※この作品はR-18です。

聖娼館ハルトゥム   作:Anacletus

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第二章十節

第二章十節「襲撃」

 

 黒髪の老婆が一人。

 

 地平線の霞む白夜の薄明かりに佇んでいた。

 

 日に映えるのは紫色のドレス。

 

 鈍色の鉄鋼板が幾つも鏤められた代物。

 

 幾重にも重なるドレスの布地を押さえ付ける無骨な装甲。

 

 それは老婆を衣装に縫い止めているようですらあった。

 

 刻まれた年輪の嵩む目元は鋭い。

 

 切れ長の相貌は若ければ、きつい美人を思わせたはずだ。

 

 未だ生命力に溢れる枯れた手は若木よりしなやかにも見える。

 

「フルー。視覚化の強度を1433%まで上昇なさい」

 

「ええ~~まだやるの~~」

 

 老婆の声に虚空からうんざりした声が返る。

 

「返事は?」

 

「うぅ……久しぶりに会って話がしたいって言うから来たのに仕事漬けとか。鬼! 悪魔!」

 

 罵声にギロリと虚空を老婆が睨み付ける。

 

「一体、誰の尻拭いをしているのか知っていて文句を言うなら、そっちにやらせてもいいのよ? それと今の世の中、中央諸国なら鬼と悪魔は差別用語ではなくて?」

 

「うぅ~~僕の限定スイーツが~~店頭配布の引き換え券が~~~」

 

「黙ってやりなさい。ハティア程この私が甘いわけないでしょう」

 

「視覚強度1433%上昇。因痕視認確度213%上昇。因果律の恢復係数は多重干渉による構造変化の捩れで計測不能。特異点は蓋然性の崩壊で混沌としてるから……まぁ、結果はクラル次第って事で」

 

 果て無き地平。

 

 その最中、老婆は己の目の前に滲んで現れる無数の光の線を見つめる。

 

 底も見えない遥か下から、何処まで続くかも見えない天の階(きざはし)まで。

 

 真っ直ぐ上に伸びていく輝く糸の群れ。

 

 曼荼羅の如く複雑に入り組み。

 

 三次元的に織り込まれた魔導方陣にも似た一枚の図形。

 

 それが一時的に切り取った因果律の具象化。

 

 そう知る者がいれば、随分と驚いただろう。

 

 数百兆にも及ぶ意思持つ者達。

 

 その始まりから終わりまでの運命とでも言うべきものがソレなのだから。

 

 見えるという事は干渉出来るという事。

 

 正に運命すらも捻じ曲げる聖女の恐ろしさだった。

 

 一枚絵とも見える図形の中心には黒い輝きがある。

 

 光の糸を絡め取って、己へと引き込む一点だ。

 

「鑑賞していなさい」

 

 グッと老婆が半身に構えて拳を握った。

 

「悪いところは叩いて直すとか。ホント、クラルはおばーちゃんの鏡だよぅ」

 

「大概のものは叩けば直る。それがこの世の道理よ」

 

 老婆が澄ました顔で毒付く。

 

「うぁ~~技術者が涙目な発言ありがとう」

 

「さぁ、始めるわよ」

 

 黒点。

 

 惑星に住まう全ての命の運命を捻じ曲げる中心に七聖女クラル・リテルはありったけの力で拳を叩き込んだ。

 

 壮絶な音がして、老婆の腕が反対側へと捻じ曲がった。

 

 指の関節と腕の関節も全て歪に折れて、血こそ出ないものの酷い有様となる。

 

「ふ、随分とまぁ、お堅い事」

 

 壮絶に笑んだクラルの腕が復元されていく。

 

 続けて第二打三打と折れる腕も気にせず拳が叩き付けられた。

 

 やがて、僅か。

 

 ほんの少しばかり黒い輝きに引き込まれた光の糸が正しい繋がりへと返った。

 

「今日はこのくらいで止めておくわ」

 

 額の汗を拭ったクラルがそう言うと輝く運命の方陣も周辺の景色も全てが明度を落としていく。

 

