第二章十五節「勇者」
―――乂羅南部特別駐屯空域より。
「イグニシア・クルシス国境地帯において【魔匝窟(ルドゥム・ラクム)】の反応尚も増大中。第四種厳戒態勢が発令されました!!」
【軽殻装(コート)】姿の男女が右往左往する仮発令所。
七教会魔王追討師団旗艦【双鯨(ジェミニア)】のメインブリッジ。
定例会議途中の連隊長達もその報告には刹那、目を剥いた。
師団の主であるマロウ・ブレステンドの失踪以降、実質的に師団は活動を休止し、新たな師団長の下で部隊の再編と訓練に励んでいる。
マロウ付きであった巨漢の秘書サイラー・アルゴムは連隊長達への報告を行いつつも虚空に浮かぶ金属片のキーを叩いては各所へ的確な指示を飛ばしていた。
「皆さん。どうやら、昼間の高魔力反応とは別件のようです。現在、ハティア様とユアン様が国境地域全体への加護の準備に入りました。お二人の命令は被害が拡大する前に反応中枢を消滅させ国境地帯に集結する難民の避難を完了させる事。本日現時刻を持って第二種乙型武装の開放が承認されました。これより大陸大同盟条約の十七条三項【緊急避難時特例】を用いた他国領土への武力介入を実施します」
機動歩兵を扱う伊達男。
フェルラス・ディオスは第二種乙型武装という言葉に戦争になると確信し。
砲兵を扱う女連隊長。
アルガ・レアは緊急避難時特例との話に自分の出番は無いだろうと歯噛みし。
工作兵を扱う老将。
ハイネシア・ダールは片手に持った小型端末で配下の兵にさっそく必要な物資の手配をさせた。
「本当に第二種乙型武装が開放されたってのか?」
「はい。目標【魔匝窟(ルドゥム・ラクム)】の原因は此方側に顕現した準魔王級の存在によるものと衛星部門から回答がありました。現在、目標の情報を解析中ですが、どうやら精神汚染の能力に優れるらしく。現地観測部門と連絡が途絶。辛うじて送られてくる精神波長に異常が見受けられた故の決定です」
フェルラスがサイラーの回答にボリボリと頭を掻いて、そのままブリッジから立ち去った。
「ハイネシア様。工作兵達へは第四種甲型武装が付与されます。転移開始まで十分程ですので陣頭指揮をする場合は後部甲板へお願いします」
「あい分かった。さっそく出なければ。アルガ。後はサイラーと共に頼んだぞ」
「お任せを」
アルガが頭を下げると気軽な足取りで老人もブリッジを後にした。
残されたアルガが緊急避難時特例の言葉をもう一度脳裏で繰り返す。
特定状況下で他国が対処出来ない災いに七教会が出張る事を良しとした大陸大同盟条約はほぼ大陸全土の国々に七教会が奨める保護協定だ。派遣した兵力は災害の排除と大陸住民の現状復帰が最低限確保され次第引き上げなければならない。だが、そのあくまで災害救助の類であるというお題目の為、国土を焦土と化すような大火力の砲撃支援はご法度。
幾つかの例外を除いて砲兵による攻撃は禁止されている。
つまり、アルガの出番は無きに等しい。
仲間達が死地に赴くのを見守るのもまた戦いかと唇を噛んだ彼女だったが、気を取り直してやる事はあるはずだと各種の情報を取りまとめるサイラーの手伝いを申し出た。
「それはありがたい。では、こちらの情報を本部の方へ要点を纏めて回して頂けますか?」
「ええ」
二人が作業を始めて数分後。
ブリッジの後部を映し出す虚空の映像が機動歩兵と工作部隊の準備完了と二人の男達の顔を映し出す。
若者も老人も同じような厳しい顔をして。
転移の発動を部隊に告げた。
次々に足元に展開されていく闇の中へ鎧姿の兵士達が沈んでいく。
工作部隊は更に背後に幾つかの空間圧縮型のバックパックを背負っての転移。
通常よりも負荷の大きい余計な荷物を伴う転移は危険が大きい。
それでも工作兵としての矜持か。
誰一人として慄く様子は無く。
男達の姿が消えた後部甲板の様子にアルガは思わず敬礼していた。
「そういえば、師団長は?」
アルガが気付き。
今、最も仕事をしていなければならないはずの男を捜した。
「さぁ? あの方は色々と独特ですから……」
マロウの代わりに着任した男は今ブリッジにも艦の何処にもいない。
代行師団長の秘書役であるサイラーだが、今の今まで存在を忘れていた。
そもそも“彼”は師団長に任命されこそしたが、艦には一度も搭乗していない。
それどころか聖女への着任の挨拶もしていない。
それに連隊長達と顔を合せてすらいない。
ただ、任命された当日に艦を見に来てから何処かへ行ってしまった、らしい。
何故、そんな男が師団長という地位に当てられたのか。
多くの者は首を傾げるが、名前を聞けば納得する。
現魔王追討師団師団長の名を七教会に属する兵科の人間なら大半は知っている。
彼の名はバルガ・レオノトルテ。
この大陸で唯一公的に確認された魔王討伐を成し遂げた元人間。
