※この作品はR-18です。

聖娼館ハルトゥム   作:Anacletus

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第二章二十八節★

第二章二十八節「地獄」

 

「【其は武の猛将にして異端の剣】―――ヒュペリヲン!!!」

 

 石造りの地下通路の内部。

 

 詠唱魔術が発動し、紅蓮の炎が剣と言うには聊か太く通路を埋め尽くした。

 

『ぐッッ!!? ぞ、増援を呼べ!!! 上に詰めている者達にただちに連絡!!』

 

 通路の構造上。

 

 牢屋に飛び込まない限り回避する事は出来ない。

 

 それでも何とか防御用の方陣で耐え切った数人の男達が魔力の残滓である輝きを引き連れて退避していく。

 

 一撃で洋光(ランプ)も焼き切れた牢獄内部に闇が落ちる。

 

 視覚強化の魔術を作動させたセイリは焦げ臭い通路を駆け。

 

 牢の端まで辿り着いた。

 

「今、開けます。セェエエエエイッッッ!!!」

 

 新調したばかりの帯剣が牢の錠前を封じていた魔術方陣ごと叩き斬った。

 

『セイリ様!!!?』

 

『セイリ様だ!!』

 

『本当に!?』

 

『来てくださったのですね!!』

 

 内部に囚われていた屋敷の使用人達がわらわらと出てきてはセイリの元気な様子に落涙する。

 

「皆、心配を掛けました。ですが、まだ気を抜いてはいけません。逃げ切るまでは! さぁ、こちらへ!!」

 

 セイリが掌に明かりを灯して誘導しつつ、牢へと入ってきた不正な抜け道。

 

 下水への大穴へと身を躍らせた。

 

 全員がそれに習うとそれから間も無く【全身鎧(フルプレート)】の兵達がやって来る。

 

『隊長。逃げられたようです』

 

『構わん。今更何も出来んさ。議会を動かす力はエルメトロ様にはない』

 

『ですが、追手は掛けなくてよろしいので?』

 

 やってきた鎧の一体が兜を脱いだ。

 

「アーズトリテの諜報が止まっているのに義理立てする理由はあるまい。罠が仕掛けられている可能性もある。迂闊に動いて人員を無駄に負傷させる必要も無い」

 

 中から出てきた顔はセイリを捕縛したエーデリア独立特務部隊イナーシェの隊長だった。

 

『それにしても隊長の予想、当たりましたね』

 

「当然だ。エルトメトロ様ならばそうするだろう。何せ……あの方は将軍閣下の子供なのだから。我々より先にこのエーデリアへ辿り着き、即行で何処に囚われたか看破した上で奇襲した手並み。尋常ではない。あのアーズトリテのクラウゼンに引き渡した不死者の事も含めれば、その人望いかばかりのものか」

 

『隊長……』

 

「何も言うな。我らはあくまでエーデリア議会の狗だ」

 

『はい』

 

「都市内に正規兵で検問を敷かせろ。下水に調査隊を派遣。鼠狩りといこうか」

 

『了解しました』

 

「この七教会の物真似鎧が何処まで出来るか見せてもらわなければな」

 

『はッ!!』

 

 再び兜を被って、男が牢から部下達を引き連れ階段を昇っていく。

 

 巨大な回廊の一角に出た。

 

 石畳は磨き抜かれて顔を映す程に黒光りし、アーチ状の天蓋から降る夕日を反射している。

 

 鎧姿のまま玄関口へと向った一行は一分程歩いてようやく辿り着いた。

 

 全員が鎧越しでも眩しい夕景に目を細める。

 

 風が吹いて、内部で吹き出た汗を浚っていった。

 

『往くぞ』

 

【【【【【【【【【【【【【【【おう】】】】】】】】】】】】】】】

 

 その光景を前にして誰もが頷いた。

 

 部隊がいたのは平原にある小山に立つ城の大門。

 

 巨大な壁の上。

 

 そこからは国父ニェハエルも好んだとされる赤の屋根瓦に包まれた都市の街並みとそれを覆う外壁、そして何処までも続く平原が見えていた。

 

 古都エーデリア。

 

 嘗て大皇が居を置いた事もある藩落序列第三位の都市国家。

 

 搾取され衰退の道を辿っているはずの街並みはそれでも人々の意思を反映せず。

 

 美しく夕日に溶け込んでいた。

 

 *

 

―――藩落東端双來弧牢の城上空より。

 

 時は少し撒き戻る。

 

 少年とセイリが双來より連れ去られた日。

 

 【貴皇(ペルソナ・ノーブリス)】で全てを見ていた皇帝陛下はブリッジにいる全員の胃がキリキリと痛む程に静かな様子で沈黙していた。

 

 全てが終わって何も観測出来なくなってから、長い溜息が吐かれる。

 

 その意味が分からないブリッジのクルーは戦々恐々。

 

 今正に不愉快だから国を消そうと言い出されても従うだろう彼らはエトがご執心な少年の残虐解体ショーには青褪めなくても、その溜息には戦慄する。

 

 今、エトの傍にはお付きの湯女達もいないし、湛え褒めまくる皇帝馬鹿もいないし、婚約者兼侍従扱いの姫もいない。

 

 それどころか腹心の枯木みたいな男も客人である三人の少女達もいない。

 

 意見出来る人間が誰一人いない権力者程に恐ろしいものはない。

 

 諌める人間がいるかいないかで君主というものは名君にも暗君にもなるものだ。

 

 それをヒシヒシと感じながらブリッジクルーには言い知れぬ緊張を胸に抱いて、静寂を保つ。

 

「まったく。余を放っておいて凛々しくも美しい娘と枷で繋がれ“お出かけ”とは恐れ入る」

 

 ヒリついた空気が周辺に立ち込めた。

 

「まぁ、よい。男の一人や二人。戻ってくると言うならば、待っているのが善き女と言うもの……余も世の習いに倣うとしようか」

 

 ホッとブリッジの誰かが音も立てずに安堵した。

 

「そう言えば、今日の夕方から恩返しせねばなるまいな。一宿一飯の恩は返さねば。そうだ……余が直々にする事としよう」

 

『?!!!』

 

 ゾワリとクルー全員の背筋が粟立つ。

 

