第二章三十六節「開始」
嘗て旧き戦と言えば、煉瓦積みの城に鋼鉄の剣、木製の弓に投石機。
そんな時代があった。
空飛ぶのは魔物か魔術師か。
人為らざる技は超常の力と忌むべき風潮すらあった。
他国を攻めれば、村を焼き、略奪し、女を辱め、人を奴隷として捕らえた。
兵は粗末な木切れで歯向かう者を戮(りく)し、どんな軍も法を持たず、暴虐を働いた。
蛮行は他国を滅ぼす行為故に推奨され、血筋の一人も残すなと男は全員殺され、復讐は後を絶たない。
それを救うは大陸全土に浸透していた教会くらいのもの。
しかし、それも大概にして全てが終わった後だった。
力持ちながら、教会は決して他国を誅するような組織ではなかった。
道端に屍が転がり、母を呼ぶ子供の声が野犬の群れに没し、赤い月の下で川は更なる紅に染まる。
道らしき道もない世界を進めば、世は暗黒。
そんな時代に無限とも思える闘争へ身を沈める愚行を潔癖な教会はしなかった。
それでも教義を真に信奉する一部の聖職者と呼ぶに相応しい者達は戦乱に被災した難民達の為に自らを犠牲にして奉仕し、軍から人々を守ろうと懸命な活動を続けていた。
七聖女と後に呼ばれる事になる少女達が各国の利害を無視した大陸規模での軍事介入を本格的に始めた時期に彼ランナは教会の門を叩いた一人だ。
凡そ六十年以上前の事である。
まだ若造にしか過ぎなかった男がまだ発展途上と言われていた【魔導技術(ハイ・クラフト)】や【電子噐械学(エレクトロニクス)】に傾倒したのは、それがいつか自分達の地域で盛んな【血統信仰】をも変えられるかもしれないと信じていたからだ。
教会の戦力が日増しに高まり、七聖女達の動きが活発になるに連れて、その技術の精粋を直に触れられるランナの智識は深みを増していった。
大陸中央に近いとはいえ。
戦国乱世の様相を呈していた藩落において文化的な造形に詳しい者は少ない。
一般には魔術師や超常の力が同一視されていたような時代である。
それが特権階級に結び付く実利的な国もあれば、蔑まれ疎まれる迷信に満ちた国も多くあった。
そも人の国よりも人外や異種、亜人の国というのが小国以下の国力でありながら、それなりの力を固持していた時代でもあった為、そういった国と戦争状態にある国では特別な力を持つ者は攻撃を防ぐ盾として戦争に徴用されてすらいた。
七教会でそんな惨状を知る事となったランナは益々に血の力というものを己の手で御する必要性を感じ、その為の研究に力を入れずにはいられなかった。
自らの血に流れる業を理解していたからこそ。
時に魔王研究へ駆り出されたランナは大陸中央諸国を束ねる盟主アルヴィッツの膝元で若いながらも、自らと同じ研究者の卵を育てるような地位に付き、日々を送っていた。
そんな時だ。
一生忘れられない出会いをしたのは。
当時、七聖女という名が売れ始めて、それなりに意味を持つようになった頃。
大陸中央諸国にある大きな教会に併設された研究施設付近で彼はその少女と出合った。
晴れた日だったと彼は記憶している。
その日、研究施設の維持管理の一部を任されていた彼は日課である麺麭(パン)の受け取りに出かけた。
朝一番の出来立てを納品してくれる店で早朝に受け取れば、朝が終わる時間帯には研究員達の腹の中に消える大切な食料(エサ)である。
大家の生まれとはいえ。
美食に拘っていたわけでもないランナにしてみれば、腹に入れば何でも一緒。
食えない程不味くなければ、別にどんな品だろうと構わなかった。
大陸中央でもまだ【近代化】が行き渡らない国にありがちな土埃を立てる道を歩いて数分。
いつもの店の中に入った途端。
彼は異常な光景に出くわし、呆然とした。
原因は単純だ。
『おいひぃよぅ! おいひふぎだよぅ!! もぐもぐ』
