番外編「とある平凡な一日」
聖娼館ハルトゥム
番外編「とある平凡な一日」
「ユヒア~~。早くしないと置いてくよ~~」
「ま、待ってください!!」
穏やかに暮れていく斜陽の影に道が宵を刻み始める頃。
二人の女学生が道を急いでいた。
片方はくすんだ栗色のお下げ髪。
もう片方は金糸で誂(あつら)えたような金色のお河童頭。
対照的な二つが駆け抜けるストリートは瀟洒なレンガ造りの歩道。
通りには雑貨店や本屋、寄り道禁止という校則を暗黙の了解で破る学生達で賑わう甘味屋が並ぶ。
「ユヒアはそんなに早く走れません~~!」
年頃の少女達には堪らない場所に目もくれず。
通り過ぎる二人は遠目になら姉妹と見えた。
雀斑(そばかす)に眼鏡を掛けた栗色の髪の少女はまるで流星。
陸上部にでも入っているのか。
その走るというより“奔る”姿態は堂に入っている。
追いかける金髪の少女は意思の強そうな眉を八の字にして息を切らしながら追いかけていた。
繊細な貌(かんばせ)が苦しみに歪めば、それはそれで絵になっている。
「もうちょい! がんばがんば!」
翅でも生えているように地を跳ぶ足は軽く。
先行する黒色の髪の少女にユヒアと呼ばれた金髪の少女は導かれるまま。
やがて目的地付近に辿り着いた。
「ふぁ~~と~~ちゃ~~く」
「うぅ。ユヒアの足はもう大根確定です……」
毎日のように追いかけているせいか。
近頃、乂羅産の野菜が嫌いになりそうな乙女心である。
「へーき、へーき。だって、ユヒアってハティア様似じゃん」
「自分より可愛い母親がいないから、そんな簡単にかあ様似だなんて言えるんです!! ユヒアはとう様似だから、か、可愛いところじゃなくて、凛々しいところでかあ様とは勝負します!」
栗色の髪の少女は友人の母の容姿を思い浮かべ。
「まぁ、確かにハティア様の可憐さと比べられたら、世界中の女の子は絶望するしかないよねぇ」
それでもやはり血統というものの業は深いと少女は笑みを零す。
少なくともユヒアが毎年のように、それこそ幼稚舎の頃から男子からの手紙を山のように貰っていた事を彼女は知っている。
「か、かあ様と張り合ってミスコンに出てた聖女仲間の方で唯一同列一位だったのはクラル様だけなんですよ。ユヒアなんて全然……自分で言ってて落ち込みます!」
「あはは。ごめんごめん。そうだよねぇ。世界一可愛い聖女様に勝とうとしたら、まだまだ女を磨かなきゃ幾ら娘のユヒアでも分が悪いよね」
「当たり前じゃないですか! かあ様は大陸一可憐だって七教会の全大陸規模の投票で決まったんですよ!? ただの娘ってだけじゃ太刀打ち出来ません!」
「どうどう。興奮し過ぎると貧血になっちゃうよ?」
「もう! アリエったら!」
ユヒアがポカポカと肩を軽く叩いた。
二人の足がようやく立ち止まる。
「無名の丘~~無名の丘~~」
駅の車掌ばりに声を響かせて栗色の髪の少女アリエが首を上向けた。
二人の前には何も刻まれていない石碑が立っている。
「どっこらせっと」
アリエがオヤジ臭く碑の前に胡坐で座った。
ユヒアは淑やかにハンカチを地面に敷いて体育座りで地面に腰を下す。
「ん~~今日も走った! 食べた! 風が気持ちいい~~」
夕暮れから去っていく風は夏に差し掛かる一時の寂寥を忍ばせて、緩やかに世界を渡っていく。
丘からは都市が一望出来た。
アルヴィッツ中央共和国。
大陸中央諸国の中心にして文化の震源地。
七教会の本部が置かれ、国民の99%が七教会の信徒である国だ。
二人がいるのは首都である【聖凱王都アルヴィッツ】の中央。
七教会の数kmにも及ぶ本部施設と付随する街並みが見える場所だった。
古くは王城が見えた場所であるらしい。
もうその城下の街並みは教会の関連部署に呑み込まれて跡形も無いが、昔はそれはそれは巨大な城が建っていたという。
人々が住まう居住地と商業地と教会施設。
これで全てが占められるようになった大地は遠く地平まで続いている。
二人は教会付属の中央高等学校の学生だ。
文化と技術と信仰の中心である七教会本部付属ともなれば、世界最高の学府と言っても差し支えないだろう。
