※この作品はR-18です。

聖娼館ハルトゥム   作:Anacletus

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第二章二十三節

第二章二十三節「降魔」

 

 チチチチと聞いた事もない鳥の鳴き声にセイリが起きたのは明け方の事。

 

 前日に色々在り過ぎたせいか。

 

 ぼんやりとした頭に思い浮かぶのはまず愛用しているレース地の下着だ。

 

 前日に用意した寝台横の箪笥から下着を取って、部屋の小さな浴室で湯に浸かって目を覚ます。

 

 軟禁されてからも日課にしていた行動は今も身に染み付いている。

 

「……?」

 

 うつらうつらしながら、久しぶりにまともな寝台で眠った彼女は寝台を下り掛けて、グニュリと生暖かいものを踏んだ。

 

 視線が下を見る。

 

「おはよう。あの、出来れば、足を退かしてくれたら嬉しいんだけど」

 

「……!」

 

 部屋に「ひぁあ!?」という声が上がる。

 

 グリッと軸足で踏み抜きつつ、彼女が寝台に背中から倒れ込んだ。

 

(そ、そうだ!!? 私は大辺境に来て、それで……それで……)

 

 ようやく目が覚めたセイリが自分の服が昨日のままであるのを確認する。

 

 そして、自分が何処にいるのかもすぐ思い出した。

 

「ティア!」

 

「今度こそおはよう。セイリ」

 

 今は外套姿ではなく。

 

 古臭い皮製の衣装に身を包んだ姿。

 

 ぬっと起き上がった少年にセイリは何かを言い掛けて、言葉にならなかった。

 

「落ち着いて。とりあえず、昨日の夜の事を思い出してくれれば」

 

「き、昨日? そう、確か私達は部屋を与えられて……」

 

「それで部屋に寝台が一つって状況を見た君がバッタリ倒れたから寝かせておいたわけなんだけど」

 

「倒れた?」

 

「そもそも大怪我してたのを薬で治してる最中に精神的な衝撃を受けたんだから、まぁ…妥当な防衛反応というか。身体はどう?」

 

「っ、そう言えば、昨日あれほど火傷をしたのに……」

 

 セイリが自分の身体のあちこちを点検して、痛みが何処からも発せられていない事を確認し驚いた。

 

「あそこの薬草は大概が秘薬に使うものばかりだから、効き目は十分なはずだよ」

 

「君に感謝しなければいけないようです。ありがとう。ティア……」

 

 少年が苦笑しつつ、首を横に振った。

 

「塗った薬はあの庵の主のを真似ただけだから。君を火傷させたのもあそこの番人。感謝されるような事じゃないよ」

 

「そうですか。でも、君はやはり誠実な方だと思います」

 

 起き上がり、寝台に腰掛けて、セイリがもう寝ぼけてはいない明晰な頭脳で状況を把握する。

 

 部屋と言ってもそこは辺境。

 

 壁はそう厚くない。

 

 くすんだ色の部屋を見れば、造りがそんなに良いわけでもないのは一目瞭然。

 

 木製の窓が開かれていなくとも外から差し込む日は薄い。

 

 雪国であるのに冷気が無いのは何らかの魔術によるもの。

 

 更に部屋に一つ切りの寝台にある毛布は全て自分一人が被っていた、となれば。

 

 一晩中介抱されていたのは明白だった。

 

「その、君が不死者のような存在と聞いて、少し疑っていた事を謝ります」

 

「そんな、別に。魔族並みに嫌われるなんて、よくある話だし」

 

 少年の笑みにセイリは己の中にあった疑心を羞じた。

 

 考えてもみれば、そもそも自分を助ける必要なんて少年にはない。

 

 それどころか一晩中介抱する理由なんて絶無だ。

 

 如何に人と違うとしても、人の義と礼を重んじるならば、同じものを持って接するのが誠実さだと彼女は内心を革める。

 

「それじゃ、朝食だってさっき人が来てたから行こう」

 

「はい」

 

 セイリが外套を少年に返し、自分のコートを羽織って一階へと降りた。

 

