第二章三十八節「周遊」
小さな木漏れ日を涼風が通り抜ける午後。
教会に集う傍ら。
女の子は母親と共に歩いていた。
いつものように。
女の子にとって、それはいつだって嬉しい時間だ。
難しい話は分からなくても。
母親が笑顔で手を繋いでくれる。
自分と同じ歳の子と遊ぶ事が出来る。
それだけで女の子も幸せを感じていた。
牧師の難しい話は分からなくても、シスター達が話す御伽噺はワクワクしてドキドキして。
聞かずにはいられない。
男の子は戦うお話が好きだ。
怖い怖い魔王をやっつける勇者様の話。
今も魔王と戦い続ける騎士様の話。
けれど、女の子はそれより聖女様の話の方が好きだった。
それは一人の少女の話。
三人の仲間と旅をして、哀しい世界を変えたいと願った人の話。
少女は優しい王子様と出会い、教会に入って、多くを救い続けた。
旱魃に喘ぐ国には雨を。
食料に困る国には麺麭を。
戦争に泣く国には平和を。
数え切れないくらいの愛を人々に語った。
少女はやがて聖女と呼ばれるようになって。
御伽噺の騎士様と結ばれて。
可愛い女の子を産んで。
世の誰からも聖母と言われるようになって。
ずっとずっと幸せに暮らす。
シスター達はいつだって優しく女の子に教えてくれた。
その人の名前を。
今も人々を遍く照らす光の名前を。
七つの奇跡持つ神の子。
七聖女の一人。
ハティア・ウェスティアリア。
その【聖硝子(イコン)】が女の子は大好きだった。
とても綺麗な人。
全てを慈愛で包み込んでくれそうな優しい微笑。
だから、女の子はまたシスター達の話を聞きたくて。
見えてきた教会に走り出した。
母親のちょっと笑った「走らないの」という声を置き去りにして。
―――それが女の子にとって母親との最後の別れだった。
開かれた扉の先。
不意に風が吹いて。
女の子は少しだけ目を瞑った。
次に瞼を開けた時、彼女が見たのはもう座席に座っている大勢の人々。
いつも女の子が座る最前列にはちゃんと場所が空いていた。
人をジロジロ見たりしてはいけない。
母親の言いつけを守って俯き目を細めて女の子は教会の中央を静々と歩いた。
そして、何食わぬ顔で自分の席に座った。
いつものお決まりは母親が女の子の隣に座って。
席の横にいつも座っている老婦に頭を下げるというもの。
その時に必ず小さな飴をくれる。
それが教会での愉しみでもあった。
頭を撫でてくれる老婦の事が女の子は好きだった。
祖母というものを知らなかった彼女にとって、もしもおばあちゃんは誰かと聞けば、老婦の事なのだ。
(遅いな。お母さん)
女の子が正面で微動だにせず説教の時間を待つ神父様をチラリと見て思う。
いつもならば、ごほんと咳払いを一つしてウィンクくらいは返してくれる優しい人のはずだが、今日に限って笑みこそ崩さなかったものの視線も合せてすらくれなかった。
(まだかな)
少し早い足音と「皆さん。いつもすみません。うちの子が」という声が聞こえてこない事を女の子は訝しがる。
だから、彼女は少しだけ欲を掻いた。
まだ母親が来るまで時間があるなら、ちょっとだけ顔を上げて、老婦に挨拶をして、飴を貰ってもいいかな…と。
母親にいつもお小言みたいに「もう飴は卒業しなさい」と言われるのが億劫だったから。
誰もソレを責めたりはしなかっただろう。
母親だって、お行儀が悪くとも「困った子ね」と苦笑して許しただろう。
けれど。
「御婆ちゃん。こんにちわ」
顔を上げて。
女の子は思った。
今日はこんなに暗かったっけ?
今日はこんなに寒かったっけ?