 やがて、完全な闇に沈んだ周囲に肉体も溶けた。

 

 そして、バツンと部屋に明かりが灯る。

 

 白い部屋には眼鏡をキュコキュコと布で拭きながら、フルーが壁に寄りかかっていた。

 

「ご苦労様。クラル」

 

「これでだいぶマシになる、後は貴方の仕事よ。フルー」

 

「分かってるよぅ。でも、運命をぶっ叩いて直すとか僕的にはもう少し穏便な手段でやって欲しいんだけどなぁ」

 

「別に失敗しなければいいだけの話でしょうに」

 

「失敗したらこの惑星の生物の大半が滅ぶんだけど……」

 

 汗を浮かべて溜息を吐くフルーにクラルは皮肉げな笑みを浮かべた。

 

「それは貴方のやり方にしても同じ。人間に限って言えば、文明の進歩で消滅する可能性は高いわよ?」

 

「直接的か間接的かの違いはあるよぅ」

 

「結果論にしてしまえば同じよ」

 

「「……」」

 

 二人が視線を互いに合わせるものの、すぐに逸らした。

 

「まぁ、言っても仕方ないわね」

 

「それが僕達の違いだからねぇ」

 

 壁にポツンと存在する木製のえらく豪華な木製のドアへとクラルが歩き出した。

 

「フルー。南東部に悪い相が出てるわ。ハティアなりユアンなり差し向けて解決しておきなさい。戦乱の一つや二つは出そうな感じだったから」

 

「了解。そっちは相変わらず任せるけどいい?」

 

「ええ、天使達も近頃は大人しいから問題ないでしょう」

 

「そうだといいけど」

 

「次の降臨まで【天門(ゲート)】は閉ざしておくわ。【天の軍勢】(ツェバオート)の第三階位から下は残しておくから、何かあったら使って頂戴」

 

「早々出番は無いと思うよぅ。こっちには破壊神がいるからねぇ♪」

 

 老婆が僅かに顔を顰める。

 

「長年のよしみで言っておくわよ。あの力に頼るのはお止めなさい。というか、こちらが大変だから止めて」

 

「クラル。本音出てる出てる」

 

 楽しげなフルーにクラルが溜息を吐く。

 

「貴方だって分かっているでしょう? あの奇跡は強力過ぎる。この間も久しぶりに会いたくなったからって門も使わず直接こちら側との“境界”を壊して来たのよ? 空間だけならまだいいけど、時間やら概念やら私の睡眠時間やらやってきた端から壊すやら削るやら、後始末する身にもなって頂戴」

 

「わ、悪気は無いんだよぅ!! ほんのちょっとそそっかしいだけで!!」

 

 汗を浮かべつつも何とかフォローするフルーだったものの、自分でもそう思っていないのは明白だった。

 

「そそっかしいだけで一々歴史や御柱をガリガリ削れるとしたら、尊敬するわ」

 

「ほ、本人曰く悲しい話は好きじゃないとか。ちょっと人間様に対して思い上がってたから壊してみたとか……ま、まぁ、人助けって事もあったみたいだし」

 

「あの破壊魔に奇跡を極力使わないよう言っておきなさい」

 

 ドアを開けて去っていく老婆の背中にフルーが苦い顔で頷いた。

 

 扉が閉まる。

 

 次の刹那。

 

 フルーは大陸東部の街道沿いの木陰に佇んでいた。

 

 今まで何処とも知れぬ部屋で惑星の運命の修整に勤しんでいたはずだが、少女はそんな大事を遣り終えた後とは思えぬ軽い様子で蒼い空を見上げて伸びをする。

 

「釘刺されちゃったよぅ。どーしよう。南東部の事、もう頼んじゃったんだけどなぁ……」

 

 馬車が長閑にカポカポと足音をさせて前を通り過ぎていく。

 

「ま、いっか。後で考えよっと♪」

 

 考えるのが面倒になったらしく。

 

「それよりせっかく東部に来たんだから、まずは名物饅頭の食べ比べを……ふふふ……ふふふふふふ」

 

 いつもの笑顔で少女は近くの都へと歩き出した。

 