「おはよう。よく眠れたかしら?」

 

 何処か褪めた視線の少女。

 

 シャルアがテーブルの上の麺麭(パン)と燻腿(ハム)をもぐもぐと咀嚼していた。

 

「姫様。ささ、こちらの珈琲(コーヒー)も」

 

 護衛騎士クーバが二人の事は眼にも入らないようでニコニコと熱心に世話を焼いている。

 

「此処の人は?」

 

 暖炉には薪がパチパチと爆ぜていたが、それを二人が準備したとも思えず少年が問う。

 

 前日は確かに集落の男が一人いた。

 

「少し早めに仕事へ出てもらったの。あなた達と話したくて。さ、掛けて」

 

 二人がテーブルに付くと食事を熱く苦い液体で飲み下した少女が口元を布で拭って一息吐く。

 

「昨日はよく眠れたかしら? お二人とも」

 

「ええ、寝床を提供して頂いて感謝しています」

 

「そう、それは良かったわ。身体も大丈夫そうだし。クーバ」

 

「はい」

 

 背の高い護衛騎士がそっとシャルアに紙束を渡す。

 

「あなた達の事調べさせてもらったわ。と言っても主に貴方の事だけど。セイリ・ティウアズライト・エルメトロ・ニェハエルさん」

 

「ッ、一体何処でそれを……」

 

 セイリの視線が細められる。

 

 少なくとも未だ他の国には知れ渡るはずのない話。

 

 国からの脱出に際して放たれただろう密偵ですら極秘で彼女を探しているはずで、一国の姫とはいえ、辺境の人間に自分の本名が分かるはずないと彼女は警戒心を引き上げた。

 

「昔から戦は情報だったから。忘れてるようだけど、此処は元々傭兵派遣で成り立ってた国よ。如何に衰退してもそれなりの情報網は残ってるわ」

 

「それで、双來の姫が何の用ですか?」

 

 暗にお前らには関係ないと伝えるセイリにシャルアが視線を向けた。

 

「あっちの裕福な国で何を争おうがこちらの関知するところではないわ。でも、昨日言ったと思うけど、こっちにも色々とあるのよ。国の危機とか再建とか」

 

「国の危機?」

 

 セイリにシャルアが頷く。

 

「世の中、何をするにしても色々と物入りよ。世知辛いからこれ以上具体的には言わないけれど、危機を乗り越えるだけの蓄えなんて、この国にはもう無いわ」

 

「それで?」

 

「貴女を本国の方に売り飛ばせば、幾分かの足しになるかと思ってるの」

 

 シャルアの歯に衣着せない物言いにスッとセイリの目に冷たさが宿る。

 

「勿論、すぐさまどうこう出来るとは思ってないわ。貴女を押さえ込むのは相当に骨が折れると情報にはある。だから、もう一つの提案をしようかと思って」

 

「……」

 

「時間も惜しいから単刀直入に言うわ。貴女の力を化け物の討伐に貸して頂戴」

 

「化け物とは?」

 

「判断材料にって実物の資料は持ってきてるから。クーバ」

 

「はい。姫様」

 

 ガサゴソとテーブルの下を漁ったクーバが皮袋をドンとテーブルの上に置いた。

 

「これに入ってるわ。生憎と死体だけど」

 

「なッ!?」

 

 その無作法を通り越して喧嘩を売っているとしか思えないやり口にセイリが顔を強張らせた。

 

「時間が無いのよ。本来なら時間を掛けて説得してあげたいところだけどね」

 

 シャルアが腰から短剣を引き抜いて、皮袋の上を一閃した。

 

「これって……」

 

 少年が“覚えのある見えないソレ”に事態の大体を悟った。

 

「これは何も無い……いえ、あるのに、見えない?」

 

 皮袋は確かに膨れていた。

 

 しかし、その中身は何も無いように見える。

 

 シャルアが刃をざっくりと見えないソレに突き立てた。

 

 まるで奇術。

 

 奇妙な光景がセイリを釘付けにする。

 

