※この作品はR-18です。

聖娼館ハルトゥム   作:Anacletus

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第二章四節

第二章四節「決意」

 

 爽快に【列車(ディムバール)】が走る。

 

 車窓を眺める余裕があれば、少年は帝都をほぼ独り占めの情景に見入っていたかもしれない。

 

 流れていく人の営み。

 

 母子が手を繋いで歩き、恋人達が公園で憩い、味付きの氷売りが声高らかに呼び込み、賑わう市場は活気に溢れ、新参者が夢見た帝都の街並みに目を輝かせ、空には平和の象徴たる白き鳩が飛ぶ。

 

 おお、畏れよ。

 

 あれこそは帝国に名を知らしめる【怪物(ディムバール)】と詩人が詠んだ通り。

 

 鋼鉄の箱は猛烈な勢いで、美しき帝都を駆け抜けていく。

 

「……」

 

「そんなに余の顔を見つめて。猊下も一目惚れであろうか?」

 

 自信満々に言い切るイグニシア・クルシスの皇帝(しょうじょ)に少年は汗を浮かべた。

 

「それは無いけど」

 

「何だとッ!!? 陛下は正に天上から舞い降りた天使顔負けッッ!!!! いや、それに勝る御方で―――」

 

 本人ではなく傍に控えていたエーレインが激昂した。

 

「エーレイン。お前に発言を許した覚えはないぞ?」

 

「は!? も、申し訳ございません!!!!」

 

「許してやって欲しい。ああ、見えて頭にも筋肉が多い」

 

「~~~」

 

 主の言葉が余程に応えたのか。

 

 涙目でプルプルし始める女隊長が俯いた。

 

「えっと……」

 

 皇帝とはいえ年下。

 

 その少女に対して絶大な信頼を置くのは別にいい。

 

 だが、もう完全にそれは仕えるというより崇拝に近いような関係。

 

 少女の人心掌握は人並み以上なのかと少年は苦笑いした。

 

「まぁ、詳しい諸々は後にするとして、一つだけ」

 

「何であるか?」

 

「僕は猊下じゃない。ティアでいいよ」

 

「もう親しく呼び合うとは。さすが魔王、おっと……ティア、であるな」

 

 クスクスと笑んだ顔は歳相応に愛らしい。

 

「君を呼ぶ時は何て呼べばいい? 皇帝陛下」

 

「ふむ。尊称は要らぬ。枕詞も。まぁ、好きに呼べばよい」

 

 意趣返しに剥きになる事もなく少女は軽く応えた。

 

「なら、エトでいい?」

 

「エト。ふふ……余をそう呼んだのはお爺様と母上以外無いな」

 

「じゃあ、エト。君へ先に三つ言っておかないといけない」

 

 鷹揚に頷いた少女へ少年は先程への簡潔な回答を述べる。

 

「一つ。僕と交わって不老不死になれるかどうかは分からない。二つ。幾ら薬や魔術なんかでそうしようとしても子供が出来る確率はたぶん零に近い。三つ。僕が君に付き合ってもいいのは三ヶ月だけだ」

 

 少年の発言に皇帝は、エトは気分を害した様子もなく頷いた。

 

「そうであろうな。だが、ティア。貴方は余に三ヶ月も付き合う気でいる。魔王の時間を三ヶ月……女冥利に尽きるとはこの事よ」

 

 髪を掻き揚げながら余裕の表情を崩さないエトを見て、少年は溜息を吐いた。

 

 横で黙ったままのエーレインの瞳がキラキラと尊敬する者を見つめて輝く。

 

 その顔はまるで「ああ、陛下!! 魔王にすら動じぬお心!! しっかりとこの目に焼き付けます!!」とでも言いたげで。

 

「エーレイン。また、勝ってしまったようであるぞ? さぁ、謳え」

 

「喝采せよ!!! 喝采せよ!!! 我が麗しき皇帝陛下万歳!!!」

 

「はははは、照れるではないか。よいよい。今日は早めに帰って料理人達を余が直々に焚き付けて来よう。質素・倹約を旨とする余だが、めでたき日くらいは千年酒さえも樽で開けるぞ。ははははは」

 

