※この作品はR-18です。

聖娼館ハルトゥム   作:Anacletus

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第二章十二節

第二章十二節「遺考」

 

 ははうえ!

 ははうえ!

 

 おはながキレイにさいてるよ!

 

『そうね』

 

 どうしておはなってキレイなの?

 

『それはきっとこの世界が美しいからね』

 

 ウツクシイ?

 

『そう、この世は美しい…貴女みたいにね…イフィミスラ』

 

 え、えへへ///

 

 ははうえもウツクシイ!

 

 だって、ワレのははうえだから!

 

『ありがとう…わたくしの全て…愛しているわ』

 

 うん!

 

 アイシテル!

 

 ははうえ!

 

『ふふ、その言葉は貴方を本当に美しいと言ってくれる人の為に取っておきなさい』

 

『いつか…わたくしにも見せてね。貴女が本当に愛する人を…約束よ?』

 

 うん。

 

 やくそく!

 

―――母上。

 

 きっと貴女は知っていたのでしょう。

 

 この世界がご自身で言われる程に美しくはない事を。

 

 この世が魔族達の住まう地より余程に過酷で残酷で悲劇と憎悪に溢れている事を……。

 

 何度でも美しい華は踏み躙られ、幾度でも正しい事は捻じ曲げられる。

 

 その理不尽を。

 

 愛する人と結ばれず。ただ血筋だけで選ばれた花嫁として、好きでもない相手との間に出来た子を美しいと、愛していると、そう言ってくれた貴女。

 

 そんな貴女に伝えるべき事が出来ました。とても一日では伝え切れない沢山の出来事が。きっと、お伝えすれば、貴女は驚いて目を回してしまうかもしれません。

 

 でも、いつかお伝えしたいと思います。世を疎んでいた、全てを諦観していた、貴女が死んでから死んだも同然だった我に命を、愛を教えてくれた。

 

 そんな温かい人々の事を。

 

 我の大切な、大好きな人の事を―――。

 

*

 

 目を開ければ、何も無い。

 

 真白い天井。

 

 涙は流れていない。

 

 そう、知って。

 

 ああ、と思う。

 

 心にもう澱はない。

 

 きっと、その理由は単純で。

 

「ねぇさま…いふぃみすらねぇさま」

 

 天井の代わりに視界へ入る小さな角。

 

「エフィリム、か」

 

「はい。きょうもよいてんきですよ。ねぇさま」

 

 顔を傾ければ、窓の外は晴天。

 

 視線の端に褐色の腹が出しっぱなしで見えていた。

 

「帝都もそれなりに回った。そろそろ追いかけねばな……」

 

「ねぇさま?」

 

 呟いて、再び目を閉じる。

 

 後、もう少し。

 

 次に目覚めた時には準備をして出かけよう。

 

 そう、今は傍らにいない馬鹿者を追い掛けて。

 

(母上。我は今、幸せです……)

 

 瞼の裏に焼き付いた肖像は柔らかく笑っていた。

 

 *

 

「神は全てを救っては下さいません」

 

 教会が七教会と呼ばれる前なら、教会騎士に眉を顰められただろう言葉が街頭の壇上で穏やかに語れていた。

 

「神は心をお救いは下さいますが、明日の糧を恵んでは頂けないでしょう」

 

 街宣。

 

 七教会の信者を増やす常套手段。

 

 その内容は極めて現実主義に根ざした主張が今や殆どだ。

 

「我々は神の代理人でも無ければ、明日の糧を恵む配給の者でもありません。ですが、一つだけ皆様に対して約束する事を七教会より賜る伝道者ではあります」

 

 嘗て、大陸のいたる場所で説かれた説法とは違う。

 

 【近代化(レボリュション)】による人々の暮らしの向上に合せて変ってきた七教会の主張。

 

 それこそが小さな木箱の上での演説そのものだ。

 

「神は自らを助くものを助く。同じく他者を助くものを助く。神は決して誰も裏切りません。同じく全てを平等に見てくださるでしょう。故に私はこの場にいる全ての方へお伝えしましょう。全てはあなた達の行い一つであると」

 

 朝方で少なかったはずの聴衆。

 

 仕事へ往く者達もいるはずだが、ほんの少しずつ、一人、二人、と足が止められていく。

 

「教会は神が救えない方に自立して自らを他者を救う方法をお教えする場所です。それは何も心や体だけの事ではありません。我々人間が育んできた地域・社会・国家、全ての括りで発生する多くの困難。それを一人一人に克服して頂く。大きな事は小さな一歩から、そんな実戦の術を授ける場なのです」

 

 最初は数人だったはずの者達が今や数十人に増えていた。

 

「我々は人が人を救う為の力を求めます。誰もが幸福になれる世界は訪れないでしょうが、誰もが幸福へ進んでいける未来は築けるはずです。希望は確かにあなた達の中にある。薄汚れて塵を拾って生きる方、何もかもを失って失意に暮れる方、絶望に苛まれ続ける方、這い上がれないと諦めた方、生き方は人それぞれですが、我々は決して他者を見捨てるだけの人間であってはいけない。我々は、人間は一人では生きていけない生き物のはずです。生まれるには両親が、歳を重ねるには育ててくれる人が、生き甲斐を持つには他者が、愛を語るには異性が必要なのですから。そうなるかもしれない誰かを見捨てたままではいつか自分が見捨てられる事になる。いえ、今まではそうなってきた。だからこそ!!!」