最後の魔王と呼ばれる少年が旧教会に発見されるより二十数年前。
前代魔王を打ち倒した復讐者。
今も騎士を名乗り続ける御伽噺の勇者様とは男の事に他ならない。
「連絡は?」
「一応、行っているはずですが、予定外の話に何処まで動いてくれるかは未知数です」
「……何で彼が師団長なのか」
思わぬ愚痴が零れたアルガにサイラーがそっと耳打ちする。
「ここだけの話ですが、これはフルー様のご意向だと人事部門の友人に聞きました」
「フルー様の?」
「一般的にはあまり知られていませんが彼もまた【源型(アーキタイプ・モールド)】を持つ方だとか、たぶん理由はそれではないかと噂で……」
「まさか?」
アルガが目を丸くする。
【源型(アーキタイプ・モールド)】
世界で唯一の品に冠される名称。
本来的には大昔から続く“限りなく世の真理に近い”道具の事を指す。
この世に二つとない唯一無二。
それを呼び習わすのは神や高位の種族と言われる。
魔王が持つ剣と外套。
教会が保有する幾つかの旧き時代の遺産。
作られた年代は関係なく。
世に出た名品かどうかも関係なく。
ただ一重に畏れを込めて高位の者達から呼ばれるかどうか。
それだけがソレを見分ける術。
故にその数は極めて少ない。
だが、所有者が彼ならば在り得るともアルガは感じた。
御伽噺の騎士物語。
勇者の冒険譚。
大陸中央ではよく子供へ聞かせる寝物語。
もっとも最新にして今だ現存する男の話は実話ばかりだ。
戦乱で家族と故郷と主を失い、旅に出た男が勇者や復讐者と呼ばれるようになるまで。
戦った者は高位の魔族から旧き神々まで多種多様。
魔王を倒した後も戦乱渦巻く大陸で神殺しに魔族の殲滅、人に害為す神獣から魔獣の掃討、果ては義理や恩義から一国の軍を退けるまでやり抜いた。
ハッキリ言えば、大陸を嘗ての魔王と同等かそれ以上に引っ掻き回した。
人々からは拍手喝采を受けるも本人に自覚は無く。
生き様を批評される事をどうとも思っていない彼を七教会がスカウトしたのは魔王との大戦が終わった後の事。
聖女三人掛かりで“説得”した時の逸話は七教会の兵科では語り草だ。
曰く。
聖女の奇跡を受けてものともしなかった。
曰く。
逆に聖女を圧倒した。
曰く。
女に手を上げるのが好きではないとの理由から一応の和睦を見た。
(これが実話だと言うのが何とも……)
今でもあくまで七教会の客分として必要な時は力を貸す、程度に男は考えているらしいと専らの噂だ。
現在の魔王とも因縁があるらしく。
その関連情報と引き換えに今も協力関係にあると教会の広報部は公式に談話を発表している。
「とりあえず、今は彼らの勝利を信じましょう」
サイラーの言葉にアルガは頷いて再び仕事へと戻った。
*
フン。
フンフンフンフン。
フンフンフンフンフンフンフンフンフンフンフンフン。
フンフンフンフンフンフンフンフンフンフンフンフンフンフンフン。
女の嬌声が上がる。
男の声には高揚こそ無いが泰然とした響きがある。
「あぁあああああああああ!!!」
ビクビクと全身を震わせて寝台の上の女がクッタリと転がった。
腰を使い続けていた男が確認した後。
全裸のまま粗末な部屋から出る。
そのまま山小屋の裏手に回った男は小さな滝へと身を浸した。
ザバザバと流れ落ちる水の温度は約四度。
普通なら身震いの一つでもするだろうが、躊躇無く入った男は微動だにしない。
幾らか水に身を浸して数分。
男の頭上に小さな輝く窓(ウィンドウ)が開いた。
七教会から自動的に送られてくる多種多様な情報の本流。
それを一通り目で追った男が拳を思い切り握り締める。
その掌には今まで存在しなかったはずの柄が握られていた。
槍。
それも特大の三角錐。
鈍色の表面には幾つかの溝が刻まれ、水を受けて散らしている。
「あ…あの……」
槍を見つめていた男が顔を上げると先程まで交合(まぐわ)っていた女がシーツを纏っておずおずやって来るのを発見した。
「そ、その…凄かったよ。あんた///」
女が少し照れた様子になったものの、男は表情を変えず。
腕で滝の水を払った。
一瞬、目を瞑った女が瞬きする。
滝の中で何時の間に着替えたのか。
軽装の鎧姿の男が歩いてくるのを女はハッキリと見た。
「え? あ、今、どうやって?」
混乱する女に懐から一枚の紙を取り出すと男がボソリと呟く。
料金分書いておけと。
無造作に渡された紙に女は馴染みが無かったものの、書かれている名にそれが世界一有名な金融機関御用達の小切手だと理解して震えた。
「こ、これいいの!?」
「ああ」
投げやりに答えた後。
一晩買った娼婦には見向きもせず。
男が体に力を漲らせる。
「……?」
女が首を傾げようとした時。
―――吶ッかぁああああああああああああああああんッッッッッッッッッ!!!!!!