滂沱の涙を流しつつ、感動の塩味を効かせた麺麭に齧り付く瓶底眼鏡の少女が一人、いた。
その朝、呆然とした彼の前で店の麺麭は食い尽くされ、少女は金を払って悠々と満面の笑みで去っていったのだ。
何がそんなに美味かったのか。
まったく理解不能だった彼がその少女と再び出会ったのは翌日。
ランナは上司から更なる高い地位の上司を紹介された。
フルー・バレッサ。
彼が学び研究してきた学問の基礎を築き、未だに新しい理論と技術を飛躍的な速度で構築し続けている七教会の頭脳その人を。
それ以来だ。
彼と彼女の腐れ縁が始まったのは。
彼は奇才と謳われた新進気鋭の研究者。
彼女はその頃から既に星を滅ぼすに足る理論や技術を湯水のように大陸へ投下する天災。
その力の差、技術力の差、発想の差、天性のものを含めても何一つランナはフルーに敵わなかった。
それでも時折彼の研究室へ遊びに来るようになった彼女と、彼はお茶の時間を共にするくらいの仲となったのは互いに通じ合うものがあったからだろう。
喧々諤々(けんけんがくがく)と議論を戦わせ、時には最新の持論を激突させ、技術、学問、芸術、政治、経済、宗教、あらゆるフィールドで彼らは戦争をしていた。
後に【お茶戦争】なんてフルーの出した本に書かれるくらいには彼と彼女の持論は拮抗し、多くの成果を得た。
事実、七教会がその当時に積み上げた巨大な叡智の一割程度は彼と彼女の議論の末に出来たものだ。
天災呼ばわりされる天才には不得手な議論もあった。
奇才呼ばわりされる秀才が勝つ事もないわけではなかった。
いつも己の考えを戦わせた後は清々しい気持ちだった事は間違いない。
互いに認め合える人間なんて、きっと少なかったはずなのだから。
『ねぇ。ランナ』
『何だ?』
議論も終わり、紅茶を小麦菓子で一服付いている最中の事だった。
どちらが言い出したかも分からない不文律。
議論を戦わせ終わったら紅茶を頂く。
その時は争いを忘れる。
それを忘れてわざわざ何かを問い掛けるという時点でランナは目の前の少女が科学者や技術者として語っているのではない事を悟っていた。
『綺麗なものって、どうして遠くにしかないんだろうねぇ』
『問い返す。どうして、遠くしかないと思う?』
『分からない。うん……』
『なら、質問を変えよう。どうして、近くにあるとは思えない?』
『其処に無いから、かなぁ……』
『随分と自信なさげだな』
『僕は今まで只走ってきた。きっと、不死者や超越者達からしたら笑っちゃうくらい短い間かも知れないけどさ』
研究所の中庭。
小さな休憩所のテーブルの上。
油の黒に染まらない指が菓子をクルクルと回す。
『でも、幾ら走って進んでも……在るのは屍(しかばね)と亡(ほろ)びと鉄錆ばっかりだった』
『今更に愚痴るならば、七聖女など止めてしまえ』
『え?』
思ってもいなかったのか。
少女の目が丸くなった。
『憂い湛えた瞳で何が見えるものか。闇に光を齎せば、影が出来て夜は灰に染まるだろう。七教会はそれでは駄目だと朝日を求めたのではないか?』
『……それは買い被り過ぎかもしれないよ?』
『美しいものが見えていないわけではないだろう。届かないからこそ人は求める。手に入らないとしても負け惜しみで終わらせるお前か?』
『あはは……お説教されるなんて。いつぶりかなぁ……』
『彼方に煌めくものは常に美しい。それでもお前は誰もを傷付け、勝手な祈りで大陸の変革を続けてきた。今更に自分の傍にあるものを肯定出来ないなら、自分の傍が美しいと見えぬのは当たり前だ』
『恰好いい事言っちゃってさぁ。僕だって偶(たま)には乙女なんだよぅ?』
『甘えるな。抗う事を止めた人間に価値はない』
『厳し過ぎだよぅ……』
苦く笑って、少女の喉へ一番摘みの薫りが消される。
『足元が疎かになった者に人を導く資格があると思うか?』