 

 グッと演説者の声に力が入る。

 

「押し付けがましいと言われるかもしれません。余計なお世話だと詰られた事もあります。教会に何が出来るのかと何度も我々は、いえ、私は言われてきました。でも、私は思うのです。余計だろうとお節介だろうと幸せは常に誰の中にもあるものだと。今は見失ってしまっているだけなのだと。七教会は神に感謝する場ではありません。神に感謝される場でもありません。神に我々人間が幸せである事を問う場であると私は考えます。七教会は今も問うています。神に。人間は貴方が思う以上に幸せな生き物ではないかと。人だけではありません。人と同じく意思を持ち、共に歩んでいける者達も含めて、人は互いを助け共に進んでいくべきなのです。あなた一人が誰かを救えば、その人はまた誰かを救うかもしれない。無論、罪を犯すこともあるでしょう。しかし、例え、罪に塗れても、例え、憎悪に取り付かれても、それもまた他者無くして、隣人無くしては成り立たない。人を殺すのが人ならば、人を助くのも又人です。他者を許容し、生きる。これこそが新たな時代を作る最たる方法です。他者への想像力無き無関心こそ害悪であり、人を社会を殺す猛毒……本質的な罪なのです」

 

 もはや演説者の周りには人集りが出来ていた。

 

「時間も場所も問いません。教会に入る必要も、神を信じる事も、本質的には必要ありません。あなたが隣人を愛せずとも、あなたの隣人に小さな親切を。挨拶するも良し。仲良く話すも良し。ほんの些細な人が人へ齎す救いにこそ、神はきっと微笑むでしょう。ご清聴ありがとうございました」

 

 頭を下げて礼をした牧師に拍手喝采が起きるまで。

 

 そう長い時間は掛からなかった。

 

 周囲では貧困者を対象にした炊き出しが始まり。

 

 同時に教会の教育部門への勧誘が盛んに行われ始めた。

 

「……」

 

 様子を見つめながら、彼女は思う。

 

 新たなる常識。

 

 それも人々が受け入れ易い、受け入れながら代わっていける優しい言葉。

 

 まるで悪魔のような狡猾さだな、と。

 

 唯一、違うのは結果が悪徳ではなく善意に結び付く事。

 

 そうして、良いか悪いかを除き多種多様な価値観を駆逐していく様は一種の悪寒を齎す。

 

 人は正しい事だけでは生きていけない。

 

 いや、悪意と悪徳を持ってこそ人生と言うべき程に醜さと切っても切れない。

 

 それを受け入れ、糧にしてきた者達が大勢いる。

 

 いや、そちらの方が大多数のはずだ。

 

 けれど、悪意と同時に善意もまた存在した。

 

 確かに善悪の天秤を人は常に悪へと傾けてきた。

 

 それは歴史が証明している。

 

 しかし、それでも、だからこそ、悲劇を糧に学び、悪意に打克つ者達が世界を変えてきた。

 

 幸せなだけの人生なんて詰まらないと嘯く者は幸福への憧れこそ持っていただろうが、同時に本心として不幸を受け入れてもきたのだ。

 

 裏社会に生きる人間にだって善意はある。

 

 生きる意味を見出せるだけの、鋼(じんせい)を打つ槌(あくい)を受ける覚悟がある。

 

 それに打たれ、鍛えられ、感謝すらして、己を一本の剣と鍛える者だっている。

 

 良いか悪いかではない。

 

 問題は天秤の傾け方が急激である事。

 

 そして、その莫大な善意が、善意以外を押し潰してしまう事だ。

 

 幾ら正しくとも、限度無き善意は悪意と何も変わらない。

 

(悪意を破るは容易い。だが、正しい善意を破るのは……)

 

 人の常識が価値観が変わっていく。

 

 旧き世界を駆逐する、その最たる様子を眺めながら、全てを押し潰す善意の本流に唇を噛んで、彼女は朝のカフェから出た。

 

「……」

 

 切れ長の獣の如く鋭い瞳。

 

 赫い腰まで流れる髪。

 

 肉食獣の眼光。

 

 鍛えられた肉体。

 

 【褐色狼(フォックス)】と讃えられた事もある女だった。

 

 キリア・ユエト・セマネ。

 

 嘗て大陸北東部近くにあった非合法組織【ガランス】の女幹部。

 

 今や流浪の身となった獣は今までいた田舎では分からない七教会の様子を求めて、イグニシア・クルシスの帝都まで足を伸ばす事となっていた。

 

 今はありふれた褐色の外套に下は獣皮主体の衣装を着込んでいる。

 

「これが七教会の影響力……」

 

 教会から逃走する身でありながら、教会の様子が気になる彼女にとって、初めての大都会は刺激的に過ぎた。

 

 田舎だった北東部ならば、井戸から組み上げた水を桶や水差しに溜めておくのが普通だが、教会からの技術を導入したという帝都は水の都と依然から言われていただけあって、今や各家庭・公共の場に水道と呼ばれるものが引かれ、何処でも水を得る事が出来た。

 

 そんな便利さを彼女は初めて知ったのだ。

 

 呑める水が幾らでも手に入る。

 

