第三章四節「戦者の流儀」
―――???
今回の回想録を認(したた)めるにあたり、事前に一つ書いておかねばならない事がある。
それはこれが最後の記録になるだろうという事だ。
【騎士国(ヴィーリア)】の誕生と存続に当たって私がしてきた多くの戦は正しく大陸史に残る縮図のような争いばかりであった。
しかし、もうそれは終わったのである。
過去の話だ。
もはや時代は変わったと自ら認めるならば、そろそろ回想録などと言って日銭を稼ぐのも止めねばなるまい。
もしも、未だ大陸に過去らしい過去が残っているならば、私は戦わねばならないだろうが、闘争の時代は幕を下ろしてしまっている。
誰も再度(アンコール)を望まぬ日々。
これを終幕に導く事こそが、我ら【五聖騎士(ファイブ・ラウンズ)】の激務であり、日常であった。
だからこそ、この最後にして最新なる回想録には少し思い入れのある出来事(エピソード)を鏤(ちりば)めたい。
それは人々にとっての日常かもしれぬ。
あるいは趣味に関する情熱かもしれぬ。
または詰まらない爺の戯言という線もある。
が、それでもそんな戯言が世に憚(はばか)る事なく伝えられる平和をこそ尊んでいるのだと思って頂きたい。
今日もいつか君が読むと思い、書こう。
そう、あれは確か……まだ私が槍とも出会わずに不貞腐れていた時の話だ―――。
*
奏美紗(かなで・みしゃ)はもう免停三日目となる自分の情けなさに死んだ魚のような目をして授業を受けていた。
彼女は基本的に苦労人気質だ。
それなりの亜人の家柄に生まれていながら人間の血筋が濃くなってしまったとの理由で親族達から微妙に白い目で見られている。
それでも毎日のように己の父が軍人であった事を誇りとして、同じような職に就くべく猛勉強した結果、中等教育を受けて二年後には難関である官憲の試験を突破。
その後は学業との両立を貴族特権で認めて貰いつつ、警察機構に配備されてエリートコースを出世してきた叩上げの才女である。
異例とも言える経歴は貴族の中でも異質であるが、本人の真面目気質と生来の戦闘の素質から犯罪者を難なく現行犯逮捕してきた為、職場での評価は高い。
その彼女が、よりにもよって男絡みで免停されるなんて事は仕事場で天地が引っくり返るような出来事として扱われた。
微妙に×が多い録音の件は現場の同僚達にも伏せられていたが、それにしてもあのドが付くくらい“真面目”で、それなりの“器量”を持っていて、倫理的にも道徳的にも“模範的”な仕事人の美紗が干されるというのだから、世の中は理不尽である。
と、一様に彼女の同僚は美紗を慰めた。
上級貴族達の中でも最古参の一つ。
本来は大陸東部の【獅子神(レオ・ラーバ)】と呼ばれる異種との混血で生まれたとされる奏家は元老院にすら影響力を持つ大貴族だ。
如何に“九十対十”な身の上とはいえ、本家長女それも一人っ子という彼女を面と向かって謗る者はいない。
しかし、何事も実力社会なアルヴァスである。
少女の二親は常に己を厳しく育てよという家訓の下。
彼女を英才教育してきた。
その結果として順調に歩んでいたはずが、いつの間にやら瑕疵一つ。
それも男絡みだと言うのだから、両親が驚いて少女に根掘り葉掘り訊いたのは常識的な反応だっただろう。
が、少女は何も答えなかった。
いや、答えられなかった。
(こんな呪い。絶対解いてやるんだから……)
×の呪い。
彼女はそう自らの症状を名付けていた。
重要な単語が曖昧になり、興奮すると要領を得ない単語が増える。
ただ、それだけの呪いである。
無論、途中で原理に気付いた彼女は紙や魔術による思考伝達まで試みた。
他人へ必死になって自分の言葉や状況を伝えようとした。
しかし、それすら要領を得ない言葉遊びになったり、まったく違った思考が伝わってしまったりと、相手を混乱させるばかりだった。