 空中で刃が止まっていた。

 

「煮て焼いて溶かして色々やってみたけど、一番分かり易いのはやっぱり色付ける方法ね。クーバ」

 

「はい。姫様!!」

 

 クーバが更にテーブルの下から小さな壷を出して柄杓で黒い液体を掬い皮袋の上から掛ける。

 

「―――」

 

 セイリの前で何も無かったはずの空間に立体的に色が付き始めて。

 

 表面に付いた黒が見えないものの正体を露にしていく。

 

「小鬼(ゴブリン)の亜種とも見えますが」

 

「そう、これが今私達の国を脅かしてるものの正体。まだ藩落西部には詳しく伝わってないかもしれないけど、イグニシア・クルシス国境地帯や武帝を混乱させてたものの正体よ」

 

「イグニシアと武帝の混乱は聞いていましたが、これが原因だと?」

 

「そうよ。七教会はまだ危険生物で目視は不可能に近い、としか発表してないけど。これが藩落とイグニシアや武帝の玄関口である此処に押し寄せて来てる」

 

「つまり、貴女達はこれを……」

 

「貴女が倒して。出来ないなら、引き渡させてもらう」

 

 セイリが沈黙した。

 

「男達は今、殆ど出稼ぎで出払ってるの。いるのは国全体で四百の兵だけ。残ってるのは女子供老人で一万人弱。襲われた集落は放棄して、まだ残ってる武門の子弟達に護衛させて城下に集めてる最中。分かるかしら? つまり」

 

「崖っぷち?」

 

 少年の言葉にシャルアが視線を険しくした。

 

「……実際、もう此処を捨ててイグニシアに難民として逃げ出すって話になってるわ。わたしはそれでいいと思ってる」

 

「ならば、何故私のようなものに力を貸せと?」

 

「此処は最悪の場所よ。病気になれば、馬鹿高い薬のせいで死ぬしかない。人が消えて住める村はどんどん少なくなってる。厳しい冬を越せるような蓄えもなければ、唯一の取り得だった用兵の心得も役に立たない。他の藩落の国々だって、何もない場所だから援助もしない。女子供を連れて国を出る人間が後を絶たない。もう滅ぶべきだわ。でも、まだどうにかなるかもしれない……そんな希望にも満たないものが今此処に存在する」

 

「……」

 

 情念。

 

 そう呼ぶべきか。

 

 シャルアの視線は相変わらず褪めたまま。

 

 しかし、その声には呪いのような響きが篭っていた。

 

「ねぇ、貴女だったらどうする? 故郷を捨ててさっさと化け物に国を明け渡す? それとも馬鹿みたいにこんな何も無い国と心中する?」

 

「私なら」

 

 セイリが立ち上がって、化け物に刺さった刃を引き抜く。

 

「私なら民を避難させ、この国の掃除をします」

 

「掃除?」

 

「ええ、実際の被害を及ぼす化け物の排除。そして、この国の民が掛かった絶望という煤を払う掃除です」

 

「そんな事が本当に出来ると思う?」

 

「貴女はどうなのです? シャルア殿。私は自分でも自覚するくらいの箱入り娘ですが、将軍となる為、日々鍛錬を積んできました。実際の戦闘となれば、貴女よりは刃が上手く、貴女よりは戦術に聡い。一体、貴女はこの国の為に何が出来るのですか?」

 

 刃がシャルアに向けられた。

 

「無礼な!!!」

 

 クーバが腕を横に突き出して刃を遮る。

 

「姫様は! この国の為に命を掛けて真偽も定かでは無い聖地を求めた!! どんな困難にも耐えて下さった!!! 危険を顧みず化け物を捕えた!!! この国は姫様がいてこ―――」

 

 ゴインとチョップがクーバの脇腹に突き刺さる。

 

 脂汗を浮かべる護衛騎士を横に押しやり、刃の前にシャルアが立つ。

 

「恥しい演説しないの。とりあえず答えさせてもらうわ。わたしに出来る事なんて二つよ。役立たずな序列最下位【尻尾姫(テールエンド)】だもの。掛けられるのはいつだって命と身体の二つだけ」