弩ッ。
女が衝撃に仰け反って吹き飛ばされそうになった。
それでも小切手は手放さず。
「?!!」
五十代も半ば。
精悍な顔付きに弛んだ顎。
中高年の小太りと言えばいいのか。
脂ぎった肌と走るには不自由そうな図体もそのままに。
男が土煙を上げて走り出した。
ギラついた瞳は槍を向ける先。
樹海の遥か彼方を見据えている。
男の足音に大地が震え、その足跡は深く重く地面を穿つ。
だが、最初こそ普通の人間が走るような勢いだった男の体は次第に人知を超越した速度で加速していく。
眼前に樹木が迫り。
ドガァアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!
盛大な音を立てて吹き飛んだ。
無論、樹木が、だ。
男は全てを薙ぎ倒す巨人の如く。
大地を揺らして樹海を一直線に駆けていく。
速度は三十秒程で音速域、森林地帯を土埃が分断する。
ただ呆然とあまりの事に呆けている女の視線に輝きが見えた。
森林地帯を抜けて山の稜線へと到達しそうな土埃がフッと消える。
「………………」
最後まで女には何が起こったのか定かではなかった。
ただ、一つだけ言えるのは男の姿が見えなくなったという事だけだった
*
―――???
余の身の上話を聞いてくれ。
そう面白いものではないが、何飽きる事もないであろう。
まず、余の生まれだが、これがまったく酷い。
八人家族の末っ子として余はこの世に生を受けた。
祖父と母と五人の兄上達。
何故、父がいないのか聞いた事はない。
調べればすぐに分かった。
母を皇位継承者として認めなかった祖父が次々に男を宛がったらしい。
そうして八番目に宛がった男の子が余であったのだ。
祖父も祖父だが、母も母だ。
まぁ、恋多き方であり、愉しんでいた様子でもあった故、可哀想とは思わなかったが、節操はないと言える。
ここからが皇帝一家の最大の難点なのだが、基本的に余は血を凝縮する為の景品として扱われた。
無論、相手は母の産んだ異父兄弟。
血みどろの皇位継承問題で余は次代の皇帝のお世継ぎを孕む者として扱われた。
勿論、蝶よ花よと育てられたわけだが、兄上達の泥沼な闘争に嫌気が差したのは致し方ない事だろう。
物心付いた時には諦観極まっていたのだから、産まれた時からロクなものは見ていなかったに違いない。
それで計画する事三年。
今から丁度五年前。
余は兄上達を一人一人殺害した。
方法は色々であるが、まずは毒殺。
続いて暗殺。
疑心暗鬼に陥った残りの者を取り持つフリをして館ごと爆殺。
悲しいとは思ったものの、泣きはしなかった。
一人一人は良い方であったし、景品である余に優しくもしてくれた。
しかし、人間としては三流。
とても皇帝の椅子に付ける者はいなかった。
幼い頃から祖父に可愛がられ英才教育を受けた余としては・・・良い人だが、ボンクラな兄上達に国は任せられなかった。
国を愛する。
たぶん、その一点で曇りなく余は常人とは掛け離れた意思の強さを持つ。
その理由はたぶん祖父が“そのように育てた”以外の理由は無いだろう。
人を見る目のあった方だったから、兄上達の無能に嘆き、最後に生まれた余の才覚を見出した時、そうなるよう仕向ける事を決めたのではないか。
