※この作品はR-18です。

聖娼館ハルトゥム   作:Anacletus

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ようやく連載に此処の話数が追い付きました。今後はだいたいから二週間前後の期間で投稿していく事になるかと思います。それとお知らせですが、この南部編が終わった後、物語は二つに分かれます。一つは十八禁のまま西部学園編。もう一つは全年齢対応の西部迷宮編。どちらもよろしくお願いします。


第二章四十六節

第二章四十六節「愛牙」

 

 実は人体の慣性に対する耐久力は比較的高い。

 

 かなりの加速度でも一方向に掛かり続けるなら、生命機能は中々停止しない。

 

 これはつまり人が出せる機動の限界速度が高いという事でもある。

 

 ファルティオーナにおいて魔術師、あるいは兵の高速機動は古代より続く一つの命題とされている。

 

 戦闘を行う速度を極限まで極めた者は時に覇者と足りたからだ。

 

 その思想が一歩後退したのは武器や魔術、超常の力の発達に拠る。

 

 肉体を加速させるよりも武器を加速させた方が有利という事に気付いた多くの者が自らを加速させる必要性を失った。

 

 魔術や超常の力も基本的に発動までの準備が長い場合が多いのであって、発動後の攻撃速度は然程遅くない。

 

 戦闘行動において武器の速度が優先されるようになった為、純粋な肉体の速さというのが求められなくなったのは道理だろう。

 

 武人の境地が武器や人体が生む“間合い”における速さの最大化に移行したのも無理からぬ話である。

 

 これは武器ならば斬撃や刺突の速度、魔術師や超常の力ならば発動して後の効果が解決される速度を表す。

 

 人体の機動を速くすると言うのは戦闘行動を取るべき場所までの移動手段の意味合いが強くなり、それ以外では攻撃の回避に主眼が置かれるのが今では殆どだ。

 

 人体の加速における戦闘機動の複雑化、最適化で隙を減らそうという試みは為されて来たが、大陸規模では肉体能力がそもそも高い者達に追い付く程度の成果しか上がっていない。

 

 暗殺者や亜人のような肉体速度を重視した戦者が武術の達人等と面と向かって戦えば勝ち目が薄いという事実もあり、肉体の加速を極めようとする者は稀だ。

 

 結局、どんなに肉体を加速する術を得ても肉体を護る手間を考えれば、魔術や武器、能力の速度を重視する方が手間要らずという結論となった。

 

 故に少年は世界でただ独り。

 

 他の誰も持ち得ない戦闘能力を有する。

 

「g3j;ohirh;hgorg83o85oooooooooooooooooooooooo!!!!」

 

 広大な空間の一面が紅蓮に燃え上がったのも今や過去。

 

 魔力と酸素を燃焼し尽くした空間内部は夥(おびただ)しい白い血で染まっていた。

 

 それでも浮かんでいる透明な基幹異種達は全て健在。

 

 ダラダラと身体のあちこちから流血つつも衰えた様子無く元気に喚いている。

 

「……」

 

 何度目になるかも分からない熱と衝撃と光が周囲に吹き荒れた。

 

 仄かな燐光が室内を満たして。

 

 浮遊する透明な肉体のあちこちが欠けて血が床に飛び散る。

 

 苦悶の声を上げ続ける基幹異種達の中心に少年が現れた。

 

 その姿は全裸だ。

 

 もう衣服を身に纏っていない。

 

 全身から立ち上る輝きが少年の幾度目になるかも分からない死を教えた。

 

(やはり主様は……)

 

 外套の中で戦闘の余波をやり過ごしていた彼女は最初、少年が何をしているのか分からなかった。

 

 目に映らないのだから仕方ないだろう。

 

 肉体が消えて、猛烈な衝撃と熱量と光が空間に吹き荒れ、基幹異種達が傷付き、不意に少年が現われる。

 

 大まかにはこれの繰り返しが数時間。

 

 いや、もう数十時間続いている。

 

「クヲクヲクヲクヲ!!!」

 

 少年に続いたマヲンの爪で基幹異種達の肉体がバックリと切り裂かれた。

 

 白い魚のような形態を取った彼女は膨大な魔力に触れて疲弊する様子も無い。

 

