第二章二十六節「集約」
昔からセイリの世界は大きなお屋敷とその庭の中だけだった。
『お父様!』
そう言って帰りが遅い父に抱き付いていられたのは四歳にも満たない期間。
いつも会う度に撫でてくれる手。
笑み以外を幼い彼女は見た事が無かった。
優しかった父の厳しい顔を初めて見た時の事を今も覚えている。
夜。
家令に促されて初めて入った父の書斎。
天高くまで積み上げられた書棚と古びれた紙の匂いがする部屋。
振り返った父がそっと差し出したのは二つの分厚い本だった。
一つは歴史書。
それも何処かの誰かが作ったものではない。
多くの文献を自ら編纂し、戦乱とそれが発生するまでの詳細を分析した戦史書。
もう一つは辞典。
本を読む為に必要な言葉が全て載っている代物。
自分の顔より大きな分厚い二つの本を持たされた時。
彼女は意味が分からなかった。
しかし、優しかったはずの父の表情が何処か固かった事を見逃す事なく。
彼女は父に尋ねた。
『お父様。どこかお体いたいのですか?』
父が何かに悔いるような顔をしたのは後にも先にもその時だけだった事を彼女は記憶している。
何故、最初に教えたのが剣術でも戦術でも戦略でも帝王学でもなく、歴史だったのか。
十を越えた頃、彼女は朧げながらも理解していた。
それは戦う者が知っているべき。
いや、知らなければならない業だったのだ。
人の歴史とは戦いの歴史。
同時に罪深く繰り返されてきた歴史。
過ちを認めず、忘れ去り、無益な戦いを続ける。
その歯車の一つとなる覚悟を、将軍と呼ばれた男は娘に教えた。
彼女は父に一番感謝しなければならない事はソレだと今も感じている。
何故、戦うのか。
どうして、戦うのか。
何から守るのか。
何を守れるのか。
相手はどんな人だったのか。
争いを回避する手段は無かったのか。
敵に勝つ方法ではなく。
戦いを始めさせない難しさをこそ、彼女は知った。
「……」
故に視線の先にいる彼に申し訳なく思う以外無かった。
後悔する以外無かった。
化け物から助けてくれた彼。
不死者だと言っていた彼。
如何に人質を取られていたとはいえ、それでも一人逃げる事は出来たはずだ。
しかし、そうはしなかった。
彼女と腕を枷で繋いで。
『一緒に行くよ』
なんて事を言った。
結果、頭部を破壊されて、動かなくなって、エーデリアの部隊は腕を切りと落とそうとした。
どんな状態からも復元される腕の不思議に本当に死んでいるのかと疑われ、更に身体や頭部に銃弾を打ち込まれ続けた肉体は…男達が気味悪がった頃にようやく袋に入れられた。
(わたしは止めろとすら、言えなかった)
枷が破壊出来ず。
繋がれたセイリと共に転移すら受け付けず。
仕方なく部隊は彼女と共に少年を運んでいる。
今も彼女の傍で身体は横たわって、腕と枷だけが袋から覗いていて。
(わたしは……)
自分が戦いを忌避した結果こそがソレだと彼女は拳を握り締めた。
力一杯に。
己の無力を憎むように。
(君はどうしてあんな事をしたんですか……ティア)
黒く内部から外界の様子が分からぬよう目張りされた荷馬車。
死体と共に揺られながら彼女は一人呟く。
巻き込んでしまった事を心の底から悔いても遅いと。
己の心に穴を開けて。
「すみません」
「何か謝られるような事はされた記憶が無いんだけど」
「!?」
少年が黒い袋の中でモゾモゾと起き上がる気配。
彼女は思わず、その身体がどうなっているのか手探りで触っていた。
「だ、大丈夫なのですか!? き、君はと、頭部を破壊されて!!」
「く、くすぐったいよ!?」
「で、ですが!」
「ほら、もう何ともないから」
少年の手がセイリの手を取って、自分の顔に触れさせた。
「良かった……本当に……」
「ごめん」
「い、いえ……」
ハッと男の顔を無防備に触っていた事に気付いてセイリが手を引っ込める。
「しばらく死体で運んで貰った方がいいかと思って。治るまでの時間にちょっと細工を……」
「そう、なのですか?」
「人質を取る合理的人間なら死体が一緒だろうと時間厳守で連れて行く。更に死体だと思ってるから詳しい検査なんてされない。君に付いていくなら、これが一番簡単な方法かなぁと」
セイリはその呆気に取られるような理論展開に開いた口が塞がらなくなる。
一時とはいえ、死ぬ。
そう、自分で死体になる、なんて選択肢を選ぶ異質。
それが不死者だからなのか。
あるいは少年だからなのか。
分からずとも、安堵よりも先に悲鳴のような声が彼女の口を突いて出た。
「命を何だと思ってるんですか……君は、本当に……死んだかと。私は!!」
複雑な感情。
怒ればいいのか。
嘆けばいいのか。
入り混じる不満がセイリに顔を俯けさせた。
「世界一安い命だよ。誇れるような事じゃないけどね」
少年の声が闇に紡がれる。
「届きたまえ。成さしめたまえ。かくあれかしって言っても現実は変わらない。君が命を掛けて聖地を求めたのには及ばないかもしれないけど、僕に出来るのはいつもこれくらいだから」
「教会の教え、ですか?」
納得は出来ない。
しかし、少年の言いたい事はセイリにも分かった。
何を言おうと最後にモノを言うのは行動の結果だけだ。
「昔はよく聞いたよ。神に届けと成させてくれと懇願し、今を肯定して死んでいく。それは尊い行為だったけど、僕は好きになれなかった。最後まで足掻けるのはいつだって人の領分。分かったつもりで諦めるのも魂の平穏を得るのも別に構わない。でも、それは悲しかった……」
「悲しい?」
「そういう人達は確かに幸せに死ねるのかもしれない。けど、諦めて尚立ち向かわなければならない時もある」
「それは……」
死は安静。
生は地獄。
ならば、どちらを選ぶのが人間らしいと聞かれて答えられるものではない。
だが、少年は魂の安寧を得て死ぬくらいなら地獄のような今を生きると言う。
それが現実だと。
「僕は自分の命を諦めて死ぬわけじゃない。だから、粗末にしてるつもりもない。いつだって正しいかどうかは分からないけど、譲れないものの為に、この命を使ってる」
「え?」
譲れないもの。
それは何か。
頭部を破壊され、剣や魔術でバラバラにされてもよい程のものか。
もしも、それが自分との事ならば、セイリは少年の言葉にとても頷けるものではなかった。
何故なら。
「まだ、出会って間もない人間の為にどうしてそこまで……」
それは至極真っ当な疑問。
それに少年はあっけらかんと答える。
「気に入ったものが失われるのは忍びない。君は少なくともまだ此処で立ち止まるべきじゃない。そう思うから」
「―――お節介ですね」
