第四章一節「出稼ぎ人馬の細腕傭兵日記Ⅰ」
『拝啓』
ダースで銅貨一枚以下の鉛弾が密林の内部を飛び交っている。
『故郷の皆々様とご先祖様』
二区画先からの精密高速射撃。
上空から弧を描いて落ちてくるのだが、それにしても蒸し暑い昼時。
『この【
泥と汗に塗れた彼女は辞世の句とばかりに小さな墨片で手帳に丁寧な字を綴る。
『祖先伝来の太古の異種すら狩る弓術と戦場にて駆ければ、死山血河と言われた
パスッ。
額に空いた穴からダラダラと血を流して、その書き損じた最後の文字もそのままに十代後半の人馬は絶命した。
「き、決まったぁああああああ!!! え~~ライグン家の傭兵……え~何て読むのコレ? あ、ヒエリミィティシス・ユリイネンの死亡確認!! これにより、全戦闘員の戦闘不能によって、勝敗は決しました!! ウィナー!! ダンフォルトスト家!!」
とある国のとある演習場のとある茂みの中。
試合終了のサイレンと共に宙へ声が響く。
迷彩柄のヘルメットや衣服を纏い。
身体のあちこちに樹木の枝を引っ付けた姿で死んだはずの彼女は思う。
『どうやら、また首のようであります(泣)』と。
―――大陸北部ベリアステル聖神使国。
世界中の学者達に三千余国家の中で最も優れた国は何処かと聞けば、誰もが口を揃えて大陸中央のアルヴィッツと答えるだろう。
だが、もしも彼らに最も末の世まで今と同じ国名が残っているかと訊ねれば、誰もが七教会の影響下にある国々ではなく。
北部三国と呼ばれる大国の一つ。
大陸北部中央平原に位置するベリアステルを挙げるだろう。
彼の国を一言で言い表すのは困難と学者達は言うが、僅かな人の往来から出てくる情報を総合すれば、その大陸史五千年において最長老とでも言うべき旧い旧い国家は究極の管理社会という見解で一致する。
星神プラネターと呼ばれる十数柱の神格が北部の一部地域に興した国はあらゆる意味で大陸の標準的な国家とは違う。
政体も人種も主義も主張も、全てが何かしら異なっている。
学者達は諸々の異質さを総合して対外的に彼らはこのような社会形態として呼ばれる。
神性管理社会総軍家営国家。
まったく言い難い。
まったく意味不明だと学者達は頭を捻ったのは体系的な社会研究が大陸規模で進展したこの数十年の話だ。
神格の興した国という特異さが人類の普遍的な社会の発達段階や発展速度を歪めているのだ。
通常の人の国家と懸け離れた彼らは血統的にも生物学的にも人類の範疇に含めていいのか分からない程、超越者に近く。
亜人に分類するべきではないかと議論は実際色々な学会で盛んだ。
そんな国であるからこそ。
彼らは外界からの来訪者を極端に制限し、往来はとても希少な事例とされる。
その上、内部で一時的に逗留するとなれば、もはやその経験だけで一生メシの種に出来ると言われる貴重な話なのだ。
彼らの国に入れる外国人は以下のどれかだ。
移民として国家が承認、または推薦、勧誘した者。
傭兵として国家が承認、または推薦、勧誘した者。
要人として国家が承認、または推薦、勧誘した者。
国家規模の大事業すらも大きな力を持った“家”が行っているとされ、軍は家集団の集まりという側面を持つ国にとって、家単体が持つ軍事力はステータスであり、最もスタンダードな実力を示す力だ。
故に彼らが外から戦巧者を招く時は多大な負担を負ってでも連れて来る事が通例である。
要は傭兵として彼の国に入れたならば、七代先まで遊んで暮らせるだけの報酬が約束されてきた。
生憎と他国との間に貨幣制度による交換レートは設定されておらず。
また、自国内の通貨発行量も微々たるものの為、傭兵達が頂くのは動産。
つまりは黄金だとか銀だとか希少で高額な物品であるが、祖国に帰った傭兵達の子孫が今も裕福に暮らしているという話は北部で数千年前からずっと言われ続けた御伽噺のような真実だ。
金目当ての戦者にとってこれ程に魅力的な職場も早々無いだろう。
だからこそ、その家の傭兵に対する視線は贔屓目に見ても厳しい。
「そ、そこを何とか?!」
厳しいというか。
「あ、いや、ちょ、やめ?!」
確実に極寒の氷河も凍て付くようなものとなる。
「ハゥ?!」
ボンッと扉の内部から飛び出すようにして道端に放り出された巨体。
いや、立派な牝馬の下半身がゴロゴロ転がり、上半身の一番上で眉を八の字にした金髪のちょっと眉が太めなボーイッシュ系
「ぅうぅぅう……こ、これから自分はどうすれば~~」
途方に暮れる彼女の名はヒエリミィティシス・ユリイネン。
ベリアステルにおいて傭兵(F級だったが、本日晴れて論外)認定された久方ぶりの人馬だ。
道端でデカイ馬の下半身が横たわっていたら、誰でもギョッとするだろうが、領土が小さく国民はザッと三億人程詰め込まれている国家の路上である。
周囲を行き交う褐色系の外套と厚手の
その視線に気付いた彼女がハッとして立ち上がり、片側に退くと。
歩行者達は迷惑そうな視線もそこそこに横を通り過ぎていく。
「何という事でありましょう。自分は無職?! いえ!!? これは故郷の危機!!? じ、自分の仕送りを待つ村の方々に何と言い訳すれば!? ハゥ?!!」
生真面目そうなヒエリミ……故郷ではエシスと呼ばれていた彼女は独白モードで路上にガックリ崩れ落ちた。
彼女は傭兵だが、基本的には人馬だ。
人馬は草原や山岳で細々と狩りや農耕をしながら生活する亜人の少数部族。
人が繁栄してきた此処五千年よりも前。
人類と異種の血筋を引いた優秀な亜人として大陸に覇を唱えていた事もある旧い種族でもある。
しかし、今や彼らは亜人の中でも上半身は完全に人間で下半身は馬という性質を持った変わった姿というだけの存在として有名だ。
人の社会に入って生活するには馬の下半身が邪魔過ぎるし、亜人や異種達とは仲が良いものの、生活は人間様式に近いので何かと不便が多い。
近頃は近代化レボリュションなどと言って社会が高度に発達してきているせいか。
大陸中央に行けば、働き口もあるらしいが……生憎と彼女の細々とした路銀で辿り着ける働き口は北部の国々しか無かった。
故郷大陸最北端に位置する人馬集落の一つ。
ペールエル村は嘗て戦乱の度に男達が傭兵稼業を生業としてきた。
争いが齎す財は家々を潤し、人死にはそれなりに出たものの。
彼らの勇名は確かに一角の軍関係者ならば知るところだった。
しかし、この数十年というもの。
彼らが参加出来る戦場は極めて稀となってしまっている。
七教会の大規模な戦争抑止政策、懐柔から介入まで幅広い戦争根絶活動。
これでまずとにかく戦力が必要な大規模会戦が発生しなくなった。
火砲や銃器の発達や魔術の衰退と魔導の発展。
大国の騎兵が大半空駆けるようになった現在。
極々小規模な紛争や内戦は幾らでもあるが、彼らを雇う高級な働き口は皆無。
更に戦力としての人馬が陳腐化しつつある事も事態に拍車を掛けた。
出稼ぎ先が無い!!!