 少年と事前に打ち合わせていたわけでもない連携。

 

 それが今も少年の時間に囚われた基幹異種達の出端を挫き、攻撃を封じていた。

 

「ぁ……」

 

 また不意に少年の肉体が消える。

 

 シュレディナは少年のしている事の馬鹿馬鹿しさを思い。

 

 戦う者として背筋を震わせる。

 

(加速と減速。これは動魔術)

 

 あまり魔術に付いて詳しくないシュレディナだが、それでも観測した事実に基いて推測すれば、少年のしている事の大体は理解出来た。

 

(光や衝撃や熱が発生するのは主様の身体が機動した残滓。でも、この速度は魔術の解決速度よりも……)

 

 魔力形質や魔術の体系にも拠るが、基本的に自然界にある元素を用いた攻撃は幾つかに類型(カテゴリ)される。

 

 【近代化(レボリュション)】以前の旧き魔術では風、土、水、火の四大元素や【陰陽】の五行相克、それに類する観念論的魔術理論が大概を占めていた。

 

 その中でも雷や光といったようなものを扱う攻撃魔術は多かれ少なかれ最速の魔術であった。

 

 シュレディナも人馬に伝わる秘伝の媒質や術式で雷や光の速度で攻撃する程度は出来る。

 

 だが、少年にはきっと当たらないだろう。

 

 肉体構造上の限界を遥かに超える加速と減速。

 

 それがどれだけの速度かまったく察しが付かなかったものの、シュレディナには加速の“入り”も“出る”瞬間も知覚出来ていなかった。

 

 常識外れの機動で前方の空気の層に細胞が断熱圧縮されて生きているというだけで、魔王というのがどれだけ桁外れか分かるだろう。

 

 だが、本当に怖いのはそこではない。

 

 死なないとか光速にも等しい機動をしているとか。

 

 そういう事は魔術師ならば、高位の者にも出来る。

 

 問題はそれとは別、少年の何も持たざる姿にこそある。

 

 何かの魔術で加速や減速をしているのは間違いない。

 

 しかし、そんな機動をしていながら、少年は“手で掴み取って血肉を削っている”のである。

 

 肉体の加速そのものは出来るとしよう。

 

 だが、機動中に肉体へ意思を反映させ、相手を捉え、機先を挫き、複雑な動きをするのはどう考えても原理上不可能だ。

 

 そうするには少年の速度は速過ぎる。

 

(主様は空っぽ。まるで、静かな空みたい……)

 

 少女には分かっていた。

 

 少年が丸腰だと。

 

 一度、心と心で繋がった。

 

 身体と身体で繋がった。

 

 だからこそ、解る。

 

 少年は力を求めず、追わず、故に全てを上回る。

 

 己の状態を受け入れる度量が無ければ。

 

 自らを焼き亡ぼす加速に身を置けるはずもない。

 

 その立ち姿は絵画のようであり、戦者の装いにも似ていた。

 

 腕の動き。

 

 呼吸の型。

 

 視線の向き。

 

 どれもこれもが肉体一つで生み出される彼の流儀(スタイル)。

 

 それは強大な基幹異種達が凝視するくらいには彼らを引き付ける。

 

(もう、何日こうして……主様は何故……)

 

 時間感覚が狂っていた。

 

(こんなに綺麗なのに……涙が出る程……)

 

 誰もが魅せられていた。

 

(怖いのだろう?)

 

 彼女も異種達も少年から目が離せない。

 

『   ?!!!   』

 

 少年が消える。

 

 空間に光が吹き荒れる。

 

 爆音と衝撃が全てを揺さぶり。

 

 とても自然にいつの間にか少年の姿が現われる。

 

「クゥウウウウウウヲ!!!」

 

 上空でマヲンが爪を振った。

 

 ザクンと音がして、また基幹異種から悲鳴が上がる。

 

(そう……)

 

 永遠に戦っているようにも感じられるし、刹那の夢を見ているようにも思える。

 

 そんな曖昧な時間に惑いながら、それでも心地良さを感じる自分もいて。

 

 シュレディナは深く深く少年の心に触れた時の事を思い起こす。

 

(きっと、これは……主様の時間……)

 

