※この作品はR-18です。

聖娼館ハルトゥム   作:Anacletus

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第二章四十四節

第二章四十四節「転生」

 

―――転生実験終了四日前都市国家カルネアード。

 

 魔が蔓延る夜。

 

 遠長に消える獣の声も失せるから。

 

 彼女も己の力を抑えようとはしなかった。

 

 今や闇に沈んだ都市国家。

 

 年月と共に塗り込められた壁に凝る情念を前にして。

 

 ミュルト・ジオバトスは「ああ」としばし沈んだ瞳で顔を俯けさせていた。

 

 彼女の脳裏にはハッキリと都市が辿った運命が見えている。

 

 きっと、人々の営みが、息衝いていたという事実を、忘れたくないと涙一粒。

 

 金木犀の色をした衣装(ドレス)がふわりと宙に舞う。

 

 少女の肩まで伸ばされた黒髪が揺らめいて僅か外側へと跳ねる。

 

 首が振られると同時に前髪の全てが後ろに撫で付けられた。

 

 紫色の空に没した都市の目前で仄かな煌きが黒を散らす。

 

 付着していた染料の残滓が髪から剥がれ落ちていく。

 

 その度に少女の天真爛漫だった表情は鋭さを増していく。

 

 一糸剥かれた黒の下。

 

 現れたのは自ら耀きを発する真珠色。

 

 比べれば衣装の何と色褪せる事か。

 

 顔を冷たく怒らせた少女の顔は別人。

 

 いや、そちらこそが本質だと見知った者は思うだろう。

 

 この一千年近く生業として続いてきた海賊という存在を絶滅させたのは彼女だ。

 

 海宝の全てを七教会の蔵に収めたのは彼女だ。

 

 荒くれの海洋国家。

 

 亜人や異種との共存を軸に魔術に長けた国々の反乱をたった一人で治めたのは彼女だ。

 

 惑星内部の外洋探査を一手に引き受け、異種や古き神々と対等に渡り合い交渉してきたのは彼女だ。

 

 だから、海神の民と呼ばれる諸々の人々は彼女を信奉した。

 

 炎に沈めた海賊の塒(ねぐら)や軍港を前にして、何の表情も浮かべず船首に立っていた逸話は絵画として出回っている。

 

【灯台(きぼう)の姫女神(ひめがみ)】

 

 その二つ名の裏返しは畏れを持って多くの人以外の海洋種族にも知られる。

 

 曰く。

 

 不死身の海蛇(にょしょう)。

 

【大海聖(レヴィヤタン)】

 

 悪魔であり化け物であるものの名を付けるとは何事か。

 

 と、七教会の重鎮や彼女の側近達が文句を付けた事はない。

 

 言うまでも無く。

 

 七聖女中、最も畏怖と畏敬を集める者が彼女だからだ。

 

「おやすみなさい」

 

 呟きが誰かに届く事は無かった。

 

 彼女はもう廃墟となり化け物達が蠢く都市に別れを告げて。

 

 手を開き口の前に持ってくる。

 

 吐息が掌上(てのひら)を渡って巨大な都市を覆う壁に吹き付けられた。

 

【聖絶(ヘーレム)】

 

 聖女達が扱う奇蹟による魔導強化術。

 

 それが穏やかな息吹を蒼き耀きに包み込み。

 

 都市全体へと行き渡らせていく。

 

 一陣の旋風。

 

 嵐にも足りない穏やかな風が瘴気と化け物の間を通り抜けて。

 

 不毛山岳ペリヲンを真直に頂く都市国家カルネアードに終焉を運ぶ。

 

『?』

 

 見えない化け物達が風化した己の肉体に首を傾げて頭部を砕け散らせた。

 

 異常に気付いて動こうとした化け物達も次々に動いた刹那、乾いた砂のように崩落していく。

 

 何が起こったか。

 

 思考した者も眠っていた者も欠伸をした者も同様。

 

 カサリと古びれた紙が立てるような音を立てて崩れていく。

 

 その内の一体が僅かよろめき、壁に背を凭(もた)れさせて。

 

 その壁もまた化け物達と同じ運命を辿った。

 

 都市国家の各地で連鎖する崩壊が崩壊を呼び、波濤(はとう)となって彼女に風を運び返す。

 

 鐘楼も建物も何もかもが形を失い、砂のようになって埋もれていく。

 

 彼女が使用したのは他愛ない魔術だ。

 

 港町の魔術師がよく使うありきたりな術式。

 

