第一章三節「広漠」
ティアとヴェルの旅は佳境に差し掛かりつつあった。
世界の広さなんて感じる暇もなく奴隷とされたヴェルにとって、その十数日間の旅は驚きと興奮と震えるような感動に満ちていた。
傍で笑いながら手を取って先を進んでくれる彼。
夕景を見つめる何処か悲しげな横顔。
それを傍で見たのは幾度も体を触れ合わせたのと同等以上の喜び。
たぶん少女にとって一生忘れられない思い出だった。
口付けもまぐわいも無く。
それは別の大切な人の為に取っておくようにと微笑む彼。
ヴェルにとって既に教会の奉じる見知らぬ神様より尊き彼。
その彼への想いが何という言葉なのか少女は知っている。
人が最も大切にするもの。
恋。
あるいは愛。
救われたからそう思うのか。
優しくされたからそう思うのか。
確かにそうかもしれない。
けれど、理由なんてきっと多くない。
少女(ヴェル)は少年(ティア)の事を何も、殆ど何も知らないのだから。
だから、彼が何を好物にするとか、何を好んで何を好まないのかとか。
彼女は知らない。
教えて欲しくてもそんな時間は、無かった。
「もう少ししたら、ファサルトス皇国連合の国境地帯。端のエルデナンド皇国領の奥ならちゃんとした七教会の小さな支部が幾つかあるはずだから。もう少し頑張って。ヴェル」
「…はい」
本当なら沈んだ声なんて聞かせたくない。
少女はそう思う。
でも、終わってしまう。
旅の目的は達成されてしまう。
少女を教会に預ける。
それだけの為に沢山の旅費と行為を費やしてくれた少年へ。
少女が出来る事は少ない。
その少ないものの一つが笑顔とか聞いていて気分が良い返事とかだったはずなのに、少女はやはりそう出来なかった。
少しずつ舗装されていく道は歩きやすくなっている。
傍らを馬車や旅人がすり抜けていく。
「……」
足が遅くなっている事をきっと分かっている少年はそれでも何も言わなかった。
後、何歩歩けば別れの時が来るのかと。
そればかりを考えてしまう少女はついに足を止めてしまう。
「ヴェル。どうかした?」
「…行きたくない」
「?」
「行きたくない…です…」
悔しくて。
情けなくて。
こんなにも目の前の人を困らせて。
馬鹿で愚かで浅ましい自分を殺したくなって。
涙がポロポロと零れ落ちて。
それすら同情を引く行為だと自分が嫌になって。
少女は目を瞑って泣いた。
「行きたくない…よぉ…」
哀願しても聞き入れられないのは分かっていた。
本当に少年は自分の事を考えてくれているのだと少女は知っていたから。
少女にとってそれは何より嬉しい事で、けれど、悲しい事で。
未来の為に。
幸福の為に。
少年は少女をそう導いてきたのに。
その全てを無碍にしようとしている。
そう自覚して。
「泣かないで…」
優しく。
いつものように頭を撫でられながら、少女は少年の胸元に顔を埋めた。
往来である事なんて忘れて。
奇異の目で人々に見られているのに。
「教会までは後一晩あるし、ゆっくりしていこう。ね?」
答えず。
なんて無礼なのかと。
自嘲すら沸かない悲しさの中で。
少女はそっと己の無力と愚かさを噛み締めて、頷いた。
ほんの僅か。
コクンと。
*
泣き出してしまった少女を慰めながら、少年は傍にある何処かで休めないかと見回していた。
(確か此処の近くにアレが群生してるはず)
いつ聞いた記憶か定かではない情報。
僅か目を閉じ、意識を集中した少年はすぐにソレを見つける。
「ちょっと、遠回りになるけど」
そう言って、傍らの少女の手を引き、少年が歩き出す。
街道沿いからそれた道行は広大な平原の方角。
