第三章七節「夢想夜話」
―――アルヴァス首都ハガス南部、公領娼館【月兎亭】より。
少年は女給姿の女性達を前に目をパチクリとさせた。
常なら困った笑みを浮かべているところだろう。
そうならないのは向けられる視線があまりにも多いからだ。
一応、経営者の友人らしいとなれば、それなりに振舞うべきかと緊張もしよう。
「ごめんごめん。驚いたよね。皆、そんなに見つめたらお客人に孔が開いちゃうよ。さ、今日は無礼講だ。呑んで食べてくれ」
『きゃぁ~~~~♪』
黄色い声を上げたのはまだ歳若い亜人の少女達だ。
それを笑いながら窘(たしな)める年嵩の女達は少年に頭を下げてから周囲にあるテーブルに向かっていく。
「サイカ。これって……」
会場(メインホール)のあちこちには出来立ての料理が湯気を上げて待っていた。
中央の赤い絨毯を進んだ先。
数人は座れるだろうソファーと鼈甲色の大台が一つ。
「君もお客様なんだから、遠慮しないで。さぁ」
連れられるまま。
一番奥、横長に腰掛けて。
その革張りの柔らかさが尋常ではない額の嗜好品故なのだろうと気付いて。
少年はわずか落ち着かない顔でどうしたらいいのかも分からず固まった。
「驚いたかい?」
「う、うん」
「それは良かった。いや、数日前からアルゥ様に君の持て成しを頼まれていてね。その分の料金も貰ってるんだ」
「アルゥさんが……」
「君の事をよろしくお願いされたよ。勿論、友達として、此処の主催者(オーナー)としてもね」
「そっか……」
「娼館って初めてかい?」
「一応」
「普通の娼婦を囲う場所はこんな雰囲気じゃないんだ。でも、亡き父の方針でね。此処【月兎亭】は誰の心も暗くならないよう心掛けてる」
少年にはサイカの言っている事がよく分かった。
娼館に働いているとは思えないような明るさで誰もが食事にお喋りに勤しんでいる。
「お、料理が来たみたいだ。さ、ウチの自慢なんだ。遠慮せず食べてくれ」
「う、うん」
女給姿の少し皺を刻んだ四十代の女達が愛想も良く二人の前にこれでもかこれでもかと料理を置いていく。
「ありがとうございます。皆さん」
サイカが礼を言うと熟女達がフフフッと笑みを浮かべた。
「いいんですよ。サイカ坊ちゃん。今じゃ男も取れない私達が元気で暮らしていられるのは全部此処のおかげ、サイカ坊ちゃんのおかげなんですから」
そう言いながら飲み物を置いたのはふくよかな獣人(ベスティア)の女性。
その黒と白の縞々模様から【縞馬(ゼブラ)】である事が窺える。
「その坊ちゃんての止めてくださいよ。さすがにそう呼ばれる歳じゃありませんし」
照れくさそうにサイカが頭を掻く。
「いやいや、私達にとっては坊ちゃんは壮年(ナイス・ミドル)になっても坊ちゃんのままですよ。私達にとって此処は家であり、坊ちゃんは可愛い息子みたいなもんです。ええ、奥様程ではなくても、ね?」
他の女性達もウンウンと頷いた。
「参ったな……」
女達とのやり取りに少年は緊張が解けていくのを感じた。
「では、ごゆっくり……ご友人の方。どうか、坊ちゃんとこれからもお友達として付き合ってくださいますよう」
料理を並べ終えた全員が少年に向かって腰を折り、深々と頭を下げた。
「え、あ、はい」
その答えに満足したのか。
全員が微笑んで近くのテーブルに散らばっていく。
「悪気は無いんだ。無礼を許してやって欲しい」
「無礼だなんて……凄く温かくて良い場所だと思うよ。此処も此処の人達も……」
「そう言ってくれてホッとしたよ……さぁ、食べよう」
「うん」
テーブルに所狭しと並べられたのは山海の幸。
香辛料の匂いが食欲をそそる見た目にも艶やかな料理ばかり。
炒め、煮込み、焼き、蒸し、豪快に盛り付けられている。
(食べ切れるかな)
そう食は太くないものの。
それでも夕餉を口にしていない腹は正直にキュウと鳴いた。
「頂きます」
少年が手を合わせるとサイカが「へぇ」と感心した様子になる。
「それって東部の礼じゃないかい?」
「ぅ、うん」
「此処には東部からも人が来ていてね。僕も時々するんだよ」
「そうなんだ」
「ああ、頂きます」
二人が小皿に料理を取って食事を始めると。
様子を見ていた女給姿の歳若い少女達の一団がそろそろとやってくる。
「サイカ様。ご機嫌麗しく。お友達の方も本日はようこそおいでくださいました。私(わたくし)達全員、心の底より御持て成し致しますので。どうぞ何か御用がありましたら遠慮なく申し付け下さいませ」
スカートの両端を摘んで頭を下げたのは先頭にいた魚の鰓(えら)のような器官を首元に持つ亜人の少女だった。
「うん。ありがとう」
少年の応答に僅か少女達が面食らったようにパチパチと目を瞬かせて。
にっこりと微笑んだ。
「はい。どうぞよろしくお願い致します。イクス・ゼオ様」
全員が踵を返して去っていく。
そうして自分達が元いたテーブルに戻ると何故か黄色い声を上げて全員が盛り上がった。
「……」
「君があんまりにも礼儀正しいから驚いてたみたいだね。普通、この手の場所に来る貴族は娼婦にありがとうとは言わないから……」
「そう?」
「普通はそうだよ」
モグモグと豚肉の甘酢炒めが咀嚼される。
少年は他にも会場のあちこちのテーブルから視線が来ているのを感じ、全員が全員挨拶に来るのだろうかと首を傾げた。
「今来たのは今日君を持て成すかもしれない子だけだから、これ以上の挨拶はないと思うよ」
揚げ鳥の香味蒸しを齧りつつ、兎少年はタンブラーから葡萄酒を呷った。
「持て成す……」
「今、君が考えてる通りだと思っていい」
二人はそれから料理に舌鼓(したづつみ)を打ちつつ、料理を平らげた。
少年が驚いたのはサイカが実は思ってもみなかったくらいに健啖だった事だ。
よく食べると驚く少年に体が資本だからねと笑った意味は如何なるものか。
何となく予想は付きつつも答えは聞かず。
二人は食事を終えた後。
僅かな時間を挟んで再び移動する事となった。
その頃にはもう女給達の姿は消えていて跡形も無く。
綺麗に片付けられた会場から皿を提げる女性達が少年達に頭を下げて会場から送り出す。
「まずは此処の由来から話しておこうかな」
コツコツと長い廊下を歩いていくサイカの後ろで。
少年は通り過ぎるドアの先から息を潜める気配を感じていた。
今日は貸切だとの話は本当のようで客らしい影は通路に一人もいない。
「此処は元々が孤児院だったんだ」
「孤児院?」
「もう一千年近く前になるらしいけどね。人間との領土争いで負けた亜人が異種や自分達の子共を受け入れてくれるこの国で運営を始めたのが興りだって言われてる。その時に院を運営した初代院長が僕のご先祖様らしくて、それからずっと僕の家が此処を運営してるんだ」
通路の先が外の回廊へと続いていた。
どうやら中庭に出るらしいと眺めた少年は野草が咲き乱れる庭の様子に目を見張る。
妖精らしき人型が内部に浮かぶ光の玉がフヨフヨと漂っていた。
「あの子達はウチの細々とした管理をしてくれててね。今は夜だから地脈から魔力を受けてる最中なんだ。昼になったらそこら中を飛び回ってるから、次の機会に話しかけてみるといいよ」
