※この作品はR-18です。

聖娼館ハルトゥム   作:Anacletus

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第二章八節

第二章八節「虹彩」

 

 イグニシア・クルシス北東部ゴウラン。

 

 武帝国境地帯まで数十kmの場所にその都は建設されていた。

 

 宮殿域の者達からは奴隷都市と影で呼ばれる皇帝陛下の実験場。

 

 此処二年での改革によって発生した莫大な富の三分の一を使って形成された都市建築の大半は古都を思わせる無骨な石造りで帝都とは比べるべくもない。

 

 だが、既に流入している奴隷達は定住を開始しており、人の数は一日で1.5倍の計算で増え続けていた。

 

 国有奴隷として老若男女に課せられる使命はただ一つ。

 

 国に買われた値段を自分で買い戻す事だけ。

 

 連れて来られた彼らは国へ利子を含め借金を納める為だけにいると言っても過言ではない。

 

 借金を返し終わった後は晴れて自由の身であるものの、故郷はもう無かったり、あるいは帰る旅費が稼げなければ、都市への定住は必定である。

 

 故に一様に彼らの表情は暗い。

 

 と、都市の管理者達は思っていたわけだが、皇帝の来訪に沸く奴隷市民達の姿にどうやらそれほど単純でもないらしいと悟っていた。

 

 お触れが大通りに立てられて後。

 

 涙を流す者や頭を下げる者、何やら喜びに沸く者まで大勢が集っている。

 

 未だ奴隷身分から開放された人間は殆どいないはずだったが、それでも自分を買った皇帝へ好意的な彼らの様子に役所の人間達は懐疑的な視線を向ける。

 

 皇帝の来訪が発表されたのが三日前。

 

 もう帝都を発った皇帝は優雅に飛行戦艦で明日にも到達すると連絡が来ていた。

 

 七教会からの技術指導による工業の発達で今やイグニシア・クルシスの生産力は改革前から比べても四倍以上にまで達している。

 

 遍く広大な領地の隅々にまで富は行き渡り、多くの諸侯は不満らしい不満を言う事もなく恭順の体。

 

 前代皇帝を凌ぐ政治力に宮殿域も改革に伴う痛みを受け入れた。

 

 それは奴隷達にも等しく。

 

 都には仕事が溢れている。

 

 人不足だと賃金は高くなる一方で懸命に働けば奴隷としての身分も数年で買い戻せる状況。

 

 良い職業に付ける可能性のある若い者達の為に学び舎を建てさせているのも奴隷達に皇帝への好意的な感情を持たせた一因だろう。

 

 学び舎での学費は全て借金となるが、それでも新しい都における高級職は目指すだけの価値はあって、五年勤め上げれば奴隷から開放されて余りある財力を得る事も出来る。

 

 夢と希望に胸を膨らませる者達が多い。

 

 彼らの熱気は活力となって人々を潤す。

 

 皇帝陛下万歳の掛け声が始まる大通りをこっそり女二人が食事処(カフェ)のテラスで見つめていた。

 

「素晴らしき哉。我が人生。素晴らしき哉。我が政治力♪」

 

 ひっそり言うのは相変わらず白いワンピースに不似合いな外套を着る少女。

 

 “我が麗しき皇帝陛下”

 

 その人だった。

 

「そういうのを自分で言っちゃうのが玉に瑕なのよね……」

 

 白く小さな円いテーブル。

 

 その上にコトリと紅茶のカップを置いてエリザが横の得意げなエトを呆れたように見た。

 

「良いではないか。事実は事実であろう?」

 

「それはそうなんだけど、謙虚が足りないと思うわけよ。一人でやったわけでもないんだから」

 

「帝国臣民は貴族だろうと奴隷だろうと我が腕の内に在り。余も崇められるだけの力量無くして偉そうにしているわけではない」

 

「もう、せっかくの旅行なのに全然変わらないんだから。あ、すいませ~~~ん。紅茶とケーキのセット後二つくださ~~~い」

 

『は~~い。ただいま~~』

 

 エプロンドレス風な制服姿の店員がエリザの注文を受け取るとパタパタ厨房へと駆けて行く。

 

「それにしてもどうしてお前はそんなに甘いものが食べられるのか。余には不思議でならない」

 

