番外編「花咲く前の静けさの中で」
大陸における戦争の常識が変わったのは数十年前。
聖女有する教会が本格的に国家間紛争の対策に乗り出した頃だ。
それまで大陸全土における戦には二つの常識があった。
一つは数の論理。
物量の絶対が大きく勝敗を左右するという最もな話である。
一つは超越者の論理。
人間の中にあって、人間を越える者、つまりは超常の力や魔術を持つ者達の質が勝敗の鍵を握るという話である。
魔術師や超常の力を持つ者が排斥された国では他国からの侵略に対して、物量の強化において対抗する事が急務とされた。
逆に人間を越える存在を有する国の戦略は常に個人の力量を底上げして戦術上の勝利を蓄積する事が大前提であり、ある種統率は二の次になる事が多かった。
どちらも共に信仰した国は力の強い個を統率し、少数精鋭ながらも連携の取れた部隊を多数保有し、よく大国の侵略に対して勝利を収めていた。
そんな国々が教会の介入を受けた当初、鼻で笑ったのはそれまでの常識から照らし合わせても正しかったはずだ。
大陸全土に影響力を持つ組織であろうとも。
基本的に独自の領地は微々たるもの。
信者から金を集めて軍隊を作ったとて、一体どれ程の力があるのか。
教義に反する者を討伐する為に大陸有数の魔術師や超常の力を持つ個人が投入される事はあったが、それにしても国が保有する数万から数十万以上の戦力には太刀打ち出来ない。
せいぜいが小国同士の小競り合いを治めるので精一杯だろう、という訳である。
しかし、その薄ら笑いは介入から短時間で歪む事となる。
始まりは聖女の絶大な威力を目にした事だ。
単一個人で大国の軍隊を壊滅寸前。
いや、優しく諭すように行動不能にして微笑む女達が、まずは常識の内に当て嵌まらなかった。
それにしても七人。
同時に七つの戦場を治められるだけの話。
幾ら超絶の超人が止めようと、大陸全土で頻発する争いを止められるはずもない、という常識が崩れたのは介入から数年後の事だ。
七教会が独自に編制した治安維持機構部隊。
俗に【騎師】と呼ばれた男達が作る少数精鋭の介入部隊が多くの戦場へと投入された。
数十万対数十万。
莫大な兵達が殺し合う只中にやってきて、聖女でもない人間が数十人で戦を止められるものか。
そう最初こそ誰もが思っていた。
しかし、彼らが使用する全身鎧【高格外套(ソーマ・パクシルム・ベルーター)】によって全ての常識は一変した。
対魔王汎用兵装。
その看板に偽りはなく。
万単位の兵に対して数十人の鎧達が拮抗するどころか競り勝った。
明らかに人間相手には大き過ぎる攻撃力や制圧力も脅威ではあったが、何より彼らが畏れられたのは兵站というものを持たず、あらゆる補給無しで数百時間以上の高速連続戦闘が可能だった点だ。
疲れを知らないのか。
不死者でも使っているのか。
そう思うのが自然の流れだろう。
従来、兵の疲労を考慮しない戦闘は一方的な電撃戦や相手の軍に一撃で深刻な深手を負わせる作戦の時ぐらいのものである。
それが如何なる戦場でも七教会の部隊は全力全開。
それも超長時間ぶっ通しで兵を削っていくというのだから、如何に常識外れである事か。
七教会の部隊に対して攻め方が殆ど無いという事実も戦に携わる者達からすれば、埒外(らちがい)の連続であった。
補給が無ければ、兵站を叩く事が出来ず。
食事も排泄もしない無窮連戦可能な兵相手には電撃作戦や焦土作戦のような軍事行動は意味が無い。
自分も疲れたから敵も疲れたはずだ、という人間心理が通じない相手。
それが如何に恐ろしいものであるか。
彼らは嫌という程に思い知らされた。
昼夜関係無い猛攻。
手傷一つを負わせるのに損耗は数千人。
これではどんな存在が相手だろうと疲れるのは道理である。
生身の存在が最善手を打ち続けるのには限界がある。
