シャイと呼ばれる生物にとって、聖女のお勉強はいつか倒す相手のお勉強というヤツで殆ど間違いなかった。
人間の醜さは見れば見る程に分かる話である。
人類中、最も清い奴らと呼ばれて久しい聖女の中身がアレなのに単なる人類が清いわけもない。
まぁ、それでも彼女にとってそういう人類との旅という生活は性に合っていたと言える。
ルンルン気分で回るには天蓋蒼星は丁度良い庭だ。
彼女は強い。
聖女を滅する程に。
だが、それは彼女を産み出したモノにとって望むところではない。
世界を混沌に沈めて、人類が右往左往しているのを眺めてジワジワと悪意で絞殺していくように動くソレは彼女にそんな単純な事をさせようとは思っていなかった。
だから、彼女は今日も過去を見ながら、近頃使う暇も無い自分の力を思い浮かべる。
人類の悪意を固めたソレこそは人類を護ろうとするものに良く利く。
「しゃーい」
「ん? どうした」
今現在、少女が見るのは自分の武器と同じモノで構成された巨大な回廊だった。
いや、実質的には円柱が遥か果てに向かって永遠に伸びている光景と言うべきか。
周囲は仄か温かい。
「イルト君。どうしましたか?」
「い、いや、何かさ。此処に入ってから変な感じがして」
「それはいけない。超特急で急いでいますが、術式で自動にして乗り物の上で診察した方が良いかもしれません。最終局面前です。準備は万端に」
「ああ、うん。師匠」
イルト・イナーシタはそう自分の師を見て頷いた。
「リュオ先生。此処から先には今のところ何か障害や敵は見えない。一端、降りよう」
「ええ、あの地点にシートを敷きましょう」
「ピアリ。お茶の用意してくれ」
「はーい。今日は茶葉濃いめにしちゃいます♪」
彼らは降りていく。
自分達の横に平然と離脱したはずの仲間がいる事にも構わず。
此処は【魔王の玉座/上層】と呼ばれる世界。
灰色の硬質な巨大列柱が360℃から次々伸びて区画中心へと永遠に感じる程長い距離伸びている奇妙な世界。
白色の光と天から仄かに降って、遠くは微妙にぼやけて見えない。
飛んだ彼らが出会ったのは森林を抜けたその先から大地の消え失せた其処であった。
遥か果てにあるのは魔王の大切なものが置かれた場所だという。
「………」
シャイと呼ばれるようになった彼女にとっては然して興味も無い。
それよりは目の前の人間達を見ていた方が面白い。
時に笑い、時に泣き、時に怒り、人類の愚かさを体現して尚輝く者達。
尤も愚かな選択をした聖女達に怒り、その行為に盾突く反逆者達。
「ほら、お前も飲め。あったまるぞ」
「しゃーい。しゃいしゃい」
ズズッと冷たい硬質の柱の上に置かれた遮熱シートの上で彼女は紅茶を飲む。
温かい飲み物。
彼女にはこれっぽっちも必要無い代物。
彼女の動力は人間の不の感情や実態を持った励起済みの魔力源だ。
それも食べる動作も必要無く。
周囲にいるだけでソレを極めて大量に無限大吸い込む事が出来る。
だから、肉体に対して肯定的な影響を及ぼす物質の摂取は根本的に必要無い。
「しゃーぃ」
しかし、美味しいものは美味しい。
温かいものは温かい。
別に彼女を産み出したものは彼女に命令などしなかった。
やがて来る聖女との戦いにおいて、相手を邪魔せよ、破壊せよ、あざ笑うがいい。
そういう事を曖昧に伝えてきただけだ。
何をしなくても因果律は巡る。
そして、彼女は戦う事になる。
だから、別に今此処で何をしていようと関係はない。
時間の問題、というヤツでしかないからだ。
「シャイちゃんはいつも美味しそうに飲んでくれるので嬉しいです。ふふ」
「しゃい?」
「ピアリ。パンくれ」
「はい。どうぞ」
密碑がテキパキと組み合わされてボフリと彼女の前で固い麺麭が出て来る。
受け取った青少年は最初に出していた蜂蜜を掛けて齧り、紅茶で流し込んでいく。
「なぁ、イフィー」
「何だ?」
「この先に聖女がいるんだよな」
「ああ、恐らく非正規ルートを強引に突破中であろう」