「夕暮れ時までに積んである新型の射撃用管制機構を余の席に用意しておけ」

 

『了解しました!!! 陛下!!!』

 

 クルー全員が一斉に唱和した。

 

「それと」

 

 ブリッジの中央。

 

 最も高い艦長席。

 

 その背後へと去っていく背中が軽い調子で最後の命令を下した。

 

「主砲以外の全戦闘用補給物資を明日までに届けさせよ」

 

 扉が一人手に開いて閉まる音。

 

『……』

 

 その場の全員がエトの言っていた事を正しく理解した。

 

 つまり、今日の夕方、この【貴皇】に存在する“全兵装が撃ち尽くされる”という宣言。

 

 クルー達が知る限り、イグニシア・クルシスの技術の粋を集めて建造された艦の兵装は恐ろしく破壊力が高い。

 

 副砲が全力で吼えれば、それこそ下手をすれば中規模の街が一撃で消し飛ぶ。

 

 それを何回連射出来るかなんて知りたい人間はクルーの中にはいないが、事実を言えば……一国を焦土にして尚一昼夜は撃ち続けられる。

 

 内臓されている火器は全て魔術と魔導技術で制御され、全弾撃ち尽くしても砲身の冷却が必要ない。

 

 撃ち出される弾の一発一発が正に金塊と同義。

 

 発射される弾丸に込められたものは運動エネルギーだけに非ず、多種多様な魔術の効果をも有する。

 

 乗っている超常の力の使い手や魔術師達を動員すれば、即座に望んだ大規模儀式術すら発生させられる。

 

 単艦で七教会の正規【騎師団(ミリシェ)】と渡り合えるよう設計されたと噂される能力は伊達ではない。

 

 夕方。

 

 この国がどうなってしまうのか。

 

 想像も出来ず。

 

 クルー達は思った。

 

 とんでもない事になる、と。

 

 そんな事を思われているとは露知らず。

 

 エトは至って平静なまま自室へと戻っていた。

 

 内部ではエリザが掃除を終わらせたのか。

 

 寝台の上に座って一息付いている。

 

「あ、エト。お帰りなさい。で、ブリッジに何の用だったわけ?」

 

「いや、何でもない。それより本国のソシアニアに繋げ。少し用があるのじゃ」

 

「バルデバランさんに? ちょっと待ってて」

 

 ひょいと立ち上がったエリザが部屋の片隅にある台座の水晶へと触れる。

 

 魔術による幾つかの認証を行い、虚空に浮かんだ光の文字をポチポチ押していくと、目的の人物に繋がった。

 

『陛下。これはお早い連絡で。して、何用ですかな?』

 

 執務室で書類から顔を上げた筋骨粒々の壮年が部屋の壁に映し出される。

 

 バルデバランが不思議そうな顔をした。

 

 基本自分で問題を解決するエトは滅多な事では連絡してこないと知っているからこその反応だろう。

 

「男の愚かしさもまた女として付き合わねばならぬものか……」

 

『は?』

 

 一瞬怪訝そうな顔をした片腕にエトが何でもないと呟いた。

 

「この地図を見よ」

 

 エトが指を弾くと予め設定されていた情報がバルデバランの前に表示される。

 

『これは……双來の地図ですか?』

 

「そうである。ソシアニアよ。お前ならば、この国を兵で攻める時、どのような方策を打つ?」

 

『ふむ。ラストーラ大山岳に抱かれた双來を落とす。往年の国力ならば、心躍る戦になったでしょうな』

 

「ちなみに使える兵力は相手の五十倍程と考えよ。航空戦力は連隊規模の機動歩兵と竜や鳥竜類だけとする」

 

 普通ならば、何故そんな事を?と聞くのが筋かもしれないが、バルデバランはそんな無粋をせず。

 

 純粋にただ兵を動かす将の顔で的確に答え始める。

 

『険しい山岳と僅かばかりの樹林と荒野。この地を落とせなかった幾多の将は山岳をどうにかすれば勝てると色々試しましたが、全て失敗に終わりました。事、山岳部での戦闘で双來に勝つのは至難。かと言って平押しで真正面から攻めれば、山岳深くまで攻め入った途端にお家芸の山崩しで雪の下に生き埋めとなってしまう。ラストーラを熟知した傭兵達の戦い方は基本的に罠と遅滞戦術に特化しております。消耗戦は避け、相手を足止めすれば、後はラストーラの厳しい気候が全てを解決してくれる。兵力が五十倍ならば、軍の維持はその何倍も困難でしょう。かと言って少数精鋭の航空戦力で向っても、あちらは遠距離攻撃用の術や弓術も豊富。防空能力は高い。突破はまず無理と考えていい』

 

「ならば、どうする?」

 

『下策と上策がありますが、どちらがお好みですか?』

 

「どちらも使いようであろう」

 

『ならば、上策から。射程の長い大規模魔術か儀式術辺りでラストーラを一度崩し、山岳部での小細工と山崩しを封じた上で戦力に物を言わせて電撃戦を仕掛けます。この作戦の問題は山岳を知悉していなければ、まず不可能であるという事とせいぜい一日が作戦限界時間であるという事でしょうか。ラストーラの厳しい環境ならば、一日で雪崩を起こせる雪量が見込めます。相手は少数。身軽なのが武器です。拠点を引き払ったと見せ掛けて逃げ切られてしまえば、こちらが罠に飛び込んだ獣になりかねない。重要拠点を占領した次の日に雪に埋もれて死にたい馬鹿向きと言えますな』

 

「まるで見てきたようだな」

 

『藩落が戦乱に巻き込まれた際、貿易の用地として欲しがった国が攻めた記録には一日で占領し全滅したという話もあります』

 

「では、下策を聞こう」

 

『ラストーラ大山岳自体の厳しさを逆手に取って持久戦に持ち込みます。道を片っ端から寸断封鎖して物流を断ち、双來の民が餓死するか自ら道の封鎖を解いてくれと懇願するまでの我慢比べです。無論、責める国にしても軍の封鎖にはそれなりの物資が必要ですが、魔術で封鎖を自動化すれば負担は最小限に済むでしょう』

 

「確かに下策。だが、一番確実であろうな。それが」

 

『はい』

 

「では、この話はここまでじゃ。公務に励め」

 

『御意に』

 

