第二章十一節「破壊」
『うぉおおおおおおお!!!!!』
鋼の硬質な弾け合う音が鳴り止まない砦は今や戦場と化していた。
青空の下。
辺境伯が常時詰め武帝との国境地帯を監視する目的で設置された堅固な石垣はところどころ崩れて、武帝の戦士と思われる者達が雪崩れ込んでいる。
突如として開かれた戦端。
しかも、宣戦布告も無い強襲。
国家というものが曖昧な武帝とはいえ、周辺諸国から非難されても仕方ない所業だった。
砦内にいた武帝の民間人は殆ど裏門から周辺の集落や都市へと向わせたものの、せいぜいが四百人しか詰めていない砦に二千人強の戦士達が不意打ちを掛けたとなれば、勝敗は決定的。
閉めた大門もほぼ意味は無かった。
難なく壁を登って突入した戦士達に門は開かれ、数にものを言わせた乱戦と消耗戦は砦の兵士達を着実に駆逐していった。
砦内部に入り込んだ身軽な武帝の戦士達はとにかく正面から戦う事なく。
建物の死角や不意を付いた戦術で防御が厚い駐屯騎士を平らげ続けた。
魔術や超常の技能を保有する者による外部との疎通手段は妨害され、鳩などの動物は空に舞い上がった瞬間に武帝の戦士達に狙い撃ちにされた。
残るは逃げ出した民と共に脱出させた馬車による連絡のみ。
砦が落ちるより先に援軍が来るなんてのは絶望的で。
故に辺境伯は三十数年前より秘匿していたソレに頼らざるを得なくなっていた。
「辺境伯様!!! も、もう三つ目の角まで戦士達が攻め込んできています。お早く!!!」
砦で家令を勤めた老人が辺境伯の部屋の暖炉の一部を押して慌てた様子で隠し通路を開く。
「ああ」
もう既に老境も終わりに差し掛かっている男は生気もなく返事をして暖炉内の隠し通路へと入り込んだ。
貴族にしては質素な綿の地味な衣服に身を包んだ辺境伯の顔はもう諦観に沈んでいる。
嘗ては権勢を誇った彼も三十数年前の一戦以来、膨大な戦死者を出した責任を取る形で没落、実務は既に引退している。
それでも家の再興を夢見て息子達を帝都へと送り出し、何とか家名を繋いできたものの、それも彼がいてこそ。
帝国の為と言いながら老骨に鞭打ち仕えてきた彼の努力は砦を落とされた事で無に帰した。
「武帝。何の因果か」
呟きながら暗い涅槃に沈み込んでいくような心地を味わい彼はようやく目的地へと到達する。
「灯りを!」
老人の声と共に部屋の内部が仄かな蝋燭の明かりに映し出される。
小さな部屋の中央。
鎧が一着だけ壁に立て掛けられている。
それこそが没落寸前に彼が帝都と皇帝に対して持った人生最大の秘密だった。
【全身鎧(フルプレート)】の胸には剣と杖が交差するレリーフが刻まれている。
重厚で肉厚な装甲。
まるで大男が着るのかという大きさ。
しかし、何より人目を引くのは各部に備えられた幾つかの鮮やかな色彩だろう。
鎧の全身に掘り込まれた幾何学模様は翠に輝き。
剣は真紅で盾は蒼。
背中に刻まれた二つの穴の中からは灰色の光沢が覗いている。
「家が再興された暁にはこれを使う事もあろうかと思っていたが、此処で我が家系は取り潰しか……」
感慨もなく。
淡々と辺境伯は短く呪を紡いで鎧の封印を解いた。
鎧がバックリと胴体部から左右に開く。
「此処にいろ。物音が聞こえなくなったら、奥の道から逃げて奴隷都市の政庁に向え。陛下に最後まで私は戦って果てたと」
「へ、辺境伯様!!」
「三十年以上前に果てたはずの命だ。構うまい」
鎧にゆっくりと沈み込むように身体を入れて、辺境伯の肉体がバクンと鎧に取り込まれた。
ゴクリと唾を呑み込んだ家令が目を見張る。
鎧は四肢を鎖と鉄杭で壁に止めていたにも関わらず。
一瞬で壁を崩して動き出した。
それと同時か。
腰蓑一つと刃や槍で武装した武帝の戦士達が紅い紋様も見えない程の返り血に染まりながら部屋へと突入してくる。
