くだらない――と吐き捨てるのは、一瞬だ。
しかし、自身が口にしたその言葉が感情となって心に刻まれた瞬間、一瞬は尾を引く永劫となる。
「そこが台所で……そこがリビング。腰を下ろすならそこに。ああ、それはクローゼット」
オックス・ウォード学院の先にある、秘匿された病みたる時計塔、その頂上。
無数の歯車がぎぢぎぢと鳴り響いて轟くその空間の中心に、広い広い足場があった。
無数の藁が塊になって積まれたその場所に足を踏み入れると、疲れ切った笑顔を浮かべたジャブジャブが指をさしながらそう言った。
指し示された「クローゼット」は藁の塊だ。「リビング」も、おそらくはこの「イス」も……全部。
常人であれば正気を疑うであろうその行為。けれど私には、疑う間もなく理解できた。
――ここは彼女の家であり、彼女はここで仮想の家具とともに暮らしている。
その藁たちをなるべく踏んだり崩したりしないように、藁と藁の間を歩きながら、彼女のもとへと歩を進める。
これは……何?
藁に包まれた一冊の本のようなものを見つけて、指をさして問いかける。
「ああ、それは――」
ジャブジャブはふわりと飛んで降り立ち、藁の中からそれを取り出した。
童話だった。見慣れた形の本の一冊。
ふぁさ、はさり――ジャブジャブは自身の羽でその本から藁を払うと、私に向かって差し出した。
「――アンタのものだよ。もともとは、ね」
それを受け取り、題を見る。……『ピーター・パン』。
召喚魔術に用いるための童話の一冊だが、なぜこれを? ジャブジャブは相も変わらずとろんとした目で私を見る。
「しばらく……いや……ずっと長いこと……そいつと暮らしてたんだ。同じたわごとしか口にしないつまらない奴だったけど、あたし以外の存在であることに変わりはなかった。だからそいつを、その藁のベッドに寝かしつけて、ずうっと観察してたのさ。あいしてるあいしてるあいしてる……うわごとのように連呼してたその愛は、いったい誰に向けられてたんだろうね」
そう言ってジャブジャブは柵に腰掛け、ぱたりと羽を休めた。
「木屑のスープは……ウサギが好きだった。ただあいつは腹に穴が空いてるせいで、食うたびにぼろぼろ腹からこぼすもんだから、リビングをいつも汚しやがる。靴下のイモ虫もだ。床に穴をあけて床下を這いずり回って、少し起きたかと思えばすぐ瞼を縫い合わせて寝ちまう。無責任なもんだよ。カップが汚れたから席を変えろだの――画鋲のつまったジャム瓶を放置しやがって――コンパスの針で指をケガしないよう――スーツケースは地面の中に」
ぶつぶつ……ぶつぶつと、実にもならない言の葉をはらりはらりと口から落とす狂鳥の姿。
彼女の言葉の意味はわずかでも理解できなかった。私がいくら呼びかけても、ジャブジャブは返事のひとつすらせず、ただ呟き続けるのみだ。
狂っている、そう片付けるのは簡単だ。しかし彼女のこの様子は、狂いの一言で片づけるにはあまりにも複雑すぎた。狂いとはバターを塗りたくられた懐中時計のようなものだ。時刻がズレて、ズレて……けれど時計の体は成している。狂気じみた音色を奏でるこの歯車たちがそうだ。対して、彼女の姿は――ズレている、というよりも、もっと……手が、遅れている……ような。進むはずの針が止まっている、叩きつけられて壊れている。……ような。
そう――そうだ。
彼女は、壊れているんだ。
くたびれすぎた姿のジャブジャブを見て、不意にそう理解した。
「なあ」
いくら呼びかけても返事のひとつすらしなかったジャブジャブが、ふっと私を見た。
「お前、
うつつ? ……現実のことか? 夢から覚めたいか、と……そう問いかけているのか?