 頭を下げたバルデバランの顔が消える。

 

「ねぇ、エト。戦争でも始めるの?」

 

 少しだけ声も低く、何処か顔を曇らせてエリザが聞く。

 

「生憎と余は戦争をする気がない」

 

「なら、どうしてバルデバランさんにあんな事聞いたりしたのよ?」

 

「余の考えを補足したくてな」

 

「補足?」

 

「ソシアニアは用兵の才がある。あれがこの地を攻める場合の正解。ならば、逆算も出来よう?」

 

「逆算?」

 

 益々分けが分からないと首を傾げるエリザに悪い笑みを零して。

 

 エトは今日の夕暮れを待ち侘びた。

 

 庭を手に入れたはいいが地形が悪い。

 

 となれば、害虫の駆除や庭の手入れもまた皇帝の務めであろうと。

 

「さて、我が帝都の精鋭工作部隊を使う時が来たようじゃ…くく…くくくく…」

 

「何か凄く嫌な予感がするわ」

 

 三人の少女達は見物がてら城下へと繰り出していて笑みを知らず、エトの悪い笑みを見たエーレインは「陛下が輝いていらっしゃる!」と胸躍らせ、枯木の男と双來の姫が折衝を続ける間も艦のクルー達は戦々恐々とし、何もかもが予定調和に過ぎ去った後。

 

 ようやく宵がやってくる。

 

 *

 

「いよいよですね。姫様」

 

「ええ」

 

 クーバがそわそわした様子で闇に浮かぶ【貴皇】を部屋の窓から見ていた。

 

 結露する硝子を拭いては今か今かと待っている姿はまるで子供が父親のお土産を待っているような様子にも似て、思わずシャルアが落ち着きなさいと声を荒げた。

 

「す、すみません」

 

「はぁ……いいのよ。私だってカリカリしてたもの。具体的にどうやって化け物をあの戦艦で薙ぎ払うのか教えてくれないんじゃ、不安にもなるわ。悪かったわね」

 

「い、いえ! 姫様は何一つ謝る事などありません!!」

 

 天候は艦の能力によって快晴。

 

 双來には珍しい澄んだ空には風音が響き、空気がピンと張りつめている。

 

 それを敏感に感じ取ったのか。

 

 いつもならば時折山岳上空に見える渡り鳥の姿もなく。

 

 これから何が起こるのかをシャルアはヒシヒシと実感していた。

 

「そう言えば、朝方の件だけど【草(エージェンス)】の連中は何か言ってた?」

 

 少年とセイリが何者かに追われて山岳地帯に逃げていったという話。

 

 その一部始終を見ていた双來の者達からの通報や自前の諜報組織からの報告で既に二人は一件を知る事となっていた。

 

「は、それがエーデリアの部隊ではないかとの話です」

 

「お姫様を迎えに来たにしては物騒な感じだったらしいじゃない」

 

「はい。何やら逃げているのを刃物や魔術を使って追撃していたようで、あの娘に傷を付けてでも捉えようとしたようです」

 

「一応、義理は果たしてくれたけど、あのまま消えるとは正直思ってなかったわ」

 

 朝、皇帝の腹心である枯れ木男と会談中に来た数枚の紙の事を思い出して、シャルアが溜息を吐く。

 

「先方の方に役立てて欲しいと渡しましたが、良かったのですか?」

 

「全部、頭に入れておいたから構わないわよ。あっちが掃討するんだから、今こっちが持ってても仕方ないしね」

 

 ゴウン。

 

「「!?」」

 

 二人が外から響いてくる音にサッと顔を上げた。

 

「どうやら始めるようよ」

 

「動き出した……」

 

 ユルリと絶壁に張り付く城の上から艦が動いていく。

 

 もう沈もうという夕陽は真横から城を照らしていて。

 

 艦の動きはよく見える。

 

 誰もが動き出した巨大な物体に目をやり、動向を見守った。

 

 それは何も人間だけではない。

 

 城下付近までやってきていた化け物達も同じだった。

 

「ん……構わぬ。やれ」

 

 【貴皇】メインブリッジ。

 

 最も高い場所に据えられた艦長席。

 

 エトの掛け声にクルー達が応える。

 

『メインシャフト展開。サブシャフトスンタバイ。観測班、国内全域の探査に入りました』

 

 艦の中央から広がる広大な甲板の中央が割れた。

 

 割れた鋼の下に巨大な一本の棒(シャフト)が現れ、甲板内部から無数の棒が連結されていく。

 

『遠見、透視、観測系能力の探査範囲をフルレンジまで拡大。補助観測用の魔力波、発信開始します』

 

 【貴皇】後部の艦橋の中央に魔力の光が幾何学模様に従って流れ、艦全体へと伝播する。

 

『【大源高炉(グラン・フォルナシス)】安定。展開補足に予備積層魔力のバルブ解放。【神話性概念魔力(ファブローサ・マギシス)】、メインフレームより来ます』

 

 エトの席の横。

 

 虚空に薄い光で構成された窓(ウィンドウ)が開いた。

 

 それはすぐ肥大化し、折り畳まれた自身を広げるように一台のオルガンとなる。

 

 無論、それはオルガンに非ず。

 

 二段連なる鍵盤に記されているのは魔術様式の核とも言える無数の文字。

 

 古代文字が鍵盤一つに十字以上刻印されていた。

 

『第一次安全弁解除。第二次安全弁解除。自己診断フェイルセーフ……オールグリーン。いけます』

 

『観測班より目標物の情報来ます。数は52232体、尚も越境により増加中』

 

 エトがクルー達の働きに満足したように頷いて、初めて声を発する。

 

「双來の姫より受け取った地図を我の下に表示せよ」

 

『表示出ます』

 

 地図の情報がエトの目の前に分けて表示された。

 

「では、これより……始める」

 

 何を始めるのか。

 

 エトは言わなかった。

 

 鍵盤に十本の指が打ち付けられた。

 

 オルガンの音色は……しない。

 

 だが、それよりも遥かに高度な情報が艦を駆け抜け、あらゆる機関に命令を出して、駆動させた。

 

『え……』

 

 ブリッジクルーの一人が思わず固まった。

 

 これからエトが行う化け物退治に必要とは思えない砲弾が船体下部の砲身へと込められた故だった。

 

