第三章八節「入場者達」
【聖征者(クルセイダー)】。
過去、教会において最も忌まれ、同時に畏敬を集めた者達。
五千年の長きに渡って組織が続いてきた理由。
信仰を集めようと、資金を集めようと、超常を集めようと、決して覆らない外敵からの攻撃は必ず存在する。
そんな時、時の【総主教】と大司教達が決を取り、向かわせるかどうかを決める。
それが彼らだった。
教会の敵、信仰の敵、民衆の敵、国家の敵、あらゆる敵と戦い、戦い、戦い抜いて。
死ぬ事も許されない存在。
その内実を知る者はそう多くない。
教会内部にしても今では旧教会派と言われる人々くらいだろう。
その時、教会が持てる最高の法術と唯一神の力を分け与えられた小さな神。
天使上位三体。
熾天使、大天使、座天使。
これらと同等であるとされる唯一の“人間”こそ彼らの正体である。
今や唯一神は亡く。
新しき彼らに力を与える者は神ではなくなった。
皮肉にも七聖女の【魔導技術】と【電子噐械学】を基礎に独自の技能を開発するには到ったが、今の彼らは過去、聖なる者と実しやかに人外達から言われていたような実体を失ってしまっている。
だが、それでも旧教会派と言われるようになってしまった【総主教】一派に頭を垂れているのは類稀なる教会への呪怨にも等しき信仰故である。
彼らは今も己の身の置き所を己では決めない。
もう大司教達が消え失せている現状に何を言うでもない。
一つの“機構”として今も存在する【総主教】に仕えるのみである。
「では、お任せ致します。いつ如何なる時も健やかならん事を……」
修道女が頭を下げて扉を閉めた。
聖堂には数人の影が敬遠な信徒の如く奥の十字架に両手を合せている。
十字架の下には石造りの座が一つ。
その奥には唯一神を現す大いなる光の玉と天使達が降臨する絵が壁一面を覆っている。
周辺は薄暗く。
灯る明かりは洋光(ランプ)が四つ切り。
天井から鎖で下げられたソレがキィキィと揺れる度、空の荒れようを顕すように轟々と聖堂に風音が響いていた。
『さて、命は下った。久方ぶりの任。実に121年ぶりとなる。往くは誰ぞ?』
影が一人席から立ち上がり、長椅子の上で演説でも打つように他の影達に問い掛ける。
『ん……往く者によってはこの亜人の国が滅びましょう』
『ふむ。我らの誰が行こうとアレ相手では手加減出来ない。そうなれば、“底”が抜ける可能性も高い』
『我ら四者もそろそろ千年。新しい世代に任せてみては?』
『ふ……弟子を取った者の言う事は違うな』
『いえいえ、あの子は出来が悪くて』
『決を採りましょうか。我らではなく次の世代に任せるならば手を』
スッと四つの影が手を上げた。
『では、任せよう』
『異議無し』
『異議無し』
『異議無し』
四者一致。
【聖征者(クルセイダー)】達は近頃ようやく出来た後継者に全てを任せる事で合致した。
『出でませい。汝の名を』
その声に誘われるように聖堂の扉が開く。
「我が名はただ【聖征者(クルセイダー)】と」
扉の前で片腕を胸に付け、一人頭を垂れる影に四者が微笑む。
『よろしい。ならば、今日から汝こそが聖なる者、征く者、教会の敵を滅せし偽天の使者だ』
四人の影が頭下げる若人の前へと進み出た。
『命令(オーダー)は敵の殲滅と国の守護。我らが力と新たな器を用意した』
フッと影が一人消える。
『授ける。アラキバの名を貸そう』
また一人、影が消える。
『授ける。イェクンの名を貸そう』
更に一人が消える。
『授ける。マスティマの名を貸そう』
最後の一人がそっと囁いた。
『授ける。メタトロンの名を貸そう』
若人が顔を上げた。
『器の受け取りは出撃時にするといいでしょう。【総主教】様への挨拶を忘れずに』
「お役目。ご苦労様でした」
『ふ……余生をゆっくり過ごせる事を期待します。新たなる【聖征者】……今回の任は長期に渡る事となるでしょうが、焦らず、地道におやりなさい。我らより素質のある貴方なら、四者の力の全てを扱えるでしょう』
「……はい」
『では、いつか審判の先で』
最後の影が消えて。
四者から力を受け継いだ若人は自分の中で小さく灯る四つの火を自覚した。
大げさな儀式も無い。
呆気ないくらいに単純な力の譲渡。
それは過去から連綿と続いてきた大いなる先達達の遺産。
教会の発生から続いてきた【聖征者】達はいつもこうして代替わりしてきた。
力を渡せば、寿命も長くはない。
唯一神亡き今代からは天界からの支援もない。
天使達の力を借りる事も無いだろう。
となれば、次に受け渡すまでは若人が力を磨く以外ない。
たぶん、会いに行かなければ、二度と顔を見る事もないだろう先達達の事を思い。
床に一滴、雫が落ちた。
「い、行かないと……」
聖堂の扉を閉めて。
若人が歩き出す。
途中、通路には修道女達が頭を下げて待っていた。
先導されるまま船首へ赴けば、人気は無く。
無骨な鋼鉄製の扉を開けると、中には椅子がニ脚と簡素なテーブルが一つ。