 エトはテーブルの上に積み上がった皿の山を半眼で睨む。

 

「甘いものは別腹なのよ。べ・つ・ば・ら♪」

 

「帝都七不思議の募集に今度出しておくか……」

 

「何よ。帝都七不思議って?」

 

「余の改革以降、色々と都市開発を秘密裏に行っていたのは知っているであろう? それで情報の一部が帝都の者達にも幾つか流れておるのじゃ」

 

「ふ~~ん。何か面白そう。それって新聞とかいうのに載ってたりするの?」

 

「去年の夏辺りから時折載っているはずだが。消えるディムバールに神出鬼没の妖精。高層建築群の怪異に奴隷商の幽霊。他にも色々あるが、近頃出た話だと見えない化け物というのもあったな」

 

「見えない化け物?」

 

「ああ、それは何処からともなくやってきて、人を喰らい尽すもの、だそうだが、さて…事実かどうか」

 

 少しだけ真面目な瞳になったエトに気付かず。

 

 エリザは店員が持ってきたケーキの山と紅茶のポットに釘付けだった。

 

「ねぇ、この店。帝都に出展させない?」

 

「……余の話を聞かないのはたぶん帝国でお前くらいのものであろうな」

 

「そう? あの魔王陛下(仮)も大概だと思うけど」

 

「余はまったく気にしていない」

 

「せっかく影武者立てて普通のスイート取ったのにね。あむ。ん~~~♪」

 

 もむもむとケーキを頬張り、紅茶を堪能するエリザが味に唸る。

 

「三ヶ月に含めないと明言したのだから目くじらを立てる必要もあるまい。寛大な余は決して一時離脱にガッカリしているわけではないのであるからして」

 

「あ、冷たい紅茶もあるんだ。すいませ~~ん。これもくださ~~い」

 

(何故、余の傍にはこう人の話を聞かない者ばかりなのか)

 

 少し憂鬱そうにエトは溜息を吐いた。

 

 都市にやってきたばかりの朝、明日には帰るからと魔王たる少年は消えた。

 

 せっかくの旅行初日であるというのに、両手に花を放っておいて。

 

「子作りはまだまだ先か……」

 

 エトは昼時の空を菫色の眼で見上げた。

 

 中々上手くいかないものだと内心に焦りを沈めて。

 

 未だ少年と少女の密事は成就していなかった。

 

 *

 

 ハルトゥムへと戻ってきていた少年は柄にもなく少し悪い事をしただろうかと思いつつも館の三人と共に食事をしていた。

 

 食堂と厨房は館の西館奥。

 

 天御門紅亜。

 

 土御門烙南。

 

 オーレム。

 

 館の住人は全員が今正に身体を治療中の者ばかり。

 

 それでも生活するには家事をせずにはいられない。

 

 未だ学徒憲兵隊の制服を愛用する紅亜が館に住まうようになってからというもの割烹着姿の彼女は毎日のように食事を作っている。

 

 幼い者に家事はさせられないと紅亜が頑張っているせいで手持無沙汰な烙南は何かと暇だ。

 

 それで館の外に出ては庭や少し遠い場所まで歩くのが日課になりつつあり、人のいないある意味安全な場所を回るようになっていた。

 

 ハルトゥムの館の周辺は本来大陸北部の一地域。

 

 魔王による接収後は大海洋と呼ばれる未だ未開である大陸から離れた海の上に浮かべられている。

 

 人のいない街。

 

 人のいない山岳。

 

 それでも植物は多く自生するし、多少の獣は住み着いている。

 

 誰もいないというのは烙南にとっても寂しい事だったが、元々が特定の人間以外いない館の中で生きてきた彼女にすれば、広大な地域の探検は寂しさと同時に世界の広さを知る良い機会とも言えた。

 

 館で最初に住み始めたオーレムは三人の中で最も重篤な症状を患っているものの、日常生活は可能になっている。

 

 今まで食糧をハルトゥムを治める虚空の声に頼ってきた彼女は別に食事に拘る方でも無かったし、家事炊事を嫌がるわけでもなかった。

 

 それが二人の同居人が出来て多少変わったのは良い傾向かもしれない。

 時に紅亜の手伝いをして、時に烙南の遠出に付き合う。

 