数秒の間のあと、こくりと頷いた。
私は、私がここにいる意味を知りたい。夢に身をやつすのは簡単だ。だが、そうできない理由が私にはある。
私は――私を、積み重ねすぎた。この夢を夢で終えるには、あまりにも長く生きすぎた。
上層へ昇り、学院へ赴いたのもお茶会を過ぎたのもそのためだ。私は、私で居たい。アリスでも少女でもない、私で。
ジャブジャブはくすりと笑い、かりかりと首を掻いた。
「夢ならどこでも見られるが――そいつは――少し――難しいわね。現を見るには、あんたはあまりにも散らばりすぎた。かき集めて元の形を戻そうにも、あんた自身が元の形を覚えちゃいない。そいつは――問題だ。けどね」
ならばどうすれば思い出せる?
今度の言葉はなんとなくだが理解できる気がする。私は私を繰り返すうちに、いくつもの『わたし』を削り落としてきたのだろう。元の『わたし』が何なのか、それを取り戻すことは――私の求めているものに近づくような、気がする。
「あたし達悪夢は――もう――疲れたんだ。どれだけ役を演じても――どれだけお膳を用意しても――据え膳に食らいついてくれる主人公サマはずぅっと、訪れない。いないんだから当たり前だ――なのに――あたし達は待ち続けなくちゃいけない。ずっと、ずっと、ずっとだ、貴女が来てくれなきゃ、来てくれても、何もはじまりゃしないから――――だから」
――悪夢は取り除かなくてはならない。
「まだ聞こえるんだろう? その声は」
聞こえている。ずっと、ずっとだ。ここに来て、あなたに会って以来、ずっとだ。
「その通りにするには――どうすりゃいいかわかるだろう? 一度だ――いちどまでは従ってやる。だから、貴女も従いなさいな。貴女の抱える不死性が示す役割に順じなさい。枯れた喉で歌ってやる――どこまでやれるかはわからないが――歌ってやるから」
ばさり、とジャブジャブが両の翼を翻す。両の足の先に鋭い爪を伸ばして、あるいはかつての姿を可能な限り取り戻して。
相対する私もまた、鋸を構える。それは必然だった。
悪夢は取り除かなくてはならない――それは、ここに来る前から示され続けてきたことだ。
「あたしを殺してみろ、『グリム』。そうすれば、あたしが――お前に、お前の、本当の名前を教えてやれる」
ぎぢぎぢ、ぎぢぎぢと脳内にひしめく歯車の音を掻き消すほどの殺気が満ち満ちる。
それはまさしく、そしてただしく悪夢だった。切り裂きジャックのそれを優に超える、確実な『死』が目の前に鎮座している感覚。私が、もう何度も味わった感覚だった。
膝を折る暇もない。短銃を、鋸を前へ構え――静かに頷き、ジャブジャブに答える。
私の名前。それが何なのか、何を意味するのかは知らないが。
きっとそれは、私が幾度死のうと得るべき価値のあるものに違いない。
「――獣は発情し、花達は狂い咲く……暴虐と狂乱の宴の始まりだ――!! お前、あるいはあたしの死を、ワンダーランドに捧げよう――ッ!」
昏き底より出でる四の悪夢、そのひとつ。
狂鳥ジャブジャブが、私の前に現れた。
*
――ぱりん。
「あ…………」
テーブルの上から転げ落ちたマグカップが、カーペットの上で砕け散った。
積み重ねられた本を整頓していたノーデは一冊の本を抱えたままそれに近寄り、怪我をせぬよう気をつけながら破片を拾い集める。カップが割れたのはこれが初めてではない。外気の干渉を受けない夢の内であるここに、そういった変化が訪れる時というのは決まって何かが起こる時だ。たとえば、来客、といったような。
破片を拾い終え、それらをテーブルの上に並べると、ノーデはゆっくりと振り返った。
「よぅ」
くぐもった女の声がしんと響く。篝火の傍に、それは立っていた。
真っ黒い狩人の装束と、背中から足元まで流れている大きく長い黒髪。そして医師が用いる嘴の伸びた面で顔を隠した一人の女が、そこに居た。
狩人の装束に包まれていながら、わずかに浮かび上がるボディラインがその者が女であることを示している。大きく膨らんだ胸元と腰回りを重たげに揺らし、ひたりひたりと女はノーデに歩み寄った。
「――何方ですか?」
その者がここへ来る時、ノーデは決まってそう答える。
図書室の夢とはそういう場所であった。そこは役目を果たす者のために存在している世界であり、役目を終えた者にとっては無用の場所――この夢にとって、来客とはすなわち外敵である。
怪訝に満ちた表情を浮かべるノーデに、仮面の女はくくっと笑う。
