―――天蓋蒼星最終層『黄昏白夜』
小麦が穂を揺らす田園。
瀟洒なものは一つもなく。
牧歌を伝える童が奔る畦道。
吹く風は秋にしては緩く。
仄かに陽光の匂いがした。
山間の黄金の海は森林の中を奔る道に沿って。
続く街道の先から人を運んでは風光明媚と呼ばせるだろう。
そこは平和だった。
そう、平和としか言いようのないもので満たされていた。
そして、彼らが到着した時。
1人の少女は一冊の本を閉じて。
椅子に揺られながら庭先から見えるなだらかな坂道の先。
来訪者達を迎える。
本来の道を来ないモノには煉獄を以て待ち構える無限の剣獣の檻。
正しき道を来るモノには朗らかな陽が射した穏やかな田舎町。
天候はとある一族の儀式術によって変わらず。
実りは良く。
人の気性は安らかで。
世界最古の法術師の一族とも噂された彼の者達の名は―――。
「ウェスティアリアの統治領か」
少女はズカズカと庭先から入っていったが、仲間達を後ろに待たせて、今も安楽椅子に座って手を手前で揃えた老婆のようにも振舞う少女を見やる。
「こんにちわ。イフィミスラ・ハージェット・テトス・エルデナンド」
「ハティア・ウェスティアリア。神域の魔導聖女とお見受けする」
「堅苦しいあいさつはこれくらいにしておきましょう。どうしますか? お茶ならありますけど」
「時間が有ればな」
「有りますよ。此処は時が殆ど止まっています」
「そうか。ならば、頂こう」
「後ろの皆さんにも振舞わせて下さい。大丈夫、毒なんて此処にはありません」
「……此処には、か?」
「はい。此処には」
守護者ハティア・ウェスティアリア。
嘗て、旧き法術師の一族の末にして滅びた者達を弔う為に旅へ出た少女。
今や魔導を勃興し、神すら下す世界最強の魔術師の天敵にして魔導の祖。
英雄を伴侶に持ち、聖母として子を産み、女子供の守護者として今も大勢を救い導く真なる聖人。
彼女の行いによって多くの子供と女性達が救われた事は間違いなく。
大陸の歴史がどれだけ進もうと記憶され続けるだろう存在。
そして、聖女中最高の美貌と謡われた永遠の少女。
「あいつがお前を好きになったのはいつなのだろうな」
「え? 惚気ていいですか?」
「な、何?」
何かさり気無く笑顔で言われて、イフィミスラが固まる。
何か今までの聖女とは違う意味で危険な気配を感じたからだ。
「シンアが私に始めて笑い掛けてくれた時の事をお話しますね。アレは―――」
「ちょっと待て!? 何をサラッと惚気話しようとしている?!!」
「え、聞きたいのでは?」
「ッ……そういう性格だったか? 聖女ハティア・ウェスティアリアは」
「どうでしょうか?」
「それよりもお茶を出すのではなかったのか?」
「はい。そうでしたね。今、お持ちしますので少し待ってて下さい。そこのテーブルにどうぞ」
少女がイソイソと家の中に入っていく。
そして、紅茶と御菓子が数分で庭先にカートで運ばれてくる。
その間に仲間達を呼んで庭にあるテーブルと椅子に座らせたイフィーは溜息を吐いていた。
「何か疲れてるな。イフィー……やっぱ、此処に来る前にちょっと休んで来た方が良かったんじゃ?」
「そうもゆかぬだろう。外は今、大変な事になっているようだ」
「へ?」
「大陸西部で魔族の大襲撃があったらしい」
「マジかよ……」
「ああ、色々と我の仲間も動いているようだが、最終層と手前だけで半年以上。此処から先、普通の感覚でいるとマズイ事になりそうだ」
「お茶入れて来ましたよ」
「あ、ハティア様!?」
「しゃーい?」
「そうそう。世界で一番有名で美少女と噂の聖女様だ」
「そうなんですか? 確かにカワイイです」
何かサラッと人外少女の言葉が分かるようになったイルトが説明を始めて、ピアリがハティアを見て大いに美少女であると頷く。
「そんな、美少女だなんて。本当の事ですけど、照れちゃいますね」
「……(T_T)貴様、本当にハティア・ウェスティアリアか?」
