第二章四十二節「始源」
―――藩落都市国家アーズトリテ上空【貴皇】内部貴賓室。
炉心復旧完了しました。
予備の積層魔力を順次開放。
地域一体の【大源(マナ)】枯渇が深刻です。
完全に安定するまで三十八時間。
使用可能な艦の武装は全体の三割。
何(いず)れも魔力不使用もしくは魔力枯渇での使用を前提としたもののみです。
観測室から入電。
ワレ、モクヒョウ・ヲ・ソウシツ・セリ。
異相空間潜行深度観測限界域を越えたとの事です。
本国より七教会総本山に動き在りとの報が!!
非公式ですが、七聖女の何人かの会合が行われたとの未確認情報在り。
北部三国に現在詳細を確認中。
アーズトリテ側から公式電文来ました。
クラウゼン公爵家本邸の改装が終わっておらず、出迎えを明後日まで伸ばして欲しいとの事です。
「足元を見おってからに」
逐一上がってくる情報に瞳を細めたイグニシア・クルシス皇帝はいつもの白い一点物(ワンピース)姿で深々と椅子に座って、リアルタイムで大陸情勢が更新される魔導の地図に見入っていた。
地図上にはタイムラインで何が起こったのかが常に表示され、虚空に文字列を描いている。
「こちらの戦力が半減したのはあちらでも観測されたか。大方時間稼ぎだろうが、この状況で意味があるのか疑問じゃな」
突入組の準備が完了しました。
異種側からは竜神と人馬が同行すると。
「解った」
七聖女クラル・リテルの情報が確認されました。
ほぼ間違いありません。
魔力ライブラリと照合中。
合致しました。
現在、聖凱王都アルヴィッツに88%以上の確率で存在します。
(これであの天使が誰の指示で動いていたのかは確定したと見ていい。何にせよ。脅しにこの艦が使えなくなった。事態は急を要する。異種側を抑えておくのが難しくなった以上、これが最善ではあるが……)
「陛下」
枯木のような男。
側近であるD・グラム・ハイランがいつもとは仕立ての違う蒼い背広姿でそっと耳元に囁く。
「ハティア・ウェスティアリアの?」
「はい。本国の調査部隊に調べさせていた件ですが、いましがた全情報が出揃いました。独立外部機構側から派遣された審問官の名前で引っ掛かっていたのですが、やはり本人だと」
「次世代の聖女か」
「まだ七教会は決めかねているようですが、旧教会派主導の計画よりは余程に現実味のある話ですので」
「ふん。余の記憶を奪いに来るとは……因果じゃな」
エトがやれやれと肩を竦めた。
「相手は七教会に未だ残る数少ない旧教会派の自治組織です。本来なら政治で決着させるところですが、あちらの長は千年以上は要職に付いている方のようで。一応、知っている人間に問い合わせたところ“ただの皇帝程度”には靡かないだろうとの事です」
「……ハイラン」
「何でしょうか」
二人きりの部屋の中。
側近中の側近である男は自然体で主の言葉を待った。
「如何に聖女の娘とはいえ、木っ端役人程度に余が出向くまでもないな?」
「勿論です」
「ならば、余が命ずる。七教会だろうと旧教会派だろうと構わぬ。余の頭に触れられるものならば触れてみよと言ってやれ。使えるものは全て使って構わん。とっとと追い返せ」
「了解致しました」
通常なら考えられない事だ。
皇帝の側近が七教会の一員とはいえ、一組織の人員へ直接出向くなんて話は。
相手が七聖女の娘という事を鑑みても役職で言うなら一官吏に過ぎない。
それに出向いて挑発して来いとの命令はいつものエトらしからぬ命令だ。
しかし、エトの動向を殆ど把握しているハイランからしてみれば、それは自分が仕える主が初めて感情に任せたもので、常とは違う命を受けられるという時点で一種喜びすら感じていた。
兄達を舞台から退場させて数年。
常に感情的、傲岸不遜、天上天下唯我独尊を貫いてきたと思われがちな少女だが、実は理性と合理性と閃きのみであらゆる事態を打開してきた。
普通の貴族主義の権化と見えて、エトは実のところ思想において七教会や聖女に近い。
徹底的な合理主義と現実主義が皇帝という皮を被っていると言っても過言ではないだろう。
