※この作品はR-18です。

聖娼館ハルトゥム   作:Anacletus

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第二章四十五節

第二章四十五節「強者」

 

 ゾロゾロと彼らが団体行動を取ったのはまとまりがあったからではない。

 

 単にその場へ立ち会わなければならなかったからだ。

 

 四氏の異種と亜人の子供の返還。

 

 全員の安全を確認し、速やかに引き渡すという契約。

 

 クラウゼンに集った全員にとって、それは揉め事が一つ解決する事を意味した。

 

 先頭を往くのは伸ばしたモチのような尻尾を揺らすマヲンだ。

 

 その後ろに貴龍の女と人馬の男、それからシュレディナが付き従っている。

 

 クラウゼンに着てからの一部始終をオジサマと呼ぶ壮年の人馬に語ったシュレディナは自らの意見をまだ大まかにしか語っていなかったが、魔王である少年に付いて行きたいとの旨だけは伝えていた。

 

 その時の男の顔は何かを後悔するようであり、罪に懺悔するようでもあり、少し歪んでいたが、基本的には害されていなかったシュレディナの無事を喜んでいた。

 

 外との通信を許されたエリザとエーレインはエトに地下での事態を報告して労われた為、何処と無く嬉しそうな笑顔で二人の人馬の後ろを歩いている。

 

 というか、エーレインのみがホクホク顔で少年と交わった人生の一大事なんて脳裏から忘れ去ったようだ。

 

 呆れた視線を向けつつも女として先に進まれた気分のエリザは複雑なものを己の中に感じて、自分達の後ろにいる少年や四大貴族の少女達を気にしていた。

 

 二人の後ろ。

 

 最後尾にはイフィミスラとセイリに左右をガッチリと固められた少年とまるで少年を囲うように歩く少女が四人。

 

 いつもの交配実験時の衣装とは別に少女達は貴族としての己を主張するシックな黒いドレス姿である。

 

 その背中には赤いマント。

 

 彼女達がクラウゼンに付き従う意志そのものである事を示す黒い十字架の意匠が描かれている。

 

 基本的に狭い通路を縦列での移動。

 

 四人の少女達に圧迫されるような形で歩を進める少年とイフィミスラは互いの体温を感じながらも言葉少なだった。

 

「ティア」

 

 あの罵倒後、少し経っている。

 

 何処かまだ不満げな顔をしているイフィミスラに少年が首を傾げた。

 

「……どうして、逃げなかったのだ?」

 

 それは疑問ではなかった。

 

 問い掛けのようでいて、実際には少年への気遣いに近かっただろう。

 

 クラウゼンに捕まる切っ掛けとなったセイリを案じて逃げ出さなかったのは明白なのだから。

 

「エーデリアの事もあるけど、もう一つ気になる事があって」

 

「もう、一つ?」

 

 セイリの事が気になって。

 

 とは言わない事に少しだけホッとした内心をイフィミスラが呑み下しつつ訊く。

 

「うん。僕はずっとずっとこの大陸に彼みたいな人間は現れないと思ってた。でも、彼は存在してて……確かに僕が案じた通りの事態になってる」

 

「彼? 君が言っているのはクラウゼン公爵の事ですか?」

 

 セイリの言葉に少年が頷く。

 

「ランナ・クラウゼン・アリト・ニェハエル。彼は……僕が予想する限り、七教会を打ち砕ける唯一の方法を持ってる」

 

「七教会を……」

 

「打ち砕く?!」

 

 イフィミスラが目を丸くして。

 

 セイリが驚きに固まった。

 

「当たり前ですわ」

 

「ランナ様こそ、この大陸に新たなる秩序を齎す者ですもの」

 

「魔王だからこそ、当主様のお力はお分かりになったのでは?」

 

「そうです。クラウゼンは七教会に対抗する力を持っている」

 

 周囲の少女達が大いに誇らしそうな顔で自慢げに少年へ同意した。

 

「まぁ、今の僕よりはよっぽどに凄い事は確かだよ。ただ、その方法は七聖女の全員が最終的には潰さざるを得なくなる」

 

「ティア。それは此処に……」

 

 イフィミスラが言い淀んだのは少年が南部国境地帯で七聖女ハティア・ウェスティアリアと酷く罵倒されたと言うエトの話を聞いていたからだ。

 

 未だ七聖女という存在を見た事が無い彼女にも七教会を束ねる七人の超越者達が如何に優れた人物であるかは理解出来る。

 

 彼女が知る限り七聖女は酷く少年にとって“危険”だ。

 