「勝てるのか? いや、疑うわけじゃないけども、オレとお前が恐らく最大戦力で周囲に師匠やピアリがいたら本気出せないだろ?」
「それはある。だから、策は考えて来た」
「策?」
「本来は我が行くべきなのだがな。我々はチームだ。手分けするべきだろう」
「二手に分かれて、オレとイフィーが足止めしている間に師匠とピアリに?」
「いいや、お前とピアリとリュオ先生で行ってもらう」
「それは大胆な策ですが、実際にどれくらい持ちますか? さすがに瞬時に負けたりする可能性もありますし、その場合……聖女に抗う術は……」
「分かっている。だが、恐らくコレが最適解だ。我の全力はあちらも受け止めるのに力がいる。別の誰かを先行させたり、自分を分身させて取りに行かせたり、のような策は恐らくあちらは使わないだろう」
「それを断言出来る根拠は?」
リュオの言葉に笑みを浮かべた少女をシャイは何よりも恐ろしいと思う。
「簡単だ。あの女はもう我を失っている。そして、自分が、自分が、と自分で全てを解決しようと決めてしまった。どれだけ理性が残っていても人の拘りは消せない。女の情念は怖いが、故に読み易い」
「何か実感籠ってますね」
「ふ、我も女だからな」
シャイは知っている。
聖女に次ぐ存在として生きる少女達の事を。
彼女達は聖女とは違う。
そう、薄暗さから解き放たれた少女達。
きっと、聖女よりも手強い少女達。
怖ろしいのは輝きだ。
聖女達には無い輝きだ。
不の感情を根本的に主食とする彼女にしてみれば、あの薄暗い聖女達こそ食べ物であるが、目の前の少女達の輝きは毒である。
「しゃーい」
「ああ、悪かった。お前も女だったな」
「しゃいしゃい」
胸を張るシャイにうふふと微笑ましい瞳を向けるピアリがギュッと後ろから抱き締めて膝の上に座らせた。
固い麺麭は千切って皿の上に並べて蜂蜜を掛けてくれるサーヴィスぶりだ。
「では、食べ終えたら行きましょう。シートをそのまま乗り物にします。それと最後の健康診断です。全員の状態を見て、良さそうならば、少し薬で体調を調整します」
リュオの言葉に全員が頷く。
そうして、フワリと浮いて尋常ではない速度で加速し始めたシートの上。
少年少女を存在しないはずのリュオ・クルミナスは診察していく。
「少し疲れは出ているようですが、大丈夫みたいですね」
「そうだろうか?」
「はい。イフィーさんには体力魔力増強系の薬剤を。イルト君」
「おう。これとこれだよな?」
カバンからラベルの付いた小瓶をすぐに取り出した弟子に彼は笑みを浮かべて頷く。
「もう一人前ですね。君も」
「そ、そうか? オレ自身はまだまだな気も……」
「いえ、もう一人前ですよ。次はイルト君」
「う、うん」
背中に手を当てて、魔術で弟子の身体の状況を見た男が目を細める。
「イルト君。近頃、鋭敏になった感覚とか、使いまくりでしたね?」
「え? あ、あ~確かにそうかも……」
「そのせいですね。肉体も強くなりましたが、それでもまだ人間基準で使う癖が残っているようで無駄に疲弊してます。ちょっと、五感を人間レベルに戻してから使わずに過ごして下さい。それで幾らか改善します。今後、能力を全力解放するのは短期間では1度にして下さい」
「何か問題でもあるのか?」
「今の君の体はあまりにも急激な変化で強いストレスに晒されている状態なんです。それをフルスロットルで使ったりしたら、倒れますよ。人間の形を保てなくなるくらいに……」
「え?」
「君はもう人類種とは言えなくなりました。その本当の姿は僕には想像も付きませんが、もしも姿が変わって自分を受け入れられなくなれば、君の精神はゆっくりと崩壊してしまうでしょう」
「今、すげー怖い事言われた気がする」
「いいですか? 1回ですよ。姿形を変化させる魔術もありますが、肉体を根本的に造形する術式は一定以上の次元に到達した生物には効きません。君が自分で自分の姿を形作れるような熟練が出来ていない以上、化け物みたいな姿になりたくなければ、全力戦闘は1回にして下さい」