そして、アルヴァス上空を巡回する魚のような飛船体。
【神群(エクセルシトゥス)】の最高責任者。
つまり、旧教会派の頂点【総主教(パトリアルヒス)】その人が待っていた。
「ああ、来てくれたのですね―――【聖征者】」
「は、はい」
後ろで扉が閉まる。
見慣れた顔が今日はただ微笑んでいるだけではないと若人も気付いた。
もう十六になる乙女。
亜麻色の髪持つ少女。
前代【総主教】の孫娘にして、現【総主教】。
レア・アルトス・エール。
緩く縮れた髪を伸ばした友人。
いや、姉妹兄弟のように育った幼馴染を前にして若人は頭を垂れた。
「もう名前では呼べませんね。前代より力を頂いたのでしょう?」
その聡明にして控えめな微笑みは一派の至宝。
誰も異議を唱える事は無いだろう。
優しく訊ねる仕草一つも眩い。
本来ならば、聖女とは彼女の為にある位だ。
出会った信仰者達は誰もが零す。
「はい」
「ならば、新たな天使の力を授けねばなりません」
「?」
首を傾げたのは当たり前の話だった。
今や天使達は彼らに力を貸すような存在ではなくなってしまっている。
「確かに唯一神亡き今、天使達はクラル様の下に統括されています。でも、あの大戦で切り離され、独自に活動していた方も多いのですよ。彼らは今も我らとの間に盟約を持っています」
ふわりとレアの周囲に十数個の光の玉が浮かび上がった。
「さぁ、どの方を選びますか?」
「………全員を」
「え?」
レアの瞳がパチクリと驚きの色に染まって瞬いた。
「先程、前代の方々に頂いた力はまだ胸の内を満たしてはおりません。これならば、全ての方を受け入れられます」
その言葉に少しだけ沈黙して。
少女は大きく頷いた。
「あなたらしい選択です」
光の玉。
天使達の大本から切り離され、今や寄るべ無き存在となった者達が一人また一人と若人の胸に飛び込んでいく。
全てが胸の内に消えて。
それでも何の痛痒も感じた様子無く自分を見る若人にレアが微笑んだ。
「天使の力をそれ程に受ける事が出来たのはきっと後にも先にもあなた一人となるでしょう。お一人の名を冠するのも無理があるかもしれませんね……では、ネハシムと名付けましょう」
「ネハシム・セラーフィーム……熾きる蛇、でしょうか?」
「ええ、今後はそう名乗るよう」
「はい。素敵な名前を頂けて、嬉しく思います。レア様」
「レア様、ではなく。【総主教】様、ですよ? ネハシム」
悪戯っぽく笑った少女に若人が僅かに頬を赤くして頷いた。
「はい……【総主教】様」
「よく出来ました。では、お往きなさい。多少長くなると思いますが、あなたならばきっと、あの邪悪の神々をも討ち倒せると信じています」
互いに微笑んで。
二人はそっと手と手を取り合った。
睦み合う姉妹のように。
あるいは恋人のように。
「「………」」
バタンと扉が閉まる。
船首の部屋を後にして。
若人は無骨な鋼色の通路で船体下部に向かった。
今度は誰も付いては来ない。
数分後。
下船の為のハッチがある広大な空間へ出る。
外へと続くデッキ付近には一様に眼鏡を掛けた修道女達と修道僧達が忙しく立ち働いている。
その人々の中央。
彼らの心血を注いだ“器”が鎮座していた。
巨大な紅の十字架状の箱に収められているのは無垢なる民を救う為に開発された身体。
その横には試作四号と呼ばれた躯体が黒ずみ横たわっている。
複数の配管や柔らかなコードが繋がれ、最後の仕上げの為に情報を吸い出されているのだ。
試作五号。
いや、【聖征者】の器となるべき肉体の為に。
「ようこそ。新たなる人よ」
老僧が一人。
若人の前に歩いてくる。
「これからお世話になります」
「ははは、今代の方は随分と礼儀正しいようですな。前代の方々はあれはあれで愛想が良かったですが」
「いえ、それ程でも……」
眼鏡を掛けた老人がそっと手で十字架の前へと促した。
若人が歩いていくと人の波が割れていく。
「まず、事前の説明を受けているでしょうから能力(スペック)に付いては省きますが、今回の試作五号。いえ、あなたがこれから死ぬまで使うであろう身体の特徴と特性をご説明します」
老人と共に十字架の内部を覗き込むと試作四号とは違って、若人の顔がちゃんと付けられている。
薄い身体付きの肉体からは人工物を想像出来ない。
「今代の躯体基礎は凡そ924年前に製作された“三位一体の秘儀”を流用しております。ですが、今世紀になって飛躍的な発展を遂げた【魔導技術】と【電子噐械学】の精粋も使用しています。これによって約千年前のものとは違い、原理的に魔力の出力上限は“任意”となり、理論上の限界は取り払われました。無論、躯体の強度上の制約は存在しますが、限界値は自己が崩壊する時点だと思って頂ければ正しいでしょう」
「崩壊……」
目を細めて。
己の顔を見つめる若人に老人は続ける。