つまり、冬を越すのも一苦労!!!
故郷存亡の危機である。
そんな折、彼女は村へ来訪したとある吟遊詩人からこんな話を聞く事となった。
曰く。
北部三国がきな臭い。
ついでにベリアステルで七年に一度の大祭年が近付いており、傭兵が募集され始めた。
もしも彼らの出す試練に合格出来るのならば、富と名声は欲しいまま。
村の殆どの家が傭兵稼業を廃業したこの数十年でもうその心得やら戦い方というやつが殆ど失伝していたのだが、それでも彼女は一際厳しい冬になると予想されている村の状況を見ていられず。
まだ家に残っていた錆びれた鎧と矢筒と弓を手にして旅立った。
両親が他界して後。
村の人々に育てられていた彼女にとって、それはとても自然な話だったのだ。
家族のいない者が死んでも悲しむ者は少ない。
また、女伊達らに狩りが上手かった彼女は村の老人達に可愛がられた為、傭兵用の弓術にも聡かった。
結果、村の人々から心配されながらも応援されて外界へと旅立ったのである。
少ない路銀をやりくりしながら数ヶ月の道程を経て、ベリアステルに辿り着いたのは二週間前。
確かに傭兵の募集はされており、彼女は試練に合格してベルアステル内部への逗留を許された。
(うぅぅう!? まだ仕送り額が少ない内に論外判定!!? み、三日以内に再雇用先の家を見つけなければ、あの怖そうなドレスに鎧姿の憲兵の方々がやってきて強制連行、強制退去……じ、自分はどうすれば?!!)
周囲の市民達がビクッとしたのも目に入らない様子でノソノソと彼女はその立派な門構えの家先から歩き出した。
大通りに向いた足の先には北部で最も裕福だとも言われる街並みが姿を現す。
赤煉瓦造りの家々に碁盤目状に整備された石畳の道。
塵一つ落ちていない路地には不可思議にも魔力の燐光を放つ街路樹代わりなのだろう巨大な葦が植えられ、燦々と降る陽光の下で涼やかな風のざわめきを辺りに響かせている。
往来する人の数は彼女の村の年に一度の祭りよりも賑わい。
外見上、若い女性が特に多い。
というか女しかいない。
誰も彼も美人や器量良しと呼ばれる部類の見目麗しい者ばかり。
軟派な国の男がこの光景を目にしたならば、此処は天国かと鼻の下が無限に伸びる事だろう。
ベリアステル首都。
皇樹の都。
アルカルサル。
12ある大通りの中央。
そこから先に視線を延ばせば、山岳程もあるかもしれない巨木が目に入る。
北部に二本ある
首都と同じ名前を冠したソレは他国からは見えないが、国内からならば、何処からでも見えるシンボルであり、国内最高峰の家。
つまり王家の城砦そのものでもある。
本来、宇宙樹の管理はエルフというのが常識だが、このベリアステルにおいては最も優秀な家である王家がその任を受けているらしい。
なだらかな丘陵となっている中央大樹の根元から伸びる通りが全て本当に根の上にあるという事を理解すれば、その大きさが分かるだろう。
小国程の国土の中に三億人もの人数が詰め込まれても快適に過ごせているのは基本的に神々と大樹の様々な恩恵、国民が受け継ぎ練磨してきた高度な魔術や技術、研鑽され続けた叡智のおかげだ。
至るところに常設の転移用法術陣が敷かれており、指定先を変えれば、国内の何処にでも行く事が出来る。
これだけでも大陸中央の先進国並みなのだが、それ以上に気候や水脈、四季すらも人が操っているのは驚異的だろう。
「ぅぅ、夢の国で傭兵稼業も今日でお終いでありましょうかぁ……(´Д⊂ヽ(泣)」
本日は晴天。
まだ春という事で温かな日差しが降り注ぐ往来には人が溢れており、笑い声が絶えない。
特に目立つのは少女達や女達が卸し立ての武具を身に付けて練兵場に向う姿だろうか。
そんな中、どんよりした空気を漂わせる図体のデカイ人馬がトボトボ歩いていたら、確実に浮きまくりだ。
気付いた周囲の人々はヒソヒソと噂し合っている。
無論、昨日負けた人馬の事は大抵の家が観戦していた為、知っていた。
七年に一度の大祭。
それは家が伸し上がる為に今までの時間で培ってきた全ての力を結集して他家よりも自分達が優れている事を証明する実戦形式の国家規模総当り戦だ。
家の大きさによってルールやら参加条件やら諸々違うのだが、単純に言うと他家と戦って戦って戦い抜いて、自分達の家の格を王家が承認する階梯制度に沿って引き上げる行為である。
大家と呼ばれる最大規模の格が約三千家。
その下に分家筋や新興の家々が大から小まで数万家。
更に下を見渡せば、出来たばかりで人数も最低である3人からなる極小規模の家が数十万家以上存在している。
これらが七年に1度の年を前にして春の訪れを待っていた。
現在、大陸では使われていない旧暦にて3月31日。
明日より一年にも及ぶ長い戦いが始まるのを前にして国民の大半が浮かれ気分。
傭兵にとっては仮雇用期間が終わる最後の機会。
しかし、新規傭兵を用いた各家の事前チェックを兼ねる一ヶ月の傭兵オンリーな武芸術大会。
大隊規模での集団戦闘において最後の死傷者となってしまったエシスを雇ってくれる家があるかと聞かれれば、絶望的な状況だと答える以外に無い。
もしも、途中で死んでいればどうにかしようもあった。