 少年は言った。

 

 あの符は自分の主観時間に同調するように時間を遅延させるものだと。

 

 シュレディナは知っている。

 

 時間は誰にも平等に流れている。

 

 だが、自分の時間と相手の時間は決して同じではない。

 

 通常、肉体の時間感覚と絶対時間は同期しない。

 

 世界の一秒と自分の一秒は違う。

 

 しかし、少年は世界の基準を己に合せるという傲慢をやってのけた。

 加速する肉体が“少年の時間に従った時”、そこに矛盾が生まれる。

 

 生物が到底耐え切れない速度で動いているのに魔術原理的な主観時間を生きたら、一体どんな速度になるのか。

 

 その答えこそ、今の状況。

 

 主観時間が“現実に対して優越している”のだ。

 

 肉体は光速にも等しい速度で機動しているが、主観時間は光の速さよりも圧倒的に遅い。

 

 思考速度そのものが時間と=(イコール)になるならば、“肉体の速度も彼が自由に動けるくらい遅い”というのだ。

 

 馬鹿げた話である。

 

 物理法則を無視している。

 

 彼の一秒の中では光の速度でも自由に動けるなんて妄想もいいところだ。

 

 これは絶対時間を主観時間にまで遅延する魔術の域を超えた現実の改竄。

 

 大陸で積み上げてられてきた叡智の否定に他ならない。

 

(主様が願った……現実……)

 

 嘗て、観念論的に物事を捉える大陸の考え方では時間というのは共有する事が可能な事象として論争となっていた。

 

 旧き世界において時間は“他者との間”に流れるものだった。

 

 これを極大化、押し付ける符に込められた魔術は光速不変の原理を越えた一つの到達点と言える。

 

 全ての者に己(せかい)を押し付ける現実(じかん)の牢獄。

 

 傲慢(やさしさ)に塗(まみ)れた空虚(いつわり)の伽藍。

 

【永遠動影式(エテルニタス)】

 

 永い永い時が経った。

 

 短い短い間が過ぎた。

 

 どちらだろうと少年は戦う。

 

 己を無限に削る痛みすら受け入れて。

 

(こんなにも渇いた時間の中で……貴方は……)

 

 涙一粒。

 

 落ちる間に。

 

「……来た、みたいかな」

 

 少年がふわりと床を蹴って数十m背後、シュレディナの前に降り立つ。

 

「君はどうする?」

 

 空中を回遊するマヲンに少年が訪ねる。

 

「クゥ……」

 

 幾度も基幹異種達を睨み付けていたが、フイッと顔を不満そうに逸らして白い少女は少年の傍まで戻ってきた。

 

「じゃあ、此処からは君達の番だ」

 

 その言葉の意味が解った異種はただの一匹もいなかった。

 

「シュレディナ。ポケットに一枚符が入ってるはずなんだけど、取って破いてくれない?」

 

「は、はい!?」

 

 ずっと呆けていた少女が慌てて着ていた外套から符を見つけて、すぐに脱いだ。

 

 手渡された外套を羽織った少年の肉体をいつもの旅装束が覆っていく。

 

 軽い足音。

 

「え?」

 

 少年がシュレディナの背中。

 

 鞍も満足に付けていない場所に乗っていた。

 

「あ、ああ、主様!?」

 

「少し乗せて欲しいんだけど」

 

「も、勿論ですが、ど、どうして急に!?」

 

「外、避難が遅れてる。今の戦闘で溜めてた魔力の大半使っちゃってて、僕じゃ近くまで一緒に転移出来ないから。頼める?」

 

「は、はい!!」

 

「クッククヲ」

 

 ヒシッとマヲンが少年の頭に顎を乗せて首に抱き付いた。

 

「君もご苦労様」

 

「クゥ~~」

 

 如何な能力(ポテンシャル)を秘めるマヲンと言えど、膨大な力の塊である基幹異種を傷つけ続けるのは消耗が激しかったのか。

 

 体内の魔力という魔力が空に近かった。

 

 異種達がようやく終わった攻撃の頚城から解き放たれて、ブルリと一度身体を震わせる。

 

 すると、その額の上に光が集り始めた。

 

「シュレディナ!」

 

「了解しました!!」

 