思わず少女はそう返した。
「嫌かな?」
「いえ、気に入られるような理由が見当たらなくて素直に喜べませんが、その……嬉しく思います……」
袋から少年が這い出して、何処からか取り出した剣をそっと掌に当てる。
刃を伝っていく血が耀き、闇が綻んでいく。
「今、君は孤立無援じゃない。人質を取られたんじゃなく。味方がまだ生きてたって考えた方が気も晴れるよ」
少年の気休めにもならない言葉に少しだけハッとして。
自分が今まで余裕の一つもない顔をしていたのだと思い至って。
セイリは大きく溜息を吐いた。
「ふ……どうやら、私はお説教したかった相手から励まされているようです」
ようやく顔に苦笑ではあったが笑みが浮かぶ。
「とりあえず、これからの算段でもする?」
提案はとても建設的で。
少女はまだ何も諦める必要は無いのだと思い直す
「はい。そうしましょう」
ガタゴトと揺れる馬車の中。
味方を得た少女は策を考え始めた。
*
―――藩落都市国家【アーズトリテ】奈落神殿より。
「ふんふふふふ~~~ん♪」
薄暗い灰色の岩石に覆われた谷間に声が響いた。
「回収されたのから推測して、昔の落し物だと思ったら、大当たり~~」
ガラガラと落石で谷間の入り口が埋まり、何処に続くかも分からない奈落が谷底で口を開く。
遥か下に落下していく岩が落着する音は無かった。
「ん~~47km先かぁ。そんな大深度に埋めなきゃならない程の代物。化石の匂いがするよぅ♪」
三時のオヤツに買ってきたあんぱんが一口齧られる。
「やっぱり、麺麭は北部の方が美味しいよねぇ。ゴッテゴテの甘蜜や果実もいいけど、こういうのこそ文化財指定で残すべきと思う」
ゴソゴソと音がして。
パチンと指が虚空で何か弾いた。
下方に加速していく何かが一瞬で音速を超え、亜光速まで加速。
見かけ上の質量を増やしながら、遥か深淵の底にある何かへ激突した。
「ふんふん? 防衛機能が生きてる? ソィラが破壊したって言ってたから、破壊は可能なんだろうけど。通常火器が無力だと大質量破壊は骨だよぅ。やれやれ」
遥か地殻の奥底での爆発の余波が大地の鳴動という形で周辺を震わせた。
「魔力形質474種の全部に対して防御機構が作動。太古の兵器ってこういうとこが地味ぃに厄介なんだけど、今日はこんなものを作ってみました~~♪」
虚空に一本の棒が浮いていた。
一目で金属製と分かる光沢。
【変鋼筒(コンヴァージョネム・フェロー)】
それは魔力の形質を変換する兵装の一つであり、高度な魔術兵装にも使用される部品。
しかし、今その場に浮いているのは大陸で使用されている物と異なる思想において調整されていた。
「ここに取り出したるは僕が勝手に創造した四十八の必殺わ―――ごほん。四十八の最終兵器の一つ【次元相転移変換鋼筒(ディメンジョン・フェイズシフト・コンバージョネム・フェロー)】~~~わーぱちぱちぱち」
カシャンと棒の表層が罅割れ、内部から幾つかの細い糸のような棒が飛び出す。
「え~これは簡単に言うと【多元宇宙(マルチバース)】間のエネルギー標準誤差を用いた下位の時空兵装の一種で、零地点を設定した空間内により上位の空間を繋げて、流れ込んだ際の“どっかーん”力を抽出変換収束したエネルギーで対象を破壊、追加効果で局所的な時空崩壊に巻き込んで抹消してしまう大変楽しくも世界壊すなボケとか言われる武器なわけです♪ 皆さん分かりましたか~~」
声はない。
そもそも誰が見ているのか定かではない。
しかし、彼女は続ける。
聖女、フルー・バレッサは悪びれもせず、続ける。
一歩間違えば惑星を消失させるに足る兵器をニコニコしながら、落下させた。
「第一次加速。第二次加速。近似多元宇宙選定。対象領域指定。命中。位相歪曲開始。同期まで七秒。空間同調開始。接続……完了。エネルギー流入開始。激発まで後五秒。四、三、二、一」
振動は無かった。
熱も衝撃も無かった。
しかし、大陸で感じられる者の殆どは感じ取っていた。
今、自分達の住む惑星。
いや、“世界の一部”が喪失してしまったと。
「指定空間半径三キロ四方での時空崩壊確認。対象……全抹消。お疲れ~~」
一仕事やり終えた~~という顔でフルーが谷間の中からフワフワと浮いて、その場を脱出した。
「それにしても本当何考えてたんだろうねぇ。昔の君臨生物って」
その生物が少なくとも自分より知的に劣る事を理解しながらも、そう愚痴る。
人間種。
この世界では能力的に下位の存在。
そのほぼ頂点に立つ聖女の力は既存の有史には載らない域の力を秘める。
しかし、唯一。
超常の力の頂点である【奇跡】とは別格に技術において奇跡の如きものを実現する女が一人。
女の手に掛かれば、人は他の天体を我が星とし、銀河の果てまで旅をして、世界の果てすら望めるだろう。
一部の同類たる科学者達が実しやかに囁く戯言はその殆どが“事実”だ。
【時空兵装(テンプステルム)】
女からすれば大した事の無い発明。
万能に手を伸ばす為の試作品。
それを向ける相手はただ一人であり。
女はそれではダメなのだともう知っている。
何をしようが、滅ぼせない。
いや、滅ぼすという言葉が当て嵌まるような存在ではない。
だから、たかだか時間空間を超越する程度の力で女は満足出来ず。
未だに高みを目指しているのだ。
「ミュルトも帰ってきたし、メルフもそろそろ帰ってくるし、本格的に兵器の建造に入らないとねぇ」
幾らでも作れる部品一つを消費した女はそう笑って。
この世に唯一の“兵器”を作ると宣(のたま)う。
誰に対して言っているのか。
そんなのは決まっている。
彼女を今も見つめる者達にだ。
あの大戦以降、魔王と同等かそれ以上に危険視された女を見る“超常の存在”達にだ。
その中には生物ではない者もいる。
魔と呼ばれる者。
神と祀られる者。
あらゆる種族に存在する頂点存在の幾人か。
時間も空間も次元も超越する何か。
他にも注目する者達はそれなりにいる。
【聖杯委員会(ペルスヴァル)】と彼らを呼ぶ者もあるだろう。
その上位者達の殆どが過去【黄昏の悠久戦争】にて世界から消失し、実質瓦解しているとしても、彼らの力は絶大だ。
あの“魔王(しょうねん)”に劣るとはいえ、それでも無限を身の内に秘め、限界と言った言葉がない者ばかりなのだから。
「さ、お仕事終わり! 今日はもう休暇休暇ぁ~~~」
谷間の上空に出たフルーが目にしたのは近くにある古都の街並み。
鮮やかな朝日に照らされて世界が目覚めていく姿だった。
お忍びで来ているとはいえ、色々と気になる菓子もある事だし!!!