今日はこんなに顔が見えないくらい目が霞んでたっけ、と。
「おばあ、ちゃん……?」
いつもならば、もう外されているはずのベール付きの帽子。
その下に隠れた柔和な輪郭を探して、女の子は下から老婦の顔を、覗き込んだ。
「?」
理解出来なかった。
彼女には何があったのか理解出来なかった。
老婦の顔があったはずの場所には暗闇があった。
(お顔は……)
それは蠢く血肉と血管と骨格と血と脳髄を覗かせながら、全てを留めていた。
(どこ?)
女の子はふらりと顔を神父様に向けた。
いつもならば、お茶目な神父様。
いつもならば、笑って遅刻を許してくれる神父様。
顔の変わらない神父様。
思わず立ち上がって。
彼女は神父様の横へ回った。
(頭……)
顔の変わらない神父様も同様。
(どこ?)
脳髄と頭蓋の残滓を留めて。
全ては薄い闇に静止していた。
そうしてようやく。
女の子は気付く。
彼女は気付く。
振り返って気付いてしまう。
顔を無くした薄い暗闇に残滓だけしかない人々の顔を。
通り抜ける風が教会の壁に空いた穴から吹き込んで来ていた事を。
笛のように教会から過ぎ去る流れに音色が乗っていく。
伽藍を鳴動させていく。
合せて流れるソプラノが自分の口から出ている事を女の子は意識しなかった。
キィッ。
そう音がして。
扉から見える母親の足を見つけて。
彼女は走って走って、永遠にも思える距離を何とか走り切って。
大粒の涙と共に抱き付いて。
そして、見た。
母がどうなってしまったのか。
「 」
それが聖女の手から零れ落ちた命の一部始終。
標的4833箇所。
その内の護り切れなかった三百余の悲劇の一つだった。
*
工程(プロセス)2,400番台まで省略。
慣性制御最大。
絶対座標、地軸、磁場、放射線、引力、大気圧、大源(マナ)、安定。
原子核魔法数。
Z=666。
N=666。
超重元素【果元未踏(トラペゾヘドロン)】発生。
唯物原理作動。
観測者効果排除。
原理性観測活動開始。
分子間力強化。
構造物組成誤差0.000000009。
侵食活動確認。
遮断、遮断、遮断、遮断、全原子捕獲完了。
奇跡による封印、消却まで四十秒。
温度上昇。
圧力上昇。
臨界点突破。
超臨界状態維持。
変形開始。
形状―――短剣。
「【蟲杓(アザトシド・レイディル)】―――ディスチャージ」
天空より上。
地上より150km地点。
彼女は遥か頂から命が消えるのを感じ取った刹那。
未来予測による誤差三秒以内。
地表に存在する情報通りの存在を感知し、攻撃動作に移った。
常人には見えなかっただろう。
超常の力や魔術や魔導を極めた者も僅かな違和感しか捕らえられなかった。
しかし、全てを見守っていた【聖杯委員会(ペルスヴァル)】と呼ばれる頂点存在達のみが、その悍(おぞま)しい力の本質とそれを完全に使いこなす七聖女ハティア・ウェスティアリアの行動に震えて。
決して、決してその攻撃の一部にも当たらぬよう回避行動を取った。
大陸規模での話である。
ある者は秘境たる山岳の奥地で。
ある者は魔境たる次元の狭間で。
ある者は畢竟、時空の境界で。
大陸に天から振り下ろされたのは凡そ宇宙内部には存在しない物質と法則によって振るわれた。
その惑星に過去存在したとされる【外なる神々】を構成する事もある一物質。
それらの者達が生み出す種子を構築する元素。
それは本来決して“宇宙内部に在ってはならないもの”だ。
ソレはそこにあるだけで全てを侵食する。
宇宙を書き換えると言っていい。
外世界のものと同質という事はそれだけで魔術的に言う“相似”の状態にある。
もしも、原子一つだろうと世界に散らばれば、銀河一つが滅ぶだろう。