「肉体を構成する骨と血と肉は今も旧教会に力を貸す神々4300柱余りから提供して頂いた肉体の一部を培養し、それぞれ優秀な部位を形成させました。安定化には時間が掛かりましたが、オリジナルを全て投入した甲斐はあるでしょう。あなたの規格外の容量を全て受け止めてくれるはずです。躯体そのものは人間と変わらぬ機能を与えましたが、慣例として子を作る事だけは出来ませんので言い添えておきます」
「……十分です」
老人が頷いて、上を指差した。
そこにも躯体が入ってるのと同型の十字架が吊るされている。
「一体として結合した後に射出。その後は独自判断と聞いてますので、もし何か不具合が起きましたら、連絡して頂ければ、こちらから調整用の人員を送ります。では、どうぞ」
若人は老人に先導されてデッキ内の階段を昇り、天井の十字架へと乗り込んだ。
後ろから両手を広げて密着すると。
まるで粘性の液体に沈むような形で身体が取り込まれる。
『諸君。始めるぞ』
外側から十字架内部に響く声に若人はこれからの事を思った。
ようやく【聖征者】としての任が始まる。
そうなれば、自分は自分ではなくなる。
一個の機構となる。
そして、それはきっと恵まれている。
そんな事を……。
大陸で七教会が幅を利かせてもありふれた悲劇は多い。
不死でこそないものの、不老の肉体と超越者としての能力を備え、また仕えるべき主まで持つのだ。
幸せ者とは自分の事に他ならないと思うのも若人には当然の事だった。
『結合開始。同時に射出シークエンス0‐0003から開始せよ』
注水。
それが清められた聖水だと理解して。
ゆっくりと自分の顔が、これから使う事になる肉体が、迫ってくるのを若人は見た。
『結合まで二十四秒。射出まで一分五十七秒』
口付けするように柔らかな身体が触れ合い、絡み合い、溶け合っていく。
『融解を確認。再形成開始。神経伝達系の合成に注意せよ。事前情報と寸分違わず再構成する。誤差は認めない。繰り返す。誤差は認めない』
厳しい声が飛んで重なりつつある十字架の速度が落ちた。
『再構成率78%。完了まで十二秒。カウントダウン開始。10、9、8、7、6、5、4、3、2、1全工程を完了。続けて射出に移る』
一体となった十字架がそのままデッキの端。
開放されていくハッチまで運ばれ、細長い金属の棒で中空に固定された。
『次に目覚めた時、あなたは過去の大陸において、最も畏れられた者達と同等の存在になるでしょう。どうか、その身があなたの道行きを照らさん事を』
老人の祝福に他の修道女、修道僧達が頭を下げて、十字架を見送る。
棒がハッチの端まで加速し、十字架との結合部分に火花を散らせて雲の下へと投下した。
そうして一世紀の時を沈黙して過ごした【聖征者】を内包した十字架は夜空の下。
闇に覆われた霧の都。
その“境界”目掛けて突入した。
*
魔術結社。
これ程に大陸に根を張ってきて、今世紀に到り衰滅しそうになっている稀少組織は無いだろう。
魔術の秘匿と開発。
その為に幾多の禁忌に手を染めて大陸全土に跋扈してきた彼らが今や風前の灯であるというのは一世紀前なら信じられなかった話だ。
その直接原因となった【魔導技術】の勃興と火砲及び銃器の発明は遺憾という言葉では済まない事態である。
それらの環境の激変は彼らの組織体系の隅々にまで影響を及ぼした。
此処数十年の歴史学者は魔術師を時代遅れになりつつある異物であると説き、一般の民は魔術の多くが彼らの功績で保存されてきた事を自覚しない。
大陸で汎用化されつつある魔術はもはや神秘の塊ではなく。
現実的な技能の総体と成り下がった。
数代、数十代、百代までも数える名家すら存在するというのに彼らの功績は根こそぎ七教会に奪われたと言っても過言では無い。
だが、それに文句の欠片も言えないのが魔術師達の本音でもあった。
超高位の術者になればなる程に感じられるのが、教会の最高魔導師ハティア・ウェスティアリアと自分の間にある天地の差なのだから、当然かもしれない。
実力主義、血統主義、権威主義、父権主義、それらの総体に等しい権力の権化たる魔術師達が認めるくらいには七聖女の力は絶大なのだ。
物言うならば、七教会の全てを覆す力がいる。
しかし、そんなものは大陸に存在しない。
その例外は唯一、現在の魔王のみなのだ。
そもそも魔術の本質とは真理の探究、ではなかった。
それも一つの系統ではあるが、探求そのものこそが、魔術にとっての原動力であったような部分がある。
体系化されるものが少なく。
体系化されても安定して運用出来ず。
超越者となれば、魔術から離れる者も出る。
才能が有無を言わさず全てを決するからこそ、魔術の一大系を極めた【師父(グランドマスター)】は魔術師達にとっての尊敬の的であり、野心の辿り着く場所でもあった。
そう、あった。
七教会の魔導が大陸を席巻するに連れて現実的に魔術の秘匿は難しくなり、それなりに素質のある一般人なら、魔術が使えるようになってしまった。