『さ、散式結界弾!?』

 

 指がまるで一個の生物のように鍵盤を弾いていく。

 

 どんな魔術を編んだのか。

 

 オルガンに次々に打ち込まれていく情報がこれから起こるだろう全ての現象を如実にクルー達へと伝えていた。

 

「さぁ、余の庭がどうなるか。とくと見るがいい。双來の姫よ」

 

 凡そ千回。

 

 鍵盤は高速で叩かれ。

 

 最後の小指が離れた直後、皇帝の時間が始まる。

 

 *

 

 最初に放たれたのはまず船体下部の副砲。

 

 装填されていたのは相手側からの攻撃を迎撃する【汎用散式結界弾】だった。

 

 打ち出された砲弾は本来なら虚空で幾つかに弾け、天脈と呼ばれる【大源】中の魔力を取り込みながら無数の小さな結界を発生させる。

 

 相手火器や大規模な攻撃に対する備えであり、守りの要。

 

 その規模は一発で七教会の航空艦隊からの飽和射撃を防ぎ止める。

 

 しかし、何故故に一番最初に撃たれるのが副砲の防御用砲弾であるのか。

 

 ブリッジのクルー達には見当が付かなかった。

 

 着弾したのは双來東部国境地帯。

 

 そして、大規模な結界がまるで城壁のように全てを覆った。

 

 だが、それだけに留まらない。

 

 副砲は三百六十度回転する方式。

 

 射角を変え、方位を変えては無数の結界弾が国を覆うように打ち込まれていく。

 

 ほぼ真後ろのラストーラ大山岳を越えて砲弾が着弾したと同時に一時、副砲が沈黙した。

 

『――――――』

 

 クルー達が唖然としながらも観測状況を報告し始めた。

 

『そ、双來国境全域を結界が覆いました!』

 

 エトが悠々とオルガンの前で頬杖を付く。

 

 まるでそれを待っていたかのように前方の二つに割れた甲板の側面が幾つも円状に内側へ沈み込み、数十にも及ぶ魔力の円筒がその上へ浮かび上がる。

 

 色は菫色。

 

 エトの輝き。

 

 艦長席から恐ろしい勢いで艦に魔力が供給されていた。

 

 本来ならば、ただの屍になるまで干乾びるだろう供給率。

 

 体内の魔力増幅もせずに頬杖を突いている時点で正しく異常。

 

 己の主の非凡さにブリッジクルーは内心身震いを隠せなかった。

 

『サイドスカート展開。出力3割で魔力相転移開始されます』

 

『空間歪曲確認。リンク正常。全薬室に【宝煉鋼(ティサウリス)】転移終了』

 

『3・2・1―――【七光(セプタ・ノックス)】発射されます』

 

 甲板の沈み込んだ部分から蒼く細い棒状の鋼が魔力筒に打ち込まれた。

 

 二つが一体となった瞬間。

 

 超高速で魔力が全て光波に変換され、艦の周辺から消え失せた。

 

 直後。

 

 双來を覆う結界の至近で次々に爆発的な光の柱が発生し、丸太で壁でも立てるように連なっていく。

 

『空間転移確認。全弾目標地点に命中。結界により、外部からの観測は不可能。被害も確認できず』

 

『爆光収束、目標地点に400m級の断崖を確認』

 

 双來を外部と途絶する奈落が一部の例外を除いて国境地帯を寸断していく。

 

「これでラストーラの国境は殆ど焼き切ったな」

 

 エトが呟いた時、プシュッと背後の扉が横に開いた。

 

「晩御飯出来たわよ……って、何してるのよ!?」

 

 艦橋内部に映し出される戦争すら温い大破壊の様子にエリザが目を剥いた。

 

 その間にも続けて【七光(セプタ・ノックス)】と呼ばれた魔力筒が再び甲板に形成されていく。

 

『越境行動の途絶を確認。目標52239体完全に捕捉しました』

 

『せ、船体百八十度回頭』

 

 音も無く。

 

 艦橋から見える景色から夕日が消え失せていく。

 

『炉心臨界!!! 主砲発射態勢!!!? 対象、ラストーラ大山岳!!!!』

 

 エトが座ったまま、椅子をクルリと回して応対した。

 

「夕飯の献立はなんじゃ?」

 

「えっと、本国から送ってもらった粒麦のしっとりな麺麭と垢鳥の鼈甲揚げよ、ってそうじゃなくて!!?」

 

「これが世に言うノリツッコミというものか。やれば出来るではないか」

 

「そ、そりゃ、私だって少しは楽しい会話術的な事を研鑽して―――そんなのいいから、説明!!?」

 

 二人が漫才している間にも状況は刻々と変わっていく。

 

『メインシャフト最大展開!!! 炉心直結!!! 【七光(セプタ・ノックス)】の精密射撃機構駆動開始しました!!!』

 

 甲板の上に形成された魔力筒が複数に分割されていく。

 

 更に魔力が二つに割れた甲板の中央で鋼の棒(メインシャフト)に怒涛の如く流入し、輝き出す。

 

 幾つもの部位(パーツ)に別れ、構成を複雑に変化させていく姿はやがてサブシャフトを巻き込んで巨大な砲状に形成された。

 

『主砲発射まで後二十秒!!!』

 

「ふむ。要は化け物を逃がさない為の断崖、化け物を焼き殺す為の下準備、という事である」

 

「ひ、開き直らないでよ。もう殆ど戦争じゃない。こんなの……」

 

「ははははははは、戦争等と。ただ“偶然にも”双來を化け物から救う過程で国を覆う堀と我が国との新しい道が“出来てしまった”だけではないか。おっと、これから出来る、が正解か」

 

「道って、まさか!!!?」

 

『ガイドレール、発射されます!!!?』

 

 艦の動力炉と直結され、巨大な砲と化した鋼の棒(メインシャフト)が唸りを上げて、まるで糸のように細い光の筋をラストーラ大山岳の根元へとポイントした。

 

『敷設完了。続いて飽和魔力圧縮開始。術式中核挿入』

 

『全工程オールコンプリート。いつでも撃てます』

 

「よい。全てよい」

 

『主砲【我在りしと認めず】(ゴルギアス・コンバージ)及び【七光(セプタ・ノックス)】ディバイド―――フルファイア!!!』

 