 *

 

―――イグニシア・クルシス北東部辺境ゴウラン奴隷都市。

 

 奴隷都市と言っても基本的に人間の生活というのは変りようもない。

 

 石造りの家々の間。

 

 路地裏には人々の物語が溢れている。

 

 母親が身体を売るのを見ている子供。

 

 怪しい薬を売る行商人。

 

 如何わしい仕事を斡旋する業者。

 

 混沌とした世界が其処には広がっている。

 

 それでも取り締まられる非合法業者の数は他の都市に比べれば、かなり少ない。

 

 それどころか。

 

 非合法活動を通報して報奨金を得ようとする者もいて、一日で路地から喧騒が消える事もしばしばだ。

 

 密輸入された高級食材が炉辺で売られていたり、恐ろしい効果を持つ魔術具がガラクタと一緒で無造作に並べられていたり、表通りとは違った危うくも怪しい人を引き付ける魅力が路地裏にはある。

 

「店主。これを一つ」

 

 黒い外套に身を包み、暑苦しいフードで顔を隠した皇帝陛下も、そんな薄暗い魅力にちょっと惹かれた内の一人だった。

 

 炉辺に並べられたガラクタの中に審美眼確かなエトは一つの宝を見出した。

 

 たぶん、その品は今まで永い年月を人から人へと渡ってきたのだろうが、誰一人として価値を見出せなかったものに違いなく。

 

 良い買い物をしてしまったとホクホク顔で国を治める少女は金貨一枚と引き換えにした品をニヤニヤしながら掌で弄び、その場を後にした。

 

 後ろにはこれまた黒いフードで全身を隠した近衛が一人。

 

「陛下。一体何を?」

 

「余も久しぶりに見たのだが、これである」

 

 おずおずと後ろからエトの掌の中のものを見つめて、女が首を傾げる。

 

「これは【羅針盤(コンパス)】ですか?」

 

「世に幾多羅針盤は在れど、製作者が違えば、国庫を空にしても欲しくなる一品というものがある」

 

「そ、それ程までのものなのですか!? さすが陛下!! その審美眼!! 御見それしました!!!」

 

「照れるではないか。とりあえず製作者を教えておくが、これは七聖女の一人が造った品だ」

 

「七聖女!? まさか、奇跡を込めた一品なのですか!?」

 

 二人は大通りから宿屋が密集する地域へと歩を進める。

 

 道往く人々はそんな騒がしい二人を気にも留めず。

 

 都の中心。

 

 行政区の一角に浮遊し、錨を下ろして停泊する空中戦艦を見上げていた。

 

 鋼の機械化された船だ。

 

 七教会の技術指導によってイグニシア・クルシスの技術者達が作り上げた旗艦。

 

【貴皇(ペルソナ・ノーブリス)】

 

 空飛ぶ技術を秘匿している教会だが、イグニシアは教会程ではなくとも技術指導後、何とか国産の空飛ぶ船を生み出す事に成功していた。

 

 それでも未だ教会に対抗出来るだけの艦隊を作るには程遠く。

 

 あくまでその船は“皇帝の足”としての機能しか保有しない。

 

 と言っても居住性能や“防衛機能”は並の七教会の航空艦以上であり、恐ろしく物理的にも魔術的にも堅固で、通常の対空兵器では傷一つ付かない代物ではあったが。

 

(あれから二日か。そろそろ何かしらの反応が……)

 

 皇帝の到着に市民から歓声が上がったのは前々日。

 

 今も奴隷達の間で船は皇帝の象徴のように見られている。

 

「嘗て、五つだけ造られた羅針盤。未だ聖女が聖女と呼ばれる前、幾つか自分の力を込め造った品の一つ。噂では望むものがある方角を指し示すと言われているが、事実は少し異なる」

 

「と、言うと?」

 

「北方の旧グラテト領内で一度同じものを見たのだが、その所有者は偏屈な爺で……譲る気は無いとすげなく断られた。旧皇族もあれで頭の固い者が多い」

 

「な、何と! 陛下の願いを退けられたのですか!?」

 