この推測はほぼ確信に近い。
国を守るには生半可な才能では無謀。
諸侯束ねる皇帝の能力が誰かに劣っていてはならないと余を特別可愛がったのは国の為。
証拠を残さず全員屠った余を誰も咎めなかった事からもそれは明白だろう。
表立って城の者達は何も言わなかった。
が、その殆どの瞳は余を心底に惧(おそ)れていた。
これが次代皇帝。
新たな皇帝の母にして久方ぶりに歴史へ名を刻む女帝かと。
それから余は味方作りを始めねばならなくなった。
今までの旧き皇帝に仕える者達を廃し、余が統べる国の要を仕立てる。
その作業の何たる煩雑さ。
嘗て、飴をくれた優しい庭師は余を畏れた。
嘗て、こっそりと料理の味見をさせてくれた料理人は余を畏れた。
嘗て、遊んでくれた城の侍従は余を畏れた
余は全ての者を己の手で再び集めなければならなかった。
反体制派や官僚や諸侯の回し者。
誰も彼も本当の味方には程遠い。
皇帝になるまでの数年はほぼ人材集めに奔走していたと言っていい。
その中で人生における余の財産となる者と幾人か出会った。
祖父の懐刀。
共に夢見る侍従。
真に信じられる配下。
他にも色々。
だが、余には誰にも言えぬ秘密がある。
そうじゃ。
たった一つ余は誰にも秘密とした。
それは……それは……余の全てを揺るがす。
余の何もかもを打ち崩す、真実。
“やめよ”
“それは余が余である事の大前提”
“やめよ!”
“それは余が皇帝である為には不都合な事実”
“やめよ?!”
“それはたぶんとても単純で純粋な答え”
“やめ……てくれ……”
“それはたぶん誰もが見失った都合の悪い話”
“いや”
“それは昔、ずっと昔、母の寝物語に思った本当”
“いやぁ!?”
“そう、あの童謡にあるような伴侶がいれば、己で知る事もなかった”
“それは―――”
黒の鎧の中。
絶叫が迸る。
ガクガクと痙攣する四肢。
その頭上で黒い“円環(しゃりん)”が回っている。
周囲には既に見えるようになった化け物達がベットリと手を伸ばし無数張り付いている
その容姿の醜さ。
天使を元にしたとは思えない灰色の肌に斑な毛が生えた生物。
ギョロリとした瞳と長い手足。
口は顎から下が無く。
ただ、喉頭内部を晒している。
―――カワイソウナエト。
『あぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛?!?!!』
ビキビキと鎧表面の文字に罅が入っていく。
少女(エト)の精神がゆっくりとその侵食に耐え切れなくなっていく。
―――キミハナンテアワレナンダ。
『ち、違ッ、ヂガッッッ?!!!』
―――アア、ナンテカワイソウナキミ。
『ッッッ!!!!?』
―――モウ、イインダヨ。
『ナ、に、ヲいって……』
―――ガンバラナクテイイ。
『よ、ヨはコウテい……である!!!』
―――ウソヲツカナクテイイ。
『う、嘘、などッッ!!』
―――ホントウハ、ワカッテイルンダロウ?
『し、知ラヌ!? 知ラヌゥゥウウウウウウウウウウ!!!!』
―――サァ、ラクニナロウ?
『ラ、クになどッ!』
―――ダイスキナヒトタチ、ダッタンダロウ?
『ッッ?!!』
―――コウテイナンテ、イヤ、ダッタンダロウ?