事実、イグニシアと七教会の政治は同じような思考を真逆に向けているだけなのだ。
聖女達は統治を徹底的なトップダウンによって行いながら、多くの場合表側に出てこない。
エトは同じような統治を行いながらも、仕事の殆どを部下や相手に一任し、自分が表に出る。
前者はまるで顔の見えない陰謀論も真っ青な政治。
後者は旧き衣を被ったまま死に絶え往く新しい王政。
どちらが悪いというものではないし、正邪を論じるべき話でもない。
だが、エトは己が傲慢である事を隠そうとはしない。
秘するべきものに暗さを伴わない。
故に己をあくまで“皇帝としてしか”扱わない。
そのエトが少女として、感情を向き出しにして惚れた男の為に怒り、皇帝である特権を使ってまで不毛な宣言を部下にさせると言うのだ。
しなくていい喧嘩を売れと言うのだ。
主に仕える事を至上の喜びとする従者にとって、これ程に気味が良い事はない。
ハイランはあくまで人間に仕えているのであって、石に仕えているのではない。
主上たる少女の感情にこそ、価値がある。
そうでなくて何が面白いものか。
彼は、D・グラム・ハイランは、エト・エイラル・イグニシア・クルシスの描く世界を一番に見たいからこそ、現在の地位にいる。
聖女や魔王が大いなる秘密で世界を弄ぼうと。
心が躍るのは仕える少女が複雑怪奇な人間というものを手玉にとっては得意げに笑みを浮かべている時だけだ。
(合理性無くして今までの貴女は皇帝足り得なかった。しかし、今の貴女が思い綴る未来は昔よりも華やかです。陛下)
一礼して。
男は主の喜びに資する為、部屋を後にした。
*
「いふぃみすらねぇさま……」
「案ずるな。我は必ず帰ってくる。あの馬鹿者を連れてな」
【貴皇(ペルソナ・ノーブリス)】前部甲板。
イフィミスラは己より小さなエフィリムの頭を撫でて角を軽く指で突いた。
艦は現在、空中で静止している。
アーズトリテを一望出来る平野地帯に陣取ったのが二時間前。
突入の準備を終えたイフィミスラはいつもの外套の下にイグニシア・クルシス特製の魔術を仕込んだ軍装を身に纏い、風の凪いだ甲板で街を見つめていた。
「なーりゃねぇさまはどうして……」
「近頃様子がおかしかったのは知っていた。記憶が戻ってきているのかと静観していた我の失敗だ」
四時間前。
突如として【貴皇】の航路で発生した【大源】の枯渇。
それと同時に観測された天使の群れ。
そして、その天使達の去った後に消えたダークエルフの少女。
(我も存在を感じた。アレは確かに天使……そう呼ぶに相応しい気配だった。だが、何故ナーリャを連れて行った? エトの話が確かなら七聖女が関わっているらしいが、それならばどうして我ではない? 魔王の寵愛と刻印を受けたのは我であって、ナーリャはまだティアと交わってすらいないと言うのに……)
少年に力を分け与えられたとはいえ、イフィミスラは未だ唯(ただ)の少女でしかない。
解らない事だらけだ。
「エフィリム。ナーリャをあの馬鹿者と一緒に必ず向えに行こう。だから、それまで少し待っていてくれ」
「はい」
ハッキリと頷く妹の姿に血は繋がっていなくても強くなったとの感慨を覚えて。
自分だって、少年が変えてくれた自分だと信じて。
イフィミスラは背後。
艦の下から上がってきた気配に振り向いた。
「共に行くのはこちらの方だけだ。必要があれば、言葉は翻訳する」
人馬の男だった。
それも精悍な顔付きの。
五十代くらいだろう。
その人間の上半身は軽装甲の皮と鋼の鎧に覆われ、下半身は鞍を載せ、走りを阻害しない程度に皮製の篭手が四肢を覆っている。
「 」
鞍の上。
馬上で片側に膝を揃えて乗っているのは【貴龍】の女だった。
「解った。よろしく頼む」
イフィミスラが差し出した手をしばし見た鱗の女はそっと握手を交わし、何事かを傍らの壮年の人馬の男に囁く。
「『お前がこの突入の指揮を執るのか』と言われている」
「ああ。通信で此方側からの支援は受けるが、臨機応変に対応するにはやはり現場の判断を最優先にするべきだとエト、皇帝も同意した事だ」
「『ならば、一つだけ言っておきたい』」
「何だ?」