だから、七教会の部隊が介入してきた時点で軍を率いる者達が取れる行動は二択となっていった。
撤退するか。
戦い続けるか。
前者を選んだ者は莫大な戦費から軍を瓦解させた。
後者を選んだ者は直接的な打撃によって指揮系統を完全に壊滅させられた。
日進月歩である軍事技術。
その大陸の平均から数十年から数百年先を直走る七教会の介入部隊。
それを誰も止められなかったのは、彼らの使う武装を生み出す七聖女フルー・バレッサが技術という一点のみで有史以来、たぶん後にも先にも一人切りの“天災”だったからだろう。
これらの戦場での劇的な変化は影響力を拡大する教会にとって【近代化(レボリュション)】を進める恰好の材料となった。
その成果の一つが諸国に特許制度を浸透させた事であるのは間違いない。
あらゆる技術の譲渡は民を潤す福祉政策の一環でありながら、同時に特許の枷を嵌める罠でもあった。
やがて広義での防衛力格差を是正するという意図で公開された軍事技術にどんな国家も依存するしかなくなっていったのだ。
最終的に兵器開発は膨大な特許料と誓約の上に成り立つようになった。
教会は軍事技術の進展速度の制御を行う立場まで上り詰めたのである。
これでは教会の軍事技術を越えられるはずもない。
流されるままに介入を受け、多くの国々は実質的に七教会の影響下へと下っていった。
数十年に及ぶ紛争介入は紛争自体の激減を確かに実現した。
しかし、その内実を知る軍事関係者達からすれば、彼ら七教会は悪魔にも等しい存在だ。
それは戦争をご破算にされたから、というだけではない。
教会が布教する正義や教義や道徳のような思想の問題でもない。
純粋にどれだけの犠牲を教会が払ったかと言う道義的な問題である。
紛争介入に際し。
直接戦闘で死亡した教会の兵は数十年の間に総数で三十五人。
どれも聖女級にも近い超越者達との戦闘で亡くなったのみだ。
大陸数千万の兵隊を蹴散らし、死傷者のみならず、軍事分野で莫大な被害を被った国々からすれば馬鹿馬鹿しい数字である。
それにしても、人が与えた損害ではない。
神、魔族、亜人、異種、人外。
人と契約したと恐ろしい力の化身。
様々な要因から人の社会に組み込まれた超越者達が相手だったのだ。
人相手には殆ど無敵であった教会の部隊にも限界はあった。
だが、それでも兵を殺害した全ての存在が最後には討ち果たされたところに、騎師達の理不尽さが解ろうというものだ。
こうして大陸の常識は刷新された。
戦争において七教会が介入した時、全ては終わる。
絶対に勝てない。
だから、戦争の内実は二つの戦いに絞られていった。
教会介入前に全てを決する電撃戦。
極秘裏に相手国内で全てを決する諜報戦。
この二つである。
今までの軍事における常識が変質した結果。
戦争という概念はより先鋭化するに到った。
速度重視で敵中枢を一気に制圧、または破壊する高速の軍事行動。
伝令や事前情報の収集解析が主だった情報部局の拡大と諜報部隊の武装特化。
つまり、厄介事が来る前に全てを叩き潰す速度と質を持った軍隊と敵国内部で速やかに政権中枢を暗殺、篭絡、麻痺、打撃する武装諜報戦力の登場である。
しかし、これらが大きな役割を果たすようになっても、未だ古臭い戦争というものは無くならない。
それは“餌”として戦争が演出されるようになったからだ。
局地的な紛争で教会の視線を引き付けておいて一気に敵主力を打撃する電撃戦術は今や大陸の軍事関係者にとっては常識の範疇とされる。
これ程に戦いが遣り難くなっても争わずにはいられないのが人の業である。
それを呆れた視線で見るのは人外ばかり。
あの手この手で争いは未だ続けられている。
そんな新しい戦によって滅び、複数の国が所有権を主張した結果。
教会の準紛争危険地帯として所有者不在のまま放置された地域は大陸に複数存在する。
周辺国の利害整理に後数年は掛かるとして容易には如何なる国も手出し出来ない土地。