落ち着いてきた少女の歩みに合わせながら、少年はとある場所を目指した。
それから三時間は歩いて。
中天に太陽が掛かる頃。
小さな峠に二人は差し掛かる。
「君に見せたいものがある」
「何、ですか?」
涙がようやく乾いた視線がようやく少年に向く。
「まぁ、此処の地域でももう知らない人が多いらしいから、人はいないだろうし」
「?」
「本当に大切な事はそんなに多くない。どれだけの人生を歩んでも…きっと…」
何を言われているのか分からず。
それでも少年に促されるまま歩いて。
やがて、峠を越えるまで一息の場所まで二人は来た。
「少し目を瞑ってて。大丈夫。手は握ってるから」
「は、はい」
キュッと言われるがまま目を瞑った少女の手を取り。
少年は僅かな距離を先導する。
「いいよ」
目をヴェルが開けて。
「――――――」
言葉も無く。
少女は目の前の光景に見入った。
たぶん、小さな村一つ分もあるだろう。
白く小さな野花が辺り一帯を覆っていた。
見える限り一面の白い大地。
汚すものも無く。
見るものも無く。
たぶん、足を踏み入れる者も無いのだろう場所。
「行こう」
坂を下りながら少年が固まっていた少女を振り向く。
慌てて少女が少年を追った。
少女には花を踏まずに歩く事が出来なかった。
誰もいない花園に黒い足跡を付けた少年が座る。
傍まで来た少女もそれに倣った。
「此処は…」
まるで現実味の無い風景。
こんなにも綺麗な場所なのに周囲に人は見えない。
白い絨毯の終り付近には木々が生い茂って周囲から隠しているとはいえ、それでも人がいないのは不思議な光景だった。
「昔、此処には小さな村があった。たぶん」
「村が?」
「そう。時の戦乱で沢山の村が焼けてしまって、何一つ残らない更地になったけど、その時の領主が焼けた村々にとある花を植えるよう言った。領民は怒ったよ。こんな時に花を植えろだなんて馬鹿げた話だって。それで領主は反乱にあって死んじゃったって言われてる。でも、その話には続きがあって」
楽しそうに話す少年を少女はジッと見つめた。
「人々の一部が言われた通りに花を植えた。それは弔いの意味もあったって。それで戦乱が終わって、人々は貧窮して、その時、食うに困った子が花を売ってたんだ。そうしたらその子は旅人に言われた。どうして、そんな汚い手押し車にその花を入れているのかって」
「この花は高価なもの…なんですか?」
「うん。その花が薬として高く売れるって知った人々は飢えを凌ぐ為に焼けた村々に植えた花をありったけ売った。それで領主を殺した事を悔いた…まぁ、昔って言ってもだいたい五十年くらい前の話で、今じゃ花よりずっと効き目が良くて安価で安全な薬が手に入るようになったから、誰も取らなくなって、こうやってあちこちの廃村跡で群生してる」
「どうして、その、これを…」
「昔、仲間が言ってたんだ。此処にいつか来てみたいって。綺麗な光景に違いないって。此処は願いの園って呼ばれてたから」
「願いの園?」
「昔からこの花には花言葉があって、それが“君の願いを想う”っていうものだったから。その言葉を勘違いした人が願いが叶う場所だって噂を立てて、一時期は旅人に評判だったみたい」
一輪の花を摘んで、少年はそっと少女の頭に飾った。
「仲間の一人は言ってたよ。どうしてこの花言葉を作った奴は“君の願いを叶える”にしなかったんだって。もし、そうしてたらもっと浪漫があったのにってさ」
「理由があるんですか?」
「この花、何に効く薬だと思う?」
「…ごめんなさい。解りません」
