※この作品はR-18です。

聖娼館ハルトゥム   作:Anacletus

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第二章~中部藩落編~
第二章二十二節


第二章二十二節「嘘吐」

 

 小国の乱立と同盟や協定によって一時的な平穏にある地域。

 

【藩洛(はんらく)】

 

 その始まりは一人の男によって形作られた。

 

【大皇(ディヴス・プリンシプス)】

 

 ディレイ・アルム・セト・ニェハエル。

 

 史上唯一大陸統一の偉業を成し遂げられると信じられた人物。

 

 その最も色濃い血統を継ぐものこそ【皇帝(インペレータ)】の一族だが、それ以外にも血筋の者は幾人かいた。

 

 愛人が多い事でも知られた男の血筋は今も複数確認されているが、潜在的な能力が残っている子孫はそう多くない。

 

 それが藩洛の興り、その発端とされている。

 

 つまり、誰が正式な男の血統か。

 

 そして、その血統が証明されるなら、国を治める理由に足るはずだ。

 

 という主張のぶつかり合いが今の多数の小国を産んだ。

 

 嘗て、大陸中央部から南部東部に掛けて所領を広げていた男の王国の成れの果てこそが小国家群だ。

 

 小国と言っても所領は千差万別。

 

 都市国家的な様相を呈す場所もあれば、領地が穀倉地帯ばかりという国もある。

 

 そもそもが一つの国として整備された国土。

 

 何処か一つが欠けると代替する場所が近くには存在しない。

 

 都市の整備にしても領地の整備にしても多くの小国家が財政逼迫を理由に現状維持というのが殆どだ。

 

 故に古都が多い事でも藩洛は有名となった。

 

 今でこそ何とかまとまりを持った同盟の締結で戦は治まっているものの、数十年前までは小国同士の鬩ぎ合いで巷は戦国乱世。

 

 今でも小国家の統治者達は近親での結婚や外部から強力な者を受け入れる事で血脈の力の保全に努め、静かな“血”を残す戦いを繰り広げている。

 

 そんな彼らにしてみれば、イグニシア・クルシスという帝国は羨ましくもあり、同時にお手本とする国家だろう。

 

 最も大皇に近い血筋。

 

 更に統治者としての優秀さ。

 

 もし、手に入れられるものなら。

 

 皇帝の血統は是が非でも取り込みたいと願っている。

 

 だから、ガードが固い帝都から出てきたエトに極めて猛烈なアタック。

 

 この場合は避暑地へのご案内が山のように届いたり、古都に遊びに来ませんかと大使が押しかけてきて、豪勢な宝物やら特産品が献上されるのは常の事だった。

 

「おいしいです。にぃさま」

 

「ナーリャ。感動!」

 

「胸焼けしそうだ……」

 

 三人の少女達。

 

 エフィリム、ナーリャ、イフィミスラがそれぞれテーブルの上に山と積まれた菓子やらフルーツを平らげている。

 

 一人のほほんと少女達を見ている少年はハルトゥムから帰ってきてしばらく平穏な日々を過ごしていた。

 

 ソファーで贈り物の山を見つめながら、少年は大使との謁見三昧で皇帝家業にうんざりした様子のエトを思い浮かべ、皇帝には皇帝の苦労があるのだなと苦笑する。

 

 空飛ぶ鋼の艦艇。

 

【貴皇(ペルソナ・ノーブリス)】

 

 そのゲストルームでの一幕である。

 

「お腹壊さないようにね? ナーリャ」

 

「ふぁーい」

 

 ダークエルフだからなのか。

 

 それともそもそもそういう体質なのか。

 

 ナーリャは献上されたフルーツを皮ごとを食べてはだらしなく幸せそうな表情で頬を膨らませている。

 

「エフィリムも……」

 

 お菓子をチマチマと食べていたエフィリムはあの夜のせいか。

 

 一口こそ小さいもののずっと菓子を食べ続けている。

 

「は、はぃ///」

 

 食い意地が張っていると見られた事が恥しいのか。

 

 満腹というものを知らない身体になってしまった少女は少しだけ紅くなって、コクリと頷いた。

 

「我はさすがにもういい」

 

 何とか皿一杯の菓子を平らげたイフィミスラは口元を押さえていた。

 

 涙目である。

 

 如何に素晴らしい品でも胃袋の許容量以上は毒でしかない。

 

『エリザさんからのもらい物なんだけど』

 

 そう言って少年がエトの婚約者であるエリザリドから消費し切れそうもない献上品を山の如く渡されたのが午後三時より少し前。

 

 皇帝への献上品と聞いて興味津々だった少女達が食べ初めてから既に一時間近く経っている。

 

「大丈夫? イフィミスラ」

 

「ああ。それにしても皇帝というのはやはり並みの王族も驚くようなものを食べているのだな」

 

「どういう事?」

 

 テーブル横。

 

 金の刺繍が施されたソファーで書き物をしていた少年が首を傾げる。

 

「例えば、これだが、我も一度だけ食べた事がある」

 

 ひょいとテーブルの山の中から取り上げられた箱は如何にも高級な雰囲気が漂っている。

 

 箔押しされた小さな箱が開かれると中には黒く滑らかな一粒。

 

「最高級の加加阿(カカオ)を使った古都【アーズトリテ】の一品だ。大貴族や豪商、王族がこぞって贈答用にしたいと契約を望む店があるのだが、多くの場合断られてしまうらしい」

 

「へぇ」

 

「格や血統の年数によって店側が契約内容を判断するそうだ。これは皇帝に出された品だけあって、たぶん一度しか作られない作品ではないかと思うが……」

 

 少女がチョコをそっと少年の手に乗せた。

 

 そのまま口に含まれた黒く甘い塊は一瞬の内に解けて、淡雪の如くスルリと喉の奥へと消える。

 

「あ、消えちゃった」

 

「これと同じように此処に詰まれた菓子や果実の大半は特級品。並みの王族や大貴族なら一生に一度口にするかどうかという品ばかりだ」

 

「エトって、確かに良い物食べてるけど、こういうのを口にしてるのは見た事ないような?」

 

「随分と仲良くなったのだな? そんなにエトが気に入ったのか? ティア」

 

 半眼になったイフィミスラに少年はと半笑いで視線を逸らす。

 

「いつの間にか仲良くなってない?」

 

「通じ合うところがあったのでな。友となったのだ」

 

「そっか。馴染めてるようで僕としては嬉しいかな」

 

 ジィッとイフィミスラの半眼な視線が少年に突き刺さる。

 

「後輩を見る先輩の心境というか。弟子を見る師匠の気持ちというか。そんな感じだったりするんだけど…」

 

「でも、“した”のだろう?」

 

「それは、まぁ……」

 

「別に責めてはいないが我だって寂しいのだ」

 

「イフィミスラ?」

 

 そっとテーブルを立って、少年の膝にポスンと座った少女が少年を見上げる。

 

「触れてくれないと寂しいのだ。ティア……」

 

「えっと……」

 

「我がお前にもっと触れて欲しいと思うのはいけない事か?」

 

 瞳を潤ませ始めるイフィミスラにそのまま手を伸ばし掛けて。

 

「あ……」

 

「?」

 

「ごめん。ちょっと用事が」

 

 何だかダメなモノを見る視線が少年の顔に突き刺さる。

 

「ほ、本当に大事な用事で!」

 

 タラタラ額から汗を垂らしつつ言い訳する少年にイフィミスラはやれやれと溜息を吐いて、身を離した。

 

「人を置いてけぼりにしておいて。エトとイチャイチャしていた間に済ませられなかった用事か?」

 

 グッサリ心に突き刺さる事実。

 

 だが、少年は謝るしかない。

 

「はぁ……それでどんな用事なのだ? ティア」

 

 苛めるのも程々にイフィミスラがしょうがないと諦めた様子で訊く。

 

「悪いんだけど、一ヶ月くらいまた出ないといけないかも……」

 

「理由は?」

 

「凄い忘れてたというか。昔、自分で記憶を落としておいた案件なんだけど。今丁度、時間になったらしくて」

 