『さっすが公爵家長男。貴人の心得ってやつ?』
茶化す声に変わらず。
彼は答える。
『この大陸の常識を抉じ開けて、抗い始めたのはお前達だ。屍も亡びも鉄錆も、痛みを背負って譲れないものを貫くからこそ避けて通れないもののはずだ』
少女は答えず。
空っぽのカップの底を見つめた。
『それだけの事をお前達はしてきた。今もしている』
『分かったつもりとか性質悪いよねぇ。ホント』
『七聖女が無垢な乙女と信じているような信者と一緒くたにしないで欲しいな』
『誰にも嘘は付いてないよ?』
『真実を言ってもいないがな』
『聖女だって、彷徨う魂とそう変わらない。ただ、ほんのちょっとだけ人より進めるだけでさぁ……』
視線を上向けて晴れ上がった空を見つめる少女に彼は呆れた様子となる。
『残酷な事を言う。希望を語れとは言わないが、絶望を人に捨てさせたお前の言えた事か』
『僕も人間って事だよぅ』
彼はすっかり冷め切った紅茶を口にして。
遠回しにしていた結論へと至る事にした。
『綺麗なものが遠くにあるのではない』
互いの視線が交じり合う。
『お前がただ自分の傍にあるものが綺麗だとは認めたくないだけ、ではないのか?』
―――――――――。
しばしの沈黙があった。
まるで三千世界が静寂(しじま)に包まれたかの如く。
風すら止まったように失せて。
少女が瞳を閉じる。
『あはは……ホント、敵わないなぁ。ランナには……』
『?!』
僅かに彼は息を飲んだ。
世界に響かないはずの音が一滴。
カップの底に落ちる。
『我、蹙(しじ)まう儚き泡沫の如くなり、かぁ……』
往くも出来ず。
返るも出来ず。
何処にも行けずに消え果てる。
そんな心情を詠んだ代物。
未聞の詩は誰のものか。
『僕の父が言ってたんだよぅ。誰も彼も進んでも返ってもいない。ただ、世界が回ってるのを人は自分が歩いてると錯覚してるだけなんだってさ』
『慧眼をお持ちの方だったようだな』
『うん。凄い人だったんだよぅ。僕なんか、全然及ばないくらい……』
フルーが何処か複雑そうに笑った。
『……ねぇ、ランナ』
『何だ?』
『僕が君の傍にいた理由。知ってる?』
突然の問いだと彼は思わなかった。
そんな事そもそも彼は考えた事もなかった。
最初から知っていたからだ。
どうして自分の傍に七聖女が来るようになったのか。
たかだか、凡人から出た奇才。
真の天才に敵うわけもない。
いや、それ以前に七教会の中心たる少女が一時間もあれば自分で出せるだろう答えを求めて討論しに来ているわけがない。
『知っている』
『そっか。そりゃそうだよね。君は……僕が認めてもいいくらい聡明だもん』
『ちなみに幾ら煽(おだ)てても、研究を止める気はない』
『どうしても?』
『どれだけ一緒にいた? 分からぬわけもあるまい』
『……ランナ。君の研究はいつか大陸を混迷の底に叩き込む」
『当たり前だな。そこらの凡愚はあの論文を優性遺伝に関するものと勘違いしているが、あれの本質は“理想とする血統を人工的に生み出す術”の雛形に他ならない』
『その研究の結果がどうなるか。分かってるんだよね?』
『言って欲しいのか?』
『うん。君の口から直接訊きたい。だって、僕達は友達なんだから』
『最終目標はこの世の根源生命たる【大母】。現実的には【基幹異種】及び【聖女】だ』
それは、この世の知的生命の根幹を生み出す、神を生み出す、神の御技を手に入れる、という宣言に他ならなかった。
『研究期間はどれくらい?』
『我が人生の間にたぶん【基幹異種】までは届くだろう。数百年から千年以内に【聖女】の再現。そして、それから十世代の内には【大母】の創世に入る。その為の算段は既に立った。もう七教会の研究施設に用はない』
『予想はしてたけど、隠したりしないんだ』