 主に乾物(かんぶつ)を作るのに使われる風化の呪文。

 

 いや、実際は正式な呪文や詠唱魔術ですらない呼気を通して世界との合一を学ぶ一技術。

 

「さ、行かないと。ユヒアちゃんに追い付け追い越せ♪」

 

 全てが葬り去られた事を確認して。

 

 少女はいつもの笑みで踵を返し、藩落の公道へと戻っていく。

 

 そうしてついに彼女は気付かなかった。

 

 アーフル・ナーシムが張った結界に。

 

 七聖女の知覚に限界があると踏んだ男の周到な準備の結果に。

 

 見えない化け物。

 

 天使の成れの果てを“相手に贄として捧げさせた上で発動する魔術”に。

 

 魔術というものを理解し、極めんとする者以外にその効果は気付かれもしないだろう。

 

 切っ掛けとなる化け物の殺害は一種の相似だ。

 

 神に劇を奉じるように、特定の行動を捧げさせるだけでも魔術は起動する。

 

 己が魔術を使ったなんて悟らせず、尚且つ自らが発動させる故に術への違和感も感じさせない。

 

 自己発動、自己展開型の自己知覚閉鎖型魔術。

 

 それは一種、自覚しない自己表現(イディオム)そのものに近い。

 

【非占神使踊(クワム・クワム)】

 

 天使は一つ場所に何人いるか。

 

 教会が初期の神学論において討論の対象とした主題。

 

 天使という質量無き存在は一つ所にどれだけの集約を見せるのか。

 

 聖なる空間とはどういうものかを問う一種の問答である。

 

 その概念に魔術障壁としての高次性を加えた結界。

 

 それは容易に聖女達へ情報を齎さない。

 

 七聖女ソィラ・ミクラの【破壊者(ワンダリカ)】によって即死する寸前まで追い詰められたアーフルの狡猾さは短いなりとも時を経て深められていた。

 

 殆ど被害らしき被害も出なかった地下で頭上の被害に気付いた者はアーフル以外存在せず。

 

「えっと、こっちがエーデリアでこっちがアーズトリテ……どっちに行ったのかな?」

 

 七聖女の旅は続く。

 

 *

 

―――転生実験終了三日前クラウゼン公爵家地下研究棟。

 

「そうかそうか。見知らぬ女の群れと抱きつ抱かれつしていたわけだな」

 

「理解しました。君はつまりもうどうしようもないくらいに女癖の悪い最低男(ドンファン)なのですね?」

 

 少年の目が滑る。

 

「いや、恐れ入る。まさか、種の違う者も何も構わず手を出しまくっていたと。何とも元気だな」

 

「ふふ。自分が怖くなります。君のような男に恩を返さなければと思いつめていたなんて……ふふ……」

 

 汗を掻く事の無い体でも冷や汗が出るのだと久方ぶりに実感する事態。

 

「それにしても種馬よろしく厩舎で過ごすのが妥当だと思うのだが、どうだろうか?」

 

「それはいい考えです。た、種付けした女性が総勢でな、ナナジュウキュウニンぐらいいるようですしね」

 

 それと言うのも全て少年に責があるわけだが、それにしても分が悪い。

 

「主様~~~お茶が入りました~~~」

 

 主に空気を読まない色呆けた亜人少女が一人。

 

 彼女が状況に拍車を掛けるのは道理だろう。

 

「主様……主様、か……」

 

「主様、ですか……」

 

 カポカポと栗色の人馬の少女シュレディナがポットを載せた台を運んでくる。

 

(こういう時だけ神頼みしたくなるって言うのも彼らにとったら噴飯ものなんだろうなぁ……)

 

 主に過去の大戦で主神や大神とされる神々の幾つかを宇宙の外に放逐したのは少年である。

 

 同時に教会が信奉する唯一神を倒し、高位・中堅から下の神々を諸々現界不能・不活性状態にしたりと呪われるのは必至な所業も犯した。

 

 そんな少年が今更に神頼みと言う時点で名のある大戦に参加した神ならば憤死するのは確実だ。

 

「どうぞ。主様」

 

 コトリと紅茶のカップが少年の前に置かれた。

 

「ありがとう。シュレディナ」

 

「……」

「……」

 

 魔導の光で照らし出された窓の無い貴賓室。

 

 よくある貴族の憩いの場。

 

 サロンである。

 

 古びれたアンティークの陶器。

 

