※この作品はR-18です。

不死人ちゃんのBlackSoulsいきなりⅡ   作:朝神佑来

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お茶会連中との話しかしてない。


オックス・ウォード学院 - 狂鳥ジャブジャブ

 膝を折り、頭垂れ、両手を重ね胸へ――。

 彼女の膝元で祈りを捧げると、胸の内に暖かな灯火が宿り、それが頭の中から影と声を消し去った。

 しん、と静まり返るのを感じて、いや、はじめからこの学院には何も音など立っていなかった――と理解する。物音ひとつ聞こえない、死んだ時が篭もる空間。それがここなのだと。

 

 わし。わし。

 不器用な手が、私の頭をまた撫でる。

 あの人外の者……学寮長は確かにそこに居た。おそらくは、私を殺し犯そうとしたあの黒い人間も。

 四本の大きな腕を器用に動かし、とんとんと私の背を叩く。立ち上がっても大丈夫だ、そう伝えているのだろうか。

 曲げていた膝を立て、頭上におわす聖女と顔を合わせる。

 

 その口許が、わずかにほころんだ――ように見えた。

 

 私は、これから……どこへむかえばいいのだろう?

 そう問いかけようとして、学寮長の方を見ると、彼はすでに廊下の先へさっさと歩いて行ってしまっているところだった。その妙に速い足を追いかけて、彼の背に追いついた先には……先ほどまではなかった筈の階段が、本棚の後ろから現れていた。

 

 学寮長は大きな体をずりずりと壁に擦らせながら、その階段を昇っていく。私も後に続き、転げないよう一段ずつしっかりと足をかけて昇った。

 昇るにつれて嗅ぎ慣れた匂いがしてくる。先ほどまで私の肺を埋めていた埃と腐臭とは違う、これは――書斎の、匂い?

 

 「…………ここは」

 

 そこは、広くも狭い部屋だった。

 壁を見れば、そこが普通よりはずっと広い部屋だとわかる。だが部屋の四隅を埋め尽くす本棚と積まれた本の数々が空間を圧迫し、結果的に足の踏み場をなくしている――そんな部屋だった。

 そこと似ている雰囲気の場所を知っている。……あの、図書室の夢だ。本が埋め尽くす広い部屋……。

 人のためでなく、本のために存在している空間。

 

 学寮長はのそりと肩を動かし、たぶん私の方を見た。頭がないから解りづらいが、私が追いかけてきたことを確認したのだと思う。

 その長い腕を本の山の中へ突っ込み、無造作に何かを引っ張り出した。手の先には一冊の本。

 それを取り出すと、彼はのそのそと私の方へ歩み寄って、両手でそっと私にその本を差し出した。

 

 「――これ」

 

 本のタイトルは――『サンドリアの聖女』。

 私が先ほど祈りを捧げた、彼女の伝話だった。

 

 これを、私に……?

 そう問いかけると、学寮長は静かに頷いた。ように、見えた。

 旅路で何冊か拾った童話たちと同じ力を感じる一冊。表紙を撫でれば、そこに封じられた彼女の遺志を感じ取ることが出来る。そこにあるのは、崇高な理念と、信念と――そして、果ての無い怯えと孤独感。

 私の両腕は、自然とそれを抱き締めていた。その怯えと孤独に引っ張られたのではなく、ただ、自分の意思で涙を滲ませた。

 

 彼女の、声。彼女の笑顔。彼女の気配、彼女の姿。

 心も膝も折れて尚、それでも立ち上がって私に手を差し伸べてくれた、あの聖女の姿を思い出して。

 ただ純粋に、真っ直ぐに神を信じ殉じ続けた彼女を――強く、強く想った。

 

 「カタリ、ナっ…………」

 

 涙で腫れた喉から、その名が溢れた。

 

 その者亡き今、残った者に出来ることは、想うことと祈ることのみ。

 せめて、私と過ごした時間は彼女にとって『彼女』であれただろうか?

 たえず頬の上を流れる涙を、大きな指がぬぐった。その手は、そのまま――ぽんと、私を撫でた。

 

 「…………」

 

 伝話を抱いたまま、私は顔を上げる。

 左の腕で私を撫でながら、右の腕が伸びる。背後の扉に向け、指を伸ばして指し示し。

 

 そこへ……向かえ、と?