 そして、そうであるからこそ、優し過ぎる少年は未だに逃げ続けているともう知っている。

 

「一つ聞いてもいいかな」

 

 そう問い掛ければ。

 

 尻尾が揺れて、マヲンが振り向く。

 

「クーヲ?」

 

 全体が止まった。

 

「ちょっと小耳に挟んだんだけど、此処に“門”があるって本当?」

 

「……クヲ」

 

 少年の言葉にマヲンが頷いて前を向き、再び歩き出す。

 

「どういう事なのだ?」

 

 イフィミスラが怪訝そうに尋ねると少年が溜息を一つ。

 

「本当だとすると、何て言うか準備しないと間に合わない気がする……」

 

「ティア?」

 

 少年がポリポリと人差し指で頬を掻いて説明しろと言いたげな周囲の少女達を見回した。

 

「彼が自分で実験を行ってるって聞いたけど、終わりは何時頃になるか知ってる?」

 

 貴族の少女達は一瞬目を合わせて後、数日以内にはと答えた。

 

「たぶん、いや、確実に聖女が一人来るよ。今の僕じゃ負けないけど勝てない子が」

 

「君が、勝てない?」

 

 少年の口から出た弱気。

 

 迎えに行く少年が魔王という別名を持っている。

 

 そうエトから暗に示されていたセイリは唾を呑み込んだ。

 

「イフィミスラ。セイリ。この引き渡しが終わったらエトと一緒になってやって欲しい事があるんだけど、いいかな?」

 

 二人は少年に寄り添いつつも背筋に何か不安なものを感じた。

 

「彼が“戻ってくる頃”にはきっとフルーが、七聖女の筆頭が此処に来てる。そうなれば藩落全域が戦場になると思う。爆心地になるのは此処のはずだから、出来る限り速やかにアーズトリテの全領民とクラウゼンの地下研究棟内の子達を避難させて欲しい」

 

「「「「?!!!」」」」

 

 四大貴族の少女達が固まったのは言うまでもない。

 

 エリザとエーレインもさすがに固まった。

 

 人馬の小父とシュレディナも同様だ。

 

 貴龍の女すら歩を止めた。

 

 しかし、唯一マヲンは歩き続け、誰も付いてきていないと気付いて振り返る。

 

「クーヲ?」

 

 小首を傾げたマヲンに少年が避難の話を持ち出す。

 

「出来るかな?」

 

 とんでもない願いをまるで普通の子供に接するような軽さで訊く少年に誰もが思った。

 

 どんな神経をしているのだろうかと。

 

 魔王という世界に無二の存在であると知っている者すらそうだ。

 

 そもそも一地域の避難をこんな風に提案する事自体、常識的ではない。

 

 だが、マヲンは少年の問いに苦も無く答えた。

 

 一言。

 

 ちょっと仕方なさそうな顔で『クヲ……』と。

 

「ティ、ティア!! どうしてお前はそういつもいつも我を驚かすような事ばかりするのだ!!」

 

「ごめん」

 

「き、君は一体何を考えてるんですか!? クラウゼン側も当主の一存で全て決められるわけ」

 

「「「「承りました」」」」

 

『?!』

 

 少年とマヲン以外の全員が四大貴族の少女達の声に驚いた。

 

「我らが現当主はマヲン様です」

 

「クラウゼンが一枚岩でないと見られるのは心外ですわ」

 

「そも地下研究棟のみならずアーズトリテは我らが祖国」

 

「七聖女に蹂躙されると魔王様が言われ、マヲン様が頷くならば、やってみせましょうとも」

 

 彼女達はあくまで貴族の子女に過ぎない。

 

 四大貴族と呼ばれるクラウゼンお付の血統。

 

 その当主達の駒のようなものだ。

 

 だが、彼女達の故郷は地下研究棟に他ならず、彼女達の祖国はアーズトリテでしか有り得ない。

 

 彼女達のみならず地下研究棟において生まれた第二世代や第三世代と呼ばれる被検体、奉公人となって今も使える人・異種・亜人達も同様だ。

 

 彼らは知っている。

 

 大陸が彼らの故郷たるクラウゼンの地下より余程に残酷な事を。

 

 地下研究棟こそ人の英知が生み出した一つの楽園の形態(かたち)である事を。

 

 だからこそ、自らの“家”を守る為に彼らは、彼女達は行動する。

 

 それがどんな理不尽だろうと信じ奉じる当主の為に遣ってのける。

 

「「「「ご命令を」」」」

 

 生粋の被検体(おじょうさま)達が唱和させた言葉にマヲンは頷き唱えた。

 

