第二章三十四節★
第二章三十四節「深遠」
それは濁流。
あるいは激流。
流れていくのは星の数程もある羅列。
その一粒を掬い上げれば、一つの世界にも為る。
大河は空(うろ)を飾る虚(うろ)の如く。
螺旋は記憶。
生命の分岐と淘汰が刻んだ進化という適応。
その末のみに赦された証。
あらゆる命は命を受け渡された故に生きる資格を有し。
生きる故に死に辿り着く。
だから、一つの意思はその数十乗の命の結果であり、歴史の確固たる礎。
本来、生きるという事に優劣はない。
誰も同じ。
望まれるかどうかすら関係なく。
誰かの結末が紡いだ存在。
途切れずに繋がってきた軌跡そのもの。
それは尊くもないが、卑しくもない。
しかし、事実として、積み重なりに意味を見出す者がいれば、奇跡と人はそれを呼ぶだろう。
この大宇に“生きる”という世にも珍しい事象は星一つで考えるならば、凡そありふれているが、この宙の果てまで見渡せば稀有なるものだと知れる。
【血統主義】とは詰まるところ。
その奇跡を探求する事なのだと少年はとある少女に教えられた事がある。
「どう美味しい?」
もぐもぐと頬張っていた口がゴクリと中身を嚥下して、声に彼女が振り返る。
小動物のような愛らしい仕草。
異形の姿。
クラウゼン公爵家の中核、マヲン・クラウゼン・セト・ニェハエルだった。
「クヲ?」
肉体の接触と精神の接触は不可分。
本来は隔てるべき“壁”も意味を成さない。
それにしても天使すら喰らい尽した隔たりを少女が軽々と越えているのに少年は驚いた。
そこに来ようとするならば、少年の承認が必要だったが、マヲンは無造作に座り込んでいた。
白い大地に一人。
その顔は不思議そうにきょろきょろと自分の腕の中に有るモノと自分に話し掛けるモノを交互に見比べる。
「ククヲ?」
「贋物呼ばわりはちょっと……」
言語が発音出来ずとも意思は伝わる。
少年の中なのだから当然だ。
現実世界では丁度、彼女が口付けしている頃合。
まだ0.00001秒すら経っていないはずだが、それにしても早過ぎる。
「ク~~」
不思議そうな様子でマヲンが“少年を”交互に見やる。
「……それが君の得意技?」
「クヲ♪」
大きく頷く少女は再び、“食事”に勤しんだ。
口元は紅(くれない)に塗れている。
「確かに交合(まぐわう)なら、こういう事も起きうるとは思ってたけど、触れただけで此処までされるとは思ってなかった。君がどういう生き物なのかは何となく想像が付いたけど、お腹壊すんじゃない?」
少年は一人。
ただ独り。
白い己が“齧られている”のも構わずに忠告した。
「クーヲ」
「お腹壊した事無いって……ここまでされたのが初めてだから何とも言えないというか。僕で初めてお腹壊されても困ると言うか」
もはや死んでいる少年の虚ろな瞳が今正に自分を齧る少女へ忠告する少年を見ていた。
交わる事の本質は他者を取り込む行為。
その最も原始的な衝動こそ、他者の捕食だ。
故に少年は今まで自分を慕ってくれる少女達と触れ合う時も己の深遠へ誰も誘(いざな)わなかった。
それは思いやりであり、慈しみであり、最低限の拒絶だ。
自分の本質と触れて壊れないよう大事にしてきたのだ。
しかし、精神の繋がりがあるイフィミスラにすら来られないだろう深度で接触を行い、尚且つ少年の精神的な副交感神経とでも言うべき表層意識を食い破るという偉業をケロリとこなしたマヲンは何の躊躇もなく“食事”に勤しんでいる。
他者と交わり、子を成して次の世代を創造する【血統主義】いや【異種教義】の精粋は今まで殆どの侵入者を磨り潰してきた精神の尖兵を事も無げに食い殺した。
それで笑っている少年も自分の精神の薄皮1枚とはいえ、己を食事されているというのに平然としている時点で尋常ではなかったが、魔王として耐える事は造作も無かったので構わない。