 それだけでも十分に驚異的な事だ。

 

 それだけではない。

 

 旺盛な商売人達は独自に店を構え、その品揃えは彼女が知る限り、無駄とも思える程に膨大だ。

 

 王城近くの超高層建築の様子も天空に聳える塔かと彼女は目を疑った。

 

 まるで御伽噺に出てくる千年王国。

 

 人々に貧富こそあるが、豊かさはそこかしこに溢れている。

 

 しかも、その豊かさの一部を働けば得る事が出来る。

 

 もしも彼女が生まれ育った場所で同じような生活をしようと思えば、正に大富豪になるか、組織の長にでもなるしかない。

 

 イグニシア・クルシスだからというわけではない。

 

 彼女は教会のある都会を幾つも渡ったが、程度の差こそあれ、何処にも豊かさと安全があった。

 

 それは特権でも何でもなく。

 

 当たり前の事として人々の常識として扱われていた。

 

 夜道に襲われる心配もなく明るい道に出歩く女達。

 

 場所が場所なら手に入れるのに何日掛かるか分からない品を大量に並べる商店。

 

 旅の途中、銃や刀剣の類の持ち歩きが禁止される場所もあった。

 

【近代化(レボリュション)】

 

 七教会の起こした波は確かに大陸を変えつつあった。

 

 時代。

 

 そう割り切ってしまうには急激過ぎる速度で常識と価値が塗り変って行く様子はまるで劇でも見ているかのようで。

 

(これが御伽噺なら、子供の頃は夢中になっただろうに……)

 

 そんな感想を零しつつ、彼女は帝都見物、人々の様子をもう少し見てみようかと足を―――。

 

『ああん? んだってコラぁ!!?』

 

 いきなりの怒声に行こうとしていた方向とは反対に足を伸ばした。

 

 大通りから幾らか離れた路地。

 

 入り組んだのは貧困層が住まう中でも柄の悪い連中が屯する場所の一つ。

 

 それでも帝都守護職が置かれ、警邏隊ヴァルガンノースが組織されてからというもの、無法痴態では無くなっているのだが、その日は少し様子が違うようだった。

 

 早足に声の元へと歩いていくキリアの耳には更なる罵声が聞こえてくる。

 

『お嬢ちゃんよぉ!! こちとら近頃商売上がったりでよぉ!! これ売らねぇと飯の食い上げなんだわ!!』

 

『ふ……高々薬の売人が難しい言葉を使うと頭が悪く見えるぞ』

 

『ッだとぉ!? テメェ薬漬けにして売ってやろうか!!!!』

 

『薬漬け…イヤ、それ嫌い……』

 

『ねぇさま』

 

『そこの者。今からコレでヴァルガンノースを呼んできてはくれないか? 何、教会に駆け込んで大事にしてくれてもよいぞ。この頭の悪そうな売人が縛り首になるだけだ。きっと、報復から守ってくれるだろう』

 

『んなッ、ろう!!?』

 

『悪いが我は野郎ではなく女郎(めろう)だ』

 

『ぶっ殺してやんよぉおおおおおおおお!!!!』

 

 キリアがその場所に辿り着いた時には悲鳴が上がっていた。

 

「ん?」

 

 三人の少女が大きな踊り場で立っていて、その前で男が一人、泡を吹いて痙攣している。

 

「あ゛ががががががががががッッッッ?!!!」

 

「大丈夫なようだな……」

 

 三人は平然としていた。

 

 すぐにキリアは自分が何かをする必要もないと悟る。

 

「今の悲鳴を聞いて助けに?」

 

 男を無視してキリアの前にやってきた少女が問い掛ける。

 

「ん…あぁ…必要なかったようだが」

 

 三者三様に美を持つ少女達だった。

 

「感謝に何かしらの礼をしたいのは山々なのだが、そろそろ行かなければならない。失礼する……」

 

 黒の外套に身を包んでこそいるが、着飾れば何処かの貴族かと見紛うだけの器量はある。

 

 キリアはそんな三人の少女達が何故こんな場所にいるのか不思議に思った。

 

 少なくとも護衛や保護者も連れずにというのは聊か不審と言わざるを得ない。

 

「さてと。どうしたものか」

 

 少女達が路地の奥へと消えていく。

 

 何かあると感じたキリアだが、一瞬迷った。

 

 追い掛けて何かを聞き出してどうする。

 

 そもそもそんな事をして何になる。

 

 厄介事になれば、七教会の目に触れる危険性もあるというのに。

 

 そんな内心の声が多勢を占めた。

 

 しかし、彼女の脳裏とは裏腹に脚はもう角を曲がって遠ざかっていく少女達の方へと向けられた。

 

 *

 

「さて、と。多少、邪魔があったが往くぞ」

 

 イフィミスラの声にの声にエフィリムもナーリャも頷く。

 

「もし、此処での方法がダメとなっても、いざとなれば転移魔術がある。魔力不足で智識はあっても使えなかったような術は一通り使用可能になったからな。心配するな……」

 

 博学と自らを自称するイフィミスラはかなりの量の学問を修めている。

 

 魔術は魔力の貧弱さから多くの術の知識を修めていたにも関わらず使えないという事が多々あったものの、それは近頃解消された。

 

 理由は単純だ。

 