――――――クーヲ。クヲクヲクッククヲ♪

 

 誰にも解らない。

 

 彼女達だって本当のところは推測でしかない。

 

 しかし、それでもずっと共に過ごしてきた姉妹のような主の言葉を彼女達は心で感じた。

 

 それは今すぐ初めてとか、そういう類の言葉ではない。

 

 頑張って。

 

 そんな励ましの言葉である。

 

 天真爛漫に。

 

 飛べもしない両手の袖みたいな皮膚をパタパタさせて。

 

 笑顔のまま励まされれば、地下に頬を緩めぬ者はない。

 

 人の叡智が生み出した彼女。

 

 その血統は作り物かもしれない。

 

 だが、そこに宿る心は違う。

 

 彼女だからこそ、彼らは彼女という存在に脅威の欠片も感じないのだ。

 

 本来、大陸に現存するあらゆる生物に対し優位な能力(ポテンシャル)を秘めた生物。

 

 それがマヲン・クラウゼン・セト・ニェハエルである。

 

 並みの高位魔族や人外、異種よりも余程に稀少で稀有なのは言うまでも無い。

 

 その能力の限界値は彼女を創造した男でさえ知らないのだ。

 

 そんな前代未聞の生き物が誰にも慕われる理由なんて一つだけだろう。

 

 彼女が純粋で優しさに溢れる好奇心旺盛な見目麗しい少女だからである。

 

『……』

 

 貴族の少女達が全員マヲンに向って礼の形を取って。

 

 変わらぬ忠誠を持って現当主の労いに報いようと動き出した、時だった。

 

 グラリと地下が揺れる。

 

『!!!?』

 

 通路の上から埃が舞い落ち、明かりが消えて。

 

 人馬の男が装備した剣を引き抜き。

 

 シュレディナが手渡された弓に手を掛け。

 

 エリザとエーレインは同様に背中合わせで構え。

 

 少年と両脇の少女達は周囲を見渡す。

 

『マヲン様!!! 現在、ケージの第七ブロックにおいて非常隔離ボタンが押されました!!?』

 

 非常灯らしき赤い光が通路に戻ると通路に声が響き渡った。

 

『負傷者多数!! 内部確認用の魔導でブロック内に概念魔力形質を確認!!』

 

「クヲ?!」

 

『書庫(ライブラリ)に登録されていた【神話性概念魔力(ファブローサ・マギシス)】と酷似しています!! 間違いありません!! 【基幹異種(バルバロス)】です!!!』

 

 誰もが一瞬その言葉の意味に思考を巡らせていた最中。

 

 少年だけが起こった事態を大まかに把握していた。

 

 声に遅れて全員がいる通路へ膨大な魔力が吹き込んでくる。

 

 まるで間欠泉。

 

 小さな通路が一瞬にして濁流に没したような濃度。

 

 息を止めずにいられたのは少年とその魔力を帯びるイフィミスラ、瑠織に護られたセイリ、それからマヲンと貴龍の女のみ。

 

 優秀であるものの殆ど生身である貴族の少女達とエーレイン達、人馬組は口元を抑えて悶えた。

 

「クゥゥゥゥゥゥスュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥウウウウウウウ!!!」

 

 マヲンが大きく息を吸い込むと激流のような魔力がマヲンの口元へ向って流れ込んでいく。

 

 たっぷり十秒は経った頃。

 

 辺りの魔力は跡形もなくなっていた。

 

 ケプッとおくびを漏らしてマヲンが通路の虚空。

 

 今も監視しているだろう者達に尋ねる。

 

「ククヲ?」

 

『報告します!! ブロック内に現在取り残されている者三十五名!! 周辺区画で爆裂した魔力に遣られた者百四十名!!! 防衛部隊が周辺区画の避難に当たっています!! な、尚、閉鎖されたブロック内に生存者はいるようですが、先程の飽和魔力の濁流で計測器類が全滅した為、詳細不明!! 繰り返します!! 詳細不明!!!』

 

 マヲンがトテトテ引き返すと貴族の少女達の前で貴龍を指してから通路の奥を指した。

 

「……つまり、我らで引渡しを行えと?」

 

 少女達の一人が聞くとマヲンが大きく頷く。

 

「ですが、一人で向うのは危険過ぎます!! 基幹異種という事は……ランナ様の実験が……」

 

 口元を引き結んだ一人が最悪の事態だと言わんばかりに顔を歪めて俯く。

 

「クーヲ」

 