ケプッと可愛いおくびを漏らして、粗方食べ終わった少女が血だらけのまま立ち上がり、少年に向かい合う。
どちらも服は着ていない。
「えっと……何?」
じ~~っと見つめられて少年が困った笑みを零す。
「ククヲクヲ?」
「どうして心臓が半分無かったのかって?」
「クーヲ?」
その通りと恥じらいもなくマヲンが腰に手を当ててウンウン頷く。
今正に精神を食い殺したばかりとは思えないくらいに天真爛漫な様子で。
少年は何となく少女に感じていた多くの疑問を氷解させていた。
「少し前に君のお嫁さんになるはずだった子にちょっとね」
トテトテ歩いてきて、マヲンが胸に大きな海月のような頭を当てた。
「ク~~~」
「そんなに珍しい?」
「クヲックヲ?」
コクコク頷かれて少年は苦笑した。
確かに魔王という秘密が満載な肉体の神秘は世界で最も注目される謎だ。
「でも、君も大概じゃない?」
「クー?」
『そう?』的な切り返しに少年が頷く。
「少なくとも君は既存の異種のどれよりも珍しい能力を持ってる。それこそ【基幹異種(バルバロス)】達の始祖にすら匹敵する稀少さだよ……君のお父さんは確かにこの分野でフルーも届いてない領域にある。僕が“どういうものか”知りながら面と向かってものが言えるくらいには豪胆であるのも頷ける」
「ヲ~♪」
「そう。君のお父さんは凄い。魔王としての僕が賞賛してもいいくらい」
胸を張ったマヲンが当然だと頷く。
「君は生まれながらにして人間が何なのかをちゃんと理解してる。生と死、善と悪、美と醜、どれも君は持ち合わせてない。赤ん坊と同じ、心地良い事が全て。理解の先にある超越、真理を生まれながらに感得してるなんて少し羨ましいかな」
「ク~?」
「難しくて分からない?」
少年が白い大地に座り込むと少女も同じように隣に座り込む。
「普通、そこまで行くのに人間て修行とか死に近付くとか。そういう波乱万丈な人生を歩まないといけないって事。東部の仙人だって生まれながらに全部悟ってたわけじゃないだろうし」
「クヲ~」
褒められたと分かったのか。
マヲンが照れた様子で「それ程でも」と頭を掻く。
「とりあえず、そろそろ帰ってくれない? あんまり此処に長居されると影響がどう出るか分からないし」
「ククヲ!?」
首がブンブン横に振られる。
その異形の瞳は白い大地の先。
少年の深部へと向う地平へと向いていた。
「もっと探険するって言われても。君にとっても僕にとってもあんまり良い事にならないよ?」
「クーヲクヲクヲ!」
「ごねられても困るんだけど」
少年に必至にもっと遊びたいと目をキラキラさせたマヲンは引き下がる様子もなく少年を揺さぶる。
「此処で戦ったりするのも無粋だし、無理やり追い出したりするとどうなるか分からないからやりたくないんだけど」
「……クックヲ!!」
「良い案があるって?」
「クーヲ!」
胸を張った少女が少年を押し倒して股間を顔の前に晒して跨った。
「あの……」
何が言いたいのか理解した少年だったものの、出来れば止めておきたいとの思いはさっそく無理やりに却下される。
「モゴッ、クヲ!!」
「く、口に咥えながら喋られるのはちょっと……」
精神と精神の接触とはいえ、己の一部を食い殺されている少年にしてみれば、自分の急所を不用意に噛み千切られそうな気がしないでもなく、背筋をひやりとさせた。
マヲンは飴でも舐めるような気軽さと無邪気さで口淫し始めた。
一応、自分の奥底に行かれるのを阻止した少年は……脳裏に少女達の顔が浮かんだものの、自分の上の存在が引き下がるような性格でもないと思い直して、ゆっくりと溜息がちに告げる。
「先に音を上げた方が引く。それでいい」
「モグックヲ♪」
「ぅ……頬張りながら喋らないでくれると心の安全上嬉しい……かな」
「プハッ、ク~~ヲ~~」
もう既に大きくなっている少年の幹の先端を口から離して、マヲンは「いいよ~」と頷いた。