『隠して何になる? 世界最高の頭脳に』
『お世辞。ありがと♪』
『ふん。明日には此処にいない身だ。最後の餞別程度は送ろう』
『君がもしも研究を中断してくれるなら、藩落に優先して援助を行ってもいい』
『断る』
『そう言うと思った。まったく、頑固なんだから。やれやれ』
肩を竦める少女は溜息を吐いた。
そうして少女は。
いや、七聖女が彼の前に立ち上がる。
『それで何が変えられる?』
『人の業は変わらずとも人の意識は変えられる。人という種が神すら越えた事例として多くが知るところとなれば、あらゆる分野の発展速度は飛躍的に向上し、人は次の時代を迎えるだろう。これを持って人代(じんだい)の新たなる基礎は築かれ、クラウゼンはそれ相応の場所に納まる』
『君の考えは理解出来る。でも、正しくない』
『見解の相違だな』
『七教会はこれから多くの種族と人の調和を目指して進んでいく。これはもう規定路線になりつつある』
『それは詭弁だ。その種族達から最も疎まれるのはお前達聖女ではないか』
『そりゃね。でも、この星は狭過ぎるよ。争うにも差別するにも生きるにも』
『ならば、広い世界とやらを作ってみせろ。争い差別し生きるにも十分な世界をな』
『……難しい宿題って事かな?』
『お前が本当に教会の掲げる理想を現実にすると言うならば、我が計画は結果を待つまでも無く人という種自身に葬り去られる運命だ』
教会の教義は七聖女達の下で今も変革されている。
それをつぶさに観察すれば、七人の女達がどんな世界を望んでいるのか分かる。
【近代化(レボリュション)】とは大陸に住まう全ての人に智を与え、より善きを望ませる政策に他ならない。
それは全てに渡って言える。
生活の向上は人の肉体の充足。
道徳の向上は人の精神の充足。
あらゆる意味で餓えた者が珍しくない時代が終わり、満たされた者が多数派となる社会が到来すれば、ランナの壮大な血統による時代の変革は意味を成さなくなる。
何故なら、餓えない者には求める気持ちが足りないからだ。
満たされた者はただ腐り落ちていくか自らをその場に固定する事を望むからだ。
今でこそ七教会は急激に世界を変革発展させていると言われているが、その実(じつ)多くの技術や理論、思想の発展速度を制御している。
急進的なものは懐柔されるか潰されるか封印されるか。
その在り様を見れば、七教会が変革を急いでいるのは進歩や発展を促しているからではなく、その人という種の持つ欲求、つまりは業を制御する為だと気付く。
強大な血統なんて満たされた者達からすれば、自分達を脅かす存在でしかなく。
信奉も縋りもしないだろう。
人は弱者だからこそ、強者を求めるのだ。
自らを強者とすれば、それより強い者は排斥の対象でしかない。
『一研究者として、フルー・バレッサ個人としては手伝ってあげたいところだけど、会うのが遅過ぎたねぇ』
『倫理や道徳に縛られて発展を遮る方に回った時から、お前はもう研究者としては終わっている』
『失敬だなぁ。僕だって、倫理とか道徳とか全無視して研究する事くらいあるよぅ』
『それは全て魔王関連だろう?』
『ぅ、鋭い……』
『魔王の複製実験にはこちらも何枚か噛ませて貰った。技術と智識はありがたく頂戴する』
『ドロボー』
ふざけた様子でフルーが言えば、ランナが溜息を吐く。
『お前は変わらないのだろうな。いつまでも……』
『まぁ、七聖女だからねぇ』
彼は立ち上がり、少女に背を向けた。
『休憩時間は終わりだ。仕事に戻る』
『そっか……』
これが今生の別れかもしれないというのにハンカチをヒラヒラ振るだけに留めているフルーへ構う事なく。
ランナは歩き出した。
『いつか証明しよう。私が正しかったと』
『うん。待ってるよぅ。いつまででもねぇ』
次の日。