「大陸の覇者になりそうな余には渡したくなかったのであろう。権力者がこれを持っていては災いになるとの考えは一理ある」

 

「ど、どのような能力なのですか!?」

 

「ふふ、知りたいか?」

 

「は、はい。是非この浅学なる身にご教授を!!」

 

「これはな」

 

 ゴクリとエーレインが唾を呑み込んだ時だった。

 

 カフェのテラスで若い男女の声が上がった。

 

『何してんのよ。せっかくあたしがエトの代わりに付き合ってあげてるんだから、ビシっとしたら?』

 

『その……』

 

『いい? あんたは今あたしと歳若い恋人って設定なんだから、それに相応しい行動をしなくちゃいけないわけ』

 

『恋人は基本的に手に付いたクリームを唇で取ったりしないと思う……』

 

『え? う、嘘吐きなさい!! だ、だって、近頃流行りの小説に恋人の肌は甘美な味がしたとか。そんな風に載ってるんだから!!』

 

『それって本の中だけなんじゃ……』

 

『い、いいから!! 乙女のささやかな願いくらい聞いたらどうなのよ!!』

 

『……いいの?』

 

『な、何よ。いいって言ってるじゃない。さ、さっさとしなさい。それとも淑女の手にクリームべったり付けておく気?』

 

『じゃあ、失礼して…ん』

 

『ッ―――』

 

『もういい?』

 

『え、あ、えっと、その……はッッ?!! エ、エト!!?』

 

 ジットリとした半眼で様子を見つめていた皇帝に今更気付いて、エリザが思わず少年から手を離した。

 

「世の中にはこういう言葉があるらしいな。泥棒猫とか何とか」

 

「あ、あはは、じょ、冗談に決まってるじゃない!! ちょっと、今流行りの小説みたいにしたら城のみんなに自慢できるなぁって思って」

 

「ほう? そうか。なら、好きなだけ自慢出来る旅に出てくるといい」

 

 サラサラと虚空に魔力で黒い文字を書き、指がひょいと文面を横に流した。

 

「はッ!! 都市名所五十箇所の案内、謹んで承りました!!!」

 

 ガシッとエリザの腕が掴まれた。

 

「え? え!? な、何するのよ!?」

 

「行って来い。五十箇所回り切るまで帰ってこぬように」

 

 ハンカチを取り出してヒラヒラ振ったエトがエリザの腰掛けていた椅子に座ると同時。

 

 女二人は都市名所を回る為、雑踏に消えていった。

 

『ちょっと、待って!? 五十箇所とか新しい都にあるわけ?!』

 

 悲鳴も同時に聞こえたものの、すぐに遠ざかっていく。

 

「いいの?」

 

 苦笑した少年にエトは溜息で返す。

 

「余と子作りして欲しいとは言ったものの、家の女にまで手を出して欲しいとは言っていないわけであるが……」

 

「どっちかと言うと出したのは口の方なんじゃない、かな?」

 

「……まぁ、よい。仲を深めるにしても、その気にさせるにしても、この地での仕事が終わってからになろうしな」

 

「聞いてなかったけど、それって君が直々にする程の仕事?」

 

「余が帝都から出るのはよっぽど暇な時か。仕事をする時だけだ」

 

「それで此処にはどういう仕事の名目で?」

 

「あれを見よ」

 

「?」

 

 少年が大通りの方を見るよう促されて視線を向ける。

 

「あれって武帝の人?」

 

「そうだ。奴隷と官吏と商売人くらいしかいないはずの都市に何故、武帝の輩がいると思う?」

 

 少年がさっと大通りを視線だけで見渡す。

 

 褐色の肌に紅い紋様を刻んだ者達がそれなりの数見受けられた。

 

 その衣服は粗末なもので一様に同じような褐色の麻布で出来ている。

 

「……武帝で何かあったって事?」

 

「ああ、難民がかなりの数流れてきているという話だ。辺境伯に事情を聴取させ、仕事の斡旋やら治安維持をさせているが、それでも追いつかないらしい。国境地帯で吸収し切れない難民はこちらに流すように言っていたが、ようやく到着したようであるな」