『此処に来るまで幾つの命を平らげた? 武帝の戦士よ』
鎧が戦士達が突撃するよりも早く動いた。
目に追えた戦士はいなかった。
猪突猛進。
そんな言葉が似合う。
来た道を崩しながら削りながら数人の男達がたった一体の鎧に押し潰され、暖炉を破壊して血飛沫を上げて噴出した。
「「「「「?!!!」」」」」
数人の戦士達が驚きながらも部屋から咄嗟に退避する。
戦士達を部屋から押し戻す事に成功した鎧が腰の剣を引き抜き、振った。
たぶん、その攻撃に巻き込まれた戦士達の大半は何が起こったか理解する暇もなく焼滅しただろう。
剣が横に振られた瞬間、剣の軌道に沿って生まれた炎というよりもただの白い光のような一撃が何もかもを超高温によって融かし蒸発させていた。
部屋は元より地下への道が完全に閉ざされた事を確認した鎧が砦一層分の支えを失って達磨落としのように振ってくる崩落へ巻き込まれていく。
全ての駐屯騎士を平らげた戦士達。
その約三分の一が突如の崩落に巻き込まれて圧死。
同時に何とか崩落から逃げ延びた男達も突如として襲ってきた熱風に体のあちこちを火ぶくれさせて絶叫する。
ボン。
そんな軽い音と共に白い純粋な熱量が辺境伯の部屋があった一角から垂直に立ち上った。
白の柱を悠々と上昇していく鎧の姿。
あまりの光景に一体何人の戦士が畏怖を覚えたのか。
嘗て帝国の精鋭を焼き尽し、覆い尽し、融かし尽し、土塊と化した。
武帝が誇る最終兵器にして国を支える四匹の支竜。
一人の野心家によって投入された竜達の死骸。
それが形を持って生まれ変わっていた。
魔術によって体組織を封じ込めた鎧は殆どの能力を失いつつも、恐ろしい威力を持つに至っている。
「熱いだろう」
鎧の内から掛かる辺境伯の言葉は冷徹だった。
全てをご破算にされた恨みも絶望に凍て付いたか。
蒼の盾が掲げられる。
振り出す雨が冷たいと思った戦士達の大半は即死。
雨は頭部を溶解し、身体を融かし尽くした。
何とか肉体を砦の残骸の内で守れた戦士達も幸運とは言えなかった。
ズチュルルルルルと渦巻き、逆巻き、捏ね繰り回されて誕生した顔の無い同胞達と戦う羽目になったのだから。
悲鳴が上がる。
同胞の成れの果てに容赦なく槍を突き出す者が大半だったが、それでも呪いで覆っているはずの槍は呆気なく融け、相手の一部に触れた者はその部位からドロドロと肉体が蕩けた。
雨の範囲から逃れ、砦の外で後詰めに回っていた部隊が砦周辺の異変と敵である鎧に気付いて弓矢による一斉射撃を掛けるものの、その矢もまた雨に解ける。
「この老骨の背後を取るとは卑怯ではないか」
鎧の背後。
肩に開く二つの穴。
奥からガコンと灰色の瞳が迫り出して、ギョロリと部隊を見つめた。
容赦なく発動した生き物を土塊と化す魔眼があらゆる加護を突破して肉体を大地へと還していく。
視線の先にいた戦士達だけではない。
草も蟲も生物ならば全てを平らげて。
魔眼は不毛の大地を遥か遠方まで生み出した。
正に無敵。
正に最強。
少なくとも通常の戦力ではお話にもならない。
二千の兵は一兵たりとも残る事なく竜の鎧に平らげられた。
だが、そんな鎧にも欠点はある。
内部の辺境伯の命は既に絶えていた。
人の身には余る能力の代償は生命力。
それも着れば能力が常時発動している為。
人一人の命で動くのはせいぜいが数十秒。
人間を使い捨ての蝋燭にしたとしても短過ぎる戦闘時間は正に呪いの品と呼ぶに相応しい。
飛行能力を失って墜落した鎧は瓦礫の上に転がってバックリと次の使用者を待つように開いた。
残ったのは衣服だけ。
生命力をどれほど絞れば肉体が消え去ると言うのか。
恐ろしき武装は役目を終えて転がった。
本来ならば、そのまま来た帝国の援軍に回収されていただろう。
しかし、そうはならない。
其処に武帝の戦士達以外の存在がいたからだ。