「コインが死んだ。もしかしたら来てぬえかなって思った。ねえか?」
白手袋を纏った右手を浮かべ、ぱたぱたと指を動かして問いかける。
とん――とノーデは本を置き、両の手を空ける。腰の前で組んでいるのが常の両手を自由にさせることは、すなわち彼女にとっての臨戦態勢である。
今ここに『主』はいない。故の姿勢。ノーデは目の前の女に対し、最大限の警戒と敵意を向けながら答えた。
「いいえ、誰も。――来れる筈などないと、貴女なら理解している筈ですが」
女はぼりぼりと後頭部を掻きあげて息をつく。
「そおか。結局来れんのあ俺だけか……にしたってつれぬえよなあ、お前も」
「用は済みましたか? であれば早急に失せて下さい。ここは貴女のための場所ではありません」
「言われたって、現に俺あ来るてるぜ。邪険にするなよ、そっちの防犯上の問題だろ」
「来れていることが問題なのですよ。いったい、あなたは、いつまで――いえ……」
「――まだ、夢を見るのですか?」
女の呼吸が、ぴたりと止まる。
「そるはこっちの台詞だよ、ノーデ」
暫しの静寂の後、突きつけるようにくぐもった声を口にする。
「手前等はいつまで、起き掛けの明晰夢を見続けんだ? いつまで夜を続けるつもりだ? メルヒェンに憧れた神様連中の恋物語はとうの昔にブッ壊れて、残ってんのは自由を謳歌する肉便器だけだ。誰もが夢を現実に受け入れて、誰もが己のために生きてる。物語を遊ばされてんのはもう――ひとりだけだろ」
かたりと椅子を引き、腰を下ろしながら、彼女は続ける。
長い髪をふわりとカーペットに流し、テーブルの上に並んだカップの破片を手に取って、弄びながら。
「私は、私に準じるのみ。そこに『彼女』が在り続けるなら、私も私で在り続けるのみ――」
「贖罪か?」
ノーデは唇を結び、ふっと目を反らした。
「そうしてまたアリスを導くのか。何度でも何度でも、覚めぬえように、壊れぬえよおに、大事に大事に丁寧丁寧丁寧に。そうしてまた『俺達』が生まるて、こそぎ落し尽した抜け殻が動き出して、ここを巡る、ぐるぐる、ぐるぐる」
「……黙りなさい」
「奴はもうジャブジャブの元だ。進行も十分、ドアはじきに開く。けど知ってるよな、だから悪夢に気を付けろと口を挟んだ。あいつの歌は
「ゲルマッ!!」
その恫喝は、焦燥に近しかった。
あえて、あえて目を伏せて耳を塞いでいた事実。停滞、低迷、膠着――それがもたらす、安堵。
それに身を委ねることの享楽と安寧の罪深さを、ノーデは心の底で理解していた。その上でその罪悪から目を逸らしていた。時の重ねを知りえない者はそうと気付くことなく不思議の国の不思議を生きている。自身もそうなれればと、それがノーデの願いだった。
――『一周目』の残滓、黒の狩人ゲルマは顔を伏せ、手のひらの上に置いた破片をゆっくりと握り潰した。
「……支配と名のつく停滞に座していた神様には酷な話か。いったい、どるだけ経ったんだろうな。不思議の国がブッ壊れてから、形だけでもそれを保とうとし続けて。刹那を永遠に生きる俺達は、永遠に刹那的だ。夢が覚めれば消え失せる――けど――手前等のお陰で生き続けてる。皮肉だし因果だな。手前等が否定し続けたい歪みが、手前等のお陰で生き永らえてんだ」
「あなたは――いつも……何を仰りたいのですか。この夢はグリム様のために在るもの。あなたが愚痴を吐くための場所では――」
「グリム、グリムと言うが。お前の言うグリムは、どっちのグリムだ?」
「はっ――――?」
「この国を喰らったグリムと、この国に喰らわれたグリム。どっちのことを言ってんだ」
「…………――――――」
引き裂くような静寂が、図書室の夢に満ちる。
ゲルマはゆっくりと仮面を外し――その目と、明瞭な言葉をノーデに向けた。
「……もう、覚めてえんだろ、あんたも。あの子に対してそうゲロってくれりゃあ、俺も相応の動きはできる。目覚ましをかけることくらい、俺にも。なあ、ノーデ」
「…………」
「
「私は…………わたしは……」
ゲルマはまたそっと顔を隠し、狩人からエセ医師へとその顔を変える。
そしてゆっくりと腰を持ち上げ、長い黒髪をはためかせながら篝火の元へと歩いた。
「――ゲルマ」
その背中に、ノーデが声をかける。
ゲルマは振り返ることはせず、ただ一言だけを呟いた。
「俺達アリスも、拒みはぁせるが待ってんぜ」
篝火の炎の中に包まれて、ゲルマの姿は跡形もなく消え失せた。
*
「死闘」、と称される戦いを、ふつうは何度経験すれば十分なのだろう?