言うまでも無く神の侵食を受けた“何か”によって世界そのものが【无(む)】へと還るのだ。
何も残りはしない。
時間も次元も空間も物質も法則も何一つとして。
それを制止していた存在たる【大母】無き故に。
「塵は塵に。灰は灰に。還りなさい」
大気は震えない。
声は届かない。
しかし、ハティア・ウェスティアリアの手にある小さな【偽白銀(クローム)】にも似た鈍い白色の短剣は己を構成する元素を術者の意思に沿って形成した。
単分子状の極細の糸が網目状に組まれ、大気を限りなく零に近い速度で裂く。
惑星に変化は無い。
その時、ハティアが気紛れを起こせば、あるいはほんの少しでも制御を誤れば、まるで戯画の如く、惑星を輪切りにする事も一瞬で消滅させる事も出来たが、そうはならない。
些細な変化は一つだけ。
地表4833箇所。
彼女が感知した流動する肉で構成された口、化け物達が一斉に消え失せていく事だけだった。
スプーンで粘り気のある粘土を抉り取るような、そんな光景。
大陸の各地に出没した化け物達は虹色の光弾をほぼ吐く事なく、ハティアに掬われて、短剣自体に取り込み還元された。
網目状で落下した短剣の原子はあらゆる物質の間を通り抜けたものの、何一つとして構成を破壊せず、唯一引っ掛かる同質に近いものだけは逃がさなかった。
次元や異相空間、時空にすら影響を及ぼす短剣の効果がたったそれだけに限定されている事はハティアの【魔導技術】が神域と言われるだけの技量である事を示している。
万が一にも危険の無いよう聖女の奇跡が同時に併用された短剣は短い間ではあったものの、その時だけは惑星内部のあらゆる時代の兵器に勝る力だった。
「……ッ」
それでも今にも泣き出してしまいそうなくらい顔を歪めて。
彼女は、ハティア・ウェスティアリアは、救い切れなかった人々の冥福を祈り、今死に往こうとしている者達の手当てを開始する。
予め大陸全土で準備させていた魔術用触媒の殆どがハティアの意思に呼応し、霧散していく。
「イムホテプ、アスクレピオス……お願いします」
魔術において神々の力を加味する【意匠】は多用される術式中核の一つだが、ハティアは魔術を使うでもなく、ただ“神を顕現させる触媒と魔力だけを”魔導で大気に混ぜて攪拌した。
大陸を覆う大気中を明確な意思を持った何かが蠢き、傷で呻き命を途切れさせようとしている人々の周辺へと集い予め定められていた治癒の魔導を展開していく。
「私は……また見殺しにしたんですね……」
ハティアが蒼と赤に染まる星を見つめながら呟く。
世界の外の法則に支配された化け物達。
その行動予測は極めて困難だったが、それでも限界まで精度を凝らした予知とも呼べる占術で出現時間をほぼ正確に確定し、百万単位で出るはずだった犠牲をたった数千人にまで縮小、尚且つ即死以外の者を治癒する大陸規模魔術、いや……召喚術を扱い得るのはハティア以外にない。
それでも死人は出てしまった。
被害地域があまりにも広範囲に及び、その上出現時間の予測が付いたのがつい二十五分前。
長距離転移施設で大陸各地の七教会の兵力に第一種戦闘配備を促して後、すぐに大気圏下層に陣取ったのがつい十分前。
被害予測が大陸規模である事が分かった時点で覚悟していた事ではあった。
それでもハティアは全て助けたかった。
誰も死なせたくなかった。
(誰もを救ってみせるって決めたのに……決めたのに……)
未だ大陸は統一には遠い。
七教会も万能では無い。
それでも万能に近い域にある彼女だからこそ、後悔の念は顕著だ。
(全てを使えば、助けられたのに……)
七聖女としての彼女は多くの上に立つ存在だ。