 日常生活を送る中で二人との仲を深めたエルフの女は今や傍目には何も異常が見えないまでに回復していた。

 

「兄様。昨日はオーレム様と一緒にあの山に登りました」

 

「そうなの?」

 

 四人での食事時。

 

 魚の煮付けと菜のお浸し。

 

 それから白米。

 

 乂羅風の食事にフォークとスプーンが添えられている。

 

 オーレムが箸というものを知らなかったからである。

 

 穏やかな会話の中、少年がエルフの女を見る。

 

「烙南さんと一緒に」

 

 頷いたオーレムが笑顔になった。

 

「何か見つけた?」

 

「はい。此処の庭には咲いていない珍しい白い花があって……沢山咲き乱れていました……」

 

 烙南が依然より明るくなった顔でうっとりとした様子になる。

 

「そう。あの花を……」

 

「兄様は知っていますか? あの花の事を」

 

「うん。随分と昔にね。思い出の花なんだけど、まだ咲いてたんだ……」

 

「思い出?」

 

「烙南様。夕食が冷めてしまいます。食べ終わってから歓談する時間は幾らでもありますから」

 

 二人の会話に割り込んだのは「食事時は食事すべし!!」そう黙々と白米を平らげていた紅亜だった。

 

「戻ろうか?」

 

「あ、はい」

 

 顔を赤くして烙南が頷く。

 

「御馳走様でした」

 

 食べ終わった紅亜が乂羅式の湯呑でお茶を啜り終えると少年に視線を向ける。

 

「そもそも、イフィミスラ様達を放っておいて、あのイグニシアの皇帝と旅行中とは一体全体どういう事なのか。心配でならない」

 

 器用に箸で魚の骨を分けた少年が額に汗を浮かべる。

 

「守りは万全にしてきたから、あんまり心配はしてないけど」

 

「それにしても、もう少しやり方はあるはずだろう。貴様は仮にも魔王なのだろう?」

 

「え、うん。ご、ごめん」

 

 謝る少年の様子に不機嫌となった紅亜だったものの、すぐ仕方なさそうな溜息を吐く。

 

「まったく。一刻も早く身体を治さねば……」

 

「あ、はは。だったら、早く薬を抜かないと」

 

「―――な、何を考えている!? ば、馬鹿もの///」

 

 治療をする=少年と交合する。

 

 そういう公式が頭で出来上がっている紅亜が顔を赤くして俯けた。

 

「二人の時は旦那様って言ってくれるのに馬鹿者は酷―――」

 

「大馬鹿者だ!! 貴様はぁ!!?」

 

 二人の秘事だと思っていた事を大っぴらにされて、紅亜の手が湯呑を投擲した。

 

 ゴインと額にクリーンヒットした少年が椅子ごと後ろにひっくり返る。

 

「あ、兄様!!?」

「ティア様?!!」

 

 烙南とオーレムが慌てて少年に寄り添う。

 

 それを見て悪いと思った紅亜も近寄ろうとするものの、気恥ずかしさ一杯の葛藤が生まれ、結局は自分の膳を持ち上げて厨房へと逃げるように去っていった。

 

 二人に起こされた少年は苦笑しつつ、その背中を見つめて「元気そうで良かった」と心の底から優しげな瞳を向ける。

 

 それから三人で食事を終えた少年はオーレムにまた後でと言い置いて烙南の部屋へと向かった。

 

 夕食時を過ぎれば後は各々の時間。

 

 時折帰る少年による治療は夜に行われる。

 

 三人の誰にも言える事だ。

 

 治療と言っても薬や魔術による治療は常に行われている。

 

 ハルトゥムの館には幾つもの魔術が仕掛けられているが、その最たるものは内部の存在を回復させるという一点に尽きる。

 

 治療施設、療養施設としての役割を果たす館内部での生活は並みの医療より遥かに効能が高い。

 

 それでも館に住まう三人は少年による治療が必要となっている。

 

 何とも無さそうな烙南ですら【神門(みかど)】と呼ばれる存在への適性から行われた儀式の後遺症は未だ治っていない。

 

 精神の摩耗と破壊。

 

 それも魂魄の変質を伴う存在自体に関わるような重篤なもの。

 