貴族の子女が男関係で悩んでヒステリーを起こした。
これが今の彼女に課せられた世間と両親からの十字架である。
母親はやっぱり乱暴な現場で職に就かせたのが原因かしらと嘆き、父親は『年頃の娘ならままある事かもしれない』そう伴侶にまったく見当違いの事を呟き慰めた。
そうして今ではクラス替え後の講堂でクラスメイトから発情不良獅女(ライオン☆ガール)呼ばわりである。
これで死んだ魚の目をしなかったら、きっと彼女の人生でそんな瞳をする機会は一度も無かっただろう。
(ヴァルさんは何となく理解してくれてたみたいだけど……)
昆虫っぽい触覚と羽根を具えた妖精の教師が講堂から退出して。
昼時だと誰もが潮が引くように食堂へと向かっていく。
「うぅ……」
ポツネンと残っている彼女は仲が良かった子女達との約束を断った事を少しだけ後悔していた。
何か聞かれても答えられなければ顰蹙(ひんしゅく)を買う。
だが、答えようとすればエライ事になる。
故に誰とも昼時は過ごせない。
もういっそ呪いを掛けた張本人をサクッ☆と殺(や)ってしまいたい。
そんな衝動が芽生え始めている美紗だった。
「ふぅ…ご飯…食べないと…」
ノソノソ微妙に気落ちした様子で彼女は席を立つ。
(問題はあの超・真犯人にしか見えないアイツの事をどう調べるか……)
廊下をモフモフ肉球で踏み締めながら、美紗は近頃ずっと考えている捜査方法に思いを馳せる。
校舎裏の鳥居。
霧の夜に逃げた少年。
屍蝋の仮面を纏う化物。
全ては一本の線(ライン)で繋がっている。
その中核たる少年が同じ学び舎に通っているのに手出し出来ない。
捜査権が無い。
それが最大にして最難関の問題だった。
署長からの説明では当人に捜査だと言い寄るのは止めろとのお達しである。
これで普通にアレは何かとか、あの状況はどういう事なのかとか。
そんな事を訊いたら免停で済むかどうか非常に怪しい。
署長である男は“五十対五十”のバリバリのキャリア官僚であり、彼女の事をあまり快く思っていないのだ。
此処で不用意な事をすれば、すぐにでも出世コースから真っ逆さま。
それは同時に奏家に泥を塗る行為でもある。
両親を悲しませたくない。
だが、事件は解決したい。
この矛盾に苛まれた美紗の心は今や不安定極まりなかった。
「はぁ……」
自然と溜息が漏れるのも致し方ない。
手詰まり感が半端ではないのだから。
それにしても彼女は己の人間に近い姿という重石(ハンデ)まで背負っている。
何か状況を打開する方策を考えなければ、いつまでも何一つ解決しない。
悪くすれば……お見合いでもして気分を変えましょうとか本気で母親が考えかねない。
その歳で結婚するのは貴族なら別に問題にもならない話だ。
本人にやる気が無くとも貴族間の婚姻は一種の契約。
家を盛り立てる行事である。
それを知る故に問題を起こさず捜査を続行する術を美紗は絶え間なく思考の上で検討していた。
「あ……」
「え……」
考え事をしていた彼女が廊下の角でバッタリ会った顔に鬼の形相となる。
『ひぃ!?』
彼女と出会った者の因縁を知らない生徒達は関わりになりたくないとソソクサ遠巻きにして退避していった。
「えっと……こ、こんにち、わ?」
ぎこちない笑顔で挨拶したのは勿論、イクス・ゼオ本人だ。
今日も今日とてサンドイッチをテイクアウトした帰りである。
彼の横には誰もいない。
世話になっている家の肉食少女(シルルゥ)も、かなり危険な武装を扱う人間少女(エストリア)もだ。
無論、二年の無敵番長(ジルムス)やクラスメイトの兎少年(サイカ)もである。
「ふ、ふふふ…」
思わず極悪な笑みを零す獅子少女はニッコリ肩を掴んだ。
ミシィィッッッ!!!!