手入れされながらも野趣に溢れる庭の造詣は古く。
欠けた柱や壁の残骸らしきものが野草に埋もれるように横たわっている。
触れたら崩れ落ちそうな旧さなのは見た目からも間違いない。
「元々孤児院だったのに何で娼館になったかって言うと。まぁ、亜人貴族主義が流行り出した頃に色々あったからなんだけど、政治的な配慮だったとか、色々伝わってる。大まかに言うと已むに已まれぬ事情ってやつだったらしい」
「それって……」
「亜人は高貴たれって伝統上、“人間みたいな亜人”の赤子を間引く事なんて出来なかった昔の亜人達は結局、アルヴァスで規範として君臨する亜人貴族達の矛盾を此処に集約した。“九十対十”の中でも限りなく人間に近い者。あるいは人間にしか見えない者。そういう子が貴族の中から現われたら此処に預けられる。貴族にだって感情くらいあるから、自分の子をお忍びで見に来る親だっているさ。ただ、そういう子達が増えるに連れて院の経営が苦しくなった時期があった。親だってずっと援助してくれるわけじゃない。此処はあくまで貴族達の慈善活動って形で運営されてたんだ。国の危機や飢饉、他にも政情が不安定な時はお金が入ってこないなんてザラだったらしい」
「それで娼館に?」
「ああ。仕方なかったと伝わってる。でも、仮にも貴族の血筋をただの下賎の男に任せる、なんてのは貴族の流儀に反したんだろうね。その当時の当主は“九十対十”や人間そのものにしか見えなくても彼女達を愛してくれる亜人貴族や人間を探した。要はそういう姿でも構わなくて、それでいて彼女達を大事に扱ってくれる者を探したんだ。そういう貴族や人間達はそれなりにいた。でも、表向き亜人貴族は人間みたいな女とは結婚出来ないし、人間側にしても亜人との婚姻は地位のある者程に難しかった。だから、此処はそういう子達を“愛人”として囲う場になったのさ」
「ああ、そういう……」
少年がサイカの言いたい事を理解した。
「人一人を養うお金くらいは出してくれる。でも、それを実際に行う為の場所や人手を用意出来る者は限られていた。なら、今此処でいつでも会いに来れるようにしておけば、何も問題はない。当時の当主はそう考えたわけだ。それ以来、此処は会員制の娼館になった。原則、会員の紹介とアンサル家の許可が無いと入れない。今のアルヴァスには人間みたいな容姿でも全然構わない貴族も多いし、国外から会いに来る人もいる。そういう方々に酒の酌をしたり、料理を作ったり、一緒に庭を散策したり、体を預けたり、今で言う水商売と宿泊施設を兼ねた場所になったわけさ」
ようやく辿り着いたのは通路の最も奥にある扉だった。
「アルゥ様は僕の父とは懇意だったらしくてね。母も一日くらいなら構わないと言ってくれた。それでさっそくなんだが、今日は君に何人か選んで貰う事になる」
「選ぶって、その……」
少年の笑みは微妙に引き攣っている。
「君が考えてる通りだ。代金はアルゥ様から数人を一生分養えるだけ頂いてる。君は会いに来たい時に会いに来て、好きなようにすればいい。だから、そう気負う必要も無いよ」
「あはは、は……何だかもう胃が……」
「ふふ、本当に真面目だね。いや、そうじゃなければ、一人に数人宛がう事なんてしなかったか……」
サイカが可笑しそうに笑った。
「此処のルール上も問題はない。もし、君が選んだ子に興味が無くなったと告げるか。何年も会いに来なければ、その子はまた別の誰かに仕える事になる。此処にいる限りは全員君に見放されたとしても誰も困ったりはしないから安心して欲しい」
「それって安心?」
「君がそういう奴じゃないって僕は知ってる。もし、来られなくなったりするなら、それにはきっと仕方ない理由があるんだろう。だから、僕は君が此処に来る事を反対しなかった」
「サイカ……」
少年が兎少年を見つめた。
「出会って間もないけど、それなりに人を見る目はあるつもりだよ。此処の会員になれるかどうかは基本的に僕か母の監査を通るかどうかだからね。その意味で君は既に合格してる」
少年の前を歩いていた彼がそっと後ろに下がる。
「此処からは君の、君だけの空間だ。体を見て決めるのもいいし、話してみて決めるのもいい。ただ、アルゥ様から少し注文されててね。ちょっと、癖の強い子もいるから、必ずしも選んで歓迎されるかどうかは分からない」
「アルゥさんから?」
「僕には理由が分からないけど、君にとっては大事な事だって言われたから、ウチの中でも選りすぐりの子ばかり選んだつもりだよ。どうか、選んだ子達には僕といる時みたいに接してやって欲しい。仲間がいたって、やっぱり棄てられたって自覚は皆あるんだ。哀しい子や寂しい子、今も苦しんでる子も多いから」
「……うん」
サイカが後ろで頭を下げた事を感じ取り、少年は大きく頷く。
「じゃあ、今日の僕の役目は此処までだ。男として健闘を祈ってる」
「戦うのはちょっと…」
苦笑する少年にサイカもまた苦笑で返した。
「それは君次第じゃないかな」
肩を竦めたサイカの背後から足音が近付いてきた。
「サイカ様。では、此処からはベルンが」
「ああ、ベルン。僕の友人をよろしく頼む」
「はい」
女給の姿で現われたのは会場で少年に挨拶をした喉に鰓(エラ)を持つ海洋性の亜人少女だった。
何処か儚げで薄い身体や唇からは吹けば飛ぶような印象を受ける。
見目麗しいからこそ、その妖しい姿は薄暗い通路では謎めいた気配を醸し出していた。
「この子はベルン。僕がいない時の応対やプレイの内容とか。まぁ、色々とアドバイスしてくれる。何でも聞いて。此処にいる子で一番長生きだからね」
「それは言わないお約束です。サイカ様」
「ごめんごめん。そうだった。じゃあ、僕はこれで」
僅かに頭を下げたサイカが背を向けて通路の先に去っていくと沈黙が二人の間に流れた。
「ええっと。ベルンさん?」
「いえ、ベルンで結構でございます。イクス様」
「じゃあ、ベルンって呼んでいいかな?」
「どうぞ。お気に召すままに」
「何だかこそばゆいかも……」
「仕えられる事に慣れれば、自然と馴染むものですよ」
「そう?」
「はい。長年、このお屋敷にお使えしている私用人の勘です」
少年の前に出てベルンが扉を開け放った。
「どうぞ」
招き入れられるまま。
少年は再び明るい部屋の中へと入っていった。
*
背後で扉が閉まってから少年がどう反応していいか困ったのは十人以上の少女達が明らかに男を誘う用の性器の強調や露出を考えた下着姿で目を輝かせていたからだ。
羞恥心はあるのだろうが、それにしても目を耀かせられるような己とも思えず。
思わず困った笑みになったのは致し方ない。
天井にある魔術具は太陽のように眩く落ち着いた色合いの部屋を染め上げ、白いクッションの山に寄り添うようにして待つ少女達を照らし出していた。
「皆さん。選ばれるかどうかは全てイクス様次第です。前を通るまではアピールも禁止ですよ。将来のご主人様なのですから、粗相の無いようお静かに」
『は、はい!! ベルン寮長!!』
ほぼ全員が唱和した。
「寮長?」