上に立ち、束ねる存在だ。
柵(しがらみ)がないわけがない。
彼女の倒すべき敵。
魔王である少年も同じ。
強過ぎる力は制限して使わなければならない。
相手を殺す為だけに惑星を壊す攻撃をしては意味がない。
未来の予測についても同じ。
完璧な未来予知なんてものは考えるまでも無く人類にとって害悪だ。
それが例え人を救う為だとしても、完全な予知とは“全てが確定してしまった”絶望に他ならない。
世界の外からの来訪者というイレギュラーに予知に近い占術を行使する。
そんな事をすれば、どんな結果になるか予測が付かない。
精度にある程度の遊びの部分を設けなければ、危うくて占なう事も出来はしないのだ。
他も同じ。
敵が現われた刹那に相手を倒す魔術のようなものを組んだとしても、それが本当に正しい行為なのか確認する時間が無ければ、無用な悲劇を生み出しかねない。
それらの問題を瞬く間に終える事は出来る。
それこそ万能の域にまで到達したハティアにならば、出来る。
が、そうしようとすれば、また問題の壁にぶち当たる。
聖女という人類最大戦力の全力行動。
これを他の種族が容認するかどうかと言えば、答えはNOだ。
【聖杯委員会(ペルスヴァル)】
嘗て魔王との大戦において組織された複数の種族・存在を有する事実上の惑星意思決定機関。
その上層部こそ瓦解したものの、立て直された組織は未だに機能している。
人類が“あらゆる意味で危機に瀕している”という一点で一致している彼らは容易に強い力を七聖女達には行使させない。
そのような制約が七教会と彼らの間には設けられている。
その理由はハティアにも頷けるものだ。
人類は万能ではない。
それは七聖女だろうとだ。
予知の事だけではない。
大きな力・技術・能力は様々な点で歪みを齎す。
何もかもを七聖女が解決して人類を導いていくなんて未来は彼女達自身も望まないし、人が望むべきでもない結果だ。
突出した個人の才覚だけで世界を変えてすら、彼女達は真に全ての能力を解放してはいない。
どれだけ破壊に優れた能力を持っていても、どれだけ優れた技術を持っていても、人という種の事を考えるならば、彼女達はあくまで全てを自分達でやってはならないのだ。
戦争だろうと平和だろうと発展だろうと衰退だろうと。
ハティア・ウェスティアリアの選びたい未来は自分の力だけでは成し得ない、成してはいけないものだった。
「……」
ボロボロと涙を流して泣く子供達がいた。
もう動かない体に縋って、崩れ落ちる人々がいた。
出来うる事なら、その顔に笑みを取り戻したい。
握り締めた拳が砕けそうな程の壮絶な誘惑にハティアは駆られた。
人を甦らせる事さえ、この世界の魔術には出来る。
魔導を極めた者には可能だ。
しかし、命の価値を貶めた瞬間から、世界は永遠の牢獄と変わらなくなる。
老いる事も死すらも幸せであると知るからこそ。
彼女は、ハティアはただ空の上で項垂れるしかなかった。
「……」
奇(く)しくもそれは魔王である少年と同じような苦悩。
いや、昔仲間として共に旅をしていたからこそ、なのかもしれない。
七聖女の誰もが少年と出会い、少年と共に時を過ごした少女達だ。
だからこそ、どれだけ年月が経とうと、敵対し続けようと、境遇の類似は必然。
魔王は“生きて己の責と業を全うしよう”と望み。
聖女は“己の力で人々を幸福へ誘おう”と誓った。
その方向性(ベクトル)が己か他者か。
彼と彼女達の違いはたったそれだけに過ぎない。
『ハティア。おい』
「あ、ユアン……」
『落ち込んでいたのか?』
「い、いえ……それは……」
耳元に魔導での音声通信。
地上でハティアのサポートと現場の陣頭指揮を取っている親友ユアン・クオの声だった。