「ああ、陛下!? その壮大なる御心。国を傾ける杯も明日の糧となって、きっと陛下の人生を飾るでしょう!!!」

 

「素晴らしき哉。我が人生。素晴らしき哉。我が未来」

 

「はい!! はい!!! 千年帝国に栄光あれ!!!!」

 

「はは、は……」

 

 やり取りに付いていけなくなって、少年が顔を引き攣らせる。

 

 それを見計らったかのようにエトが箱の進む方角へ視線を向けた。

 

「おっと【列車(ディムバール)】がそろそろ入る頃合か」

 

 釣られた二人の視線が同時に進行方向へと向いて。

 

「途切れてない?」

 

「へ、陛下!?」

 

 硝子の先、車両が走ってきた線路が途切れているのを確認する。

 

「さぁ、刮目するがよい。十年後を目処に余の歴史に加える予定の偉業であるッ!!」

 

 顔を輝かせて立ち上がった少女が腕を広げる。

 

 あわや脱線事故。

 

 そうなるはずだった箱が傾いた。

 

「へ?」

 

「ふあ!?」

 

 ガコン。

 

 列車の先の地面が地価へと落ちていく。

 

 暗闇に突入した列車は何事も無く走り続けた。

 

「これって地下に?」

 

「陛下。いつの間に帝都の地下に隧道(トンネル)を!!?」

 

 列車の中に魔術具の洋光(ランプ)がポツリポツリと付き始める。

 

「無論、二年前からである」

 

 二人を驚かせた事に至上の満足を得た様子でエトが胸を張った。

 

「一度大陸中央に旅行へ出た事があろう?」

 

「は、はい。あの時はお勤めから付いていく事が出来ず不覚でした」

 

「あの時に出合ったとある者が困っていてな」

 

「とある者?」

 

「ああ、何でもイグニシアでしか取れぬ鋼の類があるとかで。それを幾らか都合した事があった」

 

「イグニシアでしか取れない鋼。【宝煉鋼(ティサウリス)】の事でしょうか?」

 

 エトが頷く。

 

「うむ。何やら鉱山一つ分欲しかったらしいが、前々から輸出規制していたので困り果てていたとか。それでな。こう、くれてやったのだ。一年程前に。同じ頃に余の下へ資源庁の長が怒鳴り込んできた事があったと思うが覚えているか?」

 

「はい。あの時は確かお咎め無しであったように思いますが」

 

「あれはその時に山ごとくれてやったのを批難されていたのだが。まぁ、結果は上々だった。その者は大陸で最も賢き者であったのだから……」

 

「大陸で最も?」

 

「七聖女フルー・バレッサ。近代化を進める者に恩を売った、という事だ」

 

「陛下は七聖女に恩を売ったのですか!?」

 

「皇帝として施しの心を忘れなかった余に天は味方した。国の技術者達へのあの者の指導はやがて国の宝となって遍く人を照らす光と為る。今もその恩恵は湯水のようにこの帝都を変革しているわけだ」

 

「ああ、陛下!! 陛下!! 一生付いていきます!! 我が心は陛下と共に在り!!」

 

「よいよい。どうやらこちらも余の成功譚に茫然自失の様子。隠していた甲斐があったというものよ」

 

 呆れてはいたが、少年は少しだけ感心もしていた。

 

 聖女に心酔する事もなく。

 

 ただ技術を引き出すのは並大抵ではない。

 

 恩を売るのが難しいどころか不可能に近い相手である。

 

 七聖女フルー・バレッサ。

 

 技術力のみで大陸を最も震撼させる少女。

 

 その実際のところを知っている少年にしてみれば、エトが七教会の手先であると疑うより先に、まず聖女相手に取引を成立させた手腕を買いたいところだった。

 

 無論、嘘という可能性もあるにはあるが、目の前の少女は嘘を付くような性格ではない。

 

 最初からそれだけは少年にも見通せていた。

 

「そろそろ城の地下に付くな」

 

 列車がゆっくりと速度を落としていく。

 

 やがて暗い道の先に明かりが灯り、最初に乗り込んだ場所のような駅舎、それも大理石の柱と彫刻で飾られた特注であろう場所が見えてくる。

 