『そんなわけアルカッッッッ!!!!!!!!!』
―――キミハ、ヒガイシャ、サ♪
『あ、ぁ…ぁ……』
鎧の震えが増幅されていく。
―――キミハ、ダレモコロシタクナンテ、ナカッタ。
―――キミハ、ミンナガスキ、ダッタ。
―――キミハ、タダ、ダレモヲ、シアワセニシタカッタ、タダ、ソレダケダ。
『ぁ…ぁ……』
―――ナゼナラ、キミハ。
『や…め…ょ……』
―――コウテイデモナンデモナク。
『ゃ…だぁッッ!!』
―――ホントウハ。
痙攣が、止まった。
―――タダノ。
「その辺にしておいてくれる?」
ペキン。
そんな罅割れる音がして【哭詠寡吟(カルミナ)】の頭上。
【天環(ハイロウ)】が殴り飛ばされた。
同時に辺りを爆風が襲う。
膨大な魔力が刹那の衝撃に噴出した末の暴発。
化け物達が蒸発し、辺り一帯の雲が全て吹き飛んでいく。
「大丈夫?」
「――――――」
意識を失ったのか。
鎧はうんともすんとも言わなかった。
「良かった。案外頑固なんだ、エトって」
少年は笑みを浮かべて鎧を片手に抱き、そっと虚空に腕を突き立てる。
引き抜きだされる無骨な剣が虚空で回り続ける黒い車輪に向けられた。
「【天の軍勢】(ツェバオート)はもうクラルが掌握してるはずだ。君は何処で造られた?」
“目標変更…対象の精神防壁突破不能…解析開始…神…人…魔族…否定…肯定…肯定…否定…想定外の存在を確認…抹消開始”
ガチン。
回る車輪が内部から展開されていく。
月明りの下。
細くなる黒は構造を数百倍まで広げていく。
上昇し、空を覆った車輪が再び動き出す。
影響は直後。
莫大な重力変動が下の二人を捉えた。
少年が鎧を抱いたまま地面へと激突する。
「悪いんだけど、少しだけ手伝ってくれない?」
反応はない。
第二波。
重力の波が少年と少女を一緒くたにして地面へと押し込めていく。
「早めにアレを殲滅しないと国境地帯が消えちゃうかもしれないし、今の僕の体だとあんまり本気でやるのも拙くて。本当は僕の騎士の役目だけど、その鎧ならたぶん同じような事が出来るはずだから」
第三波。
周辺の重力の変動による空間の歪曲が全てのものを歪めていく。
「君が何に苦しんで、何を思うのか。僕には分かってあげられるとは思えない。ずっと、傍にいてもあげられないし、君の悩みを解決してもやれない。けど」
第四波。
ついに歪みは光を飲み込むまでに成長し。
脱出すら赦さない黒の牢獄へと変貌する。
全てが歪んで壊れていく最中。
鎧を抱いた少年は既に肉体の大半を歪ませて、弾ける肉体を輝かせていた。
「もし、君が真に望むなら、此処で僕は君が守りたいものくらいは守ろう」
第五波。
捩れ破壊されていく肉体の回復すら追い付かないまま、歪んだ声が少女の耳朶に沈んでいく。
「魔王の癖にってガッカリされたらそれまでなんだけど、超越者なんて言われるようになったって、本質的には君と大した違いはない。ただ、この力は自分が持たなきゃならないと感じたから、そうしただけだ」
第六波。
少年より先に鎧がゆっくりとその表面装甲を凹ませていく。
「僕は万能でも全能でもない。でも、ただの君の友達として君に力を貸すよ。だから、君も僕に力を貸して欲しい。友達として」
第七波。
もう二人は車輪の外側からは見えない。
黒い繭のような重力井戸の底で少年は語る。
「掘り起こされた後悔や秘密に溺れるのはまだ早いよ。そういうのは死んだ後で好きなだけすればいい。でしょ?」
第八波、が来る直前。
ふっと苦笑する吐息が拉げた鎧の口元から発せられた。
「ああ、ティア。その通りじゃ」
全てが黒く歪んだ世界に菫色の輝きが迸り、歪曲した景色を吹き払った。
“封鎖消滅…公式逆算…蓋然性の崩壊反応を感知…目標2の能力を蓋然命題操作又は―――”
「黙れ。下郎」
凹んだ兜が脱ぎ捨てられた。
「余の心を除き見た事、万死に値する」
急激高まっていく周辺魔力が鳴動し、共鳴し、中心であるエトを軸に菫色の輝きで満たしていく。
「ティア……礼を言う。だが、一つだけ言っておく。余にそんな説教など百年早い。余はイグニシア・クルシス皇帝である。そんな事はこの手で何もかもを初めた時、全て覚悟していた事じゃ」
少年が苦笑した。
「さっきまで思いっきり沈んでなかった?」
「気のせいという事もあろう」
「そう、じゃ、さっさと片付けよっか?」
「ああ、言われるまでもない!!!!」
黒き天の遣いの下。
並び立つ者が互いに頷く。
何度目かになるかも分からない重力波と菫色の魔力陣が衝突。