「謝らなくても。正解は男性機能と女性機能の賦活。要は男のアレを勃(た)たせて、女性の月のものを正常に戻すとか。そういう効能」
「え…あ、えと///」
「ごめん。驚かせた?」
「あ、そんな、わ、私は…」
オロオロして赤くなる少女に笑い掛けて少年はもう一輪花を摘んだ。
「たぶん、君の願いを想うっていうのは、そういう病や子供が出来なかった人が付けたんだろうって話になってる。だから、この花言葉は互いを思いやる言葉なんだって、仲間の一人が言ってた」
少年が何を言いたいのか。
どうしてこの場所に連れてきたのか。
少女は未だ分からなかった。
だから、少年をまっすぐに見つめることしか出来ず。
「僕はこれと同様。君の願いを叶えてあげられない。君には君の人生が、僕と関わって得られるより大きな幸せがある。でも、君の願いを想う事は出来るから。僕は君がこの先の人生で沢山の願いを叶えられるように想おう」
「ティア…」
潤み始めた瞳を俯けた少女。
少年がそっとその顎を指で持ち上げる。
花が僅か口に含まれ折られる。
「少しの間だったけど、君と居られて良かった」
「わ、私は!!?」
次の言葉が何かを決定してしまう気がして。
遮ろうとしたヴェルの言葉はそっと口付け越しに封じられた。
「ここから先はきっと、僕の弱さで…君を少しでも巻き込む愚行で…罪だ。けど、僕も一応、男だから…君に…」
少女は花々の上に押し倒される。
(この人は私の願いをこんなに震えながら…それなのに私は…)
謝る表情は泣いてしまいそうで。
自嘲する笑顔に「ああ」とラタウト・ヴェルガナはようやく少年の事を真に一つ理解した。
少年の笑顔は他が為のもの。
心から誰かの為に浮かべるもの。
だから、自分の為の笑顔を少年は浮かべられない。
自分の為にはあんなに優しく笑えない。
それが悲しい程に優しい少年の真実だった。
「ヴェル」
今度の口付けは仄かに甘かった。
花の匂い。
微かな蜜の味。
酩酊にも似た安らぎを舌で交わして。
雛に餌をやる親鳥のような少年の接吻が続く。
スルリと少年の手が少女の服を脱がした。
紐を解いていく手の感触。
生まれたままの姿になる頃には少女はもう羞恥すら感じなくなっていた。
今まではずっと宿屋の部屋の中で少年に少女から触れてきた。
しかし、今その時は少年がただ花園で少女に触れる。
「綺麗だよ」
そう大きくない乳房のふくらみにそっと口付けられた瞬間、少女は自分が何を求めていたのか知る。
いつもいつも本当は自分がしてもらっていたことに気付く。
少年を求めていたのは本当。
けれど、それはまるで自分を慰めているような行為だった。
少年を理解もせず、ただ自分の欲望を受け止めてくれる人にぶつけているだけだった。
少女が本当に望んでいたのは相手から望まれる事だったのに。
一方通行の想いが実るはずも無かった。
だから、此処から先は、この時だけは少女が本当に願う交わり。
「くぅん!?」
そう鳴いて。
自分のはしたない声すら気にせず少女は少年の頭を撫でる。
自分の乳房を優しく食みながら、ぼんやりとして。
頬を赤くする少年を愛しく思う。
もう一つの手で反対側を触られ、指が怖がるように優しく触れる頂点の感触が脳裏を犯す。
何も考えられなくなる。
「ふぁ…ぁ…ん…ひぅ…てぃあ…てぃ…ぁ…」
少年は何も言わず。
食んだ女の母性から口を離して、その舌を少しずつ下げていった。
舐められた肌が火照り、熱さに吐息を漏らして、少女は自分のすじが完全に濡れてしまったの感じた。
やがて、腹部から下に降りた舌が少女の未だ何も生えていない丘へと進み、少女の体の奥、秘められた場所の上に来る。