 エーデリアの瑠織で統一された室内のタペストリーから絨毯まで。

 

 装飾は華美ではないものの落ち着いた色調で内部の者を癒すには丁度いい空間になっていた。

 

 そう、なっていた、だ。

 

 内部にいるのはシュレディナも含めて六人。

 

 各々が少年を取り囲むように座っている。

 

 彼の椅子の左隣にいるのは半眼のイフィミスラ・ハージェット・テトス・エルデナンドである。

 

 彼女の周辺に立ち込める空気はいっそ殺してくれと常人ならば哀願するような冷たさを伴っていた。

 

「どうやったら、こんな男が出来上がるのか。世界は不思議で満ちているな」

 

「ええ、まったくです」

 

 右隣の椅子に座り、少年をジト目で見つめているのはセイリ・ティウアズライト・エルメトロ・ニェハエルである。

 

 彼女の放つ闘気は場所が拳闘場辺りなら是非我が団に入ってくれとスカウトされる強さかもしれない。

 

「人に心配させておいて他の女性とイチャイチャしているなんて、どんな精神構造をしているのですか? 君は……」

 

「ああ、まったくだな」

 

 頷き合う二人の真正面。

 

 丸いテーブル越しに小麦菓子を無造作に口へ放り込んでいるのはマヲン・クラウゼン・セト・ニェハエルである。

 

 いつもの姿に今日は黒い十字架が刺繍された紅いマントを羽織っていた。

 

「モグックヲ♪」

 

 一人我関せずとオヤツを頬張る姿は正に大物。

 

 異形でありながら、異形さなんて微塵も感じさせず。

 

 場の空気に天真爛漫なまま溶け込んでいるのは一種才能だった。

 

 一晩少年に慰められた後の少女はいつもの様子に戻っている。

 

「      」

 

 更にその後ろ。

 

 大型のソファーに腰掛け、紅茶を持ったまま固まっているのは貴龍の女だ。

 

 護衛である人馬の男は部屋の外で待機している為、通訳する者もいない。

 

 だが、別に人の言葉を聞くだけなら労するような事もない彼女はただただ少年の姿を厳しい視線で凝視していた。

 

(針の筵(むしろ)とかの実物に座らされたこともあるけど、こんなに辛かったっけ?)

 

 シュレディナの入れた紅茶を口に運びつつ。

 

 己に向けられる言葉(やいば)の数々で既にボロボロになった少年であるが、かなりややこしい状況に頭を抱えたくなった。

 

 迎えに来た少女達に説明するのは簡単だ。

 

 しかし、説明したからと言って誰が納得するかは疑問だ。

 

 それ以前の話として、クラウゼンとの本格的なやり取りは始まっていない。

 

 当主であるランナの不在は此処に来て場を停滞させている。

 

 当主代行であるマヲンは暢気に菓子を頬張る事に夢中だし、四大貴族の少女達はあくまで当主代行が全てを決めるの一点張りで少年達の隣の部屋で事態の推移を見守っていて、口を出しても来ない。

 

 ようやく今朝連絡を取った皇帝は何やら不機嫌さマックスで。

 

『おお、そろそろ屋敷を地下ごと吹き飛ばそうかと思っていたところであるぞ。ティア』

 

 なんて、ジョークに聴こえない事をシレッと嫌味全開で伝えてきたし、異種である貴龍の女からは凍てつくような感情の波動がバシバシ出ている。

 

 つまり、シュレディナと我関せずなマヲン以外には睨まれっ放しなのだ。

 

 七聖女を筆頭にして女性の生々しい部分ばかり見てきた少年の対応能力は高い。

 

 ご機嫌を取ったり、気遣ってみたり、優しくするのは十八番である。

 

 だが、それにしても限界はあるのだ。

 

 彼が男、牡、女性の反対である限りは。

 

「……はぁ……」

 

 四面楚歌。

 

 話し合いの努力が無駄な場所で抗弁するのは愚の愚であると今までの人生で悟り尽くした感のある少年には未だ機が見えていなかった。

 

 しばらく罵られるまま罵られていようか。

 

 そう時間の浪費という最大の防衛策を取ろうとしたのも致し方ないだろう。

 

「クーククヲ、モグ」

 

 モッシャ、モッシャ、ゴクリ。

 

 栗鼠(リス)みたいに頬を膨らませていたマヲンが紅茶で口の中の菓子を呑み込む。

 

 そして、スクッと立ち上がると的確な精神的打撃による疲労にグッタリしている少年の背中の方に回り込んで。

 