『こちらは既に幾度かの予備探査を終えた。お前程ではないにしろ占術結果も出た。これから一週間程は確実に来ないと見ていいだろう。門はこちらで処理した。お前の共有情報のおかげで狙いは付け易かったからな。フルーの投入した新型の【高格外套】との連携もあって何とかなった。被害者支援にお前の決裁が必要だ。早めに戻ってきてくれ』
「わ、分かりました。すぐに転移で向います」
『ああ、それと今回の相手の事だが、どうやらフルーが本格的に相手を潰しに掛かるらしい。この一件を見ても高位魔族程度とはわけが違う。久方ぶりに七聖女全員の招集が掛かった。クラルはどうやらこちらにもういるらしい。ミュルトとメルフは仕事が終わったら来るそうだ。それであの破壊魔の事だが、今は極上の干し肉を探しがてら西部で【沸魔】潰しだそうだ』
僅かに苦々しい声。
いつも通りの親友の口調が自分を気遣ってのものだと理解して。
ハティアは瞳を閉じて、伝える。
「ありがとう。ユアン……」
『礼を言われるような事はしていないが? とにかく、七聖女全員に召集が掛かったという事はあいつと同等くらいには厄介な相手なんだろう。詳しい話は後だ。まずは返ってきてくれ』
「分かりました。では、またすぐ後で」
通信が途切れる。
本来指示を出さなければならない事件直後だ。
なのに殆ど地上から通信は入ってこなかった。
今ですら地上からの連絡はない。
きっと落ち込む時間くらい作ってやりたいと。
誰かさんが現場で主張したのだろうと看破して。
彼女は一滴だけ自分へ許す。
「ユアン……」
他者へ感謝として捧げられるならば、まだ自分は大丈夫だと。
「本当に……ありが…とぅ…っ……」
そう、世界で最も尊き一雫を、ハティア・ウェスティアリアは落とした。
*
「クヲックヲックヲックヲックヲ~~~♪」
クラウゼン公爵家地下研究棟。
天真爛漫傍若無人なる異形少女マヲンは今日も日課と為りつつある観察へと赴いていた。
一面床が硝子張りで地下の交配実験場の一室が丸見えの部屋である。
床に寝そべり、ベッタリと頬と海月(くらげ)に喰われたような頭を押し付けながら、マヲンは数日前に精神の境界で出会った少年が年頃の異種や亜人、人間の少女達と交合(まぐわう)のを今日も見ていた。
あれから四大貴族の少女達の休憩以外、少年はずっと交わりっぱなしである。
それでも精が枯れない様子に半ば呆れと尊敬が入り混じった【被検体(おじょうさま)】達の視線は数日でもう発情した牝のものになっている。
「クックヲ?」
何周目だっけ?
そんな独り言だった。
当主であるランナの指示により、多数の少女達が少年との特別交配実験に借り出されていたが、彼女達はローテーションを組まされて、代わる代わる少年と接触していた。
『ヒァアアァアアアアアアアアアアァ』
「クヲ」
マヲンがジッと真剣な顔で少年と少女達の行為を見ているのは何も今は好奇心だけではない。
数日前の記憶がまるで昨日の事のようにマヲンの脳裏を巡る。
あの日、マヲンは敗北を喫した。
互いの秘所に口付け合うのみで試合は終了。
結果は一分と経たずに出た。
今まで多くの種との交配実験を牡の立場ながらこなしてきたマヲンの自信は呆気なく打ち砕かれた。
ただの責めに感じるような軟(やわ)な肉体はしていない。
マヲンはそれこそ相手に淫魔くらいの素質が無ければ、達させる事すら無理なくらいに自己制御(セルフコントロール)が上手い。
それもそのはず。
交配実験において中核であるマヲンは幼い頃より、クラウゼン侯爵家の蓄積してきた膨大な秘術、技術、知識を総動員して育てられた。