(あぁ…私の…赤ちゃんの部屋…ティアに…感じられ……)
口付けが成された。
幾度も。
肌の上から伝わる感触は些細なものなのに、少女の胎はその感触に歓喜し、雌として震える。
そこに少年が欲しいと少女は願った。
少年の匂いがする喉を潤し焼いてくれる甘い子種を望んだ。
「てぃあ…わたしに…あかちゃんの部屋に…てぃあの…子種を…ください」
「僕は君を不幸にする。けど、それを悔やまない。きっと……」
少年は外套も服も全て脱いで。
少女と同じ生まれたままの姿で少女に覆い被さる。
「ひぅんんっ!? てぃあっ、てぃあの…たくましくて大きいのこひゅれてぇ♡」
悦びの声が淫靡な自分すら気にならなくて。
少女は秘部を合わせ擦られただけで嬌声を上げた。
動きは緩やかなのに達してしまいそうな快楽を何度も受けた少女のそこはもうグズグズになっていて。
もう少年との交わりだけを望んだ場所の突起は痛いくらいに膨らんでいて。
「てぃあ…くらはい…わらひに…てぃあの…いっぱい、ひぅう?!」
少年の幹が少女の割れ目を押し開いて沈んだ。
「ヴェ…ル…んぅっ、く…」
トロトロになったそこは初めてとは思えない程に襞を少年に絡ませて、突き破った瞬間すら、少女はただ甘い衝撃に融けながら呻くだけだった。
赤いものが一筋少女の尻を伝って、それを押し流すように女になった証を蜜が溢れていく。
「はいっれぇ…てぃあ…ふかぃよぉ…てぃあぁぁ…」
呂律も回らないまま少女の中は少年を初めて受け入れるはずなのにもう少年の形を覚えたような動きで腰を深く深く奥まで誘った。
「ひぅぅ?! 届いてぇ…あかひゃんのへやにぃ…てぃぁ…」
最も奥。
少女の子宮口が先端を食んで離さず、足は少年に絡みついて大きく動く事も出来ない。
にも関わらず。
ほんの少しの動きで息が続かない程に甘い快楽が二人の間を行きかう。
「ぐちゅっれぇっ!! いっれまひゅぅ!!?」
少年は引き抜かず。
ただただ、押し込んだ。
少女はそれを悦びの中で受け入れ、何処までもと少年を抱き締めた。
「んぁぁ?!! てぃあぁてぃあぁああ!!!」
少年の瘧(おこり)のような体の奥から込み上げてくるものを少女は感じて、弓のように美しく体を引き絞って、誘う。
「もう…ヴェル…ッッッ!!!」
少女が達したのと少年が達したのは同時だった。
しかし、少女は次に来た熱い、本当に湯のような熱さの少年の子種を、白濁の塊を子宮口に受けて、絶頂した。
「―――ッ?!!」
声にならない悲鳴。
「てぃあの、あかひゃんのへやにれてぇえええええええええ?!!!」
一度ではない。
脈打ち続ける幹から少年が何度も何度も精を少女の子宮へと満たしていく。
「ぁ゛ッッあ゛ッッッ!!!?」
少女は涙を零して、唾液を垂れ流して、舌を狗のように突き出して、ただ雌の顔で少年の大切な子種を一滴も逃さないよう無意識に腰を使って、射精を更に促した。
雄の本能のまま、少女を征服し、種付けし、自分のものにする行為に、少年は夢中で、しがみ付く。
一分も続いただろう射精に少女はその身を震わせながら、膨れている胎の中央に少年から孕む為のものを得た感覚を幸せに思う。
そうして彼女は七度目の絶頂を受け入れて、意識を落とした。
「ひぅ…てぃあ…てぃあ…てぃぁぁ…」
目は開いていても名を呼んでいても少女は空ろな瞳。
それでも愛しい者に口付けるのは少年を深く想う故か。
そんな状態の少女を想い。
少年は何度も孕ませようと吐き出した精に濡れる腹部を撫で。
少女の耳元でささやく。
「可愛いよ…ヴェル…膨れたお胎(なか)も一杯僕を受け止めてくれる割れ目も…こんな風に乱れて僕の子種を欲しいってねだる顔も…全部…」