西部の一角にもそんな場所がある。
【ガウス国境街】
複数の国と国境を隣接させる元小国の貿易中継地。
其処で“とある二人組み”が話題になったのは数日前の話だ。
街娼がケバイ化粧で出歩く路地裏。
仄暗い道端に出された水煙草の煙が揺ら揺らと昇っていく道の奥。
嘗て。
街を取り仕切っていた組織の男達が昼の日中から地べたに這い蹲っていた。
いや、どちらかと言えば、頭を下げさせられていた、というのが正しいかもしれない。
噂の、話題の、恐ろしい、まるで化け物みたいな。
そんな要らぬ修飾が付きまくった“二人組み”が憎しみの視線を向ける男達の背中を歩いている。
上等そうな生地で出来た中央諸国式の礼服(スーツ)。
その上を、である。
『~~~ッッッッ?!!!!!』
屈辱。
憤怒。
悲哀。
三拍子揃った背中達は鍵盤にも似て。
踏み締める彼女達に敗北した負け犬の烙印たる足跡を刻まれた。
『ひ、ひひひひ、すげぇ?!!』
『ま、まじかよぉ!?』
『うぁ、こりゃたまんねぇな!?』
『あ~ら、すごい事になっるわねぇ』
街を取り仕切っていた組織の幹部達。
今まで街の人間を虫けらのように扱って、空き放題やってきた極悪人達。
それが今や背中を玄関の足拭き代わりにされている。
これ程に爽快な事はない。
数百人にも昇る見物人が路地裏の最奥。
男達が取り仕切っていた館の庭で「ざまぁねぇぜ」とせせら嗤う声がすれば、彼らにしても自分達の凋落が十分に解ろうというものだ。
もうガウスの街には彼らを敬う者も畏れる者もいない。
新たなる支配者が引っくり返る事すら、彼ら見物人達の頭の中にはない。
それというのも全て二人が醸し出す力の気配に起因している。
「まずは此処から始めます」
短く纏められた赤髪。
引き締まった顔付き。
そして、一度見たら忘れられないだろう蒼き瞳。
二人組みの片方。
まだ十代にしか見えない少女。
ルヒ・サヤトネ。
男達を薙ぎ倒したとは思えない程に小柄な少女は今の相棒たる女に宣言した。
「所違えば、ってやつか」
背中を踏んだ男達の事なんて目の端にも止まらせず。
赫い腰元まである髪を翻して。
猛獣を思わせる切れ長の瞳が立派な館を見上げる。
鍛えられた肉体美と顔付きから【褐色狐(フォックス)】の異名を取った二十代前半の女傑。
キリア・ユエト・セマネだった。
その感慨の言葉が何処から来ているものか。
サヤトネは此処一ヶ月以上の付き合いで得た情報から幾らかは理解していた。
「城砦に比べれば防御力は劣りますが、周辺にある地下組織相手には十分です」
「…大丈夫か?」
「何が、ですか?」
キリアの声が聊かいつもと違う理由。
それは先日、自分が取り乱したからだとの自覚から、至って平静にサヤトネが答えた。
「この間は今にも全部投げ出して何処かに行きたいって顔してたのに、こんなところでチンピラを相手に油を売ってていいのかと聞いてる」
「それを貴女が言いますか?」
「今は私があんたの相棒だからね」
「だからこそ、もう貴女に倍以上期待を掛けるしかなくなりました」
「どういう事か、って聞いても答えてはくれなさそうだ」
「その通りです。ギブアンドテイク。私は貴女に力を提供する」
「そして、私はあんたの力を借りて組織を創る」
「その上で我々の利害が一致する限りは互いの為に力を尽す」
「解ってる。それが契約だ」
二人がようやく歩き終えた長い階段の上。
館の扉の前で庭を振り返る。
静まり返った聴衆が二人の声を待っていた。
新たなる支配者。
組織の男達を一人も殺さずに屈服させた挙句、足蹴にした期待の女達。
こんなにも胸の好くような光景。
それを見せる為にわざわざ街中の人間を呼び集めた二人。
彼女達が一体何を語り、何を為すのか。
興味の無い人間が今のガウスにいるはずもなかった。
「我らは革命闘士【蒼き幸甚】」