光が遠方からでも確認出来る程に弾けた。
*
国境地帯に集結しつつあった武帝からの難民は四百万にも達しようとしていた。
広大な武帝各地から続々と脱出してくる人々の受け入れは困難。
砦が武帝側に落とされ、不可視の化け物の被害に合う者達が後を絶たず。
更には帝都側から飛来した航空師団による爆雷が周辺空域に投下され。
死者負傷者は当初数十万にも及んだ。
聖女による加護。
駆け付けた七教会の部隊による避難誘導。
それでも全ては救えない。
正に燃え上がった国境地帯は戦禍に呑まれ、誰もが絶望を知る事なく喰らわれていく。
上半身の融けた両親の下で空を見上げる子供。
落とされる爆雷の衝撃に吹き飛ばされながらも無表情な恋人達。
家族の死に何の反応も示さず虚空を見る赤子。
座天使による精神干渉は人から殆どの意思を奪っていた。
それでも阿鼻叫喚の地獄絵図の最中。
善戦するのは聖女の加護を受けた鎧纏いし兵士達。
第二種乙型武装は【高格外套(ソーマ・パクシルム・ベルーター)】の追加防御外殻。
外套の上から装着される分厚い装甲と両手持ちの盾と込められた聖女の加護により、一人で城砦一つと等価とされている。
その高密度魔力陣を持つ七教会最強の防御兵装を持ってして、戦況は圧倒的不利だった。
問題は三つ。
数百万の民が散らばる国境地帯全域に兵が分散せざるを得ないという事。
超高空から只管に空間制御技術で溜め込んだ多種多様な爆雷を投下し続けるイグニシアの航空師団。
その火力が尋常ではなかったという事。
そして、何よりも。
精神干渉を防ぐ加護の消費量が桁外れで兵達の行動時間が極端に制限されたという事。
「第三隊! 此処より離脱し、補給の後に再度E地区の防衛に付け! 第八隊! 第二隊の防御の穴を埋めろ!! 工作兵による避難経路の確保が出来た! 一帯の人間を確保した後にY地区から撤退! 防御陣形の密度を上げるぞ!」
『おう!!!!』
フェルラスが燃える国境地帯で高空からの爆雷を曲芸のように弾き返しつつ。
通信に的確な指示を飛ばす。
(避難が遅過ぎる。く……身動きが取れねぇ!?)
国境地帯周辺で報告された意志の喪失現象。
ぼんやりと空を見上げるだけの存在と化してしまった民間人を非難させるのは思うように捗っていなかった。
そもそも自主的に避難する意思を剥奪されている為。
どれだけ守り回収しようとしても、誰一人その場から一歩も動かない。
この時点でほぼ避難は焼け石に水な状況と成り下がった。
高空戦力を叩こうにも名目上火力支援を受けられない兵達に攻撃手段は無きに等しく。
爆雷が尽きるのを待つしか、防御を緩めて避難を優先させられる機会は存在しなかったのだ。
フェルラスにしてみれば、今にも切れそうな防御の要である加護を部隊のローテーションで維持するのが精一杯。
地域一帯に降り注ぐ聖女の加護で人死にこそ激減したが、それでも難民の避難を完了させるまでには、どんなに善戦したとしても二日は掛かるものと推定された。
無闇に他国の領土で戦力を展開する愚を犯すわけにもいかず。
追加戦力の投入も期待出来ない。
兵達は常に膨大な地域を魔導方陣でカバーする為、対空防御で手一杯。
動く事すら儘ならない。
とくれば、既に戦術的にはもう何も出来ず。
死ぬまで守り続ける以外の道は無かった。
巨大な防御方陣が無数回り続ける国境地帯。
陣を展開する兵達を押し込むように絶え間なく爆雷が降り注いでいる。
(クソッ、このままじゃ……ヤバイな)
特殊環境活動用の第四種甲型武装。
まるで白いマシュマロに身を包んだような工作兵達が立ち尽くす人々を空間圧縮型の拘束具で確保し、縄で縛り上げて圧縮空間へ消していく。
その最中も容赦なく国境は炎によって分断されていた。
(ここで本部に掛け合っても戦力追加は無理か。さすがに場所が悪過ぎる……)
歯を食いしばるフェルラスがギリギリまで粘った末に補給場所に戻ろうとした時、対空防御を抜けた爆雷が一発、地表で爆裂した。
『ぐあぁ!?』
装甲が焼け焦げただけに留まったものの内部へ衝撃は十分に伝わり、フェルラスの内臓を揺さぶった。
『連隊長!!!』
部下達からの通信にフェルラスが大丈夫だと言って再び指揮に戻る。
(こりゃ、本格的にやべぇか。ハティア様……)
敬愛する聖女ならば、この状況でどうするだろうかと考えて、フェルラスは苦笑した。
考えるまでも無い。
全員助けるまで動きはしないはずだ。
(まだ、まだぁ!!!)