「クーヲ」

 

 やおら、その顎を少年の頭にピットリと付けた。

 

「む?!」

「な!?」

 

 イフィミスラとセイリが固まる。

 

「ククヲ。ククヲクク? クックヲクヲ」

 

「え、うん。まぁ、そういう事なんだろうけど、いいの?」

 

 マヲンが少年にコクコク頷く。

 

「ティア。言葉が分かるのか?」

 

 イフィミスラの「親密そうではないか」という半眼の視線が少年に突き刺さる。

 

「この子は言葉がちゃんと分かるし、一応触れ合ってれば精神感応みたいな超常の力の応用で」

 

 セイリが色々と朝食時に聞いた情報を反芻しつつ、自分のすぐ傍にいるクラウゼンの当主代行を見た。

 

(これがクラウゼンの【異種教義(グノーシア・ドグマ)】か)

 

 人間から逸脱した姿。

 

 しかし、人型に納められたマヲンの内側から自分と同じでありながら大きな気配を感じて、セイリは父が抗おうとしていたものの正体を正確に把握していた。

 

(これだけの力。きっと、【血統信仰】の者なら誰でも目が眩むのでしょうね)

 

「セイリ」

 

「え? あ、な、何でしょうか?」

 

 我に返ったセイリが少年に思わず素で返した。

 

「考えてる事は何となく分かるけど、今はこの子と話し合いたくて。ちょっとだけ我慢しててくれない?」

 

「が、我慢とか。わ、私は別に復讐を考えて此処に来たのでは……」

 

 内心、心の奥底に凍てついた目をする自分がいるのは否定出来ず。

 

 それでもセイリは少年を迎えに来たのだと己に言い聞かせて感情に蓋をした。

 

「ありがとう。セイリ」

 

「い、いえ……」

 

 しゅんと俯いた少女を少年の頭の上から見下ろして。

 

「クヲ」

 

 マヲンは掌に持っていた小麦菓子(クッキー)をセイリに差し出した。

 

「あ、え?」

 

 目の前に差し出された白い手。

 

 その上に載っている菓子とマヲンを交互に見比べて。

 

 セイリが困った顔になる。

 

「食べれば元気出るよって」

 

「クーヲ」

 

 少年の翻訳に頷いたマヲンを凝視して何秒経ったか。

 

 静かな沈黙の先でセイリはそっと菓子を受け取った。

 

「ありがとう、ございます……」

 

「クックヲ♪」

 

 上機嫌なマヲンの言葉を敢えて少年は翻訳しなかった。

 

 それは言わなくても伝わるものだと信じていたから。

 

(これが【大皇】の血筋。その精粋……何処に行っても我ら人は自らの生み出したものに縛られる運命なのだな……それでもこうして、触れ合う事も出来る……)

 

 イフィミスラは自分以上に過酷な道を歩いているのだろう二人の微笑ましい様子に僅か目尻を緩めた。

 

 セイリ程ではないにしてもイフィミスラもマヲンと同じくニェハエルの血を引き、血統という因果に絡め取られた存在だ。

 

 それぞれが離れた場所で同じ血を引いているというだけの間柄でありながら、彼女達が背負うものはどれもこれも似通っている。

 

(あるいはそのような我らだからこそ、ティアと出会ったのかもしれぬ)

 

「      」

 

「?」

 

 不意にシャラシャラと比較的強く管弦楽のような音色が室内に響いた。

 

 四人が視たのは目付きを今までより鋭くした貴龍の女だ。

 

「僕が話していい?」

 

 その呟きにマヲンが何事かを耳元で囁いてから頷く。

 

 三人の少女を置いて女の前まで移動した少年が静かに会話を始める。

 

「あの子が連れてきた異種の子は全員帰す用意があるって言ってる」

 

「      」

 

 ジッと微動だにせず貴龍の女が少年の瞳を下から覗き込んだ。

 

「無事に帰す条件は街を攻撃しない事。それだけだって」

 

「      」

 

 逡巡した様子で鱗に覆われた人差し指がカチカチとテーブルを叩いた。

 

 片時も少年から目を離さなかった女が頷いた後、指を弾く。

 

 すると、虚空に蒼い魔力で文字が形作られた。

 

 魔力の筆記で大陸標準言語が連ねられていく。

 

『我が子らは無事か?』

 

「少なくとも命は取られてないって言ってる」

 

『ならば、早々に引き渡して貰おうか』

 