 その少女の顔を上げさせたマヲンが頭をナデナデと擦った後、構わず少年の前に立つ。

 

「お世話になったからね。ご飯分くらいは働くよ」

 

「ククヲ」

 

 少年が左右の二人に申し訳なさそうな顔で微笑んだ。

 

「ごめん。ちょっと行って来る。二人は引渡しの方を。早く済ませたら内部の避難を手伝ってあげて」

 

 イフィミスラが喉元まで出掛かった「付いていく」という言葉を辛うじて飲み込んだのは少年の瞳の色がいつもと同じだったからだ。

 

 何かを決めたら遣り遂げてしまう。

 

 そうすると言ったなら、そうしてしまう。

 

 そうなったら少年は“世界が滅ぼうと宇宙が消滅しようとそうするまで止まらない”のだ。

 

「馬鹿」

 

「解ってる」

 

「……帰ってくるのだぞ?」

 

「うん」

 

 イフィミスラと少年のやり取りにセイリは小さな淑女が少年にとって大切な人であるという事実を感じ取っていた。

 

 人を信じるとはそういう事だ。

 

 打てば響く。

 

 呼吸をするように人を信ずるならば、長たらしい言葉は無用。

 

 ただ疑わず頷けばいいのだと。

 

「行ってくる」

 

「クヲ」

 

 少年とマヲンが来た道を戻っていく。

 

 その背中に貴龍は何も言わなかった。

 

 非常時にあっても己の子を取り戻すという一点において誓約を護るクラウゼン側に文句があろうはずもない。

 

 何度か自分と少年が戻っていった道を見返していたシュレディナに人馬の男が大きく息を吐いて、これも運命なのだろうかと道を指し示した。

 

 大きな驚きを持って叔父を見ていたシュレディナがキュッと弓を掴んだまま、ペコリとお辞儀をして駆け出す。

 

『良かったのかえ?』

 

 人馬の男の耳に思念が届く。

 

 それに男は偽らざる気持ちをただ思考の上だけで返した。

 

『アレが本当に選んだ道ならば、命一つ掛けられずに進めるような道程であって欲しくない。そう思います』

 

『さようか』

 

 四大貴族の刺繍を刻んだマント。

 

 オルヴォー。

 

 アルシラ。

 

 イスト。

 

 メンゼル。

 

 彼女達が前へ進み出ると今正に滅亡の瀬戸際にある己の住処の事も感じさせぬ優美な仕草で貴龍の女へ微笑んでみせる。

 

「「「「どうぞ。こちらです」」」」

 

 一糸乱れぬ統率と忠誠。

 

 その姿に貴龍の女は思う。

 

『勝てぬわけだ』

 

 人というものを理解してこそ、人以外の種は知るのだ。

 

 いつの日もいつの時代も。

 

―――おお、畏れよ。

 

―――汝の知らざるものを知れ。

 

―――眼前に在るは獣に似たるが獣に非ず。

 

―――猿に似たるが猿にも非ず。

 

―――唯一、天に抱かれし、六道歩む者也。

 

 人外や亜種に伝わる旧い旧い詩を思い出しながら、女は悪鬼のような羅刹のような悪魔のような、唯(ただ)の人間の後を付いて行った。

 

 幾ら神だ龍だと崇められても、神すら侍(はべ)らすのもまた人である。

 

 永久に生きてすら、きっと届かないものを追い求める種。

 

 そんな化け物に勝てると驕る程、彼女は愚かではなかった。

 

 強者が離れ、全ての者を戮す事の出来た彼女が何もしなかったのは一重にそういう事だ。

 

 人が他の種族に教えた感情は三つ。

 

 それは狂おしいもの、愛と。

 

 深く焦がれるもの、憎悪と。

 

 決して拭えぬもの、畏怖であると。

 

 彼女の種族にはそう伝わっている。

 

 *

 

 元来た道を戻って魔力の出所へと向かった二人は現場に駆け付けていた。

 

 多少遅れたのは複雑な施設内部の構造故だ。

 

 既に事態は二人が来た時点で致命的な変遷を辿りつつあった。

 

 空間制御魔術によるブロックの密封は完璧だったものの。

 

 周辺に漏れ出した魔力はマヲン達がいた通路どころか多くのブロックに浸出。

 

 ケージ内の者達は魔力に当てられてグッタリと浅い息を吐いて倒れている。

 

 緊急隔壁が閉じたおかげで命は取り留めたが、被害ブロック内に密封された者達がどうなったかは推測するのも億劫なくらいに明白な事で。

 