紅茶のカップを手前に置かれながら、怪しげな視線をイフィーがハティアに送る。
「はい? 確かに私がハティア・ウェスティアリアですけど」
カップを置き終えて、青年の横に座った少女がニコリとしてイルトの横に失礼して座る。
それだけでミーハーなる青少年イルト・イナーシタはカチンコチンであった。
「我の知っているハティアはもっとこう……気安くない感じにちゃんと優し気な聖女だったのだが……」
「それは聖女のハティア・ウェスティアリアです」
「個人的にはこういう性格だと?」
「どうでしょうか。自分を偽っている。いえ、自分を押し殺して聖女である事を強いれば、ああいう性格になるんでしょう」
「つまり、聖女としての性格もまた本物だと?」
「それが幸せな事かどうかは分かりませんけど」
「……もしそうならば、お前の家族は随分と不幸だな」
「そうかもしれません」
「肯定するのか……聖女としての母しか知らぬ娘に夫……肩は……聖女なら凝らないか」
「ええ、肩は凝りません。そのせいで心はいつもボロボロですけど」
「仲間と旅をしていた時はどうだったのだ? そういう性格か?」
「そうですね……4人で旅をしていた頃はちょっとだけ猫を被ってましたけど、こういう地も出てたかもしれません。でも……」
「あいつが来てからは?」
「護って上げなきゃと思ったんです」
「………」
「私が生き返らせたんです。私が助けてあげなきゃいけないと思いました。精一杯笑顔で不安に思わせないようにしなきゃって……だから、ちょっとお姉さんしてたかもしれませんね」
聖女は紅茶を一口。
秋晴れの空を見上げる。
「嫌な女だな。お前は……」
「はい。そうですね。私自身もそう思います。でも、本物はそれすら思い出している暇も無いくらい疲れてるんですよ」
「疲れている、か……」
「あの子を産んだ時の事もそう。無理やり笑っているのが赤ちゃんにはバレちゃったんです。中々泣き止まなかった。クラルに言われるまで思い付きもしなかった……それくらい私は聖女でなければ、いけなかった」
「此処にいるお前は違うのか?」
「私は守護者のハティア・ウェスティアリアですから」
聖女は……否、少女は微笑む。
「……率直に尋ねる。あいつの欠片は何処だ?」
「この先に時間の捻じ曲がった空間があります」
「捻じ曲がった?」
「過去には跳べませんが、過去時点まで遡って更に奥へ向かう事が出来る。そうですね……夢と幻影と現実の狭間、膨大な時間を使える場所があるんです」
「その先に?」
「ええ、ありますよ。実は此処もうあの大きな竜巻の中心なので」
「ッ、階層を貫くアレが近頃見えないと思ったが、離れていたからでは無かったのか……」
「アレは見せ掛けだけ竜巻の形を取ってますが、実際には時空間の歪みが引き起こす渦です。此処はその中心……そして、その中心の更に深奥、巨大な無数の柱がたった1点に向かって収束していく世界がある……魔王の玉座です」
「そこがゴールか?」
「はい。そこにシンア……ティアがいます。階層は全てあの巨大な渦で繋がっていますが、それも一面でしかない。全ての階層の真の姿は全て深奥に続く柱なんですよ」
「心に繋がる道、か」
「そういう事です。そして、そこに最後の守護者が来ます」
「最後の守護者? お前が最終層の守護者ではないのか?」
「私は最終層の守護者です。ですが、魔王の玉座にも守護者がいます。その存在こそがこの星の管理者と言えるでしょう」
「聖女? いや、別のあいつの女か?」
「その言い方はちょっと……確かにシンアは気の多い方ですけど」
「それも分かっているのか?」
「私的には心に決めた1人の女の人を愛して欲しいですけど、
「まるで、自分のものであるかのような言い方だな」
「はい。シンアは私のものです。私が護って愛してあげなきゃいけなかったんです。そうしたかった……そう出来ていたつもりだった……でも、あの日……私達は聖女になって彼を殺し、自分の世界を救うか、全てを捨てて彼と共に逃げるか……選ばなければならなかった」