と、本来の目的を果たした一見暇そうでまったく暇なわけがないはずの聖女はササッと何処からか黒い外套と白いマスクを取り出して装着し、一瞬にして不審者へと早着替えしてみせる。
「ふふふ。これで完璧!! 店員さんに顔見せしてサクッと『聖女です。とりあえずお菓子頂戴♪』とか言えばもうあっという間に僕の前にお菓子が並ぶって寸法だよぅ♪」
ふよふよ街へと下りていきながら、お菓子好きな聖女は古都で繰り広げられる薔薇色の味の競演を夢見て、目をキラキラさせた。
その瞳が溝川(ドブ)並みに濁り、顔が半笑いになるのはそれから一刻後。
店頭で普通そうに見える店員へ必死に聖女アピールをしたフルーは、
『本物の聖女様でも、七教会に君臨してまだ日も浅いですし、三代分程君臨した後にお越しください』
と素気無く追い返される事となった。
予約予約ぅ♪
あはは………あははははははははははははは(涙)
*
―――アーズトリテ領内クラウゼン公爵家本邸地下書庫より。
では、今日の講義を始めよう。
まずは大辞淵の三十八番五十六章二十八節を開いて。
ふむ。
前日に言った通り、今日はファルティオーナの歴史。
その中でも取り分け重要な魔王と魔族と人間と神。
この四者の関係に付いて話そう。
まず“原初の時代”これを黄金期と言うが、この時代の事から。
そもそも惑星上に生物が生まれる以前から神が存在したかについては今も諸説がある。
最初に生まれた種は神なのか。
それとも魔族なのか。
殆どの場合、これは混同される事は無いが、魔族の祖たる【自生型(アウトゲネス)】最古の個体【大母】は旧き神の中でも特別な【无】の位、つまり【外なる神々】とほぼ同等の時期に生じたと【宙の契約書】にはある。
便宜上彼女と呼ぶが、彼女の誕生こそが人類の発生には欠かせないファクターであったのは事実だ。
進化論にもある通り、基本的に進化とは環境への適合結果だ。
しかし、人類や亜人、知性を持つ種には幾つか不可解な進化の工程が存在する。
この不可解が彼女の仕業と考えていい。
猿と人が別たれた時期に彼女は既に存在しており、同種となる生物を求めて幾つかの種に知能の底上げを行った痕跡が最新の研究では発見されている。
人という種族よりも先に幾つかの知能ある種が台頭した時代。
魔族も殆どが自ら生じる彼女と同型ばかりの頃。
人はヒエラルキーの最下層。
たぶんは家畜並の認識で扱われていた。
このような時代が少なからず数億年は続いたと見ていい。
それから少しずつ人が様々な能力の獲得で力を付けてくるに連れ、今までの上層種族が争いで衰没していく。
これが“終世の始まり”と言われる青銅の時代。
約十万年程前の話だ。
この頃には既に大陸の形は確定しており、同時に魔族の三系統の一角【血統種(ブラッディー)】が自生型の交配で発生、同時に多種族の混血が進んで種として現在に残る者達の雛形が生まれた。
そして、この時期を境にして人の進化や発達は急激になる。
同時に位の低い神が無数に発生していく。
人や亜人、人型の種族が大陸で多数を占め、魔族でも人型の者が上位を占めるようになった理由。
神が無数に発生した理由。
それは人の能力に由来する。
多種族混合の時代。
人という種は適応能力においてあらゆる種族を抜きん出た。
単純に言えば、交配や混血時に成された子は人の親の因子を多く受け継ぐ。
同時にその交配可能な種族の数や生まれる個体の生存率も他の知的種族に比べて極めて優れていた。
人や人に類する存在の数が増えると同時に人の意思の力は増大。
混血で種族を跨いだ人的な思考が神の発生と発達を促し、同時に多種族の衰退を加速させる事となった。
ここまで言えば分かるだろう。
人は既にその時点でこの惑星の盟主となった。
人に類する種族を神は庇護し、その下で更に人は増えて力を蓄える。
同時に様々な争いを繰り返し、弱い固体を淘汰していく事で種族としての力は洗練され、飛躍的に加速し、技術や知識は何億という日々を謳歌した種族をたった数万年で超えるところまで高まった。
そうして、これに危機感を持った魔族…その中でも人型の者達が人の生活を脅かす魔王と呼ばれる事になったわけだ。
魔術や超常の力と呼ばれる能力・技術は本来が黄金期の時代に生まれた種族が得た知識や能力が混血によって人に流れた結果だ。
隔世遺伝として発症した能力はそもそもが他種族の力。
魔術の基礎である様々な魔力形質も同じく他種族の力。
これを知れば分かる通り。
人間は他の種族を飲み込んで力を高める事が非常に上手い。
要はあらゆる種族に「愛され・愛する」能力が高い。
その点で人間という形は一種の黄金比を内包する。
他の種族に人間になる、又は人間の形を取る方法が様々存在するのはそういう理由でもある。
存在の基本(フォーマット)として人間という形は優れているわけだ。
そう考えれば、魔王の淫蕩さにも幾つかの説明が付く。
歴代の彼らは人間という形を逆に取り込んで魔族の力を高めようとした。
女でも男でも雌雄の区別無く魔王達が人間や人型の異性を求めた理由は其処にあった。
さて、今日はこの辺にしておこうか。
「クヲ?」
良い知らせがある。
第一の妃となる女をようやく捕まえたそうだ。
エーデリアの特務部隊から入電があった。
もうすぐ此処へ付くと。
「クヲ!?」
そう焦る必要は無い。
まだ、時間はある。
まずは今日の勤めを果たせ。
近頃、調達部門が大量にエルフの幼体を仕入れた。
孕ませられるよう既に調整は施したと連絡を受けている。