瓦礫が何かに踏み締められ、鎧近くの瓦礫が転がって落ちていく。
武帝に今や蔓延する病。
違ってしまう原因。
見えないソレは武帝の部隊に幾匹か紛れていた。
戦闘に巻き込まれて失せなかった唯一の個体は見えない身体のまま鎧を小突いて、しばらく考えた後。
その身体を鎧の中へと横たえた。
*
狂想曲というのは追い立てられる側のものか。
それとも追い立てる側のものか。
「さて」
嘗て人間社会で一度だけ聞いたソレを思い浮かべてダークエルフの男は笑みを浮かべた。
暗く深き場所。
今や鼓動し鳴動する楽器にも似た音色を奏でる地の奥底。
数人の男達がアーフルを前にして傅いていた。
灯る明かりは蝋燭が幾つか。
浮かび上がる男達の風体は人間とは呼べない。
ある者は蜥蜴の頭を。
ある者は獅子の頭を。
ある者は巨大な翅を。
亜人と呼ばれる者達だった。
他にも人型にしては形が歪な者ばかり。
耳以外は比較的人間に近いエルフ。
彼らにしてみれば、亜人は同じ形を持つ人間より随分と付き合いやすい者達だ。
自然の恵みと調和して生活する亜人達の性質がエルフに近しいというのもあるだろう。
しかし、本来温和か勇猛にしても人間程残酷にはなれない亜人達の顔には暗い影が落ちている。
薄暗がりの中。
一人だけ椅子に座るアーフルは常の快楽と狂気に彩られた顔を冷静なものにして男達に問う。
「人間を滅ぼすか。諸君」
亜人の男達の顔にいきなり憤怒や憎悪の感情が浮かんだ。
「人間を駆逐するか。諸君」
まるでアーフルの声で正気を失ったかの如く。
男達が唸り声を上げる。
「人間を焼き尽すか。諸君」
誰かが口笛を吹いた。
泡を吹き上げながら、ケタケタと嗤い声が上がる。
「人間を轢き潰すか。諸君」
相槌を打つ者が多数。
「人間を喰らおうか。諸君」
嫌悪と侮蔑と喜悦に塗れた者が幾多。
「人間を殺そうか。諸君」
喝采が上がる。
もう、誰の目にも分かる程に亜人の男達は狂態を晒し、焦点の合わない目で、唾液を垂れ流す口で、堪えきれない身体で、拍手と賛成の声を迸らせる。
「では、ようやく稼動に漕ぎ付けたコレの出番と行こう」
大地の鳴動が急激に高まり、早鐘のように、いや……まるで悲鳴の如く湧き上がる。
「第一の地獄を開放しよう。生贄は十分にある」
ゴウンと薄暗い蝋燭の明かりを打ち消して、遥か頭上より光が落ちる。
直射日光。
天蓋が開かれた音。
そうして、亜人の男達とアーフルが座る場がハッキリと映し出される。
断崖。
そそり立つ絶壁。
アーフルの座る椅子は奈落を背にしていた。
『ぁあああああああああああああああああああああああああああああ』
遥か頭上。
風を裂いて何かが奈落へと落ちていく。
『ふるうううううううううううううううううううううううううううう』
それは人間だった。
『さまぁあああああああああああああああああああああああああああ』
それも拷問に拷問を重ねられた酷い歪に欠けた肉体の老人だった。
『ばんざあああああああああああああああああああああ―――』
ゴシャァアッッッ。
断崖の底で柘榴(ざくろ)のように砕け散る音がして。
続く者が二人。
やはり、アーフルの名を叫びながらの死への急降下。
二人が四人。
四人が八人。
八人が十六人。
増えていく犠牲者の雨。
賛美の断末魔に微笑んでアーフルは近頃よく飲むようになった葡萄酒を呷る。
グラスから傾けられ、中身が喉へ落ちていく間にも断末魔の人数は増えていく。
その殆どの人間が武帝の部族である事を亜人達は知らない。
知るどころか正確に認識もしない。
ただ甘美な断末魔に陶酔しては振ってくる人間を楽しげに見つめるだけだ。
人間に混じって今度は首。
首が終われば足。
足が終われば胴体。
胴体が終われば腕。
