第二章二十四節「××」
―――七教会独立外部機構【叙事詩機関(エピコス)】より。
「日誌の写本が消却されました」
そう書斎で報告を受けたのはまだ歳若い黒髪の少年だった。
飴色のデスクに幾つもの書棚。
紅い絨毯は人の足音を立てない。
窓という窓はなく。
唯一の光源は天蓋に付いた蝋燭が五本のみ。
薄暗いが別にそれで困るような職員は一人もいない為、今大陸中央で流行りの電灯とやらは付けられていない。
「はぁ!?」
横にある菓子の箱から直接小麦菓子を貪りながら本を読んでいた少年はいつもならば報告で止めない手を止めて、報告者である黒い制服姿の男に視線を向けた。
「十二分前。写本内容が外部干渉によって喪失。書庫番より未開封書庫にある【消失情報媒体(ミッシング・ノート)】で保存を試みたという連絡を受けましたが失敗したそうです。本体を高位の炎神による呪法で灰燼にされた模様。情報の再構成(サルベージ)は不可能と判断されました」
「本体の所在はこの間消えてから追ってる最中だったような……」
「大聖廊の禁忌書庫より消失して以降、調査中です」
「この事は?」
「書庫番と私しか知りません」
「後で記憶洗浄するように」
「はい。畏まりました。それで如何しますか?」
「ウチは伝統的に旧教会派。七聖女に一々報告する義理はない。でも、誰が消したかは調べないとならない。あの日誌は“来るべき日”に開示される予定になってた旧教会派の切り札の一つだ。もう殆ど瓦解してるとはいえ、人のものを勝手に燃やした奴には相応の罰が必要だね」
「当該情報に接触可能な位の担当官は二十四名選出済みです」
「とりあえず、七教会からの出向者は除外」
「残り十二名」
「蒐集能力が高過ぎる連中も除外。一々何か企まれても困る」
「残り八名」
「男も除外して。野心とか余計な感情を仕事に持ち込まれたくない」
「残り一名」
「誰?」
「彼女です」
「彼女?」
「はい。先日筆記試験と実技試験を突破したとお伝えしましたが?」
「……彼女か」
少年が溜息を吐いた。
「はい。当該担当官の基礎情報(プロフィール)を表示しますか?」
「頭に入ってるからいい」
少年がコツコツと額を指で叩く。
「眉目秀麗才色兼備文武両道。正にあの聖女の娘って感じだけど、実働実績は?」
「七回。何れも任務に支障はありませんでした」
「【根幹経典(セファー・ラジエール)】との同調結果に関しては?」
「実戦時の蓄積から推測するに第七写本より第六写本及び失われた第零写本まで閲覧可能であると推測されます」
「能力は無くても、やっぱり聖女の娘ってやつか。とりあえず範囲が広過ぎる。具体的にはどの項?」
「かなりの憶測を含みますがよろしいでしょうか?」
「構わない」
「第七写本より【自己因果律(ネシス・フェトゥム)】…第六写本より【基幹異種(バルバロス)】…第零写本より【魔王(デウス・ムンディ)】であるかと」
「仕事中毒だったり行方不明だったりの両親に教えてやりたいね。お宅のお子さんは聖女も真っ青の人生が歩めますよって」
少年が嗤みを浮かべてクッキーを不機嫌そうに口へ放り込む。
「とりあえず干渉があった当該地域まで向わせて」
「七聖女が幾人か近くにいますが、よろしいですか?」
「構わない。家族水入らずでも何でもさせておけばいい」
「当該地域において大規模な混乱が発生しています。七教会の魔王追討師団が任務に従事中ですが、そちらに根回しするべきでしょうか?」
「母親が誰か知ってる連中が勝手に手助けするだろ。装備は……【シギル全集】と【カダス写本】にしておいて」
「大聖廊の禁忌書庫に二冊とも保存されていると聞いていますが?」
「あそこにある本の一割くらいは写本さ。七教会の連中が旧教会派を駆逐する前に管轄部署の何人かを抱き込んで危険な物は全てこっちに移した」
「明確な規約違反では?」
「守るべき法なんてこの千年で十五回は変わった。一々人間の尺度でやってられないね」
「……何処に保管しているのか聞いても?」
「二つとも第四番と第三番の焚書登録済みの無名書架に置いてある。さっさと見つけて渡してやれ」