母体としてエルフは申し分ない素体だ。
十五体程だが、問題あるまい。
交配用の下級貴族の娘達もそろそろ集められる時期になった。
蒐集は芳しくないが【汪鯨(セティ)】【彊獣(ベスティアルム)】【貴龍(アウロン)】【祖精(ファイリィ・マトゥリナ)】までは揃えた。
さすがに全員成体とはいかなかったが、質が悪くとも血筋の受け手としては問題ない。
「クヲクヲ?」
いつでも種付けするといい。
エーデリアの併合に合せて、この時期に母体を集めたのだからな。
本来母体側であるお前を雄性体として扱う以上、アドバンテージは全て使わなければ。
大皇の血筋が女系なのは血統の性質上仕方ない面だ。
だが、それすら今の我らは超克出来る。
お前が母体となる時までは、このままの体制でゆくのが正解だろう。
とりあえず。
婿が見付かるまでは掛け合わせ用の子を増やしてもらわねばならない。
良き子を期待する。
「クヲ!」
我らの【異種教義(グノーシア・ドグマ)】が世を救い繁栄を齎す唯一の方法だとあの女に証明するのだ…我が娘よ。
「ヲ~~~♪」
*
全てが一つへと集約されていく朝。
誰も彼もが次なる舞台に上がろうという頃。
イグニシアと武帝の国境地帯に一人待ち人の到着を待つシスター見習いがいた。
場所は七教会が臨時に特別許可を得て設定した空路の終点。
一日で立てられた巨大な航空艦船を停留させる尖塔。
その根元だ。
「此処でいいはず…早く連れて言って仕事に戻らなくちゃ」
ポソポソと一人呟いている姿は何処か微笑ましく。
顔以外の全てを黒と僅かな白で彩る衣装が揺れる度、足下にいる鳩達がチョコチョコと移動する。
まるで人を恐れないのはシスターが国境地帯に来てから餌付けしたからだ。
主に人々の食料の残飯を粉々にしたものだが、鳥達には受けがいい。
「それにしてもどんな人なんだろう?」
シスターはまた新しい難民支援の増援だろうかと首を傾げた。
彼女がこの地に派遣されたのは人手が足りず、どんな人材でもいいから寄越せと上からの命令が来て、一番の新入りでまだロクに専業の仕事が無い人間を選出する事になったからだ。
国境地帯での仕事は多忙を極める。
言葉も分からないのに紙に書いてある通り発音して避難民を誘導しろとか無茶苦茶だし、炊き出しで一日中椀にスープを入れていた腕は感覚がない。
彼女はこの場所に来てから知った話だが、本来七教会の技術を使えば、避難民の生活補助に人手はあまり必要ない。
数百万の人々を世話するのに今一万程の教会関係者が国境地帯にいるらしいものの、本来はその十分の一でどうにかなるという事だ。
では、何故に人を集めて世話しているのか。
単純に人対人でのコミュニケーションが必要だからだと彼女の同僚の一人は話していた。
人間と触れ合うという事。
これ程に単純で難しい事はない。
奴隷上がりの彼女には豊富な知識も経験も話題もないから猶更だ。
あるのは命と思い出だけ。
それでも自分のように困っている人を放っておけないとキツイ仕事現場で踏ん張り続けているのは、彼女が知っているからに他ならない。
世の中には自分よりもずっと過酷な世界を生きる人がいる。
それでも優しさを失わずに生きている、と。
「元気かな……」
思い出す事は奴隷だった頃の事。
どうして故郷よりも思い出す回数が多いのか。
そんなのは決まっている。
彼女を助けてくれた人の顔が其処にあるからだ。
「……」
相手の名を舌に乗せようとした時だった。
ゴウッと風が吹いて、足元の鳩達が一斉に飛び立った。
思わず目を閉じた彼女の鼻腔の奥へ、ふわりと何か穏やかな匂いが通り過ぎる。
「?」
目を開けた彼女が見たのは自分の傍に降り立つ人だった。
“降り立つ”という時点で相手が航空を単身渡ってきたのだと彼女にも想像が付いた。
少なくとも尋常ではない。
魔術が幾ら万能の域にある力だろうと、超常の力が幾ら世界を変えるに足る能力だろうと、航空を個人単独で飛ぶのは容易ではない。
「迎えの方かな?」
「あ、えっと、そうです。貴女がユヒア、さんですか?」
「はい。ユヒア・ウェスティアリアです。どうぞよろしく」
彼女は自分よりも随分幼いような気がした待ち人に目をパチクリとさせる。
少女があまりにもそういう年齢に見えないから。
歳は十五と聞かされていたものの。
その身体はまだ歳を桁二つ越えたくらいだろう。
薄い胸も折れそうな首も薄い唇もまだ発展途上。
小さな身体はガッチリとグレーの外套を着込んでいるが、まるでブカブカで端は引きずられている。
彼女が最初に驚いたのはその可憐さだ。
意思の強そうな太めの眉。
金糸のような髪は短く纏められ。
おかっぱになっているものの野暮ったさは無い。
それは繊細な造形の貌(かんばせ)のせいかもしれず。
表情が薄ければ人形のような儚さを漂わせるだろう。
だが、そう見えないのは表情に溢れる自信の強さからか。
評するなら利発そうな笑みが印象的な良い所のお嬢様といったところ。
「わたしはラタウト・ヴェルガナと言います。こちらこそどうぞよろしくお願いします」
そっと二人がどちらともなく手を差し出して握手する。
「それでは指定された場所にご案内しますから、付いてきてください」
「はい。かあ様のところにさっそく行きましょう」
溌剌(はつらつ)とした笑み。
決して人形では在り得ない意思の耀きが笑みには浮いていた。
歩き出したヴェルが付いてくる少女ユヒアに尋ねる。
「お母様が七教会にお勤めして?」