 

 学寮長の手が、ゆっくりと私の頭から離れる。

 私は、受け取った伝話をしまいながら立ち上がり……彼の、ない頭と目を合わせた。

 

 ――私は、彼が想っている彼女ではない。

 しかし、少なからず私には彼女を思わせるなにかがあるようで、皆……一様に私をそれと呼んだ。兎も、人も、トランプも、殺人鬼も。

 けれど、この学寮長の振る舞いから感じるものはそれらとはまるで違っていて、あえて言語化するならば――私を見る眼差しが、『私』をはっきりと見ていながら、私の中の彼女を想っている――そんな風に、見えた。

 その彼の在り方は、私には酷くうれしくて……飲み込んでいたはずの言葉を、あえて、あえて彼に向かって口にした。

 

 「ありがとう」

 

 

 「…………パパ」

 

 

 ぴたり。と、その大きな手が開いて硬直し。

 ふるふると震えながら、また、私をゆっくりと抱き締めた。

 

 私の内から湧き出る、この想いは――

 果たして、誰のものなのだろう。 

 

 

 *

 

 

 戸を開けて暫く進むと、深い深い暗闇が私を飲み込んだ。

 はっとなって振り返るが、私が潜った戸はすでにそこにはなかった。

 暗闇の向こうに手を伸ばすが、伸ばした手も暗闇に覆われて視認できない。上を見ても下を見ても、ただただ暗い。歩いているのか浮いているのか、動いているのかそうでないのか、あらゆる区別がぐちゃぐちゃになって混ざり合っては消えていく。

 

 私はどこに来た? 私はどこにいる?

 心を蝕む焦燥すら、おぼろげな自意識の濁流に呑み込まれて不定になる。何も見えなくて、何もわからない。覚えている自分の形を必死で意識して、伸ばした腕の先が誰かに掴まれた。

 

 「ぐーてんもるげん。そんなに暴れて、どうしたのですか」

 

 とろんとした声が明瞭でない私に混ざり、消えかけていた意識に届く。

 その声が体の隅々まで染みわたるように感じられて、私は私を思い出す。

 

 真っ暗闇で、なにも見えないの。私はそう口にする。

 自分にはその声は聞こえなかったが、私の手を取る誰かには聞こえたようだ。

 

 「そんなもの、当たり前なのです。瞼の裏なんて見たところで、見えるものはまっくらやみだけなのですから」

 

 瞼の裏? 私が今見ているこれが? 

 だけど、私は目を開けている。見えているのは暗闇だけ。そう言うと、彼女はくすりと笑った。

 

 「目は閉じることなんて出来ないのです。瞼が光を遮るだけで、目はずっと目の前を見ているのです。ねぼすけさんですね」

 

 だけど――。なら、どうしたらいいの? この暗闇をはらうには、私は何をすればいい?

 

 「決まっているのです。目を開ければいいのです」

 

 目を………………開ける……?

 

 塞いだ瞼がやけにむずがゆく感じて、私はたまらず目を開いた。

 

 

 「ほら、おはよう」

 

 

 朗らかに笑う眠り鼠が、私の手を掴んでいた。

 

 

 *

 

 

 どうしたって、もう二度と戻るつもりもない。

 そんな思いを浮かべた気がするばかばかしいお茶会が、そこで粛々と開かれていた。

 

 兎がいない。兎がいない。兎がいない。

 焼きたてのケーキがあって、淹れ立ての紅茶が並んでいて、私が知らない砂糖菓子や焼き菓子の数々がきっちりと白いお皿に収まっている。見たこともない、口で例えるならば豪奢な。

 十数人分の椅子と長いテーブル、その上に配膳されたスイーツと紅茶。そこに腰かけて淑やかにそれらを口にしているのは、左端の三月ウサギと右端の帽子屋の二人だけ。私の手を引く眠り鼠がすたたと駆けて、私が立っている向かいの中央の席に腰かけた。

 どうぞ、と三月ウサギ。私も眠り鼠の向かいに腰かけて、十字を描いて座る四人のお茶会がここに始まった。

 

 「随分と、とち狂ったお茶会ね」

 

 ぽつりと零した私の言葉を拾い上げて、帽子屋が舌を転がした。

 先ほどまで紅茶を運んでいた口を動かして、丸出しになっている下半分のお胸の真ん中あたりに手を添えて。

 