 ランナにも放たれた粘性の光の塊が完成するより先に細い手が符を真っ二つに破り切った。

 

 方陣すら無い瞬間転移。

 

 一瞬にして消えた少年達を探しながら。

 

 邪魔だとばかりに基幹異種達が育ち切った光弾を上空に向ける。

 

 同時に放たれた数個の光は向う方向にある物質を数十メートル手前から蒸発させつつ、地上へと向って進んでいき、やがて巨大な穴を開けて空へと飛び出した。

 

 自分達に打ち返される事も考慮に入れて念入りに出力を下げられて後に放たれながらも、その威力は十分に発揮される。

 

 広大な敷地のど真ん中、中庭の全てを焼き払い、光が空を駆け昇っていく。

 

 外は夜だったが、明け方と勘違いしたか。

 

 雄鶏が鳴いて、地域一体の冷たかった風を熱風へと変えた。

 

 Gaofowofowoweofooewofowoeooooooooooooooooooo!!!!!!

 

 雄叫び。

 

 一方的に逃げた相手への侮蔑と憎悪が怨嗟となって大気を鳴動させる。

 

 そうして。

 

 そんな彼らを尖塔の上から覗いて。

 

 一人の老人。

 

 いや、青年は高貴を表す蒼の礼服と袖なしの外套(マント)を靡かせて。

 

 その全てを見下(みくだ)した。

 

「立場が逆になったな。だが、これでようやく対等だ」

 

 通常では在り得ない不可思議な銀の髪。

 

 瞳に凝った黒の螺旋。

 

 生命の神秘を纏う彼。

 

「幾度繰り返そうと変わらぬ人の向上心。何度でも魅せよう。須(すべか)らく我ら人類は克つのだと」

 

 ランナ・クラウゼン・アリト・ニェハエルはそう告げた。

 

 *

 

 アーズトリテ。

 

 遥か古より旧き人と技と遺されしものが息衝く都市国家。

 

 その全景は凡百の魔術師達に芸術と言わしめる。

 

 それだけの魔術方陣として機能している。

 

 それ自体は誰でも都市を見渡せるような丘や航空から見る事が出来る。

 

 一つ一つの建造物に込められた意味。

 

 水路の形。

 

 行き止まりに吹き溜まる人の思念。

 

 血統というものを魔術として取り入れたからこそ齎される恩恵。

 

 その“濃度”高低によって階層化された人々は己の人生、生死、結婚すらも一つの様式としてクラウゼンとアーズトリテに捧げている。

 

 故にこそ、藩落内部において彼らは幾多の敵を退けてきた。

 

 魔術師は多いがそれ程に農地を持たないアーズトリテが永続的に地位を確保してきたのはあらゆる敵国の謀略と進軍してきた兵を返り討ちにし続けてきたからである。

 

 土地に凝る霊的加護。

 

 生まれる子が持つ魔力形質の多用さ。

 

 魔術具の大規模な貿易。

 

 これがアーズトリテの特徴だ。

 

 だが、その程度の国力で生き残れる程、戦乱が収まる前の藩落情勢は決して甘くなかった。

 

 そもそも七聖女が現われて後。

 

 【近代化(レボリュション)】を推し進める中で魔術の衰退は著しく、代わりに戦場で使われるようになった火砲の発達は目を見張るものがあった。

 

 七教会が如何にその流通を制御しようと便利さを求める人の性は変えられない。

 

 非合法に出回る銃は金さえあれば手に入れられる。

 

 魔術防壁を貫徹する弾丸がすぐさまに闇ルートで出回るともなれば、戦場の戦術も戦略も一変する。

 

 魔術師達の衰退要因の8割方は魔導の普及である。

 

 だが、後の二割は火砲と銃の発達だったのだ。

 

 一工程で魔術を発動出来る者はそう多くない。

 

 詠唱魔術や儀式魔術。

 

 生贄魔術や元素魔術。

 

 幾多ある魔術を軍として運用する場合のコストは火砲で装備を整えた軍に劣る。

 

 複雑な運用を余儀無くされ、指揮系統の合理化速度で負ける魔術師の軍隊が戦場の主役から交代させられたのも無理からぬ話だ。

 