「かあ様は七教会の要職に付いていて。今日は仕事現場が此処近辺だったので、顔を見せに」
「その歳でお仕事をなさってるなんて凄いですね」
「あ、年下かと思いますから、もっと砕けた感じで構いません」
「え? で、でも……」
「本来なら年上である貴方に敬語を使うのはこちらの方なので」
「わ、分かりました。じゃ、じゃあ、そのユヒアさんはどんなお仕事してるの?」
こんなに可愛い子がどんな仕事で親元から離れているのか。
元奴隷のヴェルとしては少し気になった。
「今は七教会の独立外部機構に。学校を途中で飛び出したばかりなので、最初は色々な部署を回りました。かあ様が七教会の要職なので殆どの部署でお飾りみたいにされてしまって……それで今は実力主義の部署という事で選んだ仕事場に」
「凄いんだ。ユヒアさんは」
「いえ、そんな……こういう場所で真に人の為に仕事をする方達には到底敵いません……」
「わたし奴隷上がりだから、まだ読み書きがあんまり出来なくて。いつか、ユヒアさんが言うような、そんな風に慣れたらいいな……」
「ど、奴隷上がり?」
「ぁ、えと」
思わず口走ってしまった自分の過去にヴェルはおろおろした。
【近代化(レボリュション)】によって奴隷差別が無くなってきているとはいえ。
まだ、奴隷上がりというだけで軽蔑される事は多い。
七教会の中にも少なからず、そういう人間はいる。
批判もされないし、嫌がらせをされる事もないが、眉を顰められる事はあった。
現場のシスター見習いとして受け入れられたものの、身体を売っていたのではないかと潔癖に穢れを嫌う者もヴェルは知っている。
「あ、あの、不躾な事を聞きますが……本当に?」
初めて奴隷だった者を見た。
正しく。
そんな感じでユヒアがおずおずと尋ねる。
「……はい」
この自分と違って可愛らしい少女から軽蔑されるのは嫌だな、そう思ったもののヴェルはハッキリと頷いた。
自分が奴隷であった事は変わらないし、変えようも無い。
けれど、幸せになると心で誓ったから。
差別も軽蔑も構わない。
何故なら、今此処にいるだけでラタウト・ヴェルガナは世界中の誰よりも幸せだと知っているから。
あの少年に幸せを願われて、不幸であるはずなんてないのだから。
「――――――」
ヴェルの真っ直ぐな視線を受け止めて、ユヒアはしばらく声が出なかった。
「その、すみません」
「?」
何故、謝られるのか分からず。
ヴェルが困惑しつつ、耳を傾ける。
「今、ユヒアは……凄く失礼な事をしてしまいました。貴女の事も知らずに勝手な事を思いました。憐憫や同情。それはきっと、貴女への最大の侮辱だと思いますから」
善性。
価値観の相違。
それがヴェルに目の前のユヒアは遠い処から来た人なのだなと思わせた。
謝るのは嘲ったり、軽蔑したりした事にではなく。
奴隷であった事を喋らせた事にでもない。
ただ、自分が無意識に行ってしまった傲慢。
時に美徳とさえ言われるものにだ。
それは奴隷が何であるか知っていて、まずそんな事実に嫌悪や暗い感情を抱かない異質にして高潔。
ヴェルはそんなユヒアの思考があの少年に似ていると思った。
「いいよ……ユヒアさんは悪くないもん」
「で、でも……」
首を横に振って、ヴェルが前を見る。
もう連れて行く場所の傍に来ていた。
七教会の臨時庁舎の一つ。
多くの七教会関係者が出入りしている即席の構造物の裏手。
どうしても時間が無かった担当者から本当の迎えにユヒアを引き渡すのがヴェルの役目だった。
「此処からは別の人が来る事になってる。ユヒアさん。頑張って」
「え?」
「お仕事もお母さんに会うのも、わたしも……ユヒアさんが言ってたみたいにいつかなるから……」
「―――ラタウトさん」
ヴェルの笑みにユヒアが少し目の端に涙を溜めた。
「それとラタウトさんじゃなくて。ヴェルでいいよ」
「ヴェ、ヴェル?」
「うん」
『お~ユヒアちゃん!』
二人が互いに笑みを浮かべ合った時、裏口の方から七教会の制服を着た男女がやってくる。
「あ、フェルラスおじさん」
「おいおい。おじさんは無いだろ。おじさんは! これでもまだ三十代だって。昔はフェルラスおにーちゃんと結婚するって言ってくれたのにそりゃないぜ。ユヒアちゃん」
七教会魔王追討師団機動歩兵連隊連隊長フェルラス・ディオス。
先の国境地帯で窮地を脱して今は国境から毎日のように武帝へ化け物の掃討へ出向いている伊達男はまるで姪にでも話し掛けるような気安さでユヒアに笑い掛けた。
「どう見ても今や貴方はオジサンよ。しかも、あの時はマロウ師団長に聞かれてコッテリ絞られてたじゃない」
同じく砲兵連隊を率いる女連隊長アルガ・レアが調子の良い同僚に釘を刺す。
「四十代独身のお姉さんよりかマシだろ。はははっ、ぐほ!?」
アルガの肘鉄を脇に喰らいながらも軍務で鍛えた肉体を駆使したやせ我慢でフェルラスがポーカーフェイスを決め込んだ。
そのまま自分の妹のようにも思っているユヒアの前に立つと、その頭をクシャクシャと撫でる。
「久しぶりだな。ユヒアちゃん」
「はい。フェルラスおじさんもお変わりなく」
「ハティア様が待ってるぜ。一年も前に顔見てそれっ切りだったから寂しがってる。早く顔見せてやんな」
「はい!」
己の母の名に目を耀かせて頷いたユヒアをヴェルが凝視した。
「あ、ウェスティアリアって……確か……」
「あら、こちらが臨時のシスター見習い?」
アルガがヴェルに視線を向けて、僅かに眉を片方ピクリとさせた。
「ラ、ラタウト・ヴェルガナと言います! エルデナンドの教会から臨時に派遣されているシスター見習いです!」
