第二章五十五節「想合」
人を愛する言葉は時に雲より軽く。
時に百万言よりも重い。
囁き合う唇が真実を語ったかどうか。
誰もが知りたいと願いながら、知らざるを良しとする。
それは愛が何かなんて解らないからだ。
形もない。
味もない。
色もない。
匂もない。
口から紡がれても愛とは何か定かでない。
それでも少年は優しく触れあい少女を愛した。
熱く繋がって高ぶりを示した。
耳元で名前を呼び続けた。
してやりたい事が、伝えたい事が沢山あって。
それでも全ては伝え切れず。
もどかしい程に掻き抱いた。
青白くも柔らかな肌。
華奢な身体。
灰金の髪。
しなやかに反った背筋。
愛らしく揺れる尻。
声にならない声で喘ぎと唾液を零す口。
舌足らずに何度も自分の名を呼んで唇を求める舌。
滑らかに未だ茂みもない丘。
その下を慎ましやかに流れる一本の線(すじ)。
そして、本来排泄の為に使われるはずの薄桃色の穴。
今は少年の大きな幹を根元まで呑み込んで広がる愛し、愛される場所。
どれもが少年のものだ。
どれもが少年だけのものだ。
母乳が出るようになった小さな二つの蕾をコリコリを指先で解し。
刺繍に覆われている扇情的な尻を突き震わせ、鷲掴みにする。
「イフィミスラ……」
魔王の契約に変化した肉体。
内臓の位置や形、数までも変わった少女の奥。
本来腸だけを蹂躙するはずの先端は左右対称となった腸の結節点。
その奥に出来た性器を愛する為だけの器官へと飲み込まれていた。
それは襞で形作られた子宮口にも似ているが、間違いなく子作りの為の場所ではない。
少女が最初に少年に抱かれてから、それなりの時間が経った。
肉体と魂を変質させていく肌の刻印は今も肉体の進化を促し、大きく変化させている。
嘗て、多くの魔王達が自らの使徒に奉仕の為の器官を備えさせたと言うが、その尻奥の其処も同じように主の為備えられた臓器だった。
生物として必然性の無い場所は自分を所有する者へ仕える為のもの。
子孫を残すという根本的な行為を促す為の快楽ではなく。
たった一人の個人に捧げ、弄ばれる為に生まれた悦楽の器官。
それを象徴するように子宮裏に出来た其処はドロドロに蕩け切った熱い蜜を湛えている。
先端を悦ばせる事しか考えられない構造は膣や子宮以上に卑猥かもしれない。
奔る神経は通常の性器回りと比べても四倍以上、襞の一つ一つに浮き出る程に張り巡らされ、強烈な刺激を産み出す十分な能力を備えていた。
「てぃぁぁ♡」
今まで自覚もしなかった尻穴の奥。
自分でも知らなかった場所に少年が入ってくる事を当然のように受け入れて。
尻と腰を密着させたまま、激しく快楽器官に牡そのものを押し込まれる悦びは尋常ではなく。
グヂグヂュズヂュグチュ。
淫靡な音をさせる度に脳裏を焼く閃光が少女の背筋を駆け上っていた。
「んくぅ♡ ひ、ぎぃぃ♡♡ てぃぁあ♡ わりぇのしりあにゃぁ♡ こわりぇてぇぇ♡ おまえのものになってぇぇ♡♡♡」
「うん……」
蕩け切った少女の穴を容赦なく犯して。
食み締め、愛しまれる事の喜びに少年は浸る。
優しく唾液の滴る唇を後ろから奪って。
唾液を求める雛鳥のような舌に舌を絡ませ己の体液を流し込む。
コクコクと鳴る愛らしい喉。
何もかもかなぐり捨てて。
ただ、男と女であろうと、愛し愛され、甘え甘えられようと。
少女は理性の一切を甘く蕩けさせていた。
尻穴の奥。
快楽器官の最奥を抉り抜き。
少年は何度も何度も腰を打ち付けた。
いつもなら擦り切れてしまわぬかと優しくするところだ。
だが、今は少女への配慮は侮辱だと勢いを緩めない。
「ふぐッ、ひぐぅ てぃぁあ♡ あ、ぁ、あ、あぅ、んぐ、んぎ、てぃぁあ♡♡」