【貴龍】の女の手が離される。
「『こちらの行動は人側には縛られないと』」
「了解している。エトも事前に言っていた。無論、大きな括りで全員を無事保護する為の努力は惜しまない。我らにも取り戻すべき者がいる。本来ならば待っているべきなのだろうが、状況が状況だ。そちらと同様に己の利益を優先させてもらう」
「『了解しよう。聖契(せいせつ)を刻まれし人の子よ』」
イフィミスラが内心の警戒を悟られぬようにしながらも女を見上げる。
「見えるのだな……」
「『輪廻を繰り返す異種。大いなる眷属の一系統である我ら貴龍には汝の魂は眩過ぎる』」
「眩い、とは?」
「『その印を刻んだ者は残酷な運命を汝に課している』」
「何?」
イフィミスラの眉が僅かに上がる。
それを見ても貴龍の口元は動き、言葉は翻訳された。
「『本来、女は陰。しかし、その刻印は極大の陽。一つ何事かを誤れば身を焼き焦がし、己を食い潰す枷であると我らにはソレが見える』」
「言ってくれる。ならば、我はこう返そう。龍の神よ」
「『?』」
「我が身一つで足らぬなら、この心魂を捧げよう」
大きな宣言が夜の虚空に木霊する。
人の子。
それもまだ貴龍の歳からすれば、正に赤子も同然の年齢。
そんなイフィミスラの答えにシャラシャラと何か金管楽器でも鳴らしたような笑い声が響く。
「『その大言をよく噛み締めて生きよ。その意気を失いし時、汝は死ぬ』」
「言われずとも知っている。ああ、知っているとも」
イフィミスラが笑う貴龍の横を抜けて甲板の端、街の明かりがよく見える場所まで移動した。
「『汝の名は?』」
背中に掛かる男の声にイフィミスラは黒い外套をはためかせながら答える。
「イフィミスラ・ハージェット・テトス・エルデナンド。世界一の大馬鹿者を跨ぐ者の名だ。覚えておけ」
突入の時間が刻一刻と迫る最中。
甲板内部の梯子から最後の一人が現われる。
ガコンと開いたハッチの下から一足飛びに影が飛び出した。
瞬間的に壮年の人馬が位置を変えて貴龍の女を庇う。
「遅れて済みません。準備に手間取りました」
闇に栄える月の下。
透き通った瑠璃色の織物がフワリと舞う。
それは天女の衣、天使の鎧とも見えた。
透明な質感の生地が何であるか、その場の誰にも解らず。
精緻な図形と小麦の穂波を模した意匠が月明りに煌めく。
「慣れない衣装なもので……」
セイリ・ティウアズライト・エルメトロ・ニェハエル。
今はゆったりとした貫頭衣姿の少女は少年と出会った日よりも背中が広くなっていたかもしれない。
それは肉体の成長にあらず。
単なる心の大きさという意味において。
「む……」
自身が女性である事を堂々と主張する事を良しとした胸の辺り。
自分には無い武器が弾むのをイフィミスラは目の端で見逃さなかった。
既にエトから報告は受けている。
少年がどんな経緯で目の前のセイリと出会ってアーズトリテに運び込まれたのか。
呆れたというよりはいつもの事かと溜息が出たのは致し方ないだろう。
どうして美しい娘と知り合いになるのが上手いのか。
嫉妬くらいはするものの、それより何倍もイフィミスラには少年が気掛かりだった。
いつもいつも背負わなくていいものを背負おうとする背中。
抱え切れないと絶対に言わない姿。
生涯を添い遂げる覚悟であるイフィミスラにすら寄りかかってはくれても、荷を預けようとはしない。
(また、我には背負えぬものをお前は……)
解っていた。
そんな事は出会い交じわりを持った時から気付いていた。
だから、愚痴る事に意味は無い。
故にイフィミスラは、
「よろしく頼む。エルメトロ閣下」
己の内に沈む多くの感情を一端意識の端に追いやった。
「あ、ええと。イフィミスラ様、でしたよね?」
エトから少年の事を幾つか事前に聞かされていたセイリにしてみれば、当然の事ながら少年と出会って行動した時間が短い自分は目前の少女(イフィミスラ)よりも付き合いは深くないと知っている。
灰金(アッシュブロンド)の髪の少女が少年の愛しい人だと言われても、セイリにはピンとこず。
(この子がティアや陛下と同じような仲とは俄かには……)