そうして、男女のみに赦された褥(しとね)の攻防が始まる。
*
「―――レイ―」
何処からか。
声が聞こえて。
彼女は、エーレイン・ディウアーズ・L・アルバストレはようやく気付く。
「エーレイン? どうした」
「ハッ!? す、済みません!! 陛下!!! 少し呆けていたようです!!」
そこはいつもの皇帝の寝室。
エーレインにも馴染み深い場所だった。
「そうか。ふふ、お前にもそのような時があるのか」
「は、はい! 真に申し訳ありま―――?!!!」
途中まで言い掛けて、エーレインが驚きに固まった。
自分の姿がいつもとは違う事に気付いて。
「へ、陛下!!? こ、これは一体どういう事なのでしょうか!!?」
いつものヴァルガンノースの制服姿ではなかった。
それどころか。
外を出歩けるような恰好でもない。
「どうした? いつものようにせねば……首を刎ねてしまうぞ?」
クスリと蠱惑的に笑って。
皇帝は身を沈めた寝台の上で自らのすじを指で開く。
クチィッ。
「?!!!」
その花弁の造形にエーレインが思わず口元を手で覆った。
ポタポタとその間から鼻血が床に滴っていく。
「へ、へへへ、陛下!? な、何を為さっているのですか!!?」
「忘れてしまったのか? お前に夜伽を申し付けていたであろう?」
「よ、夜伽!!?」
「さぁ、早く余の傍に来て慰めよ。その指で、舌で、すじで余の此処を捏ねるのだ」
「そ、そんな?!!」
衝撃に血でも吐きそうな勢いで目を血走らせて。
エーレインは自分が今どうなっているのかすら分からず前後不覚に陥った。
何故、そんな事になったのか。
何時、そんな事になったのか。
さっぱり記憶が無いのだが。
此処で躊躇っていては陛下のご機嫌を損ねかねない。
それはまったく彼女にとって意に反する事で。
「わ、分かり、ました……ふ、不祥!! このエーレイン・ディウアーズ・L・アルバストレ!!! 陛下の夜伽役務めさせて戴きます!!!」
豪奢な天蓋付きの寝台。
その支柱を飾る布で鼻血を拭いて。
背筋にゾクゾクと忍び寄る快楽の前兆に身を震わせて。
エーレインが寝台に上る。
「へ、陛下ぁ!!!」
あまりの背徳感にプツリと琴線が切れたか。
エトの上に覆い被さって、両手が下の華奢な足を開かせる。
「こ、これ! エーレイン!?」
「へ、陛下ぁ!! ず、ずず、ずっとお慕い申し上げていましたぁ!! 陛下にずっと、こ、こんな事をしたいと不敬にも思ってしまっていましたぁ!!?」
ジュチュン。
「ひぁ♡」
可愛い声で皇帝が驚きに身を固める。
「んんん♡」
股を開かせ、自らのすじをすじに合せた瞬間、エーレインは半ば達していた。
密かに己の手で慰めてきた場所は始めて触れ合った瞬間に蕩け。
「へいかぁ♡ こ、こんなぁ♡ もう!! エーレインは溶けてしまいますぅ♡」
もうドロドロになった貝合わせの中心はグチュグチュと淫らな音を立てて。
互いのまだ密やかなすじとすじ、小さな豆と豆を熱く燃え上がらせていく。
自制心が砕け散ったか。
「陛下ぁ♡ 陛下ぁ♡♡ お可愛らしいですぅ!! そんな顔をされてはぁ♡ また! またエーレインは達してしまいますぅぅ♡」
「エーレイン! そ、そんなに激しくしてはならぬぅ♡ そ、そんなにしては余のお、おまんこが蕩けてしまうのじゃぁ♡」
その甘い声に我慢出来ず。
下半身を支配する甘美で凄絶な圧力に耐え切れず。
エーレインがエトの唇を奪った。
「ん、んむぅぅ!!? んんぅ♡♡」
「へ、いかぁ♡ そのようなぁ 卑猥な事を言ってはぁ♡ もう我慢出来なくぅ♡」
愛らしい唇に吸い付きながら舌を絡め。
エーレインは主の口内を蹂躙した。
「エ、エーレイ、りゃ、めぇ♡ く、くちじゅけぇはぁ♡ てぃ、ティアのものなのじゃぁ♡♡♡」
「へいかぁ! もっと、わたしと“おまんこ”いたしましょう? あ、あの者より上手にして差し上げますからぁ♡」
「ひぅぅ♡ だ、だめぇ! しょ、しょれ以上してはぁ♡」