「わ、分かったよ。オレもそんなのになるつもりねぇし」
「はい。先生」
「次はピアリさんを」
こうして次々に診察を終えたリュオが頷く。
「良かった。これなら大丈夫そうですね」
「はは、最後に1人残ってるぜ?」
「ああ、シャイ君も」
「いや、師匠だよ」
「ッ……君も言うようになりましたね」
「だって、師匠の弟子だからな」
「でも、僕はいいですよ。これでようやく安心出来る」
「え?」
キラキラとリュオ・クルミナスは欠片になって、輝きの欠片となって、消えていく。
「師匠?!」
「イルト君。君はもう十分に大人だ。だから、君は自分の願いの形を知っている」
「願いの形?」
「この空間。いや、天蓋蒼星とは願いの塊。密碑はその欠片……だから、本来ソレは繋げなくても顕現するもの……君の願いは強い。僕をこうして呼び出してしまう程に……」
「ッ、師匠……そう、だったな……師匠は自分の願いをちゃんと叶えた、んだよな」
「僕は君の中のリュオであり師匠……だが、確かに君にとっての本物だ」
「師匠……」
「密碑はこの世界に還してあげて下さい。此処では願いの形が全てを決定付ける」
「願いの形……」
「それはきっと君達に力を与えてくれるでしょう。無論、あの聖女にもですが」
「リュオ先生……」
少女の呟きにいつものように医師にして迷宮探索のプロフェッショナルは微笑む。
「イフィー。貴女は貴女の願いの為に進んで下さい。僕が僕の願いの為に君達を置いて帰った事に後悔が無いと言えば、嘘になる。けれど、コレは貴女の物語だ」
「我の……物語、か」
「ええ、きっと……ソレこそが一番大事な事なんですよ。この世界に集う誰もが自分の物語と願いを持っている。此処はそれに応えているだけに過ぎない」
「そうだな。そうなのだろう。あいつらしい……」
「そろそろ限界ですね。最後にピアリ君に一つ」
「は、はい!! 何ですか!! 先生」
背筋を伸ばして、ちょっと泣きそうな少女に彼は頷く。
「もし哀しくて辛くて苦しくなったら、どうかこの馬鹿弟子を頼って下さい。きっと、貴女の力になってくれるでしょう。何せ僕の一番弟子ですから、泣いて困っている女性を見捨てて逃げ出すようなヤツではないと思うので」
「そ、そりゃそうだよ!?」
「はは、では、皆さん。ご機嫌よう……いつかまた会う日まで……」
最後の最後にチラリと自分を見た医師が何も言わずに消えるのをシャイは見つめる。
自分に何も言わないという事は好きにしろという事であると彼女は知る。
「しゃーい」
手を振るシャイを見て、また全員が背後に流れ去ったリュオの輝きに手を振って見送った。
「……さて、と。何か大切なもん託されちまったな。いや、最初から此処にあったのか……」
イルトが胸を僅かに片手で抑えた。
「行くぞ。まずはあの聖女を追い越す事が先決だ。魔力を投入して速度を速める。イルト、ピアリを。ピアリはシャイを」
「了解」
「イルトさんギュッてして下さいね? 落ちちゃうの怖いので」
「わ、分かったよ……じゃ、じゃあ、失礼して……」
ちょっと躊躇いがちに頬を赤くしたイルトがピアリを背後から抱き締めて覆うようにお腹を両手で囲い、ピアリがシャイを胸元に抱く。
「しゃーい♪」
「全員、振り落とされるなよ? 最大加速させる!!」
その言葉に偽りはなく。
加速は果たされる。
世界の景色が伸びて伸びて伸びて。
その最中で彼女は思う。
シャイと呼ばれたソレは。
こんなに輝いている人達の傍にいたら、きっと自分は毒で早死にするに違いない。
しかし、それでも彼女は微笑む。
死など恐れるものではない。
畏れるべきは何もせずに消えていく事。
愉しい事はいつでも此処にある。
だから、彼女は決めたのだ。
運命とやらが彼女を戦いに駆り立てるなら、それを一番愉しく出来る方法が必要だと。
誰も彼女の決意を知らず。
誰も彼女の力を知らず。
風景が間延びして後方へと呑み込まれていく景色の果てへ。
誰もが向かう。
怒れる情念の化身となりし女。
その聖女の背中を追って。