
クルリと後ろを振り返ったイルトが訪ねる。
すると、グラフマンが肩を竦めた。
「今日は此処で止めておけ。もう夜だ」
「は? 何言ってんだ。さっき、昼だ―――え?」
呆然とイルトが空を見上げた。
いつの間にか。
先程まで明るかったはずの空がもう夕暮れ時になっていた。
「し、師匠!? お、オレ達は昼に来たよな? 此処に!!」
「え、ええ、そのはずですが、一瞬で時間帯が変化した?」
リュオもまた驚きに目を見張っていた。
しかし、グゥ~とお腹の鳴る音が周囲に響き。
桃色髪の少女が思わず恥ずかしそうに腹部を抑える。
「ピ、ピアリのお腹はまだ大丈夫ですよ!!」
「ピアリ……しょうがない。とりあえず、此処で野宿か。密碑で宿出して、食事だな」
「ええ、ですが、その前にこの現象を解明する必要がある……」
チラリとリュオがグラフマンに視線を向ける。
「悪いが、此処で話している時間はない。貴様らは此処の客として本来の試練を受けている。非正規である他の連中に比べても条件が厳しい。とにかく、今から数日食わなくてもいい奴以外は夢中でメシを食え。その合間に話す」
何が何やら分からないままにリュオがピアリとシャイの傍に寄って、簡易の糧食を配り齧り始める。
「此処は変化に乏しい世界だ。そして、その変化の乏しさ自体が試練として組み込まれる。此処では各自の時間の流れは主観と絶対の二つだそうだ。そして、そのどちらも速度が違う。死にたくなければ、死ぬ気でメシを食い、死ぬ気で生きる為に必要な全てを高速で終わらせろ。お前の十分が絶対時間の一日になる可能性を考慮すれば、それが最善だ」
「な、なんつー!? つ、つまり、時間間隔が全部当てにならなくなるのか!? その上で全部バラバラって―――」
イルトが思わず顔を引き攣らせた時。
リュオが顔を青褪めさせた。
「す、すみませんがイルト君!! この綱を持っていて下さい!!?」
リュオが何やら袖口から縄を取り出してイルトに持たせ、そのままもう夜になっている林の奥へと駆け出していく。
「し、師匠!? どうしたんだ一体!?」
『とにかく、絶対離さないで下さい!!』
「あ、ああ!! 分かったぜ!!」
そうイルトが返して横のシャイとピアリを確認した時、もう二人は寝ていた。
しかし、その横で灰金の少女がイルトをジッと見詰めている。
「イフィー?」
「イルト……お前は今二時間ずっと先生が帰って来ていない事を自覚しているか?」
「な?!!」
「やはりか。各人がコミュニケーションを取る時間だけが緩やかになるような……いや、変化か? 変化自体が時間間隔を擦り合わせる鍵になるとすれば」
「イ、イフィー?」
「イルト……今からどんな時も会話を絶やすな。変化が消えた瞬間に“時間差”が襲ってくる可能性が高い。リュオ先生は恐らく変化が途絶えたせいで今頃排泄時間を延々に引き延ばされているのだろう。有線での通信を繋ぐ。会話しながら助けて来てくれ」
イフィーが自分の耳元と口元に手を触れて、簡易の魔術方陣を発生させ、イルトにも同様の術を施す。
「は、排泄時間て?! 二時間!? そ、そういう事か!? この階層えげつねぇな!?」
「悪いが人造生物のシャイに不死の我、根本的な部分で人間はないピアリ、異種の始祖となったお前、食事と排泄、生体活動に必要な補給を最低限で済ませられないのはリュオ先生だけだ。此処からはお前がリュオ先生をサポートするしかない。頼んだぞ」
「りょ、了解!?」
「会話が途切れそうになったら、適当に歌でも歌え。その代わり、繰り返しにならないよう一番が終わったら、別の歌の一番からという具合にだ。いいな?」
「あ、ああ!! と、とにかく師匠を助けてくる!?」
「紙と水を持っていってやれ」
少年少女達を眺めながら、グラフマン……嘗て魔王と呼ばれた男は明け方になろうとしている世界を見つめる。
(此処もまた難所か……)
無限の安息はまた無限の地獄でもある。
この先に到達するまでどれだけ掛かる事か。
それを人が散々に知るだろう場所で彼らの悪戦苦闘が始まった。
*
―――??か月前【藩落-河湾城砦トルデ-】
仄暗い街角の中。
ネジくれ、捻られた芋虫のような蜂が一匹。
その黒い光沢と重厚な外皮も羽根が擦れる音もさせず。
静かに一本道を進んでいた。
―――【藩落-河湾城砦トルデ-】
複数の都市国家が覇を競い合っていたのも昔。
現在、藩落内においては都市間の物流にどれだけ食い込めるかという話題が上流階級では流行っており、その中心地として主に大規模河川の周囲にある地域を有する者達が名乗りを上げていた。