人間の内臓から何から全てが玩具箱を引っくり返したように降っては断崖の底へと失せていく。
「では、皆さんもどうぞ」
アーフルがニィッと唇の端を吊り上げる。
亜人の男達が同じ笑みを浮かべて、アーフルの横を通り過ぎ、やはり人間達と同じくアーフルを賛美しながら自ら落ちていった。
走り出す者。
祈る者。
嗤いながら。
悦びに震えて。
次々に落ちていく亜人達に目もくれず。
全ての準備が整った事を確認したアーフルはパチンと指を弾く。
『愛していますぅうううううううううううううううううううううううう』
『あーふるしゃまぁあああああああああああああああああああああああ』
『ババアはちゃんとアーフル様のお役に立つのですううううううううう』
『娘をよろしくぅううお願い致しますううううううううううううううう』
『ああ、幸せです幸せです幸せです幸せです幸せです幸せですすすすす』
人間に混じってエルフの女達が断崖へと飛び込んでいく。
その誰もが歓喜の笑みで糧になれる事を慶んでいた、祝っていた。
全員が子供を産んで齢を重ねているのは目尻の皺を見れば一目瞭然。
アーフルの子を全て産み終えた“絞り粕”だった。
「さて」
アーフルが立ち上がって断崖を振り返り、両腕を横に広げる。
背後に浮かび上がる黒い棺が瘴気を放ち始めた。
「我がダークエルフの祖先は魔族の加護を受けて肌を白から褐色へ変えたと言う。私もそれに習おうか」
椅子を蹴り飛ばし、男は下に堆積した贄に向って最後の声を張り上げる。
アーフルの動作に呼応したか。
断崖の底で混ざり合った命のスープが色を変えて滝の如く“上に向って”落ち始めた。
ドス黒い光沢のある赤。
断崖が溢れ出る色に染まり塗り固められ、硬質な世界へと生まれ変わっていく。
やがて、断崖を越えて溢れたソレは外にある樹木も岩石も削ぎ落とし、封印されていた本来の形をなぞって、広がっていく。
宇宙樹の袂。
エルフの集落より近い霊廟。
最後に誰もが眠る地下墓地。
その周辺一帯が隆起し、せり上がっていく。
全景を見る者がいれば、それが巨大な宇宙樹に匹敵する大きさの円筒形だと分かっただろう。
円筒の上部から中腹へ奔る亀裂こそが断崖の正体。
断崖の底は正に円筒の中央に位置する。
捧げられた贄の色に染まる円筒は最後に大地から離れ、横へと倒れた。
「起動。炉の出力を三割へ。移動開始。主砲装填に入る」
円筒の割れた断崖の後方。
中心に鈍い光が灯る。
広大な平面内部で浮かびながら、一人巨大なソレの運用を魔族の言語で行いながら、アーフルはやがて来る破滅の足音に唇の端を曲げた。
「人間よ。これが罪業の火だ」
横に倒された断崖、主砲の砲身内部で巨大さに似合わず細く細く輝きが中央を吹き伸びていく。
アーフルがいた砲身内部にある窪みからは伸びていく光の筋がよく見えた。
巨躯に似合わぬ細い筋が横に倒れた円筒の前で光の玉となって滞空する。
「射角修整。座標送信。目標、イグニシア・クルシス!!!」
レンズのように円筒の前方が歪曲し、光の玉が解けた。
収束された光の一線。
流星のように空を駆けていく光の通った真下は何一つ残らず蒸発。
巨大な線上痕として焼き付いた。
数百kmどころか数千km先にある帝都まで光の筋は減衰する様子もなく届き、全てを焼滅させる、かと思われた。
「何?」
エルフの集落より三百km先。
未だ武帝の厳しい自然が在り、大森林から多少離れている場所で、ふっつりと光の筋が切れる。
「どういう事だ」
純粋な火力において、現在大陸に存在するあらゆる火砲の上を行き、戦略級の大魔術や方陣すら打ち抜く大量破壊兵器。
魔族達が建造した【罪過(メギド)】の名を冠する構造体。
人を滅ぼす切り札は周到に準備され。
人間社会にしてみれば唐突に発射された。
国家も教会も知らぬ間に惑星上の人類が数億人蒸発するのは確定していた。