少年の制服(ブレザー)だけが悲鳴を上げる。
「ちょっと昼食に付き合ってくださらない? 其処のナイスボーイ♪」
怒りを通り越した黒い気配(オーラ)。
ズオォオオオオオオ。
そんな擬音が見えそうなくらいに空気が歪んでいる気がした少年はさすがに昼食に付き合って欲しいとだけ言われたに過ぎないので、再び警察に抗議するのは無理かと判断した。
引き攣らない程度の笑みで静かに少女へ応える。
「オコトワリします」
「そう。じゃあ、しょうがない、ない……です、ねッ」
肩自体には一切力を掛けないように。
張り付いた指を一本一本引き剥がすような動作で、美紗が肩の手を退けた。
「じゃ、じゃあ、これで」
ソソクサと背中を向けて去っていく少年の背筋は視線の圧力(プレッシャー)だけで押し潰されそうだった。
廊下の角を曲がって目標(ヨウギシャ)が見えなくなると美紗が周囲の凍り付いた気配を察して「ほほほ」と愛想笑いで場を後にする。
(どうにかして。どうにかして……あいつの傍で証拠を集めないと……)
少女は食堂へと出来る限り人気がない場所から遠回りで向かった。
あまり人目を引く行動は控える為である。
モフモフと人も疎らな校舎間の渡り廊下を歩いて一人食堂へ向かう侘(わび)しい時間。
彼女の胸を虚しさが通り過ぎる。
それでも噛み締めるものが敗北感ではないのだからと。
美紗は泣きそうな己を叱咤して前を向いた。
最大限の遠回りをしたからか。
完全に人気が無い部活が密集する特別校舎の廊下まで来てしまっていた。
そこで彼女は廊下に立っている人影を発見する。
それが生徒ならば何も言わずに顔を伏せつつ通り過ぎただろうが、学校に似つかわしくない年齢の男となれば、話は別である。
今は職を解かれているとはいえ、彼女の正義は未だ折れていない。
ならば、学生としての本分を全うするのは間違いではないのだ。
カツカツと僅かに出た指先の爪が廊下に足音を立てる。
「あの、どうかしたましたか?」
外面では微笑みながら、内心では少し警戒しながら、彼女はその部活の看板が掛かった特別教室の前で扉を見つめる老人に話し掛けた。
「ん? おやおや、綺麗なお嬢さんだ。こんにちわ」
「?!」
思わず美紗が目を丸くした。
老人が今までの立ち姿からは想像も出来ない状態だったからだ。
緩くカールした金髪を綺麗に後ろへ撫で付けた線の細い老人は両腕が無かった。
「あ、あの、えっと……」
さすがに面食らった様子で言葉に詰まる実者に老人が微笑む。
「いや、驚かせてしまったかな。仕事でこの間うっかりやらかしてね」
(う、うっかりって、そういう問題!? それより、この人……人間?)
マジマジと老人を見つめて美紗が鼻に感じられる体臭に相手の種族を看破する。
「ああ、誤解させてしまったかな。胸をどうぞ。お嬢さん」
「え、ええ」
老人の胸にはプレートが一枚。
「あ、その、“名誉亜人”の方でしたか」
「あはは、亜人、亜人か。うん。そういう事にしておいてくれ。名目上だがね」
名誉亜人。
亜人至上主義に近い貴族制と奴隷制を敷くアルヴァスにおいて各種人間社会との折衝中、滞在する人間の重要人物に対して、外交上の失態を犯さない為に便宜上プレートを貼り付けて亜人と呼ぶ慣習がある。
そのプレートの効果は絶大で実際に亜人ではなくとも、公共の上では上級貴族と同じ扱いを受ける為、罵ったりする者はアルヴァスに存在しない。
如何に力を付けても小国には変わりないのだ。
アルヴァスだって一切人間社会から隔絶して運営されてきたわけでもない。
人間との関わり無くして亜人は成り立たなかったし、人間社会にしても生来の能力の高さを誇る亜人達の勢力をほったらかしにしてきたわけでもない。
故に美紗は驚いてしまった事を素直に頭を下げて詫びる事とした。
「申し訳ありません」
「いやいや、お顔を上げてくれるかな。お嬢さん」
「で、ですが……」
「これでも女性に頭を下げさせるのは密事の時だけと決めているのさ♪」
「へ?」