 救助に当たっている部隊が次々に倒れた者を搬送していくのを横目にマヲンの顔は能面のように引き締まっていく。

 

「ここから先が閉鎖区画?」

 

「クヲ」

 

 マヲンが巨大な鋼鉄の扉(シャッター)を前にして頷いた。

 

『現在、内部の判別は不可能です。マヲン様のみならば、周辺ブロックを閉鎖後も捕捉して転移が可能ですが……』

 

「僕には構わなくていいから。此処も怪我人の搬送が終わったら閉鎖してくれる?」

 

『どうなさいますか?』

 

 マヲンが少年の案に乗って頷いた。

 

『了解しました。搬送は後二分で終わります。その後、封鎖と同時に閉鎖ブロックの一部を解放します』

 

 虚空からの声が途絶える。

 

 背後で家族も同然な亜人や異種達が運ばれていった。

 

 その様子をマヲンは振り返って確認しなかった。

 

「……」

 

「君のそんな顔初めて見た」

 

「クゥ……」

 

「大事なんだね。此処のみんなが」

 

 コクンと頷く少女の全身にチカチカと菫色の幾何学模様が発光し始める。

 

「護りたい?」

 

「クーヲ」

 

 即答。

 

 会話の間にも白い肉体に変化が訪れる。

 

 袖のように両手に垂れ下がった皮膚がまるで魚の鰭(ヒレ)の如き鋭角さと固さを持ち、海月(くらげ)のような頭部が魚のように楕円形を描いて後ろへと大きく変化した。

 

 まるで鮫(さめ)の鼻先。

 

 そんな頭に刺繍のような魔力の流れが集中し、瞳に向かって轟々と雪崩を打って呑み込まれていく。

 

「クゥゥ……」

 

 流動する魔力の圧力に押されて。

 

 退避がようやく完了した内壁が撓(たわ)み始めた。

 

『区画閉鎖まで十秒。九、八、七―――』

 

 カウントダウンの間にも菫色だった瞳が輝きのあまり白く染まる。

 

 四秒を切った時、二人の背後でドンと何かが扉を突破する音。

 

「主様。シュレディナをお連れ下さい!!!」

 

「え、あの、シュレディナ?」

 

 さすがに一瞬驚いた少年が振り向いた時には区画は閉鎖されていた。

 

 ガシュン。

 

 そんな音と共に部屋の明かりが落ちて。

 

「……これから凄い危ない事になるかもしれないんだけど」

「構いません!!」

 

『閉鎖区画の解放まで二十秒。構えてください。内部の飽和魔力は予測値では一秒で人体を融かし込む濃度になっているはずです!』

 

 暗闇の中、閉鎖区画を開く為の駆動音が響き始める。

 

「……分かった。じゃあ、ちょっとこっちに」

 

「はい!」

 

 これから【基幹異種】恐ろしき化け物と対峙しようと言う時に喜び勇んで傍に付ける人馬の少女は存外大物なのかもしれないと少年は苦笑した。

 

『四、三、二、一、開きます!!』

 

 扉(シャッター)の一部が開き、三人はただ、透明な耀きだけを見る。

 

 綺麗と呟いた人馬の少女の前を流出する魔力に乗って、服の切れ端だけが横切り、全てを察したマヲンはいつの間にか変容している両手の鋭利な爪を無言で前へ向けた。

 

 どちらが被害者で加害者か。

 

 そんな事は彼女の頭の中には無い

 

 ただ。

 

 命に命で報いる。

 

 それだけの闘争の幕が開く。

 

 *

 

「h4jm9ap5eghjaepr9mpei…」

 

【基幹異種(バルバロス)】

 

 惑星に発生した知的生命体として億の年月を謳歌した者達。

 

 彼らが滅んだ理由を未だ人という種の殆どは知らない。

 

 それを知り得る者達は余計な禍を嫌って基本的に口を閉ざすのが慣例だ。

 

 旧き時代の魔族や天使達にとってファルティオーナの主とは嘗て彼らであった。

 

 それが変わったのは凡そ十万年から十数万年前。

 

 大きな括りで言えば“つい最近の事”である。

 

 その頃、人間という種はもう世界中に蔓延していた。

 

 まるで病原菌のような扱いだが、実際その当時の彼らにとっては然程変わらなかっただろう。

 

 嘗て家畜のように扱っていた存在が大きな力を持つ。

 

 それ自体は彼らにとって往々にしてある事だった。

 

 彼らに挑み、不興を買って滅んだ種の数は両手の指では到底足りない。

 