それだけならまだしも、総合魔術理論たる魔導を扱う人員は一般的な結社の魔術師を平均的な数値で凌駕する。
大規模な智識の収集、開発、獲得。
これは前教会も行っていた。
その当時は巨大な魔術結社の幾つかも教会と拮抗するだけの力があった。
だが、教会の信者数の増加と魔術開発の現場にハティアが大量の人員を投入し、“魔術師ではない人間が魔術の智識を収集し、開発し、獲得し、教会に納めるようになった”のは彼らにとっては衝撃的な革命となったのだ。
魔術師ではないのに魔術を使う。
魔術師ではないのに魔術を研究する。
その発想の転換こそが彼らと教会の魔術のレベルを厳然と開かせた。
嘗ての魔術は総体的には概念論であり、闇の中で研鑽されるものだった。
それが日の光を浴びる場所で大勢に祝福され、光の中で唯物論的に研鑽されるようになったのである。
一見して、この差は魔術師達にとっては歓迎するべき事のようにも見えるが、事実はまったくの逆だ。
魔術は魔術師達にとって陰惨で間違いだらけで万能で暗い欲望を享受させてくれる人間の業そのものだった。
決して赤の他人に見せたり、誰かと分かち合うものではなかった。
そうするならば、それなりの見返りとそれなりの利害が必要だったのだ。
一世紀前の魔術師達はそう教えられ、それを疑いもせずにいた。
それがたった一世紀後の今日。
あっと言う間に少数派の意見となってしまった。
その意見を戦わせられるのが魔術師ではない普通の人間という時点で彼らの信じるべき“寄る辺”……世界観が崩壊してしまったのは明白である。
百年、千年単位で生きる大魔術師達はそれを大転換期だと考え、多くは一線から引いた。
まだ極める途中であった中堅から下の名家達は自分達の価値観と世界観を守る為に立ち上がり、徹底的な交戦を誓って、その殆どが七教会との激突で廃滅した。
何も殺されたのでは無い。
“優しく”“可哀想な人として”“旧き魔術の被害者”のように扱われ、弾圧すら受けずにやんわりと力を取り上げられたのだ。
闘争を決意した教会の治安維持部隊に勝てる魔術名家が何軒あったか数えるならば、片手の指で足りる。
【高格外套(ソーマ・パクシルム・ベルーター)】
ハティア・ウェスティアリア本人ですらない。
教会の末端人員。
しかも、魔術は知っていても基本はただの兵士に過ぎない。
そんな相手に負けるのだから、圧し折られた権威と畏怖と自尊心の数は笑い話だ。
部隊に勝ったとしても、それは災厄の招来を意味する。
神域を越える魔導聖女ハティア・ウェスティアリア本人。
または宇宙すら崩壊に導くと囁かれる超常の力【破壊者】を持つ聖女ソィラ・ミクラ。
このどちらかがやって来る。
そして、彼らが培ってきた魔術の一切合切を受け切って、平然と、本当にまるで天気の話でもするかの如く、相手に敗北を言い渡すのだ。
無駄な事は止めろ、と。
それでも命を賭して抗う者ならいた。
己の血統と決意と魔術と人生を掛けて戦う者なら確かに、いた。
技と力を結集して、歴史上の英雄を呼び出した者がいた。
ハティアの魔術一発で何もかもが消え去った。
過去に倒された魔王の力を復活させ、手にした者がいた。
時代遅れねぇと百年の儀式がソィラの指先一つで消え失せた。
超越者となり、不老不死の肉体を持って抗う者もいた。
が、“ちょっと実験台になってくれない”なんて言われて無間地獄に落ちた。
不死者が本当に不死者だからこそ味わう事の出来る限界無き破壊。
肉体も精神も滅ぼせないなら“あいつとの前哨戦に持って来い”だと【破壊者】によって行われた“実験”は不老不死の相手が安息の死を望むようになるまで続けられた。
大抵の名家の悲劇と結社の衰退が招いたのは新たなる魔術の勃興。
いや、魔導師と呼ばれる【魔導技術】の恩恵を受けた者達の出現だった。
過去、乙女を生贄を捧げて行われてきた治水の魔術が、ボタン一つで行われるような世界の到来である。
光に満ちた場所に影に属した魔術師達がいる場所はない。
突き付けられた選択肢は三つ。
魔術を棄てて野に下るか。
魔術を続けて無限の絶望を味わうか。
教会に協力して己の魔術体系と血統を長らえるか。
一つ目の選択肢を選んだ者は比較的安穏とした人生を送って魔術がかなり使える一般人として幸せを享受するだろう。
それは七教会の福祉政策が保障してくれる。
二つ目の選択肢を選んだ者は教会ある限り、永劫闇の奥で浮かび上がれもせず、無用の牙を研ぎ続けるしかなくなった。
革命闘士だの廃滅した王家や皇家だのに肩入れし続けて、教会の捜査に怯えながらの生活である。
三つ目の選択肢を選んだ者は己がやってきた非人道的行為と血統の操作を諦めざるを得なかった。
しかし、それでもいつかは魔導の祖を打ち壊す野望に燃えて、無駄な努力に邁進する事となっている。
そう、そのような時代だからこそ、七教会に靡かない亜人国家アルヴァスには古びれた魔術結社が未だに現役で存在する、という奇跡が起こっている。