 彫刻の意匠は旧き神々と一人の女神で構成されていた。

 

 傅く神々に手を差し出す女神。

 

 その手からは水が滴っている。

 

 一瞬だけ彫刻に目を奪われた少年だったが、すぐ現実に戻った。

 

 静かに止まった車両の脇、ガシュンと音がして出入り口が開く。

 

「ようこそ。ティア。余の初めて招く客人よ」

 

 手を差し出したエトの姿が少年には眩しく映った。

 

 情熱を持って何かを成そうという人間はいつも眩い。

 

 それが例え敵や敵となるかもしれない存在であろうと。

 

「……しばらく、お世話になります」

 

 礼儀として一応、そう頭は下げられた。

 

 *

 

―――帝都宮殿域、水分(みくまり)の城。

 

「ああ、もうどうしたらいいのよ……」

 

 巨大な柱で外側を構成されている神殿そのものといった風情である城の大通路。

 

 専業奴隷達が行き交う廊下の中央でイライラした様子の少女がいた。

 

 歳は今年で十四歳。

 

 武帝の豪族出の少女は皇帝であるエトより身長が高い。

 

 栗色の髪は短く、青い紐で括られている。

 

 ぴょいんと癖っ毛が頭の上で飛び出て。

 

 少女の意思を反映するように揺れていた。

 

 イライラしていながらも見る者に天真爛漫と思わせるのは少女の人柄が顔に滲み出ているからか。

 

「あの馬鹿。ハイランさんに任せておくって言ってたじゃないのよ。ああ、もう」

 

 ブツブツと呟きながらあっちをうろうろ、こっちをうろうろ。

 

 皇帝直属である女の専業奴隷達にしてみれば、邪魔この上ない所業だったが、常の少女の心配性を心得ている彼女達は気にした風もなく。

 

「ああ、やっぱり心配だから、いっそ開けるわッ!!!」

 

 クワッと目を見開いて。

 

 決断した少女が碧いドレス、それも特注でかなり動き易いようカスタマイズされた代物を翻し、大地の奥底へと続く扉の取っ手を掴んだ。

 

 帝都秘密地下隧道。

 

 十年後を境に一般へ開放するとされている列車の行き交う場所。

 

 その中でも一番重要な場所である城の地下駅舎へと向おうと―――。

 

 ガイン。

 

「ひぎゅあッッ?!!」

 

 淑女にあるまじき叫びが大通路に響いた。

 

 ぶつけた額(でこ)を押さえ、星でも散っていそうな視界を何度も首を振って立て直し、少女は開いた扉の中を見つめた。

 

 闇の中からヌゥッと待っていた者とは違う紅い制服が現われる。

 

「なッ!? エーレイン!!?」

 

「ささ、陛下。邪魔者は取り除きました。どうぞ」

 

 エーレインが少女に気付いたものの、すぐに無視を決め込んで薄暗がりの中から階段を上ってくる皇帝を直立不動で出迎えた。

 

「ご苦労だった」

 

「勿体無きお言葉です」

 

「ん? ああ、お前もいたのか。どうしたのじゃ? エリザ」

 

「あ、あんたねぇ!? 人に心配させといて何上機嫌なのよ!!? 魔王を捕獲しに行くのはハイランさんがどうにかするって言ってたじゃないのよ!! なのに、どうして一人で見に行ったりするわけ!? 危ないじゃない!!!」

 

 エリザ。

 

 そう呼ばれた少女がムスッとした顔でエトへと詰め寄った。

 

 本来ならば、不敬どころの話ではない。

 

 死刑の厳罰を科される所業だ。

 

 しかし、エーレインも相手が相手なので、そっと拳を握って「何と言う事を!!!」という顔をしてはいるものの、実力行使には出なかった。

 

「世界は広い。それが今日はよく分かる日であった。さぁ、宴の準備をせねば、ハイラン辺りには使いを出して知らせよう。何、心配するな。客は一人もいれば十分であるのだから」

 

「ちょ、いつにも増して意味不明!? 何よ客って!! 宴ってなんなのよ!?」

 

「(そんな事も分からないから、未だに陛下の素晴らしさが分からないのだろうな)」

 

 小声で小馬鹿にしたエーレインの言葉にピキリとエリザが額に青筋を立てる。

 

「こんのぉ……一辺あんたとは決着付けないといけないとは思ってたのよね」

 

「ふ…嫁ぎに来た癖に一度も陛下の寝所に入らないお前の言えた事か」

 

「なッ?!! そ、それは関係ないでしょ!!!