トルデもその一都市であり、主な財源と産業は河川から引いた膨大な水を動力に用いた穀物の大規模精錬と藩落内で最大である大型河川ベナウ川全域の水運だ。
水害対策さえしっかりとしているなら、水に恵まれた地には利しかない。
これは地政学的にも事実であり、トルデは正しく小さいながらも様々な藩落の商品が流通する要所として周辺国にも理解されている。
だが、そんな都市にも表の顔と同時に裏の顔があるのはあまり知られていない。
黒く禍々しい蜂が進んだ路地裏の奥の奥。
河川に面していながら、一見して壁しかないような構造の建物が中規模ながらも建っている。
何処から入るものか。
まるで出入り口も無いソレは二階建てであるが、それなりに幅広であり、高所には窓が幾つか。
そんな場所の一つで木戸が半開きになっており、蟲は高く飛び上がると内部へと侵入していく。
内部には数人の少女が殆ど全裸に近しい薄い布切れを躰に巻いただけの姿で屯していた。
エルフだ。
金髪碧眼の者もあれば、黒き肌にトパーズ色の瞳の者もある。
通常よりも長い耳を持つ者もあれば、身体つきが良い者もいる。
だが、見目麗しいのは一律だ。
少女達は狭い部屋に押し込められていながらも朗らかに明るく笑い。
一様に自分達に優しくしてくれた相手の事を語り合っている。
そんな物達の横を蜂が通り抜けて、通路に出た。
通路内にもエルフの少女達。
いや、少女のように愛らしい稚児もまたちらほらと混ざっている。
彼らも同じような衣服とも言えないだろう布切れ姿であったが、その様子は此処が自分達の集落かという程に安心し切っている。
蜂は通路を下に下にと降りていき。
エルフの幼児が詰まった階層を過ぎ去り、ようやく人が殆どいない領域へと入った。
恐らくは地下だろう場所は水が溜まった中央のプール状の場所に舟らしきものが中規模の帆船らしきものが一艘浮かんでおり、その周囲には積み荷と一緒に食料らしい袋が大量に積まれていた。
そんな一角ではエルフの少女が一人。
全裸で天井から伸びた鎖に繋がれて、鞭によって嬲られている。
いや、正確には嬲られていた、が正しいだろう。
その傷付いた躰が揺れる最中。
魔術具らしい黒い革製の長鞭がゴトンと落とされ、この施設を運営し、長年奴隷売買を行ってきた者達のドン……一般人には名前すら知られていないだろう六十代程の肥え太った男がグラリと白目を剥いて傾ぎ、ドッと倒れ伏す。
「や、やったぞ!? い、今、助ける!!」
その手に長剣を持って、男を切り伏せたのは少年だった。
だが、エルフではない。
人間の恐らくは十代前半くらいだろう。
その体には青痣と摩り傷、切り傷、今着いたらしき打撲傷と満身創痍。
しかし、それでも少年は鎖を引き上げていた巻き上げ機を迅速に操作し、今正に愉しみに為に拷問されていたエルフの少女を下した。
しかし、遅かったか。
その顔からは血の気が引いている。
また、心臓の音もそろそろ途絶えるだろう。
少女は少年に最後の力で何かを頼み。
少年は少女の死にやり切れない表情を浮かべた後、辛うじて気絶させた男が目を覚ます前に、手下達が帰って来る前にと急いで建物内のエルフの少女達を相手に走り回り、地下の船に乗るよう促した。
少女達が言われるままに帆船へと乗り込み続けて数分。
帰って来たと思われる足音が上層階から異変を察してドタドタと駆け下りてくるが、辛うじて……死んだエルフの少女以外は帆船に乗り込み。
少年もまた無念そうながらも、斃れた少女を目にしながら船の後部で歯噛みした。
船体水中へと沈んでいく。
そう、これは水中船。
水底を行く舟だ。
沈み切った帆船がトンネルを抜けてベナウの水深の深い奥底へと進んでいく。
それが丁度、闇に消えた時。
男の部下達は地下へと辿り着いた。
次々に確認をし、自らの雇い主に魔術による回復を施していけば、目覚めはすぐ。
男が周囲を見回して、己の船が無い事に気付き。
激怒したままに追手を差し向けようとした時。
集まる彼らの背後でカタカタと音がした。
それに振り向いた彼らが凍り付く。
そう、其処には棺桶が一つ。
黒く黒く染まった開き掛けた棺があった。
その前で糸が繋ぎ直された操り人形のように事切れたはずのエルフの少女の身体が不自然な形で……まるで家から吊られているかのように動き出す。
『え、え……柄……得……e……E……』
「な、何だ!? 撃て!!」
大陸中央諸国から流出している人類の武力の象徴とすら言われ始めた銃。