「一体、あの日に何があったのだ?」
「見ます?」
「何?」
「その代わり、皆さんには誰かの配役になってもらいます」
「体験させてくれると?」
「ええ、こう見えても路銀稼ぎの時は人形劇をやって日銭を稼いでたので。お芝居は得意ですよ」
「……危険そうだが、乗ってやろう。あの日の事だけは突き止めておかねばならないと思っていたからな」
「分かりました。では、今日の夜に……それまでのんびりしてて下さい」
「外の時間は確認出来るか?」
「どうぞ、お好きに……空間の壁に穴を開けておきます。皆さんはお茶をしたら、カップはそのままでいいですから、この家を好きに使って下さい。私の小さい方の生家なんです」
聖女がそうして歩いて道の先に消えていく。
「……なぁ、イフィ」
「何だ?」
イルトに少女が顔を向けた。
「ハティア様って案外本当は気安い感じなのな」
「あれが素なのだろう。ま、だからって一欠けらも同情はしないが」
「イルトさん。ハティアさんがお好きなんですか?」
「ふぁ?! なな、何言ってるんだよ。ピアリ」
「可愛い方でしたね。ピアリもあんな感じになったら、もっと可愛くなれるかもしれません!!」
「いや、うん……頑張れ」
「お前達、夜まではしばらく休んでいていいぞ。我も準備をしておかねばならないからな。家を探索するなり、少し周辺を散策するなりしていろ。もし何かあったら教えてくれ」
「りょーかい。ピアリ。シャイ。行くぞ」
「しゃーい」
「はい。イルトさんのお背中はピアリが護ります!!」
「あはは、オレもピアリの前は護っとく」
三人がそうして周辺の探索とマッピングに出掛けたのを見送ってイフィーが庭の中で小さな方陣を浮かばせる。
「………外との通信は不可能か。時間が止まっているというのは嘘ではないようだが……方陣は固定しておくか」
少女は庭に通信と探査用の術式を残してハティアの生家に上がり込む。
小さな木製の2階建てだ。
一家族済むならば十分くらいの広さがある。
手作りの小物や些細な事象を起す魔術具。
洗練された風合いと驚くような精緻さで編まれたタペストリー。
伝統工芸品に属するだろうものがさり気無く飾られた屋内は住む者に落ち着きと品格を育むだろう。
「………」
法術師一族の生家。
そう呼ぶよりは旧き良き時代の穏やかで豊かな生活。
派手さは無いが、誰もが笑って暮らせていた事を思わせた。
(ウェスティアリア家の邦領は今は確か聖女生誕の地として風光明媚な独立自治領になっていたはずだな。あそこが荒れた時期に当人が北東部の南北融和政策で全て抑え込んだおかげで他国領になっていながら最後には聖女の生誕地を領有するなど罪深いと時の国王が七教会に奉領、寄進したと聞く……)
現代、未だ人々の理知足らぬ地方諸国において領地を手放すなど、正しく七聖女の威光は地に満ちていると言っていいだろう。
暗く貧しいと言っても彼女が暮らしていた数年前の時期ですら、王族や貴族や士族のみならず、国民の多くも何とか食べるには困らなくなっていたのだ。
それを思えば、間接的にだが七教会の影響で食べられていた国民は多かったに違いない。
「女と子供の守護聖人、か」
二階に階段を昇って上がる。
螺旋状の木製。
登り切った場所からグルリと円形の廊下が広がっており、幾つかある部屋の一つにハティアと可愛らしい文字のプレートが掛っていた。
そっと開けて入れば、そこにあるのは至って質素な部屋だった。
必要なものは最低限揃っている。
クローゼットやら勉強用の机やら魔術に用いる触媒を入れた棚や木箱に入れられた薬草の類、様々な知識が載った本が入る本棚。
しかし、それにしても質素であると感じるのは個人の私物と言えるものが最低限しかないからだろう。
壁際にある花瓶には何も生けられてはいない。