 少年にはそんな症状を治療する術は現在のところ一つしかない。

 

「大丈夫?」

 

「はい……」

 

 烙南の部屋は館の他の部屋より幾分広い造りになっている。

 

 理由は寝台。

 

 部屋の中央にある天蓋付の寝所はキングサイズ程もある。

 

 眠るにしても中央まで何歩か歩かなければならない。

 

 一人で眠るにも大き過ぎる寝台は少女に孤独という感情を教えるものの、同時に少年と二人切りの空間として嬉しさを与えもした。

 

 白い少女は幾重にも折り返された自分の髪を撫でる手に胸を温める。

 

 少年の上に乗るように向かい合って。

 

 何度も何度も撫でられる喜び。

 

 震えてしまう身体は熱を帯びて。

 

 少女の吐息に渇きを覚えさせる。

 

「簪(かんざし)取っていい?」

 

 否とあろうはずもない。

 

 少女は首肯だけで応えて。

 

 自分の長い長い髪が解けていくのを感じた。

 

「その、この間から言ってたけど、そろそろ君の魂まで触れないと治療出来ない段階まで来てて……」

 

 ちょっと言い淀んだ少年の言葉の先。

 

 何をするのか。

 

 知っていて。

 

 期待に胸が高鳴って。

 

 烙南はそっと少年の手を握った。

 

「今までみたいに指だけでは出来なくなる」

 

 トクントクンと鳴る心の臓。

 

 そのときめきの奥から溢れるように記憶は蘇る。

 

 少年との密事。

 

 恥丘の下、筋(すじ)をなぞられ、膣(ほと)を指で抜き差しされる。

 

 子を孕む為にしてきた蟲壺での行為を引き継いで。

 

 それ以上に胸が温かくなって心地いい時間が。

 

「兄様。わたくしにも……オーレム様や紅亜様にしているのと同じようにしてくださいますか?」

 

「烙南……本当に僕でいいの?」

 

「はい。兄様でなければ、嫌です」

 

「そう。じゃあ、烙南を僕だけの子にするよ」

 

「はい……ん」

 

 艶やかな薄紅の洋光(ランプ)に照らされながら、少女の額に口付けが為された。

 

 *

 

 魔王が白い少女と身体を重ねようとしていた頃。

 

 一枚の扉をマロウは前にしていた。

 

 武帝で発達した独自言語。

 

 その呪いの言葉が無数に刻まれた木戸はとても薄いようで、内部からの音が漏れ聞こえてくる。

 

 普通の知識人や魔術に詳しい人間ならば、その呪いのデタラメさに苦笑して、超常の技能もやはり辺境は未熟だと笑うところかもしれない。

 

 しかし、マロウには理解出来ていた。

 

 その強く押せば壊れてしまいそうな木戸に刻まれた呪いの強さが大陸の標準的な超常の技能とは一線を画している事が。

 

 体系化された技能は基本的に効率を極限まで追求する。

 

 結果、基本的に特定の目的を達成する為の技能は多くの場合似通る。

 

 だが、木戸に刻まれている呪いは恐ろしく難解であり、あらゆる規格に当て嵌まらず統一されてすらいず、数百以上連ねられた術の核心である文字列は全て別人が書いたものに違いない。

 

 その全員がたぶんは強力な術を扱う高位の術者、更に言うなら一代限りの技能体系を有するような者ばかりだろう。

 

(本来ならば神殿に描かれるような防御用の構成要素。しかも、これは選別する為のものにも……)

 

 悪意ある者が戸に触れれば、瞬く間に灰になる。

 

 戸に触る、開ける、潜る。

 

 このたった三動作だけでどれだけの危険があるのか知れたものではない。

 

 それでもマロウは内部から聞こえてくる声に耳を澄まして。

 

 戸を開ける決心を付ける。

 

 声は謳っていた。

 

 武帝の部族間で使われる大陸共通言語とは別物の言語体系で。

 

―――鎖される前に丘へ上がろう

 

―――厚い戸を押して空へと出よう

 

―――月翳る夜よりも常闇の空よりも

 

―――きっと眩い君を追って

 

―――嵐の痕を辿り

 

―――焼けた平原を昇り

 

―――崩された川を進み

 

―――朽ちた剣へ至るまで

 

―――旅は終わらない

 