「ひぅん?!」
少年の賛辞に少女は八度目の絶頂で未だ繋がっている少年の幹を何度も絞ってしまう。
「今日はまだ時間があるから、一杯しよう。君が良ければ……」
「てぃぁぁ…わらひにあかひゃん…はらまへてぇぇ…」
「そうなったら、きっと…凄く嬉しいけど…どうかな…僕は…」
少年の顔に過った影は少女には見えず。
再び少年は少女の緩んだ足の分だけ引き抜いて少女の中に己の幹を埋めていく。
「ひぁ!? ひぅぅぅぅぅッッッ!? てぃぁぁぁ!!!」
悦びの中で少女はその日、何度達したのか覚えていない。
目覚めたのは次の朝。
体を清められ、服を着せられて、何も無かったように教会へ向かう少年の背中での事。
それでもただ己の奥。
全てを満たしている少年の想いを感じて。
再び疲れ切った心地よい眠りに少女の瞼は落ちた。
二度目に起きれば、そこは教会の中。
もう出会わぬだろう少年の影を求め視線を彷徨わせた少女は胸元に一枚の紙片を見つけた。
そこにはただ一言だけ。
“君の幸せを願ってる”とだけ、あった。
それ以来。
少女は、ラタウト・ヴェルガナは。
あの優しい少年が安心していられるように。
泣いてしまわないように。
果てなく終わりが来るまで人生(しあわせ)を謳歌しようと努力を怠っていない。
それが一人の奴隷と一人の少年の細やかな物語の終りだった。
*
【ファサルトス皇国連合】は言わば自治州の寄せ集めと言える。
七教会による戦後処理において各国家を州にし、それを集めて巨大な一地域にするという流れは必然的に多くの国家に危機感を齎した。
王政の廃止や議会制民主主義の台頭が貴族を筆頭とした既得権益層を大いに刺激した為だ。
それでも誉れ高い七聖女に表立って刃向えば、潰されるのは必至。
故に教会を排斥する事も出来ない各国家は皮肉にもその体躯を巨大化、発言力を強める動きに出た。
そんな理由で嘗て大陸を治めるに値すると言われる血筋が残る皇国を軸とし周辺国が統合された連合国家こそが【ファサルトス皇国連合】だ。
教会に寄らずとも【近代化】くらい出来ると嘯(うそぶ)いた国家群だったが、その屋台骨は最初からガタガタと音を立てていたし、離反する動きを抑えるので手一杯という有様でもあった。
そこに降って沸いたような知らせが一つ。
内密にと連合に教会側から齎された凶事の名は“魔王の配下。
その残存勢力の侵入”である。
大混乱に陥った連合側は既に一部の国が独走する状態にまで陥っていた。
「大司教閣下」
荘厳な聖堂。
皇国連合の端には勿体ないと民には囁かれる祈りの場。
教会とは縁薄い連合の端【エルデナンド皇国領】にある大聖堂の廊下で王が一人告解の場に座って、唯人(ただびと)として罪を懺悔していた。
その頭には冠もなく。
その体には装飾もなく。
質の良い絹で編まれた服を着ているだけの姿は初老の何処にでもいる小父さんといった風情。
「私は罪を犯しました」
王の告解。
それが如何なるものであるのか。
遮られた部屋に開く穴越しに司教は目を瞑って聞いていた。
本来ならば、もっと親身に話し掛けるのが普通だが、その罪自体に携わってしまった司教にしてみれば、無言で頷く以外に出来る事は無かった。
「私は七日前あの情報を聞き、恐れました。まさかと。そんな事があるわけがないと。ですが、教会は我が国、いや皇国連合内部へ追討部隊を派遣してきた。このままでは我が国も連合も終わりだ…そう思い私は…私は自分で戦いもせず…ただ他の大貴族達に言われるがまま…あの子を…あの子を…あの教会の連中が今日教えてきた次の野営地点になると思われる場所にッッ!!! 置いてくるよう…ッッッ、司教閣下ッッッ!!! お許しください!!! 神の御恵みを!!! 私はただこの国を!!! この国の為にあの子を生贄に差し出しただけなのですッッッ!!!」