「了解しました」
「ちなみにこの任務は無期限とする。総主教の日誌の行方と誰が燃やしたか。これが分かるまで帰投及び連絡は一切許されない。後、貸し出した装備の使用で如何なる不利益を被ってもこちらは関知しない。燃やした奴が分かったら抹消するなり、記憶奪うなり、封印するなり、とにかく痛い目に合せてやれって言っといて」
頭を下げて男が部屋から出て行く。
菓子をボリボリと食い散らかしながら、少年が自らの書棚に納まる本の一部を見つめる。
スゥッと一冊の銘も無い分厚く装丁の良い本が虚空を滑って彼の前で止まった。
勝手に開いた本の中には七教会の制服を着込んだマッチョが黒い塔の上から下を眺める様子が描かれている。
「あの脳筋。また勝手な事を……」
溜息しか出ない少年が本を閉じようとした瞬間。
一瞬だけ本の中のマッチョがウィンクした。
げんなりした様子で少年が本をバチンと閉じて、思い切り書棚へと投げる。
乱暴に書棚へと納まった本はまるで最初から何事も無かったかのように同じ位置に落ち着いた。
「人の仕事を増やすのだけは上手いよ。あのデクノボウめ……まさか、今回の件も?」
部屋に再び菓子を貪る音が響き始めたのはしばし沈黙が続いた後の事だった。
*
紫煙が燻(くゆ)る虚空の映像。
正しく魔術具同士の接続が為されたのを確認して。
シャルア・リクト・フェスは通信の先にいる少女の一目で不機嫌と分かる顔に少年の助言を思い出していた。
1相手に嘘を吐かない事。
2機嫌を損ねてもいいが、相手を尊ぶ事。
3共有出来る利益を提示する事。
4あまり畏まった対応をしない事。
双來の会議室の一室。
石造りの無骨な壁と一枚の国旗、山岳から上る三日月を背景にシャルアから火蓋を切った。
「はじめまして。我々の命運を左右する方」
凡そ、人の命をやり取りする場。
兵の融通なんて話をするなら、其処は戦場とそう変わりない。
身体を動かすか。
頭脳を働かせるか。
それだけの違いだ。
「わたしはシャルア・リクト・フェス。ティア殿より紹介されて、今この通信を送っています」
「然り。そうでなければ、小国の者が余と会話する事など在り得ぬ」
「わたしは現在、双來の外交における全権を任されています。つまり、わたしを双來の意思として見なして頂ければ幸いです」
「そうしよう。それとこちらへの詮索は無用である。一々、話がややこしくなるのは好かぬ」
紫煙が一種の魔術防壁である事をシャルアは知らない。
それどころか。
相手に対する心理誘導能力、つまりは交渉を有利に進める為の視覚情報を使った魔術の一種である事も。
「詳しい話はもうあやつから聞いた。それで一体、余に何を所望する?」
「貴方の事をティア殿は兵を一万人は貸せるお方であると言いました。現在、双來は危機的状況にあり、戦力をお貸し願いたいと連絡を差し上げました」
「世の中は利害の一致で回るもの。さて、双來は余の為に何をしてくれる?」
シャルアが内心を顔に出さず。
己の切れる札(カード)の少なさを嘆きつつ、慎重に言葉を紡ぐ。
「正直に申し上げます。我ら双來の地にあるのは人と険しい自然のみです」
シャルアの声に目が細められた。
「何か名産があるわけでもなく。何か名所があるわけでもなく。日々の糧に困り、厳しい大地の息吹に凍え、民は土地を捨てる一方。嘗て誇った武門の殆どは衰滅し、傭兵栄えし頃の蓄えは既に食い潰しました」
「さようであろうな。大陸が百年前の状態ならば双來は永遠に国家として在り続けただろうが、七教会が大陸秩序の改定を行いつつある現在、それは不可能。旧き時代から外部の血を積み上げた傭兵達の巣窟も今は幻。それが時代というものじゃ」
的確な指摘。
そもそもいつ亡国となってもおかしくない国家。
出稼ぎに出たまま帰らぬ男も出る程に双來という国は屋台骨が崩壊している。
それを助けるに値するのかと映像の先の少女が問うているのだとシャルアは正確に理解した。
「ですが」
「?」
「此処に未だ人はいます。民は残っています。やがて、消えゆく国であろうとも我ら双來の者には……此処がたった一つの故郷なのです」