思わず何の事かと頭に疑問符を浮かべたものの、すぐに何を指して言っているのか気付いて、美紗の顔は朱く染まった。
「おぉっと!? 済まない。いや、此処に来るまで堅っ苦しいゴツイ連中に囲まれてばかりだったから、ははは」
「は、はぁ……そ、そのそれでどうかなされたんですか? 此処はええと、武芸術部のようですけど」
「昔、まだ君と同じような年頃だった頃、私の学んでいたところにも同じような部が在ってね」
「そうなんですか?」
「ああ、よく部でからかわれたものだ。お前は武術に向いてないなぁって」
「その……そうはお見えになりませんけど」
美紗が最初に驚いたのは老人の立ち姿があまりにも自然で堂に入っていて、両腕が無いなんてまったく分からなかったからだ。
黒のスーツ姿。
ヒラヒラと袖が揺れていなければ、障害を背負っているようには見えなかったのである。
「一応は騎士になった。ただ、道具頼みのゴリ押しか。相手より優雅に戦うくらいしか能が無くてね」
老人の捉え所の無い笑みに彼女は強いと確信する。
戦者。
往年の戦で活躍した猛者達は武術の達人ではあったが、武の才や技術だけでは生き残れない事も知っていた。
まず間違いなく。
戦に身を置いてきた者が老人になるまで生きているというだけでも運が必要だ。
実力もあれば、運もある。
暗にそう言った老人の言葉を噛み砕くなら、道具頼みのゴリ押しと優雅さで生き残ってきた、との自慢なのだ。
つまり、謙遜のようでいて、実は正反対の意味合いのを持った言葉だったのである。
「ちょっといいかな?」
「え、はい? な、何でしょうか?」
「君は……ふむ。結構戦える口だろう?」
「は、はぁ、程々に」
「程々、かね?」
「え、ええ」
「何か悩んでいないかな?」
「ど、どうして分かるんですか!?」
「女性の憂鬱は見ていても美しいものだが、君のは深刻そうだったからね。人生経験というやつさ」
「お、お凄いんですね」
「浮名を流すのは男女の常……たぶん、男かな?」
「!?」
「そして、君はその人の傍にどう入り込むか。そんな事を考えている」
「あ、当たりです!!」
「その感情がどういうものであれ、男と仲良くしたいなら、愛想の一つ、笑顔の一つ、要は自己主張(アッピール)の問題だ」
「自己主張(アッピール)……ッ」
ゴクリと美紗の喉が鳴った。
「男女の仲になるかどうかは別としても、やはり男の心を掴むのは異性たる女の仕事だからね。理性的に論理的に感情的に情緒的に衝動的に多角的な判断をしつつ、的確に急所を突く。このような女性は男にとっては致命傷。仕事でも閨事でも日常でも侮れない存在となる。駆け引きしない関係もあるが、詰まる所は相手を追う事を諦めず、気に入られようとする努力を怠らない事。関係の機微とバランスはそれに尽きる」
「相手に気に入られようとする努力……」
「まぁ、潮時もあるが、何事も最後までカードを捲らなければ結果は分からない。その最後の一枚を捲る時までは努力し続ける事。それが男にとっても女にとっても最良の関係に必要な事なのさ♪」
尤(もっと)もらしい事を言いつつ。
老人は「ふふふ」と笑う。
「頑張りどころは自分で決めるものだが、若い内は空回ってもいいからイケイケドンドンをお勧めしよう」
「イケイケ、ドンドン……」
もはや洗脳かという意見だったが、感化された美紗の瞳にはいつもの輝きが戻りつつあった。
「……ありがとうございました。あ、私やらなければならない事があるのでこれで失礼します。では」
「頑張りたまえ。お嬢さん」
「はい!!」
頭を下げて美紗は内心の閃きを実行に移すべく。
ギラギラした視線で今も校舎群の何処かに居る少年を追った。
老人はその背中に無い手を振る仕草をした後、近くに潜んでいた者達に声を掛ける。
「その気配の消し方の雑さは叱責に値するぞ。諸君」
何処からともなく重苦しい気配だけが漂った。
「まぁ、いい。あんな御嬢さんがいるなんて良い国じゃないか。さっそく社交界で美人を射止めてくるとしよう」