「記憶を落としておいた?」

 

「人に見られたくない事とか、よく昔は精神干渉系の術の人間に探られてたから。その頃に一応の対策として時間になるまでは忘れてるようにしてた。みたいな感じだと思ってくれれば……」

 

「要領を得ないな。つまり、一体何をしに行くのだ?」

 

「簡単に言うとそろそろ時間だから取りに行かなきゃいけないってところかな」

 

「財宝か?」

 

 思わず三文小説のような文句を脳裏に思い浮かべたイフィミスラだったが、その心を読んだように少年が首を横に振る。

 

「魔王の財宝とか。そんな大そうなものじゃないよ。昔、友達が作ってくれるって言ってくれた物がそろそろ完成するはずだから、取りに行くってだけで」

 

「友達……大切な人か?」

 

 思わず、そう訊いてしまっていた。

 

 少年に自分の知らない女性関係がどんどん増えているような気がする。

 

 そんな昨今である。

 

「男だよ」

 

 安堵した、とは口しないものの、イフィミスラの胸にあるモヤモヤしたものが少し晴れた。

 

「好きにするといい。我は男同士の友情には興味の欠片もないからな」

 

「それじゃ、エトにちょっと出てくるけど、その分の時間はまた延ばすからって言っておいてくれる?」

 

「まったく。我を何だと思っているのだ」

 

「ごめん……」

 

「土産……」

 

「え?」

 

「土産を買って来たら、許す……」

 

 イフィミスラなりの和解条件(おねだり)に少年が頷く。

 

「帰ってきたら、ちゃんと埋め合わせるから。イフィミスラ。行ってくるよ」

 

 頭を撫で立ち上がる少年がドアを開く。

 

 無言で少女が手を振ると扉は閉められ、足音が去っていった。

 

「いふぃみすらねぇさま。よかったのですか?」

 

 今まで成り行きを見守っていたエフィリムが問うとイフィミスラは微かに笑って頷いた。

 

「ティアは必ず帰ってくる。我らのところに……違うか? エフィリム」

 

「えふぃりむもねぇさまのいうとおりだとおもいます」

 

「お土産。美味しいものだといい!」

 

 ナーリャの能天気な笑顔にイフィミスラが苦笑した様子でテーブルを見た。

 

「まず、それを全部平らげてからにしてはどうだ?」

 

 堆く積み上げられていた果実の姿は未だ健在。

 

 明らかに自分の堆積より重い量を腹に収めてケロリとしているナーリャが「オカワリ」するのもすぐの事だろうかとイフィミスラは肩を竦める。

 

 そうして、また少女達を置き去りに少年は一人。

 

 約束の場所へと向った。

 

 刻は約束より五十八年後。

 

 処は奴隷都市より北西に山脈を七つ先。

 

 小国家群藩洛。

 

 旧き人々の住まう世界で事件は始まる。

 

 *

 

 元々一つだった藩落における国家の上下は基本的に領土の生む富に比例する。

 多くの場合。

 

 領内に商業地や農地を持つ国は有利とされ、逆に何も無いような辺境は同盟内の序列も低い。

 

 だが、これにも例外があり、慣習的に兵の強い場所は傭兵家業などで稼ぎ発言権が強い場合もあった。

 

 そんな藩落内における最下位。

 辺境の辺境。

 

 巨大で峻厳な山脈のみを領土とする国家【双來(そうらい)】もまた嘗ては傭兵を多く輩出する国柄だった。

 

 彼の国が衰退する事となった理由はたった一つ。

 

 七教会による大陸全土への武力介入で傭兵の仕事が極度に減った事に起因する。

 

 古くから盛んだった武門は多くが廃れて衰滅。

 

 残ったのは傭兵家業だった男達の出稼ぎと山脈から取れる僅かな恵みで生きる慎ましやかな生活。

 

 もはや何処の小国からも相手にされなくなった国から人口が流出したのは当然の話だっただろう。

 

 それでも山脈に根付いて離れない人々もいて、国を支えている。

 

 国家の礎たる王族。

 

 又はその家来達。

 

 僅かな国民と大地に暮らす小国は今や風前の灯だったが、同時に争いとは無縁で静かな暮らしを送る世捨て人の楽園とも囁かれていた。

 

 紅葉の無い森林。

 

 一年の三分の二を閉ざす極寒の冬。

 

 動物達すら少ない僅かばかりの荒野。

 

 辛うじて放牧が行われる高原。

 

 人の住処か幻想の住処かと言われ続ける大辺境。

 

 そんな国はイグニシア・クルシスや武帝との国境を持つ地帯でもある。

 

 恐ろしき氷河と猛き峰を持つ【ラストーラ大山岳】の中腹。

 

 巨大な渓谷にへばり付くようにして二つの影があった。

 

 もこもこと全身を着膨れさせた姿は伝説の異種と見紛うような様相。

 

 氷河に済む【氷牛(ひょうぎゅう)】の皮から作られた特製の外套に身を包んで、僅かな縄と足場で移動する二人は凡そ場に似つかわしくないやり取りをしながら進んでいる。

 

「……まだ?」

 

「まだです。姫様」

 

「……もう帰らない?」

 

「まだ帰れません」

 

「死んじゃいそう……」

 

「大丈夫です」

「……」

 

「地図によれば、これより300先に岩穴が在り、そこから目的地まで10日もあれば着きます」

 

「その前に氷付漬けな気がするわ……」

 

「肌と肌で暖め合え―――」

 

「そういう趣味ないから」

 

「まずは手を動かす事から始めましょう」

 

「はぁ……これで着くのか不安になってきた」

 

 一人は只管に励まし、一人は投げやりな雰囲気で冷たい縄を掴んで進む。

 

 何回同じようなやり取りをしたのかも定かでは無い。

 

 二人にとって、その道程は恐ろしく厳しいだけでなく。

 

 あらゆる気力を奪い去る極寒まで立ちはだかっている。

 

 ハッキリ言えば。

 

 片方は既に死にそうだなと現実的な逃避に走っていて。

 

 片方は非現実的に根性論を振りかざしていた。

 

「つ、着きましたよ! 姫様」

 

 二人が何とか道を渡り抜いて、洞窟の中へと逃れる。

 

 と、突然、ガラガラ、ブチリと岩穴の外で音がした。

 

 落石。

 

 そして、綱の破壊。

 

「……」

 

 帰れないという本音を呑み込んで片方がボソリと呟きを漏らす。

 

「……人間て頑丈よね」

 

「ええ、これでこそ双來の王族! 私も感無量です」

 

「能書きはいいから、これからどうやって地図にある場所まで行くの?」

 

 闇の中、パッと魔術の光が取り出された地図に当てられる。

 

「この岩穴は【聖地】までは続いていませんが、すぐに大師父の残した庵があるはずです。そこまで行けば、何とかなるかもしれません!」

 

「何とかなるかも? え、まさか。何ともならないとか思っ―――」

 

「さ、さぁ、【聖地】まで後もう少しです。頑張りましょう! この国を救う為にも!!!」

 

 カツカツと歩き出した片方に片方が半眼になりながらも付いていく。

 暗い洞窟を歩いて十数分。

 

「風が……姫様! 風が出てきました! 終わりは近いかと!!」

 

「大声で言わないでよ。反響して耳が痛い……」

 

「すみません。では、早く大師父の庵にお邪魔しましょう」

 

「あ、ちょっと!」

 

 脱兎の如く駆け出した片方を追い掛けて、もう片方も走る。

 

 言われた通り。

 

 洞窟の終わりはすぐだった。

 

 一瞬にして景色が塗り変り、今までの寒さが嘘のような陽気がポカポカと二人へ降り注ぎ始める。

 

「ここが大師父の庵。着きました!! 姫様!!!」

 

「あ、うん。着いた、けど……庵って何処?」

 

 周囲をグルリと極度に高い岩肌に囲まれた窪地には本来山岳では見かけないはずの緑が多く茂っていた。

 

 それだけではない。

 