キリアがよく響く声で聴衆達に事前打ち合わせ通りの口上を述べる。
元々が北東部の組織で幹部を張っていた身の上である。
その組織で培ったカリスマと美しき相貌を前にして嗤う者は誰一人いなかった。
「今日より、このガウスは我々が頂いた」
どよめき。
それは二人の女が革命闘士と名乗ったからだ。
大陸西部でも七教会に叛旗を翻す反社会集団として革命闘士は波に乗る存在ではある。
しかし、彼らの大半は七教会のお利口な統治に馴染めなかった馬鹿の集り、というのが大方の見方である。
近頃は革命闘士組織が主催した会場で大量失踪事件が起きたばかりであり、民間運動の形を取った連中の殆どは息を潜めている。
反七教会の機運を主導する元王族や貴族、皇族達、更に魔術結社等が後援(スポンサー)に付いているとはいえ、こうも堂々と七教会の非干渉地帯で大騒動を起こす事は、その筋の話を知る人間からすれば考え難い事だった。
「我らは実質、この土地を仕切っていた塵を排除した。文句のある奴、この塵達に付き従う奴、我らの行動に対し逆らう者。全て不要だ。三日の猶予を与える。我らの下に付けぬ者は出て行くがいい」
ざわつく聴衆達から反感の声が上がらないのは一重に今も背中に足跡を付ける男達が横暴だったからだ。
どんな非合法組織だろうと長年活動を続ければ、それなりの支持者が出るものだが、国家権力不在を機に渡来した荒くれ達が成り上がる為に生み出した組織は街の住人達からすれば、寄生虫にも等しかった。
「四日後、此処で街の全ての人間に対して登記をしてもらう。年齢、職業、性別、こちらが設けた問題には全て答えてもらう。その後、我らの下に付き働こうという者を募集する。這い上がろうという者は全て受け入れる準備がある。働きと我らが規律を重んじるならば、人種、種族、年齢、性別、全て不問とする」
これに反応したのは主に若者達だ。
組織に入れば、美味いものが食える。
それが彼らの常識であり、門戸が広く開かれるというならば、それは機会だ。
今までは諦めていた成り上がりたいとの欲求を若い世代が抑えられるはずもないのだろう。
「まず一つ伝えておこう。今後、我らに“しのぎ”を献上する必要はない。街の如何なる場所からも税の如きものを取り立てる事はないと言っておく」
商業で生計を立てる者達がキリアの宣言に目を丸くした。
通常の地下組織には在り得ないような破格の好条件。
一体、後から何を要求されるのかと驚くのも無理はないだろう。
「だが、それはあくまで金の話だ。こちらの指示に従わない者が出た場合は容赦なく排除する」
聴衆のざわめきが困惑に変わる。
それもそうだろう。
しのぎ、つまりは集金が無いという時点で新たな組織をどう回していくのかという話になる。
暴力と金が支配する街にとって、それはあまりにも異質な思考だった。
「此処で第一の指示を伝える。今後、この街において風俗業は全て我々の管轄下に置く。仕事をする者は全て許可制。我々が認めない限り、仕事をした者はそれ相応の処罰がある。つまり、街娼、娼館、それに順ずる風俗は個人も含め全て対象だ。もし、許可が下りずに食べていけないという者がいれば、名乗り出ろ。こちらには養うだけの用意がある」
ざわめくのは何も女達だけではない。
男娼として街角に立つ男達もそれなりにいる。
自分達がこれからどうなるのか不安そうな顔で彼らはひそひそと囁き合った。
「続いて第二の指示を伝える。今後、街にある全ての賭博上は廃止、一切を禁じる。現在、存在する賭場の資金と設備はこちらで数日以内に接収するものと心得ろ」
今日一番のどよめきだった。
その宣告に慌てて幾人かの者達が路地裏を駆けていく。