クラウゼンには彼女以上に交配に関して詳しい人間はランナくらいしかいない。
そんな彼女の性感を一分足らずで限界にした少年の手管は並大抵では無かった。
舐め方なんてどれも同じだと思っていたマヲンは愕然としたのだ。
こんなはずはない。
何かの間違いに違いない。
たった十回。
舌で舐められただけで昇り詰めるなんてと。
「クゥ……」
性技に関する技量は交配に特化していたとはいえ、快楽を御せずしてマヲンは交配実験を行えなかっただろう。
それをいとも簡単に弄ぶ男。
いや、魔王。
実験のついで、興味本位に近付いたマヲンにしてみれば、初めて交配相手にただの興味以上の感情を抱いた瞬間だった。
何だか悔しかった。
それ以上に自分に制御出来ない快楽や感情にムッとした。
言葉にすれば、そういう事になるだろう。
書物でも実技でも「マヲン様は実に覚えが早いですね」と周囲からちやほやされて育った娘である。
例え、異形の姿でも地下研究棟の誰もが彼女を褒め称えた。
箱入りであるのは言うに及ばず。
今まで他者から脅威なんて感じなかった彼女にとって、少年は初めて自分よりも上、得体が知れないと感じられる存在だった。
『個体NO.23。交配実験終了しました。続いてローテーション開始時刻まで五分のインターバルを設けます。各位、ケージへの転送を』
『了解しました。お姉様』
「クヲ?」
ようやく一回りしたらしく。
休みがてら四人の少女達が疲れた様子で椅子に腰掛けていた。
『次は【人馬(ケンタウロ)】。あの子も随分と大人しくなりましたわね』
『そうですわね。最初はあんなに嫌がってたのに今では最初から【ティア様ぁ♡】ですものね』
『ええ、その上【どうか、シュレディナにまたお注ぎくださいませぇ♡】ですから』
数十人にも及ぶ交配実験の中でも今四人の少女達が注目しているのは上半身は人で下半身は馬である人馬の少女シュレディナの事だ。
大なり小なり交配で被検体である研究棟の少女達は少年に甘い声を出していたが、一際それが顕著な個体として見られていた。
早めにローテーションを回したい貴族の少女達にしてみれば、交配する度に少年に話し掛け、意志もない人形のような少年に甘えたり、抱き着いたり、ただ寄り添って幸せそうな顔をしているシュレディナは実験の遅延者に他ならない。
それでも恋人気取りで少年の清掃を手伝ったり、甲斐甲斐しくする姿に半ば胸を打たれて、それらの本来ならばペナルティーになるだろう出来事も黙認していた。
紅茶をやや早めに飲み干した少女達が転送の魔術方陣を展開し、交配実験を再開させる。
『そう言えば、保安部隊が生きの良い侵入者を捉えたとか』
『そうですの? お姉様』
『ええ、ランナ様がじきじきに交配個体として使えるかどうか調べたようで、今は洗浄と各種封印を行っているそうです。その内にこちらに回されてくるかもしれないと家の者が』
大きな寝台の縁に腰掛けさせられている少年は未だ全裸で無反応。
少女達のお喋りが終わる頃。
ふわりと方陣の内部から人の上半身が迫り出した。
すぐに少年の姿を見つけた人馬の少女シュレディナがパっと顔を輝かせて、転移が終わるやいなや、少年の前まで自ら進み出る。
珍しく上半身にはケージ内部の個体達が使う下着が付けられていた。
薄い胸を下から押し上げる肌着。
レースをあしらった東部風の髪飾り。
薄く香油が乳房に塗られているのが貴族の少女達にも分かった。
もっと言えば、既に秘所はドロドロに解れて蜜を滴らせている。
今、この時の為に濡らしていたのか。
自ら慰めていたのは疑いようもないだろう。
貴族の少女達にしてみれば、もう何も言う必要は無かった。