 ティア。

 

 魔王との主従契約による大幅な魔力の改善が成されたからだ。

 

 全身に刻まれた刻印は今や少女の魂まで変革し、その全体的な能力を大幅に強化した。

 

 普段は不可視にして隠しているとはいえ、それでも魔術等を行使する事になれば、刻印は活性化し、魔術を破る程肉体に力を漲らせる。

 

 深い因果で結ばれた主である少年の動向は場所は言うまでも無く状態や雰囲気まで細かいところも結構な部分伝わってくるので、追いかける事自体は出来た。

 

 問題は一つだけ。

 

 そんな少女達を押し留めようとする存在がいる事。

 

 ハイラン。

 

 そう名乗る皇帝の使い。

 

 皇帝との子作りを邪魔されたくないという思惑からなのか。

 

 出来れば帝都で待っていて欲しいと既に三人は釘を刺されていた。

 

 それ故に三人は逃げて少年に会いに行こうとしたわけだが、それを阻止せんとハイランは権力を行使。

 

 朝方に迎えの者が空の部屋を見つけて、すぐに報告。

 

 壮絶な鬼ごっこが開始された。

 

 丁重に持て成すよう言われているハイランにしてみれば、強引で強硬な手段には出られず。

 

 少女達にしてみれば。

 

 国家権力を駆使した捜索と帝都脱出阻止は予想以上に強固で。

 

 両者の状況は一先ず昼時には膠着していた。

 

 迂闊に大通りに出られず、あらゆる移動手段を監視されている少女達が何故柄の悪い連中が屯するような路地へと入ってきたのか。

 

 その訳は帝都脱出に絡んでいる。

 

 帝都の移動手段と言えば【列車(ディムバール)】に馬車や転移の方陣が大方だ。

 

 それ以外は徒歩しかない。

 

 ただ二年前からの改革によって馬車も幾らか魔導や技術的な革新が成されており、魔力で走る自走馬車も多くなっている。

 

 外へ出る為には必然的に各所の門を通る事になるが、此処では常時監視の魔術や監視員が見張っていて、非合法品や犯罪者の出入りを確認、転移術に類する移動手段を使うにしても監視は万全だ。

 

 移動先を追跡されれば、各地に散らばる治安機構の手が押し寄せるだろう。

 

 だが、一つだけ帝都から帝都権力の目を逃れて脱出する方法が存在する。

 

 巨大な都には必ず非合法組織というのが存在する。

 

 それらの人間達にとって非合法品や都からの出入りは重要な作業だ。

 

 故に必ず抜け道が存在する。

 

 それ専用の運び屋と呼ばれるような業者はピンキリで何処にでもいるが、帝都ならば最低でも監視機構を誤魔化すくらいはしなければならない為、少女達には打ってつけだった。

 

(危険だから近付くなと予め区域毎の地図を貰っていたのは大きいな。とりあえず、それらしい場所の特定は出来た。後は組織か業者への接触さえ出来れば……)

 

 帝都もかなり生活が改善されたとはいえ、それでも粗末な小屋や路上で売春・乞食となる者はいる。

 

 広大な帝都に住む億という人数は豊かになって尚。

 

 薄暗い路地を残すに足りていた。

 

 ボロボロと剥がれた石壁や腐り掛けた板で出来た小屋が乱立する一帯。

 

 通りに人気は無いが、無数の視線が路地を歩く三人に向けられていた。

 

 暴力と欲望の気配。

 

 何処でも変わらぬ人の業。

 

 それを体現するかの如く現われるのは常にチンピラと相場が決まっている。

 

「……」

 

 ゾロゾロと三人の少女達の往く手には粗末な襤褸や擦り切れた衣服を着た若い住人達が立ちはだかった。

 

 薄暗い路地には何の染みかも分からない痕が至る場所にある。

 

 その大半が人間の出す液体であるのは少女達にも分かっていた。

 

 暴力で相手を支配する輩。

 

 女が食い物にされる事が如実に路地には現われている。

 

 それでも怖じる様子無く進む三人の少女に住人達がニヤニヤとしていたのは最初だけ。

 

 すぐ目の前まで来た少女達の普通ではない様子に先頭に立っていた男は肉体を緊張させていた。

 

 黒く汚れた下穿き以外は身に付けず。

 

 刺青を体に幾つも持つ男は自分の目の前にいる美しい少女達がただのカモではない事を感じ、困惑する。

 

 そのまま襲い掛かる事も出来たが、薄暗い路地で生き残ってきた本能は対話を選んだ。

 

「おう。お嬢さん方。此処はあんたらみたいなカモが来る場所じゃないぜ?」

 

 イフィミスラが唇の端を曲げて、そっと答えた。

 

 猟師の銃で共に撃たれてみるか?