「失礼しました。実は幼年者のお世話を司っているものですから」
「そうなんだ?」
「はい。昔、サイカ様のオシメを取り替えたのもベルンですので」
「あ、はは……聞かなかった事に」
「では、さっそくお選び下さい。皆さん。前に来てから、ですよ?」
『は、はい!!』
まるで年下のお守りをするお姉さんのよう。
これではサイカも頭が上がらないだろうと少年は微笑ましくなった。
それから下着姿の少女達の前で話を聞くのに少一時間程。
自分のセールスポイントをマシンガントークさながらに展開する少女達一人一人が必死だった。
それはサイカの話を総合するなら自分の為と言うより“自分達の居場所を護る為”であるのかもしれない。
仲間や家族達を守り続ける砦。
それこそが【月兎亭】であり、その兵隊こそ彼女達なのだ。
愛と男を射止めて後進の者達を生かす。
その心は並みの兵隊よりもある意味強いかもしれない。
自分を捧げるという最大の貢献を持って、人生を左右される事を良しとする。
如何にサイカやその母親が審査していようとも、恋のような情動は儘為らないもの。
良い人であっても、好きになれるかどうかは分からない。
身体だけの付き合いと割り切れる者もいれば、きっとそうでない者もいるのだから。
「次で最後です」
全員の話を聞いて相槌を打ちながら、少年は最後の最後に残った少女の下へと歩いていく。
「も、申し訳ありません……その、後できつく叱っておきますので、どうかご容赦を……」
額に汗を浮かべて頭を下げたベルンの言葉は何故か。
全て残った少女に理由がある。
その全身は漆黒だった。
ローブを着込んで猫みたいに丸まっている姿は少年に生え際を意識させる。
身動ぎしなければ、置物かと思うような拒絶振りだ。
「えっと、名前…教えてくれないかな?」
『………璃紗』
「りしゃ?」
『……奏璃紗』
「奏……」
「璃紗!! その態度はさすがに看過出来ません!! この方はサイカ様のご友人でもあるのですよ!!?」
『知ってる。サイカが友達が出来たって喜んでた』
「出てきなさい!! そうしなければ、連帯責任で貴方の仲間が罰を負う事になります!!」
『ひ、卑怯!! 璃紗だけ怒ればいいのに!!』
「貴方が今失礼を働いている方が言えば、貴方だけで済む話がこの館全体を巻き込む事にもなりかねないのですよ? それでも貴方はそのような態度を取るのですか?」
『―――』
モソモソと黒い塊の一角が崩れて豪奢な跳ね乱れた黒髪が周囲に散らばった。
髪が生えているというよりは髪に食われていると言った方が正しいような姿。
小さな顔がジロリと少年を睨む。
顔面も何故か黒く染まっていた。
「んな!? 何を付けているのですか!!? 璃紗!!!?」
「黒炭。お化粧したら選ばれないかと思ったから……」
「璃紗!!!」
さすがにその発言には怒りを禁じ得なかったのか。
ベルンの手が上がろうとして、そっと少年に抑えられれる。
「えっと、初めまして」
「馬鹿じゃないの? 今、喋ってたのに」
「―――?!!!」
もう鬼の形相になろうかと眉間に皺を寄せたベルンに少年が首を横へ振った。
「僕は―――」
「知ってる。サイカの友達でイクス・ゼオって言うのは」
「そっか。サイカとは友達なの?」
「別に……」
プイッと少女が顔を逸らす。
「友達の友達は一応友達みたいなものだろうし、仲良くしない?」
「友達みたいなのとは違う……」
「じゃあ、人間みたいな亜人の知り合い、くらいでどう?」
「亜人が人みたいじゃダメだと思う」
「最もな意見だけど、見た目僕って人間そのままだから、ダメって言われても困るかな」
「……人間なの?」
璃紗が少しだけ少年を見て視線を俯けた。
「微妙に人間じゃないとだけ」
「微妙なの?」
「うん」
胡散臭そうな半眼で少女から睨まれて、ヘラッと少年が微笑んだ。
「璃紗。今からでも遅くないからちゃんと自己紹介しなさい」
ベルンの声に仕方なさそうに少女が顔を上げた。
「……奏璃紗です。私みたいな小さい子を選ぶロリコンは嫌いです。じゃあ」
少女はボソッと呟いて、再び毛玉となる。
「璃紗?!! あ、貴女ねぇ!!?」
まぁまぁと取り成して。
少年は沈黙する物凄い形相のベルンを宥めた。
既にその顔は他の少女達がガタガタと部屋の片隅で震え上がるようなものとなっている。
「えっと、ロリコンって何?」
『知らないの?』
「近頃は七教会の事典とかでも智識仕入れてたりするんだけど、俗語(スラング)には詳しくなくて」
『……年下好きの男の人の事だって、この間見た本に載ってたの。武帝の方じゃ、小さい子も奥さんに出来るから、部族ハーレムに多いんだって……』
「そうなんだ?」
『うん……』
「話してくれて、ありがとう」
『……何で?』
「そんな風に思ったから」
『サイカと同じ変人なの?』
「サイカが変人かどうかは分からないけど、友人だから似通ったところはあるかも」
『……』
ひょっこりとまた顔を出した少女が渋々といった感じで小さなハンカチを少年に差し出した。
「?」
「……拭かせてあげる。もし、気に入ったら選べばいいわ」
苦笑して。
「そうさせてもらおうかな」
ハンカチを黒くしながら、少年はそっと顔を拭い始める。
一分程で汚れは残るものの、ようやく黒い煤の下から顔が出てきた。
獅子のような豪奢な鬣(たてがみ)みたいな髪は黒く。
顔に掛かった余計な部分を退ければ、其処には十字に割れた虹彩があった。
(これって“魔眼”ってやつかな?)
虹彩の色や形は種族を確認する方法としては割と基本的な部分だ。
しかし、それ以上に瞳の特異な変化は多くの亜人氏族にとっては吉兆を意味する。
血統の混血が進む亜人達の間では“魔眼”のような超常の力を発現させる個体には二種類しかいないと固く信じられているのだ。
一つは氏族を導く英傑。
もう一つは氏族を滅ぼす災厄。
それというのも特異な魔力形質や資質を持つ家柄が亜人達の血統に数多く入り込んでいるからである。
絶滅・廃滅の憂き目にあった氏族の力が一部分だけ発現すると、その個体の能力は飛躍的に高くなり、最終的には偏った存在になる事が多い。
そんな実例が数多い為に栄光か地獄か。
人生で二つのどちらかしか得られない者。
奏璃紗としっかり名乗った少女も、そんな極端な生き方を強いられる一人らしいと少年は看破した。
亜人に付いてはかなり勉強してきたものの、それにしても実際にそんな個体を見るのは初めてだ。
どう接していいかは分からない。
だが、少女にどう答えればいいのかは自然に分かった。
何故なら。
「可愛いから、君にしていい?」
幼い少女の扱いならば、少年はシルルゥで慣れていた。
小獅子は意思の強そうな瞳に顔の端から食み出る程に長い眉を片方跳ね上げて、小柄な肉食獣を思わせる獰猛で整った顔立ちをパッと赤くした。
『か―――お世辞言っても靡いたりしないから』
一瞬でそっぽを向いた少女のボリュームのある頭部が撫でられ。
「この子で」
ベルンに答えが告げられる。
『――――――』
唖然とした少女達と寮監は思わず驚きに固まって。