「これで最後の指示とする。武器、弾薬、魔術、医療に関わる全業種は我らの下で活動して貰う。医者、薬師、鍛冶、錬金術師、魔術師、これらの職種、それに類似する業種の者は三日以内に出て行くか、全ての荷物を持って館に来い。これからはこの場で全ての仕事をしてもらう。我らの指示に従えない者は廃業せよ。例外として医者のみ、体制が整うまでは元の住居に住まう許可を出す。以上の事は全て配布する紙に書いてある。文字が読めない者は読める者に聞け」
キリアが全てを伝え終わると指を弾く。
すると、小汚い格好の浮浪児達が館の裏手から出てきて紙をばら撒き始めた。
文字が読めない者も紙を持って、キリアの宣言と指示を反芻するように考え込んでいる。
「さて、当面の活動資金を集めるとしよう」
キリアが館の前で未だに倒れ臥している男達の前までやってくると大声を張り上げた。
「服を脱げ。下着一枚は赦してやる。この街で命を取られる前に消え失せろ。負け犬!!!」
ビクッと反応した男達が慌てた様子で立ち上がり、キリアの指示に従った。
その様子はもはや喜劇だ。
体格で圧倒的に勝っている男達が大柄とはいえ。
女の指示に従っているのだから。
周囲からは嗤いと嘲笑が飛んだのも致し方ない。
服を脱いで駆け出した男達の背中を見送って。
キリアが聴衆を睥睨した。
「おい。服屋と商人はいるか?」
最初こそ沈黙していたものの、少ししてオズオズと数人の男達が愛想笑いで進み出た。
「多少汚れているが、言い値で売ろう」
戦利品をさっそく売り捌くキリアの声に商人達もまた「この方なら大丈夫そうだ」とすぐさま玄人の顔になった。
「……」
その様子に任せてもいいだろうとサヤトネが館の中へと入っていく。
わざわざ一ヶ月近くの時を掛けて練りに練った作戦。
一個人では手に入れられない影響力を手にして。
それでもまだまだ七教会に対しては何をするにも足りないと。
そう痛感しながら。
「……」
玄関を抜けて階段を上がった最上階の端。
鐘が下がる小塔を昇った先。
吹き曝しの最上階に出れば、よく空と街が一望出来た。
「(シンア。すみません)」
もう自分の主がどうなっているのか。
サヤトネは知っている。
知っているからこそ。
彼女と共に歩む事が主を救い出す一助になると確信していた。
「(必ず助け出します。それまでしばしの辛抱を強いる私をどうか赦してください)」
キリアに見た可能性。
そして、主を救い出す為の算段。
どちらも脳裏に巡らせて。
少女は未だ朧な昼の月を見上げる。
その先にいるだろう敵と主を焼き付けるようにして。
やがて来る戦いの火蓋を切る為の力は彼女の眼下。
小さな街の小さな館から芽吹き出す。
【蒼き幸甚】
その名が売れ出すのは数年後。
複数の諜報機関が気付いた時にはもう全てが遅く
大陸西部の地下組織大小合せて約二万六千。
その五分の一を影響下に置く新興組織はやがて複数の国家にまでも影響力を持つようになっていった。
*
―――新教会暦0013年春、某月某日。
「【千武金剛突(ミリア・ハスタ)】」
槍の穂先が無数の残像にも見えて迫った。
霧に包まれた黄昏の最中。
巨大な橋の中央。
一場(いちじょう)の間合いを詰めたのは銀金(ミスリル)の輝き。
それも錬金の秘奥によって収斂された凝集体。
その表層に刻まれているのは五大虚空蔵(ごだいこくうぞう)。
要は徳と智の教えだ。
東方の金剛。
南方の宝光。
西方の蓮華。
北方の無垢。
中央の解脱。
これら全ては万物の真理。
神々の記憶。
人を高みへと誘う文言だ。
円錐の四方。
そして、頂点の鋭利に描き込まれた法術と方陣と意匠。
それは一種曼荼羅にも見える。
今や読む事も書く事も殆ど不可能と言われる言語。
それらが十字を描く。
不の属性を持つ者ならば、自らの存在を保存する媒質、この場合は魔力だとか、幾つかの物理量(エネルギー)、自己を構成する波動を、対となる正の属性に捕えられて貫き通される。
時代によっては破邪の槍。
国によっては神槍。