まだ幼い少女が少年と男女の仲になれるものなのか。
貴族間での幼い者同士の婚姻は当たり前にある藩落でも、さすがに歳が往くまでは子作りはさせない。
しかし、皇帝とも良い仲である少年が不死者である事を含めれば、少女(イフィミスラ)もまた特別な事情を抱えているのかもしれないとセイリは多くを聞こうとは思わなかった。
「その、閣下というのはお止め下さい。今の私は……」
セイリが視線を俯ける。
故郷の人々に認めてもらったとはいえ。
それでも少年を助けに行く為、混乱する故郷を放置してきたのだ。
勿論、通信で様々な報告を受け、多くの指示を出し、王族達との間にも協議を持つに至っているが、それでもまだ元々の地位に復帰したわけでもなければ、家督を相続したわけでもない。
「構わない。我は少なくともあの演説を聴いた。そして、貴女は国の指導者に相応しいと感じた。エト、陛下にも通じた啖呵が一体この世の誰に通じない? 国を棄てた身からすれば、羨ましい限りだ」
「え?」
「我は元々王族の出なのだが、今は出奔していてな」
「そう、なのですか」
「ああ、だから、別にそう敬う必要も無い。今は貴女と違って単なる市井の女に過ぎないのだから」
イフィミスラの口元が僅かに歪む。
それが自嘲だったのかどうかセイリには解らなかった。
「……では、私の事はセイリと。私も貴女の事をイフィミスラと。それでよろしいですか?」
「どちらもあの馬鹿者に誑かされた口だ。同じ被害者同士、そういうのもいいかもしれん」
「え、いえ!? た、誑かされては!? た、ただ私は彼に助けてもらったに過ぎません!?」
一瞬頷こうとして、慌てたセイリが首を横に振る。
「ふふ」
イフィミスラの愉快そうな笑みにセイリは自分が慌てれば慌てる程に説得力がない事に気付いて、顔を紅くして沈黙した。
「そろそろ時間になる。前衛を任せても良いだろうか? セイリ」
「は、はい。剣の扱いには慣れていますので」
「では、遊撃と後衛の護衛はこちらに任せて欲しい。龍の神よ。我々が万難を排す限り、人の子に手出し無用と心得て頂きたい」
振り返ったイフィミスラの言葉に今まで黙っていた貴龍の女が頷き。
人馬の男も同様に首を縦に振った。
「エフィリム。行ってくる」
「いってらっしゃいませ。いふぃみすらねぇさま」
甲板の端から真っ先に飛び出したのはセイリ。
そして、続いてイフィミスラと貴龍を乗せた人馬が続いた。
次々に飛び出していく背中を月明りの下、見送って。
半魔族の少女はそっと両手を絡めて祈りを捧げる。
虚空に映し出された他が為に祈る姿。
それを見つめながら貴賓室内で指示を飛ばしていた皇帝もまた祈らずにはいられなかった。
全てが上手くゆくようにと。
風を切って落下する四者の遥か背後。
山一つを隔てて待つ異種達が貴龍からの波動を受け取って密かに動き出し、静かなる行軍を開始した。
*
水底(みなぞこ)の泡沫。
彷徨う可能性という頚城。
それがまた一つ崩れて消える。
弾けたのは歴史であったかもしれないもの。
薄暗い場所に差し込む斜陽は鈍色の瓦礫を照らし出し、浮かび上がっていく泡を割っていく。
横たわるもの。
今、そこに沈んだ彼はそうしてようやく世界というものの現実を知る。
それは連綿と続く選択の結果では無かった。
あらゆる道(せかい)に続く全ての可能性は不確かですらなかった。
最初から何もかもが決まっていると言っても過言では無い。
何故か。
選ぶ事は個人の意思に過ぎない。
しかし、選べる道は最初から一つしか存在しない。
その傲慢を彼は知り、ようやく七聖女達がどうしてあそこまで魔王を毛嫌いするのか理解する。
人が人である所以。
無限の可能性。
それを魔王という存在そのものが狭窄させ搾取している。
無限とも見える多くの泡沫(かのうせい)が消されていく悲哀に固まらぬ者はいないだろう。
誰もが毎日を積み重ねる選択。
それには見つめる限り、常に一つの道しか示されていない。
人々が意識する事すらない事実。
たった一つの道(せかい)を選ぶ事すら、左右へ向えるように見せかけられているだけに過ぎない。