慌てて頭が下げられる。
「ご苦労様。どうやらユヒア様は貴女のおかげで迷わず此処に来る事が出来たようね。よくやってくれたとの旨を貴女の上司には伝えておきます。では、後はこちらでご案内するから、通常業務に戻っていいわよ」
「は、はい!」
話していた相手が聖女の親族だと今更に気付いて、ヴェルはカチコチになりながらもそう頷いた。
「あ、ヴェル! 待って」
頭を下げて、去っていこうとする背中に声が掛かった。
「ユヒアさ、ま…?」
フルフルとユヒアが首を横に振った。
「さっきまでみたいにユヒアさんの方が嬉しい。ユヒアもヴェルって呼ぶから」
「で、でも……いいの?」
コクンと頷きが返される。
「もし、時間が出来たら、会いに行っちゃダメ?」
今までとは違う歳相応の笑顔にヴェルは目の前の少女もまた自分と同じような地位の差別に悩んでいたのだろうかと親近感を覚えた。
「ダメだなんて」
「それじゃあ、これからもよろしくお願いします。ヴェル……」
「う、うん」
二人のやり取りに早くも友達が出来たのかとフェルラスが顔を綻ばせる。
「さぁ、では参りましょう。ユヒア様」
「はい」
短くヴェルが連絡先をユヒアに告げて、手を振りながら去っていった。
それから三人で仮庁舎の一角。
魔導による転移方陣が敷設された部屋にユヒアを連れて行った二人は親子水入らずが良いだろうとユヒアを見送って再び自らの業務へと戻る為、歩き出す。
「やぁ、一年も見ない内に成長してたなぁ。ユヒアちゃん」
「成長してはいると思うけど、何処が変わったのか私には分からなかったわね」
「胸だよ。まぁ、あくまで小指の先くらいだろうけどな」
「見た目余り変わらないのに何処が変わったのか一瞬で見抜く変態の事をハティア様に後で報告しておくわ」
「ば、馬鹿!!? それはマジで止めろ!? というか止めてください!? マロウ師団長は冗談や洒落で済ませられるが、ハティア様が本当に怒ったらオレが死ぬ!!」
コツコツと廊下に足音を響かせながら、いつものやり取りをする二人だったが、唐突にアルガが立ち止まった。
「おい。どうした?」
「師団長の事。結局、言い出せなかったわね……ハティア様に嫌な役を押し付けたみたいで心苦しいわ」
「そこらはサイラーが何とかするさ。ハイネシアの爺さんもいる」
「そうね……」
「何だよ? それだけじゃなさそうだな」
「気付かなかったの? 鈍い男ね」
「な!? これでも女性の機微には聡い方なんだが!!」
「そっちじゃない。あのシスター見習いの事よ」
「は? あのシスター見習いがどうかしたってのか? まさか革命闘士の手先でもあるまいに」
「そんな奴らなら、もっと話は簡単かもしれないわね」
「何だ? もったいぶらずに言えって」
「……接触者の可能性があるってリストに名前が載ってたじゃない。情報部から資料は上がってたはずだけど」
フェルラスが顔を仕事用に切り替えた。
「接触……まさか、いや、だとしても、魔術や洗脳の痕跡は無かったんだろ?」
「七教会に入ってから幾つか極秘裏に調べられたらしいけど、その痕跡は皆無」
「なら、別にそこまで目くじら立てなくてもいいじゃねぇか」
「でもね。名前だけとはいえ、七教会の上の方で中央の研究施設に異動させようかって話も持ち上がってたらしいわ。あ、ちなみにこれは独自のルートから手に入れた情報よ」
「研究施設? って事はフルー様か?」
「ええ、一応はね」
「一応? どうして接触しただけのお嬢さんにそこまで執着する必要があるんだ?」
「貴方はもうバリバリの前衛だから戦闘以外眼中にないんでしょうけど、後方で連隊長なんてやってるとね。色々と耳が良くなるのよ。聞きたい? 言っておくけど、漏らしたら降格どころか重罪で投獄も有り得るから」
「おいおい。ヤバイ橋かよ……」
「聞くの? 聞かないの?」
「ああ、わあった。聞くよ! 聞きます!!」
「研究施設への異動にハティア様から圧力が掛かった痕跡があるの」
「何だって?」
「お心に踏み込むつもりはないわ。けど、女と男の問題だものね」
「男と女? まさか魔王とあのお嬢さんが出来てたとか言うんじゃないだろうな?」
「そのまさかよ。初期の身体検査で体内から魔王の因子が見付かった」
「魔王の因子って。そりゃぁ……」
フェルラスが言葉を濁した。
一般的には知られていないが、魔王の身体の構成物質は基本的に一つの例外を除いて全て輝きながら消え失せる。
その例外が何であるのか戦闘ではまったく関係ないので知らない者もいるが、追討師団の連隊長であるフェルラスは知っていた。
「そうよ。分かるでしょ? だから、研究施設で経過観察や詳細な検査が必要かどうかって話になったのよ。でも、ハティア様がその話を握り潰した」
「善行だろ?」
「そうね。でも、旧教会派はそう思わなかったようよ」
「何んだ。そりゃ? どうして此処で旧教会派が出てきやがる」
フェルラスが自分達と同じ組織にありながら七聖女とは異なる思想を持って動く者達の名に顔を顰めた。
「旧教会派は知っての通り、七聖女様達を最初は政の道具にしようとしていた。その中で聖女様達は自らの仲間を増やし、教会の意識改革を行い、功績を上げる事で少しずつ連中を駆逐していった。聞けば分かる通り、彼らは今の七教会の組織が固まる前、最初期の聖女様達の情報を知ってる」
「で?」
「……これから話す事は旧教会派の中で信じられてる情報よ」