使う者によっては【源型(アーキタイプ・モールド)】と呼ばれるソレは正しく。
心技体全てを駆使すれば神々と五分の戦すら可能な超兵器。
向けられた対象が見る無数の穂先は引いて押してを繰り返す事で得られる残像ではなく。
現実に突き出された槍が幾重にも真理を纏う事で得られる事象の顕現だった。
光を分離させた虹のようなものと言って差し支えない。
実体は一つだが、複数の真理を纏う槍は如何なる不正をも貫く。
通常の物理法則を無視する術を矯正し、偏った物理量(エネルギー)を一定空間に正常な値で配置し直し、諸々の“不自然な事象”を均一化する槍は世界の恒常性そのものと言える。
これを前にしては如何な超越者も人の域まで能力が落ちる。
他者よりもより多く持つ。
それで成り立っている能力は偏在と見なされる為だ。
特殊な力であればある程に集中させて使う事に意義がある。
しかし、その槍を一撃でも貰えば、たちまちの内に法則も原理も元素も物理量も全てが閾値を超えなくなる。
魔族や神々の一部。
彼らは魔王や厄神を討ち果たした事もあるソレを時折こう呼んだ。
【過剋槍(ヴィクトリア)】
過ぎたるを剋(こく)する槍、と。
「禁!!!」
鋼の棹を繰る手は皺枯れている。
凡そ速さとは無縁の肉体能力。
超越者達にしてみれば、止まっているかの如き遅々とした動き。
だが、優美と佳麗を極める槍捌きと突き通す姿。
それは胸心(むねこころ)を撃つ衝撃と共にやってくる。
【千武金剛突(ミリア・ハスタ)】
東方の金剛の文言を用いた一撃は右側の方陣を輝かせ。
確かに相手を千度貫き通した。
集積された力は解き放たれ、相手を貶める呪いにも似て、活動不全へと陥らせていく。
かと、思われた。
「んぬ!?」
即行の跳躍。
一瞬の判断が生死を分け。
しかし、分けてすら、槍の主たる老人は重症を負った。
左腕(さわん)は穿孔する何かの運動量に押し負けてもぎ取られ、右腕(うわん)は根元から何らかの力によって切断され、ギリギリ首を左に横に倒した刹那、左耳は半ばから丸く抉られていた。
数瞬後には失血死かと思われた老人は傷だらけの騎士甲冑内部に仕込まれていた止血用の魔術方陣を起動し、同時に反撃の唯一の手立てである宙を回転する槍を大口を開けて噛み掴んだ。
そこまでが約一秒の話。
槍を向けた“敵”の理不尽さに脳裏で冷静な評価を下しつつ、戦闘限界時間が残り二分以内である事を予測して、二枚目な細い片眉がピクリと上がる。
さて、此処からどうやって立て直すか。
己の死すら計算に入れつつ、昔なら優男で通っただろう老人班の浮き出た顔が目を細める。
しかし、そんな思考を許す程に悠長な相手でも無かったか。
何かが老人の顔面に迫った。
首を横に降る勢いで槍の穂先が“ソレ”を迎撃し、断ち割る歯応えを伝える。
まだ入れ歯一つ無い口の端から血がダラダラと喉元へ落ちていく。
後振れて二回。
その二回で何をするべきか。
相手に突撃する。
攻撃を防御する。
それとも口から槍を落して回避。
そのどれもが現実的には次の刹那に即死であると老人は経験則から悟っていた。
故に放つのは一撃のみ。
それも相手の虚を突くと決める。
口が動けば語りの一つも入れただろうが、肉体の状況は感傷を優先させず。
少し不満そうな老人はこんな時だと言うのに名乗りの一つも上げておけば良かったと軽い後悔に無い肩を竦め、槍を地面に突き立てた。
南方の宝光。
穂先の下に描かれた方陣が光を放つ。
【技撃宝光閃(アークス・ゾナ)】
先程が轟なる一撃ならば、現在の攻撃は妙なる一撃だ。
本来は槍の先端で世界に光の帯を描き。
その線の結節を持って三次元の結界と為す攻撃方法である。
結界内部は槍が生み出した領域である為、様々な力に限定を受ける。
閃光にも近い速度で放たれる帯を回避出来たとしても、内部から逃れる事が出来なければ、力と能力に多大な制限を受けて、物質的な質量を持たない相手であれば、そのまま崩壊させる事すら出来るのだ。