 

 エリザの頬が朱に染まった。

 

「陛下に心と身体を許した方ならば、私は誠意を持って接しよう。だが、お前は違う」

 

「く…陛下が好き過ぎて近衛から追い出されたあんたよりマシよ!!」

 

「ぬ?! 言ってはならない事をッッ!!!」

 

「何よ!!?」

「何だ!!!」

 

 ギリギリといがみ合う二人を放っておいて、エトが背後から顔を覗かせていた少年の手を引いて歩き出した。

 

「放っておいていいの?」

 

「構わぬ。いつもの事だ。エリザリドとエーレイン。あの二人は前々から仲が悪くてな」

 

「へぇ。さっきの話だとあの子って……」

 

「ああ、余の許婚である。まぁ、生まれる前からの約束事であった故な。性別までは分からなかった上の世代に責任があるのだが、皇帝が約束を反故にする事も出来まい? そういう事じゃ」

 

 城の内部。

 

 以外にも造りは質素だった。

 

 他の国の王宮に関して、それなりに智識がある少年だったが、それにしても瑕疵の一つも無い白壁と中庭、それから飴色の木製の戸だけで構成された空間は一種圧巻。

 

 清廉な空間を通り抜けていくだけで少年には心地良かった。

 

「まずは部屋に案内しよう」

 

 巨大な回廊を通り抜けた先。

 

 二人が辿り着いたのは複雑精緻な文様が刻まれた扉の前。

 

「ハイランはお前の力を制御する部屋を作っていたが、お前を見て諦めたであろうし、構うまい」

 

「此処は?」

 

「余の寝所である」

 

「えっと……」

 

「何も今からしようという話ではない。それともそれが望みか?」

 

「明け透け過ぎない?」

 

「この城に貴方を置いておける部屋は二つ。ハイランの作った部屋か。余の寝所か。これは誠意と受け取って欲しい」

 

「まぁ、別に寝る場所は何処でも構わないけど」

 

「なら、問題ないであろう」

 

「……お邪魔します」

 

 本来扉を開けるなんて下賤な事はお止め下さいと言われる立場のエトだったが、寝所を開ける役目を言いつけようとしたエーレインがいない以上はと気にもせず己の手で開けた。

 

「……」

 

 連れ立って部屋の中に入った少年はその内部に汗を浮かべた。

 

「質素に見えるのは別にいいんだけど」

 

「ふむ?」

 

「よく、これだけ揃えたね……この部屋だけで小国の国家予算が十年分は飛ぶんじゃない?」

 

「その審美眼、頼もしいぞ。ティア」

 

「褒められてもあんまり嬉しくないんだけど……」

 

 少年は部屋の内部にある複数の家具やら衣装部屋へ続く扉やら天蓋付の寝台やら小物を入れる小箱やら花瓶やら絨毯やら窓硝子やらを見つめて、閉口したくなった。

 

 皇帝の部屋。

 

 普通なら巨大な空間に無数の調度品があるような場所。

 

 だが、実際には部屋の規模はそれ程大きくない。

 

 精々が普通の家屋が一つ分程の広さだろう。

 

 嘗て大貴族の邸宅や王宮の寝所は恐ろしく広く作るのが流行っていた。

 

 しかし、小さく纏められたエトの部屋は城の内部と同じく白壁で何か特段文様を彫り込まれているという事がない。

 

 更に内部に備え付けられた家具や調度品も質は良いが質素なものばかり。

 

 唯一大陸中央製らしき天蓋付の寝台だけはむやみやたらに大きかったが、それも別に問題ではない。

 

 少年が問題にしたのは、家具の中や小箱や扉の先に込められた恐ろしい程の超常の力の気配。

 

 たぶん、伝説と名の付くクラスの物が多数放り込まれている。

 