 

「?!」

 

 その瞳。

 

 眼球。

 

 それに男は見る。

 

 何か空恐ろしいものを。

 

 だから、男は視線に射竦められた時、思った。

 

 カモだと思って近付いたコレは……猛獣なのではないか、と。

 

 *

 

 武帝からの先制攻撃を受け、襲撃された砦は陥落。

 

 国境地帯からの難民は全て奴隷都市へ。

 

 この報を聞いた帝国側の人間はエトを含めて数人。

 

 即座に駐屯兵に出来る限りの装備を持たせ編制し、送り出したのは二時間後。

 

 昼過ぎを境にして異変が起きたのはエトが難しい顔で武帝の地図を睨んでいた時だった。

 

『申し上げます!!!』

 

 そう怒鳴り込んできたのは武帝との国境付近を遠方の山岳地帯から監視していた兵からの伝令。

 

 魔術で即座に送られてきた情報にエトは狼狽する周囲の者を下がらせた。

 

 誰もが出て行った豪奢な政庁会議室。

 

 少年を横にして皇帝は沈黙する。

 

「エト?」

 

「……これは魔王に聞いていると思って欲しい。国境地帯の要である砦を陥落させたのは今後の兵の展開を確保する橋頭堡だとして。武帝からの超長距離射撃を平原の始まりまで発射した意図は何だと思う?」

 

「途中で途絶えたんだっけ?」

 

「ああ、伝令にはいきなり消えたと。伸びたラインはこうであるからして、狙いは……」

 

 地図に線が引かれ、途中で切られる。

 

 描かれない線の先は帝都まで一直線だった。

 

「途中で何か不足の事態が起こったか、あるいは射撃が不完全だったか、じゃない?」

 

「帝都が狙われた。次の発射まで時間があると見るべきか……」

 

「連射が出来るようなのだとかなりマズイと思うけど」

 

『伝令!!!』

 

 円卓の横。

 

 円柱状の音声伝達管が震える。

 

「どうした。何があった?」

 

『申し上げます!!! 現在、砦付近で正体不明の敵と交戦中!!! 敵は単機!!! 敵の攻撃により前衛は壊滅、現在防御しながら撤退中!!! このままでは全滅の可能性も!? 増援を!! は、早く増え―――』

 

 ブツンと音声が途切れる。

 

 エトが目を細めた。

 

「帝都に」

 

 立ち上がり円柱に触れたエトが短く呟くと僅かに雑音が響いた後、相手へと繋がった。

 

『皇帝陛下。事態は聞き及んでいます。まずは其処から脱出を。現在、編制が完了した師団を転移させる準備中です。完了まで後一刻程掛かります。お早く』

 

 まるで父親のような心配振りにエトが笑った。

 

「ソシアニア。余は今まで一度たりとも喧嘩を売られた事がないのだ」

 

『陛下!?』

 

 声だけで察したバルデバランが驚きに叫ぶ。

 

「何、勝算が無いわけではない。そう叫ぶな」

 

『ですが、此方側の兵が全滅しているところを見るに最悪三十数年前の悪夢【劫竜(エンシェント・ドラグラ)】が出撃した可能性もあるのですぞ!!?』

 

「砦へ駐屯していた者と奴隷都市にいた兵を合せて二千数百人。少しは報いてやらねばならぬであろう?」

 

『陛下!! どうかご再考を!!!』

 

「ソシアニア。大義である。我が精鋭たる航空師団に召集を掛けよ」

 

 一瞬、答えるまで間が空いた。

 

『良いのですか……』

 

 打って変わって静かになるバルデバランの声にエトが頷く。

 

「まぁ、七教会に秘匿していると言っても大した戦力でもない。実戦投入はいつかしなければならなかったのだ。それが多少早まっただけの事。全装備積載の上、武帝上空で待機させておけ。こちらで情報を収集した後に航空爆雷の投下地点を指示する」

 

 興奮が一気に覚める程の事なのか。

 

 幾分かの沈黙を挟んでバルデバランは溜息と共に主の行いを許容した。

 

『御意に。どうかご自愛を……』

 

 通信が切れる。

 

「教会以外で近代的な航空戦力が存在するとか少しビックリしたんだけど。結構、秘密だったりする?」

 

「どうせ教会の情報部門には筒抜けであろう。そもそも艦船の類ではないしな」

 

「艦船、じゃない?」

 

「嘗て竜を使う竜騎兵、空飛ぶ生物を使った移動要塞や単機の戦力はよく活躍していたが、七教会の艦船の前には歯が立たなかった。魔術師をただ竜に乗せて運用する事も古今東西の国がやっていたが、所詮は人。艦船からの火力に敵わない。故に余は個人で艦船の火力を超える力の開発を行った」

 

「思いっきり七教会に干されそうな話のような」

 

 エトが苦笑しつつ頷く。

 

「やがては保護領や同盟国に拡散させる技術なのでな。あくまで各国が保有する戦力の底上げとして見せるつもりでいるが、さて、どうなる事やら……」

 

 エトが円柱の傍から会議室の外へと歩いていく。

 

 付いていく少年に皇帝はちょっと視線を向ける。

 

「良いのか? 余は前線まで出るぞ」

 

「此処にいるのは魔王じゃなくて君の事が心配な友達って事で」

 

「そうか。ならば、往くとしようか。余の国民に手を出した事を後悔させてやらねば……相手が高位魔族より弱ければ出る幕は無いと思うがよい」

 

「それじゃあ、皇帝陛下のお手並みを拝見といこうかな」

 

「魔王と子作りしようと言うのだ。鈍った我が身を研ぐには丁度良い仕儀である」

 

 二人が馬車で前線へと向うのを制止できた者はいなかった。

 

 皇帝と魔王は兵達を追って動き出し、奴隷都市に近付きつつある戦場の足音を追った。

 