 だが、彼らにとって誤算だったのは、その自らを“人間”と自称する個体達が今までの輩とは違って大勢の種を味方に付け庇護を受け始めた事だった。

 

 それだけに留まらず。

 

 彼らに匹敵する大神や増え続けていた下級神達も取り込んでの勢力拡大は不可解に過ぎた。

 

 何故に自分達と付き合いのあった種族すら家畜に付くのか。

 

 まったく意味が分からず不思議がったものだ。

 

 そして、その理由を理解出来ないという点で、唯一彼らは人間に劣っていた。

 

 人は言う。

 

 愛しいのだと。

 

 人は囁く。

 

 愛していると。

 

 当時、感情というものは持っていたものの。

 

 “愛”という概念は世界に存在しなかった。

 

 母が子を護るのは種の為。

 

 その感情に初めて名前が付いたのは画期的どころか。

 

 世界を変革するに足る一大事。

 

 魔族は欲望のまま、人間の囁く愛を取り入れ、己の種にその血統を取り込んだ。

 

 これが人型魔族の台頭へと種族全体が傾く切っ掛けとなっていった。

 

 他にも交配によって誕生していた子孫達も同様の選択をする者達が現われた。

 

 たった千年程度の時間で新たな種“亜人”が人と共に台頭する時代が来たのだ。

 

 そうなると、彼ら自身も人という種に対して興味を持つのは必然。

 

 だが、神と同等とも言われる力を固持し続けた彼らには一つ決定的な能力が欠けていた。

 

 即ち。

 

 彼らに“愛”という概念が理解出来なかったのだ。

 

 一個体でほぼ完全な生命と言えた彼らの寿命は永遠に等しい。

 

 子孫を儲けたのは全体としての和を尊ぶ為。

 

 生命の根源的欲求の一つである“拡大”を指向したに過ぎない。

 

 彼らにとって愛は娯楽として認識される一種の麻薬のような概念だった。

 

 多くの種、賢明であるはずの神々すら溺れるソレを邪悪と判断したのは別に驚くに値しない。

 

 劃(かく)して。

 

 【基幹異種】達は人間という危険な病原菌を減らそうと動き、惑星規模での争いが巻き起こった。

 

 当時、人間の齎した愛を守れと魔族ですら人間の為に戦っていたというのだから、如何に人間への依存が著しかったか解ろうというものだ。

 

 次々に新たな概念と思考を生み出す人間は時代の寵児であり、多くの存在から無くてはならないとされた。

 

 結果、基幹異種は亡びた。

 

 元々個体数自体は多くなく。

 

 個体の遺伝子が完全な生物として成立していた為、交配では劣性遺伝が強く出るという特徴を持っていた彼らは一体、また一体と消滅していくしなかったのだ。

 

 やがて、全ての個体が滅んだ後、異種の能力は交わりの中で人へ流れ、超常の力や魔力形質の遺伝という形で発現していく。

 

 護られるだけであった人は力を得て、少しずつ自立の道を歩み始めた。

 

 愛に溺れていられる内はそれでも良かった種族達は自分達がとんでもない怪物を育てていたのだと気付いたが、時既に遅く。

 

 人は大陸の盟主となり、多くの種との間に人的思考や形態を共有しつつ、神魔を超える社会を形成していった。

 

 天使と彼らの主である唯一神はそれを祝福し、魔族達はその頃から人という種を制御しようと魔王という存在を大陸へ送り込むようになった。

 

 もう自らの祖である基幹異種を失った者達は人に寄り添い従って生きるか、離れて見守る力しかなく。

 

 大陸には人間が産んだ秩序だけが残った。

 

「gmwpietgjwnhwqp54nhqwhnop」

 

 僅か甦った彼ら【基幹異種】が見たのはついに彼らの祖を産んだ至高の生命たる【大母】の力にまで手を掛けた人間の姿。

 

 神の力で自在に自らを変容させ、原理にすら届く技術の塊で身体を鎧う存在。

 

 それが彼らを取り込んで先へ進もうと宣(のたま)ったのだ。

 

 “許せるはずが無い”

 

 それは本来彼らが名すら付けなかった感情。

 

 今、彼らを構成する基盤たる遺伝子に組み込まれたもの。

 

 憎悪。

 

 皮肉に過ぎる偶然。

 

 自らが亡び去る時ですら殆ど感じていなかったもの。

 

 それをようやく彼らは感じていた。

 

 人を滅ぼそうとする者と人を進ませようとする者。

 

 その両者の血統を受け継いで。

 

 ようやく理解に達したのだ。

 