「え~、君達はぼく達魔術師が絶滅寸前の希少動物みたいなものだと言ったら、実際反感を持つかね?」
地下2000mの大深度。
惑星の歴史を伝える生物達の遺構。
化石が夥しく散乱する場に胡坐を掻いて講義するのは四十代程に見える柔和な笑みの痩身の男だった。
その身体を覆う衣装は紫紺に金糸の刺繍を入れられた一点もの。
羽織っている古惚けた外套の背中には【宇宙樹(ユグドラシル)】を象形化した【意匠】が縫い込まれ、その顔には黒縁の眼鏡がズレ掛かっている。
「自分達の状況から把握する。これがまずは第一歩だ。魔術師ならとりあえずは理屈と観測結果の後に感情を持って来るように」
無精髭が無ければ、多少は締まった顔付きと思われるのだろうが、吊り下げられた無数の洋光(ランプ)に照らし出された顔には緊張感の欠片もない。
ただ、その顔を、声を、講義を聞く者達。
まだ歳若い十代から二十代の男女の群れは数百人にまでも達している。
巨大な空間。
そう小さな街ならすっぽりと入ってしまいそうな世界の片隅でサバトならぬ講義をするなんて、贅沢な話だ。
ハガスの労働者階級の教育機関が小さな一室に何十人も生徒を詰め込むような環境である事を思えば、其処にいる生徒、魔術師の卵達は教育環境という点では幸せだろう。
「まぁ、そういう現状把握をすると。ぼかぁ、いつも思うんだよ。ぶっちゃけて言うけど、ハティア様には叶わないなぁと」
ざわつく生徒がいないのは其処が教会にとってサバトどころの話ではない場所だと知っているからだ。
冗談の類を言われたと思ったものは少しだけ唇の端を吊り上げ、事実だと受け止めた者は少しだけ顔を渋くした。
「ホント、あの方の魔術理論は完璧に近い。いや、近いというよりは限界が無い、と言うべきかな」
渦巻く巨大な貝の化石に腰掛けて。
男は参った参ったと両手を上げるジェスチャーをした。
「術者としてはたぶんこの惑星が生まれてから壊れるまでで一位か二位くらいだと思ってる。実はよくよくあの方と縁があってね。色々と研究が被ったり、同じ魔術開発してたり。いやぁ、本当に魔術の考え方だけは似てて困る」
男の楽しそうに語る話が全て事実だと生徒達は受け止めた。
少なくともそうでなければ、彼らを前にして、廃滅寸前の魔術血統の子弟達を前にして、笑って講義等出来ないはずだ。
如何に彼らが絶滅真直だと言っても、彼ら一族郎党の力は並みの一家で軍隊ならば、連隊に匹敵する。
それなのにわざわざ喧嘩を売るなど何の利益も無い。
「それでもやっぱり実力的な上下は諦め切れなくてね。恥しい話なんだが、後追いの研究はガッツリとやらせて貰ってる。摘発されそうになった事、この二十四年で492回。年々、外套の探査魔導が優秀になっていくから一年の十分の一くらいは偽装関係の魔術開発に割かないとならない」
魔術師の卵である彼らも教会と相反する道を往けば、摘発の対象に為りかねない。
如何に教会勢力の目が届かない場所で活動しようと、厄介は常に手薬煉(てぐすね)引いているのだ。
「ここらでの研究はまぁ、上で空を飛んでる方との共同でね。君達のお父さんやお母さん。もしかしたら、お爺ちゃんやお婆ちゃん辺りと共同で色々とやらせて貰ったと思う。それが五年くらい前までの話だ」
稀少な化石が多数照らし出されている壁に白いチョークがカリカリと一人手に奔る。
「その後は此処に居を置いて時々上に行って必要なものと開発成果を交換しながら暮らしてる。これが我が身の近況だ」
前置きを終えてスッキリしたのか。
男がようやく立ち上がった。
「ぼくの名は色々あるんだけど、今の魔術師達にとって有名なのは【超高位魔導高弟者(ハイグランエクスライン)】だろうね」
周囲に今までに無い意味での沈黙が広がった。
「昔、師事してたんだ。いや、実は裏切る気満々で習っていたんだけど、これが十五年くらいでバレちゃって。それ以来、教会のブラックリストのトップスリーを務めさせて貰ってる。ああ、ちなみにあの大戦では少し共闘関係ではあった。敵に塩を送る程度の贈り物をしたんだが、魔王相手には五秒くらいしか利かなかったらしくて、ハティア様には未だ許されてない。今も呪われっぱなしなんだな。これが」
あはははーと笑う男が自分の片腕の袖を捲った。
『?!!』
魔術師ならば、忌避も畏怖も浮かぼうというものが、その腕にはビッシリと掘り込まれている。
銀の刺青。
その微細さと精緻さが一種の【意匠】を組み上げていながら、実はその線そのものにも多数の【意匠】が仕込まれている。
刺繍にも思えるソレは魔力形質の封印という一点において、“彼”の力の全てを打ち消していた。
「教会の規律に照らし合わせたら大罪人間違いなしな研究してたのは本当だけど、それも魔術師からしたら「え~」と言いたくなるような違反でね。ぼく的には何もそこまでしなくても、と思わなくないわけだが、人間曲げられない事もある。あの方にしてみたら、五十年前の話も未だ許せないらしい。そういうわけで今のぼかぁ肩書きらしい肩書きがコレしかない。まぁ、昔の肩書きも全部元が付くからね。しょうがないとは思うんだけれど」