 

 刃に怯まず相対するシャルアがセイリの瞳を見つめる。

 

「国を逃げ出した先達になるかもしれない貴女に聞くわ。本当にそんな事が出来るの?」

 

 刃が下ろされ、化け物に突き立てられた。

 

「傭兵の国には分からないかもしれませんが、将軍は常に人相手に戦っているわけではありません」

 

「将軍未満に言っても仕方ないけど、傭兵は相手が亜人だろうが化け物だろうが相手をしなきゃいけなったそうよ」

 

「「……」」

 

 シャルアの背後。

 

 密かに「頑張れ姫様!!」と手に汗握るクーバがグッと拳を握った。

 

「あの……」

 

「ティア?」

 

「何?」

 

 少年の声に二人の声が重なる。

 

「藩落内の条約無視で他国の兵を受け入れるって可能かなぁ、と」

 

「え?」

 

「どういう事?」

 

「逃げるにしろ、戦うにしろ、戦力が無いと話にならないし。もし双來が他国の兵を受け入れられるなら、一応戦力補充の当てが無いわけじゃないんだけど」

 

 少年の言葉に二人が顔を見合わせた。

 

 *

 

―――双來ラストーラ大山岳山間部【弧牢の城】より。

 

 国の至る場所で化け物による被害が出て後。

 

 集落を引き払った国民が最後に行き着く場所。

 

 それは険しい山間部にある城下しかなかった。

 

 元々人が少ない城下は今や至る場所に野営用のテントが張られ、次々に押し寄せる民を収容して食わせるだけで精一杯の有様となっていた。

 

 そんな様子を岩肌に張り付くように建築された城から見守る者達が数十人。

 

 双來を治める王族とその家臣達。

 

 城内の衛兵すら借り出して王族一人に付き護衛一人という有様で食料すら麺麭と芋のスープ一つという晩餐は彼らに己の国の有様をヒシヒシと伝えていた。

 

「やはり、もう限界です。王よ! 此処は捨てましょう!!」

 

「惜しいですが、民の事を思えば……」

 

「教会からの援助さえ受けられれば!!? あの頭の固い馬鹿貴族共め!!! 同盟を盾に取りやがって」

 

「仕方なかろうさ。藩落の一つ一つの領土は小さい…七教会の兵の駐留を許せば、なし崩しに呑まれると危惧するのは当然じゃ」

 

「誰のせいで国が衰退したのか忘れたわけではないでしょう」

 

「王よ。もう民の避難を最優先にする時ではありませんか?」

 

 双來の未来を担う子供達、と言っても王子も王女も上は三十数歳から下は数歳の幼子まで。

 

 一族全員の顔が未だ沈黙する男に向けられた。

 

 双來の王。

 

 物静かに努めて騒がず。

 

 黙々と食事をする肉付きの薄い七十代の男。

 

 その顔には王者の覇気も何も無い。

 

 しかし、誰も男を軽視するような者は一人としていなかった。

 

「みんな。いつも言っているが食事は静かにするものだよ。それとまだ僕は待つつもりだ」

 

「待つ?」

 

「誰を待つって? え?」

 

「王よ。まさか、まだシャルアの事を気に掛けているのですか?」

 

「シャルア! あの馬鹿娘が言っていた大師父の聖地の話ですか! あれは!!」

 

「あれの信憑性は極めて低いじゃろうな」

 

 一族の中で王より歳を取った老人がボソリと呟く。

 

「そうだねぇ。僕も酒の席で聞いただけで嘘っぽいと思ったから」

 

 王が老人に頷く。

 

 長いテーブルに付く殆どの者が“大師父”とやらを本当には知らない。

 

「彼が生きていてさえくれれば、まだ何とか成ったかな」

 

 王の愚痴に老人が苦笑した。

 

「少なくとも逃げ出すという選択肢は無かったはずじゃ」

 

「シャルアが何か見つけてくれれば、と。身勝手に期待している僕は王失格なのかもしれない」

 