 自分達が生み出せなかったものに。

 

 人の危険性が増した現在、彼らの削減目標は大陸数億の民を殆ど抹消するという結論で合致している。

 

 肉体が感じる人の多さに吐き気のようなもの、嫌悪を覚えながら、彼らは自らの前に立つ存在を見た。

 

 一人は彼らに近しく。

 

 しかし、一線を画する“人”だ。

 

 彼らを利用しようとする人間達の尖兵ならば、殲滅するべき対象である。

 

 一人は彼らから遠く、人に近しい者。

 

 言うまでも無く人間という種に近いだけで削減の対象としてしか見れない。

 

「gawgqehqe5hwq5hwq4!!!?」

 

 だが、最後の一人を見て。

 

 彼らは悲哀にも近しい感情を抱いた。

 

 何故ならば。

 

「クゥゥゥゥゥゥゥヲォォォォォォォォォォォォォォオォッ!!!!!」

 

 思考の中断は白いものによって引き起こされた。

 

 雄叫びは突撃の合図。

 

 鋭利な爪を伴って彼らが纏う膨大な惑星すら破壊するに足る魔力の中を泳ぐ魚が一匹。

 

 鰭(ヒレ)で掻き分け、高速で彼らの間を横切ったマヲンは擦れ違い様に彼らの周囲に漂う衣服の切れ端を回収していく。

 

「―――」

 

 その瞳に涙が浮かんだ事を少年以外見なかった。

 

「甦ったばっかりで悪いけど、此処で君達を止める。理不尽だし、不合理だし、哀しい事だとは思うけど、僕には“君達へ構ってる余裕がない”」

 

 彼らは少年の言葉を正確に捉え、噛み砕き、相手の素性と行動原理を理解した。

 

 “全ての生命の為に戦う”彼らにしてみれば、まったく頷けもしない話。

 

 人間が既に惑星の環境に多大な影響を及ぼしているのは封鎖された区画からでも超感覚で捉えられる。

 

 それを同じように感じられるはずの少年が人間を庇うと言うのは“少年の使命”に反する行為だ。

 

「gqerhwq5gh345gh4gberb5ewqrg5aerg5ar」

 

「解ってる。でも、約束したんだ。“みんな”と」

 

「gl.g3kp@gkqrogkqe@ojgr5@qw35kg@kg!!!!!!!!!!!」

 

「そうかもしれない。いつか、罰は受けるよ。でも、それは今じゃない」

 

 少年が透明なる化け物達へ静かに告げた。

 

「僕はシンア。シンア・ザ・クリティカルアンラッカー。全てを終わらせるまで、僕が魔王だ」

 

 少年に言われ後ろに下がっていたシュレディナは自分を護ってくれる少年の外套の中から、全てを見ていた。

 

「クヲクヲクヲクヲクヲッッッッッ!!!!」

 

 布切れを片手に今まで力を溜めていたマヲンが大きく片手を振り下ろした。

 

 ザンッ。

 

 魔力の海で音声も定かでは無いはずなのにシュレディナには聞こえた。

 

 【基幹異種】達の一体の肉体から鈍い音がして、白っぽい血が吹き上がる。

 

「時間は稼がせてもらうよ」

 

 少年の手に一枚の符が握られていた。

 

「頚城たる我が名において許可する」

 

 異種側が反応するより早く膨大な魔力の海を刹那で空にして、符に込められた術式が起動する。

 

 カチリ、カチリ、カチリ。

 

 歯車の噛み合う音。

 

 あらゆる神の力を借りず。

 

 ただ、技術と原理を説き明かす叡智のみを頼りに構築された。

 

 少年の切り札の一つ。

 

 それはとてもありふれた超越者達にしてみれば失笑してしまうような術式。

 

 時間遅延。

 

 魔術師達の最高位たる者なら、よく防衛用の式の一つに組み込むような代物。

 

 七聖女達や他の化け物みたいな魔族や天使達なら、食い破るのに数秒と要らない現象だ。

 

 だが、

 

「―――?!!」

 

「これは僕の“主観時間”に同調するようにしてある」

 

 時間間隔は誰もが同じわけでは無い。

 

 貴方の一秒と私の一秒が彼らの一秒ではないという事実。

 

 法則は全ての自我に平等であるものの、自我そのものからの観測は事象に対して平等ではない。

 

 これは時間に対しても同様だ。

 

 故に彼らの能力の大半は“彼ら自身の時間の中にある”と言っても過言では無いのだ。

 

 知覚という行為に“他者の時間”を強要された時、何が起こるのか。

 