 *

 

 帝都に住まう者の中で最高権力者は言うまでも無く皇帝自身だ。

 

 表向きバルデバランの名が実務者として責を負う立場にあるので、実質的には彼という者もいるが、最終的には皇帝の信任を受けているに過ぎない。

 

 しかし、それは日の光が当たる場所の話。

 

 闇に潜む権力者という類の存在もいる。

 

 イグニシア・クルシスの裏社会。

 

 違法な品を扱い、違法な仕事を請け負い、違法な資金を動かす元締め。

 

 正に悪徳の権化と言うべきだが、それもまた人である事を人々は知らない。

 

 食べなければ生きられないし、衣服は着ているし、排泄もする。

 

 人の営み。

 

 逃れられない常は誰とも同じ。

 

 サックリ薄暗い路地裏の人間に裏社会を取り仕切る組織の一つを紹介させたイフィミスラ達は、そんな権力者らしき薄暗いカーテン奥から響く声に導かれ、帝都を脱出する段にまで至っていた。

 

 組織の男達、普通の帝都民にしか見えない者達に通された部屋で話し合われた内容は主に予算。

 

 ハイランからそれなりの額を帝都での観光名目に貰っていた三人は迷わず全額を突っ込んだ。

 

 相場より高かったのか安かったのか。

 

 イフィミスラが感じる少年の居場所、北東部までの旅費として皮袋の中身は全て消えた。

 

 すぐさまに用意が成され、帝都を出発したのが夕方。

 今は計四人が良質な内装の“屋敷に詰められて”運ばれていた。

 

(家屋を携帯する、か……)

 

 それも魔術の品だっただろうか。

 

 一種の小規模な異界。

 

 魔術による空間操作の賜物。

 

 小さな箱に収められた屋敷に三人はいた。

 

 外の景色、荷馬車の天井から漏れる天蓋を透かした斜陽がよく手入れされた庭先には降り注いでいた。

 

 空間の変更、歪曲。

 

 そして、内部環境の保全。

 

 外部からの影響の遮断。

 

 様々な魔術の粋が凝らされた持ち運び式の館。

 

 小さな木箱に付いて質問したイフィミスラに箱を持ち運ぶ男は嘗て大貴族が別邸を持ち運びたいと作ったものだと語った。

 

 それは果たして真実だったか。

 

 箱の内部へ納められた限りの感想では本当の事なのだろうとイフィミスラは感じていた。

 

「それにしても貴女も一緒にとは驚きました」

 

 一応、余所行きの言葉遣いでイフィミスラが同じテーブルに付いた同乗者に話し掛ける。

 

「色々とこちらにも事情があってな」

 

 三人の少女達がしばし準備に待たされていた間に帝都から脱出する客がもう一人入った。

 

 木箱の中で同乗する事となったのは少女達が薬の売人に絡まれていた時に大丈夫かと駆け付けた女丈夫キリアだった。

 

「世の中の大概の事にはもう驚かないと思っていたが、中々どうして。時に想像しない事も起こる」

 

 よく手入れされた芝生の上にはテーブルと椅子が四つ。

 

 対面に座る両者には緊張というものは無く。

 

 しかし、一線が引かれていた。

 

 イフィミスラ側からすれば。

 

 キリアがどういう素性なのか怪しく思うのは自然な話。

 

 自分達を追いかけるハイランの手先と疑う程度には距離が置かれている。

 

「イフィミスラ。お茶入れた」

 

「ねぇさま。おかしありました」

 

 屋敷内部からやってきたのはナーリャとエフィリム。

 

 その両手には盆が持たれていた。

 

 使用していいと言われている台所は充実していたらしく。

 

 品の良いカップと薫り高い紅茶が入ったティーポット。

 

 それからブリキの缶に入った小麦菓子がテーブルの上に置かれる。

 

 本来なら菓子一つ取ってもちゃんと入れものが用意されているはずだったが、イフィミスラにはブリキ缶に入っている方が自分達の立場らしいと妙に納得出来た。

 

 エフィリムによってミルクの入ったカップに紅茶が注がれる。

 

 そういう作法は教え込まれているらしく。

 

 立ち姿から入れる所作までが洗練されていた。

 

 ふわりと立ち上る香りに頬を緩めて、二人が席に付く。

 

「では、頂くとしよう」

 

 イフィミスラが頷いて。

 

 四人のお茶会が始まった。

 

 紅茶を一口する毎に他愛ない話が展開される。

 

 赤の他人であるキリアが紅茶にゆったりと寛いでいるのが分かったからか。

 

 ナーリャもエフィリムも最初にあった緊張は何処へやら。

 

 いつも通りの笑顔で帝都での話に花を咲かせた。

 

 帝都のお菓子に驚いたとか。

 

 水がとても澄んでいたとか。

 

 歴史博物館が物騒だったとか。

 

 話は尽きない。

 

 キリアはその少女達の話に時折相槌を打っては笑みを浮かべていた。

 

 和やかなお茶会はまるで魔法のように少女達とキリアの間にある一線を狭めて、幾分か打ち解けるまで時間はそう掛からなかった。

 

「そう言えば、まだ部屋を決めていなかった。そちらの好きにして構わんが、何か要望は?」

 