 何が謳われたのか。

 

 マロウは知らない。

 

 しかし、声にあるのが悲哀ではなもなければ諦観でもないと知って。

 

 美しい音色は嘆きなのだと感じて。

 

 ギ、ギィィと呆気なく音を立てて扉が開く。

 

「こんにちわ。旅人よ」

 

 小さな部屋の中で一人謳っていた者が微笑んで。

 

 青年はゆっくりと扉を潜って、閉めた。

 

 その様子を廊下の片隅から見ていたサヤトネは全てを見届けると振り返って短い廊下の先にある一室へと戻った。

 

 内部には一つの寝台に横たわる二人の身体が寄り添いあって眠っている。

 

 アイレンとイーステル。

 

 ほぼ初対面のような二人はそれでも互いにマロウと関係を持った為か。

 

 何やら分かり合うところでもあったらしく。

 

 いがみ合う事もなく仲良く年相応の寝顔を見せている。

 

 大陸の標準的な宿屋よりも粗末な床の無い土の上にどっかりと座り込んだ部族の男だけが部屋の中では異様だった。

 

 腰蓑一つと背中に槍を一本。

 

 厳つい身体に赤の文様を刻む戦士。

 

 四人を二日掛かりで目的地まで連れてきた便宜上ガナイと呼んでいる男はサヤトネが戻ってくると顔を向けて「ドウダ」と聞いた。

 

「入っていきましたが」

 

「ソウカ。ヨカタ」

 

「それにしても随分と物騒な家のようですね。粗末に造られているように見せ掛けて、その実使われているのは殆ど魔術の触媒……その寝台も宇宙樹(ユグドラシル)のものと見受けます」

 

 チラリと二人の寝むる寝台を横目にしたサヤトネが呟く。

 

「……ココ、アグランサマノヤカタ」

 

「アグラン?」

 

「ソチラノコトバスルト。ミコ」

 

「巫女。ああ、それで……」

 

 納得した様子でサヤトネはこの粗末な瓦葺の一軒家が彼らの神殿そのものなのだろうと納得した。

 

「オマエタチ。チガワナイ。アグランサマ。タノミアル」

 

「見えない化け物と竜退治ですか?」

 

 途中。

 

 片言のガナイは武帝の全域で人間を襲う見えない化け物と四匹の崇めるものの話を四人に聞かせた。

 

 目に見えず人の心を喰らって思い通りに操るソレと彼らが敬う竜のせいで大勢の部族が危機に瀕していると。

 

 チガウ、とは心を喰らわれた者の事を指し。

 

 チガワナイ、とは心を喰らわれていない者の事を指す。

 

 マロウはその話を聞いて、アイレンを殺そうとした者達が正に彼女の部族の男達そのものであると知る事となり、途中随分とアイレンに申し訳なさそうな顔をしていた。

 

 竜を動かす為の貢物。

 

 アイレンが生贄に選ばれたのだとガナイから聞かされて、複雑な顔をしていたのは二日前の事だ。

 

「チガウ」

 

「違うとは?」

 

「アグランサマ。タノミ。アレノコト。チガウ」

 

「なら、何を?」

 

「……」

 

 そこまでは言えないのか。

 

 ガナイが押し黙った。

 

 マロウとサヤトネが部族の男の話を聞き、同行する事になったのは一重に見えない化け物の事を教えると言ったガナイの言葉に半ば釣られての事だ。

 

 武帝を脱出するにしても、安全なルートが無ければ覚束ない。

 

 それ故に情報を求める為、二日も掛けて付いてきた。

 

 詳しい状況が解れば、化け物退治を幾つか引き受ける気持ちでいたサヤトネからすれば、ガナイの発言は以外だった。

 

 ガタンと扉の開く音。

 

 サヤトネが廊下の方を向くとマロウが歩いてくる。

 

「それで巫女に何と?」

 

「それは後で。ガナイさん。二人の事を頼んでも? 少し外で話したいので」

 

 ガナイが頷く。

 

 マロウがサヤトネを促して外へと出た。

 

 二人は粗末な一軒家から少し離れた林の樹木の横で向かい合う。

 

「扉の向こうにいた老婆から話を伺いました」

 