 魔術の速度向上を至上として近代化の波の中で開発された【瞬刹魔導(フラッシュ・クラフト)】と呼ばれる新型の魔術系統もあるにはあったが、人の火砲兵器への探究心と更新速度には及ばず。

 

 無数の魔術師達の廃絶と廃業の中に没して行った。

 

 そんな時代に未だ魔術と血統のみで生計を立てた稀有なる都市国家。

 

 アーズトリテ。

 

 彼(か)の地の血と智は言うなれば魔術師達の理想の一つ。

 

 その全権を束ねるクラウゼンの当主ともなれば、土地の内部という制約はあるにしろ、並みの神魔を視線の一つで蒸発させるだけの能力を得る事も可能である。

 

 この唯物論が幅を利かせ始めた現代ファルティオーナにあって、黴の生えた魔術血統が合理主義に勝利するという不合理こそ、彼らの歴史そのものだった。

 

「無様だな」

 

 酷薄に微笑むランナはようやく時間の牢獄より解き放たれた基幹異種の群れに言い放つ。

 

 同質の存在となったからこそ。

 

 超感覚、再現(エミュレート)が相手に無効というのは理解出来る話だ。

 

 力の発生と同時にようやく感じ取れた相手は一度滅ぼしたと思っていた相手。

 

 侮る事は出来ない。

 

 基幹異種の力で戦えば敗北は必至だろう。

 

 相手は億年を生きた化け物であるからして、基幹異種一日目のランナは経験の無さに漬け込まれれば勝ち目がない。

 

 幾ら絶対の命令権限があろうとも、一度喰らった手を二度も受ける程、基幹異種達が馬鹿ではない事を光弾の発射に彼は感じ取っていた。

 

 それでも一度勝ったのはクラウゼンの叡智と歴史。

 

 例え、肉体を持とうとも相手の本質が変わらないならば、絶対権限など使わずとも戦いようはある。

 

「起動せよ。アーズトリテ」

 

 クラウゼンの屋敷の尖塔。

 

 その頂上。

 

 当主の言霊(ことだま)に都市が鳴動した。

 

 ヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲオ。

 

 世界を奔る天脈と地脈。

 

 永い永い年月を掻けて整備されてきた【大源(マナ)】の流れに変化が起きる。

 

 要石(かなめいし)として大地に打ち込まれ、人の命と歴史を吸い続けて来た魔術具(つつ)の一つが光を立ち上らせ、都市の明度を上げていく。

 

 開放されたのは【血統性概念魔力(サングィニス・マギシス)】。

 

 実体としてエネルギーを持つ大源や個人の気とも違う。

 

 人が“血統に掛けた年月を事象として引き出せる”魔力だ。

 

 概念魔力の魔力濃度の高低は主に二つの要素で決まる。

 

 一つは【絶対稀少価値(レアリティー)】。

 

 誰が決めたかは定かで無い。

 

 だが、人以外の存在が使用したとしても同じだけの事象が引き出せる根源的な価値基準。

 

 もう一つは【相対稀少価値(バリュー)】。

 

 これは時折変動する概念においての重要な【要素】の含有率を表す。

 

 【血統性概念魔力】の魔力濃度の公式は単純にすればこうだ。

 

 血統の希少価値(レアリティー)×血統の続いた年月(バリュー)=事象(エネルギー)。

 

 この場合、アーズトリテが、クラウゼンが、“自らを続けてきた時間”そのものが膨大な事象(ちから)として出力される。

 

 それもランナ一人分なんてチャチなものではない。

 

 アーズトリテに生まれ、育ち、住み、生を終えた全ての人間を糧とし、対象(つつ)を依り代として、力は解放されるのだ。

 

 呼び水として大源が都市に溢れ出し、アーズトリテそのものである術式が幾何学の魔術方陣として一斉に概念魔力を励起(れいき)した。

 

 空が、天が、紅く紅く覆われていく。

 

 それは血の色だ。

 

 今まで都市で流されてきた血の色だ。

 

 その幕は宝石よりも尚眩く世界をカーテンのように飾って。

 

 中心たる黒の十字、クラウゼン私邸を浮かび上がらせる。

 