何となくモノ言いたげな気配が男に無言の溜息を伝達する。
「ああ、そうそう。例の件を元老院に提案しておいてくれ。こちら側は北部三国の特務だ。如何に機密性の高い事案だろうと反七教会派の枠で動きたいなら、それなりの誠意というものを見せてもらわなければ」
無言で幾つかの気配が老人の周囲から散っていく。
「まずは現地調査。その後に【総主教(パトリアルヒス)】一派との面会に向かおう。旧い盟約が役立つといいが……」
老人は革靴を鳴らしもせず廊下を後にした。
それを見つめる者達は静かに老人の周囲を固めて誰に気付かれる事もなく彼を警護し続けた。
ミゲール・リニャン。
神槍使い。
あるいは恋の騎士。
生涯最大の敵が世の女性と言って憚らない大陸最高峰と謳われる旧き戦者。
または北部大国の象徴【五聖騎士(ファイブ・ラウンズ)】に名を連ねる【騎士国(ヴィーリア)】建国の立役者。
そんな老人は今日も今日とて女性の尻を追い掛けつつ、己の任を全うする為、動き出した。
*
少年は一人。
学園の裏山にいた。
と言うのも教室で昼食を取っていたら、何だか獅子少女が出向いてきそうだな、という勘を働かせたからだ。
その勘は概ね正しく。
美紗は少年の使う講堂に出向いている最中だった。
誰もいない大自然の中で一人食事する。
ボッチ飯どころではない話だが、静かに昼時を過ごしたい者にとっては英断か。
何の邪魔も入らない一時を満喫しつつ。
少年は“何もない”草原で空を見上げる。
「ふぅ」
近頃は何かと忙しい日々だった。
緑炎の巨人を討った後、霧の“境界”には未だ入っていない。
と、言うのも少年に道連れが出来てしまったからだ。
あの日の夜。
結局、エストリアもジルムスも記憶の処置には同意しなかった。
それどころか少女は少年が危ない事をするなら、一緒に行かなければと何だか友達を守る気満々で、少年の消極的ながらも深刻な説得に微笑み返しすらした。
その翌日、事後報告にジルムスと共にエストリアの家に行き、アーギストと話し合いの場を持つ事となった。
妹を心配し過ぎてなのか。
青白さに拍車が掛かった兄という生き物は殆ど干物みたいな様子で。
『………はぁ』
そんな脱力の吐息だけを吐き出す物体となっていた。
妹の説得に応じる他無かったらしく。
明らかに仕方無さそうな顔で、少年を暗に非難する視線を向けつつも、彼はエストリアの少年への同行を認めた。
幾つかの条件も付けたのは当然だっただろう。
それはつまり万全な装備や準備をしてから赴けという事である。
出資するのは主に少年だ。
それでも足りない分の資金はアーギストが確約する事で一応の決着を見た。
そうして“境界”から先へ向かう事なく幾日かが経過したわけだ。
まるで迷宮(ダンジョン)攻略だとジルムスが愚痴ったのは彼も同行する事が決定したからである。
親友が話の途中で躊躇無く土下座したのも大いに利いただろう。
さすがの伊達男もアーギストの心底の嘆願に心動かされたのである。
結局、ジルムスは準備に準備を重ねてという事を条件に同行を承諾した。
(今日は夕方から【雷の精霊亭】で合流して、装備品の確認と道具の調整。えっと、それから“境界”の観測術式の微調整と通信設備の再確認……)
連日、都市のあちこちで物資を集めたり、手伝いに借り出された少年は殆ど寝ていない。
“境界”の内部を観測する為に普通の魔術師には不可能とも思える複雑怪奇な魔術式を数日で組み上げつつあるアーギストから膨大な触媒だの魔術用の依り代だのを買ってくるよう指示され、都市中を駆けずり回っていたからだ。
しかし、その成果も実って、一応内部と外部の通信手段は確保される運びとなっていた。
「……」
ポカポカとした陽気に当てられて、少年は草原に寝そべる。
誰かが来る気配も無い。
となれば、急激に眠気が襲ってくるのも仕方ない。
うつらうつらと瞼が閉じられて数秒後。
「マヲッマヲ」
ダダッと何者かが少年の側頭部を直撃した。