「衣裳部屋には古今東西あらゆる者達が来た衣装を放り込んでいてな。宝石箱には魔王を倒しただの、国を滅ぼすだの、英雄が使っただの、天使の持ち物だの、そういうのが多い。下着や普段着は全て我が国の最高の素材と技師と超常の者達の力で造らせている」

 

「何か大戦で戦った人の気配とかもあるんだけど、どうやって集めたのか聞いていい?」

 

「金と権力である」

 

「それだけ?」

 

「例え超常の力を持とうとも、意思ある者は一人で生きているわけでもない。戦時には頼られる存在でも平時では役立たずか害悪のような英雄、というのはよくある話。余はこれでも七聖女程ではないにしろ商売に明るくてな。顔もそれなりに効く。働き口を探し、融資し、法を変え、生活の糧を与えれば、靡(なび)かぬ者は少ない」

 

「エトが凄いのは良く分かったよ……」

 

 少女の持つ力の大きさをまざまざと見せつけられた気がして。

 

 少年は半笑いだった。

 

 人の役に立つどころか害である存在の最筆頭である魔王。

 

 そんな己の事を鑑みれば、少女の遣り方は正しい。

 

 どれだけ大きな力を持っていても、個人と国を動かす権力を有する皇帝では話にならない。

 

 無論、国を圧倒する個人もいるわけだが、そういう者は大概が世捨て人。

 

 人の営みから切り離されているので特定の事象、戦争だとか特定の存在の復活だのが無ければ、人々と関係する事も殆どない。

 

「此処で暮らすって事でいいの?」

 

「余が許す。しばし、ハイランに連絡を出すので待て」

 

 黒檀の机に歩いていくと座りもせず机上のペンを取って虚空へとエトが何事かを書いていく。

 

 黒い文字がサラサラと何もない空間で留まる様子は普通の人間はまず一生見る事のない魔術具の効果。

 

 しばらく掛かるだろうと少年が大きなテーブルの横の椅子へと腰掛けようとした時だった。

 

「ご無事ですか!! 陛下ッ!!!」

「エト!!」

 

 扉を蹴破る勢いでやってきて、絨毯にボスッと倒れ込んだエリザとエーレインが顔を上げた。

 

「五月蠅いぞ。花押(かおう)を間違えたではないか。黙っておるのじゃ」

 

「「……」」

 

 怒られた二人がシュンとなった。

 

 少年はそんな二人を見て“似たもの同士なのだろう”と何となく納得する。

 

「っ、ティア様!?」

 

 見られていた事に気付いて。

 

 エーレインがサッと立ち上がり直立不動で敬礼した。

 

「別にそんな事しなくても」

 

「いえ、陛下が初めて己で迎えたお客様であるティア様に失礼があってはなりませんので」

 

「まぁ、程々にね?」

 

「了解しました」

 

 少し控えめな声でそのまま銅像のように固まったエーレインを横目にパンパンと埃を払って立ち上がったエリザがジトーっとした半眼で少年を睨む。

 

「あんたが魔王?」

 

「一応……」

 

 引き気味に少年が苦笑いした。

 

 自分の魔王らしくなさは常の事。

 

 疑われても仕方ないと少年は頭を下げる。

 

「初めまして。えっと、エリザさん?」

 

「エリザリド・エンタンレ・ディオノースよ」

 

 瞳を細めたエリザが少年に応えた後、直立不動のエーレインに視線を向ける。

 

「ねぇ、エーレイン。これ本物?」

 

「ハイラン様が本物であると確認した」

 

「……そうなんだ。ふ~~ん。これが力を失った魔王の成れの果てねぇ」

 

 珍しそうに近寄ったエリザが色々な角度から少年を観察する。

 

「あの……」

 

「ねぇ。あんた魔王なのよね?」

 

「え? うん」

 

「なら、魔王の証を見せてよ」

 

「証?」

 

「あんた魔力これっぽっちも見えないし、筋肉の付き方も普通だし、というかナヨナヨし過ぎで全然強そうに見えないから、危険ではなさそうだけど。偽物だったりしたら嫌じゃない。ほら、高級品の偽物とか掴ませようとする悪徳商法が近頃市井の間じゃ流行ってるって言うし」