知らぬものに対応は出来ない。
それは誰だって同じだろう。
例え、教会に防ぐ手立てがあったとて、防ぐ準備が出来るはずもない。
「……?」
心躍らせた結果を得られず状況を把握しようとしたアーフルが気付いた。
「なッッ―――?!!!!!」
片腕と半身の一部が、無い。
辛うじて残った零れ落ちそうな眼球が今目覚めさせたばかりの構造体の消失に気付く。
―――恐ろしき大量破壊兵器、その半分がゴッソリと抉り取られるように消え失せていた。
修復が開始された肉体のミチミチと増殖する音に脳髄を沸騰させながら、アーフルは一体何が起こったのか冷静に分析する。
突然の攻撃。
いや、消失。
構造体の防御機構は少なくとも魔力を扱う技術や超常の能力では突破しようも無い程に強力なはずだ。
攻撃してきた対象の解析も監視能力によって万全。
修復機構が働いていないのもおかしい。
つまり。
あやうくアーフルを即死させ掛けた攻撃の正体は魔力による攻撃ではなく。
超遠距離、少なくとも構造体の監視能力圏外からのものという事になる。
更に構造体からの射撃が突如失せたという事実から、途中で攻撃を止めたのも同種の力と推測出来る。
以上の事から導き出される答え。
「まさか」
辛うじて相手の正体が分かった。
「七、聖女!!」
七教会における七聖女の扱いは象徴であると同時に最強の戦力。
過去の大戦において、あらゆる人外の化け物が魔王に対して投入されたが撃滅された。
唯一の例外は七人の聖女のみ。
その誰もが超高位の魔族すら退ける正真正銘の超人に他ならない。
殆どの聖女が持つ奇跡の内容は知られていないが、唯一ハッキリと七聖女の中で一人だけ能力を実しやかに噂される女がいる。
彼の者、滅びを滅ぼし、全てを壊さん。
七聖女で唯一個人師団を持たない。
いや、持つ必要も無いとされた女。
【近代化(レボリュション)】における役割も曖昧な存在。
あらゆる脅威の排除という一見して具体的ではない任務を教会より承る流離いの女拳師。
「【破壊者(ワンダリカ)】ソィラ・ミクラか!!!」
世界に現有する超常の能力で非公式とはいえ、あらゆる種族、神、天使、魔族を越える戦闘力ではないかと噂される女の奇跡は単純にして無二。
直接、関節を問わず、知覚した事象・現象・概念・法則・時間・空間の恣意的な破壊。
端的に言えば、この世界の森羅万象を意識しただけで破壊する能力。
過去、観測された結果から言って、小惑星を瞬きの内に粉々にし、神を幾柱も消滅させた女の能力はそうとしか言えない。
七教会は公式に認めていないが、聖女が歴史の一部を破壊したとか、外なる神々や別世界を幾つか滅ぼしたとか、それらしい噂は絶えない。
ドン。
小規模の爆発が構造体を襲い連鎖していく。
半分以上破壊され、自重を支え切れなくなった末の落下が始まった。
「ふ…これが教会…これが七聖女か…」
アーフルにとっての想定外・不運はただ一つ。
七聖女。
しかも、その中でも最悪の部類が武帝内部に存在していたという一点のみ。
一晩で数億人を灰燼に帰すはずだった力も今や風前の灯。
ただ、彼にも収穫があった。
「常にこうはいかないと心得ておけ。七聖女」
何故、半分だったのか。
本来ならば全て破壊すればいいものをどうして破壊しなかったのか。
理由は単純。
相手の位置と死角にあるとアーフルは推測した。
その視線が見えない七聖女がいる方角へと向けられる。
「次は必ず」
落下する構造体からアーフルの姿が消えた。
半分以上巨躯を失っているとはいえ、それでも山脈の如き質量が地殻へと直撃。
津波のような土と風が膨れ上がり、大地が揺れる。
それでも大森林外周まで被害が拡大しなかったのは一重に宇宙樹の根が大地への衝撃を軽減したからに他ならなかった。
*
「うわ。結構デカかった?」