首がボッキリ逝きそうな衝撃で45度程傾いた。
少年は突如突撃して頭上に腹を乗せた状態で横になる生物を白い目で見つめる。
「いつも思うんだけど、何処から現われてるか訊いていい?」
「マ~ヲ」
鳴き声だけを返して寄越した変な黒猫がまるで新型の耳宛か斬新な帽子か思われるような丸まり方で豪快にもそのまま寝息を立て始めた。
正体不明の魔術まで使う黒猫は神出鬼没で少年の頭がお好き。
非常に頭の悪い文言が近頃の猫?との近況である。
本当は亜人なんじゃないかとそこはかとなく疑ってみるものの。
少年にしても動物に詳しいわけではないので測りかねていた。
いつも何処にいるのか。
瞬間的に現われてはいつの間にか消える。
そんな謎深き生物は今日も今日とて少年の頭上を占領し、安らかな睡眠を確保していた。
最近では黒猫を頭に乗せるのがマイブームなのかとジルムスやエストリアに訝(いぶか)しがられる始末である。
その癖、少年以外には懐く様子もなく。
少女らしい好奇心で猫を引き剥がそうとしたエストリアには一切靡かなかった。
というか、その際に生え際にガッチリ爪を立てられた少年は涙目である。
気紛れですぐに姿を消すのが救いか。
少年にしてみたら、命の恩人ではあるものの、真剣に頭皮と生え際の心配をする事態。
まぁまぁ上手くやっていても、迷惑であるのは変わらない。
「……もう少ししたら戻るから……それまでに退いてくれると嬉しいんだけど」
「ママヲ~」
気ままな鳴き声。
言葉は理解していそうだな、と。
少年は脳裏で黒猫の生態に幾度目かの修整を加えた。
「……?」
微妙に吹き抜ける風に何か鼻腔を擽(くすぐ)るものを感じて。
少年が顔を横に向けた。
ガサリと草原と林の境界が動く。
鬱蒼を生い茂った雑木林。
名も分からない植物が叢を形成しているが、其処に何かがいた。
まさか、昼も日中から化け物が来たわけでもあるまいし。
と、少年が叢を見つめ続けるとガサガサと相手が動揺する気配。
明らかに知人では無さそうだと肩が竦められた。
「其処の人。いや、亜人の人。何か御用ですか?」
『な、何で亜人って分かる、の?』
まだ中等教育も受けて居なさそうな幼い声だった。
「此処って亜人の国じゃなかったっけ?」
『―――に、人間怖い!!?』
何故、驚く必要があるのか。
そんなに簡単な推理が驚愕に値するというのか。
どちらにしろ。
声の主には関係ないようでプルプルと茂みが揺れる。
「えっと、どうして人間だと思うのか訊いていい?」
丁寧な口調は相手を慮っての事だったが、逆効果だったらしく。
『ひッ!? そ、そんな優しい口調で言ったって!! だ、騙されないもん!!』
「何か騙すような事したかな……」
『そ、そうやって優しい声で取り入って。あ、頭からバリバリ食べちゃう気なんだ!!』
どうやら茂みの主にとっての人間は怪物らしい。
「……」
さて、どうやって人間が化け物ではないと説得したものか。
それ以前に不死者であって人間ではないと誤解を解くべきか。
そう微妙に考え込む少年に何を感じ取ったのか。
『う、うぅぅぅ?!! さ、さよなら!!』
律儀に別れの挨拶をしつつ、気配が遠ざかっていく。
「……どう思う?」
頭の上にいる黒猫に問い掛けて。
何の応答も無い事を確認した少年は嘆息。
昼休みのギリギリまで空を見上げる事とした。
*
放課後。
エストリアの家で合流する事になっていた少年は早めに向かおうと下校時の賑わいを見せる玄関に赴いていた。
「……」
もう頭に黒猫は乗ってないのだが、ズシリと幻覚めいた肩の荷が一つ。
「あら、イクスさん。もう下校ですか?」
キラキラキラ。
濁音が取れた視線。
その意味は少年にも分からなかったが、顔が自然と引き攣るのは仕方ない。
獅子少女(ライオン・ガール)が乙女っぽい仕草で明らかに嘘くさい微笑みを背後で浮かべていれば当然だ。
動揺しなかったと言ったら嘘になる。
「どうかしたんですか? あ、一緒に下校致しませんか?」