互いの密でシーツの下には小さな池が出来ていた。
濃密な牝の匂いに包まれながら、褐色の肌がプリプリとした割れ目から桜色の媚肉を覗かせる。
グッチュグッチュと腰を振り立てて。
エーレインは腰の奥から湧き出る欲望のまま、己の魔力を膣へと凝らせる。
性魔術。
それは王侯貴族の一部には嗜みでもある。
時に房中術は子を儲ける時、夜の生活を充実させる道具としても半ば必須とされ、幼い時より母や乳母、お付きの女官や侍従達に教えられる事もある。
元王族たるエーレインもその例に漏れず。
今まで“催してしまった時”はよく教えられた技で己を慰めていた。
時にそれは膣に魔力で男のモノを再現し、時に記憶から特定の相手を自らの目に映し出す。
知られてはならない秘事はどんなに苛烈でも構わない。
それでも今まで敬愛する皇帝と繋がり合う事はなく。
慰め合うだけの妄想で済ませてきたエーレインにしてみれば。
箍(たが)なんてもう外れてしまっていた。
「へいか―――」
作動した性魔術の一手がエトと己を貫こうとした瞬間。
ペキリと現実が罅割れた。
鏡面。
今まで自分が見ていたものの崩壊がエーレインの意識を強制的に揺さぶった。
「く、良い所で邪魔が入ったか」
ボンッと一瞬の明滅が世界をただの白へと還元していく。
「―――レイ―」
グシャリと拳が頬を打ち抜いて。
ようやくエーレインは己の幻想から覚めた。
『エトに嫌われちゃうわよ~~~エ~~レイ~~ン』
イーンイーンイーン。
間延びした声とぼやけた白い視界がゆっくりと焦点を結んで。
今まで垂れていた頭がゆっくりと持ち上がる。
「く、エリザ……か」
クラウゼン公爵家私邸内部。
魔術の類か。
超常の力の類か。
麻薬の類か。
どれだろうと良い夢を見ていたエーレインは不機嫌そうに立ち上がった。
「ようやく起きた? というか、凄いにやけ面(づら)だったわよ?」
通路は石畳が敷かれ、冷たい空気を僅かに魔術の火が照らしている。
「随分と高度な罠だったようだな……」
今の今まで淫夢で主を犯していたなんて一言も口にせず。
もう少しだけ起こさないでくれていたらと思いつつも、エーレインはキリリと己の頭の螺旋を締めた。
何となく夢の中で夢であると気付いていたような気もするが、それは本人しか知らない秘密である。
「魔術とか薬とかへの抵抗適性とか。あんた高かったんじゃなかったっけ?」
「種類にもよる。自己診断……完了。後遺症や時限式の遅延魔術は感知出来ず。任務続行可能と判断する」
「そ。なら、さっさと行きましょ。もし、こっちが寝ちゃったらお願いするわよ」
「ああ」
一度埋没すれば、二度と目が覚めない淫夢。
そんな幻惑の魔術だったのだが、そんなものに掛かっていたとは露知らず、二人が早足に屋敷の奥へと進んでいく。
エーレインは己が何故目覚めたのかハッキリとは理解していなかった。
最後の最後で僅かな自制が働いた事を。
誰に知られずとも敬愛する主を己のものにするなんて不義を、皇帝の下僕は己に良しとはしなかった。
劣情に打克てるものとは即ち、人間を人間たらしめる高尚の一つ。
それこそ皇帝エトが欲して止まないものだと彼女は知らない。
それは愛に勝るとも劣らない心。
所謂、忠誠というものだった。
*
クラウゼン公爵家の地下には基本的に秘密が一杯だ。
それと言うのも血統主義を極め続けてきた一族の血道(ちみち)とも言うべきものが残っているからに他ならない。
マヲン辺りに言わせれば、クヲクヲ……楽しい場所、という事になるだろう。
迷路並みに入り組んでいるのは国父ニェハエルの墓所が併設されているからだ。
故に外敵からの侵入に対してクラウゼンの地下施設は堅固な要塞に近い。
屋敷そのものも広いには広いが、その下には何倍もの空間が存在する。
その中でも地下研究棟は墓地に匹敵するクラウゼン公爵家の中心だ。