 食器を置いて王が席を立とうとした時だった。

 

 薄暗い大広間の扉が開け放たれる。

 

「シャルア? よく戻ってきたね。生憎と麺麭とスープしかないが運ばせよう」

 

 王にあるまじき威厳の無さで相好を崩した男にいつもの褪めた視線を向けて、シャルアが王の左隣で食事をしていた老人の方へと歩き出す。

 

「おい! シャルア!! お父様に挨拶くらいしないか!?」

 

「シャルア姉様。お帰りなさいませ」

 

「おい。それで何か収穫はあったのか?」

 

「人の話聞けよ!? 相変わらず愛想の欠片も無いッ!」

 

 兄弟姉妹達の声を全てスルーして。

 

 老人の耳元に少女が囁く。

 

「それは真か?」

 

「はい。それと一名この国に取り立てて欲しい人材がいて」

 

「取り立てるじゃと?」

 

「それと軍の人事権と外交官としての地位。どちらの権限も即刻下さい」

 

「おい!? 一体何の話をしてる!?」

 

「王よ! シャルアに何か言ってやってください!!」

 

 まったく相手にされていない兄弟達の幾人かの声。

 

 さすがに王も無視出来なかった。

 

「シャルア。さすがにみんなが困っているよ。君の話は僕にも要領を得ない。お爺様が未だ実権を握っているのは確かだが、僕にも話してくれないかな?」

 

 ようやくシャルアが前代国王。

 

 自分の祖父から視線を剥がし、自分の父を見る。

 

「この国を救う算段が立ちました。でも、その為には正式な外交の実権と軍の人事権が必要不可欠。だから、お爺様に下さいと申し上げた。それだけです。父様」

 

「凄いじゃないか! それが本当ならだけどね。それで具体的にはどういう方策なのか聞かせてもらえないかな?」

 

「お教え出来るのはお爺様にだけです」

 

「それは何故だい?」

 

「非難される策であり、同時に足を引っ張られている時間が惜しいからです」

 

「ふむ。なら、僕だけに教えてくれ。全部ではなく話の中核だけでいい。僕にもお爺様にもどうせもう策はない。もし、良いなと感じれば許可を出そう。どうだい?」

 

「……分かりました」

 

 シャルアがしばし黙考して王の横まで歩いていくとそっと耳打ちした。

 

「本当かい?」

 

「はい。それに詐欺にあったとて、この国の民に残ったのはもう命一つ。誇りだの歴史だのに構っている暇があるなら、お父様の目は節穴です」

 

 兄弟達が気色ばんだ。

 

「おい!? シャルア!!? 何て口の利き方を!!?」

 

「今のはさすがに看過出来ぬ!!? お父様は我ら全員の」

 

「静かにしてくれないか」

 

『―――ッッッ』

 

 王と呼ばれる男の静かな声に食堂にいる全ての呼気すら静まったかに思えた。

 

 覇気も何も無い。

 

 しかし、声に篭るもの冷たさがシャルアの胸に突き刺さる。

 

「シャルア。本当に残念ながら、君以上の才能は此処に無い。君が僕の事を嫌いなのも、君がこの国を憎んでいるのも、僕にはどうしようもない。君の才能が、君の努力が、君の言葉が、いつか全てを壊すのではないかと僕はずっと思っていたよ……でも、君はこの国を救う為に動いてくれた。君の話はたぶんこの国にいる誰にされるよりも信じられるし、誰よりも真実に近いだろう。まったくもって不甲斐ないが、僕達には手詰まりなこの状況で、そんな情報を持ってきてくれた君が言うなら、僕はそれを信じてみようと思う。それは少なくともこの場にいる誰の言葉よりも信頼に値するからだ。でも」

 

 帯剣が引き抜かれる。

 

 息を呑む一族の前で王と呼ばれる者がそっと剣を娘の肩に置く。

 

「それが嘘だったら、死ぬ覚悟はあるね?」

 

「無かったら来ないわよ。この馬鹿親」

 