 甲板から分裂した魔力筒が消え失せ、主砲の中心から空間の歪みの塊が吐き出された。

 

 ガイドレールに沿って凄まじい速度で吐き出された歪みが光を発し、そのまま山脈へと突き刺さる。

 

 山岳を穿孔する巨大な穴。

 

 周囲の空間から土砂も空気も水も、あらゆる物質を飲み込みながら歪みの輝きは大きくなっていく。

 

 本来、空間制御には膨大なエネルギーがいる。

 

 山岳一つを穿とうとすれば、正しく国を滅ぼすに足る力がいる。

 

 しかし、【貴皇】の主砲【我在りしと認めず】(ゴルギアス・コンバージ)はその単純な真理を覆す。

 

 それはただの空間圧縮による単純な一撃ではなかった。

 

 発射された歪みは周辺の物質を自らの中心点へと取り込んで只管に圧縮し、本来ならば在り得ない原子が重複する程の超加圧を行う。

 

 その結果、原子は崩壊し、まるで核融合でも行うように、あるいはブラックホールに物質が飲み込まれた時のように、膨大なエネルギーを発する。

 

 つまり、物質を取り込み続ける限り術式に力が供給され、空間圧縮は止まる事がない。

 

 本来ならば惑星上の物質の全てを取り込むか、大気圏外まで飛び出して物質を取り込めずに自然消滅するまで停止しない一撃だった。

 

 射程は惑星内に限り無限。

 

 威力は正しくエリザの前で証明される。

 

 山岳の下がまるでプリンでも崩すように消え失せていく。

 

 そして、双來の上空には無数の光の球体が出現した。

 

「フィナーレじゃ」

 

 エトの言葉が終わるよりも早く。

 

 球体周辺に浮き出た【秘儀文字(アルカナ)】が高速で幾つも回転し、細い円柱を無数大地へと降らせた。

 

 これから夜が来るという頃合。

 

 宵闇を照らして地上に花が咲く。

 

 爆発と収束を繰り返しながら、国の隅々にまで降る化け物の墓標は明るく。

 

 突き刺さった化け物を一瞬の内に溶解し、分子組成に至るまで完全に焼き崩し、血肉の一辺に至るまで焼却していく。

 

 その一撃は国土の被害を最小に留めながら、目標を一匹残らず掃討した。

 

 たぶん、三十秒も掛からなかっただろう。

 

 双來の空と地上から光が消え失せ、ガイドレールの途絶と同時に数十kmにも及ぶ山岳を貫徹した主砲も消え失せ、誰もが沈黙するまで。

 

「エト……」

 

 あまりの事に呆然としているエリザへエトがニコヤカに告げる。

 

「食事はこちらに持ってこい」

 

「…ぅ…ぅん」

 

 思わず小声で頷いたエリザは傍と気付く。

 

「お、終わったなら食堂か個室で食べればいいんじゃない?」

 

「何を言っておる?」

 

 エトがクルリとまた外側に席を向けて、こう言った。

 

「まだ、全弾撃ち尽しておらぬ」

 

「え?」

 

「田畑の一つもまともにない国に新しい農地までやろうと言うのだ。何と余の寛大な事か」

 

『『『『『『『『『『『『『『『!!!?』』』』』』』』』』』』』』』

 

 魔力の光で折られたオルガンがゆっくりと変形し、左右に割れる。

 

「さぁ、この庭へ刻むとしよう。余の永劫の偉業を!!」

 

 エトの両手が鍵盤を激しく叩いた。

 

 【貴皇】に存在する全火器と兵装が起動され、荒野と林野を砕き、焼き払い、腐らせ、ホカホカと湯気を上げる農業地帯にするまで凡そ一時間。

 

 その地獄のような光景を見た全ての者は心に刻まれた。

 

 偉業と災禍は紙一重だという真理を。

 

 翌日。

 

 賢帝でも愚帝もなく。

 

 皇帝エトという存在を甘く見ていたシャルアは朝起きて少し泣いた。

 

 窓から見える山岳に開いた巨大な穴(みち)と遠くに見える焦土。

 

 否、皇帝からの贈り物に、故郷が変わってしまったと胸を痛めて。

 

 それだけ派手な事をしていながら、国境地帯の結界による一時的な隠蔽は完璧で、藩落中の国家が全てを知るのは数日後の事だった。

 

 *

 

―――藩落北部城砦都市国家カルネアードより。

 

 藩落の都市国家。

 

 その四分の一は嘗て国父ニェハエルが没した後、自ら城砦を築く事で戦乱の世に備えた。

 

 最初から要所としての守りが置かれていなかった都市程、その城壁は新しい。

 

 藩落の人々の意識は一時の平穏の下でも衰えず。

 

 壁の保守点検管理増築は今も行われている。

 

 魔術を施した都市もある。

 

 生贄を封じた都市もある。

 

 超常の力を込めた都市もある。

 

 都市各々の特色が色濃く浮き出るのが国家の象徴である城壁なのだ。

 

 その中でも北部の【不毛山岳】と呼ばれる地域一体を封じる目的でニェハエルが造成したカルネアードの壁は不自然な程に魔術防護が固い城壁として名を馳せている。

 

 何故、北部の人間が立ち入る事が不可能とすら言われる地に対して守りを如く必要があるのか。

 

 本当のところを誰も知らない。

 

 一説には山岳に暮らす亜人や人外の侵攻に備えていた。

 

 一説には山岳の奥地に何かが封印されている。

 

 一説には山岳の噴火を警戒していたのではないか。

 

 諸説紛々(しょせつふんぷん)の有様だ。

 

 地域の人間ならば近付かない北部の山岳地帯に百万の兵に責められ三月は持つと讃えられる防御は必要だったのか。

 

 分からずとも都市の住人達はそんな事気にしなかったし、城壁を信頼していた。

 

 戦乱の中、一度とて壁を突破された事はないという事実もそれに拍車を掛けていたかもしれない。

 

 だから、都市住民達が気付いた時には全てが手遅れだった。

 

「おかあさぁあああん!!」

 

「ママァアアア!? ママァアアアアアッッッ!!!」

 

 都市内部。

 

 石造りの旧い街並みが広がる。

 