世は平和。
今や大陸の戦乱は消え失せつつあり、これからの人類は幸せを享受する時代に入ると言われている。
【倖授世代(フォルトゥナータ)】
そう呼ばれ、そうである事を疑わず。
これから【近代化(レボリュション)】による平和を推進していく七教会の次期エリート養成施設こそが彼女達の通う学び舎である。
「は~~~空綺麗だね~~~」
はしばみ色の瞳が空を見上げて細められる。
「……アリエはいつも楽しそうですね」
「あ~~~今、悩みとは無縁そうとか思ったでしょ!」
「違うんですか?」
「違わない!」
おちゃらけた様子でアリエがふふふと笑みを零した。
「ユヒアは……悩み一杯で溺れちゃいそうな気がします」
「別にいいじゃん。そっちの方が」
「え?」
「だって、幸せって言うのはきっと、そういう事だと思うもん」
「……えっと、どういう事ですか?」
「いつか、ユヒアにも分かるよ」
「全然、分かりません」
「いいの。いいの。今は分からなくてもさ。人間満たされてるだけじゃダメって事なんだよ。きっとね!」
友人の顔があまりにもいつも通りだったから、ユヒアは何も訊かなかった。
いつもの戯言なのだろうかと心の隅に少しだけ言葉を留めるだけで。
「ユヒアはさ。将来の事とか考えてる?」
「な、何ですか。突然……」
「いや、ほら。昨日、将来の進路志望書かされたじゃん」
「あ、それは一応もう決まってて」
「そっか~~七教会の本部勤め? それともハティア様に同行しながら紛争地域とかで実地?」
「いえ、かあ様とは別の場所で働こうかなって」
「へ~~何か意外。だって、ハティア様と一緒に仕事がしたくて此処に入ったって言ってたよね? 前」
「はい。でも、此処で学んでいて思った事があって……」
「思った事?」
「ええ」
「それって、親離れ?」
「ズバリ言い過ぎです。アリエは……」
苦笑しながら、そうかもしれないとユヒアが俯く。
「これから大陸はどんどん平和に向っていく。それはかあ様がずっとずっと願っていた事で、とう様が血を流しながら求めた夢で……ユヒアにとってもずっと望んできた事……それは間違いありません」
「なら、ハッキリ言っちゃえばいいじゃん。お父さんとお母さんの傍にいたいって!」
「違う……違うんです。ユヒア……気付ちゃったから……だから……」
「気付くって?」
「……アリエはもし自分が今まで何ヶ月も掛けてやった成果が誰も知らない相手に取られちゃったら、どう思いますか?」
「そりゃ、怒るわ」
「なら、もしもその成果が自分じゃなくて誰かの為のものだったら、どう思いますか?」
「誰かの? ん~~更に怒るかも……」
金色の髪の少女が遠い目で都市を見つめる。
「かあ様が欲した平和はきっと一番最初にこの大陸で今も苦しんでいる人達が受け取るべきものなんです。それなのにユヒアがかあ様の横で一番先にそれを感じたとしたら、それってきっと……卑怯なんです。かあ様がどんなに報われない人達の為に仕事してきたのか。ユヒアは知ってます。かあ様が作る平和は誰もが望む平和。なら、それは今まで苦悩を背負ってきた人達から順番に受け取るべきもの……かあ様に沢山愛されてきたユヒアがそれを受け取るのは一番後じゃないと、かあ様の理想は……七教会が掲げてきたものとは違ってしまう……」
驚いた様子でアリエがユヒアを見た。
「その……それって、つまりはハティア様の理想を護りたいとか。そういう?」
ゆるゆると首が横に振られた。
「そんなに大そうな事じゃありません」
ユヒアが目を閉じる。
「餓えた者には糧を。愛を求める者には労わりを。かあ様の平和の列に並ぼうとする人達はきっと沢山いる……娘だからって、その順番に割り込んだら恰好悪いじゃないですか」
「はは、何て言うか。うん。ユヒアはやっぱりハティア様の娘なんだね」
「その……おかしい、ですか?」
恐る恐る訊いてくる友人にアリエが首を横に振る。
「ほんと、立派過ぎて私の友人には勿体無いくらいだよ♪」