が、負け戦な上に粘る事も出来ずに頭を撃ち抜かれて死亡したとあっては悪い意味で注目の的だ。
実際、彼女がついさっき追い出された家では呆れた視線と冷たい視線が降り注ぎ。
ケラケラ笑う子供から馬鹿にされてしまった。
(うぅう、こうなったら、この再雇用先リストを片っ端から……ッ)
彼女を雇ってくれそうな家については入国してすぐ役所から紙切れの束として手渡されている。
普通なら移動時間で諸々全てを回る事は不可能だろうが、此処は法術師の国。
転移し放題ならば、片っ端から当たる事も可能。
エシスは前日にやらかした自分の失態に未だ震えながらも、希望を胸に前を向いた。
その様子に前日の試合を見ていた道端の女達の幾らかは可哀想な人馬の末路を思って肩を竦め、幾らかは『昨日の様子じゃ無理だろうな』という感想を抱く。
―――6時間後。
「ぬぅわぁぅううううあうあうあうあうあうあううううううううううううう~~?!?!」
もはや人語も妖しくなった様子のエシスが少し小高い丘にある無人の公園で悶絶していた。
周囲には薄桃色の花弁が無数に咲く樹木が植えられており、公園を桃色の絨毯で埋めていたが、その街を見下ろす場所の絶景、この世のものとも思えない光景も……人馬がゴロンゴロンのた打ち回っていては台無しだ。
無人の公園になったのは彼女が空ろな視線で公園に入ってきて、一帯を見渡す展望スペース周辺で絶望的な状況に現実と戦い始めた頃からである。
無論、途中で憲兵に通報がいったのだが、前日の試合は国民の大半が観戦していて、人馬の間抜けな殺されっぷりは魔術で中継されていた。
ベリアステル内には亜人の家がそれなりの数あるが、人馬は現在彼女一人。
頭の可哀想な彼女が何故転がっているのかを察した憲兵達は公園の外からそっと姿を確認した後、危険は無さそうだと引き上げていったのだ。
そんな優しい憐れみの視線に曝されていたとも知らず。
エシスはもう4時を過ぎて夕暮れへと向い始めた空の下。
転がって三十分にはなろうという時。
ようやく足でジタバタするのを止めた。
「うぅ、自分には才能が無いのでありましょうか……全滅……全滅とか……ッ?!」
門前払い。
門前払い。
無回答。
門前払い。
無回答。
無回答。
可哀想な視線を受けるものの首を横に振られる×15。
もはや笑うしかない有様である。
明らかに昨日の失敗が痛過ぎた。
そして、明日から始まる戦いを前にして、彼女を必要とする家は0。
彼女の出国は待った無しだろう。
「うぅうぅぅ、だって!! 銃ズルイ!!? 弓より射程長いし!! 魔術より早いし!! 手持ちの武器じゃ届かなかったのでありますよ!! もう手帳に愚痴を書く事しか自分には!! だって、周囲全部地下からの魔術封鎖で一歩出たら足ごと持ってかれるしかなかったとかどう考えても!!?」
もはや出来る事は無い。
万事休す。
昨日の試合の最後はそういう言葉で足りるだろう。
味方の小隊は既に全滅しており、その状況を覆す武器も技術も魔術も無い彼女には手帳に愚痴る事しかやる事は無かった。
敵を捕捉して戦おうにも、敵は弓の届く範囲外。
その上、銃と魔術を同時に使ってくるハイブリットな狙撃手が相手で下手に動いていたら、もっと前の時点で即死だっただろう。
「………こ、こうなれば、この体験を外国で本に!!?」
もはや、やけっぱちで彼女が空虚な笑みを浮かべていると不意に風が吹いた。
流れ去っていく花びらの河の先。
ポンポンと膝を払う老女が一人。
八十代程だろうか。
黒いローブに紫色のスカーフを一枚といういでたち。
纏められた白い髪を九角形で黄金色の鋼細工が飾っている。
横には木製の車椅子が置かれており、それにスッと彼女の腰が収まった。
「あら? どちら様」
「あ、いえ、そ、その……自分は……」
また笑われてしまうのだろうかと内心でビクビクしていたエシスが小さくも為れない身体を縮める。
「ふふ、冗談よ。知ってるわ。貴女、昨日の子ね」
「ぅ……はぃ」
柔和な笑みでキコキコと車椅子を自分の手で押して彼女の元までやってきた老女がその座ったエシスを見つめて唇の端を歪めた。
「見に徹する目有らば、針通す指持つ、ね」
「?」
「人馬の旧い時代の諺みたいなものよ。この国にも七百八十年前までは貴女みたいに人馬がそれなりにいたらしいけれど、魔術の進展が進んでからは見なくなったとか」
「そ、そうなのですか?」
「……人馬……いいかもしれないわ」
「へ?」
老女が懐からそっと小さな判子を取り出した。
「契約書。持ってるでしょ? 押してあげるわ。あたしが」
「え、は、ハゥ?! そ、そそそ、それは真でありましょうか?!」
思わずシャキッと立ち上がったエシスに老女が頷く。
「家に仕えなさい。ちなみに値段はお幾ら?」
「歩合制であります!!!」
「働いた分だけなんて、律儀ねぇ」
「い、いえ!! 当然だと思います!! 自分は未熟なので給料に見合わない働きになったらと、ふ、不安で……」
「ふふ、いいわ。気に入った……では、あたしのものとなりなさい。ヒエリミティシス・ユリイネン」