再び防御方陣を展開しようとしたフェルラスが上空を向いた時だった。
北部の空に何かが光った。
イグニシアの航空戦力は南から攻めて来ている。
北から来るのは敵か味方か。
しかし、味方の戦力投入は既に無いと決まっている。
ならば、敵しかいないと気を引き締めた時。
まるで流星のように一筋の赤熱が空を駆けた。
航空爆雷を投下し続けている部隊の間を一直線に。
数秒後。
衝撃波(ソニックブーム)が国境周辺に吹き荒れ、爆雷によって燃え広がっていた炎が消えていく。
それ程に強力なはずの衝撃がどうしてか人を一切傷付けていないという事実を確認したフェルラスは気付いた。
あの男が来たと。
「バルガ・レオノトルテ……」
巨大な吶喊(とっかん)用の豪槍が織り成す衝撃に遥か天空が揺らいだ。
高格外套にも似た鎧を身に付けるイグニシアの航空師団。
彼ら全員が衝撃に姿勢を崩され、落ちていく。
「無能ぉおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!」
槍の一薙ぎに高空で飽和魔力が爆裂していく。
「怠惰ぁあああああああああああ!!!!!!!!!」
槍を持っていない片腕に捕まえた兵が投げられて一直線に何人か落下中の自軍を巻き込んで爆発。
「貧弱ぅううううううううううう!!!!!!!!!」
ついには声が干渉を払ったのか。
地域一帯で呆けていた人間達が叫び声にビクリと体を震わせて周辺を見渡し、一気に恐慌を来たしていく。
「それでも貴様等教会の騎士かぁあああ!!!!!!」
世界に響く叫びが誰に掛けられたものであったのか。
ようやく把握した教会兵士達が目を剥いた。
「この程度の連中にマロウが執心だったとは愚の極みぃいいいい!!!!!」
敬愛するマロウへの暴言にフェルラス及び多数の隊員が一瞬キレ掛けた。
「せいぜい兵隊ごっこでもしているがぃいいいいいいいいいい!!!!!!!!!!」
捨て台詞を残しつつ、国境地帯騒乱の元凶がいる場所へと視線を凝らしたバルガが再び一筋の流星となって空を駆けていく。
まったくナンセンス。
師団長どころか。
男は師団全ての者に喧嘩を売った。
指揮を執るどころか。
さっさと大物を倒しに行った。
聖女を退けた実力は未だ健在。
たった一分にも満たない行動。
それだけで全てを引っくり返した男への怒りと羨望。
それが七教会の兵達に火を付けた。
「あの方もよくやってくださる」
工作兵に混じって正気に戻った人々を避難させていたハイネシアが苦笑する。
過去、幾度と無く七教会の利害とぶつかった御伽噺の英霊。
彼が人々に物語とされたのは理不尽な強さや称号があるからではないと知るからこそ。
「我らが師団長はああ仰せのようだ。諸君、いっそう励め」
人の動かし方を熟知したマロウとは似ても似付かない統率力。
正に【近代化(レボリュション)】以前の過酷な大陸の環境でのみカリスマを発揮出来るタイプ。
正しさや優しさなんて馬鹿げた話だと思想や現実は切って捨て。
兵を只管に貶して叩いて奮起させる。
政治家にはなれないが現場指揮官として、これ程に頼もしい存在はない。
御伽噺の内実。
オブラートに包まれた史実を紐解けば、勇者はそも騎士を統率する者であった。
その勇猛は諸外国に響き、将としての器は引く手数多。
しかし、魔王という超常の理不尽の前に多くを亡くし、それでも変らずに多くの者との関わりの中で身に付けた力であらゆる人類の外敵を退けてきた。
御伽噺の通りに。
精霊の加護を授かり。
亡国の秘儀を受け継ぎ。
屍骸の群れを糧とし。
幽明を彷徨い智を身に付け。
人々から望まれて、人を超えた。
多くの者が男を助けた。
時間によって人々が彼を忘れ去っても、彼はただ人の守護者であり続けた。
人の行く末を良くも悪くも気にせず。
ただ、力無き人を守り、奢る強者を叱責する。
勇者ではなく。
古の戦者の如き豪放磊落。
超越者達より“人間”と呼び習わされた人の真髄こそ彼だ。
「頼みましたぞ。師団長」
ハイネシアはそう呟いて空を見上げた。
*
国境地帯で起きる諸々の事象を虚空に映像として映し出しながら、黒き棺の御子アーフルは暗闇の中で身動ぎした。
聖女に半身を破壊されたものの、死を免れた彼の姿は未だ大部分が欠けている。
しかし、既に肉や骨がゆっくりと出来上がり、肉体は形を取り戻しつつあった。
その理由がアーフルの遥か下で嬌声を上げる。