「いい?」

 

 振り返った少年にコックリとマヲンが頷く。

 

「じゃあ、行こっか」

 

 そういう事になった。

 

 *

 

 最初の異変に気付いたのは皮肉にも人間ではなかった。

 

 亜人や異種と呼ばれる者達。

 

 クラウゼン公爵家にて生まれた第二世代や第三世代。

 

 今は奉公人という形で公爵家を保全する彼あるいは彼女達である。

 

 彼らの家である地下研究棟には幾つかの区画がある。

 

 その中でも新入り。

 

 捉えられてきたばかりの第一世代が入れられるスペースで事件は起きていた。

 

 マヲンとの交配実験を終えた者達が住まう一角。

 

 まるで揺り籠のような寝台が並ぶ一室で十数人の幼いエルフの少女達が肉体を震わせていた。

 

 その額から滴り落ちる汗。

 

 高まった体温に肉体も動かせない様子の少女達は自分達の使命を思い出しつつあった。

 

 アーフルの園で生まれたエルフの子供達。

 

 その一部、第一陣は大陸各地の奴隷商へと出荷されている。

 

 エルフという種を使った壮大な実験。

 

 人間を駆逐する為に仕掛けられた人の業を貪る者達。

 

 それこそが彼女達だ。

 

 見目麗しいエルフの幼子ともなれば、女も男も高く売れる。

 

 そして、人間という種の愚かしさにこそ人類を守護する七教会の弱点はある。

 

 そう考えた御子(アーフル)の計略は見事に七教会の目を逃れながら子供達を大陸各地へ“流通”させる事に成功していた。

 

 修道服の女アルデーティル・エーリエル。

 

 彼女の“収穫”によって生み出され、黒き門に捧げられたエルフ達と同じ。

 

 アーズトリテの彼女達の本質も基本的には“素材”だ。

 

 本来、彼女達は食糧を必要とはしない。

 

 喰らうのは人々の不の感情。

 

 あるいは瘴気と呼ばれる人にとっての害毒が主だ。

 

 そして、彼女達は通常のエルフ種とは違い繁殖力が異常に高い。

 

 それは容易に増えるという事。

 

 アーフルの血筋を引いた存在が大量に生み出されるという事に他ならない。

 

 そんな加工・変質・量産し易いよう弄られた遺伝子はアーフルの影響が強くなる程に人間をあらゆる面で衰滅させる方向で機能する。

 

 その力の一端が今開こうとしていた。

 

『!?!!』

 

 もがき苦しみ始めた彼女達が手足をバタつかせる。

 

 受胎しても今までは大人しかった腹の中にいる子供達の変異。

 

 それが常軌を逸した激痛を彼女達に与えていく。

 

 一つ、不幸な偶然があったとすれば、彼女達のいる場所がアーフルやアルデーティルが使用する門と同質の遺物の影響下だった事だけだろう。

 

 キュグヲン。

 

 自分達の内部から響く声に彼女達は最後まで気付く余裕も無かった。

 

 クシャッと軽い音がして。

 

 エルフの少女達がいた寝台がまるで空間を刳り貫かれたように真球状の陥没となって消え失せた。

 

 その中央。

 

 今までエルフの少女達がいた場所にユラリと白い物体が浮遊する。

 

 ギョロリと二つの黒い眼球が左右に開いて、ソレが丸めていた身体を開き床に降り立った。

 

 ザリザリと紙鑢(かみやすり)でも掛けたような不愉快な音が周囲に響き渡り、白い肉体が急速に透明化していく。

 

「gem589mq3048jhg384hg24k@g0akeh5a9hual[g[-ip9;e5jh?」

 

 意味不明の言語。

 

 いや、意志。

 

 エルフの少女と胎児達が変容した存在は“手直にあった丁度良い入れ物”に感謝した。

 

 如何な黒の棺の恩恵を受けたアーフルの能力だろうと、上位神クラスの能力まではまだまだ及ばない。

 

 それが彼の劣化コピーに過ぎない子供達ならば尚更だったのだろう。

 

 本来ならば、門無しでも化け物を生成して消滅するはずの少女達は別の何かへと変貌していた。

 

 彼らに近い遺伝子構成を持った万能素材(エルフ)の未分化素体(たいじ)。

 

 これ無くして彼らは滅び去る以外無かったはずだが、運命の歯車は狂い。

 

「harhaehnyargmj34;gup5gh」

 

 彼らは終に蘇りを果たす。

 