 

「奴隷都市なら仕事も豊富で難民も消化出来るとか。そういう話?」

 

「飲み込みが良くて助かる。この時期に武帝内部で内戦が起こるような理由は思い当たらぬが、余の勘は大事になると言っていてな。最悪の場合を想定して空挺師団と都市防衛用の守護師団を帝都で編成している」

 

「あそこは大戦でも義勇軍がちょこっとしか出なかったくらい閉鎖的だったと思うけど」

 

「仕掛けて来ないなら、それでいい。その場合は編成した師団で盛大にパレードでもすればいいだけなのだから」

 

「そうやってると本当に皇帝みたいに見えるよ。エト」

 

「不敬罪であるが、死刑を宣告せぬ余に心から感謝するように」

 

「そうする」

 

 少年が笑いながら頷いた時だった。

 

 ガタガタと遠方から馬車が土煙を上げて走って往来を通り抜けていく。

 

『通せ!! 通せ!!!』

 

 御者が鬼のような形相で叫んだ。

 

 奴隷や武帝の者達が慌てて道を開ける。

 

「……来たようであるな」

 

 立ち上がったエトが金貨を一枚テーブルに置いて、馬車が駆け去っていった方角、政務の中枢がある都市政庁の方角へと歩き出す。

 

(あれは辺境伯の馬車。急ぎに鳩でも魔術でもなく?)

 

 エトは不吉な足音が迫っている事を感じ、眉根を寄せた。

 

 *

 

―――大陸南東部ハルファス大森林火竜の神殿域。

 

 部族の間で“崇めるもの”と呼び習わされる存在は四体存在する。

 

 そのどれにも祀る為の神殿があり、宇宙樹から見て四方に配置されていて、周辺部族やその地方を治める豪族が守人として各地の祭事を統括している。

 

 本来、他との交流が薄い部族が崇めるものの祭事にだけは協力する。

 

 その様相は外部からの侵略者に対して軍を組織するのに似ている。

 

 どちらも豪族から知らされた情報に戦力となる人間を持ち寄る恰好だからだ。

 

 火竜の神殿域は大森林に幾つかある水源域の中でも最大の貯水量を誇る泉の中央に立てられていた。

 

 泉の半径は生半な都市国家ならば、簡単に入ってしまう程に広く。

 

 並の小国の敷地ならば、全て入るかもしれない。

 

 泉に程近い粗末な桟橋付近。

 

 つい近頃まで漁をする船で賑わっていた場所に剣戟の音が響き渡っていた。

 

 密林の中から湧き出るようにやってくる部族の男達。

 

 その気を失った身体の山が湖の畔には堆く積み上がっている。

 

 二人の男。

 

 マロウとガナイ。

 

 見物していた三人の少女達は積み上がった人間の山を途中で少し崩して一応下の人間が窒息死しないように見守るくらいには優しかった。

 

 やがて、全ての追手を振り払う事に成功した男が二人。

 

 共に桟橋に係留されている小船へと歩き出す。

 

 少女達も同じく乗ると船は完全に定員オーバーの様子で。

 

 ほぼ全裸の少女とほぼ魔族な少女が互いにマロウの左右の腕に納まるよう太腿に腰を下ろした。

 

「それでは最後の確認です」

 

 一人その光景に思うところのあったサヤトネは内心を微塵も感じさせず。

 

 仕事でもするかのように割り切った顔で話し始めた。

 

「泉の中央にある石造りの神殿の最奥に囚われている娘を救い出し、可及的速やかにこの国を出る。これが我々の目的です。火竜に対して戦闘を仕掛けるのは現実的ではありませんし、時間稼ぎというのも無理でしょう。内部へは一直線。火竜の寝床は貴方だけで行ってください。マロウ」

 

「分かっています」

 

 マロウが頷く。

 

 誰よりも自分が受けた依頼。

 

 それを果たすのは自分しかいない。

 

 そう思い定めた顔だった。

 