 「正体も無しに勝手に座っていただけて大いにけっこう! ご注文をお聞きしましょうか? 最も、ここにあるのは甘ったるい正直者ばかりで口にすればすぐさま消え失せる潔さがポイントですけどね」

 

 切り分けられたケーキをぱくりと一口。確かに、口にする間もなくふわりと消えるくらいふわふわのスポンジとクリームだ。とっても美味しくて、美味しいばかりで物足りない。

 帽子屋の言葉を受けてぱっちりまなこの眠り鼠も一口。満足げに頬をほころばせてうんうんと頷く。

 

 「難解で歯ごたえのあるなぞなぞたちはみんな食べつくしてしまったのです。もうずいぶんと長いお茶会に仕上がってことばの梯子も登れない。だからあなたの足が満つるには少し――至らないかも」

 

 それに対して、三月ウサギもつられて一言。二言、三言?

 暖かい紅茶が喉を通ってお腹を温めても、彼女の饒舌はつるりつるりと止む様子がない。

 

 「どこをどう見てもからっぽしかないのよぉ……まるでアタシの心みたい……ふふ……でもからっぽがいっぱい詰まってるってことはそれだけ満たされてるってのことなのよね……? からっぽでパンッパンに膨らんでるアタシのボテ腹、ブチ込むのは甘くて白くてトロットロの…………お砂糖だけ……」

 

 淑やかな美女に見えたが腹の奥で何やらおかしなものを妊娠しているらしい。口から絶えず出産されているその思いのたけが何から来るものなのかをハッタに問う。

 

 「ああ、お気になさらず。彼女は禁欲生活が数百年近く続いていて頭までふわとろになってしまった哀れな兎です。かくいう帽子屋さんももうずーーーーーーーーーーーーーーーーーっと帽子を作らずお菓子ばーーーーーっか作ってますけどね。そう、全部帽子屋さんのお手製です。ところでいつ名乗りましたっけ?」

 

 「禁欲が長引いてるお陰で落ち着いてはいるのですけどね……。ぼくも静かに眠れるなんて思いましたけど、眠るのに飽きて十年近く起きっぱなしなのです。ああ、ほんとうに長い。ところでヘイアの淫語喋ってないカウンターは今日でいくつなのです?」

 

 「えーっとですね、お、記録更新ですよ、三年と十六か月と五百六十日と」

 

 「ふぃーーーーっひひひひ!!!! おちんぽ!! おちんぽおおおお!!!!」

 

 長い兎耳と髪をぶらんぶらんさせてヘイアが頭を打ち付ける。

 

 「はい、一秒です。また三年後ですね」

 

 テーブルを汚すようで悪いが、彼女には他に性欲を発散させる方法はないのだろうか?

 

 「一般的には自分の指なんかを用いるようですが、彼女のアレは挿れられるものを大概ぶちこみにぶちこんだ結果人の頭でも入らないと満足できない体になっているんですよ。帽子屋さんも食われそうになりました」

 

 彼女が今さっき口にしたものですら彼女を満足させられないということではないか。

 

 「ふっ、青いわねお嬢さん。いい? セックスっていうのは心と心でするものなの。子宮をガンガン叩いて膣壁でゴリゴリ擦ってなんてのはまんこを使ったオナニーに過ぎないわ。本当のセックスっていうのはね、普段なら誰にも明かさない生まれ持った急所をその時間だけは互いに明かして繋がることで肉体を介して心と心を繋がらせる――ああ、アタシは僕は今ひとりじゃないんだって充足感、多幸感こそがセックスの本質なのよ。自分の存在が誰かに許されているという幸福は耐えがたいものだわ? ちなみにそれは同性でも十分経験できることだからセックスしましょお嬢さん大丈夫妊娠はしないわちょっとなんか貰っちゃうかもだけど貴女なら大丈夫よねさあセックスしましょうせっくすせっくすせっくすふぃーーーーーっひひひひ!!!!!」

 

 丁重にお断りする。同性相手でも死ぬし、私。

 叫び散らした数秒後にはしんと静まり返って紅茶を口にしている姿がなんとも美しい。あまりに正気的すぎるこのお茶会で安心感すら覚える狂気っぷりだ。

 

 「折角ですし懐かしいなぞなぞでもお出ししましょうか? そう、カラスと書きもの机です。似ているのは何故でしょう?」

 

 脈絡もなく口にされる帽子屋のなぞなぞもそえてバランスもいい。以前の兎が走り回っていたばかりのお茶会よりよっぽど楽しいぞ。

 それで、ええと。書きもの机とカラスが似ているのは何故か、か。

 