半ば達しながら、それでも少年はまだ達していないからと必死に快楽の本流を受け止め我慢する少女の姿は今まで少年が交合してきた中で最も悩ましく健気で、淫らだった。
「可愛いよ。もっと、顔見せて。イフィミスラ」
「やぁ♡」
自分の顔が涙と唾液に塗れて女の浅ましい部分を余すところなく浮かべていると知っていた少女は、それを本能的に拒もうとしたが、それよりも自分を見て欲しいという内心が勝った。
「てぃ、ぁ、ああぁあ!? ひぁああ!? しょんなにぃはげひくぅぅぅ♡♡」
舌をダランと垂らして。
犬のように後ろから突かれて。
緩んだ顔は牝の快楽に緩み切り、もはや高貴さの欠片もない。
けれど、それが自分だと少女は全てを魅せて、口を開いた。
もっと、もっと、少年に唾液を、舌をねだる為に。
「んちゅ、んく」
「ふぁ、んむ♡ んく、ちゅ、ちゅぷ、てぃ、ぁ♡ だいしゅきぃ♡ てぃあ♡」
言葉にしても、言葉にしても。
汲めども尽きぬ想いの丈は少女の奥から溢れていく。
気取らなくいい。
どんなに浅ましくても構わない。
少年が自分の事を見てくれるなら、感じてくれるなら、愛してくれるなら。
少女は全て見せられる気がした。
「すきぃ♡ すきぃ!! てぃあぁぁ♡♡♡」
尻穴の奥。
今も蜜を零す先端を深く深く繋がらせて。
本当は一つの生き物なのだと錯覚する程に己を接触させて。
苦しくて。
嬉しくて。
少女は啼いた。
獣のように鳴いた。
少年に包まれ、愛される事。
少年を包み込み、愛する事。
それは同じ事なのだと知った。
子供を作らない行為だからこそ、少年の想いを少女は感じる。
例え、本能に従わなくても、人は人を愛する事が出来る。
種の保存なんて、高尚な行為ではなくても。
生々しい生き物としてのぶつかり合いが其処にはある。
嘗て生物学者の一部は愛という概念を種を残す為の本能だと言った。
しかし、それだけだろうか。
本当にそれだけでしかないだろうか。
家族を作らない行為に愛はないのか?
行為が心地良いのは子作りだからだろうか?
唯物的に言うならば、子作りの快楽は種を残す為の生殖行動を発達させる進化の適応例だ。
子供を増やす行為の多さが子孫を残すのに有利だから、人は性行為を何よりも心地良く感じる。
そう言われてきた。
だが、そんな理屈を付けずとも、少女は知っている。
今、少年と一体になって、気付いている。
人が人である限り、無駄で余計で瑣末で蛇足な想いにこそ、その素晴らしき、愚かしき、人が生み出した概念にして、人が持ち得る最高の機能こそ、生きるのに必要なものだ。
愛は全てを救えないし、救わないかもしれない。
けれど、それ無くして人の生は輝かない。
何を愛し、何に愛され、何をして生きるのか。
その答えの一つが、他の種を動かす程に熱く己の中に滾るから、人は大陸の盟主足りえた。
性器が無くとも、人は愛を囁く。
行為が無くとも、人は傍らに誰かを求める。
(てぃあ♡ てぃあ♡ てぃあ♡ てぃあ♡ てぃあぁあぁぁ……♡)
強く、弱く、楽しげに、優しげに、奏でるように、包むように、愛するように囁けば。
「イフィミスラ」
自分の名を呼ぶ声が聞こえる。
それにこそ、命を掛ける価値がある。
傷付いても前に進むだけの理由となる。
「ティア」
「イフィミスラ」
少女はそれをこそ望み、希う。
「ッ」
少年の幹が太くなった。
滑る尻穴はもう交じり合う汗と蜜に滑って。
グッと押し込まれた先。
無数の神経を押し潰すように、巨大な塊が管を通り抜ける。
それを精と言っていいのかどうか。
激痛と呼んで差し支えない衝撃。
己の奥から極限まで溜め込まれた熱を少年は襞で埋め尽くされた行き止まりに叩き込んだ。
それは明確に精の暴力だった。
常人なら発狂するか意識を飛ばして心筋を止めるか。
それ程の衝撃。
もし、普通の女なら、裏側から子宮を破裂させていたかもしれない。