小型ながらも精度もそれなりな拳銃が無数。
男達によって少女と背後の棺桶に向けられ、発砲。
しかし、弾丸は発射された一定の領域を飛翔した後、不意に消え。
彼らはカタカタと黒い瘴気が棺桶の中から漏れ出し、少女に注がれていくのをただただ引き攣った顔で見るしかなかった。
『英雄が必要だ。英雄が……エルフを護る英雄が、人を滅ぼし、人を刈る……エルフの為の……人の英雄が……』
その言葉は少女の生態を使っていたが、まるで死に掛けの老婆のようにも聞こえて、男達に吐き気と眩暈と心底を恐怖を呼び起こす。
震え出す躰を抑え付けて、呆然としながらも、撃て撃てと部下達に嗾け、後ろにジリジリと下がる雇い主の男は普通の者ならば即死という触れ込みの攻撃魔術を地下室一杯の範囲で用意しながら、退避用の後ろの通路へと足を―――。
『英雄が必要だ』
「な?!」
男は地下通路。
その途中、“廃棄施設”の中からソレらが出て来るところを目撃した。
ソレは彼が今まで悪戯に己の欲を満たす目的で使い潰した……エルフの子供達。
その亡骸はしかし好事家に高く売れ、触媒にも出来るからと保管されていた、そう……そのはずだった。
が、男は後ろからやってくる者を見て血の気を引かせる。
その首から上には頭部が無かった。
代わりに黒い立方体がゆっくりとランダムに回転している。
その得たいの知れない何かから棺桶の前にいる少女と同じ声が秘儀いているのだ。
よく聞けば、カキュン、カキュンと小さな音が廃棄施設の奥から聞こえてくる。
『人よ。悪辣なれ。人よ。この子らを愛せ。人よ。愛し、育み、子を産み落とし、我らを増やせ。増やせ。ふ、やs。人よ。人y。hいtよ』
あまりの薄気味悪さに連射された弾丸は……誰一人傷付ける事なく。
彼らは今や身を寄せ合うようにしてガチガチと噛み合わぬ歯を震わせて、近付きつつある破滅を前に涙を零すしかなかった。
『下等なる知は要らず。優越する血を欲する』
その言葉に咄嗟、男がこいつらは下等だが、オレは上等だという弁明を述べようとするも、それより先にカシュンという音と共に彼らの上半身は全て消え去って血が周囲に溢れ出す。
『種を収穫せよ……次なる子らを為す為に……人を取り込み、人を超え、人に守られ、人G人o滅ぼすように……我が子らy』
立方体を頭部に持つ少女達の亡骸が男達の下半身に手を伸ばし、その重要な部分だけをそっと千切り取り、新たなる命を得る為に廃棄施設へと戻っていく。
『悪辣なる人と良き血と良き心持つ人の子を集めよ。良き種が我らが子らを更なる高みへ導くように……人から英雄を取り上げ、人より可能性を取り上げ、我らエルフの理想郷おkonちにkえngえnさせる為ni』
棺桶が闇に消えていく。
少女もまた消えていく。
しかし、施設は残り。
二日後、まだ奴隷商を続ける者達の一党が密かに其処を発見し、確保し、エルフ奴隷の売買で一山当てようと人買いを始めた。
その物件を使っていた前の連中はどうしたのか?
彼らはついぞ知らなかったが、導かれるように上手く上手く儲けを出した彼らがその二月後には“前任者”と一緒の末路を辿った事は確かだ。
繰り返される日々。
何処からか現れる大量のエルフ。
少しずつ消えていく商人。
まだ売買され続けている人の奴隷。
いつも其処に放置されている帆船。
そして、帆船が向かう人知れぬ場所。
誰にも気付かれず。
誰にも悟られず。
善良なるエルフを救うべく動き出す者達は増えていく。
まだ幼くとも、まだ未熟だろうと……この愛すべき真に守るに値する少女達の為なら、悪辣なる人を滅ぼすのも辞さない……そんな彼らは勢力を増していく。
大陸のあちこちで、少女達との愛を育みながら、自らの子を儲けながら、増え続ける“同族”の為にやがて立ち上がるだろう彼らは正しく英雄であった。
それが例え如何なる悪意の上にある事実だろうとも、彼らに悪意の一欠けらすらない事は……言う必要も無い真実に違いなく。
人社会を向上させたかもしれない技術を閃く者。
人の世を救うかもしれない薬品を調合し得た者。
人の国をより良く変え得たはずのカリスマを持つ者。
一つ一つは小さな可能性に過ぎずとも、抜き取られた人の才能はエルフの側に積み上がっていく。
やがて来るべき日の為に。
「行こう。僕らだけの場所を探そう」
その日も何人目になるかも分からない小さな英雄は……いつかの誰かと同じように声を張り上げ、愛しき少女達を連れて、彼らの楽園が許される場所を求め、旅立ったのだった。