 「ええそうですっ! どうでしょう、わかりますかグリムちゃん?」

 

 なぞなぞに答えを用意するのは出題者ではなく回答者だ。それに則れば、まあわかった。

 

 「あ、マジ? 聞かせて聞かせて」

 「ぼくも気になるのです……」

 

 たわわな両胸をぎゅむっと密着させてヘイアが身を乗り出す。でかい乳だ。乳首を引きちぎりたくなる。いや悦びそうだな、やめておこう。

 

 ――ええと。

 カラスは人の食べ物を奪うし、書きもの机は人の時間を奪う。

 どちらも人から何かを奪う点では共通している。似た物同士ではないだろうか?

 

 「ふーーーーーむ。まあ答えらしい答えではありますが模範解答のようなつまらなさですね。もっとこう……あるだろうっ! ないんですかなんかっ! 紅茶のおサカナに出来そうな!」

 

 そんな主張をするくらいなら自分で考えてほしいものだが。平民に芸を強要させる貴族みたいだ。

 なら……書きもの机にはペンがつきものだ。机は木で出来ているから、そこにペンを置くのも木にカラスが羽を休めにやってくるのも同じことだ。実によく似ている。

 

 「成程……なんというか……突拍子もない言葉もそんな風に熱く語られるともっともらしい言葉に聞こえてくるのです……」

 「あっいいわねすっごくいい、そんな感じで変態って罵られたいんだけどダメかな、ダメ?」

 

 下手に静けさを持った分真っ当な淫売になってしまったなこの子。よく知らないが。

 ならそうだな。カラスはガアガアと鳴くし書きもの机はガリガリと鳴く。カラスが落とす羽は美しい黒色をしていて、美術的価値が高いと思う者もいればゴミだと思う者もいる。書きもの机が生む創作物も人によっては価値があり人によっては価値がない。どちらも人によって価値を変える、そんな点でもよく似た両者だ。カラスと書きもの机、一見まるで違う両者だがその実双子のように似通ったものであると私は思う。はてさてどうだろう。

 

 「ずずずっずよよ~~~。ぷはー☆ ……いいんじゃないですか? 聞いていたら喉が渇いて紅茶がずいぶんと進んでしまいましたよっ! なかなかやるねグリムちゃんっ!」

 

 虚言妄言ならお任せあれ。とち狂うのには慣れている。

 紅茶を一口飲んだあたりで、あれ、そういえば私はなんでお茶会になんて参加してるんだっけとふと疑問がよぎる。目の前の大樹の向こうにある巨大な時計塔は何なんだろう。

 ぎこぎこと微かに聞こえてくる歯車の音が頭の中で鳴り響いて、少しずつ脳髄をこそぎ取られていくようだ。愉快な音だな。

 

 「しかぁーしっ! 帽子屋さんはなぞなぞを出しました。グリムちゃんは答えました。これでは不公平ではありませんかっ? グリムちゃんも! なんか出題してくださいよ、施されるばかりじゃ生きていけませんよっ!」

 

 ぽうっと変なことを考えていたら、ハッタが私を名指した。

 ヤマネもヘイアもうんうんと頷いてケーキを食べながら私を見ている。

 ……何か、言うべきなのか?

 

 ええと……ええとーー…………。

 

 …………。

 

 

 暖かい毛布と…………初々しい新婚夫婦が似ているのは。何故でしょう。

 

 「わぁおっ! なんとも顔に似つかわしくないめるひえんちっくな単語ですねっ! ……なんだろ?」

 「わからないのですか? ぼくはなんとなくわかるけど……これは……」

 

 ぱちん、とヘイアが指を鳴らした。

 

 

 「どちらも夜中に上に乗っかるわね」

 

 

 正解。

 

 「YYYEEEEEEEEEEEEEEEEEEESSSS!!!!!!!!!!!!YES!!!YES!!!!!!!!」

 

 椅子に足を乗せて器用に回転を始めるヘイア。

 お気に召してくれたようで何よりだ。

 

 「帽子屋さんまさかのド直球な下ネタとは思いもしませんでしたよ」

 

 起伏の無い冷静な顔で私を見るハッタ。

 下ネタとは即ちジョーカーカード。たまに切ると一部にウケる。

 時と場所を間違えると冷え込むので風邪に気を付けよう。

 