「あ、そのヒエリ“ミィ”ティシスであります!!」
「……ま、言い難いから、これからは三文字で名乗りなさいな」
「は、はい。では、エシスと」
「じゃあ、エシス。はい。これ」
ポンと軽く押された判子付きの書類に何て良い雇用主だろうかとエシスが感動して老女に感謝しようとしたのも束の間。
ボンッと彼らのいる公園から見える街並みの一角から爆発の炎と黒煙が上がった。
「な?! い、一体何が?!!」
その方角で爆発の中心から複数の魔力の光が立ち上る。
黒、蒼、白、紅。
燐光を纏う光球達の内の三つが黒に向けて攻撃を開始した。
魔力の置換照射による光と熱量の直接砲撃が空に煌びやかな虹の如きグラデーションを描いて、誘導弾らしき光弾が四方八方、黒の光球を多い囲むように全方位の虚空から連射された。
凛と空に響いた魔力の転換用方陣が首都の一角を多い尽くす程にまで拡大され、その方陣の巨大さに多くの国民達が何が起こっているのかと空を見上げる。
周囲から励起された地脈型の魔力形質。
たぶんはマナと呼ばれるだろうソレが急激に黒の光球の周囲に吸い上げられて、防御用の方陣が起動。
次々に展開されていく多様な攻撃を可能にする方陣。
それらから発生する雷、雹、竜巻、火炎、諸々の荒れ狂う嵐を塞き止めるように三次元の曼荼羅にも見える障壁を発生させる。
他三つの光球がたった一点へ全魔術の威力を集約させたが、黒の光球の周囲に展開された障壁に触れて、跡形も無く消え去った。
空間防御である。
別空間に攻撃と攻撃を生み出す方陣そのものを投棄したのだ。
半ばから抉り取られるように砕け散った数千にも及ぶだろう方陣の残滓が燐光を残して消えていく。
「いつ見ても綺麗ねぇ。魔術師の戦闘はああであるべきだわ」
「な、ななな、何でありますか!? アレ!? このベリアステルの首都であんな事したら!?」
「生憎と怖い憲兵は飛んでこないのよ」
「何故でありましょうか?!」
思わず自分を見やったエシスに肩を竦めた老女が口元を袖で押さえて微笑む。
「さっき、王家が近辺の各大家に手出し無用。重要な人員を所定の場所に避難させて、後は静観しろってお触れ出したわ」
「な?!」
「さて、そろそろ行きましょうか。あっちは大分煮詰まってるようだし」
「い、行くとはど、何処に?」
脂汗を浮かべたエシスが訊ねると老女はニコニコして言った。
「ちょっと、お付が欲しかったのよねぇ。大罪人狩りでおばあちゃん一人じゃ恰好付かないから」
「あ、あの、その、一つよろしいであ、ありましょうか?」
「何かしら?」
「その、お名前は……」
「あたしはアルカ・バベッジよ」
「バベッジ様、ですか。ええと、何かそのお名前を何処かで聞いたような……」
「あはは、そうねぇ。あたしもまぁまぁ有名人だから。戦乙女……いえ、【
「あ、え、そ、それはもしかして……」
「ええ、国家最大戦力ってやつよ。まぁ、今は引退して余生を謳歌するおばあちゃんだけれどね」
「まさか、神々より【
ガクガクブルブルと今更に身体を震わせて。
サァアアアっと顔を青ざめさせたエシスがよろめく。
「ふふ、正式な名前は今もアルカ・ヴァルキリス・バベッジよ。これからよろしくね。可愛らしい傭兵さん」
スゥッと老女バベッジとエシスの身体が浮かび上がる。
「ハゥ?!」
「とりあえず、今回のお仕事について軽く説明するわ」
今も互いの方陣を虚空で激突させながら四つの光球。
法術師同士の方陣による削り合いは続いている。
黒は空間制御に長けた防御型であったのか。
蒼、白、紅からの攻撃を悉くいなし、逆に敵の広げた方陣を自らの方陣で食い散らかしてはその場から離れようと移動を開始していた。
乱舞する魔力と魔術と方陣の壊れた残滓。
燐光が溶け合う空へ上がり始めたバベッジは今もアワアワしているエシスの横でのんびりと命の遣り取りを見つめている。
「ウチの国は基本的に人体実験みたいなのは許可してないんだけど、あの黒いのはソレやっちゃったのよね。それでしかも結構な使い手だったから、討伐の命が出たんだけど、被害者は【
「そ、それって?! この国でも珍しい旧い一族の方々でありますよね?!」
「ええ、そうよ。黒いのに彼女達が怒り出したものだから、さぁ大変。仇討ちってのはこの国だと所定の書類を揃えないと本当は駄目なんだけれど、御三家の権力が大き過ぎて王家も持て余しちゃって。それで面倒事となる前にさっさと狩ってくれってな依頼が来たのよ」
「は、はぁ、つまり?」
「これから、その大罪人をサクッと狩りに行くから、横で立ってくれてるだけでいいわ。ちょっと箔を付けたかっただけだし。あ、背中に乗せろとは言わないわよ。貴方達の流儀は知ってるから。自分の信頼出来る者しか乗せられないのよね?」
「え、ええ、その、まぁ……」
エシスが急転直下の状況にまだ完全には呑み込めていない様子で頷く。
「あ、あの黒いのがに、逃げるようであります?!」
黒の光球が今までの方陣合戦で見せたような鈍重さとは無縁の超高速で首都の端。
山岳の一角へと流星のように遠ざかっていく。
それを追った其々の色の魔力照射や光弾が雨霰と追い縋るが、全て途中で空間防御によって何処かへと消えてしまい。