「それで情に訴えて兵を貸せと囀(さえず)るか?」
「いえ、こちらにも誇りがあります。嘗て、双來の傭兵は契約の重さで知られました。例え、相手方に同じ国の者がいようと決して容赦はしなかった」
「知っているとも。双來の傭兵は大陸を駆けた猛者。大陸の歴史上、国家が出来て以降、双來の兵が参加せぬ戦は無かったとすら言われたのだから」
「はい。我々は金と契約によって動く走狗。そのように生きてきた老犬です」
「自らを狗と言うか。ならば、余の狗になってくれるとでも言うのか?」
シャルアが映像の先にいる少女を正面から見据えた。
「はい」
「何?」
シャルアが静かに底冷えする程に視線を凍て付かせて、宣言する。
「もし、こちらの要求通りに戦力をお貸し頂けるなら、双來の傭兵はどのような状況下だろうと貴方の為に働く狗として仕えましょう」
「足りぬ。いつ裏切るかも分からぬ傭兵を寄越されて喜ぶ馬鹿はおるまい」
「双來が正式に傭兵と認める者は既に千人を割りました。今後、戦が無ければ部門の者もやがては国から離れていく事でしょう。ですが、もしも、これから戦が起こるならば状況は一変するはずです」
「戦が起こる?」
シャルアがそっと地図を映像に向けて突き出した。
「―――正気か? 余は戦をするつもりはない」
「誰も貴方に戦を勧めているわけではありません。あくまで双來がこの危機を乗り切って以降、このような事になると言っています」
映像の先で少女が何かを思案した。
「……続けよ」
「この地が他の藩落の他の国々から併合されるのはもう時間の問題でしょう。大陸中で起こっている【近代化(レボリュション)】から遅れている藩落は七教会の影響力の流入を恐れている。潰れかけた双來を放っておけば、七教会を呼び込みかねないと数年以内にも隣国の幾つかが統治に名乗りをあげるでしょう。無論、双來はこれを拒否しますが、すぐに平定されるのは目に見えています。ですが、今ならばまだギリギリで双來は戦になれば国を守り切る国力がある。ですから、わたしはこの流れを一気に速めるつもりです」
「それで余に何の利益がある」
「利益はあります」
シャルアが地図にインクで大雑把に囲いを作って提示した。
「此処がもし戦で落ちれば、将来必ずイグニシアは後悔する事となる。ですが、時期が早まった戦で此処が落ちなければイグニシアにとって大きな利益となる」
「理由を述べよ」
「現在、七教会は乂羅の改革に着手。更に武帝難民の間でも信仰を強めています。現状、七教会の影響力で小康状態にあるのは此処らではイグニシア・クルシスと藩落のみ。それも藩落が内戦に突入すれば七教会の影響力は藩落中に浸透するでしょう。七教会は“弱い人々”の味方ですから、戦に傷付いた者を救いにくるはずです」
「ならば、双來にとっての利益ではないか? それに藩落が苦戦しなければ七教会の影響は少ないであろう」
「内戦で双來が消えれば、将来的にどうなるか聡明な貴方ならば、もう気付いているはずです」
「……」
「七教会は富みと繁栄を齎す。それは真実ではあるでしょう。ですが、同時に新しい常識を植え付けられる。敗北後の双來を全力で七教会は立て直してくれるでしょう。何年も掛けて彼らの言うところの“善良な人々”の国がイグニシアの国境へ現われる事になる」
「ふ、確かに言う通りであろうな」
「同時に藩落は戦に勝利したとしても戦い損です。此処には資源も人もない。双來の人間全てを奴隷にしたとてイグニシアの奴隷条約がある。これでは民からの反発は必死。そこに七教会が漬け込まないわけがない。彼らは“根っからの善人”として戦で不満を抱えた人々を癒し励まし勇気付けるでしょう。そうなれば、藩落もまた七教会との関係を見直さざるを得なくなる。そして―――」
「イグニシアは教会影響力下の国家で完全に取り囲まれる事となる、か?」
「仰る通りです」
感心した様子になった少女へ更にシャルアが畳み掛ける。