 夜の道に子供達が泣きながら溢れていた。

 

 大人達は一向に満ちる叫びに応える様子は無く。

 

 明かりも消え、城門も閉ざされた都市の夜気に泣き声は広がっていく。

 

 大人達の不在。

 

 それに脅えながらも何とか異常から年少の者を守ろうと年嵩の少年少女達は幼い子達の泣き声を聞き付けては家の中へと入れていた。

 

 嫌がる者。

 

 愚図る者。

 

 しかし、夜の怖さを思い出せば、誰もが等しく頷くしかなく。

 

 多くの子供達が見知らぬ者の家に身を寄せた。

 

 消えた大人達を心配し、不安に駆られながら、彼らは大人達が何故消えてしまったのかを噂する。

 

 とある少女は昼寝をしていて、起きたら誰もいなかったのだと言った。

 

 とある少年は夕暮れ時にフラフラと何処かへ出かけていったのだと語った。

 

 とある学生は大人達が酒場の奥に消えていくのを見たと証言し。

 

 とある男の子は怖い叫び声が聞こえたと恐怖に震えて毛布を被った。

 

 果たして人々は何処に行ったのか。

 

 親を探す子もいた。

 

 都市を囲むようにして立つ四つの鐘楼。

 

 地下を流れる水路の動力を使って昔ながらに回す時計の針が九時を告げる。

 

 都市で平凡な過程に生まれ育ち、将来は何かの職人になりたいと学び舎で語っていた男の子。

 

 彼はいなくなった両親を探して。

 

 城壁近くの薄暗がりにまでやってきていた。

 

 聳える塔は高く。

 

 此処からならば、何か都市に起こる異変も分かるかと思ったのだ。

 

 震える足と母親に塗ってもらった外套を着て。

 

 鐘楼の扉が押し開かれる。

 

「……おかあさん」

 

 蚊の啼くような声で鐘楼内部に声を掛けても、何の応えも返らない。

 

 それでも進むと決めたのは親を見つけたい一心から。

 

 学び舎で教わった簡易の魔術。

 

 掌に光を浮かべながら、男の子は一歩踏み出した。

 

 中は比較的狭い。

 

 石造りの内部は水と埃の匂いで満ちている。

 

 本来、鐘楼の上に上がろうとしていたが、不意に耳に微かな音を捉えて。

 

 男の子の目は地下に続く扉の方へと向いた。

 

 扉に耳を近づければ、また不明瞭な音。

 

 このまま家に帰るという選択肢もある。

 

 そう分かってはいたものの、小さな勇気が背中を押した。

 

 地下への扉。

 

 本来は施錠されているはずの扉が開いている事に何の疑問も持たず。

 

 小さな足音がコツコツと石階段を下りていく。

 

 不毛山岳の一帯を水源とする水路は都市の生活用水となっている。

 

 大規模な地下施設である水道は保守管理が行き届いていなければ不衛生である為、据えた臭いはしなかった。

 

 苔の匂いと水の音。

 

「だれか、いるの?」

 

 ようやく階段が終わった先、保守点検用の通路には明かりが付いていた

 

 本来誰かが入らない限り消されているはずの魔術具の光。

 

 幼い身には分かりようも無い不自然。

 

 声に返す声は無かったが、水音に混じって何かの音が通路の先へと続いていた。

 

 帰るのは両親を見つけてからだと少しずつ増大していく不安に心を揺らしながら、歩みは続く。

 

 音のする方へ。

 

 角を幾つか曲がった。

 

 下り坂を何度も下りた。

 

 やがて、道の壁に埋め込まれている魔術具の光源が減っていく。

 

 闇の中。

 

 自分の明かりだけを頼りに進んでいけば、行き止まりへと行き当たる。

 

 音は何処からかするのにもう進めない。

 

 それをおかしく思った男の子は気付く。

 

 気付いて、しまう。

 

 行き止まりの暗がり。

 

 端にある蓋と取っ手。

 

 重い取っ手を持ち上げれば、下に続く梯子が一つ。

 

「…だれか…いませんか…」

 

 呟きが儚く消える。

 

 下りるしかない。

 

 梯子をしっかりと掴んで、足を滑らせないよう気を付けて。

 

 下へと向かう。

 

 それは無謀だったかもしれない。

 

 誰かと共に来れば良かったと男の子は悔やむ。

 

 梯子を降りた先にはもう完全に明かりが無かった。

 

 掌の魔術の光で降り立った場所を照らせば、一本道が延々奥に続いている。

 

 トコトコと歩き出して一分も歩いただろう。

 

 今まで微かだった音はもう重低音を伴った音色のようにハッキリとしていた。

 

 ゴクリと唾が飲み込まれる。

 

 引き返せないならば往くしかない。

 

 覚悟を決めたまま、背中に伝わる汗を感じながら、男の子はようやく音の出所らしき場所を見つけた。

 

 道が途切れ、その先には仄かに光っている。

 

 何処か広い空間に繋がっている終着地点に彼は立った。

 

―――――――――。

 

 まだ幼くとも社会の中で育てば、何が悪くて、何が拙いのか分かる。

 

 凡そ人間ならば、誰であろうと常識というやつが頭の中には存在する。

 

 だから、最初…男の子は…それが人間なのか…分からなかった。

 

 音の正体。

 

 それが広大な穴の其処で繰り広げられている。

 

 仄かに明るい魔術の光に照らされて、その光景は広がっていた。

 

【はぁはぁはぁはぁ。うッッ】

 

【あはははははははは、あはははははははあははははあはあははははははは】

 

【ひゅーひゅーひゅー】

 

【い、ひひ、ひははははははは】

 

【いいぃいいいいいいいいいいいいい!!!】

 

【イくいくぎくぎいくっ、イぐうウウううううううううううううううううう】

 

【あ゛あ゛ぁああああAAああaaaa.huhuhuhuhuuuuuuuuuuuu!!!?】

 

【おおおおおおおおおおおおおおおおおんッッ!!!?】

 

【まんごぉおおおおおおおお!!! まんごぉおおおおおおおおおおおおお!!?】

 

【ずぼずぼだぁ♪ あはッ?】

 

【いげえぇえええええい、げょおおおおおおおおおおおおおおお!!!】

 

 人が裸でいる。

 