 

 あまりの言われように少年は結局まともに会話してくれる人はこの城にはいないのかもしれないと半ば普通のコミュニケーション努力を諦めるか真面目に内心検討し始める。

 

「失礼だろう。ティア様はたぶんきっと強そうには見えないが魔王だ」

 

 ちょっと涙目になりそうな発言だったが、少年は笑顔で対応した。

 

「証って言われても何をすればいいのか分からないんだけど」

 

「ん~~そうよね。あたし達が納得出来る事じゃないとダメだし……あ、そうだ。ねぇ、触手出しなさいよ。触手!! 確か淫魔王は女千人を一度に侵す触手を身に隠し持ってるのよね!!」

 

「……はぁ」

 

 明らかに三文小説の類。

 

 しかも、過去に魔王と名乗った者の中には確かにそんな力を持つ者もいたと伝承にはある。

 

 だが、だからと言って、七教会だって今は魔王に対し淫魔王なんて名称は付けない。

 

 少年は別に淫ら極まる行為に耽り続ける程暇ではないし、女千人を一度に抱いたりもしない。

 

「何か馬鹿にされてないあたし?!!」

 

 溜息に含まれる呆れを敏感に感じ取ったエリザが喚いた。

 

「ふ、これだから田舎者は。三文小説の類でも呼んだのだろうが、今の魔王は触手なんて出した報告例はない。大戦でも腕が八本とか顔が二千個とか、それくらいだ」

 

「……帰ろうかな」

 

 エーレインの言葉(デマ)に本気で愚痴った少年がげんなりした時だった。

 

「では、これを」

 

 窓を開けて窓辺に止まった鳩の足に黒い塊を括り付けるとエトがそっと空に放した。

 

「さて、二人とも余の客にそれ以上何かしたら此処から追い出すがよいか?」

 

「申し訳ありませんでした!! 陛下!!」

 

「う…ご、ごめんなさい」

 

 調子に乗っていた自覚はあるのか。

 

 ビシッと頭を下げたエーレインに罰が悪そうなエリザが小さくなる。

 

「まぁ、よい。これから余はティアと今後の事に付いて話がある。しばらく出て行け。ハイランには連絡を入れておいた。エーレイン。お前は今日より通常業務を解く。近衛に復帰し、余のお付の一人として仕えよ」

 

「へ、陛下!?? そ、それは真ですか!?」

 

「お前は余の言葉を疑うのか?」

 

「いえ、大変失礼致しました!! このエーレイン!!! 粉骨砕身!!! 陛下の為に身を尽くす所存です!!」

 

「ならば、余が命じる。余の名において料理人達に六人分の晩餐を全力で用意させよ。本来ならば余が行こうかと思っていたが、考えが変わった」

 

「はッ!! 謹んで拝命致させて頂きます!!!」

 

 エーレインが片膝を突いて頭を下げた後、部屋を出た。

 

 廊下から何やらこの世の者とは思えない歓声が上がり遠ざかっていく。

 

「……単純な奴」

 

 ポソッと呟いたエリザも頭を下げて一度少年を見つめてから部屋から出ていく。

 

 扉を閉ざされると中はシンと静まり返った。

 

「少し舞い上がっていたな。余もこれで人の子であったという事か」

 

「僕に比べれば、君はずっと人間らしいと思うよ」

 

「ふふ、これでも魔王に付いては一通り調べた。その内実は大よそ把握しているつもりじゃ。貴方の友達にはなれる余が人間だと思うか? ティア」

 

 見透かされて、それでも少年は頷く。

 

 エトがそっと椅子横のテーブルに行儀悪く腰掛けた。

 

「君が僕に詳しいのはよく分かった。だけど、君は一つだけ分かってない」

 

「何?」

 

 少年がいつだったかナーリャに絡んできた傭兵崩れと相対した時のような瞳でエトを見た。

 

「確かに僕は便宜上自分でも魔王って名乗ったりするよ。でも、それは僕を表す適切な表現がこの世に無かったからに他ならない」

 

「……何が言いたい?」

 