「この緊急事態から此処が結果的に守られれば、天然の城砦たる山岳と共に我ら双來、イグニシアがこれより計画する“全て”の足掛かりとなりましょう。傭兵は戦だけが上手いわけではありません。国の事は国の者にしか分からない事もある。将来的に七教会より先んじて情報を得る機会が多くなれば、イグニシアが進める“静かなる侵略”は大きく捗る事でしょう」
ぱち、ぱち、ぱち。
拍手が響く。
「そこまで見透かしておるか。余の平和主義を侵略呼ばわりとは何と悪い外交官か……くくく……」
「お褒めに預かり光栄です。“陛下”」
シャルアはようやく確信を込めて相手を呼んだ。
「さて、それで余は戦をせずに済むと?」
「戦をするのはあくまで双來。そして、この地を貴方の狗の庭として使って頂きたいとわたしは申し上げています」
「庭か」
「はい。好きなだけお貸し致します。気の済むまでお使い下さい」
「確かに魅力的な提案であるな。だが、庭に入るのに税を取られては、な?」
「関税は無しで結構です。そもそも藩落内への上納に消えるものを恩人に求めるわけにはまいりませんので」
「国家と共に傀儡の道を選ぶか。シャルア・リクト・フェス・セト・ニェハエル」
「―――!?」
「図星か?」
「ぁ……」
シャルアが思わず「しまった!?」という顔をした。
「隠さずともよい。これでお相子じゃ」
エトがニヤリとする。
「余とて相手を知らず交渉する程、馬鹿ではない。お前が余を本当に皇帝かどうか見極めようとしていたようにな」
「最初は……大貴族の中でも皇帝家に近い家の方かと思っていました」
「あるいはそれを騙る偽者か、か?」
「……はい。申し訳ありません」
「よいよい。そうか、余は贋物には見えぬか」
「お噂だけは聞いていました。ですが、人々が呟く人物そのもののようにしか見えない相手ではさすがに……」
「正直であるな」
「すみません」
「謝る必要などない。褒めておる」
「ありがとうございます」
「それにしても【血統信仰(スティンマ)】の檻より逃げ出した【奇跡の一滴】が双來に隠れていようとは……中々にして愉快な事実じゃ」
「よくお分かりになられましたね」
痛いところを突かれた事には変わりない。
シャルアが静かに肩を落とす。
「藩落は余の血統の根幹。情報は随時集めさせているとも。前々から【アーズトリテ】より逃げ出した最も余に近い血統は探していた。お前はその候補として情報が上がっていたというだけの話だ。カマを掛けて違っていたら、余は危うく恥しい醜態を晒すところであったな。お母上は?」
「死にました。病気で……五年前になります」
「そうか。お悔やみ申し上げる」
「……母もその言葉を光栄に思うでしょう」
シャルアが視線を伏せる。
「話を戻すが、藩落が宣戦布告を早める理由はその血筋という事で間違いないか?」
「全てお見通しの通りです。現在、更にもう一名、理由に成り得る者が双來にはいます。藩落は血統が全て。故に血統さえあれば、国家の礎足り得る。この双來に大皇に最も近い血筋の王家が出来る。藩落の血統信仰被れには例えどれだけの血を流しても奪い取るか消し去りたい事実でしょう」
エトがただ同感としか言えずに頷く。
藩落の人間に透けて見える選民思想。
血統という名の呪縛を断ち切れない者達の業は誰より身に染みていた。
「では、そちらの提示する条件を確認する」
「兵を一万お貸し頂きたい」
「同時に余に差し出す代価は?」
「今後、陛下の直系たる子孫途絶えるまで双來の傭兵は末代までお仕え致します。藩落からの脱退と同時に同盟を締結。こちらからの関税は全て破棄。イグニシア兵の駐留及びあらゆる軍事行動の承認。そして、イグニシアとの取り決め次第ですが、王家との血縁関係の構築も応えられる限りはお受け致します」
それはつまり自分の結婚相手、あるいは兄弟姉妹の結婚相手すらエトの裁量を反映するという話。
藩落の王家の間ならば、最も譲歩した形での約定に違いなかった。
「よい。全てよい」
「では?」
「此処で形式だけではあるが、口約束を先に交わさせて頂こう」
こほんと咳払いがされると今まで漂っていた紫煙が晴れた。
「ハイラン」
「御意に」
大陸中央式の礼服(タキシード)。