 幾つかの樹木。

 

 溢れる泉。

 

 小さな蜂の姿まで見える。

 

 たぶん小さな街一つ分はあるだろう場所は見上げれば、空に太陽がある。

 

 まるで楽園だなという一般的な感想を持ちつつ、片方が庵は何処かとキョロキョロ見渡した。

 

「あれ、かしら」

 

 感情の薄い声が上がり、楽園の一番奥の暗がりを差した。

 

「あれに間違いありません。地図にも同じ位置に印が」

 

「行ってみましょう」

 

 感情の薄い声が告げると任せておけと無駄に元気な声が先導する。

 

 小川を越える小さな橋を渡り、数多くの野草が群生する野原を越えた先。

 

 家のように見えていた場所がその姿を現す。

 

 それは岩を刳り抜いて作ったと思われる岩屋だった。

 

「本当に此処で準備出来るの?」

 

「大師父が使っていたならば、必ず何かあるはずです! 何か!!」

 

「それって」

 

 行き当たりバッタリという言葉は呟かれなかった。

 

 テンション上げ上げな声の主が岩屋へと先に入ってしまったからだ。

 

「あ、ちょっと」

 

 先に進んだ片方が奥で大声を上げる。

 

「姫様! どうにかなりそうです!!」

 

「どうしてあんなに元気なのよ。一度頭の中見てみたい」

 

 愚痴るのも程々に岩屋の中に入れば、案外快適な空間が広がっていて、狭いだとか暗いだとか、そういう感想を片方は抱かなかった。

 

「姫様。これを!!」

 

「大師父の?」

 

 古ぼけた羊皮紙の巻物が一枚。

 

「はい。ご本人の署名が。それと此処に」

 

 指が指された場所にはこうあった。

 

『聖地を求め、此処へ来た者達へ』

 

「ふーん。間違いなさそうね」

 

「はい! 此処まで来た甲斐がありました!!」

 

「それより中身の方は?」

 

「まだ、確認していません」

 

 紐を解くと呆気なく内容が開示された。

 

「えっと『この巻物を見る人へ。聖地はありません』」

 

「「え?」」

 

 二つの声が同時にハモッた。

 

「悪質な嘘って事、かしら……」

 

「そ、そんなはずは!?」

 

「ちょっと黙って」

 

「は、はい」

 

「『ちょっとした酒の席で良い恰好したかった時にポロッと出てしまいました。てへ♪』」

 

「「……」」

 

 淀んだ空気がその場に立ち込める。

 

 もう半分読まずに破り捨てたい衝動に駆られたのは二人一緒だったが、一応何か最後にあるかもしれないと朗読は続く。

 

「『僕が死んだ後に来た人はごめんね。ごめんちゃい』」

 

「「………」」

 

 言い直されてイラッと来る内容。

 

 羊皮紙がギチギチと悲鳴を上げた。

 

「破っていいかしら?」

 

「ま、まだ続きが! 最後の最後に一発大逆転の目が!!」

 

「無いと思うけど……」

 

「在るかもしれません!!」

 

「いいわ。冷静に読みましょう」

 

 二人が更に続きへと目を通す。

 

「『今が何年か知りませんが、もし運良く当たり年だったら、良い事あるかもよ』」

 

「「……」」

 

「ねぇ、もう燃やしていいんじゃない?」

 

「ぅ、確かに……」

 

 読む気も無くした片方が巻物を放ると慌てた片方が空中でキャッチし、炎や水に付けるべきかとか必死に知恵を絞り始める。

 

「無駄骨。それでいいのよ……きっと……」

 

 岩屋を出て長閑な景色の中へと出た片方が暑いと上着を脱ぎ捨てた。

 

 とりあえず、これからどうやって帰るか。

 

 それだけを考えて、原っぱの真ん中に彼女は寝転がる。

 

 その瞳には安らかな諦観が浮いていた。

 

 何もかも諦めた者は穏やかな心地を手に入れられる。

 

 彼女の中で何が終わったのか。

 

 いや、何が諦められたのか。

 

 知る者はいないが、とにかく彼女はもう何にも縛られない自由を満喫するべく、ポカポカ陽気に目を閉じた。

 

 そのまま、帰れないまま死ぬとしても別に構いはしない。

 

 それ程に安らかな顔で。

 

 ボフン。

 

「?」

 

 思わぬ音に彼女が顔を上げると自分達が来た方向とは反対側の壁辺りで土煙が上がっていた。

 

(何? まさか、侵入者迎撃用の守護者(ガーディアン)?)

 

 目を凝らしても土煙の中に何も見えない。

 

 そのままにしておくわけにも行かず。

 

 片方を呼ぼうとして、彼女は口を閉ざした。

 

 どうせ、帰れぬならば、此処で死ぬならば、別に巻き込む事もない。

 

 少なくとも自分が死ねば、もう片方は生きて帰れるかもしれない。

 

 そんな暗い希望を胸に秘めて。

 

 幸いにして岩屋の方から誰かが駆けてくる気配はない。

 

 とりあえず土煙のところまで言ってみようと彼女が立ち上がり、歩き出した。

 

 壁際の土煙は緩やかに収まっていく様子だったが、彼女は何かがいるに違いないと確信していた。

 

 それは壁が内部へと吹き飛んだような痕跡が近付く毎にハッキリと見え始めたからだ。

 

 壁の外から中に来た。

 

 それは一体何か。

 

 そう好奇心の強い方ではない彼女だったが、人生最後になるかもしれない出来事ならばと熱心に観察する。

 

 やがて、壁際に辿り着いた。

 

「?」

 

 誰もいない。

 

 土煙が治まりつつある場の奥には道が見えて、何処かへ続いている様子だった。

 

「行ってみましょうか」

 

 そう決断して。

 

 彼女がその暗い道へと歩いて行く。

 

 そうして、その頃になってようやく外の異変に気付いた片方が岩屋から走り出してきた。

 

「姫様! 姫様!!? あれは?!」

 

 治まりつつある土煙を見つけて、突風の如き健脚が走り出す。

 

「姫様ぁあああああああああ!!!!」

 

 お騒がせな二人が去った後。

 

 結局、どうやってもふざけた事しか書かれていないと思われていた巻物が床に落ちて広がった。

 

 内容がゆっくりと“移動”を始める。

 

『あ~今が何年か知りませんが、どうやら国の行く末は占術の結果通り、そして……彼もまた確かに来た様子なので、教えておきます。いい? いいよね?』

 

 サラサラと文字が置き換わり、新しい文面が形作られる。

 

『全部、彼に任せといてください。たぶん、それが一番良い事だと思うので。それと出来れば謝っておいてください。嘘を吐いてごめんなさいと』

 

 文字がゆっくりと崩れて、端から消滅していく。

 

『この国の未来を今、其処にいる君に託します。双來の未来の姫。闇を払い、国を救う希望の人よ。貴女に残した僕の遺産は僕の最初で最後の親友にして、この世の全てを司る終焉の王……笑顔ばかりが上手な優しくて哀しい人です。出来れば、友達になってあげてください』

 

 巻物がゆっくりと煙を上げて燃え始めた。

 

『追伸。彼の一番になると双來はもれなく大陸統一と占術結果が出てます。頑張ってね』

 

 全てが灰になった後。

 

 岩屋がガラガラと崩れて跡形も無く崩壊し。

 

 そうして誰も見ていない遺産の在り処は永遠の闇に消えた。

 

 *

 

『く……不覚を取りましたか』

 

 彼女、セイリ・ティウアズライト・エルメトロ・ニェハエルは嘗て世界を統べようとした大いなる血統の末裔だ。

 

 そして、国に残った将軍の血筋の末であり、一族最後の一人でもある。

 

【エーデリア】

 

 嘗て藩落の序列において第三位を維持した西部の都市国家。

 

 古都の中でも肥沃な所領を持ち、貿易も盛んな場所。

 

 今も幻想の織物と讃えられる鼈甲(べっこう)色の【瑠織(るおり)】が盛んな地域。

 