人間の本性。
慈愛も残酷も併せ持つからこそ尊い性(さが)か。
己の為に罪を許して欲しいと。
許すべきだと。
傲慢に涙して王たる身が独白する。
「大丈夫」
司教はその罪の一端を背負っている己に内心嫌気が差して、それでも区域の教会を長らく治めてきた声で、王を許す。
神の声ならずとも人を許す傲慢に身を震わせながら。
「あの子は貴方の子の中でも最も聡く、最も尊い血を引く者。例え、王位に付けぬ身だとしても、皇国連合の為、必ずや説得してみせましょう。きっと、清き乙女の願いに心動かされ、魔王の残党も此処をただ通り過ぎてゆく事でしょう」
そんな都合の良い話はない。
王が我が子を魔王の残党に差し出したのは確かに兵を損耗させ、七教会の実働部隊をこの地域に呼び込まない為だったが、その残党の情報は何一つとして連合には出回っていない。
教会側はあくまで部隊の駐留を求めてくる。
それを跳ね除ける策も無く。
どうするべきかと窮したところで何処かの貴族が言ったのだ。
生贄を差し出そうと。
馬鹿な。
そんな事をして何になる。
そう誰も言わなかったのは一重に自分達に何の力も無いと知っていたからだ。
連合端の小さな国であったエルデナンドは穀物に乏しく軍事も弱い。
そんな小国の兵力で世界の全種族が統一された大軍団を相手にして尚上回ったとされる魔王の残党が撃退出来るわけがない。
超常の力も魔術も有さぬ人間種の弱小国が取れる方策は一つ。
天災と思い、全てが過ぎ去るのを待つだけだ。
そこに古来からの悪習を持ってきて、きっと、たぶん、大丈夫なはずだと自分達を安心させたい一心で生贄を探し、王族にして居なくなっても構わない貴人を見つけた。
「あの子はあの大陸を半分治めた大皇閣下の血を三十二分の一も引いている」
何が三十二分の一だと自嘲し掛けた声を立て直し、司教は目の前の愚かしい父親に優しく告げる。
「あれ程に聡明な子は今までいなかった。貴方の十二番目の皇女殿下は必ず、この国を救う新たな聖女となるでしょう」
「そ、そう言って頂けますか!!! 司教閣下!!! ああ、ああ、私は、私はッ!!」
司教はもう王の言葉を聞いてはいなかった。
自分も同罪であると十字を切りながら、つい先日まで神学を教えていた聡明な皇女を思い出す。
(貴女はこれ程に愚かしい者達の為に生贄になるつもりなのでしょうな皇女殿下。このような薄汚い権威(ろうごく)に囚われて尚貴女が語った自由の二文字。我が生涯に二度無き御言葉だった)
一人の少女は自由を得た。
そして、その自由と引き換えに死ぬ。
あまりにも愚かしい愚昧なる者達の為に。
その反吐が出るような現実にそれでも聖職者として笑顔を浮かべ続ける男はただただ王が乱心せぬように柔和な言葉で安心を売った。
その見返りが教会の繁栄というのもまた業深き事なのだと諦観に囚われながら。
*
子供騙しの稚拙(ちせつ)な童話など嫌いだ。
物語に出てくる人間達の悪も正義も軽くて嫌いだ。
「イフィミスラ様。許してください」
悪者に浚(さら)われた姫が騎士に救われる処など反吐が出る。
「どうかお許しください」
現実はそんなに甘くない。
「イフィミスラ様に永久の耀きがありますよう」
加護を与える者はインチキ臭い。
「とこしえに愛しています。イフィミスラ」