ゾワッと背筋に奔るものは恋の予感ではなく。
正体不明の危険物に対するものだと悟って。
そそくさと少年は愛想笑いで下駄箱へ向かった。
「ああ、そんな?!!!」
ガタタッと廊下に突然崩れ落ちた美紗を何事かと部活や下校途中の生徒達が見つめる。
「あ、あんな風に弄んだ癖に!!! もう私の事に飽きたのね!!!」
場が凍った。
ヨヨヨヨ。
まるで悲恋の乙女さながら。
泣き崩れた美紗の事を見た生徒達が次に少年を見る。
『え、あれって……つまり、そういう事?』
『まさか、あの大貴族のご令嬢に手を出した、のか?』
『そ、それで棄てたの……う、うっそ……信じられない……』
ヒソヒソヒソ。
『これ、教師に報告しないといけないんじゃぁ……』
『しッ、馬鹿!! あんた大貴族のイザコザに巻き込まれたいの?』
『そうそう。そういう恋愛沙汰とか基本ウチの学校無関係決め込むし』
『まぁ!!? お可哀想……美紗様……』
『ですわね。あんな“九十対十”に騙されるなんて不憫ですわ』
「……ええっと」
生徒達の視線が妙に冷たくなり、雲行きが怪しくなってきた。
少年がチラリと美紗を見る。
嘘泣きしながらも口元の端が僅かに曲がっていた。
想定通り。
そんな声まで聞こえてきそうである。
「一緒に……行きます?」
「まぁ!? そうですかそうですか。では、此処では無粋ですし、一緒に繰り出しましょう。うふふ」
サササッと変わり身も早く美紗が少年の袖を掴んで玄関から引っ張り出すように先導していく。
あそこで無視を決め込んでも良かったのだが、そうした場合翌日には少年の称号が“大貴族のご令嬢を棄てた人間みたいな奴”になっているのは確実だっただろう。
ある事ない事、諸々を何も知らない生徒達に吹き込めば、同じような人間みたいな顔でも位が優先する方を誰もが支持するのは目に見えていた。
「嬉しいですわ。ようやくわたくしの言う事を聞いてくれる気になったんですね。超・容疑者の人」
美紗が少年だけに見えるようニンマリと唇を歪める。
悪知恵を誰が吹き込んだのか。
警官として振舞えば振舞う程に少年の“保険”が有効なのは数日美紗が大人しかった事から確認していた。
その事態が色々とマズイ方へ向かっている。
それもこれも美紗が貴族の令嬢として少年に攻撃(アタック)を始めたからだ。
真面目そうな人間なら途中で“保険”の効果で折れると踏んでいた少年は自らの推測の甘さを自覚した。
「貴方が卑怯な方法で私の捜査を邪魔するなら、私は私のやり方で遣らせてもらうわ」
素になった少女の呟き。
厄介な者を敵に回したと少年は溜息を吐いた。
“保険”は致命的な情報を外部に流出させない措置であると同時に相手の混乱や感情の高揚で情報の錯誤を生み出す特性を持った魔術式だ。
視覚情報から脳に直接取り込まれて言語中枢に対して働き掛ける。
だが、冷静な相手に公権力的な立場ではなく私的に立ち回られた場合、その威力はあまり高くない。
何故なら、他者への伝達を主としなければ、術式の力は発生せず、行動に制約を設けられないからだ。
少年としては頑なに事件捜査を断行しようとして自滅してくれた方が良かったのだが、事件捜査が一転して貴族令嬢と“九十対十”の恋物語という図に落とし込まれている。
こうなっては学校内部で不自然に相手を避けると無用なトラブルを招きかねないし、衆目を集めて事態を悪化させかねない。
発想の転換。
警官少女にそんな柔軟な姿勢があった事に驚きつつ、少年はこれからどうやって“霧”から遠ざけようかと歩きがてら思案する。
「答えなさい。あの化物は何? そして、貴方は連続大量怪奇殺人の何を知ってるの?」
第三者がいない事を本人が自覚する、あるいはそのような状況にはないと判断した場合には“保険”が働かない。
情報を第三者へ伝達しようとしない限り、話し合いに×が入り込む余地は無く。
少し自分でも驚いた様子で彼女が上手く出た声に口へ手を当てた。
「関わったら死ぬかもしれませんよ?」