 彼の地の民族衣装は大陸随一とも囁かれる。

 

 複雑な刺繍を施した服は既に魔術具の域にあり、容易に刃が貫く事もない。

 

 機織の国とはエーデリアの事であり、大皇の威光残る地として人々の【血統信仰(スティンマ)】の中心ともなっている。

 

 そんな独自の気風と素朴ながらも絢爛で美しい衣装で過ごす都市民達は本来が狩猟民族。

 

 初代国父ニェハエルに平定され。

 

 それ以来封じられた領地を守り続ける豪傑の民だ。

 

 それが“二年前まで”の話。

 

 彼の国の存亡が囁かれ始めたのは四年前。

 

 軍を統率する将軍が暗殺されて、都市国家は大きな傷を受けた。

 

 次々に武力を背景にした藩落内の不平等条約の締結が山と詰まれ、困窮していく民は活力を奪われ、今や半ば隣国の都市国家【アーズトリテ】に吸収され掛かっている。

 

『何とか止血はしましたが、このままでは……』

 

 セイリは都市議会の議長も兼務した将軍の一人娘であり、都市国家の発祥理由そのものである血統の一員であり、本来ならば他の都市国家に対しての切り札であり、何よりも民を統べる次代将軍の位だ。

 

 だが、無論。

 

 一人の小娘である事に変わりはなく。

 

 成人までは議会の下で何の決定権もない“女”として扱われる。

 

 そんな彼女がその日、故郷から離れて東部の世捨て人しかいないような辺境の奥地にいる、というのは正に都市の民からすれば、目を疑う光景だったに違いない。

 

 山岳に降り注ぐ陽光が亀裂から染み入る岩穴の奥。

 

 清楚に腰まで流れる瑠織と同じ鼈甲色の髪は今や解れ。

 

 凜として感情の薄いエーデリアの宝石とも讃えられる相貌が歪められ。

 

 背はあるものの細い身体のあちこちに血を滲ませ。

 

 頭の飾を罅割れさせ。

 

 衣装をズタズタにされて地に臥している、なんて。

 

『ふ……』

 

 まるで暴漢に襲われたか。

 

 あるいは戦から戻ってきたか。

 

 そんな様相。

 

『父上……貴方ならきっと事前の準備不足と我が身の力量不足を嘆くのでしょうね』

 

 何とかジメジメした巨大な岩穴の壁に背を預けて。

 

 セイリは今先程までの戦いを思い出す。

 

 傍らに落ちている剣は端から端まで刃毀れで使い物にならず。

 

 もし、また次の戦いがあれば、持たない事を教えてくれる。

 

『ようやく、ここまで来たというのに……残念です』

 

 諦めた様子で彼女は覚悟を決めた者の顔で唇を噛んだ。

 

 最後まで抵抗する気ではいたが、如何せん力の差が有り過ぎて話にもならない。

 

『双來の聖域。一度でいいから拝んでみたかった……』

 

 将軍。

 

 彼女の父である男がよく寝物語に聞かせた話。

 

 辺境の辺境。

 

 大辺境の山岳の奥地。

 

 国父が奇跡を眠らせたという伝承があるらしい。

 

 何かあったら、もしも自分が死んで、どうにもならなくなったら、聖地に助けを求めろ。

 

 そんな遺言を託され、自分ではどうにもならなくなったからこそ、彼女は辺境の旅路に付いた。

 

 故郷エーデリア。

 

 敵国アーズトリテ。

 

 どちらも探している事だろう。

 

 ようやく纏まり掛けた併合の要。

 

 両者が守ってきた血統の統合を進める駒。

 

 ニェハエルの血統を孕む為だけの彼女を。

 

『……』

 

 平和的に更なる発展を目指そうと議会は言いながら。

 

 実質的には戦わずして屈した。

 

 それが国の為だと婚姻自体は承諾した。

 

 しかし、統合の中身は平和的なものではなく。

 

 エーデリアの隷属という形だった。

 

 馬鹿なと内容に異議を唱えた彼女を故郷の議会は拘束して軟禁。

 

 何とか脱出したはいいものの、行く宛てもない彼女は聖地を目指す事となった。

 

 有能、優秀、神童と讃えられた彼女が初めて自分の意思で決めた事。

 

 即ち。

 

 聖地に至り、大皇の奇跡を甦らせ、祖国エーデリアを救済するという大望。

 

 その希(こいねがう)気持ちも容赦の無い現実を前にして折れかけようとしていた。

 

 ガンッ、ガンッ、ガンッ。

 

『来ましたか。ですが、わたしとて、将軍の娘……最後まで抗い続ける!』

 

 洞窟の奥。

 

 彼女がようやく見つけた聖地への道の先からソレはやってくる。

 

 岩石の間から滲む陽光が闇の中に姿を浮かび上がらせた。

 

 長大な洞窟を切り裂く鉤爪。

 

 鋼鉄より尚固い毛並み。

 

 その巨大な体躯を飛ばす大いなる翼。

 

 巨大な洞窟を窮屈そうに歩く姿。

 

 三十メートルはあるだろう。

 

 ソレの名を彼女は知らないが、智識の中には同じような生き物の情報があった。

 

 四足の獣。

 

 その中でも竜と囁かれもする白き狼の如き姿。

 

 大きな白い二つの髭が特徴的な存在。

 

 琥珀の中にすら姿を見られる太古の異種。

 

【崩狼(ソラ・アヴィス)】

 

 時に乂羅では【大口ノ真神】(おおぐちのまがみ)とも言われる絶滅した神の眷属たる種族。

 

 化石にも為らず、永遠の黄昏に閉じ込められた遺骸の中からは魔族だの竜種だの神の痕跡すらあったと七教会の発表した情報にはある。

 

 無論、食われたのだ。

 

 どんな方法を使ったのかは知らないが、多くの種にとっての天敵だった事は間違いない。

 

 ドンッ。

 

 洞窟を足で揺らして翡翠のような輝きを宿す瞳が彼女を見下ろす。

 

「獣よ。貴方が奇跡の番人ならば、此処で食われるのも仕方ない。ですが、ただで食えるとは思わない事だ。こちらにも意地があるッ!!!」

 

 刃は攻撃ではなく防御に。

 

 魔力を全て足に。

 

 風防は服に任せて。

 

 彼女が最後の行動に出た。

 

 裾の広い衣装が舞う。

 

 手に隠し持っていたのは今まで音も立てずに溜め込んでいたありったけの魔術。

 

 と言っても攻撃用のものではない。

 

「はぁあああああああああッッ!!!」

 

 飛び上がった彼女は掌を巨大な獣の鼻先に翳して、光を放った。

 

 魔力を純粋な光波に変換。

 

 焼きつく輝きは最新の技術によって生み出された写真機のストロボや太陽にすら勝る。

 

 ボシュッ。

 

 そんな音で世界は白く染まり、全力で彼女の脚が獣の下から奥へと駆けていく。

 

 大きな図体はそのまま方向転換の困難を齎す。

 

 そのまま走り続けて聖域まで辿り着けば、生き延びられる可能性はあった。

 

 勿論、それでどうにかなるわけがないと彼女は心の底では理解もしていた。

 

 獣が一瞬怯んだ後、青く光り輝き始める。

 

 洞窟内が魔力の光で満たされていく。

 

 一瞬で200m近くの距離を開けていながら、彼女の背筋は凍り、死の予感が全身を包んだ。

 

 咆哮。

 

 人の身では聞き取れない恐ろしき声と同時に巨大な洞窟に青白い雷が吹き荒れ、赤熱させた。

 

 洞窟全域を巻き込んだ一撃。

 

 大熱波と放電現象。

 

 雷を五発、剣と服に食らって、更に洞窟自体の熱量で僅か肌を焦がされながら、彼女はそれでも最後の跳躍で迫り来るソレより早く獣が守っていた青銅の扉まで辿り着いた。

 

 一秒でも洞窟の中にいれば、即死。

 

 扉が開くかどうかは賭け。

 

 故に身体でぶち当たるように扉へと突撃し、衝撃が肉体を捉え、開かないという絶望を感じて。

 