クラウゼンの当主達が拡張に拡張を重ねてきた場所は一つの世界にも等しい。
魔術による内部環境の構築。
空気の循環。
植物の自生による酸素の供給。
地下水の汲み上げによる生活用水の確保。
どれを取っても一代で出来る事ではない。
だからこそ、その工芸品のような環境で血統の研究に使用される被検体達は特別(VIP)足り得る。
現在は百数十種類にも及ぶ種族が犇(ひし)めく地下研究棟。
その内の四大貴族が管轄するケージは鳥篭や牢屋にしては豪勢で、無粋極まる鋼鉄や黴臭さなど一欠けらもない空間だ。
それぞれに与えられた部屋には種族や相性で分けられた幾人かの同居人が住まう事になっている。
(……)
その広々とした部屋には寝台が四つ置かれていた。
今は部屋換えの期間という事で三人の同居人は指定された場所にもう居を移していたが、特別な交配実験に使用された個体である【人馬(ケンタウロ)】の少女は一人だけポツンと残っていた。
天井からは昼間の間に溜め込まれた日の光が未だに降り注いでいる。
まるで本物の空が上にあるかのように青空と雲が流れる光景は魔術によるものだったが、殆ど一生を地下で過ごす被検体達にとっては本当の空の下で暮らす者達と同様に安らぎを齎すものである。
無論、外から連れられてきた第一世代と呼ばれる被検体にしてみれば、贋物の空は贋物でしかないが、無ければ無いで気分が滅入るのは確実で、無くてはならないものだ。
部屋の壁には明るい色の草原が何処までも歩いていけそうな質感で完全に再現されている。
寝台は一つ一つがしっかりとした造りでどんなに跳んでも跳ねても軋み一つ上げない。
匂いすら心地良い樹の香りが絶え間なく発されているソレは多くの居住者にとって揺り篭と棺桶を両立する生涯の寝床だ。
季節によって壁や天井に映し出されるものも変わるし、番(つがい)による自然交配の場合や特別な働きをすれば、申請すると好きなものも写して貰える。
「……はぁ」
今部屋は人馬の少女の為に故郷の風景を映していたが、その心を掴む事は出来ていなかった。
本来なら、泣いて返りたいとメソメソするのが第一世代の反応としては正しい。
しかし、偽の故郷の中で少女は一人溜息を吐く。
寝台の中に敷かれたふかふかの藁に座りながら、虚空を見る瞳は何処か浮付いていた。
(あの方は……ティア様は今頃どうして……)
脳裏に浮かぶ姿。
目隠しされた全裸の少年。
初めて少女と交わった牡(おす)。
(他の子とまたして?)
無理やりに処女を器具で奪われて後、何度も泣いたのは遠い過去ではない。
それなのに今は見知らぬ相手に初めて子種を注がれても泣いたりはしていない。
(トトサマ。カカサマ。シュレディナは一体どうしたら……)
胸中を複雑なものが駆け抜けて。
少女は、シュレディナは目を閉じる。
今も思い出せる少年との交合(まぐわい)。
洗われたばかりだというのに股がじんわりと熱を帯びる。
(ダ、ダメだ! こ、これ以上考えたら……あ、あれは薬で無理やり仕方なく……ティ、ティア様だって……)
薄らと夢心地の中で聞いた声が甘く反芻された。
優しい声。
穏やかな月明かりのような声。
それはきっと魔術のようなもので届いたに違いない。
シュレディナはそう感じていた。
何も言えず、見えてもいなかった少年がどんな人なのか。
本当には知らなくとも、朧げな記憶でしか判断は付かなくとも、優しいに違いないと彼女は確信すらしている。
(ティア様……)
それは夢幻の類だと言われても反論出来ない。
しかし、少女の心は素直に少年を受け入れている。
無理やりとはいえ、それでも交わりを持ってしまった。
望んでいなかったとしても、触れ合ってしまった。
優しい手付きで尻を撫で掴まれ。
腰を打ち付けられた時の熱さがまだ残っている。
初めてを失う痛みは無くとも、快楽は十二分。
反り返るような太く雄々しい牡の化身で深くまで貫かれた官能は忘れられるものではない。