 王に対する言葉遣いではない。

 

 それどころか今正に切り殺されても文句は言えない。

 

 だが、娘の本音を聞いて父は心底に微笑む。

 

「分かった。全権を君に託そう」

 

 剣が瞬きの内に鞘へと収められた。

 

「一つ言っておくわ。私はこの国なんか滅べばいいと思ってる。思ってるけど、此処はわたしの故郷よ」

 

 言う事はそれだけか。

 

 前王である老人が何やらサラサラとテーブルの上で書状を書いていた。

 

「持っていけ。それと終わったら話にくるんじゃぞ」

 

 歩き出したシャルアが横を通り抜け様に書状を受け取って扉から一言も無く去っていく。

 

「王よ! いいのですか!?」

 

「だ、大丈夫なのですか!? さすがにシャルアに全て任せるのは……」

 

 ざわざわと再び賑わう部屋の中で父親の言葉がそっと響いた。

 

「僕にも実は分からないんだ。何せ嫌われてるから。あはは……」

 

 緩い調子で笑う男に老人はやれやれと肩を竦めて。

 

 国の行く末をまだ幼い子に任せる無念を内心で噛み締めていた。

 

 一人の父親と同じく。

 

 そうして外交と軍事。

 

 二つの全権を手中に修めた少女は最低限の準備を終えた事に安堵し、ようやく本格的に動き出した。

 

 *

 

 城下。

 

 城を見上げる集落の最中。

 

 イグニシアと武帝から続く道が交わる街道沿いに建つ宿の一つ。

 

 その宿としてはグレードアップした一室で少女と少年がテーブルの上に地図を広げていた。

 

「厳しい地形ばかりですか。人間が進むには聊か辛い。機動歩兵は魔術単位での移動手段が欠かせませんね。東側の森林は断崖ばかりで隠れ易い場所が多い。地勢を把握した猟兵がいなければ、焼くしかない。西は水源が多い場所ですが、樹木の密集度合いが低い分、索敵は容易でしょう。やはり、問題は兵の数と装備の数が圧倒的に足りない事です」

 

 地図の横で黄ばんだ紙にサラサラとインク壷からペンを取っては状況やら戦術やら書き出していくセイリを感心した様子で少年が見つめる。

 

「その歳で地勢を読んだり、用兵の基礎が出来てたり、セイリって実は凄い?」

 

「君がしてくれたお膳立てこそ、私は凄いと感じます。この地図一つにしても現在のありのままの地形を記す魔術具なんて、容易に準備出来る代物ではありません」

 

「昔、あの庵の主に貰ったものだから、彼も喜んでるんじゃないかな」

 

 少年の言葉にセイリが顔を上げる。

 

「イグニシアとの交渉の場を整える事が出来る人間は少なくとも藩落内に数人もいないはずです。あちらの方は高位の貴族の方と見受けましたが、知り合いであるというだけで小国の人間には大きな財産と言っても過言ではありません」

 

「あはは……凄い不機嫌そうにされたけど…・・」

 

「確かに『余をほったらかした男か』と言っていましたが、君はあの方の愛人か何かですか?」

 

「まぁ、当たらずとも遠からずという事で……」

 

「やはり不死者ともなると横の繋がりも大きいものがあるのですね」

 

 感心した様子のセイリに少年は言えなかった。

 

 相手が魔王と子作り所望なイグニシア・クルシス皇帝その人だとは。

 

『余は友人との遊戯に忙しい故、後で掛け直せ。ふん……』

 

 拗ねた様子。

 

 魔術で連絡を取ったエトは通信には見向きもせず。

 

 少年に背を向けていた。

 

 その先からは「魔王、我の3倍上がりだ」とか「にばい。しょうふできしにたいしてあがったのでよんばいあがりです」とか「負けた。ナーリャまた」とか「く、娼婦に騎士が負けるなど」とか「あ、神で五倍上がりね。あたしこの御菓子好きなのよね」とか姦しい少女達の悲喜交々な声が上がっていて和気藹々。

 