しかし、壁際に飾られた絵画だけは強く個人の思い入れを感じる位置にある。
家族の集合した図だ。
いつでも寝台の上で横に視線をズラせば見える。
多くの家族と親族達。
その笑顔の温かな事は見ている者に伝わってくる。
部屋の主が物よりも人を願う性質である事はそれを見れば分かろうというものだろう。
「ああ、そして、だからこそ、今まで出会って来た者達の笑顔と引き換えにしたのか。お前は……」
それをとやかく言うつもりは少女には殊更無かった。
何を選ぶかは個人の自由だ。
そして、その結果に苦しむのも悩むのも好きにすればいい。
だが、未だに決着を付けようと少女の大切な者に刃を向けるのならば、それだけは決して許せる事ではない。
部屋を出て庭まで戻れば、未だ時間は過ぎていない。
しかし、不意に彼女は背後を振り返る。
「………フルー・バレッサ」
「はーい。信頼と実績の七教会七聖女筆頭フルー・バレッサの登場だよぅ♪」
「本物の方か。どうやって此処まで戻って来た?」
「いやぁ、苦労したんだよねぇ。無理やり突破すると何百万年とか適当に過ごさなきゃならない道とか進まなきゃならなくてさぁ。自己凍結したり、時空間の狭間にビーコン突っ込んで絶対出られない時空間の捻じ曲がった世界を無理やり砕いて突破してきたり、無限の敵を無限に亡ぼしながら進む回廊を10万年歩いてきたり、ホント魔窟過ぎだよねぇ此処」
「それはお前が正規ルートを進まず邪道に奔って来たからだろう?」
「はい。その通り。でも、突破出来ちゃうのが僕なんだよねぇ。主神級30柱分くらいの剣獣とかやってられないよぅ。やれやれ」
肩を竦めて聖女が溜息を吐く。
「で、消耗しているのか? お前は」
「あはは、まっさかぁ。ちょっと奇跡が使用不能で身に付けてる物以外は置いてくる事になっちゃったけど、それで僕が弱くなるわけじゃないし」
「だろうな……」
聖女を前にしてもはや肝は据わったイフィーがテーブルの椅子に腰掛ける。
「訊ねるが、今更あの馬鹿者の欠片が欲しいわけではあるまい?」
「封印を君達に解かれると面倒なんだよねぇ。止めてくれない?」
「却下だ」
「聖女に対する敬いとか足りないよねぇ。まぁ、敬って欲しいわけじゃないけど」
「目上の者に対する敬意くらいは持ち合わせているぞ。真っ当な相手ならばな」
「それを言ったら聖女の誰もが真っ当以外に該当するけど」
「自覚があるのではないか。だが、慎みは無いと見える」
「いやぁ、僕って慎みの塊だと思うけどねぇ」
「ほう? ご教授願おうか。どこら辺がそのツツシミとやらなのだ?」
「え? いやぁ、僕って何でも出来るから、逆に何でも出来ないようにしてるんだよぅ。そうしないと色々と都合の悪い人が一杯いるからねぇ」
「だろうな。一々、宇宙を粉々にしたり、宇宙を産み出してみたり、そんな事をされては敵わん」
傲岸不遜を地で行くのがフルー・バレッサだ。
椅子に座ってみれば、再び紅茶がいつの間にかカップには注がれて湯気を上げていた。
「あ、これはつるピカの紅茶を保存してたのだから、別に何か入れたりとか。そういう他意は無いよう。どうぞ」
「………」
おもむろにイフィミスラが紅茶を一口含んで。
「一級品だな……」
「ウチの副官は頼りになるからねぇ♪」
「ふ、その副官を使い倒して今の地位に君臨している者が言うと説得力が違うな。二つ訊ねたい」
「何かな? 何でも聞いてよぅ。僕って基本何でも聞かれて答えたかったら、答えちゃう方だからねぇ」
「お前はシンアを好きだったのか?」
「………それ聞いちゃう?」
「答えたくなければ、答えずともよいぞ。それが答えだからな」
「はぁぁ、君って友達少ないでしょ?」
「同志は多いから構わん」
「それを取り締まるのが僕のお仕事なんだけどねぇ……」
白衣の少女は眼鏡を僅かに片手の指先で弄った。
「僕にとってシンアは色々な驚きと発想、閃きをくれる人だった」
「発明のか?」