彼は仕事場に辞表を提出して七教会を出奔した。
*
彼と彼女の物語。
そこまでが断片。
彼女が保存した記録(アーカイヴ)の一節。
指定された参照箇所(ゆめ)の欠片。
彼女がまだ人間らしかった頃の話。
そして、其処からは現実。
今正に全てが始まって終わる終着点。
彼女という集合の形が意味持つ場所。
「フルー様。お目覚めですか?」
「そう言えば、夢見られるんだっけ……僕……」
頭の禿げ上がった老人が一人。
牧師風の衣装を身に纏い紅茶をカップに注いでいた。
【聖凱王都(せいがいおうと)】と呼ばれし、文化の中心地。
アルヴィッツ。
七教会中枢施設の集中した一角。
無機質で無駄に広い部屋の中央で聖女はのっそりと起き上がる。
本来、必要あるはずのない眼鏡がそっと枕元から取られた。
「おはようございます。三時間十五分二十四秒の睡眠は如何でしたか?」
寝間着姿のまま沈黙していたフルーに男が聞く。
「“つるピカ”は本当に頭がツルッツルだねぇ」
「名前で呼んでください」
「マディクト・ナシエは本当にツルッツルだねぇ」
「最後が要りませんな」
「本当に×××だねぇ」
「もういいです。それはさておき、仕事の時間です。フルー様」
軽く聖女をいなした老人マディクト・ナシエがニコヤカに告げる。
「状況は?」
「情報(データ)の完全解析が終了しました」
「見えない化け物といい。今度は攻撃が防御出来ない化け物とか。厄介事多過ぎだよぅ。それで召喚に使用された触媒は?」
「朝方から見るのはお勧めしませんな」
「見せて」
「……どうぞ」
マディクトが指を弾くと寝台の上に映像が映し出される。
映っていたのは漆黒の門とその中からダランと出ている細い女性と思われる腕だった。
「内部まで見せる必要がありますか?」
フルーが首を横に振る。
「で、結局は術者だったの? 被害者だったの?」
「研究部門の委員会では術者が2で被害者が3という数字になりました」
「やれやれだよぅ。そんなに悩むなら分からないって素直に言えばいいのに……」
「何処かの誰かと同じで自分の過ちは認めたくないタイプですからな」
「う……朝から何故か説教されてしまう不思議に二度寝を決め込みたい聖女なのだった」
「二度寝なさる前に今日の採決と対応策を提示して頂ければ幸いです」
「この肌からしてエルフ。ソィラが蒐集してきた情報に照らし合わせれば、連れて行かれた誰かってところかなぁ。これだけの惨事を起こしたのに術者(いけにえ)が一人って事は情報から推測して、発動媒体は門で始動因は命。そして、発動した力の類は……門を起点とした“境界”の誘導……これを考えたやつはきっと世界が嫌いなんだろうねぇ。一歩間違ったら“あちら側”から大物が出てきて、あっと言う間にこの星は食い尽くされちゃうんじゃない?」
「現在、指定通りの方法で封印していますが、門自体の構成物質は単なる炭素と塩だそうです」
「数百人平らげたとは思えないくらい笊(ざる)だねぇ」
「委員会の方でもぼやいていましたが」
「それでも発動する仕組みなら、あっちは相当な大ものになってると思っていいかも……急だけどユアンとハティアを転送出来る何処かで缶詰にしといてくれる?」
「畏まりました。ちなみに遺族には何と?」
「それはハティアのお仕事」
「左様で。では、御二方には長距離転移施設に詰めて貰うとしましょう」
「今日はこれから南西部に出るから。例のモノを受け取ったら反撃開始だよぅ♪」
「くれぐれも【聖杯委員会(ペルスヴァル)】のご機嫌を損ねないようお願いします」
「この間のは必要最低限だったんだけどなぁ……」
「メルフ様が帰って来られているとはいえ、まだ約束は半ば。個人的研究には口を出しませんが、それも聖女としての仕事を終わらせてからにしてくだされば幸いです」