因果律が無限に辿り着かないアミダ籤のようなものとすれば、現在の一点には横に選ばれなかった平行線(IF)が存在しているはずだが、そんな“もしも”は大陸に存在しないのだ。
あらゆるものを引き込む一点。
特異点とでも呼ぶべき存在が水底に差し込む斜陽の出所だ。
黒き太陽。
そう呼んでも形容出来ているか怪しい何か。
それは彼のいた場所に今も存在している。
(可能性が幻想に過ぎないなら、我らは決められた運命を辿る哀れな木偶人形でしかないわけか)
泡の幾つかに視線を向ければ、彼の耳には多くの声が聞こえた。
『ぶっつけ本番で使っておいて何ですけど。一体、この【超克(ネガティオ・セイプスム)】ってのはどうなってるんですか』
『上からの命令は一つ。マニュアルを見ろ、だ』
『積層魔力を多層ハイテン加工の間に浸潤させて、極小の魔導方陣群を形成してるらしい』
『密度を限界まで上げて固定。平方根の原則上どうしても出てくる分子間の勝手な運動量を0に近付けて分子構造を完全に静止。硬度を上げてるんだと。氷結呪文やら絶対零度を生み出す魔術体系の応用だな』
『それって外部からのエネルギーの殆どを受け付けないって事ですか?』
『ああ、つっても表層の何枚かの装甲に限った話で動魔術系統の流れは阻害しない造りに見えるな』
『この魔力の循環吸収系の扱いに付いてなんですけど。先輩方で解る方いますか?』
『あーそりゃな。現在確認されてる魔力形質の殆どを使う為に全ての魔力に対応した触媒が必要になったらしいんだが、積載容量の問題上、空間歪曲を使って内部にウィークポイントを作るわけにもいかないって事で、ほら背中の背骨の部分な。此処そのものが波動錬金学で言うところの【賢者の釜】になってる。これで殆どの魔力形質を吸収精製して純粋魔力や熱・光・運動エネルギーにも変えられる。今までの機構は積層魔力か個人の魔力形質を変換して使う放出系だったけだが、今度は吸収させて使う循環系になったわけだ』
『え? それってまさか……』
『そうだ。事実上の【無限機関】だ。あらゆるエネルギーを吸収しながら動くから実質は真空や異相空間内でも使用可能。概念魔力の吸収は勿論、【次元差間力反応炉(ディメンジョン・フェイズシフト・リアクター)】や【真空交換炉(フェイズ・スペース・リアクター)】にもなる。時間さえありゃ単機で大魔術の発動も容易な代物だよ』
『よくこんなのが次世代機になりましたねぇ。この間まで確か論文の中にしかなかった技術でしょ?』
『フルー様管轄の研究部門。それも選りすぐりのエリート様謹製だぜ? んなの基礎理論が出来てりゃ何とでもなるさ。フルー様の噂にゃ荒唐無稽なものが多過ぎるが、事実もかなり混ざってらっしゃる。そもそも無限機関の開発自体は大戦が始まる前には全部終わってたらしいからな。そうでなきゃマロウ師団長の【終滅(アド・ア・プロキシマ)】や【騎師団(ミリシェ)】が使ってた装備があの大戦で連続稼動出来るかよ。魔力どんだけ使えば、あんな威力になるのか解るだろ?』
『あ~確かに。あれは積層魔力の補充だけじゃ無理そうですよねぇ。マロウ師団長の鎧は納得ですけど、【騎師団】の使用してた“アレ”そんなに大そうな代物ですか? 所詮は積層魔力が溜め込めるだけの型落ちでしょ?』
『お前は大戦後に入ってきたから知らねーだろうけどな。“アレ”の積層魔力許容限界はコイツの七百八十倍だぞ?』
『え゛?』
『ぶっちゃけた話。あっちはフルー様が“兵器”として再設計なさった代物で。こっちは新しいが単なる“警備用装備”だ。手引書にも書いてあるだろ? 【みんなの楽しい警備用装備マニュアル】ってよ。そこんとこは間違えるな。いつ“アレ”がまた引っ張り出されるか知れたもんじゃないんだからな。んな評価で乗ってみろ。死ぬぞ』
『う……こんな話一般人に聞かせられませんね。ただでさえ七教会の【高格外套】って言えば世界最強の対魔王汎用兵装って触れ込みなんですから。実はこれより凄いものが山ほど倉庫にあります、なんて……』
『まぁ、な』