 人が犇(ひし)めいている。

 

 交合(まぐわい)に耽っている。

 

 穴をズボズボしている。

 

 尻を震わせている。

 

 おちんちんを天に立てている。

 

 おまんこを高く掲げている。

 

 虚ろな視線で、淫靡な視線で、濁った視線で、誰もが、異常な程に口角を吊り上げた嗤い顔で。

 

「ぅ、お゛ぇ゛え゛え゛」

 

 擂鉢上の世界には肉と汗と涙と鼻水と淫水しかない。

 

 それは人間の行いではない。

 

 男の子の目には見えていた。

 

 もう動かない体を延々と犯す者。

 

 もう動かない体の上で延々と犯す者。

 

 瞳は何処を向いている。

 

 擦り切れた性器は血みどろな者もいる。

 

 しかし、だが、それはまだいい。

 

 まだ、いいのだ。

 

 何故ならば、人々の中央にはそれ以上に禍々しいものがあったから。

 

 それは黒い塔だった。

 

 いや、塔のように見える何かだった。

 

 ビッシリと生える黒い毛は艶やかに。

 

 頂点には人型の上半身が据えられている。

 

「あ、くま……」

 

 嘔吐した吐瀉物(ゲロ)塗れの口元が呟く。

 

 上半身しか埋まっていない人型は黒かった。

 

 耳が尖っていた。

 

 嗤っていた。

 

 人々を見ながら嗤い続けていた。

 

(にげ…ないと…にげ…)

 

 グジャッ。

 

 そんな音がする。

 

 男の子は黒い塔の下にいる数百人もの人々が黒い塔から生えるようにして繋がれている狗に喰い散らかされる光景を見た。

 

「ひッ?!!!」

 

 よく見れば、狗の下にはまた人型の何か。

 

 金色の髪をした者。

 

 エルフの女達がいると分かっただろう。

 

 数百もの狗の下で数百ものエルフが太い肉棒に貫かれ、子種を注ぎ続けられていると分かっただろう。

 

 しかし、少年はもう何も見てはいなかった。

 

 生存本能。

 

 そうとしか呼べないものが身体を突き動かせば、逃げる以外ない。

 

 だが、その一歩目は思わぬ形で止められた。

 

 ドン。

 

 もと来た道を戻ろうとした男の子の鼻面に嗅ぎ慣れた生地が当たる。

 

「え…おかあ、さん?」

 

 顔を上げた男の子が見たのは紛れもなく自分の母の姿だった。

 

「こんなところでどうしたの? 坊や」

 

「あ、よかった…おかあさん! おかあさん!」

 

「甘えん坊ね…」

 

「そ、そうだ! にげなきゃ! おかあさん」

 

「逃げる?」

 

「そう、そうなの! あぶないの! あ、あくまがいてみんなおかしくなっちゃって! にげよう! おかあさん」

 

 男の子は必死に母へと告げた。

 

 母がいつもと様子が違う事。

 

 どうして其処に立っているのか。

 

 そんな事を考える余裕は無かった。

 

「あらあら。どうしたの坊や。此処は御子様のお膝元。悪魔なんていないわ」

 

「え……?」

 

 そっと母の抱擁が男の子を捕える。

 

「さぁ、行きましょう?」

 

「な、なにするの!? おかあさん! あぶないよ!! や、やだよ!!」

 

「うふふ。恥ずかしながら無くてもいいいの。これはみんな自然な行為……そう、あなたもする事になる事なのよ?」

 

「お、おかあさん!? どうしちゃったの! ねぇ!! おかあさん?!」

 

 絡め取られ、有無を言わさぬ力で逃がさぬよう胸に抱かれたまま、男の子はその地上へと下りていく。

 

 犇めく誰も彼もが母子の為に道を開けた。

 

 そうして喚く己の子を抱えたまま、母はついてに自らの主の膝元までゆく。

 

「ああ、御子様。本日はご機嫌麗しく。明日からの事は万全滞りなく行われる事になりました」

 

 黒き塔と狗達を前にニコヤカな母。

 

 その異常に男の子は全部嘘だと思わずにはいられない。

 

 いつも優しい顔が、いつも撫でてくれる顔が、道を開けた人々と同じくになっていくなんて、ありえないと。

 

「それで報告をしに来たのですが、どうやらこの子が迷い込んでしまったらしくて。どういたしましょう?」

 

「ひ、お、かあ…さ」

 

『ピーリヤ』

 

 黒の塔の全体が発音したような音が人の名を紡ぐ。

 

「はい。アーフル様。ピーリヤは此処に……」

 

 狗達の奥から現われる少女が男の子を見つめた。

 

 無論、全裸。

 

 しかし、一つ違うのは少女の耳が狗の下で喘いでいる者達と同じ事。

 

「おかあ、さん。にげ…にげな…いと…」

 

 ジョボジョボとついに塔の声で失禁し股間を濡らした男の子がガクガクと瘧(おこり)のように震えた。

 

「よく今までやってくれました。アーフル様がもう混ざっても良いと」

 

「ああ! ああ!! ついにこの時が来たのですね!? はい! はい!」

 

「それではお子さんはこちらに。うふふ」

 

 エルフの少女ピーリヤがニッコリと他の人間達とは違う微笑みを浮かべた。

 

 男の子にしてみれば、それは一縷の淡い希望のようなものだったかもしれない。

 

 本当は優しいのかもと。

 

 あんな嗤みを浮かべるような人とは違うのかもと。

 

 そう思ったとしても仕方ない話だろう。

 

「ああ、それではこれで!!!」

 

「おかあさん!?」

 

 男の子の前で母親は自らの服を破り散らすとまるで子供のように全裸で男達の方へと駆け出した。

 

 付いて行こうとする手がピーリヤに留められる。

 

「あなたはこちらへ」

 

 その手を振り払えなかったのは何も怖かったからではない。

 

 単純に身体がもう高濃度の瘴気に動かなかったからだ。

 

 その場の誰も知らなかったが、人々のいる巨大な淵の中には常人が気付かない程度に酩酊を催す暗い色の魔力が漂っていた。

 

 口も利けないまま、男の子はピーリヤに連れられて更に黒き塔の奥へと向う。

 

 それほど奥行きがあるとは思えない空間の奥の奥。

 