チョークがカリカリと壁に必要な文言を書き終えて彼の手に納まった。
「俗に狂笑者。神格としてはトリックスター、神様連中にはロキみたいな奴呼ばわりされた事もある。属性的には半分神様? いや、たぶん三分の一くらいだから半分ではないか。魔縁、あるいは魔炎。うぅ~ん……あぁ、そうそう。もう随分と昔に医術師、医者の真似事をしてた時期もあるんだ。今も童話辺りだったら残ってるから、こう呼んでくれるかな。ファウストゥス。あるいはドクトル・ファウストスと」
生徒達の一部がグビリと息を飲んで冷や汗を流した。
人の身にて神格を有する者。
それも混血による生来のものではなく。
人の身から王の位すら飛び越えて一代で一柱まで上り詰めた魔術師。
それは正しく神話の時代。
神代の残り香が薫る数千年も前の魔術師にしか成し得ない所業だ。
嘘を付く理由は無い。
彼ら魔術師の家々を敵に回してまで嘘を付く理由なんて有りはしない。
しかし、全てが本当の事ならば、彼らが目の前にしているのは……人の黎明期、人間には秘匿された智慧、即ち魔術の【源型(アーキタイプ・モールド)】を解いた影だ。
そう、魔力定義を説き、魔術の理を初めて人類に大規模布教した人物に他ならない。
それまで魔術とは神々や一部の亜人や異種が用いる力の利用法であった。
人の内に眠る混血の末に受け継がれた知覚能力。
事象に魔力を見る能力を持ちながら、人自身はあくまで物理的な戦術や兵器ばかり使っていたのだ。
超常の力が発現する者もいたが、あくまで能力であって、魔力ではなかった。
勿論、そういう戦いを生業とする者達の中には魔術を使う者達も極少数いた。
神や亜人や異種達に説かれた理と法を持って戦う術師達はいた。
しかし、彼らはあくまで人側ではなく、人に利する神や亜人や異種達の側に立つ存在だった。
人間の危険性から人に力を分け与えないよう計らってきた存在達にとって、魔術知識は唯一神の神話に語られる人の罪業、禁断の智慧の実に成りかねないという危惧があったのである。
だから、そういう者達は法術や魔術を極一部の人間達に尋常ならざる制約を課して運用させていた。
それが直接的に人間側の魔術師が増える事となったのは、混沌と戦乱、国の興亡渦巻く大陸に一人の伝道者が現われた事に由来する。
彼は魔術師であり、医術師であり、博学者であり、哲学者であり、神学者であり、童話に出てくる御伽噺の住人だった。
悪魔との契約の果てに神から見初められた男の魂は天界に召し上げられたとも、地獄……魔族達の住まう世界に落ちたとも言われる。
確かなのは魔術師達の原点として必ず習う伝説上の存在である事。
彼の使う魔術が現代にまで残っていた大陸の諸魔術の大本であった事だけだ。
「そう緊張しないでくれたまえ。今のぼかぁただの魔術師崩れだ。魔力も使えないし、大好きなあの子に呪われて眠る憐れな道化さ♪」
おどけたところで何が変わるわけでもない。
若人達の視線に彼、ドクトル・ファウストスは肩を竦めた。
「さて、これから君達には幾らか伝授しよう。これは言わば、君達がこれから学ぶべきモノの指針となる教授だ。術式だの、魔術核だの、魔力形質云々は出版されてる魔術理論の本でも読んだ方がいい。ただ、本にも書かれない事というのはある。そして、だからこそ、魔術師達は滅ぶべくして亡び、魔導師達は栄えるべくして栄える。君達が未来にも生き残りたいと、魔術師が続いて欲しいと願うなら、指針だけは誤らない事だ。さすれば、魔術師が亡びる事はない。いや、差別化という点では魔導師達を超える力を手にする事も出来るだろう」
ゆらりと手が壁に描かれた文字列に彼が触れる。
すると、白墨(チョーク)の残滓がふわりと宙を浮き出た。
「さて、魔術師というやつは根本的には効率化の問題を克服出来なかった。これに異論がある者は?」
手は上がらない。
「よろしい。現状把握がしっかりしてる生徒は好きだよ。魔導師達が産み出した魔術理論。いや、もう魔導理論か。それらを見れば、今までの魔術師達の非効率が恐ろしい無駄(ロス)を招いていた事は自明だ。だが、彼らは明るい場所でしか魔術を見ない。故に自分達の非効率には目を瞑る。論理を人倫に合わせれば、確かに作業効率は下がるかもしれないが、障害があればある程にそれを克服する術が生まれる。それがぼくら魔術師の認めたくなかった真実だ。ぼかぁ、少なからず……その魔導の遣り方には大きく頷ける。知性ある存在が、知性ある存在を犠牲にして構築しなきゃならないものを、犠牲無く行う。非効率に見えて、実は複雑な人間社会からの支援を受ける最大の効率化方法だ。つまり、孤独を好む魔術師の研究では効率化方法というのは自身のみでやる場合が多かったって話になる。それこそが今までは魔術師達の普通の姿だったわけだ。が、多人数を巻き込んだ社会的な研究の効率化方法はこれと真逆のもの。そうする事でハティア・ウェスティアリアは魔導の基礎を強化した。要は倫理規定を与えた方が事は上手く運ぶ。その困難さ故にね。逆説的な話ではあるんだが……」