「そう……みんなといるのが愉しくて……自分の夢を追い掛けてるはずだったのにいつの間にかみんなと一緒に何かをしたいと思うようになってたっけ」
「幸せだったか?」
「それ三つ目の質問じゃない?」
「いいではないか。世間話なのだろう?」
「幸せだった。幸せ過ぎたかもしれないねぇ……」
「………」
「僕のお父さんは鍛冶としては神様よりも凄かったかもしれないけれど、人としてはあんまり娘に構ってくれる人じゃなかった。けど、それなりに心は通じ合ってた。だから、病気で死んじゃった時、お父さんみたいな。いや、それよりも凄い鍛冶師になろうと思った」
「成れたのか?」
「世間的にはそうかもしれない。でも、未だに僕にはあの剣が打てない」
「アイオンか」
「アレはね。シンア以外で唯一この宇宙が壊れても壊れないものなんだよぅ。恐らく外なる神々にすらも砕けない」
「永劫無尽の大業物。確かに聞いていた通りの代物だったが……」
「僕には才能が無い。父さんと同じ物を作れるだけの、越えられるだけの才能が……だから、技術の方に逃げたんだよねぇ」
「逃げたのか?」
「同じにはなれない。越えられもしない。なら、別の方から越えられるかなって思ったわけだよぅ」
「結果は?」
「それ聞く?」
「答えてくれるのだろう?」
「う~~ん。成功はしたよぅ。成功は……でも、未練があるのは本来の方なんだよねぇ」
「それで今度は七聖女業か」
「ま、人間自分の限界が見えると逆にやり易いもんだよぅ。研究者としては一人前になったと思うしねぇ」
「……で、好きだったのか?」
「あ~はいはい。好きでしたよぅ。大好きだったよぅ。男と女で赤ちゃん作るってどうやるのって二人で考えて実戦してみたかったよぅ。これでいい?」
「子供か。拗ねるな」
「自分で聞いた癖に勝手だよぅ……」
「それで怒っているわけか。随分と勝手ではないか。貴様にしてやりたかった事。仲間達にしてやりたかった事。全ては此処にある未練の塊……そんなものを見せるなと怒るお前は泣きながら大人に駄々を捏ねる子供以外の何だ?」
聖女は正面から少女を見据えた。
世間話として決着を付ける為に。
「そういうのが分かっちゃう相手ってやり難いよねぇ」
「お前に一番堪えたのが何かは知らないが、その怒りで八つ当たりするのは大人げない以前に聖女として。否、貴様を今まで支えて来た者達に対する人間としての冒涜だな」
「ふふ……臆さず、曲がらず、真っすぐだ。ああ、まったく、シンアは面倒な子を好きになったみたいだねぇ」
「それを面倒と感じるくらいにはまだ人の感情が残っているのだろう? なら、どうして全てを理解しようとしない。それを理解して赦してやれない。状況がそれを許さない? 今までの自分の流儀の反する? 何もかも下らぬ。貴様の人生だろう!! 聖女が何だ!! 開き直れば、お前とて単なる女だろう!!」
「……別に誰かに義理立てしてるわけじゃない。別に聖女の位だって本当の本当は投げ出したって構いはしない。けれどね。あの時の僕達の選択は間違ってなかったと。今もそう思うから……僕らは未だに聖女なんじゃないかな」
「断言しない癖に強気ではないか」
「僕こう見えて、最悪のシナリオってヤツをちゃんと想定してるんだよぅ?」
「ほう? どんなだ」
「僕とハティア以外の全員がシンアと和解した場合」
「それで?」
「皆は投げ出せる。だって、シンアが好きだったから。ハティアはシンアが好きだからこそ、絶対に自分を許したりしない。投げ出せたりしない」
「………」
「どんな出来事があっても前に進んだハティアは過去を否定出来ない。みんなと違って罪悪に塗れても苦しんでも決して退く事はない」
「決して、か」
「だって、それはシンアを二重に苦しめる事になるから。裏切ったのが間違っていたから、謝るだなんて出来ない。そんなのシンアがもっと傷付く」
「それを本人達が望んでいても?」
「……他のみんなは自分を誤魔化せもすれば、卑怯にも愚劣にもシンアを本当の意味で傷付ける事だって出来る。でも、あの子は―――」