 水底で自らの放った光に蒸発し切る寸前であった彼ら。

 

 原初生命に最も近き数十億年の繁栄を享受した彼ら。

 

【基幹異種(バルバロス】

 

 ランナという存在が投げ掛けた波紋は既に人という種の命運を左右し、今や水底で現在の人間の罪深さを知った彼らは統一見解に到っていた。

 

 即ち、人類及び人類血統の削減。

 

 単純に言えば、種の力を削ぐ為の大虐殺である。

 

 *

 

『お父様。さようなら』

 

 色褪せたセピア色の景色。

 

 地下から地上へと出るクラウゼン一族の非常通路。

 

 その最後の扉を前にして。

 

 一人の若い女が旅立とうとしていた。

 

 何一つ持たず。

 

 ただ街娘風の服に擦り切れた革の外套を纏って。

 

 扉の前で一人待っていた父親。

 

 まだ黒い髭も残る男は自分の娘が扉を開き、遠ざかっていく間も何一つ言わなかった。

 

『よろしかったのですか? 二度と“奇跡の一滴”は現われますまい』

 

 鱗を持つ蜥蜴風の相貌。

 

 使用人の長たる執事服の亜人が問う。

 

『今、新しい扉が開いた。これは保険……そう、それだけの事だ』

 

 そんな風に遠い目をする主人を見た事が無かった亜人の男は俯いた。

 

『割り切れますか?』

 

『現在、我らクラウゼンに純粋血統など存在しない。アレも優秀な個体に産ませた養子に過ぎない』

 

『ですが、確かにあの方は貴方が抱上げたお一人です』

 

『現在、我がクラウゼン地下研究棟にいる総個体数は1423体。そして、我が子として新たなる命を授かる最後の子の設計は出来ている。後二世代の内に我らが目指したものの一つは出来上がる。アレは偶然の産物。本来無かったはずの力。構うまい』

 

『……あの方が初めて歩いた日。貴方は一日仕事が手に付かなかった。初めて自分の意思で文字を書かれた日には何度も何度も抱き締められた』

 

 当主たる男の機嫌を損ねれば、幾ら使用人を束ねる者だろうと処断されてもおかしくない。

 

 それでも誠心誠意ランナという男に仕えてきた従者は問う。

 

 このまま飛び出させたままでいいのかと。

 

『アレは道を違えようとクラウゼンの呪縛から逃れられない。そんな事、アレが一番よく解っている。もし、我らが亡びようと血筋は残る。運命は巡る。やがて、我らと同じ考えに至る者が必ず出る。何世代先になるかは解らぬとしても、命という軌跡が繋がっていく限り、我らの意思は滅ばない』

 

『……ご慧眼恐れ入ります』

 

 頭を下げた亜人の男に構わず。

 

 ランナがゆっくりと暗い地下へと戻っていく。

 

『アレは二度と此処には戻らないだろう。だが、このクラウゼンの血道となる男を父と言ったのもアレだ。家族とはそういうものではないかね? 如何に嫌おうとアレもまた我らの血筋に繋がる者。完全に否定は出来ない』

 

 語る背中が僅かに小さくなったと亜人の男が感じたのはきっと錯覚ではない。

 

『往くぞ。まだ、我らには成さねばならぬ事がある』

 

『御意に』

 

 それは色褪せた昔々の事。

 

 一人の女が父の元から巣立った日の事。

 

 “奇跡の一滴”と呼ばれる女がクラウゼンから姿を消した夕暮れの事。

 

 まだ、マヲン・クラウゼン・セト・ニェハエルが世に生を受ける前の話。

 

 何処にでもいる父娘(おやこ)の知られざる真実。

 

「……」

 

 己から出る泡沫(それ)を目の端でに捉えた男は遥か頭上。

 

 光差す世界を目指して無言で昇っていく。

 

 回転する運命。

 

 宿世という軌道。

 

 改竄される因果。

 

 収斂した破滅。

 

 砕けつつある円環(ことわり)が猛烈な勢いで鳴動していた。

 

 クラウゼン地下最終層。

 

 それは今や罅割れながらも最後の仕事を果たしつつある。

 

 漆黒の内側にあるのは世界と外を繋ぐ境界。

 

 大きな括りでは七教会の施設を襲った化け物を生み出す門と同等の原理の塊。

 

 一つ違うのはクラウゼンが所有するソレには介入する領域の値が入力されている事だろう。

 

 嘗て世界を統べた【基幹異種(バルバロス)】達の遺産。

 