「綺麗な花があれば、万人がそうだとは言わないけど、誰も危ないとは思わない。でも、花みたいな何かを花と勘違いしてると痛い目を見るかもしれない」

 

「そうか。その言葉、余の心に留めておこう」

 

 確かにその時の二人には厳然と溝が存在した。

 

 それが埋められるかどうか。

 

 エトはそれが自分の望む結果を導く鍵だろうかと少年の瞳の色を見返す。

 

 二人が幾つか合意に達したのはもう日も暮れようという夕飯時になった頃。

 

 少年は今も自分を心配しているだろう少女達の事を思い、城から見る夕景で心を融かした。

 

 百万の金貨を積んでも見られるか分からないと言われる水分(みくまり)の城からの絶景は雄大。

 

 帝都にようやく夜がやってくる。

 

 *

 

 森林地帯には人が安全に眠れるような場所は極度に少ない。

 

 それでも四人が何とか寝床を確保出来たのは僥倖以外の何物でもなかった。

 

 川べりに洞窟を見つけたのはイーステル。

 

 嘗て動物が使っていたのだろう洞穴は奥行が20m程。

 

 最奥にはご丁寧にも枯葉の寝床が残っていた。

 

 辺りには糞らしきものも落ちておらず。

 

 一帯で寝床としてはこれ以上のものは無かっただろう。

 

 現住民である部族の襲撃で重症を負った少女の様態が安定したのは深夜。

 

 外の樹木へ網の寝具を吊ってイーステルは既に眠っていた。

 

「これでしばらくは大丈夫です」

 

 刀を治めたサヤトネが洋光(ランプ)の明かりの下、汗を拭った。

 

「そうですか……」

 

 マロウが横に座り込んでジッと少女を見つめる。

 

 胸を矢に貫かれた少女の顔は未だ青白かった。

 

「記憶が残る最低限の力で治癒させました。ですが、生命力が低いこの子では……傷が治っても体力が持つかどうか分かりません」

 

「そんな……」

 

 マロウの顔が歪む。

 

「傷は治せても出血があります。治した場所の発熱や衝撃を受けた身体のダメージの残滓は…それだけでも十分にこの子を殺し得る」

 

「では、記憶を消す程の力ならば、この子を?」

 

「可能です」

 

「……」

 

 沈黙するマロウにサヤトネは頃合いかと新しい希望を提示する事とした。

 

「一つだけ、記憶を消さずにこの子を助ける方法があるとしたら、どうしますか?」

 

「そ、それならそうとは早く言ってくれていれば!?」

 

「貴方にしてもらわなければならない方法です」

 

「どういう事ですか?」

 

「昔から生命力を分け与える魔術で最も安全且つ合理的なのは性魔術に類する超常の技能と相場は決まっています」

 

「なッ?!!」

 

 サヤトネの言葉にマロウが呆然とした。

 

「生憎と私は女なので。行う事が出来るのは貴方だけ……術自体は簡単なものなので身体に直接打ち込んでおけばいいものですが、行うとなれば、肉体の相性や本人の意思確認が必須です」

 

「本当にそれでこの子は記憶を失わずに?」

 

「記憶を取るか。この子の処女を取るか。このまま回復する可能性もありますが、森林地帯での体力の低下は病気を招きます。決断するなら早ければ早い程いい」

 

 マロウが唇を噛み締めた。

 

 まだ年端もいかない少女の身体はとても細い。

 

 自分の部族らしき者達に傷付けられて、更にそれを蹂躙するという方法が正しいわけが無い。

 

 だが、同時に記憶を消して。

 

 イーステルのように過去の全てを失わせる事もまた正しいわけが無い。

 

 しかし、最も忌避するべきは少女を死なせてしまう事。

 

 最初からマロウに選択肢など無かった。

 

 イーステルにした事は同時にサヤトネに記憶を消させるという行為に他ならない。

 

 少女の為に人へ責任を押し付けられる程、マロウは己に優しくなかった。

 

 例え、自分が罪を背負う事になろうと、どれだけ悍ましい人間に成り果てようと、マロウには折れぬ決意がある。

 

 少女を死なせたくないという思いがある。

 