「こちらは私と彼の二人で脱出するまで船と二人を守りつつ敵を引き付けます。神殿付近で水中から上陸し、内部へ侵入。巫女を奪取した後、見えない化け物の手に掛からず船まで戻ってくる。これだけで他の事には構わぬように。それとガナイに書いてもらった地図ですが、内部構造が変えられている可能性もあります。その場合でも火竜の寝床の位置自体は変えられないだろうという話なので、もしもの時の為に幾つかの加護を」

 

 サヤトネが刀を抜き出してマロウの頭の上で何度か振った。

 

「壁の厚さが並の城壁四つ以下なら、貴方が念じれば破砕して道を作る事が可能です。更に水中での呼吸も二人で三日分持つはずです。もしも合流できない場合でも逃走ルートは決められた通り来てください」

 

 サラリと普通の魔術師ならば頭を抱えるような加護を授けたサヤトネにマロウは頭の下がる思いだった。

 

「ありがとうございます。サヤトネ」

 

「それはまず作戦が成功してから言うべきではないですか?」

 

「でも、いつ言えなくなるか。分かりませんから」

 

「そう思うならこういう事はこれっきりにして欲しいですね」

 

「う、それは……」

 

 マロウは自分が厄介事を背負い込んだ事は自覚していた故に言い返せなかった。

 

「貴方の善良さが貴方を滅ぼすなら、それは貴方の運命かもしれない。しかし、それに誰かを巻き込むのは頂けません。ただでさえ、貴方はもう二人も背負い込んでいる。その責任を忘れぬよう言っておきます」

 

「はい」

 

 真剣な表情で頷いたマロウが腕の中で外出しているような気軽さでニコニコしている少女達を見つめ、サヤトネに再び視線を移す。

 

「何か?」

 

「いえ、一つだけ訂正を」

 

「訂正?」

 

「責任ではなくて…その……」

 

 もう一度少女達を見てから、マロウはハッキリと口にする。

 

「共にいたいから、そうする。これからはそのつもりです」

 

「そうですか。ならば、何も言いません。そろそろ見えてきたようです。武運を」

 

 刀を仕舞い込んだサヤトネが船の後ろで一心不乱に櫂(かい)で漕ぐガナイに合図した。

 

 止まる船の上で立ち上がると少女達の頭を撫でて、マロウが全員を振り返り、軽く腕を胸に付けて礼をした。

 

 古くは七教会の騎士。

 

 今では兵士達の礼儀作法の一つ。

 

 誰に教えられるでもなく。

 

 自然にその動作をしたマロウが少女達が無邪気に同じ動作をするのに微笑んで泉へと飛び込んだ。

 

 飛沫も殆ど上がらない。

 

 軽装とはいえ、何の魔術的な補正もなく衣服と装甲を付けたままの潜水。

 

 普通の人間ならば溺れて死ぬ。

 

 鍛えられていても自然に緊張もせずに出来るものではない。

 

(やはり、快復傾向に? もう少し消去しても。いえ、それも無粋ですか……)

 

 サヤトネは再び動き出した船の中。

 

 後ろの少女達をチラリと見て、水の中に消えていった男の無事を祈る事にした。

 

 少なくとも此処で死なれては少女達の面倒は自分が見る事にも成りかねないと。

 

 それに彼女には一つだけ心残りもある。

 

(七聖女の騎士に魔王の騎士が負けていては立つ瀬が無い。そういう事にしておきましょう)

 

 自分を負かした人間が何かに負けるのは……少女にとって許容出来る事ではなかった。

 

 こうして少女は青年を送り出した。

 

 水面に波紋が幾つも立って。

 

 見えない化け物が、神殿を加護する部族達が、水上から水中から船へと押し寄せていく。

 

「キタ!」

 

 船の背後で櫂を必死に漕ぐガナイにサヤトネはただ一つを命じた。

 

 停止しろと。

 

(三十数年前当時、武帝の竜には我が主も手を焼いた。上手く“手加減が出来ない”化け物として……今の貴方は果たして届きますか? マロウ・ブレステンド)

 

 波紋が船に追いつき、水中の部族達の銛や呪いの類が当たる瞬間。

 