 暗い様子にまた厄介事を背負い込んだのかとサヤトネは既に理解していた。

 

「彼女はガナイを部族間でも有数の戦士と見込んで、とある依頼をした」

 

「依頼?」

 

「外国との戦争になる前に四匹の竜へ捧げられる生贄を全員殺すか、あるいは国外へと逃がすようにとの依頼だそうです」

 

「そういう事ですか」

 

 ガナイが口を鎖した理由をサヤトネが悟る。

 

「風の竜、あれはアイレンを捧げない限り、思い通りにはならない。他の地でも同様に特定の人間を生贄に捧げない限りはああいった特殊な竜種の扱いは不可能らしく。私に出来れば、竜の生贄となる人間を殺すか助けて欲しいと」

 

「それで?」

 

「勿論、まだ答えは保留にしてあります」

 

「後三人もアイレンのような者を救うつもりですか?」

 

「いえ、それは……未だ残っているのは火の竜の生贄だけだと」

 

 サヤトネが溜息を吐く。

 

「一ついいですか?」

 

「はい」

 

「悩んでいる風に見せかけて最初から心が決まっているのなら、相談する事自体が誠意に欠けます」

 

「!?」

 

 マロウは言い返せず顔を歪める。

 

「その火の竜とやらが生贄を喰らう前に出発しましょう。明日の朝に出て、その足で生贄の下まで向かう。もし、アイレンやイーステルが心配なら、此処でどちらかが待つのもいいでしょう」

 

「サヤトネ。貴女はそれでいいんですか!?」

 

 思わず訊ねたマロウに魔王の従者はやれやれと肩を竦める。

 

「当てもない旅です。化け物退治か生贄を救うか。自分の命を掛けるだけならば、文句なんて誰からも出はしません。他人に迷惑を掛ける心配なんて今更だとは思いませんか? マロウ」

 

「私はただ……」

 

「見過ごせないならば、見過ごさなくていい。それが貴方の生き方ならば。決めたのなら、さっさと答えてきて下さい。それから明日からの日程を詰めましょう」

 

 軽く言ったサヤトネに頭を下げて、マロウが再び一軒家の中へと入っていった。

 

 入れ違いにガナイが外に出てくるとサヤトネを見つけて傍までやってくる。

 

「キマッタカ?」

 

「ええ」

 

「アグランサマ。タノミ。ドウスル?」

 

「引き受けると彼は言いました。後は彼の問題です」

 

「ソウカ。アグランサマ。ヨロコブ」

 

「それと貴方が此処へ我々を連れてきた意図も読めました。マロウの強さを出来るなら利用したかった……違いますか?」

 

「……チガワナイ」

 

 少し憮然とした様子になりながらもガナイが頷く。

 

 たぶん、自分の強さがマロウには届かないという事実への不機嫌だった。

 

「アグランサマ。マゴムスメ。シンパイ。デモ。オレダメ。マロウ。ツヨイ」

 

(孫……確かに魔力親和性の高い血統なら生贄には向いている。武帝の人間もまた我々とそう変わらないという事かもしれませんね)

 

 色々と納得しつつ、サヤトネは明日の事を思い描いた。

 

 誰かが一緒に少女達と残るにしろ。

 

 生贄解放へ一緒に連れて行くにしろ。

 

 また、一つマロウを縛る鎖が出来上がるだろうと。

 

 翌日、青年と少女達は共に火の竜が祀られているという地まで旅だった。

 

 誰も残る者は居らず。

 

 一人、旅立ってゆく若者達を見送る老婆だけが家の前で見送った。

 

 彼らを見送る女。

 

 武帝において先読みとか未来視とか星讀みとも呼ばれる存在は彼らの背中に付き纏う影を見つめながら、再び昨晩と同じく謳った。

 

 誰に聞かせるでもない詩を。

 

 戦乱の足音に震える多くの命に行く末を案じながら。

 

―――刻に置き去られて

 

―――月は幾度の旅路を終えて

 

―――遠き日は輝ける墓標と化さん

 

―――なれど、努々忘れるなかれ

 

―――詰まれゆくものはやがて崩れ

 

―――終わりゆくものは死して咲かん

 

―――拓いた罪は業と成りて

 

―――世に一輪の奇蹟は開く

 

 しばらく。

 