選ばれた恥しさに再びローブに顔を隠した璃紗を凝視するしかなかった。
その後、謝り倒す勢いのベルンに他の子を選ぶのは少し延期したいと申し出た少年はプレイルームに案内され、しばし待つ事となった。
選ばれた少女が煤に汚れていては話にならない。
そう璃者の煤を落す時間が欲しいとベルンに嘆願されたからだ。
一緒に頭を下げさせられた璃紗の不満そうな顔には少年も苦笑せざるを得なかった。
女の身支度には時間が掛かる。
そんな言葉を思い出した少年は格闘しているらしき璃紗とベルンの漏らす騒乱の気配に苦笑を深めて、しばし隣室で時間を潰す事となった。
*
少一時間。
薄紫色の壁紙と薄桃色の照明器具で彩られた部屋で待っていた少年は手持ち無沙汰だった事もあり、一人浴室で身を清めていた。
小さいながらも部屋に湯殿があるのは大陸基準からしても、かなり豪勢だ。
大陸中央諸国ならば当然のような事も大陸の辺境では資産家や貴族だけの特権である事が多い。
飴色の木製の湯船は瀟洒な造りで複数の女神の寝そべる姿が彫刻されている。
仄かに甘く香るのは香木を彫り込んだものだからだろう。
薄い硝子の壁の先。
寝台がよく見える浴槽に張られた湯は冷める事もなく、熱くなる事もなく。
調度良い湯加減を保っている。
魔術による部屋の環境は快適と言って申し分ない。
少し気温が低く、湿度は気持ち高めに設定されている為、乾燥の心配もない。
となれば、まるで高原でまどろむような心地で安らかに長湯してしまうのも無理からぬ事だろう。
「……」
何故。
アルゥが自分を娼館で持て成したのか。
少年は自分と肉体関係を持つかもしれない少女達を見て何となく理解していた。
(僕の身体を保つ為……かな……)
不死者。
そう自身の事を少年はアルゥからは説明されている。
嘗ては死なないからどうしたという程度の話だったのだが、霧に近付いて戦うようになってからというもの、その恩恵は身に染みる程に受けている。
肉体の復元能力が無ければ、霧の中で何回も死んでいただろう。
それは間違いない。
だが、不死性にも限界がある事をアルゥは事前に少年へ教えてもいた。
能力を保つ為には肉体への魔力補給が欠かせない、らしい。
本来、魔力とは自身の魔力形質によって賄われるものである。
だが、少年の肉体は特別で、自身の魔力を自身の肉体に適応する事が出来ない。
故に魔力そのものは持つが、不死性を保つ為の魔力は別に外部から補給しなければならないという話だった。
不死性が失われると生命維持も危ういとアルゥは少年に説き、定期的に魔力を外部から補給するよう説いた。
結果として少年は今も定期的に魔力を外部から摂取する事となっている。
主にアルゥの娘であるシルルゥからの口付けという形で。
(魔力の高い子ばかり……何となく戦ってるのは知ってるんだろうなぁ……)
性魔術の智識は一通り与えられている。
他者からの魔力補給、受け渡しには苦労しない。
だが、その相手は極限られ、アルゥ本人かシルルゥに頼り切りという状況であった。
何かしら危険な事に首を突っ込んでいると悟っていたからこそ、アルゥは少年を娼館へと向かわせたと見ていい。
十分に魔力を補給させる為、相手を用意してくれていた、という事になるだろう。
(いつか、話さなきゃいけない時が来る……たぶん……)
ゼオ家に極力、霧の境界に関する事を持ち込まないようにしていた少年は湯船に顔の半分まで浸けながら目を閉じた。
記憶もない自分を温かく迎えてくれた家。
何も心配要らないと様々な智識を与え、学校にまで通わせてくれている恩。
魔力の供給を嫌がる事なく嬉しそうに行ってくれるシルルゥがいなければ、平穏に暮らせてもいなかった。
(こういうの……家族って言うのかな……)
胡乱な思考で揺蕩いながら、イクス・ゼオはノックの音を聞き逃した。
『イクス様……いらっしゃいますでしょうか?』
「あ、えっと。今、浴室に……」
『先程は失礼に失礼を重ね、真(まこと)にお見苦しい醜態を見せしました。心よりお詫び申し上げます』
浴室の先からは頭を下げる気配。
何も気にしていないと言ったところで真面目そうなベルンが頭を上げる事はないだろう気がして、少年は首を横へ振るに留めた。
「それより、その……あの子は?」
『隣の部屋におります。少し趣向を凝らしました。如何様にして頂いても結構でございますので』
「えっと、別に酷い事は……」
『ご心配されるような事はありません。娼婦が娼婦らしい事をする。ただ、それだけの事。器具とセッティングは済ませています。お好きなように愉しんで頂ければ幸いです』
「……」
無言だったのは何を言おうとベルンが璃紗に償わせるだろう事が言葉の端々から透けて見えたからだ。
少年にしても、ケジメが無ければ、少女自身が娼館というシステムの中で相応の責めを受けるのだと察していた。
優しく叱るくらいならば、シルルゥにもよくしている。
娼館の罰がどういうものかは分からずとも、自分の裁量で少女に積極的に軽い罰を与えれば、問題ないかと少年は今までの【月兎亭】の雰囲気から感じていた。
『では、お湯から上がる時は一声お掛け下さい。お世話致します』
「え、いや、別に……」
『いえ、このベルンも年嵩ではありますが、一応は候補の一人。イクス様が選んでくだされば、お仕えする事になります。ですから、まずは此処の流儀と房中術を味わって頂きたく……』
「その、ベルンもあの子達と同じように?」
「はい」
少年は少なからず驚いた。
『このような年増、お嫌でしょうか?』
「何て言うか。今日はあの子に付いて僕の補佐をするみたいな話だったから……」
『経験は豊富でございます。お任せ頂ければ、手管の数では此処の誰にも負けません』
さっそく自分のセールストークに移行した声に少年は汗を浮かべた。
まだ出合って間も無い間柄。
それでも身を任せるのが娼婦だと言うならば、それはそれで少年は尊重する。
だが、友人と親しそうに話していた者と肉体関係を持つのは気恥ずかしさのようなものが先立った。
海洋性少女が艶を帯びた視線をドアに送っているような気がして為らないのも理由かもしれない。
「……今日は遠慮しようかな」
少年は半笑いで丁寧にベルンの“お世話”を断った。
選ぶかどうかも含めて今度という結論を前置きされたのではさすがにグイグイ押すわけにもいかないのだろう。
湯を上がって制服のシャツとズボンだけに着替えた少年をベルンはただ微笑んで見つめるだけだった。
「こちらにどうぞ」
部屋を出てすぐ横。
隣室の扉が開く。
其処は今まで少年がいた部屋とまったく同じ造りだったが、一つ違うのは寝台の上に幼い肢体が括り付けられている事か。
纏められた黒髪は寝台の横に流され、黒い小獅子は拘束され喘ぐ獣そのものとなっていた。
「ひ、ぅぐッ、ん、ぁ!? あ、ゃああ?! ぁ、あ、ぁ、んぇえぇぇ!!?」
健康的な裸体。
まだ胸らしい胸も無く。
括れらしい括れも無く。
それでも女性であると主張する艶やかな性器と膨らんだ蕾を責められて、奏璃紗は悶えていた。
赤黒い蠢き盛り上がる肉の塊。