グラグラと揺れる地面の上で赤い果実を齧っていた女がポロリと口元から種を落とした。
宇宙樹に最も近い崇めるものの神殿。
水竜の寝床と呼ばれる開けた円形後円墳の上には夥しい数の見えない何かが転がっていた。
よく見れば、出来上がったばかりの不可視の死体が液体と化して視認可能となり、地面に吸い込まれていくのが分かっただろう。
水竜。
全てを融かし己の列に加える恐ろしき物体。
水さえあれば無尽蔵に増え、森では倒せるはずもない相手。
それが分子レベルでの結合を崩壊させて失せていく。
その間も女は昼飯の果実をモシャモシャ食べ続けた。
品が無い。
しかし、粗野でもない。
果実を掴む手は何処か優しく。
食物に感謝するような雰囲気すらある。
「さて、と。フルーの言ってたやばそうなのはあっちでいいみたいだし、とっとと行きますか」
短く刈り上げられた白銀の髪がまだ中天にある光を照り返した。
長身痩躯の女は溌剌とした様子で袖の無い薄緑色の制服を身に纏っている。
七教会の兵士達が着るものを上等にして生地を変えれば、そのようなものが出来上がるだろう。
使われている糸から布まであらゆる部材が全て既製品とは違った最上級の代物で、一着でほぼ教会の保有する航空艦船一つ分にもなる、と知らなければ着心地は良いかもしれない。
ただ、剛毅を絵に描いたような笑顔を浮かべる女丈夫は服を大事にするタイプではないのか。
美しいとさえ言える衣装は泥と汗に濡れて所々擦り切れている。
森という環境下で気が抜けないにしても洗濯している様子も無い。
女として多少問題があるかもしれない。
「それにしてもいきなり人を襲う見えない化け物とか水の化け物とかマジ勘弁だわ。こっちは盥回しで魔族だの神だの革命分子だの相手にしてるっつーのに。あ~~早く帰って麦酒(エール)と厚切りの干し肉でグッといきたい……」
おっさん臭い事この上ない溜息を漏らしつつ、女は今正に破壊したばかりの水竜の事も忘れ去って、トコトコと歩き出した。
その背後、完全に破壊されたかと思われていた水の竜がゆっくりと水蒸気の形を取って地面から湧き上がる。
一滴でも肉体が残っているのなら、そこから再生する事も可能な水の竜だからこその芸当だった。
分身を残して地下に退避。
相手の戦闘情報を蓄積して、弱点を探し、やり過ごすかどうか見定める。
竜は力の正体こそ理解しなかったものの。
相手の能力の発動条件を絞り終えていた。
相手能力の発動には知覚が必要。
知覚に引っ掛からない方法で近付き内部からの侵食によって勝利する。
如何な恐ろしい力の持ち主とはいえ。
己の体内からの攻撃まで防げるとは思えない。
それが水竜の思考。
襲い掛かった当初、理不尽にもあらゆる攻撃が効かず、同時に相手に触れた水竜の分体は即座にただの水へ戻った。
予め取り込まれていた見えない化け物による攻撃に切り替えても結果は同じ。
更に見えないはずなのに化け物達は一度攻撃しただけで死んだ。
何をされたのかまるで理解不能な状況。
それでも相手の知覚によって破壊を誘発させているならば、相手が知覚出来ない場所から一方的に攻撃を続けるという手もある。
水竜にとって内部からの浸食は奥の手とも言うべき、あらゆる存在を同化してきた一手だ。
水蒸気にしても分体を使った攻撃で本体は地下の水脈に逃げ込んでいる。
相手が同化されるのも時間の問題だと、そう水竜は侮っていた。
相手の呼気から肺に侵入。
更に体内の水分に紛れて全身に行き渡るまで数十秒。
それから一瞬で相手を溶解し、同化する直前。
「ねぇ、一つ言っておくけど、それって宣戦布告と取っていいのよね?」
《!!?》
全身に行き渡った水竜は己の意思次第で女を生かすも殺すも操るも自由自在。
そんな相手から吐かれた言葉。