ザッと座って聞く生徒達の前に倫理の文字が文字列から切り離されて浮かんだ。
「これを最大効率で行っているのが七教会の魔術開発部門やフルー・バレッサの監督する研究開発部門なわけだ。しかし、故に倫理規定を外さなくては分からない研究に関しては大きな制約が付く。そして、その部分を極めた研究者は少なからずいる。ぼく以外だと五年前に潰されたクラウゼン公爵家。藩落の【血統主義】がそういう七教会の綺麗事よりも強く人々を惹き付け、後援を受けたからこそ、七聖女の投入による都市破壊に至るだけの力の開発が行われたと見るべきだろう」
今度は研究の文字が生徒達の前に切り離された。
「魔術研究の今の発展は一握りの才能が生み出す基礎。そして、その発展を支える膨大な数の論理。つまり、研究職の一般人化で支えられてる。この点で七教会に我々魔術師が勝つ術はない。ただ、倫理規定が設定されていない研究に関しては教会の監視が厳しい。近頃は魔導で察知されずとも、因果律の観測で直接的に追ってくるまでになったからね。追撃部隊を回避するのも一苦労だ。だが、もしもこれを一人ではなく。複数の者が少しずつ行ったらどうなるか。その答えが五年前までの研究では出ている」
ガラリと周辺を照らす明かりが変わった。
今までの薄暗さが嘘のように強烈な光が周囲を染め上げていく。
『?!!』
生徒達が見たのは複数の高格外套の姿だった。
一瞬、身構えそうになった彼らだったが、すぐに様子がおかしい事に気付く。
壁際に全て縫い止められているのだ。
まるで蟲を標本するように。
その四肢を縫い止めているのは幾つかの金属を張り合わせたと思しき杭だった。
「単独。もしくは少数での奇襲がセオリーとなった。その結果、こうして鹵獲も簡単になって、近頃は魔力源にさせて貰ってる」
外套の中には誰もいないらしく空の内部を晒している。
「我ら魔術師が目指すべきは大規模な研究では切り開けない小規模の分野だ。一つ一つはまったく持って無為にも見える研究も、先鋭化し続けた先に統合する事を目指せば、現実的には十分【魔導技術】を超え得る。この高格外套達を鹵獲した技術は三つの狭い分野の研究から成り立っている。一つは魔力停止技術。あらゆる魔力を固定化する最先端の領域だ。一つは観測者効果の防止技術。観測者によって変化するあらゆる情報を素のまま情報源から取り出す事を目指した研究だ。最後の一つが超・長距離呪術の有効化技術。時間や空間、次元を超越して呪いを持続させる分野だ。一つ目の技術が実際に高格外套を停止させ、二つ目の研究が相手側からの観測を妨害し、三つ目の分野で培った智識が一つ目と二つ目の技術を使った罠を如何なる環境化でも間接的に起動させる。少数の者を即行で鹵獲して内部の人間を排除。後はよくある転移を多様して反教会派の地域に移送。これがこの【高格外套】達の辿ってきた道なわけだ」
フッと生徒達の前から浮いていた文字が消え去った。
「まず最初に大きな一つの命題(テーマ)を決める。そして、その解決に向けて必要な研究分野を細分化する。後に研究分野の先鋭化を行い、統合への道筋を付ける。そうして一つの問題を解決する智慧を形作る。これが指針だ。今現在、魔術師達が魔導を超える為の最良の道と考えて欲しい」
『………!』
生徒達の目が耀くのも仕方ない。
自分達の目の前にあるのが、実現可能なわけがないと諦めてきた夢の一つ。
教会戦力への拮抗。
その第一歩であったのだから。
「では、君達に最初の課題を与えよう」
ガラガラとまだ光の当たっていない暗がりから勝手に手押し式の車台がやってくる。
鈍い鋼色の取っ手から先は白布で覆われている。
「近年、ぼくが研究してるのは五年前、イグニシアと武帝の国境域から藩落に掛けて起きた騒乱時、教会が戦っていた存在に付いてだ。いや、随分と懐かしい化物だったものだから、ついつい手が出てね」
白布が一人手に落ちると台の中のソレが衆目の前に晒された。
『!!!?』
「口の化物。見えない化け物。初期はそう呼ばれていたらしいが、今は【外神獣(アウタン)】と名前が付いている」
二匹の化物。
一匹は小さく醜悪な子鬼(ゴブリン)。
一匹は流動する口の形をした肉の塊。
「片方は天使の第三位。その超絶的劣化複製品。もう一つは世界の外、つまり“宇宙外”に放逐された生物が変質したモノの成れの果てだ」
白布が再び掛けられた。