 ゆらゆらと布のように靡く赤、赤、赤、赤。

 

 まるで都市を覆う巨大な旗を幾重にも振った如き光景。

 

「見よ。蒼天既に亡く。紅天正に立つ!!!」

 

 無論、【基幹異種】達からしてみれば“自分達の一個体の一割にも満たない魔力”に脅えるはずも無かったが、それで争いの準備は整った。

 

「さぁ、始めようか」

 

 自らの祖たる基幹異種。

 

 その殲滅の第一手はまず、異種達が入れ物とした胎児が持つマヲンの遺伝情報。

 

 螺旋の内側に原子レベルで記述された観測術式を持って発動された。

 

 それは染色体内部の情報を観測者効果によって変異、崩壊させる観測呪術。

 

 ランナが極小の遺伝物質研究の末に確立した非常用の個体抹消技術だ。

 

【射視蛋覧(デヴォーティオ・アスペクトゥム)】

 

 黒き螺旋の瞳に見つめられた基幹異種達の肉体が呆気なく。

 

 爆裂した。

 

 *

 

―――時間は数十時間前まで巻き戻る。

 

 言葉一つで止められる戦があった。

 

 それはセイリにとって戦史を学び続けた先に確信した事実だ。

 

 愚かな争いを一人の聖人が止めた。

 

 隣国の諍いを一人の吟遊詩人が止めた。

 

 人の歴史の中で稀にあった事例である。

 

 そのどれも人々が矛を収めたのは他者の言葉からだ。

 

 不思議な話だといつもいつもセイリはそんな話を集めては検証していた。

 

 どの事例でも結局は争いの元凶そのものが消えたという事実はない。

 

 だが、それでも人々はたった一人の言葉で戦いを治(おさ)めた。

 

 当時の政治や軍事の常識から見ても本来は在り得ない現象だ。

 

 それを可能だというだけでも人は愚かなだけではないとセイリは確信する。

 

 だから、再び起ころうとしている争いでも言葉を尽くそうと決めていた。

 

「      」

 

 クラウゼン地下研究棟。

 

 異種四氏族の解放。

 

 その最中の事である。

 

 貴龍が明るい部屋の中。

 

 自らと同じ体皮を持つ少女へ駆け寄っていく。

 

 その少女の周りには三人の亜人。

 

 いや、強制的に人型へと姿を変じられた異種達がいた。

 

 一人は緑色の燐光と羽を纏う少女。

 

 一人は人型でありながら、その肉体が褐色の粒子で形作られる獣人にも似た耳や尻尾を持つ少女。

 

 一人は完全な漆黒の肌と大きな体躯を持つ浮遊した女。

 

 全員が命を取られたわけでもなく。

 

 況(ま)してや泣いていたわけでもない。

 

 しかし、人化させられただけのみならず。

 

 異種達の腹はふっくらと誰の目にも明らかな異常。

 

 いや、命を抱えていた。

 

 マヲンとの間に交配実験を行ったのだ。

 

 それは誰にも解ったが、貴龍の女は衝撃を受けたように迎えに来た四人を見回して唇を噛んだ。

 

 振り返る視線に剣呑なものが含まれていたのは致し方ない事だろう。

 

 人間という人間を軽蔑し切った眼差し。

 

 だが、それに澄ました顔をしている貴族の少女達は言う。

 

「確かにお返ししました」

 

「命を取る事も、意識や記憶に手を加えてもいません」

 

「人化はそちらの意思で解除出来る仕様です」

 

「無論、その場合はお腹の中の子を諦めてもらう事になりますが」

 

 蒼い空。

 

 白い雲。

 

 小麦が溢れる薗(その)。

 

 そんな世界を映し出す部屋の内部で。

 

 異種の子等を庇うように立って。

 

 貴龍の女が虚空に魔力で輝く文字を描き始める。

 

―――下劣なる人の子よ。

 

―――ならば、我ら異種の尊厳はどうなる。

 

―――どうやって、この子らの涙を拭えばいい。

 

―――どうして、どうして、お前達は、そんなにも醜く、命を扱える!!!