(父上。無念です)

 

 そんな感傷が全身を駆け抜けて――――――。

 

「こんなところに崩狼を置くなんて、ディクトも人が悪いというか何と言うか」

 

 いつまでも熱も雷も彼女を焼かなかった。

 

「?」

 

 死を覚悟していたのに聞いた人の声。

 

 それが本物か。

 

 それとも死に際の幻聴なのか。

 

 彼女には判断が付かず。

 

 倒れ込みながら、背後にいる誰かに目をパチクリとさせた。

 

 黒い外套の背中。

 

 一人佇む姿。

 

 振り返った彼の顔が見えたのは赤熱した洞窟の一部が欠けて、斜陽が入ってきたから。

 

「大丈夫?」

 

 まるで今日の天気を聞くような軽さで少年は言った。

 

「き、君は?」

 

「此処に住んでた人と友達だった男かな」

 

「とも、だち?」

 

「うん。もう死んじゃってるだろうけど。用事があるから来てみれば、門番に君が焼かれそうになってて」

 

 彼女はもう何も言えなかった。

 

 何をどうやって防いだのか。

 

 少年は平然と灼熱する世界にいた。

 

 彼の剣が突き立てられた場所から後ろ。

 

 つまり、彼女がいる地点だけが熱波や放電から守られたらしかった。

 

「もう役割はお終い。帰っていいよ」

 

 後ろにいる化け物へ少年の声が掛けられる。

 

 ガツンガツンと洞窟を揺らして神の如き獣の足音が遠ざかっていく。

 

「は……?」

 

 呆気に取られて。

 

 彼女は茫然自失のまま、少年を見つめる。

 

「えっと、その……服、焦げちゃってるみたいなんだけど」

 

「?!」

 

 少年が視線を逸らした。

 

 彼女が自分の姿を顧みて、紅くなる。

 

 その気の強そうな逆八の字の眉と彫像のような顔が羞恥に歪んだ。

 

 肌は聊か焦げたものの、肉体はまだ健在。

 

 しかし、衣装は耐久限界を超えたせいで殆ど焼け去って、半ば半裸。

 

 それでも悲鳴を上げなかったのは戦いに関わる家系として教育されたおかげだ。

 

 少なくとも戦場で肌を隠し死ぬような事は不名誉以外の何者でもない。

 

 すらりと引き締まり、少年よりも大きな少女が頭を下げた。

 

「お、お見苦しいものを見せてすみません。助けて頂いてありがとうございます……」

 

 胸を片手で隠し、多少声を上ずらせながらも彼女が頭を下げる。

 

「別に感謝されるような事は。それより、コレ」

 

「あ……」

 

 パサリと少年の外套が彼女の上に被せられた。

 

「さすがに今は手持ちに服とか無いから、これで勘弁して」

 

「い、いえ!? お、お心遣い感謝します」

 

「うん。ちょっと、そこを退いてくれる?」

 

「あ、はい」

 

 思わず少年の言葉に従って。

 

 彼女ははたと気付く。

 

 そもそも番人に言う事を聞かせられる人間なんて本当にいるのだろうかと。

 

 いや、それ以前に目の前の自分より年下くらいだろう少年は、本当に人間なのだろうかと。

 

「……」

 

 ガチャガチャと青銅の扉のドアノブを回していた少年だったが、溜息を一つ。

 

「そう言えば、君ってそういう人だったっけ。壊すけど、悪く思わないでよ。ディクト」

 

 少年が扉に何かをする前にセイリが尋ねる。

 

「あ、あの……一つ聞いてもよろしいでしょうか?」

 

「何?」

 

「その、君の友達は聖域に住んでいたのですか?」

 

「聖域?」

 

「その扉の先は大皇の奇跡眠る場所。聖域ではないのですか?」

 

 少年が思わず振り返って「はぁ……」と溜息を吐いた。

 

 更に虚空に向って「ディクト」と呆れた様子にもなる。

 

「そ、その、どうかされましたか?」

 

「いや、何て言うか。そんな口から出まかせをよく吹聴したなぁと思って」

 

「で、でまかせ!?」

 

「断言しておくけど、此処から先にあるのはただの庵。大皇の奇跡なんて眠ってないし、別に大きな力も置いてない。まぁ、僕は其処にいた友人の物を貰いに行くわけだけど」

 

「……本当、ですか?」

 

 彼女の脳裏には疑いの気持ちが芽生えていた。

 

 奇跡が無いなんて信じられず。

 

 それよりも父の遺言が嘘であるはずがないという気持ちが湧き上がって。

 

「此処じゃ怪我の手当ても満足に出来ないし、連れて行くよ」

 

 少年が彼女に近付くとひょいっと両腕で抱え上げた。

 

「な、何を!?」

 

 いわゆるお姫様抱っこだった。

 

 恥しい事この上ない。

 

「や、やめ、ッ~~~?!!!」

 

 慌てて腕の中から逃げ出そうとした身体のあちこちが痛んで。

 

 彼女が顔を強張らせる。

 

「傷を治す前に此処もまた冷えるだろうし、悪いんだけど恥しいのは少し我慢しててくれると嬉しいかな」

 

「はい……」

 

 至極全うな意見。

 

 洞窟には今までの赤熱が嘘のように外からの冷気が入り込んで来ていた。

 

 そのままでは凍傷になる事も在り得る。

 

 衣服が焦げて半裸。

 

 暖を取る手段もないともなれば、大人しく少年に連れられていくのが現状では最良の判断と言える。

 

「じゃ、行こっか」

 

 少年の足が青銅の扉を蹴った。

 

 バキンと何かが壊れる音がして。

 

 開いた扉の先、小さく暗い道が続いている。

 

 何の躊躇も無く闇の中へ足を踏み出して。

 

 少年は迷わず道を進んだ。

 

 一分か。

 二分か。

 

 闇の中。

 

 逞しいとも思えない細腕に抱かれながら。

 

 すぐ傍に男の横顔があるなんて、恥し過ぎると顔を紅くしたまま。

 

 セイリはよく解らない動悸に全身を支配されていた。

 

 彼女は自分でも自覚がある程に箱入り娘だ。

 

 剣の修行を受け、名家の女としての教育も受け、将軍としての教練も受けた。

 

 しかし、男性と共に何かをする事なんて一度も無かったし、男の友達なんて言語道断と社交界ですら女性ばかりに囲まれていた。

 

 それが父の意向であり、彼女もまた夫となる者と父以外に興味は無く。

 

 接触なんてして来なかった。

 

 それが今や見ず知らずの自分より若いだろう少年に救われている。

 

 人間ではないかもしれないと思いながらもセイリは確かに借りが出来た自分を抱く者に命を預けた。

 

 死ぬ運命だったならば、己を生かした人に運命を預けるのもまた道理だと思ったからだ。

 

「見えてきたよ」

 

「あれは……」

 

 気付けば闇の先に微かな光。

 

 彼女が見ている前で少年はその輝きの源を蹴り飛ばした。

 

 鉄板だったのか。

 

 ギィッと錆びれた音色を立てて、ゆっくりと出口を塞いでいたものが倒れ込み、眼前に彼女は一面の草原を見た。

 

「え?」

 

「聖域じゃないし、大きな力も眠ってないけど、変わり者の男が一人此処に住んでた。外の環境が環境だから、こういう場所を作ったんだって」

 

 彼女は一瞬、此処が聖域だと思った。

 

 大辺境。

 

 その環境は厳しく。

 

 ある意味、春のように野草が咲き乱れ小川が流れる場所は楽園。

 

「もう少し我慢してて」

 

 少年は彼女を抱えたまま、厚い壁に覆われた楽園の中心。

 

 芝生の原っぱへと歩いていき、横たえた。

 

「ちょっと薬草とか取ってくるから」

 

 そう言い残して、近くの背の高い草が生えた場所や花畑が広がる場所を歩いては時折野草を摘み始める。

 

「……」

 

 心地良い世界。

 