げっそりと頬が削げた病的な枯木。
そんな男がエトの脇に立った。
そして、大きな声が上がる。
『喝采せよ!!! 喝采せよ!!!』
『彼の者、四十八の偉業と七百五十四の軍団持つ輝ける翼也!!!!』
『七千八百の公領と一万二千の諸侯束ねるイグニシアの操にして明けの明星也!!!!』
『誰も彼もが畏れよ!!!! 果ては日の出(いずる)べき国から!!!! 西は日の落つるべき国まで!!!!!』
『この方は畏れ多くも水分(みくまり)の女神に連なる最後の使徒である!!!!』
『平伏し、崇め、讃えよ!!!! エト・エイラル・エイム・イグニシア・クルシス!!!! 帝国万歳!!!! 万歳!!!! 万歳!!!!』
「余が第三十七代皇帝エト・エイラル・エイム・イグニシア・クルシスである。双來の若き姫よ。余の御名において貴国に兵一万人、いや……一万人分に匹敵する戦力を貸し出そう」
「あ、ありがとうございます」
シャルアが頭を下げて、拳をグッと握り締める。
国の命運を掴んだ。
その手応えが僅かに身体を震わせた。
「夕刻までには転移でイグニシアの外交官がそちらへと向う。約定の内容は先にそちらで作成しておいて構わん。締結後、速やかに契約は履行される。ただ戦力の移動は今日中には間に合わぬ。明日の明け方までには到着するだろう。それまではティアに頼るといい」
「ティア殿に?」
「では、余はこれから準備があるので失礼する」
虚空の映像が途絶えた。
「……ふぅ……ぁ……」
一気に脱力したせいで椅子の上で態勢を崩したシャルアが横に倒れ込む。
「おっとぉおおおおおおおおおおお!!!?」
ガシィイイッと今まで離れて会談の行く末を見守っていたクーバが飛び込んで身体をキャッチした。
「……疲れた……」
「よく! よくやってくださいました!! クーバは!! クーバめは!! 感激のあまり言葉もありません!!!」
「喋ってる……」
「姫様はこの国を救ったのです!! 本当の本当に救ったのです!!! これ以上嬉しい事などありません!!!」
滂沱の涙を流しながらギュウギュウと抱き締めてくるクーバをいつもならチョップで黙らせるところだったが、力が抜けた体がまだしばらくは元に戻りそうもないとシャルアはされるがままだった。
「言っておくわ。これ、全然助かってないし、救ってない」
「え?」
「言ったでしょ。皇帝陛下は戦する気なんてない。つまり、これから化け物退治は出来ても、藩落中の国とする喧嘩では助けてくれないのよ。契約で軍事行動は承認すると言ったけど、もしもの時の安保関係の内容は入ってない。つまり、双來はいつでも見捨てられる使い勝手の良い駒になったわけ。どう、分かった?」
「え、でも……クーバ的には裏から武器の横流しくらいはしてくれそうな気も……」
サラッと黒い話をするクーバにシャルアが頷く。
「確かにそれくらいはしてくれるかもしれないわ。でも、人間は貸してくれないと思う。基本的に陛下の“静かなる侵略”には兵器や兵なんて要らないから尚更ね」
「そう言えば、疑問だったのですが、“静かなる侵略”とはどういう?」
「イグニシアが二年前から行ってる諸々の政策は大きく分けて三つ。一つは軍事の再編。一つは商売の高度化。一つは技術革新。それってつまり分かり易く言うと他国侵攻の下準備なのよ」
「イグニシアの大規模な軍事活動はアルバストレ以来行われていないですし、近頃は軍縮していると【草(エージェンス)】の連中は話していましたが……」
「見当違いもいいところ」
クーバの腕から立ち上がってシャルアが椅子に戻る。
「軍事の実際に活動する人間を少数精鋭にして、諸侯の兵は豚みたいなのばっかりにしてるのよ。帝都で養う子飼いの兵以外はもう戦力的には当てにしてないんじゃないかしら。それで基本的に軍事資金の半分以上を兵器開発に回してるって話だし。馬鹿な諸侯の兵から先に辞めさせられてって、最終的には帝都とそれに随伴する皇帝派の精鋭部隊だけ残すつもりなのね。だから、対外的には兵隊の数が少ない=軍縮なんて言われてるのよ」