 

「我らは」

 

「人の子なれば」

 

「故に愚かであり」

 

「叡智すらも求めるのです」

 

 貴族の子女達は代わる代わる己の意思を、クラウゼンというものを代弁する。

 

「輪廻繰り返す龍の人」

 

「貴方にならば解るでしょう?」

 

「人間はより善きを求める者ではなく」

 

「より良きを奉じる者であると」

 

 赤のマントは血の色で。

 

 黒き十字は背負う傷。

 

 我が子に、姉妹に、兄弟に、父母に、己に付けた消えない刻印。

 

「「「「故に我らは命を弄ぶ」」」」

 

―――それが自らの子でもか!

 

「ええ」

 

―――それが己の姉妹でもか!!

 

「はい」

 

―――それが大切な兄弟でもか!!!

 

「その通り」

 

―――その身を育んだ父母さえもか!!!!

 

「無論でしょう」

 

―――ならば、やはり人は、人は獣にすら劣るではないか!!!!?

 

「何を」

 

「今更」

 

「須(すべか)らく」

 

「その通りですが何か?」

 

 彼女達の意思表示が逆鱗に触れたか。

 

 貴龍の女が苛烈なる視線で四子女を睨む。

 

―――人の子よ!!

 

―――愚かなる、憐れなる、劣等なる、人の子よ!!!

 

―――汝らはその業を持って自らを滅ぼすと知れよや!!!!

 

―――天然自然、森羅万象、これ全て手にする事能わず、これこそ真理である!!!!?

 

 嘲りはしなかった。

 

 だが、少女達は自分達の実験の犠牲になった者達を前にして言い切る。

 

「だからこそ」

 

「なればこそ」

 

「ゆえにこそ」

 

「我らは人の子なのでしょう」

 

――――――?!!!!!

 

「愚かで」

 

「哀れで」

 

「劣るからこそ」

 

「人は前を向いて、上を向いて歩くのです」

 

 クラウゼンは歪だと彼女達は知っている。

 

 だが、その歪さを愛してもいる。

 

 そうでなければ、誰が好き好んで自らを捧げるというのか。

 

「人の愚かさを愛せずして、私は生まれてこなかった」

 

 何故なら、彼女の母は愚かな“父”との間に彼女を儲けたから。

 

「人の哀れを愛せずして、私は生まれてこなかった」

 

 何故なら、彼女の父はいつ死ぬとも知れぬ母に恋をして彼女を儲けたから。

 

「人の拙劣を愛せずして、私は生まれてこなかった」

 

 何故なら、彼女の母は必ず劣等の子になると言われながら彼女を儲けたから。

 

「我らは愛されずして、何人(なんびと)も生まれてこなかった」

 

―――ならば!!

 

―――ならば、この子達の中にいる子を、汝らは祝福すると言うのか!!

 

―――望まずに儲けられ、望まずに産み落され、望まずに育まれるとしてもか!!!!

 

―――我ら異種が人の子を生かせると本気で思っているのか!!!!!!

 

 結論は明確に。

 

 よく響く声で。

 

 唱和された。

 

「「「「出来ます」」」」

 

―――何故だ!!!!!!!

 

「「「「愛しているならば」」」」

 

―――何だと!!!!!!?

 

「愛は全てを救わない」

 

「けれど」

 

「愛しい者を死なせたくないと」

 

「誰もが闘争に身を落とし」

 

「憎悪に凝り固まり」

 

「絶望を覚え、牙を研いだ」

 

「愛しくなければ、争いに身を投じる事はない」

 

「愛しくなければ、他者を憎む事はない」

 

「愛しくなければ、絶望に朽ちる事はない」

 

「異種はもう知っている」

 

「愛の反対は無関心」

 

「その子の為に怒り、憎しみ、恨み、争いすら辞さないとするならば」

 

 初めて貴龍の女が何かにハッとした顔をする。

 

―――愛してなど!!!!!!!!?