シュレディナは人に比べれば早い人馬の成人の義を終わってすらいない歳だ。
まだ色事だって詳しくは知らなかった。
なのに、あんなにも情熱的な行為を知ってしまった。
意思通わぬ行為だったなら、きっとそれを一生忘れ続けたいと願っただろうが現実は逆で。
(お子が……出来てしまったかもしれません。カカサマ……)
今も子宮を満たし揺蕩う子種を感じながら。
シュレディナは頬を染めて顔を俯けた。
「ティア様……」
思わず呟いて。
自分の甘い声に気付いた途端に恥しくなり、更に顔を歪める。
(こ、こんな破廉恥な声を! わ、私は……うぅぅ)
顔を覆おうとした手がチリッと胸を掠めた。
「ひぁん?!!!」
ゾクリと。
服の上からの感触に乳首が震えて。
(ぁあ、こんな、こんなぁ……わ、私……こんな事だけで……くぅん)
一瞬で胸と腰の奥で燻っていた埋み火が燃え上がる。
きっと、薬を打たれても少年との交合を知る前なら沸き立つ情欲を御せたはずだった。
人馬は何よりも己を律して武を尊ぶ。
それこそ感情や肉体の制御なんて初歩の初歩なのだ。
出来ないわけがない。
なのに、そんな人馬たる己を嘲笑うように首を擡(もた)げたシュレディナの牝の部分は……快楽を求めた。
いや、正確には“心地良い少年との行為”を求めた。
(ダメ、なのにぃ……♡ こんなぁ……ダメ、ダメ、ダメぇ♡)
絹の衣装の上から細くしなやかな弓引いてきた指が己の乳房の先端を摘む。
(くぅぅぅん♡)
薬が僅かに残留しているとはいえ、それが言い訳になるわけもなく。
コリコリ。
両胸の先を摘んではシュレディナの脳裏には淫らな妄想が広がっていく。
「ティ…ァ…さ…まぁ♡」
再び蕩け出したすじからは拭き様もないくらいに粘性の高い蜜が藁へと滴り落ち、きゅうきゅうと自らに合った形を求めた。
いや、もうたった一回の行為で“あの形に合うようにされてしまっていた”のかもしれない。
どちらにしても我慢出来ず。
いけないという背徳感を糧にキュッと両手の指が蕾を搾る。
「~~~~!!!?」
ビクビクと震えて。
唇の端から唾液が滴り落ちる。
それが魔王の御技か。
あるいは少年の性か。
シュレディナは自分が少年との行為無しには正気が保てなくなってしまった事を本能的に悟っていた。
やがて熱に浮かされたように胸を弄(まさぐ)っていた指も震え出し。
最後には胸を揉みしだいた。
プチュッと馬の下半身が瘧(おこり)のように戦慄き、僅かに潮を噴出す。
目も眩むような初めての自慰。
シュレディナは完全に出来上がってしまっていた。
虚ろな顔には少年とした時のような悦びが浮き、その下半身の疼きは第二の心臓もかくやという脈動となって彼女を責め苛む。
少年を脳裏に思い浮かべれば、同じ事を何時間でも、何日でも出来そうな心地で、少女は自分が堕落してしまった事を自覚した。
(トトサマ。カカサマ。私は……シュレディナは見合いもまだなのに……牝馬になってしましました……)
それを時に人は恋というのだと知らぬまま。
再び指が踊り始める。
*
多くの運命が交錯している頃。
書斎での仕事を終えたクラウゼン公爵家の当主ランナは墓所へと赴いていた。
百数十年前に立てられたニェハエルの墓標は今も殆ど変わっていない。
造りこそしっかりしているものの、中枢は単なる十字架が一つ切りという寂しい場所だ。
上の荘厳な教会とは違って、其処には一切の欺瞞が無い。
暗く狭い室内には石棺すら無く。
これが大陸の大偉人の墓だと言われても多くの者はピンと来ないだろう。
そもそもがクラウゼン公爵家というのは墓守の一族として、ニェハエルの墳墓を護っているようなお利口貴族ではない。
単にその当時の混乱の最中、国父の死体を運び入れたという事実を捏造して地位を確固たるものにした魔術師の家系である。