空を飛びまわる相手との戦いは初めてではなかった。やつは灼熱を吐いて咆哮をぶちかますのが得意だった。ジャブジャブはそれに比べれば随分と小さな体をしているが、放つ攻撃の数々はあいつを思い出させるほど重たかった。
一撃でもまともに喰らえば四肢すら残らない。秒の間もなく無数の爪が私の体に迫る。すんでの所でそれを躱しながら藁の上を転がるが、あの爪が私の喉笛を裂くのは時間の問題だ。
速度が足りない――判断力も瞬発力も機転も足りない。それでいて相手には恐らく戦闘というものにブランクがある。明らかに格が違う――もう慣れたことだが。
被弾を覚悟し、一瞬立ち止まる。そしてジャブジャブの爪が私の肩の肉をえぐる瞬間、反射的に鋸を振るった。先端に微かではあるが感触を感じた。
刻まれた肩からの出血と、わずかに刻んだジャブジャブの腕からの出血。
自分の血の匂いとジャブジャブの血の匂いの差異に、一瞬だが確かに気付く。
「きゃふっ――っくふふふ……!! やぁるじゃあないか、肉を切らせてなんとやら――ってか?」
ばさり、羽を躍らせるジャブジャブが私の前へ滞空する。ぽたぽたと血が流れる傷跡に舌を這わせながら。
対する私は、肩に走る痛みと出血で意識が朦朧とし始めている。回復を急ぎたいが、そんな隙も見えない――『奴の行動はまだ終わっていない』。私が一手を出す内に、奴は十手二十手を打てる。
速度が足りていない。奴に追い付くにはどうすればいい? 足りない酸素を巡らせて思考する間に、ジャブジャブはまた羽ばたいてぐるぐると旋回を始める。
「けど、これじゃあね……分が悪い。お前があたしに致命傷を負わせるころには、あんたは切り刻まれてバラバラだ――ははっ、こんなのろまがよく昇ってこれたものだねえ、ええ?」
ひゅん――ひゅん、と風を切る音に交じり、ジャブジャブの声が聞こえる。
饒舌だ。その話し方はまさしく不思議の国の住人のそれだった。
壊れていた彼女の在り方が段々と元に戻ってきている? 戦いをはじめたから? ――己の役割に準じているから?
いや、何であっても変わらない。死なない一手をどこかで打たねば、私は無限に殺され続けることになる。風の音に交じって接近するジャブジャブをすんでのところで躱し、致命傷となる一撃を軽傷まで抑え込む。腕や腹や背中や足、あらゆる部位に切創を作りながらも私は意識を保つ。
私の血の匂いが濃くなる、反面――私のものでない血の匂いがどんどん異質になる。
風が運ぶその匂いを嗅ぎ分け、ジャブジャブの動きを読み、その手の先を捉えようと試みる。横、前、頭上、背後、また前、また横――。大丈夫、うまくいく――!
「――っ……?」
目を閉じていながらも、正確に攻撃を躱すようになった私の動きにジャブジャブが気付いた。
目も大事だが、私は狩人だ。血のそれに対しては視覚以上に覚えがある。この血の追跡ならば――わずかに、奴の先を行ける!