 一分も歩いただろう闇の奥底。

 

 そこでようやく黒の塔に明かりが差した。

 

 小さな空間。

 

「!?」

 

 一面の黒に浮かぶ飴色の揺り椅子にその男は座っていた。

 

 塔そのものである男の顔を見忘れるわけがない。

 

 黒の棺に汚染されたダークエルフ。

 

 御神の御子。

 

 アーフル・ナーシムが旅装束でそこにいた。

 

「来たか。ピーリヤ」

 

「アーフル様 お連れしました」

 

「ああ、そこに腰掛けさせるといい」

 

「はい」

 

 男の子がいつの間にか背後にあった白い小さな切り株に座らせられる。

 

「ようこそ。幼き人間」

 

「          」

 

 たった二言。

 

 それを聞いただけで男の子は知る。

 

 目の前にいるのが決して見てはいけない聞いてはならないモノだと。

 

「君はまだ幼いな。だが、それもまた運命と諦めろ」

 

「ッ」

 

 止まらない振るえを抑えるように自らを抱き俯く男の子へアーフルが微笑する。

 

―――どうして塔と同じものが此処にいるのか知りたいか?

 

―――それは私の意味が世界に誤謬を強いているからだ。

 

―――分からないといった顔だ。

 

―――己を【再顕(エフィンゲレ)】させていると言っても理解出来ないか。

 

―――私は私という命に意味を持たせた。

 

―――私は私というものから、定義付けられた一個の語彙となった。

 

―――私は世界だ。

 

―――いや、世界が私だ。

 

―――人間を滅ぼす記号。

 

―――人間を絶やす文字。

 

―――エルフの為のエルフによるエルフだけの繁栄を追い求めた果て。

 

―――それが私だ。

 

―――ああ、此処に在るのも私だ。

 

―――しかし、塔であるのも私だ。

 

―――此処に充満するものも私だ。

 

―――だが、全ては私という語彙が含む些細な差異に過ぎない。

 

―――黒の棺は偉大なるものの褥であり、我が揺り篭。

 

―――故に人は捧げられねばならない。

 

―――故に此処は悲劇であらねばならない。

 

―――ああ、全ては悲願成就の為に。

 

―――新たな我が子達の叢生の為に。

 

―――御世は来(きた)るかな。

 

―――御世は禍(わざわい)なるかな。

 

―――御世は幸(さいわ)いなるかな。

 

―――ああ、人間よ。

 

―――幼き子よ。

 

―――人の子よ。

 

―――私は知る。

 

―――私は知っている。

 

―――お前達の求め縋る思いこそが、全ての始まりだと。

 

―――その欲求こそが、希求こそが、人の愚かさであり、美しさであると。

 

―――だから、我らもそうなろう。

 

―――そうだ。

 

―――エルフに祝福なるかな。

 

―――見よ。

 

―――新たな我が子の誕生を。

 

―――共に祝ってくれないか?

 

 酩酊の中で男の子の脳裏に刻まれた致命的な羅列。

 

 その最後の一言に促されて、視線が滑る。

 

 黒の塔の最中。

 

 小さな空間にはいつの間にか白いものが幾つもアーフルを、男の子を、ピーリヤを囲むように出てきていた。

 

【ん゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛―――】

 

【ア゛-ブル゛ジャ゛マ゛ァ゛ア゛ア゛ア゛ 】

 

【生まれ゛るぅうう゛うう゛ううううウウ゛ウうううウ゛】

 

 白くて丸いもの。

 

 それが女の孕んだ腹だと男の子には分からなかった。

 

 しかし、ブジュァアアアアアアアアアアアアッと一気に破水して吹き上がる羊水が容赦なく男の子を濡らしていく。

 

「新たなる子ら。我が子種受けし胎より出でるがいい。さぁ、挨拶の時間だ」

 

 白いものが一斉に増えた。

 

 下半身の腹だけ突き出していた黒い壁の下に幾つも重い落下音。

 

 声は無かった。

 

 いや、肺を使うという人間の赤子には必要な事が今正に母の腹から生まれ出でたエルフ達には必要なかった、というのが正しいだろう。

 

「―――ッ!!?」

 

 男の子は自分を見る視線の数に鳥肌を立てた。

 

 周辺に産み落とされた赤子達の目はもう開いていた。

 

「さぁ、お前達の為のお客人だ。持て成してさしあげろ」

 

 アーフルが嗤みを浮かべて呟く。

 

 未だ繋がっていた臍の緒がポロリと床に落ち、産み落としたばかりの凹んだ腹達が黒の塔の中へと埋没していく。

 

 その間にも男の子は自分を視る幾つもの視線で完全に雁字搦めにされていた。

 

 動けない。

 

 いや、動きたくない。

 

 その視線が持つ力。

 

 それは―――魅惑の魔眼―――あるいは邪眼。

 

 ヨタヨタと赤子達が男の子に近付いていく。

 

 震えながら動けないまま、視線は信じられないものを見る。

 

 生まれたばかりの“よちよち這う”エルフ達がゆっくりと立ち上がった。

 

 それだけではない。

 

 そのまま歩きながら男の子へと進む度に背が伸びていく。

 

 臍の緒はもうカラカラに干乾びて落ち。

 

 やがて、傍まで来る頃には男の子より何歳も年上のエルフの少女達が笑みを浮かべて男の子を見下ろしていた。

 

「!?」

 

 後ろに下がる事も出来ず。

 

 いつの間にか瘴気が綺麗さっぱりと消えている事にも気付かず。

 

 エルフの少女達が何を栄養源としていたのかも分からず。

 

 男の子は棒立ちのまま。

 

 無垢な笑みと手が衣服を剥ぎ取っていく。

 

「増えよ。儲けよ。地に満ちて。汝ら世の全てを支配する者也」

 

 アーフルの前で少女達が男の子を連れ。

 

 ピーリヤに導かれるまま奥へと進んでいく。

 

 それから数分後には奥から楽しげで甘い嬌声が響き始めた。

 

「さぁ、人間……知恵比べといこう。くくく、はははははは―――」

 

 闇の底。

 

 人間達の阿鼻叫喚を糧に胎動するのは禍神の謀略か。

 

 あるいは衰滅の兆しか。

 

 静かに世界が変わり始める。

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