真実、ニェハエルの肉体が自らの領地内部に無いと知っている当主達にしてみれば、無駄に宝物を詰めておくような余裕も無かったのだ。
故に体裁だけは取り繕ったものの、未だ墓の内部はみすぼらしい。
それで結局は完成して後、クラウゼンの当主以外誰も入れていない。
「これも業か」
老境のランナにしてみれば、血統主義とは自分達を縛る鎖に他ならない。
それを良しとしてはいるものの、もしも自分達がその呪縛から解き放たれたならと、そんな夢想を人生で一度もして来なかったかと言えば、答えはNOだ。
若さ故に家を飛び出した当時、その優秀さで七教会の研究施設に入ったランナは世界の広さを知った。
同時に一生を掛けて越えるべき目標も見つけた。
それが切っ掛けで【異種教義(グノーシア・ドグマ)】を完成するに至ったのだから、世の中は分からない。
「我が名はランナ。クラウゼン公爵家当主なり」
墓所中枢の壁に囁き掛けた刹那。
血統の確認を行う魔術が起動する。
本人認証が終了した時点で十字架が二つに割れ、内部の壁の溝に魔力の光が浮かび上がる。
ガコン。
旧い仕掛けが十字架を退けて、更に下へと続く階段を露にした。
「……」
何も言わずに降りていくランナの足音が巨大な空洞に反響する。
本来、クラウゼン公爵家が司るものが遥か奈落に見えた。
(あちらの行方は失われて久しいが、まだクラウゼンにはコレがある。コレがある限り、七聖女だろうと我らを真に脅かせるものではない……だが、ここに来て魔王が姿を現した……これは何かの吉兆なのか)
数分も下りた先。
それ以上往けなくなったランナが遥か下にある輝きを見つめる。
それは巨大な鈍色の環(わ)だった。
正確には特殊な論理で説明される“紐”らしいが、先祖の蓄積の大半がニェハエルの帝国が崩壊する時に散逸している為、本当のところは分かっていない。
ただ、ランナが前代から聞いたところに寄れば、それは“世界の起動因として第一原因たる神の存在を証明する代物”らしいという事だった。
「幾星霜経っても知恵ある者の業は変わらんのかもしれんな……」
【基幹異種(バルバロス)】
遥か過去、黄金期に存在した知的生命体。
今や惑星には存在しないとされる伝説の生き物。
魔族やあらゆる知恵持つ存在の母たる【大母】に近しかった種族。
彼(か)の者達が“无の位”つまり、自分達の祖である神の如きものや全ての源たる母と同等、それ以上と認識していた“外なる神々”の力を利用する為に創造した遺物。
門と呼ぶべきか。
堰と呼ぶべきか。
それは使用する者次第。
アーズトリテの地に魔術師や超常の力を持つ者が多く生まれる理由。
それこそがソレだ。
滅びた種の残滓を未だに色濃く留める力。
大いなる頚城。
「聖女の力が超常の力の一種だと言うならば、基幹異種(バルバロス)の勃興によって全ては変わる……」
それを可能にする鍵は全てクラウゼンの手の内。
揃えるまでに要した時間は人の一生よりも短いのだから、ランナは自惚れでも何でもなく天才を名乗っても構わないだろう。
神を証明する為の門も使用者無しには無用の長物。
しかし、使用者たる存在はもういる。
限りなく近い遺伝構造を持ち、それに見合う能力を持つ存在を娘としてランナは得た。
そして、起動する為に必要な膨大なエネルギーを得る算段も。
本来ならば数百年から千年掛けて行うはずだった蓄積がたった一つの偶然によって帳消しとなった。
「フルー……」
老人は愉快げに笑みを零して、クツクツと笑う。
その手には写真が握られていた。
白黒の肖像に移り込むのは若い新進気鋭の奇才と天下に名を轟かす真の天災。
少女に菓子を受け取りながら、青年は不機嫌に紅茶を入れているという図だ。
「後、少しで証明しよう。こちらがやはり正しかったと……」
薄く輝く環の上にヒラリと古びれた紙が落ち、燃え散った。
老人はそれを見送って。
再び、階段を上がっていった。
誰も知らぬ符合を抱いて車輪(うんめい)が回り始める。