海鼠(なまこ)のようなものが乳房とすじにベッタリと張り付いている。
【禁断蟲(エクソティシス)】
娼婦を調教するのに使う事もある大人の玩具。
貴族の女が自らを慰める為に使うソレが男の指も知らなそうな肌と性器を蹂躙して無事なはずもない。
「んひぃいぃ♡ やぁ!? あ、あやまるからぁ!? とめ、とめへぇよぉ!? べる、ひくぅぅぅぅッ!!」
蠢く肉と乳房、すじの間からはジュル、ヂュルルルルッと繊細な繊毛の束が見えていた。
ビクビクと震えた体が絶頂しているのは確実。
しかし、それに艶らしい声が混じっているのは一目瞭然だった。
「出来上がってきているようですね」
少女の唇の端からは唾液が零れ、はしたなく舌がだらんと出てしまっている。
緩んだ顔は嫌悪よりも羞恥と快楽に染まりつつあった。
四肢を黒い革製の拘束具を嵌められ、同じ色の細い縄で寝台へ大の字で括り付けられている璃紗は首輪と目隠しまでされている。
俗に言われるSMというやつだろうかと少年は多少赤くなった。
「璃紗。これは貴女が取った行動の結果です。本来なら、もっと穏やかな中で初体験を済ませられるよう計らうつもりでしたが、あのような態度を取った以上は此処の仕来り通り、お仕置きしなければなりません」
「ご、ごめぇ、も、もぉしまひぇ、んひぃぃぅ!! やめへぇ♡」
目隠しの間から涙が伝っていた。
「謝る相手が違います。これはケジメでもあるのですから、償うまでは開放しません。それにもうよくなっているでしょう? 声が蕩けていますよ。今日はしっかりとイクス様に躾けて頂きます。娼婦としての勤め、よく果たしなさい」
「しょ、しょんにゃぁ♡」
「イクス様」
「え…?」
いきなり振られて少年が半笑いになった。
呆然と少女の痴態を見ていたのだから、決まり悪げでもある。
「サイカ様から優しいお方である事は聞き及んでいます。ですが、どうか璃紗に罰をお与えになっては頂けないでしょうか?」
「罰を?」
「はい。今日、璃紗がした事は我ら【月兎亭】の沽券のみならず、他のお客様にまで影響を及ぼしかねない重大な違反行為でした。お詫びするにしても、我々はお客様にお仕えする以外には何の手段を持ちません。ただ、だからと言って、罰をお客様に一任するというのは責をお客様に被せる行為に他ならないかと思われます。このような失態の償い方が死であるならば重過ぎますが、かと言って罰が軽過ぎても償いとして周囲には認められないでしょう。故にこのような形を取らせて頂きたいのです」
「このような……」
今も悶えながら唾液を垂れ流し、股間から牝の香りを立ち上らせる璃紗がまたビクビクと絶頂に震えていた。
「この子は初めてです。本来ならば、幾らかの配慮や準備をして、優しくとお客様にも促すところですが、今回は物のように扱って頂きたく思います」
「その…それって…」
「本来このようなプレイは信頼関係が出来てきてからお客様にお勧めしているのですが、温い仕置きではこの子がこれからまた同じような態度を取らないとも限りません。ですから、イクス様にはこの子を完全に自分の性奴として扱って頂き、上下関係を身体に刻み付けて頂きたいのです」
「……」
少年は基本的に博愛主義者に近い。
だが、だからと言って郷に入って郷に従わないような堅物でもない。
自分の置かれた立場を考えもするし、相手の立場だって考慮に入れる。
この場で嫌だと言ったところで、ベルン延(ひ)いてはサイカの実家に迷惑を掛けるだろう事は理解していた。
「……うん」
「ありがとうございます。お客様にこのような事を強いてしまう事。言い訳のしようも御座いません」
頭を下げて感謝する海洋性少女の言葉が娼婦という身分に課せられた業の重さを感じさせた。
「では、こちらに」
導かれるまま、少年が寝台の横。
璃紗を見下ろす場所に立つ。
寝台横には台付きの手押し車が置いてあり、その上には幾つもの小瓶と明らかに女性に使うのだろう彩豊かな大人の玩具が幾つも置かれていた。
「璃紗はまだまだ幼いですが、どうぞ見てやってください。この絹のような肌も仄かに赤みの差した身体も十分に瑞々しく端麗です」
まるで商品を紹介するような丁寧さでベルンがスラリとした璃紗の身体の上を指でなぞった。
「んゃぁ、べ、べるん! あやま、るか、らぁ!? さわらにゃ―――ぃ!?」
しなやかな指先が臍の上にグリッと押し当てられ、魔力の耀きが奔る。
すると、一瞬で腹部を中心として小さな魔術方陣が蔦のように肉体を覆った。
それと同時に璃紗が喘ぎ以外の声を漏らせなくなったのか。
少女は身悶えながら制止の声を上げられなくなる。
「しばし、この声もご堪能下さい。少しずつ牝として蕩け、小鳥のように愛らしい声で啼くようになりますので。余計な会話が出来ないように致しました」
「っ、っ、ゃぁ、くぅぅん いゃらぁよぉ?!」
ジュルルルルッと【禁断蟲】の繊毛が蠢いては少女の性感帯を攻め立てていく。
その内に股間からはテラテラと蜜が滴り、朱に染まった頬も初々しく、甘い吐息が零れ始めた。
「では、そろそろ……」
ベルンの手が璃紗の胸に張り付いていた蟲を掴んだ。
「ッ―――?!!」
ピチピチピチッとまるで張り付いたゴムを引き剥がすような音と共に繊毛が胸から粘液と共に引き剥がされた。
ビクビクと身体を震わせて。
声にならない甘い声が上がる。
ムワリと甘い香りが室内に広がった。
蜜で滑光る胸の先でピンと薄桃色の先端が勃ち、蟲との間に透明な糸を引く。
「程よく解れていますので。まずは指先で感触をお確かめ下さい」
「…うん…」
少年の片手がベルンに言われるまま伸びて、指先でツンと軽く乳首に触れた。
「~~~~~ッ?!」
胸から齎された衝撃に荒い息を吐いていた璃紗がまるで飛び上がらんばかりに背筋を反らせた。
「どうでしょうか? まだ男に触れられた事のない処女地ですが、十分な張りと艶を備えています。指で捏ね繰り回すも良し。唇や下で弄ぶにも最適な具合です。舌触りや味が気になる方には蜜もご用意していますので、口にしたい時は遠慮なくお伝え下さい」
「え、ぅ…はぃ……」
少年がさすがに頬を染めて、恥しそうに頷いた。
「ん、くぅ……おっぱいおかひくなっひゃうよぉ……」
あまりの快楽から一点して体を弛緩させた璃紗が唾液を零しながらフニャフニャと消え入りそうな声で呟く。
「感度は上々のようですね。では、少しお待ちを」
サッと台の上から湿った布を取り出してベルンが胸を優しく拭いた。
「ひ、ぃぁぁ……」
チロチロと小さな赤い舌を出しながら喘ぐ少女は布の感触に弱々しい声を漏らす。
「男性の肌に良く反応するよう【禁断蟲】を調整しておりますので、器具で苛める際は反応を愉しむ事も出来ます。何かお使いになりますか?」
「いや、その…遠慮しておこうかな……」
ベルンがそのまま一歩下がって頭を下げる。
後はお好きにどうぞという事らしい。
そう気付いた少年はそっと目隠しされた少女の頬を手の甲で撫ぜて耳元に口を寄せる。
「…璃紗」
「ッ」
その思ってもいなかった程に優しい声に少女がドキリと胸を打たせた。