「はいはい。やればいいんでしょ。やれば……」
「実際、あちらはウチの研究部門では手に余ります」
「後十年もすれば、十分自分達で開発出来ると思うけど」
「十年も時間を掛けられないのはご存知の通り。愚痴る暇があったら、やるべきですな」
「うぇーい」
「はい。で、結構」
「はぅーい」
「やる気を出せとは言いませんが少し真面目にお願いします」
「真面目にやる宿題って終わらないよね」
「とても信者の子供達には聞かせられない話ですな」
フルーにマディクトが白い視線を向ける。
「友人からの宿題くらい、ゆっくりやらせて欲しいよぅ」
「?」
「本人はきっと“お前らしい回答だ”って言うんだろうけどさぁ」
「何の事ですか?」
「こっちの話。むかーしむかーしの、ね」
その日の内に聖女は大陸南西部へと出発した。
*
未踏の薄暗がりに沈む漆黒の扉。
山々の間にひっそりとある獣すら近付かない小さな広場。
火山性の臭気に覆われ、生物を遠ざける魔の原で。
轟々と吼え猛る風が稜線を越えていく。
朝すら遠ざかり、夜すら凍える怪の地で。
滲み出したのは闇ではない。
僅かに開いた隙間に覗くのは目。
キョロキョロと辺りを見回す円らな瞳。
辺りには何も無くて。
枯木に枯れ草しか無くて。
愉しませるものは無くて。
何処か残念そうに視線は伏せられて。
扉の前に一匹。
蠢くものがやってくる。
それは化け物と言っていい。
肉の流体で構成された口だけを形作る何か。
上向いた視線が見たのは何事かを告げるソレが崩れ消えていくところだった。
涙が、一滴だけ、落ちて。
扉がゆっくりと隙間を埋めるように閉まっていく。
軋んだ音色を立てて、鍵が掛かる。
それは何を意味したのか。
閉ざされたものはゆっくりと地面に倒れて。
周辺から糸にでもなったように解けていく。
カチャカチャと積み木でもしているような音を立て、解けた糸はやがて原の全てを覆い尽し、やがて巨大な門となった。
そうして、ふわりと門が浮いた。
浮上していく間にまるで写し鏡の如く、軌跡の間に同じ実体が増えていく。
やがて地平の彼方まで見渡せる程高く門が積み上がった。
【マガツモノ】
【ウキツモノ】
【ワカツモノ】
【【【【【【【【【【ソハ、レンゴクノトウ、テンノキザハシ、ノボルモノ】】】】】】】】】】
重なる扉の内側からコツコツと音がする。
幾重にも幾重にも重なった音はやがて怒涛となって大気を鳴動させ、雲を払っていく。
門の全てが、内部から扉が弾け開く。
細い腕が扉の奥。
闇の中から伸びる。
もがく手は空を掴んで。
四方へと門がゆっくり移動を開始した。
溺れているのか。
そもそも生きているのか。
分からない。
だが、確かに門に沈められた彼女。
いや、彼女達は苦しんでいた。
どんなに手を伸ばしても掴めるものは無い。
強く強く望みながら、それでも虚は虚でしかなく。
やがて、門の奥へと沈んでいく。
指先すら闇に呑まれた時、扉は閉り、ようやく無数の扉は真の完成を見た。
【タスケテ】
【コナイデ】
【クルシイ】
誰も知らない閉じられた世界。
その最中。
まだこの世に生を受けて間もないエルフの彼女達は小さな声を上げる。
【タベナイデ】
【サワラナイデ】
【コワサナイデ】
大陸中へと散っていく扉を見送るように元々門があった場所に黒い棺がポツリと立っていた。
貴き御神の居わす棺。
嘗てエルフの青年が納められた棺桶。
命ある者をその内に満たしたという点で相似する門は…棺には及ばないものの、同じようなものなのかもしれなかった。
ギイギイと軋む黒の長方形。
アーフルが納められていない以上、何も入っていないはずのソレの蓋がほんの少しだけ、ズレる。
隙間から漏れ出した瘴気とも闇とも付かない何かが地表に溢れていく。