 セイリは長閑な辺りを見回して素直に美しいと思う。

 

(私は騙されて? でも、彼は助けてくれました……)

 

 少年が彼女の元に戻るとその両手には幾つも見慣れない華や草があった。

 

「少し待って」

 

 セイリの前で少年が座り込むと花を毟ったり、草を手で磨り潰しながら掌で混ぜ合わせていく。

 

 その様子は手馴れていて。

 

 彼女は旅人だろうかと少年を初めてゆっくりと観察した。

 

 まだ声変わりもしていない響き。

 

 女とも男とも言えないような顔。

 

 華奢に見えて力はあるのだろう細い身体。

 

 一言で表すならば不思議。

 

 中性的な顔は女と見間違える事もあるだろう。

 

 笑みを浮かべて作業する様子は見ているだけで何故か安心を彼女に与えた。

 

「出来た。これを焦げた場所とか痛いところに塗れば、痛みもだいぶ楽になるよ」

 

 掌には草色の柔らかな塊。

 

「はい」

 

「あ……」

 

「塗り終わるまであっちに行ってるから」

 

 ソレを渡されるまでボウッとしていた彼女は言われた通り、自分の火傷した肌へとそれを塗り込み始めた。

 

(ん、痛みが……)

 

 薬草の効き目は凄まじく。

 

 今まで興奮から感じていなかった火傷や雷撃の傷の痛みを消し去っていった。

 

 貸された外套の下。

 

 ボロボロに焼け焦げた服を恥ずかしながらも彼女は破り捨てる。

 

 少年の外套は足元まで届く程長く。

 

 全身を隠せたので何とかそうする事が出来た。

 

 本来ならば淑女としてその行為は在り得ない。

 

 しかし、傷の治療は戦場では一刻を争う。

 

 羞恥から死んでは元もこうもない。

 

(彼は……良かった……)

 

 少年は彼女に背を向けて遠くにいた。

 

 外套を着ているとはいえ、全裸の自分の近くに男がいる。

 

 そんな非常識な状況に女として言い知れぬ羞恥とは違うものを彼女は感じた。

 

 背中がこそばゆくなるような心地とでも言えばいいか。

 

(一体、彼は……)

 

 全身の痛む箇所に薬を塗り込みながら思案した彼女ははたと気付いた。

 

(せ、背中が……)

 

 雷撃に直撃された背中に手が届かなかった。

 

 全身の痛みに襲われる事は無くなった。

 

 だが、一番重症だろう場所に手が届かない。

 

「……あ、あの」

 

 小さな声だったが、すぐに少年が振り返った。

 

 慌てて外套を着込んだ彼女はやってくる少年を見上げて、幾分か躊躇う。

 

「塗り終わった?」

 

「い、いえ。その、最後の部分が……」

 

「?」

 

「で、ですから! 背中が塗れなくて……」

 

「ごめん。気付かなくて。それじゃ、貸して貰える?」

 

「は、はい。お願いします」

 

 さっと口走ってしまってから、彼女は内心でワナワナと震えた。

 

 自分で言っておきながら拒否は出来ない。

 

(ぅう、やはり傷で正確な判断能力を失っているようです……)

 

 背後に回った少年が待つ気配。

 

 それにもう引き返せなくなり、彼女はそっと外套を肩から落として、身を羞恥に縮めた。

 

「これくらいなら塗ってソレを着てたから一日で治るよ」

 

 くちゃっと背中に薬が塗られて、指で伸ばされていく。

 

 少年の手は余計な事をまったくせず。

 

 痛みを発する場所へ的確に野草を塗り伸ばすだけだった。

 

 細く柔らかな手。

 

 初めて男という生き物に肌を触れさせたセイリは背中を這う優しげな感触に父の事を思い出した。

 

 剣の稽古で傷を負うと決まって薬を塗ってくれた父の事。

 

 今は亡き姿は生前のまま瞳に焼き付いている。

 

「……」

 

「はい。もう大丈夫」

 

 言われて外套を再び着込んだ彼女がようやくまともに少年へと相対した。

 

「ありがとうございます。助かりました」

 

 座り込んだ少年がセイリに首を横に振る。

 

「友人のした事だから。謝らなくても……」

 

「ですが、君がいなければ、私は死んでいました」

 

 ハッキリと口にする彼女の物言いに少年は彼女がどういう場所に生きているのか大体の見当が付いた。

 

 少なくとも戦闘を生業にしている者であると。

 

「うん。此処は素直に受け取っておこうかな」

 

「そうですか」

 

 ようやく。

 

 彼女にも薄く笑みが戻る。

 

「それで聞きたいんだけど、どうして此処に?」

 

「それは……」

 

 言うべきか。

 

 言わざるべきか。

 

 彼女は図りかねた。

 

 如何に目の前の少年に命を救われたとはいえ、自分の事を不用意に話せば、何が起こるか解らない。

 

「ちなみに君が此処をどう思ってるかは知らないけど、此処はこの国一の変わり者だった男の庵だよ」

 

「変わり者?」

 

「何十年も前に百歳以上だったから、もう生きてない、みたいかな……」

 

 少年が遠方でガラガラと崩れた岩屋を見つめた。

 

「崩れて?」

 

「気配を探ってみたけど、誰もいないみたい」

 

「あそこに人が?」

 

「住んでた。色々と世話になったっけ……」

 

 懐かしそうに少年が目を細めた。

 

「本当に此処は聖域では無いのですか?」

 

「彼はよく冗談を言う人間だった。僕には酒を飲みながらそこら辺で大法螺を吹いてた姿が簡単に想像出来る」

 

「で、ですが!? 本当に此処で何かしらの力が眠っている事は!?」

 

 彼女は少年にまるで縋るような視線で叫んでいた。

 

「僕も此処まで来てて何なんだけど、騙されたかなぁって気がしてる今」

 

「え?」

 

「冗談と嘘と真理の探究に長けた彼はいつも言ってた。世の中には要らない真実が多過ぎるって」

 

「要らない、真実?」

 

「つまり、知らない事は知らないままでいいって事。だから、彼はいつも大法螺を吹いて、人を騙して、それでも誠実に生きる事を望んでた。下らない真実よりも人の為になる嘘が好きだってさ」

 

「そう、ですか……」

 

 本当に聖域ではないのかと彼女の心の何処かが期待していた成果の喪失に気力を失っていく。

 

「此処に来させたのも本当はただ自分の墓参りを僕にさせたかっただけかもしれない。寂しがり屋だったから……」

 

 少年の言葉に彼女は嘘を感じなかった。

 

 事実として、彼女は死に掛け、目的地に辿り着いた。

 

 しかし、周囲に大皇の奇跡なんて眠っているようには見えない。

 

 麗らかな春の日差し。

 

 外の世界は夕方だったはずだが、此処には陽気があるだけ。

 

 特別ではあるかもしれないが、大きな力は感じられなかった。

 

「私は何の為に……」

 

 目を閉じて、拳を震わせて、セイリは去来する大きな感情の波に目を閉じた。

 

 祖国の堕落、没落、隷属。

 

 理不尽に戦う事すら赦されなかった我が身。

 

 逃亡者となって初めて外の世界を旅した彼女が多くの困難に合いながらも何とかやってきたのは全て力の為だ。

 

 それが嘘だとしたら、父のいつもしてくれた話が、遺言がでたらめだったとしたら、彼女の行動は全て無意味となる。

 

「……っ」

 

 ポロポロと零れたのは涙ではない。

 

 いや、涙の形をしていても絶望そのものだった。

 

 父との思い出も、祖国再興の願いも、支えとなった希望は反転し、彼女を苛む。

 

「すみません……」

 

 それでも礼儀を忘れず。

 

 己の命だけは守られた現状。

 

 その功労者である少年に無様なところは見せられないと。

 

 彼女は何とか自分を立て直す。

 

 前途も何も無くなったが、それでも己を失すれば、もう後は消えていくだけだと理解して。

 

「どうして奇跡とか必要としてたのか。聞いていいかな?」

 

「それは、言えません」

 