恋する乙女は地下研究棟では珍しいが、いないわけではない。
男性個体に交配後に熱烈な思いを寄せる被検体は中々いないというだけの話だ。
男に縋ってなければ、生きられないような劣悪環境ではないし、男性個体も基本的に少ないのだから当然と言えば当然だ。
ケージ内部に男女が共に割り振られる時は自然交配を促されているのであって、個人の想いは基本関係がない。
少女達にしてみれば、恋は数少ない他人事で娯楽に出来る見物(みせもの)の一つだった。
『ティア様』
座る少年の傍まで行くとシュレディナが前足を追って少年に視線を合わせた。
無論、反応は無い。
が、それでも構わないとばかりにそっと優しく両手が取られる。
『またシュレディナは来ました。御加減は如何ですか? 変わりありませんか?』
『……』
沈黙を苦にせず。
微笑んで。
最初の勇ましさは何処へやら。
シュレディナがそっと抱き着き、乳房を少年の胸に触れさせた。
『っ…ティア様の鼓動感じます。此処で……シュレディナの乳房で、とても暖かくて優しくて……』
それだけで天にも昇る心地なのか。
耳たぶを赤くしたシュレディナは頬を上気させながら呟く。
『か、髪飾りを付けてみたので……いつもとは違うのです……』
少年の手を優しく包んで己の髪と髪飾りを触らせて後。
少女はまだ男を知らぬ乙女の如く。
恥ずかしそうに少年への想いを、淫らな言葉を囁いた。
『シュ、シュレディナはもうティア様のものです。ティア様の子種にわ、私の子宮は屈服してしまいました♡ もう何度も注がれて…きっと孕んでしまっています♡ 今も前の分で胎(なか)を満たされて……こ、こんな風に乱れてしまう私の事を……どうかお許しください♡』
言う間にも香油の塗られた胸がヌルヌルと少年の身体を優しく摩った。
『ティア様ぁ……好きです♡ 貴方の子種で、ず、ずっとずっと子宮(ここ)を満たして欲しいです。お傍に置いてください。シュレディナはあ、貴方の……牝馬です///』
人馬の社会において己を牝馬などと言うものは最大級の卑語だ。
秘めた夜。
夫の前でだけ囁くような言葉だ。
それを誰もが見ている前で呟くなど、一族を追放されてもおかしくない暴挙のはずだ。
しかし、それを知りながらもシュレディナはもうその言葉が恥ずかしさよりも悦びに満ちている事を感じ取っていた。
少年の牝馬。
少年の為だけの存在。
そうなれたらいいと感じてしまっていた。
『私に乗騎してくださいませ。わ、私の主様♡♡♡』
言ってしまった。
もう後戻りは出来ない。
己に乗騎しろとは、貴方の下僕です、奴隷です、妻です、そういう意味だ。
人馬の女にしてみれば、夫以外に呟いてはいけない言葉だ。
その誓約は彼女にとって人生と同等の重みがある。
これをもしも彼女の親族が聞いたなら、どんな理由があろうとも、その相手へシュレディナを託して二度と故郷への入場を許さないだろう。
それでもその言葉の重みが今のシュレディナにとっては心地良かった。
この地下で少年の子を産む事すら、彼女は覚悟出来た。
『『『『?!!!』』』』
スッと少年の手がシュレディナの頭を撫でる。
『あ……ティア、様?』
それはどう見ても自発的な行動。
貴族の子女達が狼狽えた。
少年の手がゆっくりと己の目隠しを取る。
『嘘、でしょう。そんな、在り得るわけが……』
少女達の驚きも無理からぬ事だ。
死神の力が込められた五つの拘束。
死に装束。
死そのものを与えられても死なないというだけで驚きだと言うのに。
それを覆してまでみせる少年の力は想像を超えている。
普通の不死者だって、そこまで理不尽ではない。
『……ごめんね』
『え?』
シュレディナはその言葉が何に対してなのか分からなかった。