ついには黒の光球を追い切れなくなって霧散させられる。
「そろそろクライマックスねぇ。じゃあ、あっちのお嬢さん達が追いつく前に行きましょうか」
「う、うぅ、何だかとんでもないところにお勤めしてしまったような……じ、自分は早まったんでありますか?」
「いいじゃない。歩合制ならウチ高いわよ。とりあえず、今回の一件……金貨300枚くらいでいいかしら?」
「さ―――」
「その様子じゃ、否はなさそうね。さ、行きましょう」
金貨の山を幻視したエシスが思考停止した様子になったのを確認して、老女が指を弾くと二人は揃って転移で山中へと跳んだ。
そして、彼女達に続くよう三つの光球もまた転移の燐光を残して黒の光球が落下した地点へと消えていく。
―――首都アルカルサル南東部廃棄離宮。
エシスとバベッジが転移した先は暗い森の中にある王家が今も所有している使われていない離宮。
その中央正門内部だった。
夕暮れ時に暗い離宮の扉は開かれており、内部のエントランスの先。
黄金の埃が内部に入ってくる者の周囲に渦巻く。
二階へと続く中央階段。
夕暮れ時の日差しを【
彼の後ろの構図が狼を狩る狩人というのは皮肉な話だろうか。
浮遊したまま車椅子で入場したバベッジが男の数m手前で止まる。
その横でエシスは何も出来ずに呆然とした様子で異様な周囲の空気に呑まれていた。
「まさか、法術官ではなく貴様が来るとはな。バベッジ卿」
「あら? 卿だなんて付けなくてもいいのよ? ディアス君」
「止めろ。虫唾が奔る……この王家の狗め」
男は知り合いだったのか。
吐き捨てるようにして老女を睨んだ。
その顔は三十代くらいだろう。
少しこけた頬に無精髭。
灰色の髪が乱雑にカットされており、ベリアステルの人間とは思えない程に容姿には気を使った様子が無かった。
モノクルを右目に掛けており、その姿は外套も下の制服らしいフォーマルな
やつれた三流魔術師。
外見上はそのようにも見える。
覇気の無い顔にはただ恨みがましい視線と侮蔑する表情だけが浮かんでおり、老女は肩を竦めた。
「ワンワンと吼えたのは貴方の方じゃなかったかしら? だから、あたしみたいな老体が出てくる事になったのだけれど」
「……王家は全てを隠匿するつもりか」
「そんな隠匿だなんて人聞きの悪い。貴方のした事も大概よ?」
「罪人が罪人を裁くとはお笑いだ」
「この神格に創られた楽園において、貴方のした事は歯車を欠けさせる可能性を秘めた危険行為。ま、あの子達にはまだまだ任せられない仕事ね」
「フン……この国、最大のリスクがそれを言うか。面の皮が厚いぞ」
「昔から変わらないわねぇ。その頑固なと―――」
二人が会話が突如として中断させられる。
天井を崩して三つの光球がエントランスの中央に突入してきたからだ。
思わず背後を振り返ったエシスがたじろぐ。
其々の防御方陣が光を透過させて視認出来なくなり、内部の人物達の姿を露とした。
一人目は蒼いドレスに鋼の鎧。
鈍色の装甲パーツを複数鋲で止めた伝統的な神兵の装備。
その中から出てきたのは栗色の髪を一つ縛りにして、凍えるような蒼い瞳に燃えるような感情を宿した二十代の女だった。
本当なら愛嬌のある顔をしているように見受けられたが、今その表情は明確な怒りと寂寥によって支配されており、視線はディアスと呼ばれた男を射抜いている。
「ようやく。追い付いた。もう逃がさへん!!」
二人目は白いドレスに白銀の鎧。
装甲と言うよりは鱗のような生物的甲冑を思わせる装飾を鏤められた装備。
それを纏うのは亜麻色の髪をショートカットにした、厳しい表情の十代前半に見える少女だった。
金色の虹彩には紅の亀裂が幾つも幾何学的に奔っており、彼女が魔眼、超常の力の保有者である事が見て取れる。
その顔立ちは何処か彫像にも似る作り物めいた雰囲気があった。
彼女もまたディアスと呼ばれた男に悲しげな気配と怒りを等量に含んだ苛烈な視線を向けている。
「絶対に貴方を捕縛します!! もうあの子みたいな悲劇は繰り返させない!!?」
三人目は紅のドレスに彫金を施した黒の鎧。
装飾という面で見れば、最も目を引くだろう黄金の大樹を全身の装甲に掘り込んだ装備。
その内部には白いドレスの少女と同年代の顔があった。
黒瞳に床に付きそうな程に長い黒髪。
東部風の顔立ち。
鋭利な切れ長の瞳と細面な様子からは良家の子女という印象が強く。
鎧に着られているような不自然さがある。
何処か戦うには浮世離れした気配は彼女が本来表向きの争い事からは程遠い場所にいる存在である事を示唆していたが、その顔には他の二人と同様の怒りと哀しみが内在していた。
そして、彼女の容姿とは裏腹に片刃の大刀を軽々を向けている姿は堂に入っている。
「ウルハ。下がって……この男は危険だ」
三人の其々が法術師としてはかなりの階梯だろう。
だが、その追撃者達を前にしても男は鼻を鳴らしただけだった。
「アスタルシオ、ミリステル、フレイムカテラ……御三家の次期当主がお揃いで。一体、オレに何の用かな?」
皮肉げな嗤みを浮かべた男が溜息を吐いて立ち上がる。