「いいから言えよ。オレのハティア様への信仰はその程度じゃ揺らぎもしねぇ」
「聖女様達がその当時発見されてアルヴィッツ本国でマシア陛下と教会に保護されたのは知ってるわよね?」
「ああ、そりゃな。そこから七教会は始まったって言われてるんだ。教会信者どころか。今じゃ大陸中の人間が知ってる話だろ?」
「じゃあ、その前は何をしていたのか知ってる?」
「ハティア様からはフルー様とソィラ様、それからユアン様と旅をしてたって聞いたぜ?」
「そうね。ハティア様の孤児院出なら誰でも知ってるわよね。でも、その話には一人だけ重要人物がいないのよ」
「重要人物?」
「察しの悪い男ね……」
「何だよ。魔王でも一緒だっ―――」
フェルラスが言い掛けて沈黙した。
ようやく本題に持っていけるとアルガが淡々と続ける。
「魔王が愛した女が聖女になるって馬鹿な噂話知ってるかしら?」
「?!!」
「例えようも無く馬鹿な噂よ。そう……噂に過ぎないと“まだ”研究中のやつらは思ってる」
「ありえねぇ」
「そうね」
「ありえねぇよ」
「分かってる」
アルガはまるで少年のような男の否定に頷いた。
「マロウ師団長はハティア様を本気で愛していなさった。ハティア様だってそうだ。子供を作るのだって政情が安定してからって話だったから、結婚後何十年もしてようやくユヒアちゃんが生まれた」
「そう、その通りよ。でも、女の過去は何があるか分からない。それこそ秘密は墓まで持っていくものばかりだもの」
「例え、そうだとしても……つまり、ハティア様が同じ境遇の人間を救った……それだけの話じゃねぇかよ」
「同じ境遇かもしれないから、旧教会派が動き出してるの」
「―――そういう事か!?」
フェルラスが固まった。
「貴方だって噂くらい知ってるでしょ? 旧教会派主導で行われてるカリキュラム。【次代聖女育成計画(アドバンスド・ジェネレーション・プロジェクト)】の話は……フルー様の管轄だけど半分は旧教会派主導なのよ。あのカリキュラムは……」
「少なくとも、七聖女の奇跡に匹敵する超常の力は未だ大陸じゃ発現してねぇって話なら知ってるさ」
「それは正しくない情報よ。正確には何故発現したのか解明されていない、が正しいわ」
アルガが溜息を吐いた。
「旧教会派の勢力は殆ど瓦解してる。でも、だからこそ、勢力拡大の為の一助となるはずだった話をハティア様に潰されて、何かしら極端な行動に走る可能性が出てきた」
「人助けだろう! 連中の道具にする為に聖女を作ろうなんて馬鹿な話、潰されて当然だ!!」
「だけど、連中はそう思ってない。それに七教会を揺るがすネタなら手中に握ってるんだもの。この均衡の上で事を運ぼうとするのは否定出来ないはずよ」
「それは……だが、連中に何が出来る? 七教会の実行部隊は殆ど聖女様方の下だ。連中が握ってる教会の勢力なんてたかが遺跡や秘蹟、秘匿されるべきだと判断された物品関係。どれもこれも世界を破滅はさせられても変えられるような代物じゃない。そこまで強硬な手段に出れば、逆にこっちは討伐の大義名分が立つってもんだろ」
「ユヒア様が勤めてる独立外部機構の名前知ってるかしら?」
「な?!」
「今回ユヒア様がこのタイミングで会いに来る話自体がきなくさいのよ。何か裏があるとしか思えないわ。勿論、ユヒア様はそんな事に加担する理由も無いし、そんな事をするような方でもない。でも、何かしらの恣意の下で動かされてる可能性は否定出来ない。それとなく仕事の内容を聞き出してみるけど、守秘義務がある部署で働いているから、答えてくださるかどうか」
アルガの話の全てを聞き終えて、フェルラスがようやく目の前の同僚が一体何を自分に期待しているのか悟った。
「見た目によらず。いや、見た目通りなのか? 策士め」
「何? 聞きたいと言ったのは貴方よ。フェルラス。それに私はまだ貴方に何も求めてなんていないはずだけど?」
アルガが微笑した。
「こんな話聞いて、そのままにしておけるかよ。まだマロウ師団長も見付かってない。ハティア様にとってユヒアちゃんは掛け替えの無い宝だ。この一帯の不安を鎮める為にハティア様が動けないなら、此処はオレの出番だろ?」
「大丈夫よ。貴方の有休たっぷり一年分はあるから」
「おい!? 何処でそんな情報を仕入れやがった!?」
「まだ魔王は見つかってないから仕事上も大丈夫でしょう。情報部の友達は足取りが正確に掴めてないってちらほら漏らしてたし。しばらくは可愛い姪っ子を守ってあげなさいな」
最初からそのつもりで話したのは間違いない。
極めて重大な情報をサラリと漏洩した時点でおかしかったのだ。
秘密を暴露した理由を聞いた今ではもうフェルラスの心の内に迷いらしきものはなかった。
「言われるまでもねぇ。家族を守るのは男の仕事だ」
「そうしてるのを見ると本当に結婚しちゃいそうね。フェルラスおにーちゃんは」
年甲斐も無くからかわれたフェルラスが苦笑した。
「馬鹿。相手はハティア様の子供……オレにとっちゃ家族も同然だ。孤児院の誰だってそう言うさ」
「ハティア様が好き過ぎて兵隊になった人間の言葉は違うわね」
「言ってろ。小さい頃はユヒアちゃんのオシメだって取り替えてたんだ。背が伸びて胸がデカくなって美人になって嫁いでくまで守るに決まってる。いや、嫁いだって守るさ」
「そう……」
「それにしてもお前って作戦の時とこういう時じゃ人格違うよな。ここまで話すようなやつじゃないと思ってたが……」
「公私混同は無しよ。それとも仕事の時みたいに【フェルラス!! 貴様のようなやつは七教会の面汚しだ!!!】とか言われたい?」