意地悪を宣告されるのか。
それとも苛めてやるからなと呟かれるのか。
「君を……僕のものにするから……痛かったら言って……」
少女の心に不安を消し去るような雫が一滴、落ちる。
思っても見なかった言葉を受けて。
しかし、疑念は消えず。
チュッ。
「?!」
と頬に感じる熱さに何をされたのか混乱しながら。
悟って。
じんわりと体に染み入るような何かが彼女の胸を仄かに温かくした。
「ん……ちゅ」
「んッ?! ぁ…ぅ…ふ、くぅぅ……」
今まで【禁断蟲】に与えられ増幅されていた快楽とは違う。
背筋を跳ねさせるような衝撃は無いのに、理紗は焦燥と甘美が背骨をジリジリと焦がしているような錯覚に襲われた。
ちゅ、ちゅく、ちゅ、ちゅ。
「あ、ぁ…ゃ…な、なに、してぇ…やめへぇ♡」
今まで胸を攻めていた蟲が針のような快楽を齎すものだとすれば、今の璃紗を攻め立てているのは真綿のようなジワジワと蓄積されていく快楽と言って差し支えないだろう。
何をされているのかなんて本人にも分かっている。
優しい指が片方の乳首を少しだけ転がして、もう片方の乳首が舌と唇で蹂躙されているのだ。
いや、蹂躙されているはずなのに、男に女ではなく物として扱われているはずなのに、身悶えしてしまうくらいに擽(くすぐ)ったく、温かい。
蟲が塗り込んだ粘液とは違う。
少年の唾液が、舌先が、自分の大切な赤子に乳をやる場所を濡らしている姿を想像して、彼女は言い知れぬものが心の内から沸き上がってくるのを感じた。
「おいしいよ。璃紗のここ……」
「―――?!」
少年の本当に美味しそうな声。
乳首を舌で絡め、唇で優しく食まれて。
璃紗は自分が初めてモヂモヂと股間を擦り合わせている事に気付いた。
一方的な蹂躙で性器を開発している蟲が今も張り付いているのに。
何故か。
それより胸の方が心地良く。
自分の子供を作る場所も同様に熱くなっていく。
それが璃紗には手に取るように分かった。
目隠しをされ、その分鋭敏となった肌はもう汗に濡れていて。
ドロリと腰の奥で何かが溢れる。
「ぁ……///」
その事にまるでお漏らしをしたような恥しさを感じて。
彼女は悟られまいと自分の胸を優しく捏ねる舌と指に集中した。
『まぁ……初めてなのに……心から感じているのね。璃紗』
『?!』
行為を邪魔しないようにとの配慮からか。
魔術での音声が少女の思考に響く。
『貴女は今、お仕置きされているのに……でも、仕方ないのかもしれませんね…見せてあげましょう』
目隠しで見えないはずの視界がゆっくりと開けて。
ぼんやりとした温かい明かりの下で二人の男女が映し出される。
それは寝台に括り付けられている自分とその上に覆い被さるように片手を付いて、胸に顔と指を寄せる少年。
『あ、ぅ……』
はしたなく口元から唾液と舌を垂らして。
甘い喘ぎ声を出しながら、少年の舌と指の愛撫にモゾモゾと太腿を振るわせる淫らな姿。
『心地良いのでしょう? イクス様の指と舌と唇でお仕置きされているにも関わらず』
優しい指使い。
コリコリと踊らされる小さな乳首に糸を引く舌がクチュリと触れて唇が吸い付く。
「ん、ゃぁぁぁあ♡ んひぃぃぃ♡ りゃめぇ……」
ゾクゾクゾクッと背筋が反応して今まで溜め込まれた快楽を下半身にまで送り込んでいく。
『自分とイクス様が交わっているところを見て感じたのかしら?』
『ち、ちが――』
思考の上で反論しようにも少女は自分がどうなっていまっているのか分かっていた。
少年の唇が自分の胸を優しく食んだ瞬間、例えようも無く心地良くてもっとして欲しいと思った。
指でコリコリと乳首を摘まれて、悦びが心の奥底から湧き上がった。
自分の身体と少年の身体。
二つが映っているだけの映像がこの上なく恥しくて。
でも、嫌ではなかった。
それどころか。
(もっと、強くして欲しくなって……ぅぅ……)
発情していた。
盛っていた。
少年との行為に手足が解けたら、しがみ付いてしまいそうなくらい。
「んぅぅう、ふく、んくうぅぅ……!!」
我慢しようとしても、顔が綻びてしまう。
抑えれば、抑えるだけ、溜め込まれた衝動が熱湯でも詰められたように身体を熱していく。
「我慢しなくていいよ?」
優しい声が耳元で囁いて。
少女の頬に口付けが降り。
ああ、と奏璃紗は気付く。
お仕置き。
そんなつもり、少年には少しも無かった。
ただ、与えられた事をとても真面目に優しくしているだけ。
目の前の女を傷付けないように、初めて会った娼婦を、慈しんで。
「外してくれる?」
「畏まりました」
ベルンの視界が揺れる。
股間の【禁断蟲】が取り払われ、もう中心から蜜を垂れ流しているすじを露にした。
「お外しします」
そっと少年のベルトが緩められて、そろそろとズボンが下ろされる。
長い下穿きが半ばまで脱がされ、パチンとベルンが指を弾くとその両手の上にふわりと転移した。
上着すら消えると。
もう其処にいるのは全裸の少年と少女だけ。
「イクス様はとてもご立派なものをお持ちでいらっしゃいますね……初めてと窺っております。宛がいましょうか?」
「……お願いしていい、かな…?」
「はい。どうぞご心配なく」
そろそろとしなやかな指が少年のもう膨れ上がった幹を優しく扱くように触れて、その先端を璃紗のすじにピッタリと宛がった。
「ふぁ…ぁ…ぁぅ…っ…ふぁああぁ?!」
自分の大切な場所の感触。
熱く脈打つ薄桃色のツヤツヤとした棒の先が触れている光景。
あまりにも淫靡で頭が痛くなりそうなくらいに心臓が打って。
璃紗は蕩けそうになる思考にもう自分が抵抗していない事すら意識しなかった。
「璃紗は初めて?」
「は、初めてに決まってッ、はぅ…ぁ…んくぅぅ!?」
グチュリと僅かにめり込んだ先端に思わず甘美な声を漏らして。
(璃、璃紗の此処、もう…どうなっちゃってるの!?)
幼いとはいえ。
娼館にずっと生活している身だ。
娼婦達が使う器具にはそれなりに璃紗だって詳しい。
蟲での体の開発は短時間で行えるものではない。
女を高ぶらせる事は出来るが、常用するのでも無い限り薬品でも蟲でも性感の開発は不可能だ。
天然の媚薬を吐き出す【禁断蟲】もそれは同じ。
余程に効果が強いものでなければ、自分が感じるような快楽を引き出せないと璃紗は知っていた。
『璃紗……今、貴女は他の者から羨ましがられるような状態にあるようですね』
『え…?』
ベルンの視界である以上、璃紗に見えるのは自分と少年だけだ。
それなのに何故か、少女はその顔が見えるような気がした。
『女はね。心から受け入れてもいいと思える方とする時は無上の悦びを感じるものなのですよ』
『そ、そんなの?!! ち、違――ふぁぁあん!?』
ゆっくりと蟲に解された大切な場所へ少年の先端が潜り込んで来る感触。
強い圧迫感を感じるのに引き連れるような痛みは感じない。
それどころか。
背筋を這い回る快楽の乱流がビクビクと太腿から足の爪先まで痙攣を起こさせていて。
(やぁ?! うそ、うそらよぉ……こ、こんなので好きになったりしないの!? 璃、璃紗はもっと恰好良くて、優しい人が―――んひぃぃぃ?!)