 

「ならば、聞いてみればいい」

 

「その子達に」

 

「命宿して何を望むか」

 

「我らは人、業を背負いて、続けていく者」

 

「省みる程、賢くない」

 

「涙する程、優しくない」

 

「悔いる程、甘くない」

 

「違いますか?」

 

 振り返った貴龍の女が見たのは震えてしまうような光景。

 

 身体全体で自分の腹を守るように両手で押さえた少女達だった。

 

 貴龍の少女が母であろう女に向けて口を開く。

 

 何を言っているのか。

 

 何を訴えているのか。

 

 余人には解らない。

 

 だが、その懸命な顔が、何の為に歪んでいるのか。

 

 その場の誰にも明白だった。

 

 しばらく。

 

 本当にしばらくの間。

 

 貴龍の女は動かなかった。

 

 不意に振り返った時、その顔にあったのは激情ではなく。

 

――――――――――――――――――人間め。

 

 怒りたいのに怒れないような。

 

 泣きたいのに泣けないような。

 

 責めたいの責められないような。

 

 喚きたいのに喚けないような。

 

 笑いたいのに笑えないような。

 

 とても、とても複雑な表情だった。

 

―――いつか後悔せよ。我らに愛教えた事を。我らの愛がお前達に勝るだろう日を。

 

 そう、言って。

 

 ふわりと浮遊して女は人馬の上に足を揃えて腰掛けた。

 

「これより四氏の子等を連れて帰還します」

 

 壮年の声が言えば、ゾロゾロと少女達が貴龍の女の傍に付き従う。

 

 最後と思ったか。

 

 男は振り返ってイフィミスラ。

 

 少年と最も親しいと思われる者に視線を向けた。

 

「貴殿の主に言い置いて頂きたい」

「賜(たまわ)ろう」

 

「全てシュレディナの意思のままに。もし、その気持ち踏み躙りし時は、我ら人馬(ケンタウロ)、最後の一人になろうとも必ずや、その首……貰い受ける」

 

 しっかりとイフィミスラが頷くと人馬の男が微笑む。

 

「今日は良い勉強をさせて貰った。人が愛に狂い、愛に没する事。これ日の理(ことわり)の如く也(なり)と」

 

 貴龍の女が人馬に視線を向けた。

 

「仰せのままに―――神馬(ペガソス)の加護に依りて、我この身を変ずる者なり」

 

 男の栗色だった毛並みがサァッと水が流れるような速度で変化し、白く色を抜け落ちさせていく。

 

 その上、人の上半身だった肉体は腕を失い、一本の首となる。

 

 白き羽が舞った。

 

 神の戦車引く馬となった男は数年前の大戦以来の姿で一啼きすると畳んだ翼を広げる。

 

 瞬間。

 

 辺りが光に包まれた。

 

 温かく。

 

 柔らかな羽毛に包まれた心地が風となって周囲を吹き抜けていく。

 

 後には異種側の誰も残ってはいなかった。

 

「行ってしまいましたね……」

 

 貴龍の激高に言葉を尽して説得しようと思っていたセイリは自分の出番がまったく無かった事に笑みを零して、異種と人、亜人達が分かり合える時代が来る事を願わずにはいられなかった。

 

「さぁ、一つ片付いたみたいだし。とっとと此処の避難始めるわよ。あの魔王様がどれだけ時間稼いでくれるか分かったもんじゃないんだから」

 

 ずっと見守っていたエリザがそう言うとエーレインも頷く。

 

「陛下と連絡を取り、至急この一帯の避難行動を後押しするよう進言したい。連絡用の通信室をお貸し願えないか!」

 

 貴族の子女達は今まで殺されても文句も言えなかった場の緊張から開放されたと言うのに優雅なまま。

 

 そっと全員に一礼した。

 

 それは命を掛けさせていた事への侘びかもしれなかったし、あるいはただ場を仕切り直すだけの事であったかもしれない。

 

 どちらにしろ。

 

 彼女達がこれからやる事は一つだけ。

 

「さぁ、取り掛かりましょう」

 

「マヲン様達が時間を稼いでいてくださる間に」

 

「研究棟の避難を急がせますわ」

 

「此処からが我々の腕の見せどころ。いいですわね? 皆さん」

 

 子女達は互いに頷き。

 

 其々(それぞれ)の仕事へと急ぎ取り掛かった。

 

 遠い場所で異種達が攻撃姿勢を取り止めて去って行った事を誰も知らない。

 

 滅びの一つを退けたのは間違いなく人間という種の傲慢と生彩。

 

 愛という牙を研いだ者達の功労に違いなかった。

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