やがて、場に凝ったものが凝集し、再び一枚の扉となった。
「ああ、御神よ。お越しになっておられたのですか!!?」
突如として響く声は女のもの。
雑木の原野の内から修道服姿の女が一人歩いてきていた。
直ちに棺の前まで来て平伏した女の後からゾロゾロと足音が聞こえ始める。
「第二陣。御子様のお子をお連れ致しました。こちらで揃えたものですから、血は薄いですが、十分な力を発揮し、きっと世を御神の恩寵で満たしてくれる事でしょう」
瘴気の原へ紅い足が無数足跡を付けた。
何も来ていないエルフの少女達。
途中の枯れた樹木(きぎ)の枝葉や道端のささくれで傷付いたか。
全身血だらけの有り様で表情の薄い彼女達が女の後ろに何人も何十人も何百人も溜まっていく。
「前回の種付けにより、“収穫”はこれだけとなりました。今後、此処にある模造品へ込めるには充分な量を確保しております。先だって行われた実験では教会の排撃にも成功致しました。御子様の治める地においてはこのような濫造品よりも質の高いお子を儲けております。何も心配は必要ありません」
瘴気に侵されたか。
バタバタと少女達が倒れていく間にも修道服の女アルデーティル・エーリエルは構う様子もなく熱心な様子で棺に祈りを捧げ続けた。
「では、これより装填を行います」
恭しく女が棺に礼をした後、背後に向かって手を上げる。
それに吊られたようにエルフの少女達は揺ら揺らと上体を揺らしながら原の中央にある門へと行進を始めた。
一つきりになった門が開き、無数の足が順々にその内部へと己を沈めていく。
その様子を見つめながら、アルデーティルは“祝福”される少女達を優しく見つめていた。
まるで我が子が成人する瞬間を見る母のような視線で。
やがて、殆どの少女達が一枚の扉の中へ消え去ると。
残るのは全身傷だらけで動けない者だけとなった。
「御子様の血筋です。有効に活用しなければなりません。我が子達」
今まで何処にいたのか。
アルデーティルの背後に複数の影があった。
普通の亜人。
遠目にはそのように見えたものの、近くで見れば、もはや全ての者が異形である事が分かる。
まるでキマイラ。
あらゆる種の特徴をゴチャゴチャと混ぜ合わせたような姿。
我が子と呼ばれる者達は最初はそんな姿ではなかった。
しかし、アルデーティルの下で活動を続ける内に本来の己を無くし、強靭な肉体を持つ“何か”へと変貌を遂げてしまっていた。
「さぁ、食事(えさ)の時間ですよ」
嬉しそうな気配。
肉食獣が獲物を刈った時のような喜びが、アルデーティルの背後で爆発する。
「ああ、人の世に放つ為に一体残しておきなさい。傷付けてはいけません」
そう言うや否や。
原に血飛沫が散った。
断末魔さえ上がらず。
肉を貪る音が周囲に響く。
残されたエルフの少女が一人。
仲間達の末路を見つめながら、やはり表情の薄い顔で自分の前まで来たアルデーティルを見上げる。
「うふふ。これから御子様を手伝う為に予備的な実験を行います。何も心配する事はありませんわ。ただ、これから街に売られに行くだけですから。この間は三十人。その前は十人。とりあえずは各地に売り歩いていますが、あの女達が気付く前に結果が出るよう祈っています。誰でもいい……良い男を選びなさい。それでこそ御子様のお考えが証明されるというものですから……」
ゆっくりと少女の頭に手が伸ばされる。
「さぁ、御神の国を来らせる為、新たな記憶を与えましょう。倖せにおなりなさい。それが新たな世の始まりとなる……」
大陸西部。
亜人のみで構成される小国家【アルヴァス】にて悪意に満ちた幸せが動き出す。
大陸を震撼させる大事件が起こるのはそれから二日後の事。
数百万とも言われる七教会関連施設、その三百余りがほぼ一日で壊滅した。
戦いは唐突に誰かの命の幕切れと共に始まった。