『大戦が終わって平和になったのに、まだ高格外套を使い続けるのか……ただでさえそう中央諸国の上院議会連合で問題意識が高まってるんですよ? 装備更新で北部三国がいちゃもん付けてきてるとも聞きますし』
『そっちは【騎師団(ミリシェ)】の再編に関してだ。まぁ、“アレ”がもう一度大陸で使われるかもしれないってんじゃ、口出したくなる気持ちは解らんでもない』
『オレ達ってホントとんでもないもん使ってるんですね……』
『自爆装置とか普通に付いてるくらいには安全に配慮してるから心配ないって』
『あの!? それって全然オレ達にとって安全じゃないですよね!!? って言うか!!? 自爆装置付いてるの!!?』
『これ横領して民間に流した日にはエライ事になるし。もし、反七教会派の連中に渡ったらどうなるか解るだろ?』
『ま、まぁ、リスク管理上、仕方ないのは解りますが……』
『安全に配慮はしてるさ。世界と他種族に対しての安全には、な』
『世知辛いです……』
『能力を全部使うより先に定年迎えてるのは間違いないし、気にするな』
『うわ。基本術式だけで軽く一千種類以上ストックある!?』
『各種魔術四百種類以上。サポート。リカバリ。アタック。どれもこれも豪勢な仕様だ。ようやく技研の方からロックされてた機能の開放が承認されたからな。戦闘時の選択肢と戦術の広がりは今までの比じゃないなコリャ』
『でも、こんなの全部使わなきゃ倒せない敵っているんですか?』
『あの攻撃が防げない化け物。アレ倒したのはオレ達か? ハティア様が殆どしてくださっただろ?』
『そ、そうですけど』
『七教会の兵士になった時からオレ達はこんなのを使わなきゃ倒せない敵といつ戦ってもいいように訓練したきたはずだ。実際、この間の大陸南東部の騒ぎじゃ戦力が足らなくて犠牲者が多数出た。聖女様が出張ってきてようやく何とかなっただけに過ぎん。武装もそうだが、オレ達自身の技量もまだまだなのさ。大陸統一にはな』
『平和裏での大陸統一……聖女様達の理想の一番の形はそれなんでしょうけど、大陸南部のイグニシアとかキナ臭いって噂ですし、近頃の藩落の動きだって。これ人には使いたくないですよ。幾ら警備用って言ったって小さな都市くらいなら余裕で制圧出来るじゃないですか』
『そりゃ、アレだよ』
『アレ?』
『信じなきゃ始まらないだろ? どうなるにしろオレ達がジジイになるくらいの時間程度じゃ七教会の求める大陸秩序の改訂なんて無理なんだ。でも、次の世代がまったり仕事出来る程度には出来るだろ? それに聖女様はこれを人に使えなんて言う方達じゃない。オレはそう信じてる』
『そう、ですね。そうですよね!』
『各自整列せよ。これより最終慣熟訓練を行う。尚、新規に搭載された高速連続転移能力を使用した連携行動パターンの試作を本日も続けて行う。目標を準魔王級と推定。前日の転移能力に対応された時点からの状況を継続せよ。ちなみに目標(デコイ)の装備には新たに自動追尾型の光速魔導高射砲及び同能力を有する小型使い魔。それと概念魔力形質を使った波動攻撃術式と近距離での機体機能侵食能力を追加してある。フルー様からの伝言だ。【もしもソレ撃破出来たら僕にチューしてもいいでしょう券をあげちゃうよぅ】だそうだ』
『……』
『……』
『……』
『……』
『……』
『ちなみにこうも仰っていた。【おまけとしてハティア様と逝く一泊二日地獄の遠距離行軍訓練も付いてくるよぅ】と』
『うぉおおおおおおおおおおおおお!!!?』
『漲ってきたぁあああああああああ!!!!?』
『フンフンフンフンフンフンフンッッッッ?!!!!』
『敵はまだですか隊長!!? これからが本当の地獄(キラッ☆)だ!!!!』
『敵って何だ? 喰えるの? 今のオレ達に敵などいない!!!?』
『諸君には是非目標に勝ってもらいたい。いや、勝たねばらない。否、勝つべきだ。解っているな諸君!!! 目標を完膚なきまでに叩き潰し、一泊二日の地獄(てんごく)へ赴こうではないか!!!?』
――――――おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!