 カチンと少女の腰の刀が静かに納められた。

 

 納刀したのがいつなのか。

 

 その場の誰も見なかった。

 

 抜刀した刹那すら、誰も知覚しなかった。

 

 ただ、大陸で三番目に刃を使いこなすだろう少女の前で一面に紅い飛沫が散って、ボタボタと水面へと落ちては波が立つ。

 

 銛も呪いも途中で鋭利な切り口を伴ってバラバラとなる。

 

 残った部族の男達だけが意識を失ってプカプカと仰向けに水面へと浮かび何処へともなく流れていく。

 

 一体サヤトネが何をしたのか。

 

 まったく分からなかったガナイは櫂で神殿へと漕ぎ出しながら思った。

 

 本当はこの中で一番強いのは少女なのではないだろうかと。

 

 普通、部族で強い女というのは犬猿されがちな存在だ。

 

(イイ…トテモ……)

 

 しかし、部族の戦士には蒼い瞳の少女が何故か悲しみに暮れる弱々しい乙女のように見えた。

 

 新たな波乱がやってきそうな、そんな曇り空が誰の上にも等しく小雨を降らせ始めて。

 

 小船は程なく泉に立つ巨大な石の神殿の桟橋へと到着した。

 

 *

 

 石造りの神殿に入り口は一つしかない。

 

 マロウはすんなりと小船より先に入り口へ侵入を果たしていた。

 

 滴る水に構わず。

 

 水の中での消耗も感じさせず。

 

 手を腰の剣に触れさせたままの疾走。

 

 通路には左右に幾つも松明が置かれ、神殿の中心へ下っていく度に温度が肌で感じられる程に高まっていく。

 

「この先ですね」

 

 相手から何の妨害が入らない事を不審に思いながらも油断無く駆け抜けたマロウはやがて神殿最奥。

 

 火竜の寝床と呼ばれる儀式上へと足を踏み入れる。

 

 猛烈な熱波が石畳を熱していて、マロウははやく自分の靴が早くも焦げ臭くなっている事に気付いた。

 

「これが、火竜……」

 

 小さな羽根を畳んだ子馬程だろう体躯。

 

 脈動する血管を流れているのは火でなかろうかという熱を有する火の化身。

 

 その数m上に神殿の置くから伸びた祭壇が設けられ、一人の少女が括り付けられていた。

 

 身を縛られ、紅い紋様を刻まれた全裸の少女。

 

 その股間には黒いものが埋まっていて、クッキリと腹の中が埋まったものの形に膨れている。

 

「今、行きます」

 

 躊躇わず。

 

 火竜が自分を見据えているのも構わずにマロウは跳躍した。

 

 数メートルもの高さをものともせず。

 

 一瞬で少女の括られた祭壇の真下へ指を食い込また青年は全身の筋肉を使って軽業師の如く祭壇の上へと身体を曲げて乗り上がる。

 

「!?」

 

 生贄に捧げられ、御神体を股間に埋め込まれた姿のまま、少女はいきなり現われた男に驚いた様子だった。

 

「助けに来ました。アグランの巫女の使いと言えば分かりますか?」

 

「!」

 

 アグランという言葉に反応した少女だったが、すぐにポロポロと涙を零し始める。

 

 祭壇でようやく少女を真直に見た青年は褐色の肌に残る痛ましい筋肉の緊張や股間に埋められたものを見て、そっと少女の頭を撫でた。

 

 十四程だろう。

 

 部族の間ではそろそろ適齢期を半ば過ぎる少女は子供のように撫でられた事に内心から溢れるものが止まらなくなった。

 

 褐色の肌。

 

 気の強そうな顔。

 

 揺らめくように透明で不思議な紅い髪。

 

 普段ならば気丈なのかもしれない少女も今はただ助かるかもしれないという安堵に顔を崩れさせていた。

 

「今は脱出を最優先に。股間のソレは此処を出てから外しましょう」

 

 少女を縛る縄を剣で切り、身体を抱えた青年が祭壇から奥へと続く道に消えようとした時だった。

 

 咆哮が神殿を震わせた。

 