骨盤すら歪みそうな精の量は明らかに数リットル近い。
放精と言うには余りにも苛烈な“射撃”は襞を切り裂かんばかりに翻弄し、神経という神経を熱湯に浸したような責めで麻痺させた。
「――――――――」
無痛。
いや、多量な刺激を脳が勝手に制限している状況。
タポタポと腸を逆流した精はミッチリと内部を満たして。
腹を膨れ上がらせていく。
胃の直下まで競り上がる量の精を少女の肉体は余すところ無く受け止めていた。
意識を銀河の彼方に置き去りにしながらも、少女の内部では数兆にも及ぶ精が互いに腸壁を侵食し、プチプチと弾けて決死の快楽を刷り込んでいる。
腸から吸収された精は余すところなく少女の血肉として体内を巡り、一瞬で妊婦となった下腹も少しずつ萎んでいった。
卵巣を起点として体内ホルモンが過剰に分泌され、脳内で麻薬染みた物質も同様に放出、意識を失って忘我の境地に至る少女の性感を数倍、数十倍以上まで高めていく。
「は――――ぁあぁぁあぁあああぁ♡♡♡」
ジョロロロロロ。
失禁も仕方ないだろう。
緩み切った膀胱から黄金色の小水を排泄しながら。
少女は背筋を一気に弛緩させた。
その顔には幸せと呼べるものが溢れている。
少年と繋がったまま、全てを見せてしまった。
端も外聞もない。
牝としての自分を余すところなく捧げた。
その喜びと開放感は言葉にならない。
クッタリと人形のようにふにゃふにゃとなった少女から幹を引き抜いて少年が抱上げた。
今度は丘に座って対面する形。
緩んだ尻穴からトポトポと精が流れ落ちるのも構わず。
小水に塗れる事も厭わず。
少年は自分の上に少女を跨らせた。
そのように扱われる事すら、イフィミスラにとっては特別だった。
素直に欲望をぶつける事すら稀な少年に“求められている”というだけで口元が緩もうというものだ。
「今度はこっちで、ね?」
「ん」
未だ萎えていない肉の槍。
それに串刺しにされるには少女の身体は小さいかもしれない。
それでも気遣いばかりされて交わるより、少し乱暴でも肉欲に身を任せて貫いてくれる方が彼女には震えるくらいの喜びだった。
ク、チュ、ズッ、ルン。
「 」
蕩け切っていた入り口に鈴口が接触した瞬間。
そのエラが自分の中に押し入り、襞を蹂躙した数秒。
奥の子宮口にさっそく蹂躙された刹那。
「~~~~♡」
背筋を仰け反らせて何度目かも解らない絶頂へ少女が昇る。
その無防備になった乳房に少年が赤子のように吸い付けば、目も眩む甘美が身体を震わせた。
「てぃあっ♡ てぃあぁぁあぁぁ!! んゃああぁ♡」
小刻みな突き上げに小さな腹へ浮き上がる幹の形。
薄い皮下の下。
しっかりと打ち込まれた槍は抜ける様子も無かった。
まるで最初から入る形が決まっていたかのような具合の良さ。
正に魔王の従者。
いや、牝として少女は出来上がっている。
何人もの少女達を抱いてきたはずの、疲弊し終わりが近付いているはずの、そんな少年の肉体に奥底から沸き上がってくるのは征服欲。
いや、それよりも渇望に近いものだった。
いつも、心の奥底では遠慮していた。
自分を貫くならば、最後には誰もを置いていかざるを得ない。
そう諦めていた。
けれど、そんなにも全身で求められて。
永劫の果てから先ですら一つでいようなんて。
(誰も変わらずにはいられない。永遠を生きても出会わないはずの人に僕は出会った……)
嬉しいのだ。
心の底から。
怖いのだ。
その約束さえ変わってしまうのが。
何かを得るという事は何かを失うという事。
ずっと、ずっとずっと、失い続けてきた少年だからこそ、痛い程に解る。
愛は永遠ではない。
恋はやがて醒めるもの。
こんなにも愛しくて、愛おしくて、苦しいくらいに胸が高鳴る少女。