何か決定的な事を言われている事を理解しつつも、獣はもう遅いとばかりに同化を始めようとして。
「こういうの痛いからあんまりやりたくないんだけど、しょうがないか……」
気楽な様子で溜息一つ。
キュガッッッ。
刹那だった。
女の肉体から全ての水分が“破壊”されて失せた。
それだけではない。
一瞬にして。
半径十km以内の真球状の空間内部から水という物質が消え失せた。
H2Oという物質が存在しないという絶大な異変。
それが大地を森を大気を川を植物を動物を一瞬にして枯れさせた。
何をされたのか。
水竜は理解せず消滅しただろう。
聖女自身を含めた超広範囲で水分子の一欠けらすらない領域が生み出されたのである。
現実的には在り得ない光景。
植物は枯れ落ち、川は干上がり、動物は死に絶え、大気の乾きは想像を絶する。
枯れ葉が静電気に発火し燃え上がれば、一瞬でその場は一つの言葉で事足りる世界となる。
即ち地獄。
破壊という行為に人が思い浮かべるのは基本的に物質的な変形で間違いない。
実際に物質の分子構造や密度が変わる程度の話だ。
森羅万象が形を変えるにはエネルギーの推移が要る。
物質の状態や性質の変化は分子構造の変化、外部因子の入出力によって引き起こされるのが常だ。
しかし、聖女が司る破壊はそれらの科学的な法則には類しない。
結果としての破壊が先にあるのだ。
しかも、その破壊の状態も様々と言える。
「まったく、肌に悪いったらありゃしない」
ただのミイラと化していた骨と皮だけの蛋白質の塊が急激に瑞々しさを取り戻していく。
脳すら機能を停止していた。
事実上死んでいたはずの女は欠伸をして、水気が戻った体をゴキゴキ鳴らした。
「ひっさしぶりにこんなのしてみたけど。ああ、こりゃダメだわ。ハカイマガーとか。カンキョウガーとか。フルー辺りはまだいいけど、クラルとかハティア辺りに絞られそう」
自分の奇跡の使い勝手の悪さにげんなりしながら女が目的地に向けて歩き出す。
色々と動植物を巻き添えにしてしまった事は悪く思っているので、多少決まり悪げな顔だった。
パリッと衣擦れで出来た摩擦で静電気が走り、近くの枯れ葉が発火した。
未だ大気も川も事態の中心部まで新しい水分を運ぶには至っていない。
あっと言う間に燃え広がる炎は女が数分歩いている内に大火となって森林の一角を覆い尽した。
それでもやがては森の有する水気に消えるだろうと軽く考えて、女の歩みは止まらない。
倒れてくる千年ものの樹木も燃え盛る木の葉の津波も動物の乾燥した肉が焦げる匂いも恐ろしい噴煙も女を避けていく。
消え失せていく。
それは手っ取り早く女が常用する“破壊”の痕跡。
一定空間内部において存在が壊される故の現象。
もしも、その破壊対象の傍で女が破壊したものを見た人間がいたならば、きっと思うだろう。
今破壊されているコレは何かと。
世界が一冊の本ならば、特定の言葉だけを破り散らしているような暴挙。
世界に負荷が掛かっているだろう結果の押し付け。
使い過ぎれば、世界の危機だと案外真面目に世界最高の頭脳が忠告するので、女も基本的には使用を小規模に押さえているが、それでもやはり歪みは出る。
不意にグニャリと女の周辺の景色が歪んだ。
続けて近場で大規模な破壊を行ったツケか。
女が気付いた時にはもう景色は大火の中ではなく何処かの集落だった。
「ん? あれ?」
キョロキョロした女が少し考えて結論する。
「もう着いちゃった?」
異変が起こっていると言われた武帝。
その異変の中心らしきエルフの群落。
宇宙樹の袂、生活圏の中心に女はいた。
小さな噴水の前で情報収集しようと動き出そうとした女だったが、グラッと地面が揺れた。
「また?」
震源地の方角を見た女の視界には何処かで見たような巨大な構造体があった。
浮かび上がったばかりなのか。