しかし、少年があの夢で逢った少年のままだった事が何よりも嬉しかった。
『それと……ありがとう。シュレディナ』
人馬の少女の心臓が縮んだ。
視界が滲んだ。
身体が震えた。
声が掠れた。
ただ、自分の答えは間違っていなかったという誇らしさが誇り高い一人の人馬の心を打った。
『まだしばらくはお世話になると思うけど、悪戯は程々にね』
少年の声に一部始終を見ていたマヲンが目を輝かせる。
「クックヲクヲ♪」
少年が起きた。
少年と今度は現実で交配出来る。
さっそく、部屋を出たマヲンの行き先は言うまでも無く。
己の父親の書斎。
何を進言するかなんて分かり切っている。
左に曲がって右に曲がって螺旋を下りて昇って転送されて三分もした頃。
全力疾走していたマヲンは扉も叩かずにそのまま書斎へと上がり込んだ。
「そうか。ふむ……皇帝の側近も面白い人材を揃えている」
「くッ、この身は陛下に捧げるべきもの。下郎が触れていいものではない」
「散々逃げ回ってコレだものね。本当にどうしようかしら。何処かの誰かさんが空き部屋の皇帝グッズに気を取られたりするから……」
そう大きくもない書斎の中。
二本の十字架に裸で貼り付けにされている女達の姿があった。
少年を迎えに来た皇帝の側近。
エーレインとエリザリド。
二人は自分達が裸にされている事とランナに器具で検査されている事を差し引いてもまったく動じた様子無く、いつものようにやり合っていた。
「クヲ?」
「マヲンか。どうした?」
クヲクヲとしか発音出来ない娘の言葉を三十秒程聞いていたランナがチラリと十字架に掛けられた二人を見て、考え込む。
「……まぁ、それも一興か。予定数値には達した」
「「?」」
ランナの呟きにエーレインとエリザが怪訝な顔をする。
これから化け物と交配させられるか。
改造でもされるかと内心覚悟を決めていた二人にしてみれば、ランナの思わぬくらいに明るい様子は不気味以外の何物でもなかった。
「で、ご老人。我々をどうするつもりだ」
エーレインの問いにランナが皮肉げに微笑む。
「これでも年頃のフロイラインには気を使う方だとの自負がある。察するに魔王の動向を見に来たのだろう?」
「さぁ、どうかな」
不敵な笑みでエーレインが返すも、ランナは相手にせず黙ってマヲンの耳元に何事かを囁いた。
「クーヲ?」
「ああ、そうだ。四人にはそう伝えておけばいい」
「何をこそこそしている」
「そう刺々しくするものではない。君達の処置が決まったところだ」
「ぅぅ、化け物はいやぁ」
「嘘泣きは結構。本題に入らせ貰いたい」
「うーわ。このじいさん血も涙もないんじゃない」
サクッと嘘を看破されたエリザリドが悪態を付く。
彼女だって女の端くれだ。
いつもエトの傍でエーレインと漫才をしているが、それなりに羞恥くらいある。
全裸で十字架に括り付けられても何とか平静を保っているのは大体相棒に寄るところが大きい。
相手に大口を叩くのは半ば強がりに近かった。
「芳しい結果が出れば、此処の住人として迎えよう。何、彼との間に子が設けられるかどうか。皇帝の側近がどれ程の血筋かを見てみたくてね」
「まさか……」
エーレインが目を細める。
「今、特別交配実験を行っている最中だ。君達には特別ゲストとして魔王との間に関係を持ってもらう」
「「……」」
二人は顔を見合わせた。
脳裏に浮かんだのは同じ顔。
女の敵。
不幸を呼ぶ男。
魔王シンア・ザ・クリティカルアンラッカーその人の曖昧でとても済まなそうな笑みだった。
「クァァァァ、クゥヲ?」
マヲンだけが欠伸をして。
これから新しい住人になりそうな二人の何とも言えない顔に首を傾げた。