「見えない化け物、子鬼の【外神獣】は世界の外に追いやられた過去の天使を基礎とする構成を持っている。故に子鬼程度の姿形を保っていると見ていい。天使すら変質する宇宙外領域は随分と【外なる神々】の影響力が強いと見える。変質した肉体の組成を見ると惑星内部に無い法則下でしか生成され得ないような造りだったよ。口の化物は天使よりも下位の存在が完全に【外なる神々】の影響で変質した、より低次の存在。そう捉えていいだろう。だが、だからこそ、その能力は今の七教会にとって脅威だろうね。子鬼は見えず、触れた者の精神を汚染する天使由来の力だが、口の化物の攻撃、虹色の光弾は今のところ教会にも防ぐ術がない」
どよめき。
教会に防ぐ術がない力。
そんなものが存在する事自体、彼らは聞いた事も無かった。
「その大まかな理屈は単純に言うと“世界の発生以前”の状態を相手に与える虚無の属性を持っているからだ。宇宙外の領域とすら言えないものの中に漂っていたから、それが口の化物達にとっては普通の状態なわけだ。しかし、この“世界の中”に在っては何もかもが“有り過ぎる”為にストレスが掛かって、手当たり次第に“宇宙外環境を引き込む”ようになった。光弾は環境そのものであり、領域や普通の真空ですらない。故にあらゆる媒質を排除する。物質、波動、重力、魔力、因果、物理量、全てだ。だから、教会の【高格外套】の防御は一切が無効となった。これを防ぐには現実的に【外なる神々】と同等の構成を持つ物体で防ぐか。あるいは化物の組成に似た物質、またはそれそのもので防ぐかの二択となる」
ガラガラと台が通り過ぎ、闇に再び埋没していく。
「君達にはこの口の化物を研究して貰いたい。細分化した研究項目は全部で四百種類。全てを研究し尽くした時、君達はまず始めの一歩。七教会に対する攻撃手段を手に入れるだろう」
ドクトル・ファウストス。
魔術師の祖。
【大母】が知的生命の母だとするなら、【博士(ドクトル)】を自称する男は人類の発展に一石を投じた魔術師の父である。
生徒達の誰もが偉大なる男に頭を垂れた。
正しく魔術師の衰滅に立ち上がった神にも等しい者。
崇敬の念を抱いたとしても致し方ない話だろう。
「では、これからぼくは一時、新たな研究対象の捕獲へと向かう。此処は君達に任せよう。機材と資材は全て自由に使ってくれて構わない。存分に見て回ってくれたまえ」
男はそのまま虚空へと存在しない階段を上がるように上って行った。
男女等しく己が師事する事になる者を見送って、周辺に各自散らばっていく。
研究は既に始まっていた。
「……いや、若いとは良いなぁ。ホント」
闇を昇り続ける男が玩具を見つけた子供のように目を耀かせて機材に群がる徒弟達に微笑んだ。
「では、こちらは彼らに任せて。我々はさっそく赴くとしよう。何処の誰かは知らないが、面倒な扉を抉じ開けてくれた礼はしなければね。久しぶりに【聖征者】が出てくるともなれば、これは心躍る一時になりそうだ。なぁ、ドライ?」
語り掛けたファウストスの横にはいつの間にか人影が同じように歩いていた。
「………」
その顔は闇に融けている。
しかし、衣服は男の目にも映った。
アルヴァス・カレッジの制服。
ブレザー姿からはまだ十代と想像出来るだろう。
「そう言えば、まともな武装を持たせていなかったばかりにこの間は怪我をさせてしまって済まなかった。この国の警察機関もなかなかにして侮れない。これからは彼らとかち合う事も多くなるだろう。ほら、これを……ぼくからの贈り物だよ。是非、研究資材(サンプル)確保に有効活用して欲しい」
男が外套の奥から明らかに体積が合わない大きな鉄骨と思しきものを抜き出して、傍らの影に持たせた。
全長にして10m近くあるソレは明らかに人間が持つには長過ぎる。
しかし、二度程縦に振られて、影がジッと手元を見た。
「ああ、それは其処を押すんだ」
ファウストスに指摘された通り、握りの一部が親指で押し込まれると鉄骨が消え失せる。
「そうそう。持ち運びは楽チンだろう? ちなみに触れたモノの属性と特質を写し取る力がある。雑魚程度でも本質は変わらない。接触が増えれば増えるだけ、相手に利く武器になるだろうから、心配しなくていい」
「……どくとる。ありがとう」
影の言葉は幾分拙かった。
「いいさ。自分の作品を自分で使うと味気なくてね。誰かに造るというのはぼくとしても大いに得る所がある。ぼかぁ結構寂しがりやなのかもしれないなぁ」
あはははーと暢気に笑うファウストスがようやく見えてきた遺構の出口。
天井の扉を前にして指を弾いた。
ガンッと比較的乱暴に開いた扉の先からは霧が噴出してくる。
「まずは迷宮攻略気分で征くとしよう」
「はい。どくとる」
二人の影は躊躇無く霧の中へと昇っていく。
―――その先にあるのは一つの都市だった。
紫雲と紅に沈む街の影。
何もかもが永遠に閉ざされた黄昏の迷宮。
天と地と狭間に揺蕩う死者の形。
花開かず。
水流れず。
時進まず。
戯画と化した混沌。
それは朧(おぼろ)より出でる虚無(うろ)を抱(いだ)きし忌国譚(きこくたん)。
彼(か)の地の名はアイウィス。
嘗て、世界より消失した行方知れずの亡郷。