「私は警官。そして、民へ範を示す貴族でもある。それが答えよ」
「公権力じゃ、この事件は解決出来ない。いや、例え解決出来ても沢山犠牲者が出るかもしれない」
「貴方なら解決出来るって言うの? 何を知っているの貴方は!!」
少年が静かに呟く。
「僕は霧の向こうを目指す者。それ以下でもそれ以上でもない。ただ、この国にお世話になってるのは君と同じ。だから、此処が平和であればいいと願ってる」
「口で言うだけなら何とでも言える!!! 貴方が犯罪者じゃないなら堂々と何が起こってるのか教えるべきよ!!」
「それをこの国が握り潰すかもしれなくても?」
「え……」
「僕の知り合いの情報だと、もうこの国の上層部は君が僕から聞き出したい情報を掴んで握り潰してる」
「そ、そんな戯言!?」
「その人の話だと一部の上級貴族の家には此処数日で霧を遮断する結界が張られて、事件の影響を防いでるって……」
「?!」
美紗は己の屋敷に此処数日魔術師の業者がやって来て結界を張っているところを目撃していた。
家の者達は誰もが物騒だから警護(セキュリティー)上の更新だと言っていたが、少年の言葉に俄かな現実味を感じて彼女が混乱する。
「ちょ、ちょっと待ちなさい!! じゃあ、元老院は何もかも知っているって言うの?!」
「たぶん」
「―――信じられない」
「そう言われても……」
「どうして隠すの? 被害者が出ているかもしれないのに」
「もう被害者はこの国でも出始めてる。それを悟られたら騒乱(パニック)になるかもしれない。だから……」
「何ですって?」
「“霧”は化物を発生させる。あの“境界”で出会ったような」
「あの変な霧が化物を産んでるって言うの?」
少年が頷く。
「そして、それを止める手段は今のところ、対処療法しかない。根本的な解決策は僕も知らないし、国の上層部だって持ってない。そうなれば……」
「全土で騒乱が起きる?」
美紗の言葉に少年は肯定も否定もしなかった。
その可能性が高いというだけで、実際どうなるかは予測が付かない。
「そもそもみんな被害者でしかない……でも、加害者になる可能性がある以上、放っても置けない。だから、出来る限りは……被害者である彼らを眠らせる事にしてる……」
少年の言い様に美紗が顔を青褪めさせた。
「まさか?! あれが、あの化物が連続怪奇殺人の被害者だって言うの?!」
被害者を、もう数人彼女は自身の手で葬ってしまっている。
「今のところああなったら、もう元には戻れないし、戻る手段も無い。そして、彼らは霧が無ければ……活動を維持出来ない……」
「それって、つまり消えるって事?!」
少年は答えず。
進んでいく。
「で、でも、誰も被害届は出てないわ!!」
自分が被害者を殺したなんて認めたくなくて。
美紗はムキになって言い張った。
少年の主張が嘘であると。
「それは“今までの話”……でも、これからは“この国”から被害者が出るようになる」
「―――」
「首を突っ込むのは止めない。けど、それは“化物になる覚悟”がある場合だけにしておいた方がいい」
少女は今までの話を脳裏で整理して単純な結論に到った。
その情報の真偽は分からずとも、もう美紗の勘は恐ろしいものが近付きつつある事を予感し、少年の言葉が真実である事も悟っていた。
「じゃあ、これで」
少年はコツコツと靴を鳴らして点き始めた電灯の下、霧の中へ消えていった。
「……こんな話誰が信じるって言うのよ……」
自分で言っておきながら、背筋の悪寒を止められず。
彼女は立ち尽くすしかなかった。
ヴァルからの無線通信が掛かってきたのはその日の夜。
二十人近く失踪者の届出が出たという知らせに彼女は茫然自失となり。
次の日、話を聞こうと少年のクラス講堂に押し掛けた。
彼女がクラスメイトから聞いたのは欠席という二文字。
事前に学校事務で問い合わせておいた住所を当てにして。
美紗は少年の住処へ赴く事となった。
まるで悪夢を当て所なく徘徊する被害者のような気分で……。