 それ故に彼らそのものを起動鍵とする円環には亡び去った彼ら自身固有の自己保存領域が接続されていた。

 

 そも肉体という頚城より半ば解き放たれていた高次生命体である。

 

 現実に干渉し得る物質的半身が滅ぼうと精神活動の保全は通常生物以上に容易。

 

 殆ど因子が散逸していようと再構築は輪を起動し得る者がいれば可能だ。

 

 だからこそ、ランナは輪を起動するのに必要な千年という時を短縮する術を見出した時点で使用を決めた。

 

 基幹異種の再構築、最誕計画は半分がマヲンという円環の鍵を生み出す為のものであり、後の半分は基幹異種の取り込みによって達成される。

 

 人間の意志のまま再構築した異種の性質を引き継ぎ転生するという行為は遺伝操作・血統操作というクラウゼンの十八番(おはこ)の先にあるものだ。

 

 これを利用すれば、あらゆる生物の特質を得ながら転生を繰り返し、最終的には人のまま神すら越える何かへと辿り着く事が出来る。

 

 聖女の再現から大母の創世までランナは可能としながらも研究試料(サンプル)の不足によって現実的な時間単位での成果があまり期待出来無かった。

 

 その膨大な年月を円環は極限まで短縮するのだから、正にご先祖様々と言える。

 

 基幹異種とランナの戦闘で壊れかけているソレが聖女の再現や大母の創生まで行うのが不可能なのは砕け散りそうな様子からも明白だ。

 

 しかし、基幹異種までも取り込んだランナには既に些細な事と言えた。

 

 もう彼に寿命という頚城はない。

 

 精神の劣化や魂の薄弱化すら克服されている。

 

 マヲンと同等かそれ以上の遺伝子を受け継ぐに至った以上、今までの方法でも十二分にクラウゼンを繁栄させる事が出来るだろう。

 

 それこそ千年万年億年の果てまでも研究は続けられる。

 

「      」

 

 ヌゥッと暗い燐光が空間を歪めて輪の中央から溢れ始めた。

 

 撓(たわ)んだ境界はまるで水のように変形し、内部から指先を露にする。

 

 回る円の淵に手が掛かり、一気に身体が内部から引き上げられた。

 

 何も身に付けていない全裸の男。

 

 それは人間と見える。

 

 肌色の皮膚。

 

 雄々しい男性器。

 

 牡という性を体現した青年。

 

 だが、人間には在り得ない特色が二つ。

 

 一つは体毛の色が金属光沢のある不可思議な銀色である事。

 

 もう一つは虹彩に深い螺旋状の黒い円環が凝っている事。

 

 顔付き自体は変わらずともランナという個人を形作っていた多くのものが這い上がった彼からは削げ落ちていた。

 

「転生。高位生物の殆どがコレを行っていたと言うが……」

 

 ガラガラと崩落しつつある円環の上に立ち。

 

 ランナが肉体を確かめるように掌を閉じ開く。

 

(多少視野が広くなる程度の事でしかないわけか)

 

 人間にしてみれば、万能とも言えるくらいにランナの感覚器官は多くの情報を捉える。

 

 因果の流れ。

 

 素粒子の動き。

 

 熱の分布。

 

 波動の形。

 

 何もかも人間だった時なら、特別な道具を使わねば観測すら出来ない。

 

 それが直接的に得られるというのは魔術師や技術者にしてみれば大きな事だろうが、結局は道具を使えばいいだけの話である。

 

 ランナが欲しかったのは決してそんな超感覚等ではない。

 

「もう来ているな……」

 

 彼は己がいる最下層からでも都市国家(アーズトリテ)全域を俯瞰する事が出来た。

 

 思考能力の飛躍がそれを可能にする。

 

 基幹異種の性質の中でも最もランナが欲した力がそれだ。

 

 何も計算能力だけなら七聖女達が極める学問が生み出した機器で事足りる。

 

 だが、発想や閃き。

 

 そのような人間の直感的な部分での強化は中々にして上手くゆかない。

 

 魂と精神の昇華を求めたのは己の老成した精神に再び息吹を吹き込む為。

 

 ランナは自身の創造する力を高められれば、それでどんな事態にも対処出来るという自覚があった。

 

 嘗てフルー・バレッサとの対談において己の未熟さを知った彼にしてみれば、これでようやく昔のフルーと互角。

 

 溢れ出る創造への意欲。

 