「そ、そんな事ありませんよ!? アリエはユヒアの事を特別扱いしないでくれて! 沢山沢山お話も訊いてくれて! べ、勉強だって教えてくれて! ユヒアはアリエと友人で良かったって思ってますから!」
ズイッと今にも口付けになってしまいそうな勢いで少女(ユヒア)は少女(アリエ)に告げる。
「分かった!? 分かったから?! 何だか他の友達から近頃『本当に高い塔が立ってますわね』とか言われてるんだから、それ以上近付かないで!!?」
ズズイッと身体を後ろに引いてアリエが顔を引き離した。
「塔?」
「えっと、近頃の娯楽小説の言い回しでね。『キマシ・タワー』って言うのがあるんだって」
「……よく分かりません」
「私だってよく分かんないわよ! とにかく、あんまりくっ付くの禁止ー」
「は、はい」
ようやく距離が正常値に戻った。
すると、都市の空に荘厳な音色が流れ始める。
「そろそろ帰らなきゃ……」
心魂を揺さぶる旋律は七教会の音楽部署が奏でるカリヲンだ。
七教会本部のある鐘楼群に備えられた大小合せて四十数個の【銀金(ミスリル)】製の鐘は大気を世界を鳴らしていく。
曲はその時々で違うが、二人が聞くのは初めて都市に流れる代物。
「あ、これ……」
「ん? どうかした?」
「かあ様が昔教えてくれた曲、じゃないかな……」
「そうなんだ? へぇ……うん。穏やかで何処か切なくて、気持ちが優しくなる曲みたい……」
「確か歌詞は……」
小さな調べが舌に乗った。
―――麦の家に住んで春を待とう。
―――土の音に抱かれて蟲を共に。
―――泣き錆びた瞳で君と暮らそう。
―――歩んでくる旅人が声を運んで。
―――死の風がこの原を吹き抜けても。
「君と伴ならば、この世の果てまで」
詩篇の最後を謳い紡いで。
少女は一筋、涙を零した。
それが過去に存在した自分の一族が住まっていた故郷の詩だと知らず。
昔々とある一人の少年に囁かれたとも知らず。
「良い詩だね。ユヒア……」
「はい」
「何か、ここがぽかぽかする」
アリエが己の胸に手を当てる。
「すっかり忘れてました。子守唄代わりだったのに……」
「そうなんだ?」
「昔、一度だけ、かあ様が言っていました。これは大切な人に教える詩だって……」
「あはは、それじゃ、これからは友人改めまして大親友だね♪」
ユヒアが頷く。
「思い出せて良かった。こんな風にアリエに聞かせられて……」
少女達が互いに笑い合う。
「あ、そだ。悪いんだけど、そんな大親友に一つ頼みが」
「?」
「門限、此処から寮までだとほら……」
腕に巻かれた【電子噐械学(エレクトロニクス)】製の時計が外出制限の時刻ギリギリを指していた。
「はぁ……今回だけ、ですからね?」
「恩に着る!! さっすが、ユヒア大明神様!」
「もう、何なんですかソレ?」
相変わらずのやり取りをしている間にもユヒアが虚空に指で描いた転移の方陣が金色の魔力で薄らと輝きを増していく。
「あ~今日一日幸せだったなぁ~こんな日がずっと続けばいいのにね~」
「明日だって、きっと幸せですよ。自分がそう望むなら」
「そっか。そうだよね……うん。やっぱりユヒアはちゃんと分かってる。これなら大丈夫だ」
「?」
「それじゃね。ばいばい」
「はい。また明日学校で」
「うん」
転移の光が一瞬で人一人を寮の門前へと消し去った。
―――さよなら。
最後の声の残滓が宵に溶けて。
ユヒアは一人、ただ独り、心に温かなものを灯して、家路に付いた。
翌日。
戦乱で家族が他界し、故郷に旅立った大親友の事情を少女は知る事となる。
数日後に届いたのは友の死を告げる手紙と擦り切れた手書きの楽譜。
夕暮れ時に再び響いた曲に抱かれながら。
聖女の娘は人生で初めて、朝まで泣いた。
それから数ヵ月後。
小さな背中は学校から飛び出し、外套を纏って仕事を始めた。
この世を変える仕事を。
誰にも理由を告げないまま。
(―――君と伴ならば、この世の果てまで……行こう……アリエ……)
次第に過酷な現実が待つ部署へと移っていく少女の名を人々はやがてこう噂する事となる。
あれが、次代の聖女、空に福音鳴らし来る者か、と。