「―――あの女は優しいと?」
「そうだよぅ。もう誰も傷付けないと決意したから誰かを傷付けてでもそれを遂行する。ハティア・ウェスティアリアは矛盾の塊だけど、過去を悔いても謝ったりしない。そして、僕はそんなあの子よりも性質が悪い」
「世界を滅ぼせる女が今更ではないか」
「……今まで色んな方法を考えて来たんだよぅ。シンアを倒す方法。滅ぼす方法……でも、どれも上手くいかなかった……」
白衣の少女は僅かに瞳を伏せる。
「本当は……本当の本当にしたかったのはきっと倒す事じゃない……僕はシンアに必要とされたかった……」
涙は零れない。
涙は流れない。
しかし、唇は振えていた。
「でも、本当に今更だけど、僕ってシンアの敵なんだよねぇ……シンアが僕が渡したものを使わずに危機を脱した時、僕は考えても見なかった。自分だけが特別で自分だけが与えられると思っていたものは……他の誰かが与えても良かったんだって事に……気付かなかった……」
「当たり前ではないか」
「……本当にしてあげたかった事は……与えてあげられなかった事は……あの時、あの場所で、その先にあった……僕はそう出来なかった……取り戻す事は出来ない……それは時間を戻したって覆らない事……」
「ならば、どうするというのだ。七聖女」
聖女は世間話を切り上げるように席を立った。
「シンアに僕はしてあげたい事があった。でも、もうシンアにしてあげられる時間は過ぎちゃった……だから、今一度、シンアには繰り返して貰おうと思ってるんだよぅ」
「繰り返す?」
「この数年、シンアの産まれ方を計算しててね。分かったんだ……シンアは確かに数多くの魔王の魂を受け継いでる。その輪廻転生の姿……大母……この世界の何処かで未だに生きている知的生命の母が生み直した存在」
「ッ、まさか?!」
「あの日、大母の力を僕は直に身に受けたんだよぅ?」
「―――ッ」
聖女フルー・バレッサがそっと眼鏡を外す。
そして、白衣を脱ぎ捨てた。
それと同時だろうか。
その髪が流れるように伸びていく。
「シンアの欠片を全て手に入れれば、再びシンアを産み直してあげる事が出来る。僕か、あるいはハティアか。きっと、どちらかで十分なはずさ♪」
「全てをリセットする気か!?」
「とんでもない。いつか、記憶は元に戻すよう。でも、それよりも先に僕達との幸せな日々と人格が強くなれば、きっと仲良く出来ると思うんだよねぇ。これなら傷付くのは君達だ。それを記憶が戻ったシンアは悲しむだろうけどね。君達を待たせたり、迷惑を掛けたってさ」
「貴様はまだあいつを傷付け足りないのか」
「これが最後だよぅ。それにハティアだってこれなら受け入れられるんじゃないかな。だって」
その時、イフィミスラは女の情念を見た気がした。
「好きな人を永遠に傷付けるなら、自分の手でってのが人情ってものでしょ? そして、傷付けても優しくしてあげられたら……それが勝手な事だとしてもちょっとは近付く気がするんだよね。あの頃に……」
「あいつを玩具にする気か……」
「何と言われてもいい。魔王を無力化するって大義名分があれば、ハティアだって優しく包んであげられるはずさ。それが君達にとっての絶望。そして、僕らがシンアを滅ぼさずに付き合って永遠に苦しんでもいいと思う妥協点だ」
聖女は微笑む。
今までのようなものとは違う。
女の笑みだった。
それだけでガラリと印象が変わる。
長い髪にただ眼鏡をしていないというだけだ。
しかし、白衣すらも着込まなければ、相手は別人のように輝き出す。
「あいつを好き勝手に教育して母親気取りとは恐れ入る」
「恐れ入ってくれたら嬉しいけどねぇ。でも、女ってそういうものじゃない?」
「身勝手な女を笠に着ただけの行為だろうに」
「それでもいいさ。好きな人を本当に奪うなら、何だってやろうと思う。それに理由を付けて上げるだけだよぅ。傷付くのは僕達と君達。シンアはそうなったなら、哀し気な顔にはなっても許してはくれるんじゃないかな?」