背後、頭上、横と来て、その瞬間が来る。――今ッ!
「がふっ――!?」
半歩を踏み出し、肉を削ぐ。腹部を削がれたジャブジャブは口と腹から血を噴き上げて床を転がった。
ジャブジャブの血の匂いがいっそう濃くなる――わかる、嗅げる。即座にハーブ瓶を被り、輸血薬を首に注して傷を塞ぐ。
「なぁる、ほど……読んだのか、あたしの動きを……っ。やるねぇ……」
腹を抑えながら、ゆっくりと立ち上がって私を睨むジャブジャブ。
その目にはもう狂いも陰りもない。故に――これで終わるはずもない。
「……けれど、けれどね」
私は鋸を仕舞い、片手に剣を、もう片手に本を取り出した。
血の追跡で間に合うかどうかも定かではない……しかし、だとしてもこれが私が出せる最大火力。
それ以外に手はない。あの一撃がどれほどのダメージとなったのか、それは狂気的に頬を歪ませて瞳を剥くあれを見れば火を見るより明らかだ。
――刹那、強い血の匂いが私の鼻腔を突き刺した。
「――ぁ…………っ?」
眼前に居たはずのジャブジャブの姿がない。この血の匂いは……ジャブジャブのものではない。
どろりと溢れる血が私の顔の半分を覆いつくした。続けざまに訪れる激痛が、あの一瞬で私の側頭部が切り刻まれたのだと私に教えた。
「悪夢は巡りッ! そして終わらないのさぁッ!! ――こんな風にねえッ!!!」
剣を持ったままの手で刻まれた部分を覆い、そして足が崩れる。駄目だ、頭蓋からの出血はッ……判断を狂わす……っっ!!!
激痛に悶え、散らしたい叫びをなんとか喉のあたりで抑える。ぼやける視界は既に役に立たない。血を追跡しようにも、自身の血の匂いがそれを阻む。
どん、と胸の内になにかが去来する。
大きく、深く、重く、暗い。それは今まで何度となく味わった、『死』への確信。
懐かしさすら覚えるその感覚に逢い、あるひとつのことを思い出す。
二人の師から教わった、私が死なぬが故のひとつのことがら。
――ジャブジャブは私の周りを飛び続け、速度を得続けている。
切り裂かれた腹部はそのままに、血を散らしながら延々と。
ならば、私がとるべき一手はここにある。それが起死回生でも、無駄な足でもなんでもいい。
『死』を感じた時、それを諦観してはならない。
そこから一歩でも先に進め。何かを行え。されるがまま、死ぬがまま死んではならない。
『お前の強さは、足を止めないことにある』
魔術の師の声が聞こえる。
私は、必死で立ち上がり、おぼつかない足にそれでも力をこめる。
『お前にとってのそれは終わりではない。それは、お前にとっての――導きだ』
剣の師の声が聞こえる。
左手に握った本を開き、胸の内に生まれる言葉を口にする。
暗く深い絶望の淵、そこに叩き落されてこそ私は私のよすがを知る。
私にとって――不死人にとって。それこそが唯一絶対の導きだ。
『死』こそが私の導きであり、故に不死人の心は折れない。
ただ――戦いの中でなれば!!