それをどうして地面に向けたのか。
光の帯は一瞬にして橋を一線して断ち割り、そのまま自重で崩落させた。
相手への防御。
そして、下方への回避。
続いて敵の攻撃方法が帯より後ろで観察出来れば、結節していなくとも弱体化するかどうかが見極められる。
一石三鳥。
更に言えば、相手が追って来るか否かで場所に縛られているかどうかまで分かるというのだから、中々にして妙手と老人は落下しながら自画自賛する。
橋の下。
奈落というか。
虚無というか。
一気に人の生態活動には適さない闇が迫ってきていても、その瞳には恐怖の一つもない。
それは死を恐れていないから、ではない。
死より先に仲間がやってくると確信していたからだ。
『ご老体!!! 相変わらず無茶を為さる!!!?』
全身鎧を着込んだ数人の騎士達が虚空を疾走しながら老人を抱き止め。
そのまま奈落の上をとんでもない速度で跳んでいく。
『このまま離脱します。目標からの攻撃は……今のところない。“境界”が閉じつつある以上、今回の探索はこれにて終了となりましょう』
フゴフゴと見せ場が無かった気がした老人は不満そうな愚痴を垂れる。
だが、未だ槍を咥えていた為、それが騎士達に聞こえる事は無かった。
それでも老人を抱いていた騎士は顔を覆う仮面の下から溜息を一つ。
『ご自愛下さい。貴方を失って我ら【騎士国(ヴィーリア)】の誰も喜びはしません』
素知らぬ顔でまたフゴフゴ言っている老人の言葉が騎士には如実に分かった。
その顔はオェーという顔をしていたからだ。
抱かれるのではなく抱く。
それも女なら良かったという至って肉食系な愚痴である。
『別働隊がサンプルと場所の特定に成功しました。此処はやはり五年前の―――』
ダグ。
何かが抉れる音と共に騎士は自分の両足が膝から下、もぎ取られている事に気付き、それでも理性を振り絞って、見えてきていた“霧”の中へ老人を守るように抱えながら落下した。
ガン、ゴン、ゴガガガガガガガガガガガガガガガガガ。
最後まで老人を離さなかった騎士は舗装した道を削りつつ、数百m先でようやく止まる。
同僚の男達が慌てて男と老人の安否を確かめに駆け寄った。
見えず聞こえず捉えられない“境界”。
それが閉じていこうとしている様子を感じ取って。
老人はようやく槍を吐き出した口で愚痴る。
「ふぅ。お嬢さんに槍を突き立て損った……次は射止めて見せよう……」
『………』
今正に殺されかけたとは思えないバイタリティーに足をもぎ取られた男まで閉口した。
男達の前方で急激に霧が晴れていく。
残った黄昏にはただ何処にでもある煉瓦作りの街並み。
そして、人が往来する川岸だけがあった。
その日、大陸北部、武と理を重んずる【騎士国】において国を代表する男達。
【五聖騎士(ファイブ・ラウンズ)】
その一人であるミゲール・リニャンが病気療養を理由に南方の静養施設へ向かう旨が発表された。
騎士達の誰もがひっそりと噂したのはもう長くないらしいとの重病説ではなく。
きっと、あの方は尻の大きい南部美人をナンパしに行ったに違いないという実しやかな現実だった。
*
―――幻視しろ。
お前は十四歩目で目標の傍を通り抜ける。
その剣は七歩目で鞘から抜かれ、十歩目で敵を射程に捉える
十一歩目の時、24の死線が3種の攻撃により放たれる。
一つは目標の体表より出でる高速鞭。
8撃。
一つは目標の口から吐かれる溶解液の玉。
8粒。
一つは目標の腕が繰り出す音速での打撃。
8度。
十二歩目の時、鞭は根元から剣にて切断出来る。
十三歩目の時、僅か身を捻って液玉は回避出来る。
十四歩目の時、音速の打撃がお前を打ち据えるが構う必要はない。
十五歩目を踏む前。
打撃の最中放たれた剣は目標の脊椎を切断、魔力中枢を破壊する。