 発想と閃きの根源を異種に求めたのは間違いではなかった。

 

 そう自信は深まっている。

 

「異種と皇帝、後は他の七聖女が一人。随分と買い被ってくれる」

 

 笑みを零して、彼が砕けながら奈落へと消えていく輪を蹴って跳んだ。

 

 それを機に崩壊した円環から吹き上げる虚無(やみ)としか形容しようのない粒子が彼を押し上げる。

 

「ほう? 気付いたな」

 

 螺旋階段よりも上。

 

 最深部に下りる途中の踊り場に着地して。

 

 ランナが藩落内部へと入った旧知の顔を思考内部で推測する。

 

 超感覚にも掛からない陰行。

 

 魔導と独自技術の合わせ技であらゆる情報を隠蔽する聖女を思考のみで追跡したのだ。

 

 それは妄想と言い換えて間違いない。

 

 だが、思考の飛躍は一種世界の再現(エミュレート)すら可能とする。

 

 一つの世界、時代、地域が彼の中にあると言っても過言では無い。

 

 計算式だけでは解らない代(よ)の真理。

 

 限られた情報のみでも正確に現実を推測出来るようになった彼の力はもはや未来を確定する占術にも通じる。

 

「早く来るがいい。答えはもう此処にある」

 

 基幹異種への転生は達成された。

 

 聖女に武力でこそ届かないが、容易に滅ぼせない存在となった彼へ喧嘩を売るのは七教会にとっては自殺行為に他ならない。

 

 大陸は未だ統一されず。

 

 弱者は強者を求め。

 

 規律は混沌に呑まれつつある。

 

 その現状で彼が辿り着いた回答は七教会の掲げる大義にすら拮抗する一大思想。

 

 人が幸せから程遠い限りにおいて、彼は大陸最強の戦力である七聖女にすら“政治的に”優位だ。

 

 血統主義から異種教義へと移り変わったクラウゼンの思想は此処に来てランナの変容を向え、誰もに強者となれるかもしれない道を開いた。

 

 人間の業とは高みへと昇りたいという衝動であるからして。

 

 希望(かれ)を潰そうとする者は悪に等しい。

 

 人がより良い生物として高みへと昇る可能性。

 

 それはつまりただの凡人すら多くの種族に今は圧倒される能力で上回るような時代が来る事を示す。

 

 そうなれば、神の庇護も異種との連帯も重要度が低下するだろう。

 

 他種族から自立するというだけでもクラウゼンの進める計画の意義は大きい。

 

 人間側の力が強くなり過ぎると懸念する者は多いだろうが、それこそ思考も高みへと昇っていく生物だからこそ、七教会の意識改革は格段に進むだろう。

 

 それが可能であると少なからずランナは知っている。

 

 現に大陸中央諸国は七教会の台頭以後、犯罪率は激減し、多くの点で文化の進歩速度を大幅に更新した。

 

 それは無智を改め、より善き世界、理想を目指したが故だ。

 

 多数の国に手を差し伸べる中央諸国の姿は過去の大国からしてみれば、愚者と表現される程性善説に満ちている。

 

 大戦後も疲弊する大陸各地に救援物資や資材を送り続け、自らを脅かすかもしれない南部の大帝国に七教会が技術指導を進めても文句一つなく、逆に七教会の武力の大きさに不安を抱くような善良さなのだ。

 

 今まで大陸中で行われてきた七教会の介入や武力による脅迫はクラウゼンには通用しなくなったが、大陸中央諸国からの文句は出ないだろうとランナは確信している。

 

 大局的に見るならば、彼とクラウゼン公爵家は人々からして七教会の対抗馬であり、人類を護る保険の一つ。

 

 如何な万能の天才フルー・バレッサと言えど、その存在と主張は黙殺出来ない。

 

 此処からランナが目指すべきは七教会以上に大陸民衆の支持を得る事であって、戦争ではないのだ。

 

 それが解っているからこそ、嘗ての親友がこの大いなる分岐点に立ち会うはずだと彼は知っている。

 

「まずは挨拶をしなければな」

 

 脱ぎ捨てられていたローブを身に纏い。

 

 確かな足取りでランナは階段を昇り始めた。

 

 魔王。

 

 人の業を許し続ける男が自分をどう見るか確認し、もうすぐ到着するだろう友人を出迎える為に。

 

 超感覚にも推測(エミュレート)にも掛からない自分と同質の相手が待ち構えている事をこの時、彼は予想していなかった。

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