「さっき見た限りでは、奥に大部屋があったので我と二人はそちらに。後に残る部屋は好きにしてくれて構わない」

 

 イフィミスラの言葉にキリアは頷いて、紅茶を飲み干し終わった後。

 

「では、少し見てくるとしよう」

 

 自分の部屋を吟味しに立ち上がって屋敷内部へと入っていった。

 

 残った三人の間で視線が交わされる。

 

 全員が屋敷へ入って行ったキリアの後姿を見て。

 

「「「……」」」

 

 悪い人ではなさそうだと一応の結論を得た。

 

 それから台所に置かれていた幾つかの食材を簡易に調理し夕食となったのは夜が深まる頃。

 

 麺麭と干し肉。

 

 それから豆のスープという至って質素な食事はすっかり平らげられた。

 

 平素から少年の作る料理を食べ慣れていた少女達は自分達で作った夕食に少し苦笑いしたが、キリアがそれに付いて問う事は無かった。

 

 帝都では簡単に食事が手に入ったので知る由も無かったが、少女達に対して少年は最大限に気を使っていたと、改めて全員が悟ったのだ。

 

 味気なく固いパンを炙り温め直す手間。

 

 塩気を効かせたり、香辛料を振ったり。

 

 干し肉も少年が焼くと何故か今正に作り立てのような美味さだった。

 

 飲み水やスープに使う水にも手間を掛けていただろう。

 

 イグニシアの帝都は他の都と比べても水質がとても良いらしいが、少年と共に歩いてきた少女達は水が苦手になる事は無かった。

 

 今正に屋敷の中で口にする水は何処か喉を潤しても違和感があって、少女達の誰にも合わない。

 

 スープにしてようやく飲めるような代物で。

 

 少年と共に過ごしていた時は気にもしなかった些細な事が今更に少女達の胸に強く思われた。

 

 自分達が大切に扱われていたという事。

 

 会いたい。

 

 その気持ちが強く、誰の心にも迫った。

 

 人を気遣う事に手間を掛ければ、とてもではないが普通の人間は参ってしまう。

 

 それを笑顔で誰にも悟らせず気にさせず自然と行うことの何と難しい事か。

 

 夜、大部屋の並んだ寝台に背を預けながら、誰もが無言で物思いに耽った。

 

 少年は今どうしているだろうかと。

 

「……」

 

 蔦の絡まる鎧が進む冒険譚。

 

 白い壁に描かれた寝物語は飴色の洋光(ランプ)に照らされて、魔王が討たれる場面(シーン)を映し出している。

 

「ねぇさま。そっちにいっていいですか?」

 

「ん? 構わないが」

 

 エフィリムの言葉にイフィミスラが頷いて、そっと体を横に退けた。

 

 恥ずかしそうな様子で最年少の少女が寝台をそっと降りて潜り込んで来る。

 

 一人、反対側の寝台でこっちこっちと手招きしていたナーリャが「ガーン」と衝撃を受けつつ、クテッと寝台に臥した。

 

「はは……」

 

 思わずクスリと笑ったイフィミスラはもぞもぞと床の中から顔を出したエフィリムの頭を撫でる。

 

「どうしたのだ?」

 

「てぃあにぃさまがしてくれていたこと。きょうわかりました……」

 

「そうだな。あの馬鹿者はいつだって我らの事を考えてくれていた」

 

「はい。にぃさま……また、あえますよね?」

 

「人の事をほったらかして皇帝とやらにほいほい付いて行ったのだ。我らが行って会わないとは言わせない」

 

「ねぇさまはふあんになったりしませんか?」

 

「捨てられるかもしれないと?」

 

「……はい」

 

「エフィリム。一つ聞くが、それでお前は諦められるのか?」

 

「それは……」

 

 エフィリムが視線を伏せた。

 

「我は…あの馬鹿者と出会うまで人があまり好きではなかった。だが、ティアと……あの本当に不器用な男と出会って、思うようになった。人が人を想う事はきっと綺麗事が必要なのだと」

 

「きれいごと、ですか?」

 

「人を好きになる事。他者を想う事。それは嫉妬や独占欲、あるいは憎悪、あるいは怒り、そんな感情とは切っても切り離せぬものだ。でも、あの馬鹿者はいつも示して見せてくれた。人を想い、想われる事にせめて希望を持つべきだと」

 

「きぼう……」

 

「離れてみて、近頃はよく分かるようになった。あの笑みに込められたものが少しだけ」

 

 イフィミスラがそっと元に戻っているエフィリムの角を撫でる。

 

「例え、どれだけ大切な人に罵られようとあの笑みは消えない。それはきっと希望を持っているから、今はダメでも、長く戦う間柄だろうと、いつかは笑い合える日が来るかもしれない。それはきっと零に近い確率で現実的ではない妄想。しかし、あの馬鹿者は信じていた。そんな綺麗事を本当に心の底から」

 

「にぃさまが……」

 

 エフィリムは思い出す。

 

 少年の笑み。

 

 常に絶やさぬよう向けられ続けた笑顔。

 

 優しさや労わり。

 

 そればかりを見ていた気もする。

 

 でも、ソレは確かにふとした瞬間、何かを秘めている事があった。

 