その片手からはダラダラと血が滴っており、さすがに三人を相手にしては無傷とはいかなかったのだろう事が見て取れた。
「何やて!! それをあんたが言うのか!? ウチらの大切な仲間を殺したあんたが!?」
「ユイナート・アスタルシオ。貴様には何も言う資格が無い」
「な?!」
栗色の髪に蒼の鎧。
少し独特な訛りを喋る彼女ユイナートと呼ばれた女があまりの事に絶句した。
「耳を貸しちゃ駄目だよ!! 今、この人の周囲から凄い勢いで隠蔽された術式中核がばら撒かれてる!!」
それを庇うようにして前に出た白いドレスに亜麻色の髪をショートにした少女が片手を男に向けた。
その周囲に展開される三次元式の多重方陣が回転し始め、周辺で密かに放たれていた魔術中核。
多重の手段を用いたデストラップ満載、危険な魔力塊を破壊しては燐光に還元していく。
「祖国を聖女に売った貴様も同様だ。ウルハシア・ミリステル」
「ッッ」
僅かに唇を噛み締めて、それでも冷静に周囲の罠を除去していく彼女の前に黒髪に紅の鎧を纏った彼女が立つ。
「ユイナ!! ウルハ!! バックアップを!!」
「リシェール・フレイムカテラ。貴様のようなお嬢様が一々戦いの場に出てくるんじゃない。その物騒な剣は屋敷の倉で肥やしにでもしておけ。それとも何か? 毎日お仲間と仲良く使ってでもいるのか?」
侮蔑の言葉にリシェールと呼ばれた彼女は歯を軋ませた。
「私の事ならまだいい!! でも、友人を虐げ!! 殺したお前は!! みんなを侮辱したお前だけは絶対に許さない!! ディアス・バルンベイン!!」
三人の高位階梯の法術師に対して黒い男ディアスは唇の端を歪めていた。
「あわわわわ?!! な、何だか物凄い場違いな空気が自分を襲うのでありますよ?!!」
「ああ、それなら問題ないわ。彼女達にあたし達は感じられてないから」
「はい?」
「ほら、こちらを少しも見てないわよ。彼女達」
「そう言えば……」
エシスが後ろから来た三人が老女と自分をいないものとして扱っている様子に目をパチクリとさせる。
「どういった状況なのでありますか?」
「単純に階梯が足らないのよ。あたしと彼女達じゃ天地以上の差がある。こっちの隠蔽を見抜けるのは此処でその男だけって事」
その老女の言葉にディアスが僅かに顔を歪めた。
「それで、これからどうするのでしょうか? じ、実際、自分はこのような強い方々の傍にいたら、一秒で肉塊だと思うのですが」
「ま、ゆっくり観戦してもいいのだけれど、ディアス君も自分の愛した女の友人に殺されるのは本望じゃないでしょうし。こっちで断罪者は用意しておいたわ」
「―――ッ」
男が老女の声に一瞬だけ視線を向け、咄嗟に動こうとしたものの。
その視界がゆっくりと左右にズレる。
「「「ッッッ?!!?」」」
彼女達の前で男が縦に割れた。
それでも、そんな状況の中でも、男は目玉を動かし、自分の真っ二つになった断面を空気に曝しながらも動こうとして、今度は首と手足と胴体が細切れにされた。
「無駄よ。魂そのものを切断するわ。空間制御はこっちで切断の瞬間だけ切らせてもらったから、お終いね」
繋がっていないはずの臓器が動き。
肺が活動し、喉が僅かに声を絞り出す。
己の背後に潜んでいた相手に一矢報いようとした男の身体が瞬間、燃え上がって細胞の一欠けらまで残らず魔力の白炎で蒸発した。
「だ、誰や?! あ?! ま、まさか、王家の?!!」
「ユイナ!! ウルハ!! 警戒を解かないで!?」
「あ、貴方は誰なの!!?」
ディアスの背後で短剣を振るった相手に三人の女達が警戒を強くする。
圧倒的な強さ。
自分達がようやく追い詰めた相手を一瞬にして細切れにした存在。
その黄昏色のフード付きのローブを被った相手が短剣をそっと腰の鞘に戻すのを誰もが固唾を呑んで見守っていた。
「御機嫌よう。御三家のお転婆さん達」
老女が三人に向き直って声を上げると即座に誰もが距離を取った。
「あ、あんた、いえ、貴女は?!!」
ユイナートと呼ばれた彼女が思わず片手を白く握り締める。
どうやらようやく相手がどういう存在かが分かったらしい。
「久しぶりねぇ。全員で中央諸国への留学から帰ってきてもう一週間くらいかしら」
「こ、このおばあちゃん誰なの?! ユイナちゃん!?」
ウルハと呼ばれた少女が年上に見えるユイナートに訊ねると。
彼女は悔しそうな顔になった後、静かに瞳を閉じた。
「ウルハちゃん。リシェちゃん……とりあえず、頭を下げなあかん……この方は先代のヴァルキリスや」
「な?! まさか、バベッジ卿!?」
リシェール。
黒髪の少女が驚きに目を見張り、思わず老女へ向けていた刃を下げた。
「いいのよいいのよ。若い子達に礼儀を求める上等な大人じゃないから。あたしは」
軽いノリで老女が微笑む。
その様子に複雑な表情で、反発したいのをどうにか抑えた様子のユイナートが前に出て、片膝を付いて頭を垂れた。
「……バベッジ卿。先程までのご無礼お許し下さい」
「あらあら、いいって言ってるのに」
「それで、此処には王家からの命で?」
「そうよ。貴方達が暴走して大変だから、先に元凶を叩き潰してきなさいって話が来てねぇ」