 たぶん、金貨の代わりに献上品でも賭けていたのだろう。

 

 自分がいなくても結構な関係を築いている様子に何となく微笑ましくなったものの、国家の命運を前にしては不謹慎だろうと少年が顔を平静に保った。

 

 それが数刻前の話。

 

 事情を話した少年にイグニシア公式の暗号通信用の情報を教えて、すぐエトは通信を切った。

 

 波動錬金学だの魔導関数学だの【魔導技術(ハイ・クラフト)】において解釈される幾つかの高度な学問を修めた者ならば、教えられた情報で通信を送るのは躊躇っただろう。

 

 それはイグニシアの高官や大貴族、あるいは軍事関係者の高官辺りが使用するものだからだ。

 

 そもそも通信を送っても相手側が受け取る用意をしていなければ繋がらない。

 

 更に悪戯に掛けようものならば、特定の後に重罪に課せられる事もある。

 

 通信を送っている相手を呪う部署というのも実際イグニシアにある以上洒落では済まない。

 

 使用された魔力形質を探知、更に相手の生身の魔力が使われているならば、その情報を保存、いつでも何処でも大陸の端にいても探知する事が実際に可能だ。

 

 そんな危険を冒してまで悪戯する馬鹿はいない。

 

 例え、悪戯でなくとも教えられた情報一式は秘匿された皇帝専用回線のもの。

 

 悪意無く間違いで掛けただけで一生国家の監視に晒される。

 

 さすがにそこまでは分からなかっただろうが、少年に告げられた情報を聞いたシャルアは全てが本当の事だと、通信を繋げられる相手がイグニシアの大貴族だと理解し、少年の申し出を受けた。

 

『もし、君が今から繋げる先の相手を説得出来たら、戦力の一万人くらい貸してくれるかもしれないよ』

 

 戯言のような奇跡だろうと起きる可能性があるならば、そう出来る身分でなくてはと城へと赴いていった。

 

『追加される兵の数も武器の数も分かりませんが、事前に出来る事はしておきましょう』

 

 シャルアの横顔を見たからか。

 

 セイリが成り行きで引き受けた仕事にやる気を出す姿は少年には眩しく映った。

 

 だから、忘れ去っていた地図なんて引っ張り出したのだ。

 

 嘗て双來にいた男の贈り物を。

 

「此処は……」

 

 再び地図を検分し、出来うる限りの方策を立てていくセイリの姿を少年は飽きもせず眺め続けた。

 

 昔に出会った男もまた何かを書く姿が様になる人間だったと懐かしく思い出しながら。

 

 やがて世界から傭兵が必要なくなる時が来ると愚痴りながら、兵器だの防具だの魔術だのを作って、人々をいつも見守っていた男は数十年経って消え、しかし、今またテーブルの上で必死に線を文字を書く者がいる。

 

 その不思議が少年を愉快にさせた。

 

「恰好いいよ。セイリ」

 

「言っている意味が分からないのですが?」

 

 少女はこの世をいつか滅ぼすと囁かれる男の賞賛に気付かず。

 

 只管に戦略を組み立て続ける。

 

 *

 

―――其処は魔族が蔓延る世界の果ての果て。

 

 星を貫く黒影の塔の頂上。

 

 空気はない。

 

 星も見えない。

 

 月も無い。

 

 太陽すらも存在しない。

 

 しかし、一つだけ。

 

 位相と次元を挟む世界だけが見下ろせた。

 

 限られた空間はあちら側からの流入に膨張しているが、それでもまだ彼(か)の大陸がある世界には及ばない。

 

 無限の空間も星の間を埋める物質も無いのだから。

 

 其処にあるのは星と悪徳と魔族とそれ以外。

 

 だが、大概にして弱肉強食の因果か。

 

 魔族以外はそう見ない。

 

 大地はあれど大半が暗黒に覆われ、中では狂っていると人間が評する宴だけが開かれている。

 

 それもまたあちらの世界、人の文化のおかげだが、古来より希望というものは皆無に等しい。

 

 愛を交わそう。

 