8度の打撃で肺、膵臓、胃、肝臓、小腸は破裂。
肋骨が4本粉砕され、鎖骨が肺を貫通。
心臓は衝撃に心停止を起こし、鼻は内側へ砕け曲がり、左眼球は半潰。
頬骨は折れ、左耳は脱落。
左側頭部に亀裂が入り、微細な骨片によって左前頭葉は軽度脳挫傷を負う。
しかし、被害は最小限。
十五歩目を踏んだ時には全ての傷が癒えている。
十六歩目を踏んだ時、周辺から殺到する73体の目標から321の死線が放たれる。
しかし、攻撃が肉体に及ぶまで凡そ一歩。
指揮中枢たる個体を欠いた目標群はもはや烏合の衆。
ただ一歩を許す限り、次なる一手は一太刀で事足りる。
一撃の名は閃剣が奥義の一つ。
【環斬(かんざん)】
剣で繰り出すに聊か足りない速度は身体に奔らせる力で補おう。
燃焼させた体内脂肪より熱エネルギーを得て。
搾り出した生命力を剣に刻まれた精製術式で置換。
鎬(しのぎ)を通して各部に凝集した熱を数点から放出し、刃を両面より加速。
波紋を断熱圧縮で焼き付かせながら、限界まで振り抜く。
精練された生命力は純粋魔力として刃から置き去りにされ。
残心の構えとなって残留。
剣が振られた一瞬後。
刃の軌跡を辿り、薄氷の如き一線となる。
単一分子が安々と強固な分子結合を切り裂くように。
最小単位で整列した鋭利な魔力は積層魔力すら断つ“空(から)の刃”として顕現する。
攻撃直後の緩みに囚われた目標73体を放射状に広がる単一魔力結合体が通過。
結合を立たれた魔力構成は付随する肉体の細胞を相似化させて、破断。
目標は知覚する暇も無く。
上下を離れさせて即死。
321の死線、放たれた肉の槍が肉体を粉々に貫き徹そうと勝利は確定する。
『旅人よ』
『どうして彼らを救おうと言うのか』
『あの場所にしがみ付く無知蒙昧なる業を何故そのままにはしておけないのか』
『終わりを運ぶのは自らの行いであると知りながら、罰を受け続ける彼らにそこまでの価値があると言うのか』
『夜会の鐘はもうすぐ』
『奴らは契約が果たされるまで止まりはしない』
『精々、喰らい尽されるまで放っておけばいいだけの、温情を掛けるに値しない程度の愚者』
『なのに、足掻こうと言うのか』
『戦おうと言うのか』
『傷付こうと言うのか』
『それに一体どんな意味があると言うのだ』
『旅人よ』
―――お前の守るべきものを幻視しろ。
―――お前が今まで守ってきたものを。
―――お前がずっと求めてきたものを。
―――お前を惑わす何もかもを。
―――お前と共に在った全てを。
何百何千の者達が嘲笑う。
何百何千の者達が呆れている。
それでも幾人かは囁く。
やってみればいい。
そう、言って、肩を竦めた。
―――霧を越えろ。
―――全てはお前次第だ。
―――我らが末よ―――。
「…………」
少年は一人。
明星の中、ぼんやりと起き上がった。
酷く戦っていたような。
酷く貶されたような。
酷く励まされたような。
そんな夢を見た……ような気がした。
狭い屋根裏部屋の端。
窓の近くには制服(ブレザー)が一着。
小さな錆び付いた釘の出っ張りに掛けられている。
「そう…だ…行かない…と…」
就学式が始るのは結構早い。
事前の説明会でも注意されていた。
遅れた生徒は講師に目を付けられるらしいとか。
「ん……」
ヨタヨタと寝台から起き出して。
窓を開ければ。
吹き込んでくるのは僅かな霧と朝の匂い。
麺麭が焼け、燻ゆる煙。
豪邸や館が立ち並ぶ大きな屋根の群れ。
空を小さな鳥竜や小鳥が青き天蓋の星を背に過ぎ去っていく。
「学校…行かないと…」
酷く眠い麗らかな春の朝。
暁(あかつき)を覚えず。
薄桃色の蕾も眠りを誘うように窓際で香った。
「いか……ない……と………ぅ…………」
少年の意識は朧なまま。
身体が寝台へと倒れ込んでいく。
西部の小国。
亜人国家アルヴァス。
霧の国で物語はひっそりと始まりつつあった。