「―――本当に許してしまいそうなのがまったく困るな。ウチの魔王様は」
「何なら、ハティアや僕達の誰かが初めての人になってあげたっていい。子供まで産んであげれば、シンアだって魔王の自分を諦めるかもしれないよぅ? 全部、魔王を無力化する為って大義名分があれば、七聖女が何をしたって合法化正当化出来るしねぇ」
「この悪女め」
「結構。だから、言ったでしょ? 性質が悪いって」
「ならば、戦うしかないようだな」
「負けたら、君達は大人しくシンアを奪還しようとでもしてくれればいいよぅ。奪われるまでにしっかり僕達色に染め上げてあげればいいしねぇ」
「そこまで待つ気は無い。我の我慢も限界だ。あの馬鹿者にはあのまま言ってやりたい事が山程ある」
「別に器でさえあるなら、君達にそうしたっていい。シンアに新しい輪廻転生の仕方を組み込めれば、何回でも機会は巡って来る。君達が生きている限り、僕達が死なない限り、本人だけは蚊帳の外でも幸せな記憶だけが紡がれていけば……気付くまで幸せにし続けてあげられる……」
「何もかも忘れ続けて、か。それも確かに幸せなのかもしれぬ。だが、我が、我らが望むのは―――」
「分かってるよぅ。だから、君達と僕達は敵なんじゃないかな」
聖女が少女に背を向ける。
「さ、世間話はお終いだよぅ。これは僕が考えた魔王の……幸せな最後の滅ぼし方だ。先に行ってる。どうせ、君達の方が真っ当なルートだからねぇ。ゆっくり来たって追い付くよぅ」
そう言って、少女は消えて行った。
「……大馬鹿者には大馬鹿者の女が取り付くようだ。あいつだけが救われて、我々だけが取り残されたら……それは今まであいつがやってきた事と同じではないか」
少年は何もかもを置き去りにしても全てを救う為に戦い続けた。
それは確かに尊い選択だったのかもしれない。
少年にとって苦しくも決断しなければならない事だったのかもしれない。
だが、それに間違っていると言えるのが彼女だ。
彼女達だ。
その優しさに触れたからこそ。
置いて行かれるのを拒絶した。
共に付いて行こうとした。
その立場を入れ替えたとて。
残された者の哀しみは変わらない。
例え、それが幸せに沈んでいく安寧のような時間だとしても。
「一緒に……それがきっとあいつを救う唯一の……」
噛み締めた唇はしかし弱音を吐かない。
女がこうと決めたのだ。
テコでも相手は動かないだろう。
世界を宇宙を千度滅ぼして生まれ変わらせても尚足りぬ憤怒。
その愚者の怒りはまるで映し鏡だった。
少年が救おうと1人で果てに向かおうとする姿と何処か似ていた。
運命に抗い。
遂には殴り壊した少年の砕けぬ虚像は今聖女という名となって、彼女の前に立ちはだかっていた。
―――【フルー・バレッサは倒せないよぅ。今の君じゃ】
その先程と同じ声に少女は不敵に笑う。
「そうかもしれぬ。だが、諦める理由にはならない。勝機も手札も無しに此処まで来る程、我は素直でもない」
―――【ま、ダメだったら、ダメだった時で抗えばいいよぅ】
「そうさせてもらおう。だが、その気は無い。我は楽な方が良いからな。此処で必ず決めさせて貰おう。見ていろ。高々白衣女の情念程度、我の恋心が叩いて砕く!!」
―――【く、くくく……いいねぇ……だから、君達は素敵なのさ。あ、これは守護者としての誉め言葉だよぅ】
声が遠ざかっていく。
やがて、仲間達が戻ってくる姿が小麦畑の先から見えた。
走って来る桃色髪の少女の手には大きな果実が一杯になっており、それを慌ててイルトが背後にシャイを載せて追い掛けている。
『イフィーさ~ん!! 美味しそうなの身付けましたよ~~』
やれやれと肩を竦めた彼女は思う。
まだまだ戦えそうだと。
あの能天気な顔や慌てた顔を見ながら果実の一つも齧っていれば、聖女くらい倒せる気力は湧いて来る気がしたのだった。