「どうして?」

 

「迷惑が掛かります」

 

「迷惑?」

 

「はい。命の恩人である君を巻き込むのは本意ではありませんから」

 

「じゃあ、これは僕の独り言だと思って欲しいんだけど」

 

「?」

 

 こほん。

 

 少年が咳払いして彼女の顔を見つめた。

 

「自分の国を助けたいと望むなら、僕は力を貸してもいい」

 

「!!!?」

 

 思わず彼女はドキリとした。

 

 何も言ってはいない。

 

 それなのにどうして少年は自分の内心を見透かしたのか。

 

 言った事は僅かに大皇の奇跡眠る聖地という話だけ。

 

 国なんて言葉は一つも今までの会話では出てきていない。

 

「これでも人間観察が昔からの趣味で。その経験から言わせて貰うと君は……藩落の小国家、それもかなり序列上位の国の人間で、とても身分が高い。理由は以下の通り。君の身に付けていた服の一部が上流階級しか着用を赦されない刺繍を持っている事。君の立ち振舞いが旧い皇族、たぶん大皇の血筋の正式な様式に則っている事。後、君の顔立ちは藩落の中でも西部地域に多い。他には話し方。大陸共通言語の訛りは幾つかに分かれるけど、君は大陸中央に近い場所でないと上手く発音出来ない文字がちゃんと発音出来てる。これはこの近くだと藩落西部の上流階級くらいしか無理だと思う。ちなみに目的を推測できたのは単に藩落がいつも内戦状態一歩手前だから。君みたいな人間が大皇の奇跡なんて必要として、単身辺境に来るなんて、よっぽど追い詰められてるとしか考えられない。つまり、君は亡国に為りかけてる藩落西部の序列上位の国の要人で国を立て直したいと思っているって憶測が成り立つ」

 

「――――――」

 

 あまりの事に彼女の思考が停止した。

 

 全てその通りだとしても誰がそれを突き止めるだろう。

 

 本来ならば、恐ろしさを感じているべきだった。

 

 しかし、彼女は、少年の笑みに不安を感じず。

 

「君は一体、何者ですか?」

 

「ちょっとだけ、長く生きてるお節介焼き、かな」

 

 ふざけた回答。

 

 でも、思わず。

 

 今までの何もかもを忘れて。

 

 彼女は笑ってしまった。

 

「何ですか。それは……ふざけています。ふふ……」

 

 ようやく笑みを零したセイリに少年が大丈夫だと感じて立ち上がった。

 

「僕の名前はティア。普通にティアって呼んでくれれば」

 

「ティ、ア?」

 

 少年が頷く。

 セイリもまた立ち上がった。

 

「私も名乗らねばなりませんね。私はセイリ・ティウアズライト・エルメトロ・ニェハエル。藩落西部エーデリア将軍アウス・ティウアズライト・エーデリア・ニェハエルの娘。そして、大皇の正妻リティ・アルム・セト・ニェハエルから数えて七代目の子孫。藩落内公式での即位序列三位となります」

 

 少年がそっと藩落の貴族達の礼に則って片腕を背後に回し、頭を下げる。

 

「君は博識な御仁のようです。ティア」

 

 セイリが微笑む。

 

「確か藩落の貴人を呼ぶ時はサードネームだったかな?」

 

「本来ならば。ですが、君は私の命の恩人です。どうぞ、友人を呼ぶようにセイリと呼んでください」

 

「そっか。なら、セイリでいい?」

 

「はい。どうぞよろしく。ティア」

 

「こちらこそ。セイリ」

 

 二人が互いに会釈した。

 

「それでさっそくなんだけ―――」

 

 ヒュンと空を裂く音がして少年の鼻先を矢が掠めた。

 

「追手!!?」

 

 セイリが少年の手を掴んで横っ飛びに転がる。

 

 その後を追うように立て続けに矢が上空から降り注いだ。

 

 曲射術。

 

 如何にその場が岩に囲まれて無風に近いとはいえ、勘や経験だけでは成り立たない弾道計算を含む幾つかの高度な算術が必要な一撃は彼女に自分が追われる身だと思い出させた。

 

「すみません! 早くも巻き込んでしまったようです!?」

 

「まぁ、別に巻き込まれてもいつもの事と言うか」

 

 草の背丈が高い一角に互いゴロゴロと転がりながら入り込み、二人は這いながら語る。

 

「魔術で幾つか防御方陣を張ります。層が貫通される前に態勢を立て直して反撃しましょう」

 

「あ、止んだ」

 

「攻撃が?」

 

 二人が上から降り注いでいた矢がもう追ってこない事を確認して上を見上げる。

 

「矢が切れた? いえ、こういう場合は……」

 

 普通、攻撃が途切れる時は次ぎの攻撃準備を行っている事が多い。

 

 何があるか分からないものの、何をするにも今の内だった。

 

「飛び出して距離を取りましょう。あちら側の位置は大体把握しました」

 

「うん」

 

 二人が互いに頷いた。

 

 *

 

「何……してるの?」

 

「姫様。侵入者です!」

 

 ガスンとチョップが傍らの頭に落ちる。

 

 崩落した道の先から戻ってきた二人は出口付近にいた。

 

「だから、どうして攻撃してるの?」

 

「侵入者だからです!」

 

 ガスン。

 

「敵を作り過ぎた為政者の末路を教えてあげましょうか?」

 

「必ずお守りします!!」

 

「はぁ、相手側と交渉の余地があればいいけど。実力も分からない相手に無闇に喧嘩を吹っ掛けるのは馬鹿のする事よ。今後は気を付けて」

 

「はッ!!」

 

 漫才なやり取りもそこそこに少女は溜息を吐いた。

 

 二人の氷牛の外套は既に脱がれている。

 

 双來標準の厚い皮製の衣装は防水・防火・防雪・防氷の為に一切の妥協無く首から下全てが継ぎ目のないラバースーツ状になっていた。

 

 通気性の高い素材を使い、発汗の最には汗を素材自体が吸って外に吐き出す。

 

 伝統の技法で生成された衣装は正しい手順を使わない限り脱げない。

 

 表面に無数付いているのは魔力を込めれば炎熱を発する魔術方陣の刺繍。

 

 山岳での遭難には魔力を消費しながら暖を取る事も出切る衣装だ。

 

 今正に年上の女をチョップした少女は一言で言うと儚げだった。

 

 くすんだ白。

 

 肩へ掛かる灰色の髪に何処か諦観を含んだ視線。

 

 年頃の少女にはあるまじき希望も何も持たないような瞳の色。

 

 への字になった口元は不機嫌そうに歪められている。

 

「では、先導します」

 

 片膝を付いて今まで弓を構えていた女が立ち上がる。

 

 少女よりも頭一つ分程も背が高い。

 

 短い黒髪を揺らした姿は立ち振る舞いから軍人と分かる。

 

 同じ服を着ていながらもその姿態はグラマラスな凹凸を表現していて、少女と相対的にみすぼらしくしていた。

 

 険しい顔付きながらも声は優しく。

 

 眼光に込められた意思は気高く。

 

 気の強そうな眉は少女に叩かれた時以外は基本的に逆八の字になっている。

 

『すみませーん。大丈夫でしたかー。不用意に攻撃してしまった事は詫びますのでー。どうぞ出てきてくださーい。勿論、こちらは一切攻撃しませんのでー』

 

 棒読みながらも少女がそう言うとしばらく沈黙が挟まれた。

 

「……出てこない」

 

「いえ」

 

 女が弓こそ下げたものの、背後に少女を庇った。

 

 ガサリと遠方の草むらから人が立ち上がる。

 

 少女には分からなかったが、女には二人の男女が防御用の方陣を展開しながら進んでくるのが分かった。

 

 やがて、四人が一堂に対面した。

 

「「「「……」」」」

 

 最初に声を出したのは少女を背後にした女だった。

 

「当方は双來の者。この大師父の庵に何用か!!! 侵入者ど―――」

 

 ガコンと相当固い音がして少女が女を水平チョップで黙らせた。

 