 若者達を見送っていた老婆は彼らが完全に一帯から出て行った後。

 

 ゆっくりと家の扉の前に座り込んだ。

 

 ギィギィ。

 

 そんな音がして。

 

 彼女は自分が視た通り、己が目にする最後の光景を目の当たりにする。

 

 たった一人の孫娘。

 

 今は化け物達に操られる者達に囚われたまだ花開く前の可憐な蕾。

 

 短い方が狩りが捗るのだと髪を切るのに男へ肌は見せたくないという少し変わった子。

 

 髪に飾る野花は今年で十四。

 

 小さいのに男勝りだった子は今も泣いていた。

 

 唾液を垂らして、唇を戦慄かせて、全身から汗を滴らせて。

 

 燃えるような朱の文様の浮かぶ姿態。

 

 その股間に黒く太い御神体を封じ込められたまま。

 

 膨れた恥丘の下で唸りを上げるものに抗いながら。

 

 それでもいつか終わりはやってくる。

 

 全てに屈した時、儀式は完成する。

 

 腰に御神体を固定する黒の紐はギチギチと理性を削ぎ落とすように太いソレを内部へと埋めていく。

 

 滴り落ちる汗に混じっていた朱はもう無い。

 

 蜜が融かされていく汗は滝のように身体を濡らして。

 

 石の祭壇の上から真下の崇めるものに注がれていく。

 

 暗い黄泉路へ続く祭壇の奥。

 

 化け物に喰われた豪族が一人。

 

 新たな力の目覚めを待っていた。

 

『おお、大いなる力よ。あがめるものよ。我に力を与えたまえ。我らが御子様の為に。我らの輝かしい未来の為に。おお、我らのあがめるものよ。我らが―――』

 

 壊れた男の声は終わりなく。

 

 ただただ同じ言葉を繰り返していく。

 

「         」

 

 耐え続けるのは限界に近付きつつある。

 

 誰が助ける前に全てが終わってしまうかもしれない。

 

 それでも全てを見通して、彼女は孫娘が助かる世界を幻視した。

 

 何処かにあるだろう結末を。

 

 最後の力を振り絞って。

 

――――――菫色の瞳が世界を覆す為の力を運んで。

 

 願いを聞き届けるように。

 

 老婆の年老いて尚耀きを宿していた瞳が、暗い色に染まる。

 

 これでいい。

 

 それが最後の言葉だった。

 

 晴れやかな空の下。

 

 見えない化け物達が死体を見つける頃には老婆の力ある眼球は跡形も無く失われていた。

 

 時に魔力親和性の高い血統の中へ現れる魔眼。

 

 その中でも【大皇(ディヴス・プリンシプス)】と呼ばれた存在に連なる者には時折、菫色の瞳が発現する事がある。

 

 彼らの発する力は様々で。

 

 魔眼と呼ばれる者もいれば、聖眼と呼ばれる者もいた。

 

 果たして老婆に宿ったのは世を末を見る瞳か。

 

 あるいは彼女が視たものが未来となる魔眼か。

 

 それは誰も知らない。

 

 ただ、奇妙な事を一つだけ、彼女の孫娘は全てが終わった後、知る事となる。

 

 少女が捉えられていたのは数日であるはずなのに、少女が救われたのは囚われてから一か月程後の事であるという事実を。

 

 青年と少女達が老婆の孫娘のいる祭壇へ辿り着くまで一週間。

 

 部族の戦士ガナイとマロウ達の旅路は遅かった。

 

 見えない化け物。

 

 部族の男達。

 

 襲いくる者達との戦闘を行いながらの道程は決して簡単なものではなく。

 

 誰に取っても容易ではなかったのだ。

 

 その遅延した日数を合計すれば、確実に少女は限界を迎えていたはずで。

 

 だからこそ、少女は自分が祖母の不思議な力に救われたのではないかと感じた。

 

 部族間でも評判の占術者だった祖母の奇妙な話を少女はずっと覚えていたのだ。

 

 おばあちゃんは何でも当てちゃうと笑顔で言った孫娘に老婆はいつもこう言って、頭を撫でていた。

 

 未来を見てるのではなくて“過去から今を見ているのよ”と。

 

 だから、結末は“選べるけど変えられないの”と。

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