その瞳から意気が熱が失われて。
自分を倒すべきものとして見つめる日が来るかもしれない。
沢山の罵声を浴びせられるかもしれない。
そんなわけない。
そんな風になるはずがない。
昔だって、そう思っていた。
クラル・リテル。
少年を人間に変えてくれた少女はよく頭を撫でてくれた。
ずっと友達だと笑みを浮かべて、傍にいてくれた。
ユアン・クオ。
少年に剣と守るべきものを教えてくれた少女は常に優しかった。
木の枝で打ち据えて厳しい言葉を投げ掛ける時でさえ、本当の師として慈しんでくれた。
ソィラ・ミクラ。
少年が初めて強いと思った少女は強かだった。
夢を語り、現実を語り、理想を語り、それでも世の何ものにも負けじと諦めぬ事を教えてくれた。
フルー・バレッサ。
少年へ大切な贈り物をくれた少女は温かかった。
寒い時、寂しい時、辛い時、苦しい時、彼女から貰った品の温もりが全てを癒してくれた。
ハティア・ウェスティアリア。
少年と共に歩いてくれた少女は美しかった。
その生き方が、その考え方が、誰にも幸せを運ぶと信じるに足りた。
世の人々の心を満たすもので溢れていた。
きっと、初恋だった。
「ちゅ―――」
混沌と入り混じっていく。
過去も今も未来でさえ。
目の前にいる少女の瞳。
全てを赦す瞳。
それに映るのは真に少年であっただろうか。
シンア・ザ・クリティカルアンラッカーなんて。
本当は出会ってきた仲間達や人々が見た幻想ではないか。
ただの鏡に映った虚像。
本当は何処にもいない。
入り混じったモザイクの欠片が一個の個人に見えただけ。
そうでないとどうして言える。
自分ですら、もう自分が何か分からなくなっているのに……。
そんな思考が止め処なく少年を苛む。
「―――お前はティアだ。我の前にいる―――」
「………」
何もかもを見通して。
快楽に染まった頬で。
微笑みを浮かべながら。
優しく、頭を、抱き締めて。
少女は言う。
「今、お前を感じる。お前の鼓動を、熱を、身体を、心を、全てを……」
いつの間にか動きも止まって。
「イフィミスラ……」
「お前は他者を写す鏡。しかしな、鏡とて他者の目に映るのだぞ?」
「え……」
「此処にいるのは魔王かもしれぬし、鏡かもしれぬ。だが、それは我も同じ。姫かもしれぬし、王家の道具かもしれぬ。お前を見る者がお前を決める。お前が他者を映すように他者もお前を映す。だが、お前自身は何も変わらない。その見る者に何かを言われて、変わる事を受け入れなければ、な」
少年は変わらない。
魔王としての全ての責務を果たすまで。
でも、少年は変わるかもしれない。
愛する者を得て、もう一度大切なものを信じ、全てに打克つならば。
「我は変わったぞ。お前が我を姫でもなく贄でもなく、ただのイフィミスラにしてくれたから」
「僕は……魔王を棄てられない……」
「いいではないか。我はお前の魔王としての顔も好きだ。凛々しくて優しくて温かくて大きくて、誰よりも傲慢で、誰よりも理不尽で、全部を背負おうと賢明に前を向いている姿が、好きだ」
額に口付けが降る。
「何度だって言ってやる。怖くなったら聞いてくれ。でも、一つだけ」
「一つだけ?」
「我の思いが翳ろうとしたら、お前が照らして欲しい。お前の愛で、お前の言葉で、きっとそうすれば、いつまでもいつまでも我はお前を思い続けられる。ふふ、少し頼りないかもしれないが、お前を愛する者からの注文だ」
(―――あぁ、そうか……僕は……ずっと、こんな気持ちを諦めて……)
自分で仲間達を照らさなかった。
ずっと、誰かにそれを押し付けてきた。
魔王としては戦って戦って何もかもを守ってきた気でいた。
けれど、少年として仲間達を照らしただろうか?
幸せを願っても、その役を誰かに押し付けて、満足してはいなかったか?