 恋も交わそう。

 

 義理を持とう。

 

 人情も少々。

 

 だが、全ては悪意に染まっている。

 

 蹂躙せよ。

 

 服従せよ。

 

 傀儡となれ。

 

 屈服させよ。

 

 呑め。

 

 謳え。

 

 奏でて。

 

 弾けよ。

 

 それでも、やはり全ては悪意に染まっている。

 

 カチコチカチコチ。

 

 カチコチカチコチ。

 

 振り子が揺れる。

 

 頂点の上で音を立てる。

 

 やぁや我こそはと頂点へ至る愚かな魔族なんて存在しない。

 

 此処にあるのが何かを知るからこそ、いない。

 

「あ~ら。やっぱり倒してくれちゃって♪ いいわぁ~~~凄くいい。ふふ……」

 

 カチコチカチコチ。

 

 カチコチカチコチ。

 

 振り子が揺れる。

 

「さて、下拵えは完了と。それじゃぁ、これからがメインデッシュね♪」

 

 虚無。

 

 全てが無い。

 

 そんな頂点の上で振り子の下へカラコロと何かが落ちていく。

 

 それは【黒い車輪】の群れ。

 

「スパイス振ったら、今度は叩いて仕上げるのがコツだものね~~♪」

 

 カチコチカチコチ。カチコチカチコチ。

 

 振り子が揺れる。

 

「貴方の物語に素晴らしき香りがまた一つ。んふ…んふふふふふ♪」

 

 車輪が砕けて黒い粉となった。

 

「よく昔は工作ってしたもんだけど、腕が落ちてないかしら?」

 

 その粉を捏ねて揉んで伸ばして捻って。

 

 まるで粘土細工。

 

 しかし、教会の唯一神の創世神話にはこうもある。

 

 土から人は形作られたと。

 

 真似事をするのが魔族ならば、例え性質が違っても人にすら匹敵する何かにソレはなるかもしれない。

 

「でーきたわよ~~ん~~」

 

 目が細められ、端から端まで。

 

「久しぶりに扉としてみましょうか」

 

 黒い扉が一つ。

 

 頂点にポツンと置かれた。

 

「んふ♪ んふふ♪ うふふふふふふふふふ♪ 次はお前の出番よ。さぁ、あの売女達の下へ」

 

 巨大な筋肉が黒い扉を摘んで、ポイッと塔の上から捨てた。

 

 下を覗いた瞳と耳が途中で「ぎゃー」だの「いやぁあああああ」だの「ぢぐじょおおおおおおおおおお」だのと塔の住人達の阿鼻叫喚を拾う。

 

「上出来だわ♪ あぁ、あの子、どんな顔になるのかしら。今からとても、た・の・し・み♪」

 

 落ちて行く扉が位相を空間を捻り、切った。

 

 するり。

 

 まるで手品のように失せる。

 

 カチコチカチコチ。カチコチカチコチ。

 

 振り子が揺れる。

 

「あら、そろそろ【天の軍勢】(ツェバオート)の連中が来る頃ね。行かないと」

 

 独り言が響いてバサリと音がした。

 

 翼も無いのにふわりと巨躯が浮かび上がる。

 

「人を守る七つの奇跡。あの扉を前にして足りるかしら」

 

 また塔の住人達の間で阿鼻叫喚の声が響いた。

 

「彼が気付くより先に貴女達は世界を救えるかしら」

 

 空間が揺らぎ、理が歪む。

 

「愚かなる女達……気付かない女達……」

 

 まるで大きな星が移動でもしているかの如く。

 

「呪われた女達……馬鹿な女達……あの子の希望……」

 

 暗き星が羽ばたきの音に揺れた。

 

「大罪はあの子の涙でこそ支払われるといつか知るがいいわ」

 

 神すら嘲る何者か。

 

 その名を呼ばれるべきではない者の声が世界を震わせる。

 

 気紛れな筋肉の化身は白い七教会の制服姿で戦場へと向った。

 

「あーはん♪」

 

 とても、楽しそうに。

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