 なんて、くだらない話を続けていたら目の前の皿とカップが真っ白くからっぽになっているのに気付く。存外に長居してしまったようで、久方ぶりに埋まったお腹がぽかぽかと温まっているのを感じる。

 椅子を引き、とんと立ち上がる。ごちそうさま、そう口にして頭を下げて。

 

 「おや、どちらへ?」

 

 目の前の時計塔へ。

 私はそこに行かねばならぬと示された、気がする。

 

 「お茶会は終わらないのです。キミが望めば、ずうっとここに居ることだって出来るのですよ?」

 

 ヤマネの誘いは有り難いが、私がいるべき場所はお茶会ではなく、狂気の坩堝だ。

 テーブルをぐるりと回り込んで、大樹のふもとへ足を運ぶ。かたりと椅子が鳴る音がして、振り返るとヤマネが立ち上がって私をじいっと見ていた。

 

 「その……グリム、さん」

 

 どうかした?

 私はもともと招待もないよそ者だ。引き留める必要はどこにもないと……思うけれど。

 

 

 「覚めない夢があるとしたら――あなたは、それを受け入れますか?」

 

 

 ……。

 どういう意味だろう。

 

 「言葉の通りです。朝が訪れないのだから、目を開ける必要がない。そんな、静かで自由な眠りと、それがもたらすとこしえの夢。それがあるとして……あなたは」

 

 ヤマネの言葉はなんとなく理解できる。

 しかし、それが示しているものは、私が知り得る限り夢とは程遠い。それは――。

 

 

 

 「それは夢ではなく、死と言うんだよ、ヤマネ」

 

 

 

 「…………――っ」

 

 「そして、私は生きている。死なない限り、その夢は見れない。だから私には――受け入れるも何もない。見ることができないのだから」

 

 悲し気な彼女に、出来得る限りの朗らかな笑顔で答える。

 たぶん、それは彼女なりの心配りだったのだろう。その気持ちは素直にありがたかった。

 

 「――寂しくなったら、ここに来て、かりそめの夢を見させてね。ケーキと紅茶、とっても美味しかった」

 

 「当然ですっ! 何てったって帽子屋さんお手製ですからね。グリムちゃんが言うなら生姜無いなぁっ! また用意してうん百年は待っていますよっ!」

 

 「アタシたちはずーーーっとここに居るものね。疲れ果てた狂鳥もその先に居るわ。アタシたちとおんなじように、ずーーーっと誰かを待っていて、待っていることすら忘れかけてる。だから早めに訪れてあげて? 来客は心を豊かにするわ、そうそれはさながら膣口からブチ込まれる熱く滾った肉棒のようにねふぃーーーーーっっ」

 

 ああ駄目だもたなかった。うん、ええと……ありがとう。

 大きく腕ごと手を振る帽子屋ハッタ。カタカタと揺れ笑いながら私を見送る三月兎ヘイア。ぎゅっと片手を握りながら、小さく手を振る眠り鼠ヤマネの三人に私も手を振り返し、ギチギチと頭蓋の中でひしめく歯車の音のもとへ――

 病みたる時計塔へと、私は足を踏み入れた。

 

 

 

 

 「――それで、たった今素通りされた彼女は誰ですか?」

 

 「何十人目かのグリムちゃんよぉっ! ああっ、また抱きたかったわぁ……」

 

 「止められない。止まらない。止まってくれない。彼女はいつも行ってしまう。みんな成る。みんな成れ。夢に堕ちる。堕ちる。堕ちる、きらきら、きらきら、きらきら、きらきら――」

 

 

 

 *

 

 

 この旅を今まで続けて、ようやく気付けたことがひとつある。

 それは――私の中には、あのロストエンパイアでの旅と同じく、私に至るまでの無数の『私』が存在していた、ということだ。言い表すならば、何度も何度も繰り返し私は同じ旅を『周回』していて――おそらくはあの墜落部屋で――すべての記憶をリセットして目を覚ましている。

 だが、記憶のすべてが何もかもこそぎ落されているわけではない。現に私は、この時計塔を駆けあがりながら脳内に満ち満ちていく歯車の音を聞く度、失っていた以前の私の記憶が蘇るのを感じていた。あのお茶会三人衆と話をしたのも、これがはじめてではない。だから私は彼女らの名前がわかったし、何をすべきかどうふるまうべきかも理解できた。