「さあ準備はいいかッ、グリム様ァ!! 今一度、今生をやり直すがいいッ!!!」
迫るジャブジャブに向け、その名を口にする。
魔法使いとその愛犬を家ごと吹き飛ばした竜巻を、破滅の嵐を。童話の名は――
「いいやまだだ狂鳥ッ!!! ――『オズの魔法使い』ッ!!!」
「ッ――!? くぉッ――ぉぉおおぉおぉおおあああっっ!!?」
眼前に迫ったその者へ、破滅の嵐が吹き荒れる。
その嵐に全身を刻まれ、後方へと圧され行くジャブジャブに向かい――私も、跳んだ。
あがきというなら、それでもいい。
ただあがき続けることだけが、私の先を創るのだから。
「グリムッ――――!?」
右の手に螺旋を描く剣を握り締め、その切っ先をジャブジャブに向け。
「統べろ、ストームルーラーッ……!!」
吹き荒れた破滅の嵐を、その刀身へと集めさせ。
嵐に乗り、速度を得た私の体ごと、その刃を突き立てる。
「実れッ!! ――嵐の覇王ぉおッッ!!!」
「がッッ――ぶぇッ――――!!!」
ジャブジャブの腹から背にかけて、ストームルーラーが突き刺さり……統率された嵐が吹き上がり、その傷口を掻き回しながら切り刻んだ。
溢れた嵐は時計塔の壁すら砕き、私とジャブジャブの体は共に時計塔の外へと投げ出された。
*
ごう、ごう。
落下していく私の体で裂ける空気が、そんなような音を立てて私の耳を過ぎる。
ふと、前に目をやれば。
真っ赤に染まった不思議の国の向こう、大海原の彼方に、ちかちかと輝くいくつもの光が見えた。
あれは何だろう。都市かな。いや、この国に都市などあるはずもない。なら何だ?あの光は――。
「――ぁぐっ……!!」
逃避するように思案する私の喉元に、ジャブジャブの爪が突き立てられる。
「……ははっ……なぁるほどぉ……随分、弱っちくなったと思ったら――そういう、ことかよ……」
「っ……!? ぐぶっ、ぁ、ぁがっ……!! がっ……!!」
「……あたしが散空に出掛ければ、街の皆が歓迎してくれた。笑ったり泣き叫んだり発情したり……。様々な感情が乱れ飛び交うのが常だった……けどね」
「っ!? ~~~っ!!?」
「あるとき……『狂わねえやつ』が現れたんだよ。この街の狂気にも、あたしの歌にも染まりやしねえ、自分だけを偉そうに保ってるやつが。……どうだっていいと放置した。……そうしたらまた増えた。けど死んでいなくなったのもいたから、やっぱ放置した。増えた。死んだ。増えた。死んだ。増えた」
かり、とジャブジャブの爪が私の頸動脈に触れる。
「そいつらが何からどうやって生まれてたのかがずっとわかんなかった。どうでもよかったしな……。でも、ああ、やっと、やっとわかった。あいつらが何なのか、どうやって生まれてたのか……。思えば最初っから居たんだよな……あたしの歌でもこの街でも狂わねえ、最初っから狂ってたやつが、ひとり、さあ」
視界の底に地面が迫る。
「お前だよ、【アシュリィ】」
「お前が生んだんだ。お前がてめえの魂を削って、生んだんだ。あいつらアリスを、この国に求められるが儘に」
ジャブジャブは確かにそう言った。
私の名を。
私の業を。
それが何なのかを問うまでもなく、やはり地面は迫る、迫る、迫る。
最後にジャブジャブは、笑いながら歌を残した。
懐かしくも忌まわしい、聞き覚えのない聞きたくもない歌だった。
――
――どこへなりとも訪れろ
――たおやかな指先で久遠に敵え、
――
――我が名を
――おまえの足を刻みつけるから
走馬灯のように駆け巡るロストエンパイアの景色と、私の名を呼ぶ仲間たちの姿を思い出しながら
私とジャブジャブの体は地面に叩きつけられて砕け散った。
『白リボンの娘、コイン』
大きな白いリボンが特徴的な活発的な少女。
かつて護身用にと姉に渡された二丁の短銃を獲物とし、
襲い来る娼婦や魔獣をとある狩人から教わった技術「内臓攻撃」によって狩っている。
姉とともに上層街で暮らせているのもその為であり、
絶えず女の悲鳴が聞こえてくる故郷を何よりも愛している。
『黒の狩人、ゲルマ』
黒ずんだ狩人の装束とペスト医師のものを模した仮面を被っている長身の女性。
あらゆる魔獣狩りの武器を一通り使いこなせるが、全身全霊でもって戦う際には一本の剣を取る。
それを手にしたゲルマは竜のような咆哮を放ち、獄炎を放つことを可能とする。
被っている仮面はかつての恩人を象ったものであり、生来の足らない舌と相まって
仮面の中でくぐもる声が時折どもって聞こえることがある。
――――――――――この先、分岐があるぞ→