答えは言わずと知れている。
「……こんな単純な事にずっと……気付かなかった……魔王じゃなくて、自分の手で、僕の手で、シンアのまま、みんなを幸せにしなきゃいけなかったのに……僕は……」
顔を上げさせて。
今にも歪み崩れそうな唇を奪って。
少女は絡ませた舌で糸を引かせた。
「ティア。お前はまだそのままでいい。でも、いつかはお前も変わる日が来る。我がそうだったように、きっと……」
「うん……」
泣けもしないで。
今度は少年から口付けが為される。
「ん、ちゅ、ぷぁ……繋がったままなのに、こんなにも安らかな気持ちになる……お前の気持ちを、精を、我の中に満たしてくれ……これからお前が戻るまで忘れぬように……また、こんな風に話せるまで寂しくないように……」
「大好きだよ。イフィミスラ……」
「知っているとも!」
ズジュ。
乾く事なく。
粘着いたままの交わりの中心が再び加熱し始める。
それからの二人の交合(まぐわい)は息がピッタリと合っていた。
少年が腰を跳ね上げれば、少女は腰を打ち下ろして。
離れるのも深く繋がるのも同時。
舌と舌で糸を引かせながら、微笑んで、高ぶって、溶け合って、交じり合う。
子犬がじゃれているような、微笑ましさすら伴って。
少女と少年は共同作業をした。
子作り。
それもあるだろう。
想いの再確認。
それも勿論含まれる。
しかし、その行為は、確かに“愛”だった。
「ティア! ティア! 好き♡ 好き♡ 大好きなのだ!! 我に注いで!! 満たして!! 子作り、して欲しいのだ♡」
形はある。
味もある。
色だって。
匂いすら。
此処にはある。
少年と少女の間にはある。
口から紡がれている。
鼓動に混じっている。
共に絡め合う蜜に。
微笑み合う視線に。
繋がった、その心に、在る。
「出す、よ……イフィミスラ……僕の子を……産んで……君を僕だけで……満たして……ずっと……ずっと……」
「ん、約束だ……いつかお前の子を産んで……お前と家族をきっと……」
「ッッ―――」
「ふぁ、んぁあああああああああああああああああああ♡♡♡」
吐き出された精は尻穴に注がれたより少なかった。
しかし、十分に胎を満たし、少女を孕ませるに足る息吹を吹き込んでいく。
汗と蜜に濡れ合って。
まるでただの男女。
何処にでもいる恋人。
そのような普通の子作りがようやく終わった。
精も根も尽き果てるような激しさはないかもしれない。
それでも満たされたものの大きさは計り知れない。
それは有史以来、多くの男女が満たしてきたもの。
どうしようもなく埋まらない心の溝。
二つの違うものの間が埋まった時、人はそれを愛、そう呼ぶのかもしれない。
―――それから僅か過ぎて………少女は一人屋根の上で呟いていた……傍らの身体に縋るようにして……。
なぁ、ティア。
我は三文小説の類は好きではないのだ。
文字を読めるようになってから、我は沢山の本を読んだ。
しかし、今言った本にはな。
現実味の欠片も無かった。
可哀想なお姫様を王子様が助けに来てくれるとか。
強大な魔王をたった一人の勇者が倒して最後には囚われの姫を救うとか。
無理そうな話ばかり書いてあったのだ。
甘い愛の言葉を囁いて姫が結婚を承諾する場面なんて笑うしかなかった。
だって、我は知っていた。
姫が嫁ぐのは恋した若く気高い王子でなくて。
薄汚い政略を駆使する汚職や傲慢に塗れた年上ばかり。
唇を奪われ、泣いて暮らすのが関の山。
見知らぬ男の子供を産んで。
偽りの笑顔で愛せもしない家に嫁ぐ。
それが現実なのだと。
―――でも、今なら、解る。
市井の者達は美しいものが見たかったのだな。
それは虚構の美談かもしれない。
それでも誰もがこうあって欲しいと望んだ。
辛い現実。
苦しい生活。
楽にならない痛み。
全て抱えて生きていく。
だからこそ、物語はああも嘘で塗れていた。
優しくて温かい虚しさで満たされていた。
……今、我は心底に恥しい。
こんなにも胸を貫くもの。
母上が死んでから、無かった事にしていたもの。