「勘弁だ。鬼が消えたならそのままにしておきたいからな」
ポチポチと小さな【電子噐械学(エレクトロニクス)】製の端末を操作しながら、アルガはやはりこの男に頼んで正解だったと内心の自分の評価の正しさを確認した。
「それで何さっきからポチポチやってんだ?」
「ああ、今ハティア様に“背が伸びて胸がデカくなって美人になって嫁ぐまでは心配だから、今日からオシメを取り替えた事もあるフェルラス・ディオスがユヒアちゃんを悪漢から守る為に有休を使って勝手に護衛へ付きたい”と申し出てる旨を伝えただけよ」
「オィイイイイイイイイイイ!!!?」
バッとアルガの端末を奪い取ったフェルラスが、文面が言われたままである事に血の気を引かせた。
ルルルルルルルル。
ビクンと伊達男が硬直し、己の胸ポケットから端末を取り出す。
相手の名は“ハティア様”だった。
震える手で端末を耳に当てた瞬間。
接続された。
「“フェル君”お話がありますから。早く来てください。それとユヒアが一言あるそうです」
ゴクリと喉を鳴らしたフェルラスの耳に小さな息遣いが聞こえる。
「フェルラスおじさんのバカ……ヘンタイ」
アルガの目には雷に打たれたようなエフェクトが同僚の背景に見えていた。
ブツリと接続を途切れさせた端末が地面に落ちる。
「こ、このオレがHENTAI!?」
「良かったわね。これで何の遠慮もなくユヒア様を守れるわよ」
絶望的な表情を浮かべて男が崩れ落ちた。
「お、お前は知らないから! こ、こんな酷い事が出来るんだ!!? この鬼め!!?」
「何か問題でもあるのかしら?」
「ハ、ハティア様は! ハティア様はなぁ!!! 怒ると、怒ると……本当に怖いんだよ……」
ブルブルと身体を悪寒で震わせるフェルラスがハッと気付いた。
「ハ、ハティア様の早くは五分なんだ!? 五分って!! クソッ?!! 此処から転移で艦まで跳んでも時間がねぇ!!!?」
急いだ様子でアルガには一言もなくのダッシュ。
その見事な疾走する背中を見ながら、アルガは人選を間違えただろうかと肩を竦めた。
「これで準備は完了したわ。んふふふ♡ うふふふふふ♡」
アルガがフェルラスの端末を拾い上げてちょっとした内容を消す。
「ご苦労様♪ これで貴女の役目はお終いよ。ああ、気にしないで。此処までの記憶と情報の出所は全て消去させてもらうから」
アルガは自分が何を言っているのか理解しない。
そして、自分がした工作に気付かない。
ただ、そこにいるアルガ・レアという人格を思い通りに動かされた事すら認識しない。
その上で“彼女”は自分の口を突いて出る言葉を疑問に思わない。
「それと“門”の移送ご苦労様♪ あっちの私も喜んでるわよ~~これで準備は全て整ったんだもの♪」
まるで男女。
そんな口調で紛れも無く本物であるアルガは続ける。
「あっちの私はこっちに中々あの子との約束で出てこられないけど、それならそれでやりようは幾らでもあるわけよ」
無意味にアルガが色々と筋肉を強調するようなポーズを取り始める。
「例えば、こういう風に人間の精神に分身を取り付けておくとかね♪」
「あ、アルガ連隊長。ご苦労様です」
「あら、終わったの? なら、早く次ぎの仕事に掛かりなさい」
「は、はい!」
廊下の角からやってきた部下達が挨拶をして通り過ぎていく。
不審に思っている様子は無い。
明らかに不審なポーズを取るアルガに対する認識に聊かの疑問も無い。
「うふ。それにしても男ってバカよねぇ。幾ら連隊長とはいえ、此処まで情報を集める事なんて出来るわけないでしょうに……」
「アルガ連隊長! お疲れ様です!!」
「お疲れ様。次の仕事へ掛かりなさい」
「分かりました! 失礼します!!」
再び横を通り過ぎていく部下に声を掛けてポーズが変更された。
「貴女には世話になったし、命は取らないであげる。まぁ、あの女達に察知されても面倒だものね。それと配役にはいつでも限度があるものよ。あんな伊達男が好きだけど仕事仲間だから言えないなんて歳の割りに初心なのね。んふ♡ 気に入っちゃったから、“ソレだけ”でいいわ」
端末が制服の横に丁寧に仕舞われる。
「この私と関わって、こんな被害で済むなんて神にだって自慢できるわよ~~覚えてたら、だけど♪」
深呼吸が一回、二回。
「さぁ、そろそろ目覚めなさい。今日から貴女はただのアルガ・レア。貴女は扉を運んで無いし、裏情報も持ってないし、伊達男を焚き付けてもいない。普通の中間管理職よ。ちょっと悪魔に心を乗っ取られた挙句に好きな男への感情を忘れる悲劇のヒロインだけど♪ 過ぎた役を受ける悦びに啼きなさい。うふふふふ♪ あははははは♪」
次の仕事をしなくてはとアルガが自室への道を急ぐ。
「あーはん♪」
聖女と娘の一時が温かいものになる事を願いながら、口元に微笑を浮かべて。
「?」
途中、不意に視界が滲んで、何事かと顔を拭い。
「何だ。どうして私は……」
訳が分からず。
アルガは己の健康を疑いながら首を傾げる。
瞳は止め処なく雫を零して、しばらく止まる気配も無かった。
全ては闇に消えた。
詳らかになる事なく。
その日の夜、自分の端末に同僚の番号が入っていないという事実を、彼女は発見出来ず。
ただ、こんな時に有休を取るらしい同僚に文句を言ってやろうと。
その男の顔を思い浮かべながら、まるで恋する乙女のように夜の帳の奥へと意識を落とした。
そうして。
フェルラスの端末が誰かに発見される事はついになかった。