「ッ」
唇を噛んだユイナートがどうにか諸々の反感を押し殺してから立ち上がった。
「ディアス・バルンベインは……」
「死んだわ。今、見た通りよ」
「そう、ですか………」
ユイナートが何とか声をそう絞り出す。
本来ならば、自分達の手で決着を付けなければならなかったのだ。
しかし、その機会は永遠に失われた。
やり場の無い気持ちに整理が付けられる程、彼女達はまだ大人というには政治の世界を知らず。
また、それを飲み込める程に穢れてもいなかった。
「悔しい気持ちが分かるとは言わないけれど、自分達のした事は分かるわね?」
「……ええ、独断専行、命令無視、家の権力の私的使用……」
「分かってるならいいのよ。別に責めを負わせるのはあたしじゃないし、実際のところ王家も御三家との関係を悪くしたくないから、状況や貴方達の心情も考慮してお咎め無しだろうしね」
老女の言葉は軽い。
しかし、その内容に他の二人も視線を俯けていた。
「ま、自分達のした事が分かってるのに説教臭い事を言う必要もないわ。今日はさっさと帰ってゆっくりと休みなさい。全員、自分の子供に心配掛けないようにね」
「………はぃ」
ユイナートがウルハシアとリシェールの傍まで行くと二人の肩を抱き締めた。
「あ、そうそう。ヴァルキリス・ギムナシオンに通ってる貴女達のお嬢ちゃん、何ていう名前だったかしら?」
この場に似つかわしくない朗らかな声に三人の重い唇が何とか声を紡ぎ出す。
「ウチの子はエインティート言います」
ユイナに続いて何とかウルハが呟く。
「ユイハシアと言います……」
リシェールが言いたくないと唇を硬く閉ざそうとしたが、ユイナートが視線を合わせて、僅かに促した。
「ラフィール、です……」
「みんな良い名前ね。あ、家の子も紹介するわ。“ティア”……挨拶なさい」
黄昏色のフードが脱がれ、顔を出した少年。
いや、少女。
否……どちらとも言えぬ中性的な彼もしくは彼女がそっと三人にお辞儀した。
まだ初等教育を受けてそう経っていないくらいだろう歳に見える老女の秘蔵っ子は中肉中背で黒髪を腰まで伸ばした姿。
何処か表情の薄い顔と陽光を背にしても僅かに耀く虹彩が煌き。
三人は自分の娘達と同じくらいだろう相手に驚きを露とした。
「クリスティア。クリスティア・バベッジ」
「この子、今年から家の当主になる予定なのよ。たぶん、貴方達の子と一緒の歳だから、出来れば仲良くしてあげて頂戴な」
「……ええ、バベッジ卿」
ユイナートが僅かに緊張した面持ちながらも、クリスティアと名乗った自分の娘と変わらない年頃の相手に近付き、軽くお辞儀した。
「よろしくな。クリスティアちゃん。ウチはユイナート言うんよ。他の二人もやけど、娘がいるんや……会ったら仲良くしてやって下さい」
クリスティアが頷いた後。
その頭を撫でてユイナートが背後の二人の下へと戻る。
「さ、それじゃあ、明日からの大蔡年初日に向けて準備しないとねぇ。帰るわよ。ティア、エシス」
「は、はいであります!!」
「了解……」
三人の横を三人が抜けて行く。
その最中で人馬である彼女は思う。
自分は救われたと思ったが、今の状況は深みに嵌ったの間違いなのかもしれないと。
その日の午前0時。
大樹はその魔力を開放し、魔力の燐光が国土の遍く場所を満たした。
それはベリアステルに存在する法術師の全一族が唯一全ての柵を無視して伸し上がれる可能性を秘めた戦闘技能の博覧会。
国家の総力を結集した軍事と政治のヒエラルキーの改定制度。
つまりは……骨肉の争いによって頂点を目指す何でもありの“戦争”であった。
*
スヤァ……という寝顔で本日の疲れの全てを全力で癒すべく。
精神的に限界だった人馬たる彼女エシスは無防備極まる姿で仰向けになって草の敷かれた厩舎で寝こけていた。
さっそく与えられた部屋は気に入ったらしく。
その寝顔は穏やかだったが、微妙に自棄っぱちとも見える。
そんな彼女のいる場所から数十m先。
木造の平屋で100m四方もある敷地内を埋める大邸宅の奥。
最奥の庭を望む縁側で老女がクリスティアを横にして、ディアスを細切れにした短剣を庭の芝生の方へと放った。
すると、ボンッと小さな破裂音と共に短剣が砕け散り、内部からフワリと幽体。
つまりは死人となった男の意識を内包した魂魄が生前の姿で浮かび上がる。
『……ぅ……どういう事だ。何故、オレを助けた……』
立ち上がった半透明の男が老女を睨む。
「別にいいじゃない。権謀術数は大家の宿命よ。それに実際、王家も貴方を殺すの躊躇ってたし、どうするのかは私に一任だったから、咎められる謂れも無いしね」
『何? 何故、王家がオレを生かす……躊躇う理由だと?』
「そこは自分で考えなさいな。ま、今から貴方は死人としてあたしに酷使される運命だけれどね」
『……オレをどうするつもりだ?』
「貴方も知ってると思うけれど、バベッジの家はそもそもがあたし一代限り。娘達は全員他の家に嫁として出したから、受け継ぐ人間がいなければ、あたしが死んだ時点で家は解体なのよ」
『それでオレに何を協力させたい? 大罪人たるオレを囲ったとバレれば、例え公的な罰が無くとも他の家に潰されるぞ』