 常人ならば一瞬で鼓膜を破れさせたかもしれない鳴動。

 

 それは熱波と共に押し寄せたものの、一足早く通路へと退避したマロウと少女は何とか難を凌いでいた。

 

 サヤトネが他にも加護を授けていたのか。

 

 鼓膜が破れる事もなく。

 

 マロウは少女を抱えて一目散に通路を駆ける。

 

 神殿内部はそう入り組んでいない。

 

 すぐ元来た道に合流した通路を駆け去ろうと速度を速めた青年が神殿の入り口付近の大きな回廊に差し掛かった刹那。

 

 二人を追うように壁を伝って奔っていた紅い輝きが炎となって二人を阻んだ。

 

「そうそう上手くはいきませんか。後ろへ」

 

 振り返ったマロウが紅の眼光に竦む事なく少女を背後にして立ち塞がる。

 

 まるで渇いた滑車を回したようなカロロロロロという鳴き声。

 

 怒っているのは一目瞭然。

 

 神が騎乗したと言われる超絶の生物を前にマロウは怖じる事なく一歩踏み出す。

 

「果たして言葉を解するかは知りませんが一つ言っておきます」

 

 剣が軽やかな音色を立てて引き抜かれ前に翳された。

 

「この子に害為すならば、例え何であろうと……斬る」

 

 一点の曇り無く。

 

 青年は言った。

 

 鈍色の剣はただの鈍ら。

 

 戦闘になれば、火竜の鱗に触れる以前に融ける。

 

 そう感じていても青年は言い切った。

 

《……》

 

 崇めるもの。

 

 距離なんて関係なく目の前の矮小な存在を一瞬で消し炭以下の原子レベルまで崩壊させられる獣は……愚かな生物の瞳に思う。

 

 どうすれば、こんな恐ろしいものが生まれるのだろうかと。

 

 気紛れに火の粉を降らせれば、骨まで蒸発するだろう命。

 

 けれど、その命の宿す覚悟(かがやき)には脅えがない。

 

 生物ならば感じるはずの畏れ。

 

 それを見逃すような生き物では無いと火竜は自身を十分に知っている。

 

 戦えば、刹那の決着。

 

 されど、脅えすらない不自然な生き物の瞳に、その魂に、火竜は躊躇う。

 

 高尚なまでに聡い生き物であるからこそ、崇められる程に強いからこそ。

 

 感じていた。

 

「……」

 

 絶対者でも神でもない人間という存在が時に己を上回るという事実を。

 

 転生する前。

 

 数百年ぶりの死を己に与えた者の瞳もそうだったと獣は思い出す。

 

 周囲の様子を嘆いて、殺してしまう事にすら何処か済まなそうな空気で。

 

 けれど、畏れは無かった。

 

 曇りは無かった。

 

 遣り遂げると決めていた。

 

 そう、それは揺るがない存在だった。

 

《……》

 

 青年と少女の背後。

 

 炎の壁が消えた。

 

 トコトコと足音を鳴らして元いた神殿の奥へと戻っていく火竜に動じる事なく。

 

 マロウは背後を振り返って再び少女を抱き走り出した。

 

「!!?」

 

 あまりの事に、四匹の崇めるものの中でも特にプライドの高い火竜が自ら引いた事に、少女は驚きに固まったまま、自分を抱いて奔る男を見つめた。

 

「安心してください。このまま小船で脱出します」

 

 言葉は分からずとも。

 

 意味は取れずとも。

 

 笑顔は分かるから。

 

 少女は今も圧迫され続ける股間の奥に御神体を感じながらも、笑った。

 

 騎士は獣を退け、見えてきた小船へと跳躍し、言う。

 

「行きましょう。後で名前を教えてください」

 

 意識が落ちる前、最後に少女が呟いたのは結ばれる相手がまだいないのかと心配していた祖母への言葉。

 

『おばあちゃん。見つけたよ』

 

 その逞しい部族の少女の気持ちに風精が応えたか。

 

 未来へ続く新たな出会いの始まりに、雲を晴らす風が吹いた。

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