「お前がいたあの国境地帯でティアは聖女と戦った。でも、我にはあの馬鹿者の顔が怒りや憎悪で歪んだとは思えない。こうして、刻印を刻まれて、多少なりとも繋がってから尚更に分かる。ティアは誰も恨んではいない。魔王の記録を知れば、誰も信じられないだろう程に……」

 

「にぃさまがいままでどうやっていきてきたのか。ねぇさまは……」

 

「知っているとも。博学は歴史に付いても学ぶ。少なくとも公的にも非公式にも魔王に関する文献は多い。その殆どが眉唾であったり、誤解が多分に含まれるが、事実だけを挙げるなら、魔王はこの世の全てを呪っていてもおかしくはない迫害を受けた」

 

「はくがい……」

 

 沈鬱な表情となったエフィリムが何を思い出しているのかを察して、イフィミスラが胸に頭を抱く。

 

「魔王討伐や追撃に使われた兵器や魔導、魔術具の数々。行われた作戦、発見までの過程、どれもこれも普通ならば千年呪って尚余りある。手記や伝記、今は焚書されたり、教会に収蔵されて一般には失われた書籍に書かれてあるのは言わば、人間の業……おぞましい人の本性そのものだ」

 

 嘗て魔王に学んだ時、イフィミスラは魔王とはそんな事をしなければならないような相手なのだと思っていた。

 

 しかし、現実は違っていて。

 

 少年が多くの者から受けた仕打ちは文献だけでは分からぬ程に暗く深いと今は思い至っている。

 

 人は嘘を付く。

 

 それが文章という人の目に触れるものならば尚更に。

 

 現代、七教会が率先して行う追撃にしても、嘗ては個人や組織が多くの目的を持って行っていた。

 

 それは今のように打ち倒す事のみに特化した教会の姿勢よりも陰惨である事が多かったと文献の傾向は語る。

 

「後ろから幼子に刺させた復讐者、近付いて裏切りを仕掛けた賞金目当て、他にも人間に使うのは躊躇われるような凄惨な術が魔王関連の書物には山程出てくる。全てが真実で、もしそんな事をされていたら、この世を恨まない人間はいないだろう。どんな善良な聖人も世界を人を滅ぼし、呪って当たり前と言える」

 

「そんなことが……」

 

 落ち着かせるように撫でながら、イフィミスラは壁の絵を見つめた。

 

「まぁ、それはそれ。これはこれだ。会ったら平手の一つもしてやろう」

 

「ふぇ!?」

 

 面食らったエフィリムが目を丸くした。

 

「我やお前達を蔑ろにして新しい女の下でよろしくやっているというのは一女性として結構怒ってもいいと思うぞ?」

 

「あ…ぅ…それは……」

 

 オドオドする様子にイフィミスラがクスクスと笑った。

 

「こんなに可愛い妹をほったらかしにするのだから、確かにあの馬鹿者はあっちの意味では魔王かもしれぬ」

 

 冗談めかした声にエフィリムは頬を染めつつも笑顔になる。

 

「そろそろ寝よう。何があってもいいように、な?」

 

「はい。いふぃみすらねぇさま」

 

 中睦まじく二人の少女が体を寄せる。

 

「ナーリャ…おやすみ…」

 

 難しい話に飽きてナーリャはスヤスヤともう寝入ってしまっていた。

 

 瞳を閉じたエフィリムに少女は小さな声でそっと寝物語を呟く。

 

 それは壁に描かれた話。

 

 一人の英雄が死して尚魔王に立ち向かった逸話。

 

 昔、英雄は魔王を討とうとして全てを奪われた。

 

 故郷も家族も恋人も仕える主も命すら。

 

 しかし、それでも諦められぬ魂は鎧に宿り、戦いを挑んだ。

 

 蔦の絡まる鎧は戦いの果て魔王を討つも壊れてしまう。

 

 だが、残された人々は魔王を恐れる余り、その鎧を直すでも持ち帰るでもなく魔王と共に埋める。

 

 それ以来、魔王の埋められた場所には一つの花が咲いた。

 

 鎧に絡まっていた蔦と同じものを伸ばす花の花言葉は再会。

 

 人々は今も畏れる。

 

 甦るのは果たして魔王か英雄か。

 

 どちらにしても彼らは土地を捨てる事となった。

 

「「……」」

 

 洋光(ランプ)がそっと吹き消される。

 

 星も見えない闇に物語が沈む。

 

 誰の為に戦ったのか。

 何の為に戦ったのか。

 

 真実は分からずとも最後に記されたのは人の愚かさ。

 

 謳うならば、心地良い結末でいいはずなのに誰もそう改めなかった。

 

 数百年前から伝わる御伽噺は今も変わらず。

 

 魔王を悪いものとも邪まであるとも語らない。

 

 それは何故か。

 

 今ならば少女(イフィミスラ)にも分かる。

 

 魔王は脅威とされながらも、人々はきっと知っていた。

 

 魔王もまた自分達と同じような存在だと。

 

 いや、人間の方が本当は魔王よりも悪を体現していると。

 

 それは現在の魔王と呼ばれる少年にすら当て嵌まる。

 

「ティア……会いに行く…必ず………」

 

 常夜の内へと三人の少女達は落ちていった。

 

 集結しつつある者達が目指すのは奴隷都市。

 

 争いの渦中へと少女達は埋没していく事となる。

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