 責任感だけで魔王に肉薄しようとしていた男の心は変わらないと知っていたサヤトネにしてみれば、その責任感こそがマロウに漬け込む最大の弱点。

 

 現実を思い出す日まで男の身動きが取れない程に責任を負わせる方法こそ対抗手段として最適。

 

 そう知った故の提案。

 

 だからこそ、マロウの出す結果はサヤトネには訊くまでも無く始めから分かっていた。

 

「どうしますか?」

 

「私が……」

 

 それ以上、言えず。

 

 サヤトネが頷く。

 

「では、簡単に幾つかの注意事項を」

 

 それから数分間、サヤトネは性魔術に関する基本的な知識をマロウに与えた。

 

 生命力の受け渡しは絶頂時の射精を膣内で行う事によって達成される。

 

 互いの肉体を発情させるか、それに近い状態を生み出すと効果は倍増する。

 

 魔力の受け渡し等は多くの場合、性魔術ならば暴発の危険もなく行える。

 

 繋がっていれば、相手の肉体との同調で身体能力の強化や生体活動の維持が可能となる。

 

 これらの解説から自分がどうするべきなのか知ったマロウは罪悪感に押し潰されそうになりながらも、少女に対して欲情する事が必要と言われて、目を伏せた。

 

「此処にイーステルと貴方用に乂羅で買っておいた媚薬があります。飲んでも塗っても効果がある代物ですから、半分呑んで、半分はこの子の性感帯に塗ってください。前技で発情させたら、ゆっくりでいいので挿入を。この子の身体が耐えられるよう術は組みます。挿入後は絶頂と射精を繰り返しながら、精を子宮に出すよう。生気と化すので幾ら出しても困りません。挿入後は出来れば抜かずに精が途切れ、この子の容体が安定するまでそのままにしてください。繋がっている限りは貴方の生命力がこの子の命を補うので心配する必要はありません。朝になったら呼びに来ます。では、良い夜を。マロウ」

 

 最後にそう言い置いて、サヤトネが刀を引き抜き、マロウと少女のいる巣の脇へ突き刺した。

 

 ガスンと簡単に突き立った刀を境に闇が広がる。

 

 秘事を守る結界。

 

 エーレインが発情し、時折応じるようになったマロウにはもう既にお馴染みの暗闇だった。

 

 洋光(ランプ)の下。

 

 苦しそうに息を吐く少女の身体は殆ど全裸。

 

 腰紐に掛けられている薄い布も褐色の肌にある垢のペイントも。

 

 今は少女を飾り立てる要素となっていた。

 

 細い腰は両手で掴めば回ってしまいそうに感じて、マロウはズキリと痛む胸を抑えた。

 

 服を脱いで、サヤトネに渡された瓶を半分煽る。

 

「ぐ……」

 

 甘いようなほろ苦いような。

 

 何とも言えない味が口の中に広がり、突如としてマロウの肉体が燃え上がる。

 

「がッ?!! こんな、これをこの子に……」

 

 効果が強過ぎるのか。

 

 それとも耐性がない身体が過剰に反応したのか。

 

 それも分からず。

 

 ふらつきそうになる足で少女の横へと寄り添い、マロウが耳元に唇を寄せる。

 

「すみません。私にはこんな事しか出来ない。情けない男です。ですが、貴女の命と記憶……貴女が貴女である証だけは守ります。その代わり、女としての証を私に下さい。許されないとしても私……は……っ……」

 

 ズグン。

 

 自分の股間が疼きが高まっている事を悟りながら、青年は少女の額にまずは口付けをした。

 

 親愛の証。

 

 そう家族にする時のように。

 

 奪う以上は責任を取る。

 

 その覚悟を示すように。

 

「目覚めたら、名前を教えてください。名も知らぬ子よ……」

 

 一筋の涙が少女の頬に落ち伝って、秘事は始まる。

 

 洞窟の冷ややかな空気が暖まりつつあった。

 

 少女を救うと決めた、また自らを絡め取る罠に陥った青年が、それでも命と記憶を守る為に、行為は始まる。

 

 優しげな口付けをいつか誰かにしたような気がして、青年はその朧げな記憶を振り払った。

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