涙をポロポロと零しながら、口元がはしたなく歪んで、快楽に喘ぐ。
見てしまっていた。
否定しようも無いくらいに自分が感じてしまうところを璃紗は受け入れ難く思いながら、それでも快楽に抗えず、我慢出来なくなっていく。
「僕も一応初めてだから、君が相手で嬉しいって思うよ」
「―――ッ」
カァァッと今までの快楽で染まっていたのとは別の意味で璃紗の頬が紅に染まった。
それに同調するように内部の圧迫感に対する感情が変化していく。
痛い事をされる。
奪われる。
そんな否定的なイメージで占められていた心に灯ったのは受け入れてもいいかな……という思い。
初めてで失敗すると男は酷く落ち込むというのはよく仲間内や年上の者達から聞く話だった。
初めて同士でどちらか一方が意地悪をするのは可哀想かもしれない。
そんな言い訳にも等しい言葉が少女の心に溢れていく。
「ふふ……」
ベルンが璃紗の沈黙に妖艶な笑みを浮かべていたのは璃紗の情動が手に取るように分かったからだ。
(イクス様はジゴロの才能がお有りのようですね)
男が女の処女性へ時に特別な思いを寄せるように。
女もまた男の童貞性に思いは寄せるのだ。
支配欲は男の方が強いと思われがちだが、女の方こそ男よりも徹底した支配を望む権化だ。
射精で満足を得る男と違って、一度火が付いた女の支配欲に限りはない。
「……ほんとう?」
「うん」
優しく璃紗の唇に口付けが降る。
「ん…ちゅ、んく……な、なら…いい…」
ゆっくりと自分の生涯一度の部分へ既に少年の先端が届いている事を知りながら、少女はそう言った。
「優しく、しないと…許さないんだから…」
「僕が生きてる限りは優しくする……」
シュルシュルと黒い縄が一人手に解けていく。
もう拘束は必要ないと判断したベルンがそっと頭を下げると静々と音も立てずに部屋を出て行った。
それと同時に視界のリンクが切れ、少女は再び目隠し越しの薄明かりに少年の熱と体を意識する。
少年の指がそっと拘束の解けた小さな手に絡まった。
「……ぅん」
コクンと頷いて。
璃紗はゆっくりと自らの意思で股を開いて少年を受け入れ易い体勢となる。
グッと押し入る物。
自分を疵付けられる痛み。
誰にも渡せないと思っていたものを受け渡す不安を受け止めるように両手が絡まる。
ズッ、プチュン。
一線を越えた瞬間。
痛みを耐えながらも、目を瞑りたくなくて。
焦点の合わない視線の端から雫が零れ落ちていく。
鮮烈な痛みに自分が削られた事を知り、鈍い痛みに相手の存在を感じ、何かが失われた胸の痛みに耐えながら、少女は、奏璃紗は自分を奪った“客”の顔を見つめる。
「ッ」
何かを耐えるように瞳を閉じて。
握る両手から伝わるのは震え。
心地良いのか。
痛いのか。
何を震えるというのか。
分からず。
「気持ち、よく…無い?」
不満なのか不安だった。
キュッと少年が少女の背中に手を回して掻き抱くように耳元へ唇を寄せた。
「ありがとう。璃紗……」
「―――どう、して?」
感謝。
それは初めてを貰ったからか。
だが、それならば、何故―――泣いてしまいそうなくらい顔を歪めていたのか。
「何でもないんだ。ただ、嬉しくて、哀しくて、どう…言ったらいいか分からないけど、一つだけ」
額と額が付けられて。
「忘れないから。君がくれたものを」
「あ……」
瞳と瞳。
交わる先にある色をまだ幼い璃紗は理解出来ない。
だが、遠い記憶。
誰かの腕に抱かれた時に同じ瞳で見られた気がして。
「ぁ…れ…」
ポロポロと次々に涙が溢れてくるのを留められず。
少女は自分がこんなにも痛みに弱い存在だったのかと驚きに固まった。
痛みはある。
圧迫感はある。
今もズキズキと下半身が痺れている。
でも、目の前が歪んで見えないのも、喉がしゃくり上げるのも、痛いからではない。
「泣いてもいいんだよ」
「っ……な、何で…哀しく、なんて…ッ!!!」
「うん……“知ってる”……」
「ふ、ぅ、ぅぁ…ふぇ、っく……」
自分にも分からない衝動が込み上げてきて、抑え切れなくなって。
結局、璃紗は抑え切れなくなった。
「溢れ出す気持ちは抑えなくてもいい……それを抑えるのは大人だけで十分だから……」
頬に口付けをして。
少年は優しく、ただ優しく抱き締めた。
結局、少女が泣き止むまで腕が解ける事は無かった。
射精すらせず。
堅くなった幹が緩やかに抜けるまで、ずっとずっと。
(どうして……懐かしいんだろう……この人は……)
きっと、後悔して、ずっと悪夢に見ると思っていた。
けれども、そうはならないともう彼女は悟っていた。
その日、奏璃紗はまどろみに落ちていきながら、純潔を捧げた事を後悔しなかった。
そうして夜も更けて。
少女は身体に掛かっている薄布に気付き、目を覚ます。
「……?」
ぼんやりと辺りを見回せば。
窓の先。
外側に迫り出した小さなテラスに背中を認める。
身体はとっくの昔に清められていて、シーツにも染み一つ残っていない。
「……」
天蓋の蒼き光を受けて。
空を仰ぐ姿。
微動だにせず。
何をそんなに見つめているのか。
「…………」
黒く蒼く艶やかに染まる空とは対照的に少年は影を造る。
一言も発せず。
ただ其処にある背中を何故か寂しそうだと璃紗は感じた。
今にも消えてしまいそうなくらい朧げな影。
声を掛けなければ、そのまま闇に融けてしまう気がして。
「ぁ……」
「?」
「イ、クス…様?」
振り返った少年の微笑みにトクンと静まっていたはずの心臓が鳴る。
満足な言葉も出ない様子になりながら、少女は寝台を出た。
まだ股には違和感が有り、鈍く痛む。
それでも布を被り、お化けのように埋もれながらヒタヒタと歩いて近付けば、手が頭を撫でて。
「別にイクスでいいよ」
「……いいの?」
おずおずと聞く少女に少年は頷く。
「……えと……その……イクスは……何してるの?」
未だ自分が少年を達させていなかった事にも気付かず。
ベルンを少年が説き伏せた事も知らぬまま、小さく少女は問い掛けた。
「空を見てた」
「見れば分かる……」
はぐらかされたと思った頬が少し膨れて。
それを見て苦笑した少年はスッと天蓋の星を指し示して空を見上げる。
「綺麗だなって思って」
身も蓋もない話。
けれども、彼女は素直に同意した。
「うん。璃紗もそう思う……」
「好き?」
「……いつ見ても何だか温かいから……ぅん……」
物心付いた時から見ている天蓋の星。
何か辛い事や苦しい事があるといつも彼女は夜空を見上げる。
ポカポカとしたお日様とは違う。
その霧と蒸気に覆われた都市にも鮮やかに届く蒼の耀きが彼女は気に入っていた。
「そっか……」
「……ね、ねぇ」
彼女は少し躊躇ってから、少年の手に自分の指先をちょこんと触れさせる。
「どうかした?」
「イクス…イクスは……どうして、璃紗を選んだの?」
「言わなかったっけ?」
「絶対、おかしいもの……」
「おかしい?」
「その、他にも可愛い子……一杯いるのに……」
その小獅子の顔が何処か自信無さそうに俯くのを見て。
少年は思わず笑ってしまった。
「な、何がおかしいの!!?」
「楽しいなって思って」
「た、楽しい?」
何を言われているのか分からず。
混乱した様子で璃紗は妙なものを見る顔となる。
「君は……何?」
言われている意味が分からず。
小さな顔が怪訝そうに傾げられる。
「僕はお客さんで君は娼婦で。でも、こうして話したりする事に不自由はない」
瞳が優しく細められて。
「可愛い子は一杯いたけど、可愛いだけなら僕は……きっと、誰も選べなかった」
その人差し指がツイッと彼女の顎を上げさせる。
「君は選んで欲しくないから、ああいう事をして……でも、僕はそういう君だから、興味が沸いて」
少年は撫でり撫でりとボリュームを失わない髪に優しく触れた。
「こんな風に話してみたいと思った。どんな子なのか知りたいと思った。それで仲良くなれたら、友達になってみたいなぁって……」
目を丸くして。
彼女は目の前の人間にしか見えない変な少年を孔が開きそうなくらい見つめる事しか出来なくて。
「……ば」
「ば?」
「馬鹿じゃ、ないの……娼婦とな、仲良くとか…友達とか……普通、怒って選ばないようにしないと変……」
「璃紗も十分、変だと思うけど?」
「あ、あれはコウギカツドウだから、いいの!!」
「抗議活動?」
「サイカが、近頃ずっとイクスの話ばっかりするから……」
「それって……サイカに構って欲しかったとか、そういう?」
「う、ぅう……こ、こんなの話すはずじゃなかったのに……」
少女が恥しそうに両手で顔を隠した。