フワリと浮かんでいく可能性を見送って。
彼は自分の周囲に揺らめくものが結実していくを感じた。
「ようやく集積が完了したか」
ランナ・クラウゼン・アリト・ニェハエル。
魂すらも地下の円環に取り込まれた男は既に没している。
しかし、その因子は一繋がりの彼自身の形を崩さず。
円環の底。
己が求めし者達が復元されるのを静かに待っていた。
ゆらりと彼の前に半透明な実体が構築される。
言うなれば、薄桃色の水饅頭。
僅かにある潰れた形の頭部と瞳が彼を見つめた。
彼の姿はもう老人では無い。
貴族の高貴さを示す青のモーニング。
ひょろりとした背と多少こけた頬。
凍て付いた鋭い顔立ち。
嘗て世界一の頭脳と議論を交わした研究者の青年がそこにいた。
「基幹異種。我らが祖たる者。生き返ったばかりで悪いが貴方達には我が回答の為の礎となって頂く」
「bq35goearjgarknbalei4ga]w4@og[-oo43g!!?」
猛烈な勢いで異種の体表の色が真紅へと染まっていく。
それと同調するかのように周辺の薄暗い水底に揺らめきと影が顕現し始める。
彼の前にいる個体と同一の種族もいれば、形が人型に近い顔の無いクリオネのような姿もある。
蛇のようなもの。
魚のようなもの。
蟲のようなもの。
しかし、そのどれもに共通しているのは半透明の肉体を持っている事だ。
嘗て、世界を支配した高次生命体。
その肉体と魂は人間のものとは違い、そもそも物質的な頸城から半ば解き放たれていた。
精神を他の位相に預けつつ、現実での行動用の肉体を最も軽い元素、即ち水素で構成した彼らは水というものを肉体の基礎とした。
淘汰と分岐を繰り返す内に劣化した遺伝子の多くが人間に受け継がれたが、それもまた一部に過ぎない。
ランナが求めたのは基幹異種という種そのものではなく。
その能力と存在の在り様が齎す恩恵だ。
遺伝情報そのものを取得するだけなら、ランナは死ぬ必要など無かった。
故に彼らは生き返る。
彼が望んだ通りに。
「pga4egja;94hagie5gjae!!!」
ランナを取り巻く基幹異種達の体表が少しずつ赤く赤く染まっていく。
「道を誤った……か。確かに我ら人は道を誤ったのだろうな。あの“魔王”が生まれてしまった日から、それは分かり切っている。だが、だからと言って何もかもを他種族が決めていいものでもあるまい? 血統に凝り固まる者。強情を張る者。多くを秘する者。どれもこれもろくでもない。業に憑り付かれているとしか言いようがない。だが、全てを救う為に生まれながら全ての業を許し、己を削って笑みを浮かべ、残酷な運命に抗うような者もいる」
「pgawpjga4p9gjergar24t0i^0kh4h4w?!!」
「大いなる祖よ。我ら人は未だ滅ばず。嘆き絶望し切ってはいない」
「 ? 」
「争いに暮れて尚、血道を往く姿にこそ、魂を得て。我らは進むのだ」
「 ! 」
「基幹異種の再興。全ての血統の末、人間の完成形である聖女の再現。そして、大母の創生を持って人は次の時代へと移る」
初めて、水の異形達の間に動揺が奔る。
「人が人らしくある世界。末世の果てまでも倖せを掴む為。そのお命、頂戴(ちょうだい)仕(つかまつ)る!!!」
基幹異種達が男に突撃した。
円環、大いなる無意識の輪の底で。
嘗て天体すらも自在に操った【奇跡】がうねる。
それは七聖女達の発現した能力にこそ及ばない。
だが、現実的には大陸の最高神達にすら匹敵する力だった。
意志によって世界の法則を捻じ曲げる奇跡。
それは純粋であるなら、一つの惑星を破壊するに足る威力を産む。
それでなくとも滅びるまで数十億年の時を有した超絶の生物。
ただの人間ならば触れた瞬間に脆弱な意志と魂を磨り潰されるだろう。
だが、彼はその手で、その腕で、押し潰さんと迫る基幹異種達を受け止めた。
「?!!!」
背中に生えたのは数千の腕。
「神々よ。我らクラウゼンが長き年月捧げた供物分は働いてもらおうか!」
雄叫びが上がる。
お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛。
「千手千眼(せんしゅせんがん)の名において顕現せよ。変幻身(へんげんしん)!!!」
千の手とそれに付随する瞳。
彼の中から膨れ上がったソレが異種達の肉体を捉え掴み、投げ放つ。
人を守護せし神の一柱。
名を、
「【自在世音(テーシュヴァラ)】」
膨大な意志に支えられた最上神。
その数千の御手が焼け焦げていた。
星すら砕く基幹異種達の突撃を受け切ったとはいえ、その代償は高い。
ボロボロと崩れ落ちていく手が、瞳が、雫を零す。
しかし、その甲斐あってか。
一体の異種が崩れていく手の一本に捕まれて、ランナの背中の奥へと消えた。
「まずは一体」
ズグン。
既に全裸となっているランナの肉体が僅か肌色を失い透明になる。
「bp53hjseijae;rojhajgrajwrg:pjjr:pgr:jrggj::j!!!!!」
異種達の周辺に巨大な光が発生した。
それは光子でありながら、明確な質量を持ち、電荷を持ち、同時に安定しない。
物理法則を超越するソレを一言で指すなら破滅だ。
本来、宇宙内部には存在し得ないもの。
多くの魔術体系において現実を構成しない物質、素粒子の形成は最終的には防御出来ない攻撃の基礎となる秘奥義の一つだ。
しかし、光の性質を逸脱した光子なんてものは人の有史以来発生させられた事がない。
それはつまり無数に法則の揺蕩う宇宙の中において、極めて希少且つ危険な事象という事。
何が起こるか分からない。
「神々の矢を超える外なる理か!? ならば!!!」
ランナの肉体、魂そのものに刻印が現れる。
「翼と光輪背負いし正義と法の化身。汝は智恵にて裁きを下す者。変幻身(へんげんしん)!!!」
基幹異種達の光が、放たれた。
それは光の速さを放棄しながらも、全てを焼き尽くし、無限に上昇し続ける熱量を持って時空すらも焼切る粘性の光。
ぬぅううううううううううううううううううううううううううう!!!!