「あははは、心配無用よ。あたしの目的はそんな下らない足の引っ張り合いには関係ないから。貴方には生前の知識を生かして、この子の補佐をして貰うわ」
『……その“人形”をどうするつもりだ?』
「あら、やっぱり貴方を選んだのは正解ねぇ。観察眼だけは一級品だと思ってたけれど、もう見破ったの?」
『オレが何の研究をしていたと思っている』
「ふふ、いいわ……目的の一部を明かしましょう。明日から始まる大蔡でこの家に何人か入れたいと思ってるの。それに協力なさい」
『素直に言う事を聞かなければ?』
「魂魄ごと砕くだけね」
『……家の再興? そんな事に貴様が熱を入れる理由があると言うのか?』
「そんなの興味無いわ。でも、目的の達成の為には力が必要なのよ。それを遂行する手足が今のあたしには足りない。だから、この子に当主をしてもらって、この大蔡で集めようって話なのよ」
『何を考えているのか知らないが、オレを使おうと言うんだ。そのリスクは安くないぞ』
「あたしの目的の邪魔さえしなければ、別に何をしようが構わないわ。勿論、貴方のしていた研究を続けてもらっても結構よ? 精々、バレないように気を付けなさい。さ、ティア……」
クリスティアがコクリと頷いて、ローブの袖から小さな縫い包みを取り出した。
それはデフォルメされた黒い虎のようにも見えたが、妖しいくらいに細部のディティールが粗雑な素人の手作り感満載な代物だった。
『な、何だソレは!?』
「貸しのあった家に創らせた貴方の新しい身体よ。貴方の血肉を培養して作った毛を編んだの。素敵でしょ?」
『……最初からオレを使う気でいたのか?』
「人聞きの悪い。必要そうな人材の“器”は常時ストックがあるわ。貴方もその一人ってだけの話よ。今のところ貴方しかいないけれど、ね?」
老女の笑みにもう存在しない背筋を寒くして。
男は唇を噛んだが……今は従うしかないとクリスティアが持ってきた黒い虎に手を付く。
すると瞬間的にその幽体が吸い込まれ、縫い包みが僅かにモゾモゾと動き出して、ボタン製の瞳に僅かな耀きが灯った。
「今から貴方は……ふむ。ティア、何か付けたい名前はあるかしら?」
「……クヲ……トラ?」
「クオトラ?」
コクコクと頷く自分の跡目に老女が微笑んだ。
「じゃあ、貴方は今日からバベッジ家の当主付き使い魔兼家令のクオトラちゃんね」
『……この屈辱、いつか万倍にして返す。この老害め……』
「最高の褒め言葉よ。さ、じゃあ今日はもうお終いにしましょうか。あたしも疲れたわ。明日からギムナシオンに登校予定だから、補佐を頼んだわよ。この子に色々と教えてあげて頂戴」
老女がクヲトラを抱えて戻ってきたクリスティアの頭を撫でてから座敷の奥へと消えていく。
横開きの襖が開いては閉まる音を聞きつつ。
縫い包みの主は自分の部屋へと向った。
歩き出して数分後。
老女と同じように座敷を幾つか越えた先にある四方を襖で囲まれた一室に辿り着くとクオトラはそのあまりにも人間味の薄い部屋。
天蓋付きの寝台と箪笥と机と本棚と魔術具製の洋光ランプしかない場所を見回して鼻を鳴らした。
『貴様、一体“中身”は何だ? その身体、普通ではないな……』
「さぁ?」
『まぁ、いい。貴様が何であろうとあの老害が使える内は利用させてもらおう』
クオトラを机の上に置いて、クリスティアがローブを脱ぎ捨てる。
また、その下に着ていた法術師がよく好んで使うゆったりとした白い法衣も何の躊躇も無く床に落とされた。
『ッ、貴様!! 如何に人形だとて慎みというのを持て!?』
何やらそれを見ていたクオトラが視線を僅かに逸らして喚く。
「?」
何一つ身に付けていないクリスティアが縫い包みの方に再び歩み寄って首を傾げた。
『常識の一つくらい教えていないのか!? いいか!! 貴様の身体は雌雄体のようだが、そうだとしても慎みの無いやつは獣以下だ!! 乙女ならば、貞淑さを学べ!! 男ならば、貞潔さを学べ!! それでこそ人徳というのは付いて―――フギュ?!』
説教を始めた縫い包みを箪笥に仕舞い込み。
全裸のまま。
クリスティアが寝台へと潜り込む。
『おい!? 貴様!? 人形の癖にオレをこんな所に閉じ込めるとはいい度胸だな!? 出せ!? 出せ!? オレはこれでも閉所恐怖症なんだぞ!??』
指先を弾いて。
煩い箪笥に防音の魔術を施したバベッジ家の次代当主様は眠そうにして床の中で瞳を閉じた。
そんなこんなでベリアステルの夜は様々なものを孕みながら穏やかに過ぎていく。
翌日、喚き疲れてグッタリした縫い包みを頭に乗せた少女クリスティアはバベッジの家から旅立ち。
新しい学び舎へと向う事になる。
その後ろには子守よろしく人馬の女が従者として付いていく事となるが、それは明日の話。
ただ、その人形と呼ばれた存在は……闇の中で静かに夢を見る。
それはとある館で繰り広げられる誰かの物語だった。
まだ、この時、この世界が何処に向かっているかを知る者は無く。
深く時は刻まれ続ける。
古き暦が終わる日。
そうして、確かに一人と一体と一匹の物語は始まったのだった。