「サイカ…変人だから…話し相手、璃紗くらいしかいないと思ってたのに……近頃はいっつもイクスとこういう話をしたとか…そういうのばっかりで……」
友達を取られたと思ったのか。
少年は少し納得した。
きっと、黒炭の化粧も小さな反抗だったのだろうと。
「そっか……なら、サイカに感謝しないと」
「え?」
「だって、そうしなかったら君を選ばなかったかもしれないし」
「ぅ……」
ありありと失敗したという顔をする少女の頭をポンポンと手が叩く。
「これからもよろしくね。璃紗」
「……このロリコン……」
照れ隠しか。
そう言ってそっぽを向いた少女はダダダッと走ると寝台の中に潜り込んでしまった。
「また、来るよ。きっと……」
「……勝手にすればいいわ」
それが生還への誓いだとも知らず。
後は無言で。
小獅子は瞳を閉じた。
隣に入ってくる少年を受け入れるよう。
少しだけ寝台の端に寄って。
天か落ちない蒼き星を背負って。
一人分の寝台の隙間はそう遅くなく、そっと埋まった。
*
水底に沈むもの。
―――シ……。
揺蕩う泡沫。
―――…ンア。
あるいは世の果てまで持ち越される約束。
―――シンア。
「どうかしたんですか?」
川岸の街で一泊。
いつもなら野宿になるはずの一時。
麗らかな春の夜に声は響いた。
「えっと……何だった、かな?」
「もう、寝惚けて……明日は王都に入るんですから、しっかりしてください」
「?」
サラサラと鼻を擽るのは金糸。
振り向いた少年は月明りの下で耀く黄金の稲穂に面映さを感じて、隣の少女をそっと恐る恐る見た。
見目麗しい少女。
名は何だったか。
思い出せない。
「でも、仕方ないのかもしれませんね」
「え…」
「だって、此処に来るまで沢山の事がありましたから」
黄金の髪がサラサラと音を立てて。
その何処まで澄んだ泉のような瞳が月を下限と映す。
世界に吹く柔らかな風が何処までも心地を浚っていくからか。
仄かに熱い身体も触れ合う手も汗ばむ事は無い。
「シンアの事。きっと、分かります。本当の家族や家の事も……」
「家族……」
「その、やっぱり…気が勧みませんか?」
「え、いや、その…えっと…」
少しだけ少女の顔が曇って伏せられた。
「ごめんなさい。でも、シンアには家族が、寄る辺が必要だと思ったんです。ずっと、私達みたいな流浪の旅に付き合わせちゃいけない気がして……その、誤解しないで欲しいんですけど、迷惑だとか、追い出そうとか、そういうのじゃないんです」
キュッと重ねられた手が強張ったのが少年にも分かった。
「シンア。貴方はとても凄い才能を秘めている。それは私達全員が知ってます。そうじゃなかったら、私達の誰も此処まで大きな怪我もなく辿り着けていなかった……」
「そう、かな?」
「はい。シンアがいたからこそ、私達は旅が続けられた。だから、その恩返しがしたくて……だから、此処に来ようって最初に……」
「そうなんだ……」
何かを必死に伝えたくて。
でも、伝えられなくて。
そんな顔で少女は続ける。
「シンアの才能はその……とても稀有だと思います。傷が早く治ったり、物覚えが凄く良かったり、魔術の才能だって、私が教えた事は大体出来ますよね?」
「う、うん……でも、物覚えは悪かったような……」
「それは私達の誰も教え方が上手い人がいないからです。それどころか。覚え難い事ばっかり、無理難題を押し付けてきたからですよ」
「そう、なの?」
「フルーの言ってる事やユアンが言ってる事。ソィラの抽象的な言い回しや私の魔術講義とか。本当なら、そういう専門の人も首を傾げるような理論や理屈ばかりですから」
「みんな、凄く優しく教えてくれたと思うけど……」
「例えば、ユアンの言う斬撃に対する考え方や思考、理論は私にはあまり分かりません。フルーの言う魔術や魔力を使った道具の構造なんかは殆ど魔術師には理解不能だったりします。ソィラは基本的に根性論で何でも出来ちゃう天才肌ですから、付いて行けてるだけで十分に才能なんですよ?」
「知らなかった……」
少年が目をパチクリとさせる。
「シンアはこれを全部大体出来るようになりました。これは凄く奇跡的な事なんです。ですから、そういう稀有な才能がある人なら、本当の家族や家柄が分かる確率は高い。そう思ったんです」
月は静かに風に吹かれている。
蟲の声一つ無い丘の上で。
少年は少女が本当に言いたい事が言えるまでは此処に居ようと決めた。
「………シンア……本当は…私……凄く酷い女なんです」
「どうして?」
「最初に此処に行こうって言い出したのに……今は……」
何処か悔やむように顔を歪めて。
今にも泣き出しそうなくらい顔を俯けて。
少女は呟く。
「貴方の家族が見付からなければいいって、そう思ってます……貴方とこれからも一緒に旅がしたいって……勝手ですよね……貴方の事を考えたフリをして……ただ、自分の我侭で……」
ああ、と。
少年は自分の胸が熱いもので満たされていると気付いた。
それの名前をまだ知らなくても。
それがきっと大切なものだと分かる、理解出来る。
だから、言う事なんて初めから決まっていたのだ。
「そうしよっか?」
「え…」
思わず顔を上げた少女に少年は微笑む。
ただ、そうしたいからそうする。
自分を救い、慰め、傍にいてくれた人が、泣きそうな顔でいるのなら。
何だって出来そうな気がした。
「だって、僕にとって家族はもう此処にいる…みんなだから…」
「シンア……」
「大切な仲間、友達、家族、どんな言葉だって足りない……掛け替えの無いもの。昔、言ってたよね? 自分の大切なものを魔術に込めちゃダメだって」
「……はい。魔術師は命と意思を魔術に込めてもいい。でも、自分の大切なものだけは使ってはいけない。それがウェスティアリアの掟です」
「僕にとって大切なものは昔何も無かった。クラルが村に来て、僕は大切なものを貰った。そして、今は一杯…抱え切れないぐらい…此処に……この胸に……ある…どんな魔術にだって込められないくらい沢山……」
そっと手が握られる。
「一緒に居たいなら、そうすればいい。行きたくないなら、行かなくていい。もし、本当の家族や家が在ったって、きっと……今のみんな以上に大切じゃないから……」
「―――」
「傍に居ちゃ……だめ、かな?」
「………………そんなの」
手が握り返される。
「ダメ、なんて言えないじゃないですか……私だって…」
それ以上は言葉にならなくて。
少女は少年に身を寄せた。
『おぉ~ぅ。これはイクわよ。イクところまでイクわよぉ~』
『ん、ごほんごほん。けしからん。まことにけしからん。ああ、けしからん。何故、こちらにも言わないんだ。けしからん』
『ん~~愛育む男女の図…メモメモ…さっそく作品へのインスピレーションがビビッときたよぅ♪』
「な、なななな、な、何してるんですか!!!?」
いつの間にか数メートル先の茂みに旅のメンバー達がやって来ていた。
思わず立ち上がった少女が頭からふしゅぅ~と湯気を噴出させて、顔を真っ赤にする。
『おぉ~~う。手は握ったまんまよ。まんま!!』
『けしからん。不純ではないにしても異性交遊はもっとこう時間を掛けてだな。けしからん』
『とりあえず、ハートマーク型の武器ってどうかなぁ?』
「あ、貴女達!!?」
思わずドカンと茂みに攻撃魔術(中)が打ち込まれた。
閃光が夜の静寂に炸裂する。
追いかけっこを始める仲間達に少年は微笑んだまま。
一つ己に約束する。
誰の為でもない。
ただ、己の全てを掛けて、己の為に約束する。
(みんな、守ってみせる……例え、どんな事があったって…絶対に…君を……幸せにしてみせる…)
ゴボゴボと夢に溺れていく。
それが何もかもを犯していく。
永遠より堅き約束が己の身を蝕んでも。
きっと、少年は永遠の果てより彼方ですら微笑んでいるに違いなかった。
何故なら、それは約束。
彼が唯一、己すら消え去っても完遂すると定めた約定。
この宇宙を統べる如何なる法則にも優越するだろう“絶対”だからだ。
(ハティア……僕の……大切な人……)
―――璃紗ぁあああああああああああああああああああああああああああ!!!!?
グッチョリと濡れ蒸した寝台の中で少年は微睡む。
「ふぇ?」
寝惚けた少女は寝相の悪さで自分が少年とは逆に眠っている事に気付いた。
その顔が股間と少年の顔に壮大な地図を描いた事を確認し、十秒呆けた挙句。
薄く瞳を開いて熾きようとした少年の側頭部が理不尽な怒りと羞恥から蹴り飛ばされる。
その日、少年はエストリアから呆れられた様子で二度目の忠告と共に小言(とげ)を刺されまくる事となった。
そうして、ようやく、霧は扉の奥へと者々を引き込み始める。
新たなる夜が近付いていた。