迫り来る終末に抗ってランナの全身が塩のように白くなる。
「【懲悪者(オフルマズド)】」
言霊と同時だった。
周囲に白き輪が無数発生した。
それは瞬間的に回転して加速すると無限に増加する質量と熱量の塊である光をその中心に納め、基幹異種達へと打ち返した。
ボン。
まるでトウモロコシを弾けさせたような音と共に異種達の何体かが光に呑み込まれ、何体かが焼き焦がされて落ちていく。
白い輪がその数体を中心に捕獲してランナへと打ち出した。
ズギュン。
白い無数の手が異種達を掴んだかと思うと肉体の奥底へと引き込んでいく。
白い肉体が一瞬で透明に移り変わって、男は自分の肉体と精神、魂が昇華されていく事を感じていた。
「これが大いなる祖の力。これが基幹異種……」
グッと握り締めた拳。
それを見た残りの異種達が絶叫を上げた。
管弦の調べにも似た悲哀の怨嗟。
ビシリと水底に亀裂が入る。
彼らのいる世界が限界に達しようとしていた。
「全てを葬る気か。だが、させん。この身にはまだ決着を付けねばならぬ相手がある!!! 変幻身!!!」
罅割れていく世界。
何もかもを無に帰し、世界の外側へと放逐しようとする基幹異種達の目の前でようやくランナ・クラウゼン・アリト・ニェハエルは人の力を見せつける。
―――借りるぞフルゥウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!!!!
肉体が硬質な鋼に覆われていく。
無数の手と目が背中から翅の如く飛び出した。
まるで、真逆の山脈だ。
峻厳に屹立したソレも鋼に覆われ、全てが一体となっていく。
「高格外套(ソーマ・パクシルム・ベルーター)【采覧異言(ムンディ・アトラス)】」
鋼の頭部。
その顔の部分に描かれているのは血統を表す地図。
永遠に続くとも思える永い永い血脈の全てを網羅した家系図。
【血河万象図(オムネス・スティルペ)】
それ自体が血統を保存する保管庫であり、その血統を合成、蘇らせ生み出す機構であり、同時に証明であるもの。
地図の下から血の色をしたラインが血統を遡り、移り変わる世代の遥か昔。
取り込んだ基幹異種達の情報を元に再構築された始源の一点。
始まりへと辿り着き。
赤い輝きを発した。
「仮初めなれど、天産みし者の力を味わうがいい」
基幹異種達がランナの顔、地図を見て異常な振動を来していく。
――――――【真権(パーフェクトゥム・インペリオ)】
「我が血肉となれ。異種よ!!!」
全ての個体が声を止めた。
同時にランナへと突撃していく。
いや、それは突撃ではなく命令への順守だったかもしれない。
今まで意志の感じられた個体達からはもう悲哀も怒りも感じられない。
一言で言うなれば、命令に従う機械。
そのような雰囲気だった。
異種達がランナの背後の山の如き腕の群れに掴まれ、抵抗する事もなく内部へ取り込まれていく。
「絶対の権利。始めたものの力。ようやく、ここまで来たか」
表情も見えない鋼の地図が水底から遥か頭上を見上げる。
その先にどんな顔を見ているのか。
誰にも解らず。
昇っていく泡沫がまた一つ弾けた。
男は神を超える始まりの扉を叩き、潜り抜け、ようやく答えを携え帰還する。
聖女に自らの正しさを証明する為に。