 時間感覚がズレた状態で常時彼らの使用するような能力、超感覚だとか再現(エミュレート)だとか、魔力による波動検知や術式構成は異常を来たす。

 

 魔力の流入速度が解らなければ、術を編んだ瞬間に暴発するし、知覚に対する処理が脳内で追いつかなくなれば、それは知覚が停止したも同然という事であり、動く事すらバランスを欠けば、膨大な力の塊である【基幹異種】は破滅する。

 

 本来的には七聖女達の能力を常人並みに落す事を主眼として用意されていた用意の一つだ。

 

 少年の時間感覚は常人に近い。

 

 これと同等の感覚で超人や超越者が精密な力や能力を運用すれば、それだけで自爆にまで持っていけるという寸法である。

 

 強ければ強い程に能力の高さが仇になるわけだ。

 

 防御用の軽い魔術すら暴発したら致命傷。

 

 ならば、今や彼らはデクノボウに等しい。

 

「クックヲクヲ!」

 

 ナイスアシスト的な意味で親指を立てたマヲンが防御異常への動揺から回復しつつある個体達に再突撃を掛けた。

 

 少年も前に出て半身に構える。

 

 一体で惑星をも破壊するに足る存在が数体。

 

(あっちとまだ連絡も取れないし、しばらくは避難を最優先にしないと……)

 

 殆どの行動を封じたとはいえ、危険を取り払う機は未だ見えず。

 

 少年はこれからしばらく続くだろう小競り合いを覚悟した。

 

 勝利目標は二つ。

 

 外部区画とアーズトリテから全ての人員が離脱する事と傍にいる少女達を生きて帰す事。

 

 その後に来る最大の危機の事も一先ず忘れて。

 

 少年は呼気を整える。

 

 【神門】を徒手空拳で倒した時とは違う。

 

 戦う相手の倒し方一つで惑星が滅ぶ以上、乱雑な闘法はご法度だ。

 

「ふぅ……」

 

 少年は剣と同等以上に習っていた殴り合いを思い出す。

 

 それは閃剣とも互角に素手で渡り合った聖女の流儀。

 

 曰く、喧嘩殺法。

 

 今も拳闘師達の間では【闘師】の異名を持つソィラ・ミクラの思想。

 

 彼女は魔術や火砲や剣や超常の力の方が素手より強いと言いながら、その全てに対して常に拳を使って戦い続けていた。

 

 恐ろしい奇跡を戦闘の補助に使いながらも、未だに戦闘スタイルは昔のまま。

 

 闘うだけなら、がむしゃらに立ち向かえ。

 

 護る為なら、頭を使え。

 

 どうせ拳より強いものなんて山程ある。

 

 それが彼女の闘い方を教える時の口癖。

 

 拳の握り方から闘志の奮い立たせ方まで手取り足取り教えて貰った少年はよく呆れられていた。

 

 優しいやつは徒手空拳での戦闘には向かないのによくやるわね、と。

 

 それでも彼女が教えたものは少年の中に息衝いている。

 

 マヲンの爪が透明な肉体を切り裂いていく間も少年は走らなかった。

 

 ただ、拳を軽く握り、全身の神経細胞の一つに至るまで自らの意志の下に置く。

 

 常人とほぼ同等の肉体能力しかない少年が常に超越した現象を引き起こすのは完全に復元する人体と肉体の完全制御に由来する。

 

 自律神経の全てを制御化に置いた彼の全身は武器そのものだ。

 

 それを世界にたった一つの流儀(スタイル)で振えば、如何なるものも敵ではない。

 

 揺らりと少年の身体が動いて。

 

 基幹異種達の知覚から消え失せた。

 

『?!!』

 

 何が起こったのか。

 

 常人並みの時間間隔の中でしか行動出来なくなっている者には分からなかっただろう。

 

 だが、不意に少年の姿が自分達の背後にあると察知した時点で彼らの一体は悲鳴を上げた。

 

「君達を……」

 

 仄かに輝く両手。

 

 その中には白い液体を流しながら脈打つ透明な肉塊が二つ。

 

 全身から輝きを立ち昇らせた少年が再び消え。

 

 正体不明の一撃が再び基幹異種達を襲い。

 

―――3n48yt58hco3tt438nv8yo34von?!!!!!

 

「削り切る」

 

 少年の声に彼らは知る。

 

 もうコレは自分達が知っている“来たるべきモノ”ではないのだと。

 

 次の瞬間、全ての者を巻き込んで巨大な空間を有するケージ内部は灼熱の炎獄に没した。

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