獣臭が漂う地の底。
荒い吐息を吐き出したのは闇に繋がれた狗の群れだった。
黒く巨大な馬程もあろうかという体躯。
その尻尾は闇の何処かへと消えている。
更に雄の器官はいきり勃ち、その下で喘ぐ牝の穴を抉っていた。
『あーふるさま!! どうか御恵みをぉおおお!!』
口元から唾液を垂れ流し、空ろな視線に淫らに染めて、喘ぐのは若いエルフの女達だった。
数十人はいるだろう。
何度その身を狗の幹に貫かれたのか。
もう顔は愉悦に崩れて尊厳の何もかもを捨てている。
ただただグチャグチャと狗達の男根に貫かれ、狗のように這い蹲って犯される以外、女達の望みは無くなっていた。
最初こそ泣き喚いた者がいた。
正気を保っていた者は抵抗しようとした。
だが、闇に佇む狗達の背後。
悪臭を放つ糞の様子を見て、ペタンと座り込み何も出来なくなった。
衣服の切れ端。
装身具の欠片。
噛み砕かれた骨片。
一体何を喰っていたのか。
世の中には知らない事が多過ぎた。
アオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!!!!
狗達が今までの腰使いとは違って激しく女達を責め立てる。
最初こそ初めてだった女達の穴はもう剛直の太さを受け入れていた。
「あ゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛♡♡♡」
獣ともう変わらぬ悦びの声を上げてエルフではなく“牝”達は只管に幹が子宮口を抉るのに耐えた。
舌をだらんと垂らして、はぁっはぁっと呼気を吐きながら、肉片の腐った匂いをさせる狗達の舌(べろ)と濃厚に舌を交わらせ、喉まで侵される。
正に狗と出したエルフの女達はそこまでになる過程と同様、幹の奥から込み上げる白濁を待ち侘びた。
オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンンンンンッッッ!!!?
それはどちらの叫びだったのか。
巨大な睾丸から齎される精が女達の膣(なか)を直撃した。
「ひ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛♡」
「い゛ぎぃ゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛♡」
「んぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛♡」
達していた。
ブジャアアアアアアアアアアア!!!!!
噴き出す粘液のような精が膣(なか)を満たし、子種を本能的に受け入れる子宮がブビュビュビュと空気を吐き出しながら全ての熱を受け取っていく。
そんな時、女達には異変が起こった。
犯されていた者の誰もが急激に苦しみ始め生気が急速に失われていく、
しかし、獣達も女達も行為を止める様子は無かった。
「い゛ぬ゛のあがぢゃんはらんじゃう゛ぅよぉッッッ♡♡♡」
苦しみながらも、女達の顔には愉悦が混じっている。
牝穴としてのこれからの人生に慶んですらいる者しかいない。
「ふ…何処までやるかな…あの車輪は……」
ミキミキとアーフルの肉が盛り上がり骨が隠れていく。
狗達の背後。
尻尾が繋がっている壁が輝いた。
数十メートルに及ぶ肉の壁が人の生気を吸い上げて脈動する。
女達は後背位に夢中で一度も見てはいない。
壁に埋まるモノの姿を。
揺らめくのは衣服。
肉を融かされ、骨だけになって尚。
壁の一部として生かされるエルフの男達の姿を。
「それにしてもアレが魔王……随分と楽しげではないか……」
嘗ての性格はもう残っていないのか。
アーフルが並び立つ魔王と皇帝を見上げて舌なめずりした。
その舌は爬虫類のように長く。
肉体がエルフの頸城から解き放たれた事を告げる。
「く、くくくく、くきゅはぁひゅはくはははははは!!!!!!」
もう人の笑い方すら忘れたか。
御子の哄笑が闇に響き渡る。
狙いを定めるのはイグニシア・クルシス。
人の持つ最大級の国家。
美しき菫色の瞳にゾクゾクと背筋を震わせながら、アーフルは次なる地にて再びの戦力の増強へと直(ひた)走っていく。
彼がいる地は武帝より西方。
幾多の都市国家が乱立し、同盟を結ぶ地。
【藩洛(はんらく)】
再びの地獄の顕現まで未だしばらく。
次なる一手は着実に闇の中で紡がれ始めていた。