「こちらの愚か者の行動を謝罪するわ。私達は双來においてこの地の管理する者。答えによって相応の対応をさせてもらう」

 

 暗に敵対するのか話すのか決めろと少女に言われて、セイリと少年は顔を見合わせた。

 

「えっと、それじゃあ、僕から」

 

「貴方は?」

 

「此処にいたディクトの友人かな」

 

「まさか!? 此処にいた大師父ディクト・ベッケン・ルースティンが死したのは百八十七歳。それも三十数年前の話。貴方のような年齢の人間と友人であるはずがない!」

 

「一応、不死者の部類に入ってるから、年齢も君のおじいちゃんくらいにはあるだろうし」

 

「―――魔族」

 

 少女の視線が険しくなる。

 

「同じようなものだけど、別に人間を苛めて喜ぶ趣味はないよ?」

 

「貴方の言っている事が全て嘘であるという事も考えられるわね」

 

 少年が無言で手を少女の前に差し出して、片手の爪で手の甲を引っ掻いた。

 

「?」

 

 三人が見つめる中、血が滲んだ引っ掻き傷が仄かに発光する。

 

「!?」

 

 ふっと光が消えた時にはもう傷は跡形も無くなっていた。

 

「さすがに腕一本落とせとか言われても困るけど、こんな感じの体だから不死者の類っていうのは信じてもらえない?」

 

「不死者であるのは認めましょう。でも、それなら尚更に発言には信用がない事になるわよ」

 

「逆に聞くけど、敵対してもいいの?」

 

「あなた……」

 

 痛いところを突かれて少女が閉口した。

 

「魔族とかはよく戦ってて逆に恨まれるような存在だったから、そんなに深刻そうな顔しなくても」

 

「いいわ。そちらが何もしないというなら、こちらからも何もしない。ただ、この場所に来た目的は話してもらうわ」

 

 少年が横を向くと二人の話に驚きながらも意を汲んだセイリが頷く。

 

「こっちのセイリは此処に大皇の奇跡を封じた聖地があるって思って。僕は此処にディクトが作ってくれるって言ってた作品を取りに。まぁ、それらしい気配とか何もないから嘘吐かれてたような気がしてる最中かな」

 

「ッ、聖地の話を何処で!?」

 

 今まで背後で剣呑な表情のまま気を張り詰めていた女がセイリを睨み付ける。

 

「……言えません」

 

「姫様。此処はこの不祥クーバめがこの者達を締め上げ―――」

 

 ゴインとチョップが女の脇腹にクリーンヒットした。

 

「はぁ……どうしてそんなに無能なの? しかも、こっちの事までバラすとか……」

 

「姫って此処の?」

 

 少年の問いに少女は内心の駆け引きがご破算になったと感じた。

 

 あくまで管理者という立場だけを強調したのは相手に色々悟らせたくない事が多いからだ。

 

 見ず知らずの人間に国の姫が聖地に赴き何をしようとしていたのか。

 

 そんな事は調べれば、すぐに分かる。

 

「こちらの身分を明かすわ。私はシャルア・リクト・フェス。こっちは護衛騎士のクーバ。私はこの国の姫よ。十八番目のだけどね」

 

「そんなに話していいの?」

 

「あなたから邪悪さは感じない。自分の勘を信じる事にするわ。とにかく、私達は此処に大師父が残した奇跡を求めてきたの。理由はまぁ……国の再建とか、迫る危機とか、色々よ。で、その話は本来、王族くらいしか知らないはずなの……どうして、あなたの彼女が知ってるのか教えてくれないかしら?」

 

「か、彼女!?」

 

 思わずセイリが顔を紅くする。

 

「いや、彼女じゃなくて、すぐ其処で出会ったばかりの間柄だし」

 

「そうなの?」

 

 褪めた視線でシャルアがセイリに尋ねる。

 

「先程、崩狼に襲われたところを救われたばかりです」

 

「崩狼? ねぇ、クーバ」

 

「は、はい! 何でしょうか!! 姫様!!」

 

「私達が来た道以外にも此処に続く道があるらしいって言うのは分かってたけど、化け物が配置されてたの?」

 

「化け物かどうかは分かりませんが、付近の者は正規の道は通らない方が良いと言っていたので」

 

「……あんたって結構優秀だったのね」

 

「あ、ありがとうございます! 姫様!! クーバは感激のあまり胸が張り裂けそうです!!!」

 

 シャルアは場が混沌としてきた事を実感した。

 

 裏道から聖地を目指したのは良かったのか悪かったのか。

 

 何やら運命的というか恣意的なものを感じて、顔を顰める。

 

「とりあえず言っておくけど、此処に奇跡とか聖地は無いわよ」

 

「……そうか」

 

 セイリが気を落とした様子で俯いた。

 

「シャルアがそう思う理由を聞かせてもらえる?」

 

「国の姫に対して不遜極まる不死者に語るべきかしら?」

 

「ディクトが全部嘘でした~とか書き残してたりした?」

 

「ッ、何で分かるの?」

 

「やっぱり。嘘は嘘ってバラすのが彼の流儀だったから。もし、自分が死んだら、そうするんじゃないかなぁって」

 

「本当に大師父と友人だったのね。あなた」

 

「一応」

 

「ふぅ……じゃあ、どっちも私達と同じく大師父に踊らされた被害者って事ね」

 

「君達も?」

 

「巻物に書いてあったわ。聖地とか無いって……岩屋が崩壊してるところを見るに時限式の魔術でも刻んであったんでしょう。全部終わったら消えるように」

 

 シャルアがさっきまでいた場所が完全に崩れているのを見て、希望の欠片も此処にはない事を身を持って感じた。

 

 大師父と呼ばれた男を頼ったのが間違いだったのか。

 

 それとも奇跡を求めた自分達が愚かだったのか。

 

 どちらにしろ。

 

 彼女は何も成果もないという事実に心を諦観で満たした。

 

「姫様! 大丈夫です!! このクーバが必ずや集落まで連れ帰ります」

 

「帰り道が出来たのはいいけど、クーバ。あなた言ってたじゃない。これから一週間は豪雪だって」

 

「そ、それでもです!! 姫様は必ずお守りします!!」

 

 三人の女性陣が煮詰まった様子でいるのを少年はどうしたものかと悩む。

 

 一人の男の嘘に踊らされた四人。

 

 しかし、本人を知る少年からすれば、そのあまりにも恣意的な偶然は男の脚本(シナリオ)に思えた。

 

 無意味な嘘を吐くのが嫌いだった魔術や薬学、占術や錬金術にも精通した博士。

 

 人の運命を理由も無く、こうも弄ぶとは考えられない。

 

 だからこそ、少年は少女達との出会いを必然だと思った。

 

 そして、何の為に自分が此処に呼び出されたのか朧げながらも理解していた。

 

「まぁ、とにかく麓の集落までは帰ってから、色々悩めばいいんじゃない?」

「それが出来れば……出来るの?」

 

 シャルアが不死者と名乗った少年の実力に期待の視線を向ける。

 

「三人までなら。張られてた結界も消えたし、一緒にいけると思う」

 

「姫様!」

 

「いいわ。これは借りにして頂戴」

 

「別に恩を売る気は……」

 

「これはこちらの流儀。もし、麓の集落まで辿り着いたなら、しばらく国に滞在出来るよう計らうわ」

 

「セイリ。それでいい?」

 

「え、あ、はい……」

 

 勝手に進んでいく話に彼女が慌てて頷く。

 

「それじゃあ」

 

 少年が方陣を原っぱに書いて十数分後。

 

 その山岳の楽園から四人の姿は消えた。

 

 数奇な出会いは必然。

 

 死んだ男が残した運命の鎖は国の命運を変えていく。

 

 暗雲に山岳が没した夜。

 

 彼らは無事、集落へと辿り着いた。

 

 シャルアの取り計らいでティアとセイリに与えられた集落の部屋は一つ。

 

 闇に沈む小さな寝台を前に彼女は言葉を失って、赤い顔のままフラリと倒れた。

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