硬質な輝きが巨大な岩の塊とも見えたソレを覆っていく。
「ちょっと“前後”してるとか。因果って面倒ね」
慌てた様子もなく。
自分がどうなっているのかも理解しつつ、足は近くに見える広場へと向いた。
構造体が横に傾いていくのも気にした様子無く広場へ目を向けていた女の前に人集りが見えてくる。
「ん?」
全員がエルフだった。
無論、エルフの群落なのだから当たり前だが、それにしても人々は奇矯。
全裸。
老いも若きも全員が裸での集会らしかった。
『ひぁああああああああああああ♡』
『おじさんのちんぽいいよぉお!!?』
『お父様のたねちゅけぇぇ♡』
『おにいちゃんはりゃましぇてぇ♡』
『ひぎぃいいい!! ひぎぃいいい!!!』
エルフの誰もが熱狂していた。
近付いてきた人間にすらまったく無反応で広場の隅で繰り広げられる歳若いエルフの少女達の痴態に喝采を送っている。
エルフというのは基本的に人間の感覚で言えば美形と相場が決まっている。
男達も多くが流麗な印象を受ける麗人のような者ばかり。
若い牝を犯す雄の腰使いはどんな生物にも共通なのか必死なものがあって。
そのワンシーンだけを区切るなら、若い美男美少女が愉しんでいるようにしか見えない。
六人の少女達がダラダラと唾液を垂らし、だらしなく舌を出して、犯されている蜜壷の快楽に蕩けた顔をする。
我慢し切れなくなった男の聴衆がそそり立った幹を少女達の前に差し出した。
年端も行かぬ少女達の唇と舌が躊躇い無く幹に玉に先端にしゃぶり付いた。
チュルチュル。
ピチャピチャ。
グチュグチュ。
チューチュー。
グッチャグッチャ。
まだ膨らんだばかりの乳房は完全に勃起し、その腹には男根の形がハッキリと動いている。
多くが近親者との交合(まぐわい)か。
男達の口からは泡と共に少女達の名前が呼ばれる。
それに呼応するかの如く。
見ていた女達も余っていた男達を求め始めた。
その中には明らかに孕んでいる者やダークエルフも混じっている。
今正に目と鼻の先に人間がいるのもお構いなしに無数の交尾が始まった。
獣がするような激しさで。
獣よりも獣らしく。
喘ぎと嬌声が支配する広場にも構造体の崩れ落ちる音は聞こえている。
だというのに誰も空を見る様子がない。
「ふ~ん。部族の人間にちょっと聞いたけど、チガッテルとかチガッタ人間ってのはこういう事なのね」
何処か痛ましいものを見る表情で女は押し寄せてくる土と風の津波が群落を飲み込まぬよう最小限度の魔術防壁を自身を中心に展開した。
全てが暗闇に覆い尽された広場では未だエルフ達のサバトは続いている。
知覚を強化した女の耳には防壁で守り切った群落中で繰り広げられる狂騒曲の如きエルフ達の痴態が聞こえた。
まともな精神を有して残っている者はただの一人も残っていなかった。
誰もが母と父と妹と兄と姉と弟と叔父と叔母と見知らぬ者と子供を作れや作れと励んでいる。
精の迸る音が無数。
それを美味しそうに飲み干す音。
地面に落ちたものを這いながら舐め取る声。
凡そ自然と融和し文化的な生活を営んできたエルフとは思えない。
「ま、ここは聖女様の出番ってところかしら」
腰と尻が打ち合う肉の音の中で一人。
聖女ソィラ・ミクラはパチンと指を弾いた。
全てが終わった後。
調査団の入った群落で七教会の者達にエルフ達は告げる事となる。
此処数ヶ月の記憶が無いのです、と。
人間への不審という毒気を抜かれ、抜け殻のような穏やかさで。
聖女がエルフ達の何を破壊したのか。
それは誰も知らない。
ただ、女を一人持て成したという報告だけが後に調書へ記述される事となる。
エルフ達を襲った悲劇が人々を飲み込むには未だ時間があった。
魔族達が残した遺産による騒動が災禍となるまでの猶予は少なく。
次なる凶兆はすぐそこまで近付いていた。