 

 ずっと前の私は三人全員を即座に殺した。そうしたらハッタだけがむくりと起き上がったのを覚えている。

 もっと前の私はお茶会を素直に楽しんだ。何も置かれていない、誕生日でない日を四人で祝い楽しんだ。

 少し前の私は色情魔となっていた。まずはハッタを、それからヤマネを犯して、最後にヘイアと惰眠を貪るようなぐずぐずに蕩け落ちるようなまぐわいを行っていた。無論、その度に何度も何度も死んで、お茶会の篝火で目を覚ましてを繰り返して。

 

 ぴょんと跳ねて床を駆けまわる歯車たちを飛び越えて、ぱたぱたと走り行っては階段を駆け上がる。

 ぎぢぎぢ、ぎぢぎぢ、頭の中が歯車が噛み締め合う音で満ちていく。その度に意識は明瞭になっていき、得るべき狂気を取り戻していく。五体に満ちるこれは、蛮勇ではなく――経験だ。

 

 私は以前もここを昇った。そして歯車に引き裂かれてミンチになっては昇り直し、頂上で待つ者のもとへと駆けた。何故やどうしてなど問う間もなく、目の前に道があるからと私は駆け続けた。

 ああ、そうだ、はっきりと思い出せる。私はかつて何度も何度もここを昇って、そして――

 

 ――そして。

 『悪夢は取り除かなければならない。』

 そうだ……。歯車と混ざって頭の中で何度もこだまする、この声だ。

 『悪夢は取り除かなければならない。』

 この声に従って、悪夢のもとへと駆けたんだ。その悪夢は、どんなだったか。

 『悪夢は取り除かなければならない。』

 この国に住まう四つの悪夢。階段を駆け終えて、大きな窓がある小部屋にたどり着く。

 『悪夢は取り除かなければならない。』

 ここにはあれがいる。あのビーストがいるはず。あの……輝く――星の――…………。

 『悪夢は取り除かなければならない。』

 ――それはどこにいる?

 

 

 ぐちゃり。

 と、何かを踏んだ。

 それは、何かの死体だった。

 

 

 「…………あれ……?」

 

 全身を爪で深く深く何度も切り刻まれたような、ぐちゃぐちゃの死体。

 血で汚れ切ってよく見えなかったが、記憶に蘇ったばかりのそれの姿と、その死体が時間をかけて符合する。

 ――輝星のビーストが、死んでいる。

 

  

 きぃ。

 

 と、目の前の窓が開く。

 

 

 『悪夢は取り除かなければならない。』 『悪夢は取り除かなければならない。』 『悪夢は取り除かなければならない。』 『悪夢は取り除かなければならない。』 『悪夢は取り除かなければならない。』 『悪夢は取り除かなければならない。』 『悪夢は取り除かなければならない。』 『悪夢は取り除かなければならない。』 『悪夢は取り除かなければならない。』 『悪夢は取り除かなければならない。』 『悪夢は取り除かなければならない。』 『悪夢は取り除かなければならない。』 『悪夢は取り除かなければならない。』 『悪夢は取り除かなければならない。』 『悪夢は取り除かなければならない。』 『おっぱい。』 『悪夢は取り除かなければならない。』 『悪夢は取り除かなければならない。』 『悪夢は取り除かなければならない。』 『悪夢は取り除かなければならない。』 『悪夢は取り除かなければならない。』 『悪夢は取り除かなければならない。』 『悪夢は――――――』

 

 

 

 「おや……。ここまで登って来る奴は久方振りだね……そんな華奢な女の身で。ああ、ああ……ああ。ああ、あぁ」

 

 

 窓枠に両足をかけて、私を覗き込む悪夢がそこに居た。

 白と黒の長いぼさぼさの髪。深い深い隈が刻まれた両の目。

 融けるように疲れ切った表情。よれよれのゴシックドレス。

 全てが全て、前の私たちが知っていた彼女とはまるで違う様相。しかし私は、その記憶から彼女が何者であるかを察知した。

 

 「懐かしいわ、とっても」

 

 にこり、と彼女が微笑みかける。

 見たこともない薄ら笑顔だった。

 

 「――頂上で、待ってる」

 

 その薄ら笑顔と、その言葉だけを残して彼女は――

 狂鳥ジャブジャブは両の翼を翻し、暗闇の空へと融けるように飛び去って行った。

 

 

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