人々が紛らわせたかったもの。
これの名前をようやく思い出したのだ。
お前を失って、ようやく……この誰もが忘れたいと願う決して逃れられない気持ちを受け入れられた……。
「これがっ……お前の我慢していたもの、なのだな………」
頬が熱くて。
喉が焼けて。
胸が潰れてしまいそうで。
何かに縋り付きたくなって。
誰かに助けてと叫びたくなって。
あんなにも説教染みた事を言った癖に。
少女は自分の奥から溢れるものを止め切れなくなる。
「お前がっ、う……っ……救い続けてきたもの、なのだな……っ……」
視界も滲んで見えないのに。
一歩だってもう動きたくないのに。
「それでもお前はッ……っく……っふ、ぅ……うぁ、っく……お前はッッ!!?」
それでも手を伸ばした。
決して見捨てなかった。
どんなに傷付いても諦めなかった。
「ぅ、ぅう…うっ、ぐ…ぅ…ぁ…っ……ずっと、戦い続けたっ、のだな……」
こんなにも細い身体で。
こんなにも軽い腕で。
こんなにも薄い胸で。
「頑張ったっ……っっ……偉いぞ……我が、褒めてやる……世界中の誰が貶しても、我だけはお前が優しくて凄い奴だと認めてやる!! だから、だからッ!!!」
痛みも苦しみも全て受け止めてくれていた。
誰もが諦めるはずの宿世(さだめ)から守ってくれていた。
魔王として、少年として、罵られながら。
「今度はッッ!!! 今度は我が守るッッ!!! お前がしてくれたように!!! お前がずっとそうしてきたように!!! どんな嵐が来てもッ、どんな苦難が身を裂いてもッ、我がッ、我らがッッッ!!!!!」
閉じられた瞼。
いつも撫でてくれていた手。
抱き締めた身体に誓う。
寂しいなんて言えない。
苦しいなんて言えない。
きっと、それは少年がいつだって抱えてきた痛みのはずだから。
受け止められるのは、同じものを知っている者だけのはずから。
「―――お前を救ってみせるッッッッ!!!!!!!」
“待ってるよ。イフィミスラ”
ぅぁ、ぁあ゛……ぁあああああああああ、うぁあああああああああああああああああああああッ!!! ぁ゛あああああああああああああああああああああああああああああッッ、あ゛ああああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ああああああああ゛あああああああッッ、あああああああああ―――。
その日、少女は慟哭した。
仲間達が同じように顔を歪めてやって来るまでずっとずっと。
涙が輝きに満たされるまではと。
「……………」
朝日が昇った頃。
物語は始まる。
それは国に棄てられた姫の物語。
それは魔王に恋した乙女の物語。
あるいは―――。
「頼む」
一人の少年と約束した少女の、幼くて、儚い、ただの小さな恋物語。
「我と共に戦い、あの笑みを取り戻して欲しい」
答えは手として差し出され一つに重なった。
『創造主の選びし方々。時間です』
涙拭わぬ女達の上に声が降り注ぐ。
『【地平機構(システム・ホライゾン)】完全修復完了』
『機構下部三千機、起動』
『【因痕(キカトリクス)】収束率、制御正常。管理者権限開放』
『浮遊大陸ハルトゥムの航路指定をどうぞ』
虚空に在るは魔王が遺した十三機の人型。
朧な紫影を落す者達。
七教会の付けたコードは【紫影の従者】。
それは大戦においてあらゆる神を世界の外に放逐した【源型(アーキタイプ・モールド)】の一つ。
高格外套【最従者(ディアコノス)】その並列稼働機械群。
十一人の女達の代表として灰金の少女は“彼女達”に告げる。
「目標地点。藩落。まずはアーズトリテの事態を収拾する」
『座標固定。移動開始』
「往くぞ。皆の者……」
大陸の裏側。
全てを包み込む蒼き大海洋。
其処に浮かぶ小さな大陸がゆっくりと動き出した。
果ての無い航路の先。
きっと往く手に望む答えがあると、苦難と慟哭すら歩む糧に変わると、そう信じる女達を乗せて。
一人の少年の身体と共に。
Following the five years after.