物語で囁(ささや)かれる愛のなんと軽い事か。
「必ず。必ず。我等がお救い申し上げます姫」
出来もしない事を言う騎士に誠意はない。
【イフィミスラ皇女殿下に敬礼――――ッ!!】
つまりは生贄(ぎせい)。
そこに意味があるとするならば、権力闘争の相手が減る事くらいだろう。
だからこそ、たった三日で誰にするか決まった。
居なくなっても困らない人間が選ばれたのだ。
この世は地獄だとあの司教ならば言うのかもしれない。
自由を求めて。
自由を語って。
ようやく手に入る自由は死であるならば、それはきっと世の真理。
【イフィミスラ皇女殿下バンザァアアアアアアアアアアアアイ!!!!】
【大皇の血を引く皇女殿下バンザアアアアアアアアアアアアイ!!!!】
【我らが皇国連合に栄光アレェエエエエエエエエエエエエエエ!!!!】
行列(パレード)には大勢の市民が駆け付けた。
いや、駆け付けた、という体裁を取らされていた。
こちらに向けられる視線は憐憫よりも不安が強い。
きっと、お触れでも出したのだろう。
何となく理解していた。
だって、どう見ても一般人が少ない。
いるのは商人や下級貴族が主でその使用人がちらほらと見えるだけ。
宮から道を埋め尽くした虚偽の民衆の群れは道行の最後の方には殆ど見えなくなって。
大門が開かれる時には既に皆無となっていた。
涙は無い。
涙は無い。
そもそも可愛がられた記憶もない。
好きだった人はもう死んでしまった。
この場所に母が来たのは政略結婚。
好きでもない男に抱かれるなんて死んだ方がマシだっただろう。
それでも、そうだとしても、自分を産んでくれた母。
継承権無きに等しい身だろうと生きていなければ、素晴らしいものとも出会えなかった。
母や母との思い出は無かった。
だから、この命の使い方は母が望んだ通り。
この国の為に使い果たそう。
断じて。
そう断じて、この身は下種な貴族や力なき父の為の贄ではない。
この地に生きる全ての人々とこの地に息衝く全ての生命。
自分を育ててくれた世界と我が身の自由の為にこそ、この身の犠牲はある。
決して出る事叶わなかった最期の城門が開いていく。
此処から先は死を見つめる旅路。
もし、これが最期ならばと振り返る事もない。
未練は無い。
未練は無い。
――――――さぁ、世界よ。
――――――この世の悪意を全て持つとされる魔王の眷属。
――――――その負け犬の残党が我が最後を看取る者ならば、せめて驚きと好奇を満たす者とせよ。
――――――我が血潮を喰らう化け物ならば、我が満身の怒り全てを満たせる者とせよ。
――――――もしも、そうでないならば、もしも、違うというのなら。
――――――あの大衆の読む、甘き恋路に堕する美しき魔のように、我が心を瞬きの間に殺せ。
「ふ、ふははははっ、あははははははははははははははははははははははははは」
ギョッとして振り返る馬車の御者もお付の侍従達も顔を引き攣らせ。
この皇女殿下は狂ったかと。
ああ、憐れな皇女殿下様と。
まったく失礼にも程がある顔で我を見る。
「何でもない。何でもないのだ」
全てに開き直ったら。
もう門は開いていた。
さぁ、物語を始めよう。
これより語られるのは始まりにして終わりの物語。
ただ1頁(ページ)で消える不出来な話。
それは変わり者の皇女殿下とまだ見ぬ悪徳の下郎が織り成す悲劇。
いや、喜劇。
「知らなかった。世界はこんなにも広いのか」
門が開き。
「今日は…晴れていたのだな」
我は世界の広さと同時に人の愚かさを知った。
思っていたよりも、想像していたよりも、自由とは寂しいものなのだと、そう知った。