「でも、今侵略に兵は必要ないと」
「そうよ。ただ、それは国を侵略するのに兵は必要ないって話」
「なら、一体何にその兵や兵器を?」
「七教会に決まってるでしょ」
「ああ、そういう……」
「もうイグニシアの影響力は小国なんて経済力だけで軽く潰せるレベルよ。問題なのは七教会の横槍だけ。領土の拡大にしても他国の併合にしても最終的に七教会の介入や骨抜き策に潰される可能性が高い。でも、七教会嫌いな国なんて今や少ない部類だもの。イグニシアは七教会に“これ以上踏み込めば自分達の犠牲者が多大になる”って脅す目的で武力を磨いてる。実力が近ければ近い程に戦う相手へ手加減するのは難しくなるでしょ? つまり、正義の味方が大虐殺してもいいのかって大規模な武力で脅してるのよ」
「そうなのですか。政治は難しいですね……」
「七教会には絶対勝てない。それは分かり切ってる。でも、此処で大規模な軍事力をチラつかせて藩落内の紛争に介入したら、絶対に七教会が黙ってない。戦はしないって言ってたのはそういう事。たぶん、一万人分の戦力を送るっていうのも兵器を送るって事じゃないかしら」
喋り疲れた様子で傍の水差しからコップに注いだ水をシャルアが飲み干した。
「イグニシアの狗になるって言うのはね。つまり、これからは藩落で【草】みたいな裏仕事して生きてくって事なのよ。イグニシアが藩落を手中に収めれば、七教会の拠点となってる大陸中央の国々に睨みを利かせられる。そして、逆に七教会からすれば、傷付かないけど、刃を喉元に翳されてる状態と同じ。決して良い気はしないし、プレッシャーにもなる。こういうところで、あくまで同盟を結んでるだけの双來(わたしたち)が動いても相手は文句を言い難い。いざとなったら、イグニシアは“知りません”で済ませられるんだから」
豪く感心した様子でクーバが大きく頷いた。
「クーバは今日姫様が一生分喋ったような気がします」
「そうね。もう喋らなくていい人生が送りたいわ」
大きく息を吐いて人生最大の博打に勝った気分のシャルアは心地良い疲労感に苛まれた。
「それにしてもあの少年、不死者であるとの事ですが、皇帝と知り合いとは何者なのでしょう? クーバ的には気高き高位魔族と皇帝のラブロマンスが近頃のお気に入りなのですが」
「クーバ……」
呆れた視線でシャルアが溜息を吐いた。
「こういうのはどっちかと言うと皇帝と奴隷の禁断の恋に決まってるじゃない。もし、これで何処かのエロ、ごほん。イカガワシイ本みたいに魔王と皇帝の××日記みたいな感じだったら、一気に幻滅でしょ?」
「姫様!? まさか、×××の××××をお読みになったのですか!!? あ、あんな三文小説以下のド××で×××で×××××な内容のものを!!!?」
「魔王の×××記録とか! ××××魔王の××調教とかよりいいわ!」
もう狂戦士も真っ青な××談義が交わされ始めると一気に内容がヒートアップしていく。
現在、大辺境で少女から熟女にまで流行りの娯楽小説は数少ない行商人達が自分で使用する為に持っていたエロ本だった。
「×××が××××で×××だから、最高なんじゃない!!」
「いえ、姫様!! ××××の××××が×××であるとクーバは信じています!!!」
無論、その小説の大半を占めるのは淫乱・絶倫・極悪・浮気性・触手・諸々悪く書いても何処からも非難されたりしない魔王モノ。
「あの、二人ともいる? セイリがどれくらい戦力貸し―――」
「××××!!! ×××!!?」
「×××?!! ××××!!!!!」
二人の魔王に対する嫌がらせとしか思えない罰(×)が少年の精神を直撃した。
一室の扉がゆっくりと閉められていく。
「【近代化】の弊害って結構深刻なのかな………」
本気で少年は敵対する聖女達に投書しようかどうか悩む事となった。
事実は小説よりも奇なり。
皇帝と一線を越えるどころか。
もう筆舌に尽くし難い蜜月を送る少年にとって。
“女の子”が安易に××言うのは男の女性に関する理想全般を粉々とするような衝撃だった。
再び少年が部屋に入れたのは少女達が声を枯らした頃の話である。